第四十二話:平民と貴族

「正直な所、六名も要らないのだが……」
「ですよね……」

 カレンデュラ領での初めての朝、メリエの手伝いの元、身支度を整えたカナト・アークヴィーチェは、別宅の入り口で待機していた騎士達に困惑していた。
 特別護衛隊副隊長、セドリック・マグノリアの方針転換により宮廷騎士の大半は、皆カナトの目的地たるアークヴィーチェ・エーデル社、カレンデュラ支部へと向かう指示を受けたが、首都からきた騎士のほぼ全員がついてくることは流石に想定していなかったからだ。

「セブンオーダーの二人とジンだけで十分なので、他はキリヤナギの方についてくれて構わないぞ?」
「なんで俺だけ!?」
「貴様は特別だからな」
「しかし、アークヴィーチェ卿。それでは逆に人数が足りていないのですが……」
「王命を受けたキリヤナギに同行する私は精々『おまけ』だとばかり思っていたが、違うのか?」
「半分メインなんで……」
「ふむ? しかし、カレンデュラ支部には多くても五名で向かうと伝えているので、こちらも困ってしまう。減らせないか?」

 うーん、とジンはどうしたものかと悩む。ガーデニアから来た二名の騎士は置いてゆけないとして、残り二名が同行するとしても一名が待機となってしまうからだ。

「ではこのシズル・シラユキがここで待機致します」
「すまないな」
「シズルさん、大丈夫すか?」
「ササノさんもカレンデュラ出身とのことですので外せないでしょう。マグノリア閣下にも相談します」
「私は、ジンがいればいいのだが……」
「だから何で俺なんだよ!」
「あら、アークヴィーチェ卿はタチバナさんがお気に入りなのですね」
「当然だ。オウカの名門『タチバナ』を、仕えさせる事に意味がある」

 堂々と誇るカナトにジンは思わず寒気がする。感覚で話すならば、オウカにおける最高峰の武器を携えていると言う意味なのだろう。しかし今の『タチバナ』は外国に預けられるほどに価値を落とされ、それは他の武器と同等に扱われている。

「もうそんな威力ねぇよ、うち……」
「オウカでの話はしていないぞ?」

 ぁー、とジンは納得した。これから行く場所は、アークヴィーチェ・エーデル社でガーデニアが管理する会社だからだ。そこには当然ガーデニアから派遣された騎士や技術者がいるのだろう。彼らに向けてカナト自身が、その立場の高さを誇示する為に、オウカの名門騎士を連れることは、その地位の証明にもなる。

「では、ジン。荷物を持ってくれ」

 気乗りはしないが、今は仕方がない。ある意味オウカよりもその地位と立場は保障されでいるとも取れ、光栄なことだが本来の意味とは違う気がして複雑だった。

「ふふ、素晴らしいですね」
「イリナさん?」
「いえ、とても、素敵、可愛らしいと言うか、その……」
「可愛い??」

 目を合わせない彼女は、照れているのか少しだけ興奮しているようにも見える。

「お二人が仲睦まじいのはとてもよいことですね」
「何か勘違いしてないすか?」
「ジン、迎えが着いたので急げ」

 ジンは床に置かれていたトランクケース2個を持ち上げ、シズルに挨拶をしながら邸をでてゆく。イリナは、少しだけ小躍りするように後に続き、社名がプリントされたワゴン車両へと乗り込んでいった。
 
 時刻は朝8時を過ぎ、キリヤナギは間も無く起こされる時間だろう。セシルとグランジと話した約束も守れず情け無いとジンは、脱力する思いだった。

「え、ジン居ないの?」

 その日、キリヤナギは寝坊していた。
 列車での昼寝が響き、夜がなかなか眠れず、ヴァルサスとデバイスのゲームで夜更かししていたら、いつのまにか朝方になっていて今に至る。
 カナトは、既に騎士を連れてアークヴィーチェ・エーデル社のカレンデュラ支部へと向かい、キリヤナギは午後に控えるクリストファー・カレンデュラとの会談に備え一人朝食を済ませていた。

「おはようございます! キリヤナギ王子殿下! 私はクラーク・ミレット隊。イルギス・モントブレチア。本日よりこのカレンデュラ領にで御身をお守り致します!」
「同じく、リュウセイ・カラシナです。お見知り置きを」

 寝坊して時間がなく、食べながら自己紹介されている。手元には履歴書があり、おそらく護衛の人選に変更があったのだろう。改めて見ると、声の大きいイルギスと手を後ろで組み微動だにしないリュウセイは、いるだけで真逆の空気でコメントに困ってしまう。

「僕、てっきり首都のみんなと行動すると思ってた」
「マグノリア閣下の配慮です。ミレット閣下の人選は不安が残ると言うことで、我々が」
「ふーん、クラークは何か言った?」
「存じません」
「リュー君。殿下が緊張されるだろう? もっとフレンドリーにやらないか?!」

 イルギスは、リュウセイに無視されていた。声の大きなイルギスの履歴書には【読心】を貸与されていると書かれていて意外性を感じる。

「イルギスって、結構読む方?」
「特には? 何故なら人の心など分かるわけがないからです」
「殿下、このバカは黙らせて頂いても構いません」

 リュウセイのあまりの無表情に戸惑ってしまう。イルギスはこちらに気を使わせないようにする態度だろうが、【読心】だと思うと逆に落ち着かない。

「僕は平気。今日からよろしく、イルギス、リュウセイ」
「はい! なんなりと!」

 笑顔で答える王子にセオは酷く複雑な心境を得ていた。そして、懐かしいとすらも思い呆れてしまう。
 クラーク・ミレット隊における指揮権は、建前上はクラークとセドリックの半々で行われているが、クラークは実戦において右にでるものはいない半面、人を扱う事は苦手であるともよく言われているからだ。
 人選や指揮力に至ってはアカツキが、実戦はクラークが得意分野で、ミレット隊の管理の殆どは、副隊長のセドリック・マグノリアがこなしている。つまりクラークの選んだ人選を、こうしてセドリックがやりかえることは、ミレット隊においては日常的にあることで、それは特殊親衛隊であった時も頻繁に行われていた。

