第四十五話:武家カレンデュラ

 皆が動き出してゆくクロマツ町で、公爵家のベランダより、街に上がった炎をみたクリストファーは思わず呆然とそれを眺めていた。
 月明かりに照らされた煙は高くまで立ち上り、絶望してしまう。

「ククリール……!」
「おや、お父様より先に立たれてしまいましたか……」
「貴様ぁ!!!」

 逆上したクリストファーの脳裏には、第一子として生まれたククリールの姿がよぎっていた。
 最愛の娘、息子のリリトと共にそれはかけがえの無いものだった。しかし15年前、リリトが生まれた直後。国境沿いの柵が破られ内戦で落ち延びた多くの難民がなだれ込んできた。
 騎士団の対応が追いつかず、カレンデュラには多くの不法入国者が現れ、クリストファーは一度難民を受け入れる方向性を示し、傾きかけた治安を立て直した。が、多くの工作員も居たことを知ったクリストファーは、工作員達を集める為、難民救済として騎士団へ工作員を誘導したのだ。

 オウカの異能を奪いに侵入した彼らを騎士団で飼い殺すため、クリストファーは、家族を人質に取られないよう。ククリールをまるで蔑ろにするように扱い、家を出たいと思わせるように仕向けた。
 ククリールにとってそれは、息子を贔屓する父親そのものに見えて居ただろう。そこからククリールへの勘当を介したことでサフランも一時興味を失うかに見えたが、ククリールは、サフランの真実を知ってしまった。
 そしてまたクレマチスに匿われた事で、サフランにクリストファーの愛情が失われて居ないと気づかれたのだ。
 カレンデュラ家の過去の贖罪のため、騎士団へ侵入した敵を一掃するため、クレマチスと共に数十年かけた作戦は、断腸の思いで行った娘の勘当によって起こったのはなんの皮肉だろう。

 怒りが堪えきれず、動きが大ぶりになるクリストファーへサフランがようやく互角に対峙する。2階から突き落とされたクリストファーだったが、手すりにつかまり受け身を取って着地し、サフランも続いて後を追う。屋敷の騎士が出てこないことに、どれほどの敵が入り込んでいたか理解し、さらに絶望もしていた。
 
「警備のクローバー隊はどこへやった!!」
「トサミズキ町の公民館に、爆弾が設置されたと予告があったのです! まぁ私ですが!!」
「この腐れ外道が!!」
「褒め言葉ですね!」

 クレマチス隊の半分は、エニシダ町にてテロ対策に追われていた。つまりこの屋敷にいるのは、サフランの率いるバジル隊で、信頼できるのはホールにて警護するヒュウガの率いる数名のクレマチス隊のみだと理解する。

「これほどまでに土台を固めても、ここまで追い詰められるとは私も想定外でした。お嬢様が『保護』できて居なければ、私も貴方に倒されて居たでしょう」
「く……」
「カレンデュラ公爵閣下。敵ながらに天晴れとでもいいましょうか」

 サフランは、クリストファーの短刀をサーベルによって弾き上げて取り上げる。斬り合いによってお互いに傷だらけの二人だが、クリストファーは限界を迎え膝をついてしまった。
 40代に近いサフランとは違い、クリストファーは50代でもあり体力の差は越えられない。サーベルではなく銃を取り出され彼は座り込んでしまった。
 ここまでかと、娘一人すら守れない父に確かに価値はないとクリストファーは絶望する。

「お世話になりました。閣下」

 サフランが引き金を弾きかけたときだ。庭へと走り込んでくる足音が聞こえ、それは真っ直ぐにサフランへと走り込み、体当たりをして押し込む。
 味方だと思ったサフランは、その衝撃に驚き、現れた影へと狙撃するが、それは甲高い音と共に弾かれた。
 クリストファーの前に立ったのは、儀礼用の礼装を纏ったキリヤナギだったからだ。

「王子?!」
「お父様……!」

 響いた高い声にクリストファーはしばらく信じられなかった。ククリールはぼろぼろのクリストファーへと抱きつき無事であったことに涙を流している。

「サフラン、貴殿の愚行はここで止める」

 サーベルを抜いたキリヤナギは、クリストファーの盾になるように堂々立ち塞がる。
 サフランは舌打ちした後、合図もなく狙撃してくるが、『オートガード』によってそれも効かず目を見開いた。

「魔術!! 確かに厄介だ!!」
「殿下!!」

 遅れてきたシズルと、ギリギリで頭痛が引いたジンが追いついてくる。そしてそれを見たサフランが、周りで待機して居た仲間の騎士に招集をかけた。
 襲いにくる騎士達を、ジンとシズルが抑えにかかり、キリヤナギは、サーベルを持って切り込んでくるサフランへと応戦する。

 敵と味方を交えた乱戦が始まるカレンデュラ邸の庭では、狙撃音やサーベルのブレードを撃ち合う音が聞こえ、控え室に戻っていたリリトもまたハッとする。
 父と口喧嘩をしてから、彼が席を外したタイミングで戻ろうと考えていたのにいつまで経っても使用人は呼びにこず苛立ってもいたが、訓練とも違う不規則な音にリリトは思わずベランダから外を除いた。
 するとそこには、ククリールを庇うようにサフランと戦う礼装のキリヤナギと、彼に背中を預けながら向かってくる騎士を撃退する父がいて、リリトは思わずベランダの中へ隠れた。
 何が起こっているかわからず騎士を呼びにゆくが、廊下には驚くほど誰もおらず、バトラーの姿も見えない。
 どこに行った? と廊下を走っているとホールへ歩いているクレマチスの姉が見えて思わず飛びついてしまった。

「リリト様?!」
「クレマチス! 父さんが!」

 直後。廊下の先から銃声が響き、カミュはリリトを抱え込むように伏せさせる。カミュも慣れない動作で即座に銃を抜き、廊下の柱へ隠れた敵を牽制した。

「リリト様、一度ホールへ!」
「!?」
「ヒュウガ父さんの所に行って下さい!!」

 リリトは訳がわからないまま、カミュへ敵を任せホールへと駆け込む。
 そこにはあまりにも変わらぬ夜会の風景もあり、リリトは夢を見ているかのように錯覚を起こした。
 先程の銃撃戦が嘘のように思えてくるが、自分の見たものを疑うなと、リリトは一番大きなテーブルへと座る母、ナナリアと横に立つヒュウガ・クレマチスへと掴みかかる。

「ヒュウガ! 父さんが外でーー」
「リリト様……」
「!」
「存じております」

 直後。会場へと銃声が響いた。
 音速の弾丸は真っ直ぐリリトへと放たれるが、ヒュウガは即座にリリトと母、ナナリアをテーブルの下へと引き込む。直後に悲鳴が響き、ナナリアはリリトを守るようにテーブルクロスの中へと隠れた。

「母様……!」
「リリト、静かに……!」

 途端テーブルが大きく揺れ、上の食器の破砕音が響く。恐怖に支配され、思わず母に抱きついてしまった。

 テーブルの外では、バジル隊の騎士が人質に取れそうなものから掴みかかる。しかしそれは元々マークしていたクレマチス隊の騎士へどんどん抑えられていった。

「何事だ?」

 テーブルへと座り、果実酒を楽しんでいたカナトは、突然騒がしくなった会場を流し見る。広い会場は多くの人々が行き交い、一眼では何が起きているかは判らないが、貴族達は続々と逃げるようにホールから姿を消してゆく。

「ガーデニア外交大使。貴殿の首は大物だな」

 後ろから響いた低い声に、傍にいたメリエとホライゾンは、銃口を向けられていることに驚く。しかし、二人はすぐには動かなかった。

「自分が何をしているか、理解できているか?」
「状況がご理解いただけていないようだが、大人しくしてーー」

 途端、敵の目の前に、キラキラと輝く透明な破片が降り注ぐ。水のように思えるそれはまるでガラスの破片で、敵は迷わず天井を仰いだ。そこには、まるで氷柱のようなものが浮いており、先端がまるで刃の様に研ぎ澄まされている。
 敵は即座に引き金を絞るが、トリガーが固定されているかの様に微動だにせず、驚いていた。