 朝から少しだけ疲れた表情を見せるキリヤナギに、セオは着替えを手伝いながら心配を覚える。初対面の相手に全く動じた様子を見せないキリヤナギだが、この動じない様は逆に緊張しているとも取れるからだ。

「大丈夫ですか?」
「何が……?」
「いえ、少し人が変わったので……」
「……まぁ、予想してたししょうがないかなって、今回は僕のわがままだから大人しくしてるよ」

 セオの不安が募るが使用人と言う立場からでは、やはりどうしようもなかった。セオは、彼らが特殊親衛隊であった頃から、この問題点を幾度となく王や王妃に進言してきたが、クラーク・ミレットに寄せる信頼の主柱は揺ぐ事はなく、結果を残し続ける彼らは正しいとしか評価できないからだ。

 ネクタイを締めながら、未だ僅かに残る眠気に耐えているとドレッサーに置かれた『魔術デバイス』が目に入る。画面には100%チャージ状態が表示されていて、持って行っていいものか悩んでしまう。

「それぐらいでしたらお持ち頂いて大丈夫ですよ」
「ありがとう」

 魔術デバイスの本体は、スーツの雰囲気を乱さないよう洗練されたデザインで首から下げても違和感はない。よく考えられていると感心し、しばらくの間それを観察していた。

 間も無く迎えの自動車が到着すると連絡を受け、キリヤナギも移動の為にエントランスへと向かう。するとその道中で何かを話し合うセドリックとシズルと鉢合わせした。

「これはこれは、キリヤナギ殿下」
「セドリック、おはよう。シズルも」
「おはよう、ございます……殿下」

 少し困っているシズルの反応に、キリヤナギは思わず首を傾げてしまう。二人で話していたのを邪魔してしまったのだろうかと勘繰ってしまった。

「本日、シラユキ卿はアークヴィーチェ・エーデル社へ向かうよう指示を出していたのですが、人が多いとして独断で残ってしまったのです」
「そうなんだ? どうして?」
「アークヴィーチェ卿が6名では多いと仰り。私が待機をしようと……」
「そのような事は、まず私に相談しようか。独断はよくはない」
「申し訳ございません」

 つまり叱られていたのだ。しかしカナト一人に護衛六人は確かに多くも思え、元々半数はキリヤナギの護衛の為に来ている。突然の配置変更があったのなら仕方なくも感じ、責められることではないとも思えた。

「しょうがない。君はここで待機していなさい」
「はい……」
「え? 一緒に来ないの?」
「殿下……?」
「僕の護衛としてきたのに?」
「キリヤナギ殿下、彼はまだ新人で護衛任務には経験が乏しい。すでに殿下には私を含めた4名の騎士がついております」
「着いてるけど、カナトは六人でよかったのに、僕は四人じゃないといけないルールがある?」
「それは……」
「自動車の席が足りないとかなら、仕方ないと思うけど……」

 セオがすぐさまスケジュールの詳細を見せてくれた。自動車は騎士が乗るものを含め2台で迎えが来るが、カレンデュラ騎士団の運転手を除くと合計8名まで乗車ができる。つまり先に足を運んだクラークを含めても席は一応空いている。

「護衛任務に乏しいなら、むしろいい経験にならない?」
「会談は研修に利用していい場ではないのですが……」
「わ、私は気にしておりません、殿下」

 セドリックは困っているようだった。新人と言う投入されて間もない騎士が足を引っ張る可能性も当然拭えないが、今回の場合。シズルだけでなく他の多くの騎士もおり、キリヤナギはカバーができると考える。

「……しょうがない。殿下のお言葉に免じて同行を許そう」
「申し訳ございません。ありがとうございます」
「無礼は許さない。身をわきまえ毅然と振る舞うように」
「は、」
「シズル、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」

 セドリックの冷ややかな表情を、キリヤナギは見逃さなかった。彼のこの体質は決して悪気があるわけではないと、キリヤナギも理解している。目的を果たす為、より自身の信頼度の高いものから優先的に配置し、確実に物事を完遂させる技量は、これまでミレット隊が積み上げてきた信頼の土台でもあるからだ。以前彼が話していた『適材適所』をまさに体現していると、キリヤナギは複雑な心境を抱く。

「カナトも後から合流だっけ?」
「えぇ、会談後から参加されるそうです。カレンデュラ公爵閣下もぜひお会いしたいと」
「ククとも話せるかな?」
「簡単な社交パーティーを開いてくださるので、その際に顔を見せられるかと」

 案内のつもりが案内になっていないのが歯痒いが、仕事も兼ねているなら仕方がないとも割り切る。
 玄関へ向かうと自動車の扉を開けてくれたのはリュウセイで、セドリックは助手席へと乗り込んだ。
 運転手の言葉から動き出した自動車だが、誰も喋らず少しだけ緊張した空気が漂っている。そんな中キリヤナギはスケジュールを確認しようとセオとデバイスで連絡をとると、前に座るセドリックが動いた。

「殿下、スケジュールの方は、騎士の方でも共有しておりますのでお気遣いなく」
「そうなんだ? わかった」

 読まれていて少し恥ずかしくもなる。通信デバイスをポケットにしまい、キリヤナギはその後屋敷に着くまでぼーっと景色を眺めていた。

146

 今は何時だろうと、ククリールは一人座敷に敷かれた布団からゆっくりと体を起こす。昨日、寒空の中カミュに保護されたククリールは、クレマチス家にて朝を迎えていた。
 初めての座敷布団は普段のベットよりも硬いが、とても暖かく布団で眠れたこと自体がとても嬉しかった。しかし、突然自宅を追い出された事実が受け入れきれず、泣きつかれ顔が酷く腫れている。顔を洗いたいと思うが、部屋に洗面台はなく階段を降りなければならず、貴族だった自分とのギャップに不便さを感じてしまった。

「お嬢様、朝ですよ……!」

 声が聞こえ、時間をみると9時を回っていて、仕方なく体を起こした。襖に背を向けていると少しだけ開く音が聞こえ、カミュが入ってくる。
 ほんのりと漂ってきたのは、朝食の匂いだった。