「我がガーデニアにとって、貴殿らは『敵』でしかない。しかし、ここはオウカであり私が直接手を下すことは、国家的問題にもなり得るだろう。よって無礼を詫びるならば、王子の寵愛に免じ許そう」

 メリエとホライゾンは、まるで見ないふりをして食事を楽しんでいる。
 ここでガーデニアが動くことは、ニ国間の間でカレンデュラ領が危険な場所であると証明してしまう事にも繋がるからだ。引き金が固定された銃は、内部の空洞へ『魔力結晶』を生成されびくともしない。
 動かない銃をどうにかしようとしている敵を、サーマントを下ろす騎士が後ろから巨大な武器で殴りつけて倒す。
 爽やかな笑みを見せるその騎士は、もう一人硬い表情の宮廷騎士を連れ、彼は死角からくる敵をまるで【未来を見る】ように、回避して掴み投げ落とした。

「ご機嫌よう!! アークヴィーチェ卿」
「貴殿はたしか、キリヤナギについて居た騎士か」
「はい! イルギス・モントブレチアです。あちらは、リュウセイ・カラシナ! 彼はリュー君とおよび下さい!!」
「やめろ!!」
「ふむ、しかし無礼な来訪者が居たものだな」
「申し訳ございません!! しかしアークヴィーチェ卿、これから少しばかり賑やかになるでしょう! お部屋でお休み下されては如何か!」
「そうか。ならお言葉に甘えよう。キリヤナギがきたら声をかけてくれ」
「はい! 我々が責任をもってご案内致します! さぁ、行こうか。リュー君!」

 リュウセイは、さらに向かってくる敵を無表情で狙撃していた。カナトはそんな様子を気にした様子もなく、メリエとホライゾンと共に何ごともなくホールを後にする。


 
 ホールでの戦いが終息しつつある中、カレンデュラ邸の庭にて数日ぶりに父と再会したククリールは、まず父が無事であった事にほっとして、抱きついてしまった。
 暗殺が嘘かもしれないと半信半疑だった気持ちは、ついさっきまで自分のいた屋敷が爆破された事で一気に真実味が増し、不安でどうしようもなかったからだ。
 娘ではないと突っぱねられてもいい覚悟は当然あり、それでも甘んじて受けようと思った行動だったが、そっと頭に乗せられた大きな手に思わず顔を上げる。
 そのまま抱きしめられた事で、ククリールはさらに涙があふれてきた。

「……よかった」
「……お父様」
「王子の側を離れずに居なさい。私は、大丈夫だ!」

 クリストファーは、さらに懐からもう一本の短刀を取り出し、直接攻撃をしてくる敵を畳み込んでゆく。
 その手際の良さに、キリヤナギはさらに驚き、二人でククリールを守る様に背中を合わせる。

「なるほど、見込み違いだったようだ」
「クリストファーさん?」
「王子。サフランはサーベルは使うが、近接戦闘は向いていない」
「……!」
「貴殿なら倒せるだろう。油断せず踏み込め」

 クリストファーのアドバイスの元、キリヤナギはサフランへと前に出る。正面から切り崩そうとしてくるサフランの振りは、構えから先が読みやすく回避が容易だった。
 キリヤナギはそれを一つ一つ丁寧に弾き、合わせる様に読み合いへと持ってゆく。
 振られるブレードの向きでどう振られるかわかりやすく、キリヤナギは不規則に回避、弾き、ガードを駆使して撹乱した。

「くっ……」

 まわりの敵は、ジンやクリストファー、シズルもフォローを受けながら抑える環境で、キリヤナギは的確にサフランを追い詰め勝負をかけた。
 サフランの剣の下をくぐり、後ろを取って背中を取る。刃を返して背中を殴りつけ、サフランを床へと倒し、ブレードを突きつけた。

 明らかに人数に差があるにも関わらず一人も倒せて居ないサフランは、自身が追い込まれていると知ってさらに高い声で笑う。

「なるほど、噂以上の強さですね……」
「貴殿の行為はもはや許されるものではない。預けられている異能を自らの意思で返却せよ。従うならば猶予を与える」

 サフランが膝をついた事で、他の敵も一度は足を止めたが、彼はその場に響く声で笑い出した。

「はは、致し方ない!! なら最大の花火を持って返しましょう!!」
「殿下!!」

 途端。サフランの体が一気に膨張し異能【身体強化】の発動をみる。ジンは即座にサフランを狙撃するが、彼は跳躍しながらそれを回避し、力技でクリストファーへと突撃していった。
 庇いに行こうとするキリヤナギをシズルが抱え込むように静止し、間に合わないと思った時、もう一人、間に飛び込んで来た騎士がいた。
 ホールにて、キリヤナギの到着を待って居たクラーク・ミレットは、外から聞こえた銃声に気付き乱入。サフランを正面から殴って後退させた。

「宮廷ぇーー!!」
「全て抱え込むのは相変わらずですな、クリストファー閣下」
「クラークか……」

 クラーク・ミレットが現れた直後。クリストファーの体に受けた傷がみるみるうちに癒えてゆく。【細胞促進】によって傷が治癒されたクリストファーは、ククリールへ飛びかかった敵を容赦なく切り倒した。

「王子の元へ居なさい」
「は、はい」

 キリヤナギは、ククリールを守る様に立ち回り、クラークと対峙したサフランを注視する。

「また、【身体強化】か」
「は……」
「アカツキが苦手ならば仕方ない……」

 クラークの発したアカツキと言う単語に、ジンが思わず反応する。彼は全身の筋肉が強化されたサフランの突進を正面から受け止め、そのまま押し合う様に静止させた。

「バカな……」
「使い慣れとらんな。最近盗ったのか??」
「っ!」

 このままクラークを持ち上げようとするサフランだったが、体からどんどん力が抜けてゆき衝撃をうける。掴まれた腕からまるで湯気のようなものが立ち上がり、指先が青く変色する。
 危機を感じたサフランは、クラークからまるで逃げるように離れた。

「来い」

 クラークの落ち着いた言葉に、サフランは向かってこない。ジンとキリヤナギは、『タチバナ』を学んだからこそ、サフランの状態を理解し、ゾッとしていた。
 それは、異能【細胞促進】による、細胞分裂の高速化を利用した、細胞の壊死の助長する行為であり、使われたものは指先や足先より腐食が起こる。
 つまり今、クラークに触れるだけで体のありとあらゆる場所が腐り機能不全となる。

「どうした? 怖くなったか。小僧」

 クラークの挑発に、サフランは【身体強化】の時間切れも気にせず突撃をかける。右手を守るため、左手で突き出したパンチは、手首を掴まれさらに壊死が進んでゆく。
 その間に周辺はさらに、宮廷騎士に囲まれ敵はどんどん減り、サフランのみが残された。
 するとキリヤナギの走ってきた方角から、騎士達に遅れて堂々とセドリックが現れる。彼はクラーク・ミレットが対峙する状況をみて、耳のシールド式イヤホンの応答に答えて居た。

『ふふふ、副隊長、こここちら、つる、ツルバキアですがが、敷地外から、し、侵入しようとしてた、人を、く、クレマチスさんと、お、おお、抑えました!!』
「よくやった。ツルバキア」
『10人ぐらいいたよ!』

 ジンの耳にも入りほぼ制圧したようにも感じる。残るのはサフランのみでキリヤナギはここで奪取してもいいとジンは思うが、キリヤナギはククリールを庇い、それどころではなさそうだった。

「なるほど、ここで宮廷に掬われるのは想定外でした」
「大人しく投降せよ。応じるならば生命に猶予を与える!」

 セドリックのはっきりとした言葉に、皆は警戒を緩めない。サフランは更に大きく笑い、歪な笑みを見せた。

「異能の根源が手に入らなかったのは残念だが、ここにお集まりの皆様へ、最高の花火をお見せできるのはこの上ない僥倖ですね!!」

 直後、サフランは温存した右手を使い、自身のジャケットを引きちぎった。彼の懐に装備されていたのは、大量の火薬が仕込まれた爆弾で、取り囲んでいた全員が絶句し、退避する。

「お集まり頂きありがとうございました。あの世でお会いしましょう!!」
 
 キリヤナギが、クリストファーの元へゆこうとするククリールを捕まえて抱え込む。またジンも咄嗟にキリヤナギの前に出た直後。

 稲光のような閃光が走り、広い庭が一気に消し飛んだ。
 取り囲んでいた騎士達が吹き飛ばされ、魔術シールドもその衝撃波で粉砕、ジンのみが吹き飛ばされ、床へと叩きつけられた。

「ジン!!」
「ジンさん!!」

 他の騎士も多くが爆風によって吹き飛ばされる中、クラークがクリストファーを退避させて居て安堵する。
 キリヤナギは巻き込まれた騎士同様、しばらくはシズルによって地面に伏せて居たが、巨大なクレーターができたその場所を思わず呆然と眺めていた。

「救急車をよべ! 救護班! 応急処置だ!」

 セドリックの怒号が飛び交い、キリヤナギもはっとする。ジンを見ると彼も意識を失っていて早々に救護班に運ばれていった。
 胸元のククリールは、ほぼ錯乱状態でガタガタと震えている。キリヤナギはそんな彼女の背中を摩り、どうにか落ち着かせようとしていた。

「クク……」

 地面へと座り込みククリールを抱えるキリヤナギの元へ、クリストファーがクラークに肩を貸されて現れる。
 彼はこちらを振り返った彼女に、まるで救われたような表情をみせ、何も言わず抱きしめた。

「すまなかった。よく、帰ってきてくれた。ありがとう」
「お父様……。ククリールは、ここに戻りました……」
「おかえり……」

 修復された親子の絆に周りを囲う騎士達も心から安堵し、カレンデュラ領で戦いは収束してゆく。
 カレンデュラ邸の夜会にて起こった事件は、クリストファーがクレマチス家と結託して起こった策略的なもので、参加した貴族達もほとんど怪我はなく、負傷者はサフランの自爆によって巻き込まれたジンなどの騎士のみに止まる。
 緊急搬送されたジンは身体中に傷を負ったものの生命に別状はなく、数日間だけ様子を見るための入院に止まった。

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「なんで帰らないんすか……」
「だってジンがまた入院してるし?」

 公爵家にて、爆発の盾となったジンは、ほぼ最前線で爆風を浴びたものの、『魔術シールド』によって爆風は抑えられ、身体中のかすり傷と打撲のみで済んだ。
 しかし強力な圧力を浴びたあとの反動が未知数で、数日だけ大事をとって入院させられることになったが、次の日に帰路へつくつもりだったキリヤナギが、ジンが退院するまで滞在の意向を示し、二日経過した現在でもカレンデュラ領へ残っている。

「副隊長、嫌そうにしてなかったです?」
「知らない。クラークがいいって言ったし」

 ミレットは、ここまで甘かっただろうかとジンは疑問に思う。しかし、シズルの話で嫌われているのを気にしているのなら、多少甘くなるのは仕方ないのか。
 ボーっと考えていたら、キリヤナギは持ち込んだ果物ナイフでリンゴを向き、ジンへと出してくれる。

「これ、ククがお見舞いにくれた奴だから食べてね」
「え、は、はい」
「じゃあ僕、カレンデュラ家の午後に呼ばれてるから、またね」

 リュウセイが小さく頭を下げてくれる中、イルギスは何故か手を挙げて挨拶をしてくれて、ジンは戸惑いながら3人を見送った。
 自動車で待機していたセドリックは、自身が指定した30分で戻ってきたキリヤナギへほっとする。

「では、カレンデュラ家へ向かいます」
「セドリック、ありがとう」

 事件が起きた後の日常は、信じられないほど穏やかなものだ。沢山の工作員が入り込んでいたカレンデュラ騎士団は、潜んでいた敵の炙り出しがほぼ完了しており、宮廷騎士団の応援の元しばらくは共同で活動してゆくことになる。
 騎士団はてんやわんやだが、町は市民達が変わらぬ日常を過ごして居ていて先日のことも嘘のように感じてしまう。

「『タチバナ』の容体は如何でしたか?」
「え?」

 セドリックの言葉に驚いた。返事に迷っていると、彼は直後何かに納得したような態度を見せる。

「明日には退院できるでしょう」

 【読心】によって読まれ、キリヤナギは少し恥ずかしくなった。キリヤナギは、セドリックの心を読めないが、彼がジンを気にしてくれた事が少しだけ嬉しかったからだ。

 そして真冬の気候に暖かい日差しが差し込む午後、公爵家へ招かれたキリヤナギは、ククリールを含めたカレンデュラの家族に迎えられたが、そこにリリトの姿はない。

「キリヤナギ殿下。今回は我が娘を救って頂き心から感謝をしている」
「僕もやりたい事をしただけで、ククが無事で良かった」
「……ありがとう」
「サフラン出自は、彼が騎士団へ入った頃から把握していたが、救済と言う建前から追求が難しくなかなか検挙もできなくてね」
「やっぱり……」
「よく気づいてくれた。いやここは、巻き込んで悪かったと言うべきだな……」
「サフランは、宮廷が来るタイミングを伺っていた可能性もあります。シダレ様との確執ができて以降、彼は顕著に掌握を勧めておりましたから……」
「ナナリア、それは話さなくていい」
「クリストファー様は頑固すぎるのです、ククが可哀想ですわ」

 ククリールは、聞こえないふりをして居た。彼女は肩に鳥が止まる王子を見て、優しく笑ってくれる。

「お母様、私はお父様の真意がわかってとてもスッキリしたぐらいです」
「ごめんなさい。サフランが真っ先に狙うのは間違いなく貴方だった。どうかクリストファー様を許して」
「お父様、お母様。私は、首都へ行った事は後悔はして居ないの。それは、王子殿下が、声をかけて下さったから」

 突然こちらを見られて思わず照れてしまう。思えばもう2回も振られているのに追いかけて来てしまったからだ。

「王子、ごめんなさい。貴方の手紙、まだ読めてないの。今日開けて読むから……」
「え、そうなんだ。別に大した事書いてないから気にしないで……」
「あら、そうなの?」
「恥ずかしいし……」
「あら、殿下は照れ屋さんですね」
「シダレの息子と聞いて、見誤っていたことを謝ろう。貴殿のように勇敢な王子を我々は心から歓迎する。ありがとう」

 キリヤナギは、ククリールを屋敷に連れ帰っただけだ。しかし、それによって二人の命は救われ、カレンデュラという土地が正常化している事を幸いに思う。

「あの、やっぱり気になるので聞いていいですか?」
「何かな?」
「クリストファーさんと、父さんは一体何がきっかけで今の関係に?」

 クリストファーの表情が変わり、キリヤナギは地雷を踏んだのを感じた。ククリールは興味深そうに彼を眺めているが、ナナリアは呆れている。

「意地を張らず許して差し上げればいいのです」
「ナナリア! 私は何の誠意も受けていなのに何故許す必要がある?」
「は、話したくないなら、無理には……」
「お父様、何が原因なのですか?」

 クリストファーはひどく渋ったが、ナナリアとククリールに見られ、仕方なくその理由を話してくれた。
 それは十数年前。シダレとクリストファーは、お互いの学生時代に流行ったバンドが一時的に再結成すると聞き、その記念ライブを見るために首都へと集まっていたと言う。
 彼らの学生時代、エドワード・マグノリアと、ダニエル・クランリリーを含めた四人のコピーバンドが、アーティストの耳に入り、彼らは国の未来を担うであろう王子と貴族の為、限定ライブを開催してくれたのだ。
 シダレとクリストファーは、その時のアーティストが使って居たサイン入りの楽器を記念にプレゼントされ、二人で大切に保管していた。