「失礼します。朝食をお持ちしましたのでよかったらどうぞ……」
「……ありがとう、カミュ」

 カミュは朝食だけ配膳し、部屋を出ようとしたが、抱えている気持ちを抑えることができなかった。

「お嬢様。今回はうちにきていただいてありがとうございます。ゆっくりされて行ってください」
「カミュ、私はもう公爵でもなんでもないのよ?」
「わかってます。でも、やっぱり私はククリールお嬢様が大好きです」

 やめてほしいと、ククリールは涙が堪えきれなかった。カミュは小さく震えるククリールへと寄り添いしばらく背中を摩ってくれる。
 落ち着いてくると食事も取れるようになり、ククリールはカミュが持ってきてくれた焼き魚とお味噌汁へと手をつけた。

「クリストファー様、本当ですか?」
「えぇ、昨日、王子と絶交しろって言われて反抗してしまったの……」
「そ、それぐらいで?」
「公爵家にとっては許されない事だったの、だから、私が悪いわ」
「それでも、今までそんな事なかったじゃないですか」
「成人してなかったから……」
「本当ですか?」

 同じ言葉を繰り返され、ククリールは思わず怪訝に見てしまう。カミュもまた信じられないような表情をしていて返事にも困った。

「公爵と騎士は違う。理解されようとも思わないけど、今の私はもう一般平民よ。だから気を遣わないで……」
「そう、言われましても今までの癖があるので……」
「難しいのね……」

 美味しい食事は、心の辛さを緩和してくれるようだった。冷え切った心が温まり、少しだけ前を向ける。

「お嬢様が一般平民?」
「えぇ」
「なら、私の方が偉い?」
「……そうなるわね」
「じゃあ少しだけお出かけしませんか?」
「えーー……」
「お嬢様が首都へ出られている間。このエニシダ町も色々変わったのです。ご案内します!」

 問いではなく決定事項を話され、ククリールは騎士の命令権を行使されたように思えたが、彼女の嬉しそうな顔を見るとそれも悪くないと思えた。
 顔の腫れが落ち着き始める頃、ククリールはカミュの私服を借りて、クレマチス家のあるエニシダ町の繁華街へと向かう。
 バスで数分の駅前は広場になっていて、芝生の上で日光浴をする人々がいた。他にも商店街の人々が客寄せで声を上げとても賑わっている。

「とても久しぶり……」
「ですよね! コロッケ食べます?」

 この商店街は、中学生や高校生の頃に通った通学路だった。貴族達の学校で買い食いなどあり得なかったが、父の業務の関係で仲の良かったカミュと一度だけ食べた事がある。
 ボーっとしていたら、カミュがコロッケを買ってきてくれて、ククリールは数年ぶりのその味に浸った。油ばかりで肉も殆ど入って居ないが、久しぶりに食べるととても美味しい。
 二人で揚げ物屋のベンチに座って食べていると、カミュが商店街を歩く騎士へ手を振っている。巡回する彼らはカミュをみてにこにこと手を振り返し、立ち去っていった。

「今日は騎士が多いのね……」
「今テロ警戒中なんです、予告があったみたいで」
「そうなの?」
「はい。でも、サフラン・バジル騎士長はイタズラだろうとも言ってるんで、お散歩感覚ですね」

 緩いなとククリールは少し困惑していた。しかし、カレンデュラ領では確かに珍しくはなく、愉快犯が数ヶ月に一度、騎士団への妨害目的で予告をだされたりもする。
 当然犯罪だが、決定的な証拠がなければ摘発も難しく、こうして警戒網が敷かれる。

「うっ、ちょっとトイレ行きたくなったので探してきますね」
「え、えぇ……」

 カミュはククリールを一人残し、商店街の隅へと走ってゆく。一人は慣れてはいるが、その日は何故か孤独を感じ、ククリールは自分でも情け無いと呆れていた。
 コロッケの包み紙を小さく丸め、ボーっと行き交うひとの流れを見ていると、建物の隙間に見覚えのある人間が通り過ぎてゆく。
 カレンデュラ騎士団の制服を纏う彼は、サフランにも見え、ククリールは何故か吸い込まれるように路地へと入っていった。
 サフランが入ったように見えた場所は、人が通りそうにもないゴミ箱や室外機が沢山おかれた通路で、進めば進むほど何故こんな場所を通ったのか疑問に思えてくる。そして路地の先から、サフランの声と数名の男の声が徐々に響いてきた。

「首尾は?」
「王子一行は、間も無くカレンデュラ邸へ向かうかと……」
「滞在期間は1週間程度とも聞いているが……どうするか」

 何の話だろうとククリールは息を潜める。

「やるなら帰った後こそ好機だろうが……」
「何かお考えが?」
「もし宮廷騎士のいる最中で公爵を殺せるならば、宮廷への信頼も地に落とせる。そうすれば、次に【異能】が渡されるのはおそらく私だ」

 ククリールは悲鳴をあげそうになった自分の口を塞ぐ、息を殺し見つかってはいけないとただ気配を消すことへ全力を注いだ。

「この地の公爵は、もういつ交代させられてもおかしくは無い。故に世襲もないだろう、時点候補も居ないならば、再選挙を行う必要もあり、その間管理するべき人間はやはり騎士長である私だからだ」
「そんな事が可能ですか?」
「策は既に練っている。お前達は王子の動向を探れ」
「は」

 サフランがそう言った直後、ククリールは一瞬彼と目があった気がして、逃げるように駆け出した。

「どうされました?」
「いや、ネズミがいたようだ。気にしなくていい」

 サフランは楽しそうに笑い、自身のテロ警戒業務へと戻ってゆく。

 商店街へと走ってきたククリールは、自身を探していたカミュを見つけ思わず抱きついてしまった。

「お嬢様、探しましたよ。どこに……」
「カミュ、逃げましょう! 早く」
「え? なんでですか?」

 振り返るとそこには誰もいない。追われている気配もなくククリールはさらに不安が募った。

「大丈夫ですか? 分かりました、一度帰りましょう」
「え、えぇ……」

 夢だったのだろうかと思えるほど何も起こらない。カミュは終始震えるククリールを抱きしめるように宥め、二人は何ごともなくクレマチス家へと戻っていった。

 およそ数十年ぶりに行われたカレンデュラ公爵家と王族、オウカ家の会談は、招かれた騎士や貴族達の歓迎の元、王子と公爵への握手から始まってゆく。カレンデュラの地主貴族達は、噂されていた冷え切った関係など嘘のようにも感じ、首都から足を運んだ王子を歓迎していた。
 記録係が同席する対談で世間話から入った二人は、隣接する外国との関係性から国境沿いの集落の問題点などを話し合い。王子はメモをとりながら問題点を整理する。クリストファー・カレンデュラは、そんな真面目に耳を貸す王子へまるで父親のような目を向けながら丁寧に答えていた。