「そういえば音楽室にありました」
「世界に一つしかない。今はもう絶対に手に入らない楽器だ……」

 シダレにはギターを、クリストファーにはベースをプレゼントされ、お互いに趣味を共有し、二人は王と貴族になってからも懐かしんだが、再結成ライブを見にゆく際、シダレはお互いに楽器を持ち寄って参加しようと提案し、クリストファーもそれに応じた。
 めったにない機会だと、二人は友情の証として、その時に楽器を交換して参加したが、長く使われて居なかったベースは、ベルトの付け根が古くなっていて壊れ、シダレが肩から下げて居たベースが無防備に落下して破損してしまったという。

「こ、壊れた?」
「あぁ、本体ごと真っ二つだ。その時は謝られたが、修理もできないので壊した代わりにギターを譲れば許すと申し出たが、シダレは拒否した」
「……」
「そんな大切なもの、簡単には譲れないでしょう?」
「その大切なものを壊された私の気持ちはどうなる!!」
「手入れされて居なかったのはお父様の所為なのでは?」
「壊したのはあいつだ!! 思い出せば怒りが湧き出てくる!!」

 キリヤナギは言葉を失っていた。しかし、公平な立場で見るとクリストファーの許せない気持ちは正しく、シダレはシダレで、許してもらおうと努力しながら相手の意図に沿わないのは、的外れで怒りも買うからだ。

「なんか、ごめんなさい……」
「王子のせいではないですよ……」
「す、すまない。この件になると、つい感情がおさえられないんだ。だから、話さないようにしている」
「クリストファーさんは、ギターを譲れば許してくれますか?」
「えぇ、それは私がシダレと揉めた時からずっと言っている事です。手紙が来るたびに、忘れないよう綴って返事をしていたが、奴は無視! これでどう対等にやれという??」
「す、すいません……」
「お父様! 王子を責めないで!」
「は、すまない。しかし、王子殿下には借りができてしまった。これからは殿下のお話であれば私も応じよう」

 自分のことではないのに、罪悪感で胸がいっぱいになる。クリストファーはこう言うが、おそらくキリヤナギだけ許されてもこの冷え切った関係は戻らない。それは、政治を行っているのはあくまで父、シダレであり、キリヤナギにはまだ権限もないからだ。

「どこまで説得できるかわからないけど、父さんに打診してみます」
「私はもう期待してはいない。公爵の地位にも興味はないので、【身体強化】はクレマチスに預けてくれて構わないぞ」
「貴方、先日クレマチスは『王の力』には向かないと、仰っていたではないですか。彼らはそもそも何を持たずとも戦えるカレンデュラの武家ですよ」
「他に預けられる家があるか? 他はクローバーぐらいしか思い浮かばんが、奴は最近、医者に肥満認定されたと嘆いて居たぞ。健康な体が必要な【身体強化】には向かないのでは……」

 何故か勝手に話が進んでいて入り込めない。しかし、他に異能を預ける場所がないのなら、尚更これは関係を改善した方が早いとキリヤナギは結論づける。

「僕は、できたらクリストファーさんにここを任せたいので、父さんにはギターを預けるよう聞いてみます」
「預けるのではなく、『譲る』で頼む。でなければ許さん」
「は、はい……」
「お父様!」

 クリストファーは、その後何度も謝り、カレンデュラ家の3人との茶会は終わってゆく。キリヤナギはリリトとも顔を合わせたいと希望すると、彼は少しだけならと邸のベランダで会ってくれる事になった。

 姉には外して欲しいと話したリリトは、トサミズキ町の街を眺めて貴族らしいとも思えてしまう。

「何でいちいち会いに来たんだよ……」

 ククリールとほぼ同じ言葉が飛んできて血のつながりを感じる。キリヤナギはどう答えるか迷ったがここは素直に伝えるべきだと判断した。

「進捗を報告するって言ってたのに、忙しくて会えなかったし? 連絡も沢山くれてたみたいだから……」
「は……」
「会えなくて、ごめんね?」

 結局夜会も中止になり、約束を破ってしまった。彼が怒るのも当然で許してもらえる自信もない。そんな事を考えていたら、彼はポカンとしていて意表をつかれた。

「なんなんだよ……」
「え?」
「取引したじゃねーか、姉様帰ってくるか、こないかで……」
「う、うん」
「進捗も報告もなしに結果の報告もなしに、夜会が荒らされたと思ったら、姉様は突然帰ってきて、父さんもめちゃくちゃ感謝してるし、本当わけわかんねぇ……」
「……」
「何してんだよ。本当何もわかんねーよ。俺がバカだからか?」
「リリト……クリストファーさんはーー」
「知ってるよ。話されたよ全部、でも、何でわかったんだよ。姉様はいいとしても、父さんはあったばかりなのに、何で姉様が危ないってわかったんだよ」
「それは、貴族の勘みたいな……?」
「なんだよそれ……」

 説明を求められると難しい。しかしこの勘は経験上としか言いようもなく、キリヤナギがリリトぐらいの年齢ではわからなかっただろうと思うからだ。

「リリトもそのうちわかるようになるんじゃないかな?」
「ちっ、父さんも同じこと言いやがる。みんなして俺をハブってさ……」
「そんなつもりはないんだけど……」

 どう言えたものかとキリヤナギは具体的な説明を考えるが、口は悪くともリリトは怒っている様子はなかった。

「夜会のあの時、サフランと戦ってる王子が見えたんだよ」
「そうなんだ?」
「キレッキレでさ。サフラン引いてたじゃん」
「押し込みっていうのかな……、相手にブレードをとどかせるために攻めと言うか……」
「方法なんて聞いてねぇよ」

 なら何を聞かれているのか。
 リリトの言動はあまりにも辛辣でキリヤナギは一旦黙った。

「何でもできるくせに、何で人に自慢しないんだ? もっと言いふらしてもいいだろ? 誇ってもいいぐらいなのにさ」
「僕は、そこまで自信ないかな? ある程度はできるけど各分野には専門家がいて、その人たちには叶わないから」
「……そんなのもっと堂々としてていいだろ? 王子だし」
「よく言われるけど、肩書きだけで褒められても嬉しくないし?」

 リリトが絶句していて、キリヤナギは理解した。ククリールはリリトのことを貴族らしい貴族として育てられたと話して居たのを思い出す。

「僕は人に渡されたものじゃなくて、自分で手に入れたいタイプだから、『王子』よりも『騎士勲章』をもらった時の方が嬉しかったかな? これは時々自慢するぐらい」
「貴族の最低階級じゃん! 意味あんの?」
「襲われた時にそのまま検挙できるのは便利だけど、確かに騎士にはいい顔はされないかな」

 セドリックを思い出しながら話していると、リリトの目が少しだけ前を向いたことに気づいた。先程までまるで正気のなかった表情のギャップに驚いてしまう。

「何それ、検挙? 騎士のやつ?」
「うん。騎士勲章があったら雇用されてるっていうのが条件で悪い人捕まえれるんだ。でも王族は例外で、騎士勲章だけで行使できるから、便利で」
「王子でそれってヒーローじゃん。だから今回も姉様も?」
「ククは、元々サフランが怪しかったからかな? それがたまたま当たってただけだよ」
「貴族の勘って言うか、騎士の勘? いいじゃん、正義のヒーローだろ。俺そう言うの好きだぜ」
「正義までは考えてなかったけど、そう言われるのは嬉しいかも、弱者救済とは違うけど、困ってる人は何とかしたいなって思うし」
「それさ、俺にもなれるかな? 公爵だけどそれっぽいことできる?」
「騎士勲章は、騎士学校に行くか定期開催の試験合格で授与されるから、リリトでも取れると思う。少し難しいけど頑張るなら応援するよ。実際に使うのは、……怒られるかもだけど……」

 思わず小声になるキリヤナギだが、リリトは生き生きと通信デバイスで騎士勲章について調べている。
 その様子はとても新鮮で悪い気はしなかった。

「俺、王子のファンになっていい?」
「ファン??」
「しばらくは目標になってって意味。俺頑張るし」
「それなら構わないけど……」

 検挙などしなくとも、公爵家はその役割を十分に果たしているとキリヤナギは思うが、やる気を持ったリリトをみるとそれ以上口を挟むのは野暮だと思いそっとしておく事にした。
 騎士勲章を取ったら連絡すると言われキリヤナギは、リリトと別れ再びククリールと合流する。

「リリト、珍しく機嫌がよかったわね」

 外していたククリールは、話を終えたと言うリリトに呼ばれキリヤナギをベランダまで迎えにきて居た。
 彼女は、やることができたと言って部屋へ戻っていった彼に少し驚いている。

「そうなんだ?」
「普段から文句ばかりなのに、自分でやろうとしないから、みんな困る事があるの。もう少し努力ができればいいのだけど……」
「さっきは何か、やる気がでてるように見えたけど……」
「あら、王子殿下は人を焚き付けるのもお上手なのね」
「今日は普通に話しただけだけどね」

 エントランスで騎士と合流したキリヤナギは、このまま別宅へと戻る。出口まで見送ってくれたククリールの表情はとても安心しているようにも見えた。
 
「カレンデュラにはいつまでおられるの?」
「明後日ぐらいかな……? ジンの退院を待とうと思ってて」
「もし間に合うなら、ヒュウガさんがタチバナさんに会いたいと言っているのだけど……」
「ヒュウガさんって、クレマチスの?」
「ええ、カミュとフュリクスのお父様よ。個人的にだそう……」

 用事に覚えがないのは、ジンだからだろうか。しかし、帰り道に直接ジンへメッセージで聞いても覚えがないらしく不思議にも思う。

159

「今日はもう大人しくされるのですか?」

 別宅へと戻り、リビングにて本を読んでいたら部屋にいるリュウセイがふと口を開いた。外は日が暮れかけているが、夕食まではまだしばらく時間はあり、多少の空き時間と言ってもいいだろう。
 明日にはジンが退院して明後日には帰るつもりだが、リュウセイからの言葉は予想しておらず驚いてしまう。

「そろそろカナトも帰ってくるし? 待ってようかなって、何が用事あったかな?」
「いえ、活発な方だとマグノリア副隊長から伺っており、気を遣っておられるのかと……失礼しました」

 活発といわれれば、そうかもと思えてくる
。リュウセイはきっと様々な場所へ連れ回されることを想像していたのだろう。思えば、カレンデュラの事件から騎士の聴取などに応じていて時間もなく、ようやくできた空き時間だったからだ。
 仕事も一通りおわった後に「何もしない」と言うのは意外だったのかもしれない。

「タチバナ殿と同じく、私は自動車の運転もできます」
「へぇー」

 免許の取得率に関心してしまうが、ジンが取ろうとしていた時のセオの反応を思い出すと、多いのだろうと納得する。

「それなら明日、ジンが退院するんだけど迎えに行けるかな?」
「迎えにですか?」
「ジンが、クレマチスの人に呼ばれてるみたいだから連れて行ってあげないとかなって」
「それは、タチバナ殿の私事なのでは……」

 キリヤナギが「えっ」と思った時、リュウセイは何かにハッとした。

「あ、いえ、その……お連れいたします!!」
「セドリックに叱られるなら、無理にはーー」
「お連れします!!」
「……大丈夫?」
「問題ありません!!」

 キリヤナギは、何故か罪悪感に苛まれていた。思えば、夏旅行の時はセスナが付き添ってくれていて助かったが、故障騎士のフォローを勤務中の騎士が行うのは確かに違和感もあり、キリヤナギは反省する。

「やっぱり、ジンにはタクシーでー……」
「必要ありません!!」
「どうしたリュー君!! 珍しく動揺しているじゃないか!!」

 長いトイレから戻ったイルギスに、リュウセイは何故かその日も怒っていた。申し訳ない気持ちに苛まれつつ、キリヤナギは次の日の朝から、リュウセイとイルギスと共に、自動車で病院へと赴く。

「なんで殿下が迎えにくるんすか……??」
「え、だって荷物ありそうだし」

 手続きを終えたジンは、現れたキリヤナギにひどく困惑していた。横にいるリュウセイは無表情で、イルギスは初めて顔を合わせた時のようにキメ顔で微笑んでいる。

「退院おめでとう、タチバナ殿。このイルギス、殿下のご意志のもとリュー君の運転でまいりました」
「……タクシーで帰るって言ったじゃないっすか」
「でも、リュウセイがゴリ押ししてくれて……」
「タチバナ殿、荷物はこれだけで大丈夫でしょうか」
「は、はい。すいません……」

 あからさまに気まずく、何を話せばいいのか分からない。しかし、ジンはまだまだ身体中包帯だらけで「怪我人」であることは明らかだった。

「フュリクスのお父さん? ヒュウガさんがジンに会いたいって言ってたし?」
「そこまで遠くないのでタクシーでーー」
「殿下、タチバナ殿、私は配車して参りますので、出口でお待ち下さい!」
「ふむ! リュー君、2人の警護は任せたまえ!!」

 早々に荷物を持っていかれ、ジンは反論の余地はなかった。運転を変われるかと考えたが、先日の強烈なめまいと頭痛が忘れられず不安もある。医師には異常はないとは話されたが、いつ起こるかも分からないからだ。

「この度は大変、お世話になりました」

 リュウセイの運転にて、クレマチス家へと訪れたジンは、カミュによって自宅へと案内された。近代的な自宅にある和室にて、ヒュウガ・クレマチスはすでに待機していて、それに合わせるようにフュリクスも頭を畳へ押し付けられている。

「父さん! 痛いじゃん!!」
「黙らんしゃい、フューリ!! お前ゲームみたいな高級品買ってもらいおってお礼一つもないんか!!」
「言ったもん! そうだよね! タチバナ!!」
「い、言われた、けど……」

 怒涛の空気感にジンは納得した。ジンとキリヤナギは、カミュに座布団を勧められてお茶とお菓子をだされる。

「自己紹介が遅れまして、私はカレンデュラ騎士団副長、ヒュウガ・クレマチスと申します。オウカ家の武器たるタチバナ殿にお目通りが叶い大変光栄でーー」
「いや、その、うちはもう、看板畳んでるんでーー」
「滅相もない。オウカ家に仕える高貴な貴方がに比べれば、我々などおままごとでっしゃろ」
「それは、謙遜しすぎなんじゃ……」
「父さん、僕、タチバナに一回勝ったんだって!!」
「うるせぇわ! それとこれとは話は別! 今時演習に勝ったぐらいでモノねだる奴がどこにおるんじゃ!! ばかもんが!!」

 叱られている。キリヤナギは珍しい光景に好奇心が勝っているのかとても興味深く眺めていた。

「ご、ご迷惑でした?」
「とんでもない。フューリも大変喜んどりまして、そのご好意を無駄にする気はございません。今回は貴殿にぜひお礼をしたい思い、お招きした次第ですわ」

 ヒュウガは、不貞腐れるフュリクスを無視し、脇にある大きめの菓子折りを差し出す。その上には小さな小袋もあってジンはギョッとした。

「お金で返されるのは、ちょっと……」
「現金ではございません」

 ヒュウガは、小袋を手に取り中のものを出してくれる。それはかなり古い紙に印刷されている何かのチケットのようだった。

「我がクレマチスは、刀を主軸とした武道でもあり、かのウィスタリア領にて長く付き合いのある刀鍛冶がおりましてな」
「へぇー」
「門下生が皆伝する際、その身の丈にあった刀を発注しておりましたが、ここ最近は刀の文化も廃れ発注することもなくなりまして」
「……これで、刀を作ってもらえるってことですか?」
「はい。ウィスタリア領でちと遠いですが、こちらを持ってゆけば、我がクレマチスとゆかりのある鍛冶屋が、相応の武器を作ってくださるでしょう」
「俺、銃なんすけど……」
「作るだけ作り、不要ならば現金にでも変えてくだされば良い。我が家ではもう使わない代物ですので、ぜひお持ち下さい」
「へぇーすごい」