「カレンデュラ卿。学ぶものが沢山あった、ありがとう」
「この北東領公爵として当然の事でしょう。この土地の問題は他にも多くございますが、私はここに根付く貴族として義務を果たして行こうと考えております」
「とても頼りになる。何か僕にできそうな事はあるかな?」
「王子殿下の手を煩わせるような事はございません。あなた方王族は、我々をまとめ、国を率いて行くことが使命でしょう。殿下はどうかそちらへ注力されてください」

 突き放されているような言い方だが、間違ってはいないとキリヤナギは深く考えることはしなかった。キリヤナギもこの土地に関しては無知に等しく、場に混乱を招く可能性もあるからだ。

「ありがとう。今日はこうして話せてよかった。観光大使の件もある。また来ても構わないかな?」
「えぇ、この土地へ興味を持っていただけるならば大変光栄でしょう」

 キリヤナギは、父との関係性について終始聞くべきか悩んでいたが、父の話題に移行しない時点で、触れてほしくない事だと認識し、別の話を切り出す。

「……カレンデュラ卿は、先日のスキャンダルの件はご存知でしょうか?」
「あぁ、失恋されたのですね。とても残念です」

 あれ? と、キリヤナギは、クリストファーの言動に違和感を覚える。

「ククリール嬢とは、大学で2回生からよく話すようになり、彼女の歴史の知識に僕はとても助けられーー」
「ククリール? そのような者は我が家にはおりません」
「え?」

 思わず変な声が出てしまった。記録係だけでなく、控えていたセオも思わず顔を上げて驚く。

「我が家の嫡子は、リリト・カレンデュラのみです。この後の歓迎会にてご紹介致しましよう」
「ククリール嬢がいない?? 彼女はカレンデュラ公爵令嬢では……」
「失礼、語弊がありましたね。ククリール・カレンデュラは、一昨日までは我が家の長女でしたが、今はもう一般平民として独立致しました」
「……!?」
「よって我が家に令嬢はもういない。どうかお気になさらずに……」

 キリヤナギは、言葉が詰まりそれ以上出てこなかった。そのあまりの反応に場が動かない事を察したのか、クリストファーが礼をする。

「長くお話頂きありがとうございました。私はこれより一度公務へと戻ります。キリヤナギ王子殿下、短い間ではありますが、カレンデュラ領でひと時を楽しまれてください」

 クリストファーが立ち去り、キリヤナギはようやく我に帰った。そして思わずククリールとの最後のテキストログを見てしまう。また昨夜、自動車で見えた彼女らしき女性も思い出され後悔が込み上げてきた。

「キリヤナギ殿下、移動です」
「……わかった」

 今は、何もできない。会いに来たはずなのに、まるですり抜けるように消えてしまった彼女は、今どこにいるのだろう。

 公爵との会談を終えたキリヤナギは、居なくなってしまったククリールへのショックが隠しきれず、しばらく控え室で休憩していた。しかし、これから歓迎会がありカレンデュラの貴族達と顔を合わせなければならない。場に出る前に、この心境をどうにかせねばならず葛藤を抱えていた。

「ククリール嬢のお話は、事実なのでしょうか?」
「公爵が嘘つく必要無いと思うけど……」
「仰るとおりですが……」

 入り口には、リュウセイとイルギスがいて聞いている人間がいないかも見てくれている。酷く情け無いがこのやり場のない気持ちをどう処理すればいいかわからなかった。

「なんで出て行かないといけなかったんだろ……」
「よそのご家庭の事情は私でも流石に……」

 セオもまた事実をうまく受け止めきれてないようにも見えた。本来権力を持つ貴族達は自身の家の立場や土地を維持するため、家族はとても大切にするものだからだ。
 それは男女とも関係なく、最近は婿養子を迎える公爵もいるほどで、古いしきたりも徐々になくなっているはずなのに、何故彼女だけが? と言う気持ちを持たずにはいられない。

「間も無くお時間ですが……」

 考えていても仕方ないとキリヤナギは、前を向いた。個人的な感情はどうあれ使命は果たさなければならないからだ。

「行こう、セオ」
「はい」

 キリヤナギは身を引き締めながら前へと出てゆく。王子を待ち詫びた貴族達は、度々首都で顔を見に来ているものから、初めて会う者までが勢揃いしていて、数年ぶりに顔を見て成長を喜んでくれる人々もいた。
 和やかな空気で歓迎会は進んでゆき、キリヤナギはソファへと腰を下ろして寛ぐ。 
 本来ここにはククリールがいて学校での話やサークル活動の報告もしたかったのに、今は隣の席には知らない令嬢が座り、永遠に終わらない自慢話と褒め言葉を聞いていた。
 話しかける声が途絶える事はなく、僅かに疲労が出てくる頃、ホールの貴族達がざわつき、道を開けられている一人の男性貴族が目に入る。
 声をかけてくる貴族達を無視し、礼装で目の前へ歩み寄ってきた彼は、ソファへ座るキリヤナギへまず深く頭を下げた。

「ご機嫌よう、王子殿下。ようこそカレンデュラへ、私は、先程父たるクリストファーよりご紹介頂いた。リリト・カレンデュラです。お見知り置きを」
「君が、ククの弟の?」
「……」

 リリトは、まるでこちらを敵の様に睨んできてキリヤナギは戸惑ってしまう。しかし、この家に「ククリールはいない」と言われた以上、彼女の名を出す事は地雷にも思えた。

「こんにちは、僕はオウカ第一王子、キリヤナギ・オウカ。よろしく」
「これまでご挨拶ができず、この場での自己紹介をお許しください」
「それは構わない。こうして顔を見せてくれたのが、僕と話したいと言う君の意思なら、僕はそれに応じるよ」
「……! なら直球で言います」
「……リリト様」

 見ていた使用人に止められる彼は、全ての覚悟を決めた様にも見えた。

「俺は、姉様が出て行ったのは、王子殿下の所為だと考えている」
「……!」
「プロポーズ、振られたんですよね? それなのになんでこんな所まで追いかけてきたんですか?」
「リリト様!!」
「構わないよ。リリト、続けて」

 キリヤナギは毅然としていた。セオは冷ややかな目でリリトを観察し給仕を続ける。

「振られた後に関係を絶っていれば、姉様の気持ちが変わる事なんてなかったのにずるずると付き合って……だから姉様は出て行くしかなかった」
「僕が彼女を追いかけてきたのは否定しない。でもリリト、その言葉はククの気持ちそのものを真っ向から否定している」
「……っ!」
「君の言葉を全て汲み取るなら、確かに僕はその原因だと言える。だけど、僕は彼女と『友達をやり直す』約束をしたんだ。お互いに理解できていなかった『友人』の意味を再確認する為に」
「なんだよそれ……」

 キリヤナギは笑みで返していた。深く語らないのは、これはあくまでキリヤナギとククリールにあった約束であり、リリトは無関係だからだ。

「リリトは、ククが大切かい?」
「当たり前だろ! 家族だし」
「君が、僕の所為でククが家に居られなくなったと話すのなら、僕はその責任をとる覚悟がある」
「は……?」
「『友人』。友達として、僕はククの意思を聞きに行くよ。家を出て行った事が不本意なら、きっと応じてくれるだろうからね」
「戻りたくないなんてあり得ないだろ! 公爵だぞ!」
「それなら、僕はまたククに会えそうだ」
「……っ!」
「リリト様、少し落ち着かれては……」

 リリトは返す言葉がなく黙り込んでしまった。セオは様子を見ながら、リリトの本心に公爵を下されたくないと言う心境を察する。
 リリトは王子へ、姉が出て行ったのは王子の所為とし、その責任を爵位の維持で取らせようとしたのだ。
 キリヤナギは、リリトがそれを話す前にククリールの『意志の尊重』を語り、また責任を取ると先手を打った事で爵位の件を封殺した。
 側から見れば天然に見える言葉の回しだが、キリヤナギはこれを『わかってやっている』。物腰柔らかな言葉の全ては、相手を油断させるもので、セオはこのやり方を「王妃ヒイラギ」そのものだとも感想していた。

「姉様はもう勘当されたんだ! そんな事不可能に決まってる!」
「ならここから先は、僕と君との取引にしようか」
「!」
「僕がククに話つけ、彼女を連れ戻せたなら良しとしよう。でももし彼女が貴族に戻る事を望まなかったら、僕は君の望みを一つ叶えるって言うのはどうかな?」
「借りって事ですか?」
「その解釈は任せるよ」

 リリトは酷く複雑な表情をしていた。セオはそんな彼に、意志が定っていないような感覚を覚え呆れてしまう。続けられる言葉は、聞くだけなら自然だが、冷静に分析するとククリールを取り戻したいのか、そうではないのかが定まってはいないからだ。

「……わかった。見極めてやるよ」
「ありがとう。僕は来週までここに居るから、好きに進捗を聞きにくるといい。騎士にも話をつけておくよ」
「無礼な言動、お詫び致します」
「家族の事なら仕方が無い。貴殿の彼女を思う気持ちは十分理解した。許そう」

 リリトはその後は何も言わず、背を向けて立ち去って行ってゆく。残されたキリヤナギは、周りで見ていた貴族達に再び囲われて一つ一つ丁寧に対応していた。

 さらに多くの人々が集まってくる会場でキリヤナギは疲れも出てきており一旦控え室へと戻る。

147

 午後の執務を終えたクリストファーは、後半へと差し掛かろうとしている歓迎会へ参する為、バトラーとともに屋敷の廊下を歩いていた。その最中、エニシダ町のテロ警戒業務がひと段落し、戻ってきたサフランと鉢合わせする。

「クリストファー様。サフラン・バジル、ここへもどりました」
「サフラン、今日もご苦労だった。残りは歓迎会だが、貴殿も楽しむといい」
「勿体無いお言葉、大変光栄です。しかし先程、エニシダ町にてククリールお嬢様をお見かけしたのですが……」
「そうか。だが彼女は、もう娘ではないよ」
「はーー…」
「気遣わせてすまないな。昨日、縁を切ったんだ。騎士達にもそう伝えてくれ」
「ご、ご冗談を?」
「家の立場を危うくさせる者を切って何か問題が?」
「いえ……滅相もございません」
「なら、あとは自由にするといい」
「恐縮です」

 クリストファーは、身を翻すようにホールへと向かう。そんな背中を見えなくなるまで見送ったサフランは、歓迎会に招待された騎士達へと目を向けた。
 皆が礼装へ身を包み参加を待ち侘びる中で、彼は隅にいる一組の姉弟へと目を向ける。
 少しだけ緊張した表情のカミュ・クレマチスとフュリクス・クレマチスは、サフランの視線に気づき小さく礼をしていた。
 そんな様子を見ていたガイア・クローバーは首を傾げる。

「騎士長、クレマチスがどうかされましたか?」
「いや、なんでもないさ……」

 サフランは一瞥し、貴族達のいる歓迎会へと溶け込んでいった。

「キリヤナギは休憩中か、まぁしょうがない……」
「何期待してんだよ……」

 午後、他の貴族達とは一足遅く現れたカナト・アークヴィーチェは、キリヤナギが休憩に入っている事を残念そうにしていた。
 それもアークヴィーチェ・エーデル社でのミーティングにて、破壊された機器は回収されたが、その周辺の通信機器も通信ができなくなっており、通信ケーブルが切断されている可能性も浮上したからだ。
 国境沿いで騎士以外の市民が見にゆくのは危険であり、カレンデュラ騎士団に所属する【千里眼】の騎士へ協力を仰げないか、キリヤナギを介して交渉できればと期待している。
 ガーデニアの管理会社があからさまに王子へ頼ろうとする事へ、ジンは困惑した表情を見せていた。