 感心していたのはキリヤナギだった。チケットを彼に見せると尚更嬉しそうにしている。

「これ、僕のサーベルと同じブランドかも」
「殿下の?」
「えぇ、腕の良い鍛冶屋で名高い方々に記念品も作ったりしとります。そのチケットは、実用品から記念品まで作成できるプラチナチケットですな」
「それは、ゲームじゃ割りに合わないんじゃ……」
「うちにはもう数本あるんだよね。今新しく作っても置く場所ないし」
「たとえ看板がなくとも、同じ武家としての絆の証としてお持ち下さい。物はなくなってもこうして物を取り替える事に意味がございます」

 不思議な言い回しだが、ジンは悪い気はしなかった。そのチケットには有効期限がないが本当に古い紙で時代すらも感じてしまう。

「なら、お言葉に甘えます」
「我々もそれが幸いです。重ねてとなりますが、ありがとうございました。ゲームも大変良い物と伺っておるために、大切に致します」

 ヒュウガ・クレマチスは、再びフュリクスと一緒にずっと頭を下げていた。
 その後道場をすこしだけ見学し、二人は夜会の準備を行うため帰宅の準備へとうつる。

「殿下もタチバナもいつ首都に帰るの?」
「明日かな?」
「ぇー……」
「ごめんね。帰ってからも報告もあって色々忙しいんだよね」
「ワガママ言わないの!」
「カミュさんもフュリクス君も呼んで頂いてありがとうございました」
「いえいえ、遠くからありがとうございました。私達は今夜は参加するので、また後ででも」
「うん、二人ともまたね」

 ジンとキリヤナギは自動車へと乗り込み再びリュウセイの運転で帰路へとつく。その最中、道中の公民館へ人だかりができていて、キリヤナギは思わず目を引かれた。
 交通整備もされている場所で、沢山の人が行き交う人のなかに大荷物を持つ女性が一際目を引く。

「あれ、イリナかな?」
「え?」

 ジンがキリヤナギの方角を見ると、帽子にサングラスをかけても雰囲気でわかるイリナが、トランクケースを引きさらに2つほど荷物を抱えてあるいていた。

「殿下、ササノさんは本日は休日で実家に帰っていると伺っております」
「それなら構わない方がいいね」
「荷物大変そうですけど」

 ジンは少し心配していたが、イリナはデバイスをいじりながら路線バスに乗って帰ってゆく。会場の周辺には、どこかで見たアニメのキャラクターなどの衣装を着た人々もいて写真撮影が行われていた。

「楽しそう……!」
「行きます?」
「この後、夜会があるのでは?」
「リュー君! 堅苦しいぞ!」
「うーん、今日は我慢する。ありがとう、リュウセイ」
「恐縮です。では別宅へと戻ります」

 とても丁寧な運転に、ジンもついうとうとしてしまうが、この後の夜会のためにも眠気を払って耐えていた。

「ジン、お帰りなさい」
「セオ……」

 キリヤナギを部屋へ送り届けていると、準備を手伝いにきたセオと鉢合わせする。彼は傷だらけのジンをみて心配そうにまじまじとみてきた。

「派手にやったね……」
「うん、まぁ、でも殆ど軽傷みたいだし? これから隊長に目立つところだけを直してもらおうと思って」
「ミレット閣下なら、リビングに居られるけど、無理はしないようにね」
「おぅ」

 セオはそう言って、イルギスとリュウセイが見張るキリヤナギの居室へと消えてゆく。ジンも今日は、カナトについて来いと言われていて、参加しなければならないが、頬の派手な切り傷を治癒してもらわねばならない。
 足音を立てずリビングへと向かうと、窓際で夕日を浴びるクラーク・ミレットがいて、その様はまるで昼寝をしているようだった。彼はジンの気配に気づいたのか目を開けて姿勢を正す。

「タチバナか、どうした?」
「隊長、あの、よかったら頬の傷を治して頂けませんか? アークヴィーチェ卿との夜会に支障が出そうなので」

 断られるだろうかとジンは少し不安だったが、クラークはゆっくりと立ち上がり、ジンにガーゼを剥がすように指示を出す。

「深いな、このままでは跡が残るぞ」
「そ、そうです?」
「石で切ったか……」
 
 話している間に切り傷へ熱を感じ、じんわりと痛みが消えてゆくのがわかる。クラークは他にもジンの包帯を取らせ、見える箇所の傷を治癒してくれた。

「ありがとうございます」
「怖いもの知らずだな、アレを見ても私に動じないか?」

 アレとはなんだろうと思えた時、サフランとの戦いが脳裏によぎる。彼はクラークに触れた瞬間から体の腐敗がはじまったからだ。

「『タチバナ』の知識としては知ってたので、特には?」
「は、そうか。やはり貴様はアカツキの息子だな……」
「似てます?」
「あんまりだな……」

 どっちなんだ? と困惑しているとクラークは意地悪そうに笑っていた。準備もある為に、着替えなければと早々にリビングを後にしたジンは、たまたま廊下を歩いてからセドリックと鉢合わせし、ぎょっとする。
 今日のジンは不本意ではあるが退院し、キリヤナギへ迎えに来させてしまったのだ。騎士と言う身分でそれは無礼にも受け取られかねず、ジンは後で事務所へ呼ばれるのを覚悟する。
 しかし、セドリックの表情は変わらず、こちらを見つけただけに止まった。

「お疲れ様です、副隊長」
「無事退院できたか。殿下が心配しておられたぞ、早々にお顔を見せて差し上げるように」
「え、は、はい。御心配をおかけしました」

 セドリックはそれだけ言って立ち去ってゆく。その言動はジンの心が読めていない証明にもなり、彼はしばらく呆然としていた。そして、「戻ってきた」自分に再び自信が芽生え、決意を新たにジンは夜会の準備を始める。

 そして、万全の準備の元、王子と言う主役を迎えたカレンデュラ邸は、明日には首都へと立つと言う王子を迎え、夜の祭典を楽しんだ。
 そこには、カレンデュラ公爵家の家族やクレマチス家、騎士大会でであった騎士達も現れ、豪華な食事やダンスを楽しんでいる。

「クローバー隊長。お酒のみすぎですよ? 太ったのではなかったのですか!」
「イリスはうるさいの。太ったと言っても、普通からやや肥満になってだけやし!」
「それ肥満ですよね??」
「はー、公爵閣下の料理も最高だのう」
「全然聞いてないし……」

 イリス・カレイドとオリヴィア・ペッパーもガイア・クローバーのテーブルを囲んで、雰囲気を楽しんでいた。歩いていたらカミュも貴族達からダンスを申し込まれる空間で、フュリクスは柱の裏へ隠れ、変わらずゲームであそんでいた。

 先日よりは人は少ないが、そこは活気にあふれ、キリヤナギもまたククリールをダンスへ誘いにゆく。
 首都とは違い誰も邪魔をしないカレンデュラでの夜会はククリールも自然な笑みを見せ美しいドレスを靡かせていた。

「ありがとう……」

 ホールへ隣接するベランダで、ククリールは月を見上げながら小声でつぶやいた。キリヤナギはそれを笑みで返し、横に並ぶ。

「こんな楽しい夜会は、初めてかもしれない」
「僕も、ここにきてよかったと思ってる」
「……首都の、アゼリアさんとアレックスは元気?」
「うん、タチバナのサークルで色々やってる。ツバサ兄さんにはもう勝てなくなってるけど」
「ふふ、目標があるのならしばらく楽しめそうですね」
「……ククは、もうこっちの大学?」
「えぇ……」
「そっか……」