「切れてたらどうすんの?」
「そうなれば工事だな。彼の地の回線は、かつての桜花電通公社、OTPの時代の回線を我が社が買い取ったものでアークヴィーチェで行うのは初めてとなる」
「OTP?! 懐かし……何年前だっけ?」
「15年ほど前だな。当時はまだカレンデュラ公爵とオウカ家の関係は親密で、父がシダレ陛下に仲介をしてもらう事で騎士団のサポートを受けられていたが、ここ最近は関係性の冷えなどがあり、メンテナンスでの護衛騎士の手配は、アークヴィーチェが用意していた。しかし工事になれば流石に数名では済まないのでどうにか協力を仰ぎたい」
「あれ、回線やりかえたんじゃないっけ? そのまんまなんだ?」
「都市部の引き直しは7年前に完了したが、辺境に引かれている物は未だOTP時代の古い回線だ。時間が足りなかったと言えばそうだが、『なくても困らない土地』に無理に引くこともない、また特に国境沿いは、技術者がなんらかの事件に巻き込まれる可能性もある。社員の安全を確保出来ない工事はやるものでは無い」

 ふーんと、ジンは納得していた。当時のことは殆ど覚えてはいないが、国境沿いは何が起こるかわからず周辺には都市や村すらもなく、居るのは不法入国者を取り締まる巡回騎士かぐらいだ。
 そんな土地での通信回線は、必要最低限でも十分であり、流用もできるなら工事の必要もないのも理解できる、

「もし協力を得られなくとも、私自身が来ている今のタイミングで見に行きたいが……」
「なんでカナトがいくんだよ……」
「私は、『魔術師』だからだ」

 カナトは得意気に指先へ魔力結晶を生成してみせた。質量がコントロールできる魔力結晶は部分的に密度を変える事で、風船のように空中へ浮遊させる事もできるからだ。

「修理できんの?」
「ある程度は? 私も一応は技術者の端くれなので簡単な作業はできる。しかし、柱が倒されていたら流石にどうしようもないな」

 国境沿いは不法入国者対策のため、林は切り開かれ草原地帯になっている。今回破壊された機器は、防壁の上に設置されていたものだが、支社から遠隔で通信を行った際、その周辺の端末にも何かしらの不具合が発生していると判明した。

「課題は多くあるが、今はカレンデュラ騎士団へ【千里眼】での協力を仰ぎ、どういう状態なのか確かめなければ……」

 カナトはネクタイを締め直し、水を飲んで声の具合を確かめていた。その真剣な目は、なんとしても協力を勝ち取ると言う意志を感じる。

「いくぞ」
「お、おう……」
 
 少し戸惑うジンを、カナトはあざ笑いながらホールへと連れて行く。未だ貴族達が多く残るホールには、騎士達も現れ活気に満ち溢れていた。
 中央付近にはクラーク・ミレットと談笑するカレンデュラ公爵がいて、ジンは一気に緊張する。カナトはそんな彼らへと堂々と声をかけに向かった。

「ご機嫌麗しゅう、クリストファー・カレンデュラ公爵閣下」
「……ガーデニアか。遠くからようこそ。頑なに顔を見せなかった息子の貴殿がくるとは、珍しいじゃないか」

 攻撃的な言葉に、ジンは背筋が冷えるのを感じる。しかしカナトは動じずまるで当たり前に堂々と続けた。

「当然です、閣下。我々アークヴィーチェ・エーデル社は、サービスの提供に不具合が生じたならば、すぐさま復旧に取り組む次第、契約の際にお約束したことです」
「なるほど、筋を通しに来たなら文句はない。だが国境沿いの機械が壊れ、すでに2ヶ月は経過している。これはとても『すぐさま』とは思えないが?」
「その件に関しましては、心からのお詫びを。釈明をさせて頂くのならば、新しい端末をガーデニアへと発注し、輸送する工程に時間がかかってしまいました。故にこれは私が顔を合わせて謝罪をしなくてはならないとこちらへ」
「そうか。その年齢で社長を気取るのは構わないが、そもそも維持ができるのか? 国境沿いへの設置にあたり、銃で破壊される可能性は想定出来たはずだ」
「我が社の経験上、オウカ国とジギリダス 国の国境の過酷さへ想定が及んでおりませんでした。しかし、私が新しく持ち込んだ端末は、我が国の最新技術。『魔術』を搭載し、今後弾丸などの攻撃を寄せ付けない仕様へとアップデートしております」
「ふむ」

 軽い戦争を見ていると、ジンはヒヤヒヤしながら聞いていた。クリストファー・カレンデュラは、かつてアークヴィーチェ・エーデル社と契約はしたが、今回端末が破壊された事で、『その契約に意味はあるのか?』と揺さぶりをかけている。
 保安のために設置した危機が、たった数年も持たないまま壊されたことで設置するメリットに疑問が生じているのだ。カナトは、それに先手を打つように、今後そのような事が起こらないよう努力をすると、改めて信頼を得ようと動いている。

「『魔術師』の話は、噂には聞いている。騎士大会で暴れたそうだが……」
「騎士大会は存じませんが、『魔術』ご存知ならば光栄でしょう」

 嘘だ。とジンは叫びたい気持ちを抑えていた。

「たった一つの機器に搭載されていたところで、果たして意味が?」
「ご安心を、すでに端末の全てに魔術へ対応するためのプログラムを送信済みです。しかし、『魔術』の発動には人間の『魔力』が必須であるため、今回は各駐屯地へ『魔術デバイス』を置かせて頂きたくーー」
「貴殿の落ち度にも関わらず、結局こちらへ頼るのか?」
「人の作った機械である以上、それは電気や水、ガスのようなエネルギーの供給が必須となります。しかし『魔力』は、人の生命活動によって常時生み出され、本来使われず消えゆくはずだったもの。これを利用する事は、まさに無から有を生み出し、ほぼゼロコストでの運用ができる言えます」

 堂々としたカナトの言葉に、クリストファー・カレンデュラは、相槌を打っていた。ジンはカナトの指示で持たされていた鞄からパンフレットを取り出して配る。

「端末を設置させていただく上で、弊社は契約に基づき定期的なメンテナンスも行う予定です」
「駐屯地の騎士へ余計な手間を取らせないのであれば構わないだろう。解約を視野に入れていたが、それならばもうしばらくは様子を見る」
「ありがとうございます」

 渡したパンフレットは、数ページ見た後ジンヘ返されてしまった。想像以上に硬派なクリストファーに、カナトは笑みを崩さないが相当苦しそうにも見える。
 それは、たった今「騎士の手を煩わせるな」と釘を刺されたからだ。

「カレンデュラ公爵閣下。我がアークヴィーチェ・エーデル社のサービス維持のため、カレンデュラ騎士団の協力を仰ぎたいと考えているのですが……」
「悪いが貴殿らに協力できるほど、我が領地の騎士に余裕はない」
「しかし、この端末の設置が行われることで、国境沿いは『魔力結晶』のシールドが展開されます。これは不法入国者を防ぐ壁ともなり得るかと」
「それも理解の上だ。ここは情勢上、各町へ配置している騎士は他の都市よりも倍近く、特に現在はエニシダ町でのテロ警戒中で余計な手を割くことは出来ない」
「それは……なるほど」
「時期が悪い。すまないな。だが端末の設置は、貴殿の話で魅力的に思っている。もしこの期間に作業を終えてくれるのであれば、今後アークヴィーチェ・エーデル社に必要な協力は惜しまないと約束しよう」

 つまり作業を独自にできれば、今回の不具合や破壊の件を水に流すと彼は話している。望み通りの言葉へカナトの表情は明るくなり深く頭を下げた。

「かしこまりました。大きな譲歩を感謝致します。しかし、こちらもこの機会に全てが可能か断言はできません」
「それは構わない。こちらも無理を言っているのは承知だ。下手に人命が失われれば、ガーデニアとの国際問題となる。そちらの方が面倒だからな」

 淡々と話すクリストファーは、いつのまにか目を合わせずソファへと深く腰をかける。使用人へ飲み物を注がせる彼は、目の前のクラーク・ミレットを睨みつけていた。

「アークヴィーチェ卿。かの端末の確認に赴かれるのならば、その護衛は我々の仕事です」
「ミレット卿。すまないな、まだ私がゆくとも決まったわけではない。もう一度支部へと戻り検討する」
「期待しているよ。アークヴィーチェ卿」

 ワインを嗜み、不敵に笑うクリストファーへカナトは綺麗に礼をしていた。一旦は場を離れ、ジンがカナトの横でほっと息をついていると突然後ろから高い声が響く。

「『タチバナ』」

 振り返って見えたのは赤髪だった。少し視線を落として目があったのは、ジンとそれなりに身長差のある騎士服の少年で驚いてしまう。

「確か、クレマチス君……?」
「王子どこ?」

 不機嫌そうに言われ、思わずカナトへと目線を映した。彼はフュリクス・クレマチス、騎士大会の決勝にてジンを破った少年騎士だ。ジンがフュリクスと話したのは、騎士大会の前夜祭以来で、今回はひさしぶりの再会となる。

「俺、今はアークヴィーチェ卿についてるんで、よくは知らないんですけど……」
「アークヴィーチェ??」
「ご機嫌よう。クレマチス殿、ガーデニアより参りました。カナト・アークヴィーチェです。お見知り置きを」
「フュリクス・クレマチス。王子知らない?」
「今は、休憩されてるってーー」

「フューリ!!」

 遮るような言葉に、フュリクスも振り返る。真っ青な顔で現れたのは、フュリクスの姉を名乗っていたカミュ・クレマチスだ。

「ちゃ、ちゃんとご挨拶しなさい! すみません! カレンデュラ騎士団所属のカミュ・クレマチスです!」
「どうか恐縮されず。声をかけていただき光栄です」
「王子いないの?」
「今は裏じゃないっすかね……」
「敬語使いなさい!!」

 フュリクスは少しだけむすっとしている。丁寧に自己紹介をするカナトに、カミュは顔を真っ赤にしながら何度も頭を下げていた。

「殿下に用事です?」
「うん。でも居ないならいいや」
「……」
「え、えーっと……」
「カミュさんも?」
「は、はい。その……」

 カミュは、周りの目線を確認しつつ小さく小声で話した。

「ククリール……お嬢様の事で……」
「カレンデュラ嬢?」
「ほら、姉さん。だから言ったじゃん、『タチバナ』は知らないって!」
「どうかされたんです?」

 カミュが真っ白になっている。しかし今日のジンは、朝からカナトと行動していて、キリヤナギとは連絡もとれていないからだ。

「あの、タチバナさんは、この後王子殿下にお会いされたりします?」
「はい。一応は?」
「ならよかったら、エニシダ町へお越し頂けるとご案内しますと、お伝えください」
「『タチバナ』だけでも来てよ。誰にも言わないでね」
「カレンデュラ嬢と関係あるんです?」
「ここではノーコメントで! よろしくお願いします!」

 カミュは、フュリクスと共に一礼をして去っていった。こっそり渡された紙には連絡先もかかれていて、思わず首を傾げてしまう。

「カレンデュラ嬢には、私も挨拶したいとは思っていたが、お姿が見えないのは残念だな」

 思えば確かに会場には居ない。今まで首都の催事へ定期的に顔を出していた彼女は、正にカレンデュラの『顔』といっても差し障りはないのに、この場で現れないのもおかしいからだ。

「疲れておられるのだろう。またの機会にするさ」

 そう言ってカナトは声をかけにくる他の貴族達との談笑へ戻ってゆく。ジンは横で警護を続けるが、意味深なクレマチス姉弟の言葉がずっと心へ引っかかっていた。
 そして夕方から夜になる頃、歓迎会はお開きとなり、カナトはもう一度公爵へ挨拶をした後、別宅へと戻ってゆく。
 帰路に着く最中、自動車で支社へと連絡をとる彼は、明日のミーティングについて話をつけているようだった。