 少し残念にも思え、思わず空を見上げてしまう。ヴァルサスには連れて帰れと言われてきたが、やはりそう上手くはいかないからだ。

「変わらず押しの弱い方ですね」
「え……」
「強引に、連れ帰る事はしてくださらないの?」

 え、としばらく固まってしまう。その反応にククリールも頬を染めて目を逸らしてしまった。

「昨日、貴方のお手紙を読んで少しびっくりもしてしまいました」
「え、は、恥ずかしい……」
「本当に私のことを好きでいて下さったのですね」

 もう会えないと思った手紙は、書けるだけの気持ちを最大限に綴っていた。大学での事、旅行のこと、体育祭から文化祭まで、楽しかった思い出の全てを綴り、これを大切にして生きてゆくと締めた。
 その感情は、彼女にとって迷惑だろうかと不安も大きかったが、それならば読まれる事すらないとも思い、素直な感情の全てを書いたのだ。今思えば恥ずかしく、読み返すのも抵抗感があるが、ククリールは楽しそうに笑っていた。

「勘当される前に読んでいたら、また違ったかもしれません」
「……ひ、引いた?」
「そ、そこまでではなかったけれど……」

 想定外の返事は秋のデートを思い出して、ククリールは笑ってしまった。あの時とは違う、なんの蟠りもないままにククリールはとても嬉しそうにキリヤナギと向き合っている。

「……私は、プライドが高くて他の女性の様に貴方に添えられる花となる事は出来ません……」
「……僕はそんな物は望んでいない。君と過ごした学生生活がただ楽しくてもう少しだけ、一緒に過ごしたいと思った。それだけかな」
「欲のない人、その気になれば全てが手に入るのに」
「努力せず手に入れても、嬉しくないからね」
「野心家なのね。知らなかった……」
「そんな僕の本当の心に、火をつけたのは君だよ」

 その真剣な目にククリールは、感情がどうかしてしまいそうになる。戸惑っていたら腰に手を回されてそのまま抱き寄せられてしまった。

「首都に、帰ろう」

 暖かな体温が体へ伝わってくる。
 ククリールにはもう断る理由などなかった。
 
「……はい。殿下」

 二人だけの月が輝くベランダにて、王子は丁寧に令嬢の唇を奪う。

160

 進行してゆく夜会はひと段落し、騎士達を含めた貴族達も解散してゆく。最終日に多くの人と顔を合わせたキリヤナギは、日付が変わった後に別宅へと戻り、しばらくはぐったりしていた。
 明日の午後にはカレンデュラ領を立つ為、セオはジンと共にキリヤナギの部屋へ持ち込まれたありとあらゆるものをトランクケースへ収納してゆく。

「ククちゃんと帰るんすか?」
「え”っ、み、見てた?」
「一応、近衛兵なんで……」

 思い出せば恥ずかしい。しかし「帰ろう」と話したものの、実際は難しい問題がある。

「まだ事件の後片付け済んでないし、編入手続き済んでるし、一度勘当されてデバイスも解約してるから再契約もいるとか色々」
「た、大変すね」
「明日は無理だけど、首都にはきてくれるみたい」
「よかったです」
「お付き合いされたのです?」
「多分? 付き合うって決めたらバレた時面倒だから表向きは『友達』かな?」
「禁断のなんとか、みたいですね……」
「学生なら無難でしょう。カレンデュラ家との関係性は、既に当人だけの問題ではありません。他の貴族達へ波及した疑念がなくなるまでは慎重に」
「その辺は上手くやるかな……」
「出来るんです?」
「すぐには無理だけどね……、大体変な噂する人達って選挙に勝てなかった地主だから黙らせるには工作もいるし……」
「素が出ておられますよ」
「お酒怖い、寝る」
「おやすみなさいませ」
「飲んだんすね……」

 セオはキリヤナギのベッドテーブルに水差しを用意していた。荷物をまとめ終えた二人は深夜にやすみ、再び早朝から朝礼へと参加する。
 クラーク・ミレットが率いる、特別護衛隊のカレンデュラでの最終日は和やかな訓練から始まっていった。そしてジンが、リーシュへと頼んでいた訓練も今日で最後になる。

 向き合って構え、イリナの合図でジンはリーシュと証明から向き合う。いつもなら瞬時に視界から消えようとする彼女は、その日しばらく目の前にいて、こちらが動かない事を【見た】のか。先手を取るように死角へと滑り込む。
 昨日までのジンは、そんな彼女を視界へ捉えようと動いていたが、『死角へ滑り込む天才を死角へ入れない』のは難しく、それは同じ天才でなければ不可能だと悟る。ジンは天才ではなく素人で、そんな彼女を捉える為の方法を1から考え直す事にした。
 見えない事は視覚優位の人間にとって致命的なハンデだが、逆に言えば、死角の範囲は限られている。正面についている目の後ろ側、つまり背後のどこかにリーシュはかならず居て、それは遠距離武器を持っていない限り『必ず』接近しなければならない。
 死角へ入っても動いてこないジンへ、リーシュは不審に感じながらも攻めに入った。当たっても致命傷にならないよう、力加減しつつ繰り出した掌がジンの肩へ当たるはずだったが、彼は突然腰を落とし目が合う。
 足を引っ掛けられそうになったリーシュは、飛んで交わすが視界へ捉えたジンが追ってくるのを見て即座に死角へ隠れようと動く。しかし一度捉えられれば再び隠れるのは難しく、しばらくは交わし合いが続いた。
 そこから再びリーシュは、後ろへと回り込み、ジンが見失ったのを確認して攻めにゆくが、見えてない場所から再び避けられ、更に驚く。
 腕を掴まれないように逃げるが、隠れきれないままリーシュは肩を掴まれ倒されてしまった。

「取った!!」
「ジンさん! おめでとう御座います!!」

 シズルが拍手していて、イリナも感嘆してくれていた。このカレンデュラでの間、一度も捕まえる事ができなかったリーシュを、最終日の今日、初めて捕まえたのだ。

「はわわわ、ままま、参りました!! ありがとうございました!!」
「リーシュちゃん、ありがとうございました」
「ここ、こちらこそ、後輩に、捕まるのは、想定外です。また、やややりましょう!!」

 え? とジンは思わず聞き返してしまう。彼女の雰囲気や印象から後輩だと錯覚していたが、冷静になるとリーシュと出会ったのは王宮勤務になってからだからだ。

「後輩??」
「はひ? じじ、ジンさんは、かか、カンナ歴16年卒じゃ?」
「そうですけど……」
「わわ、私は15年、卒なので、ジンさんが、後輩です!!」
「うっそ!!」
「ほんとです!!」

 リーシュは顔を真っ赤にして再び死角へと隠れてしまった。

「ちなみに私、イリナ・ササノも15年卒なので、ツルバキアさんと同期ですね」
「えっ……、ツルバキア先輩。すいません」
「えっえっえっ、だだだ大丈夫です。普通で、いままで通りでいいです! ジンさん!」

 ちなみにシズルは、カンナ歴18年卒となる。
 リーシュの可愛らしい身なりに気安く呼んでいた自分が恥ずかしくなり、ジンは数分の間項垂れていた。しかし、このカレンデュラ領にて目標にしていた彼女を捕まえる事ができ、達成感に満たされている。

「な、な、なんで、わかったのですか……?」
「空気の動き、かな……、こう手で仰いだら風ができるみたいな感じで、神経研ぎ澄ませたらわかるかなって、でもほぼ勘で」
「神業では……?」
「でで、殿下以来です。すす、すごいです……!」

 褒められると調子が崩れてしまう。
時間は間も無く業務が始まる頃合いだが、ふと邸の方を見るとクラーク・ミレットが外に出てきていた。

「ごぉら、タチバナ!! 訓練をさせる為に直した訳じゃないぞ!! 3日は療養せいや」
「え”っ……」
「そういえば病み上がりでしたね……」
「殿下が準備されるまでそこで正座しとれ、馬鹿タレが!!」

 ジンは一人、そのまま庭の真ん中で正座させられることになってしまった。怪我が治ったばかりで、無理ができないと言う意味では正しく、他の騎士達に笑われながら甘んじてそれを受ける。

「ジン、どうしたの?」
「ミレット閣下に治癒してもらったにも関わらず、訓練に参加して叱られているそうです」
「自業自得じゃん」
「なるほど、これは良い見せ物だな」

 起きてきたキリヤナギにすら罵倒されていてジンは項垂れていた。庭はリビングに隣接していて、ソファへ座ると一望できる作りになっている。
 朝食を終えて寛ぐ二人は、談笑を楽しみつつ渡された情報誌を開いていた。話題は先日起こった大規模な公爵家の事件でもちきりだが、首都の方でも間も無く訪れる新年度にむけて準備が開始されたと報道されている。

「そういえばカナト。襲撃されたって言うけど本当にいいの?」
「構わないぞ。メリエもホライゾンも戦わなかったからな。自動車は傷ついたが、修理費は本社の経費から落とすので、問題はない」
「ありがとう」
「詳細は知らないが、ここで我が国が水を差すのも野暮だからな」

 メリエとホライゾンが動く時、それは他ならぬカナトの身が危険に晒されたと言う事実を生んでしまう。要人の嫡子であるカナトが狙われることは、ガーデニアへ『オウカが安全では無い』と知らしめる事になる為、それは国交的な問題へと発展する可能性があるからだ。
 メリエとホライゾンが、夜会に現れた敵を全て無視していたのも、オウカとガーデニアとの間にハードルができないようにするカナトの『気遣い』でもあった。

「あの、殿下、カナト……そろそろ、だめっすか?」
「クラークが良いって言うまでダメじゃないの?」
「俺の、準備も……」
「一応、殿下がくるまでとは仰ってましたが……」
 
 キリヤナギは渋りながらもジンを許すと、彼は駆け足で準備を始めていた。別宅へ持ち込んだ荷物が、先に自動車で列車へと向かう中、ジンは力仕事に戦力外通告を受け、一人キリヤナギと共にイルギスとリュウセイ、メリエとホライゾンに守られながらキリヤナギへと付き添う。

「な、情けねぇ……」
「夏と変わらなくない」
「あの時とは勝手が違うんですよ……」

 項垂れるジンを尻目に、キリヤナギは窓の外へ流れてゆく街並みを写真へと収める。首都とは違い建物が少し低い街並みは、ローズマリー領に近い空気があり、これがククリールの話していた田舎なのだろうと納得する。
 そこから数分自動車にゆられ、たどり着いたトサミズキ駅は多くの人々が行き交い、記念撮影をする観光客もいた。

「殿下! このイルギス・モントブレチアはこれにてお役ご免となります!」
「数日ではありますが、殿下の近衛兵となり大変光栄でした。また首都にてお会いできるのを楽しみにしております」
「イルギス、リュウセイ。10日間ありがとう」
「あまり機会はなかったが、貴殿らの戦いは見事だった、またガーデニア大使館へ足を運ぶといい、歓迎しよう」
「恐縮です。アークヴィーチェ卿」
「カラシナさん、運転、ありがとうございました」
「殿下のご意向とあらば。こちらこそ、お大事にされてください。タチバナ殿」

 握手をする二人を、イルギスは「ふむ」と感心の声をあげている。「またね」と改札へ入ってゆく王子を、2人は深く頭を下げて見送った。

「イルギス、貴様、ずっと殿下の心を読んでいたんじゃないか?」
「ふ、人は言葉で伝え合うものだ。それをあえて読むなど無粋だとはおもわないかい?」

 リュウセイは舌打ちし、イルギスへ乗ってきたもう一台の自動車を預け、管轄所へと戻ってゆく。

 帰りの列車は穏やかで畑や穀倉地帯が広がる車窓は、行きの風景では暗くて見えなかったもので、キリヤナギはそれを忘れないように写真に納めていた。
 本を読むカナトの向かいで、しばらく返事を忘れていたアレックスとヴァルサスのいるテキストログを覗くと、成人向けのコンテンツついて熱く語るログが膨大に流れていて衝撃をうけた。
 思わず見なかったことにするが、このグループへ再び彼女を誘えないと頭を抱えてしまう。

「どうした? キリヤナギ」
「な、なんでもない」

 セドリックに読まれたのか、彼は何故か吹き出していた。

「殿下のご年齢ならば、普通ですよ」
「い、言わないで……」

 まだ心の準備ができていない。興味がないわけではないが、あまりにも神秘的で触れる勇気がないだけだった。

 ゆっくりと進む列車へ合わせるように徐々に日もくれてゆく。キリヤナギは時間を持て余し、王宮へ戻った際に提出する事務的な報告書の作成も行っていた。
 夏旅行のような交友では必要はないが、今回は国家的な勅命を受けているためキリヤナギのサインが入った正式な記録書類が必要になる。
 カレンデュラ領での執政がどのように行われ、問題があればどのように対処されているかなどを詳細にかくが、問題がなければ無いほど具体的に描くのが難しいため、時間がかかる。

「ガーデニアは『問題はなかった』でいいが?」
「オウカはそれだと怒られる……」
「殿下。無理されずお過ごし下さい。まだ終わっておりません」

 セオの言う通りで、キリヤナギは素直に書類は諦めていた。いつのまにかプレイルームにいたクラークとセドリックは退出し、イリナとメリエが肩を並べている。
 2人は、女性らしいコスメや衣服のブランドの話で盛り上がっていて、キリヤナギは趣味は国境を越えるのだと新鮮な気持ちを得ていた。
 そして日が完全におち、キリヤナギも疲れが出てくる中、少しづつ窓の外へ明かりが見えはじめる。
 いつの間にかクランリリー領へと入っていた列車は、徐々に明かりが増えてゆき、街灯が多く立つ住宅街から見慣れた都会の風景へと変遷してゆく。
 明るい都市を抜け屋内へと入った列車は、多くの騎士がいる首都クランリリー駅へと入って停車した。

 カナトと共に駅へと降りるとそこには儀礼用の騎士服を着こなすセシル・ストレリチアがいる。

「セシル!」
「ご機嫌よう、おかえりなさいませ。キリヤナギ殿下、このセシル・ストレリチアは護衛騎士としてお迎えに参上いたしました」
「ありがとう!」
「アークヴィーチェ卿。駅前に自動車の準備があります、ぜひご利用下さい」
「助かる」

 話している間に積まれている荷物はどんどん下ろされてゆき、カナトのものが手元へと戻る。

「キリヤナギ殿下。視察へ同行させていただき大変光栄だった。また会おう」
「カナト、ありがとう。お疲れ様」
「良きご縁があることを祈っている」

 え? と返事をする前にカナトは立ち去ってしまった。セシルはそれを聞いてとても残念そうにこちらを見る。

「どうか気を遣われずご自愛下さい、殿下」
「え、え? セシル、誤解してない??」

 キリヤナギは誤解を解く前にセオに背中を押され、自動車へと誘導された。自動車の運転はセシルで、助手席にはクラークが座り、隣にはセドリックもいる。

「カレンデュラ領はいかがでしたか?」
「新鮮だった。思ってたより平和だったかな?」
「彼の地の平和は、公爵閣下の采配によって作られた仮初のものではありましたが、今回の事件の解決により正常化するきっかけともなったでしょう」

 敵が身を潜めることで成し得た平和が、果たして執政者として正しいのかとクラークは聞いている。
 しかし、クリストファー・カレンデュラの行動は、公爵としての責任を重く捉えた結果でもあり、役目を果たしていたとも言える。

「僕はよかったと思ってる」
「それならば、我々が口を出すのも野暮ですな」

 セシルもセドリックも、2人の会話へ入ることはなかった。明るい首都の街は、日が暮れても賑やかで、道路沿いには買い物や仕事を終えた人々が大勢歩いている。
 当たり前の日常を終えた人々の中へ、王子もまた自身の日常へと戻っていった。

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