「アークヴィーチェ卿は、やはりご多忙ですね」
「イリナさん……。歓迎会よかったんですか?」
「はい、気にされず、お二人を遠目で見るのはとても眼福でーー」
「眼福??」
「あ、いえ、実は少し怖かったので、雰囲気を楽しむだけでご遠慮しました。満足しておりますわ」

 カナトは会話を聞いている気配は無かった。イリナはジンと同じく歓迎会へ参加予定だったが、用意された控え室へエーデル社の重要機密の書類や物品を置いておくことになることとなり、人の出入りがないようイリナへ見張りを頼んでいた。

「メリエさんとホライゾンさんは、参加しなくてよかったの?」
「私の手荷物もそうだが、自動車にも多く積まれているからな。企業の秘密と外交機密を外に放置はできない」

 かのガーデニアの二人は、後続車両でこちらの後に続いている。ジンだけが見せ物として同行させられたのは少し腑に落ちないが、これも一応仕事だと割り切ることにした。
 30分ほどの時間を経て、一行はようやく別宅へと戻ってくる。が、ジンは朝とは様変わりした別宅へ驚いていた。入り口には2名の見覚えのない宮廷騎士が配置され、さらに数名の巡回騎士も屋敷を歩いている。
 リビングの掃除を行うセオの周りにも監視するように騎士がいて、ジンはその仰々しさに困惑してしまった。

「おかえりなさいませ。カナトさん」
「ツバキ殿。偉く騎士が増えたな」
「はい。カレンデュラ領へと応援派遣されていた宮廷騎士の方々です。我々の代わりに夜の見張りをしてくださると伺っています」
「なるほど、助かるが……」

 カナトが言葉に困るのもジンは理解はできてしまう。そしてあらためて夏旅行の際の『緩さ』に逆に反省もしてしまった。

「セオ、殿下は?」
「さっき夕食を届けたから、自室におられるかな。でも散々人に会って疲れておられるから、朝まで入らないでほしいとは言われてて」
「マジ?」

 セオの目線が扉前の騎士に向き、ジンは察した。知らない騎士ばかりに囲われ、普段以上の過労が募っているのだろう。

「ジンならメッセージで直接きいたら?」
「もう送ってるんだけど、既読つかなくてさ」
「それなら寝てる可能性あるね……」

 素直に返事が来るのを待とうとジンは、一旦は諦めることにする。

「ツバキ殿。警備の件を相談したいのだが……」
「警備でしたら、マグノリア閣下ですね。こちらへお呼び致しますので、今しばらくお待ちください」
「助かる」

 セオは、別宅の内線を介してセドリックを呼び出してくれた。現れた彼は、横につくジンをみて「ご苦労だった」と話し、カナトと話をすると言ってリビングから追い出されてしまう。夏旅行の際は、人数が少なく夜の警備も交代で回していたが、ほぼ定時ぴったりに業務から外されるのは、噂に聞いていた通りの「ミレット隊」だとも感心した。

148

 一旦部屋へ戻ったジンは、騎士服を脱ぎ、持ってきた荷物の整頓を行う。夏旅行の経験から遊ぶ時間はないだろうと娯楽品は全て首都に置いてきてしまい、手元には通信デバイスぐらいしかない。街に出かけるのも土地勘もなく帰れなくなりそうで、ジンは仕方なくベットへ横になり、ボーっと端末を見ていた。すると19時を回った頃合いにキリヤナギからメッセージの返信がくる。
 「寝てた」という返事は予想どおりで、ジンはネクタイだけを締めてキリヤナギの部屋へと向かった。部屋の入り口には、イルギスとリュウセイがいて、彼らはラフな服装のジンヘ少し驚く。

「タチバナさん、ですよね。どうかされましたか?」
「殿下と話に来たんですけど、入れます?」
「……その格好ではーー」
「リュー君。大丈夫だ。彼は殿下に許されていると俺の本能いっている!!」
「音量を下げろ、殿下がおきる」
「一応、許可もらってるんすけど……」

 少し驚いたリュウセイは、ジンが見せてきたデバイスのテキストログに困っていた。なぜ困るのかジンは首を傾げるが、思えばセオが「朝まで入らないでほしい」とキリヤナギの要望を聞いていたからだ。

「リュー君。悩む必要はないぞ!」
「黙れ、イルギス」

 真面目だと、ジンは逆に関心してしまう。リュウセイが困るのなら『今』である必要はないとも思い、ジンが立ち去ろうとすると扉の方から静かに開いた。

「ジン?」
「……殿下」
「入って」

 イルギスは堂々とし、リュウセイはギョッとしている。キリヤナギは気にした様子もなく、ジンのみを招き入れた。
 セオから運ばれた夕食は、ラップのみで手はつけられておらず起きたばかりと言うのがわかる。

「お疲れ様です」
「ジンもお疲れ様。ごめん。帰ったら一気に疲れが来て寝ちゃった」
「そんなに?」
「でも1時間ぐらい?」
「明日でも良かったのに……」
「夜寝れなくなる方が大変だし、寝るつもりなかったから……」

 よく見ると衣服も寝巻きではなく、ジャケットを脱ぎネクタイを解いただけだった。たしかにこのまま朝まで寝るのは不味かったとも同意できる。

「カミュさんと会いました」
「カミュ?」
「クレマチスの……」
「クレマチス? 来てたんだ。もう少し残ればよかった……」
「それが、ククちゃんの件でエニシダ町に来てほしいってーー」

 着替えようとしていたキリヤナギの手が止まる。その絶句した表情にジンは逆に驚いてしまった。

「それ本当?」
「はい。フュリクス君もそう言ってて……」

 考えこむ様子にジンは何が起こっているのかわからない。キリヤナギはよくわかって居ないジンに気づいてゆっくりと口を開いた。

「クク、カレンデュラ家から追い出されたみたいで……」
「え??」
「クリストファーさんから、娘は居ないって言われてさ。結局会えなかったんだ」

 ジンはしばらくぽかんとしていた。そして、カミュとフュリクスの意味深な態度に納得する。

「どうしようかな……」
「明日の、スケジュールは?」
「カナトと一緒に、エーデル社の見学があって、ツクシ町って聞いてるけど」

 カミュが提示したのは、エニシダ町だ。ジンは端末へ検索をかけて位置関係を調べるが、別宅の町からエニシダ町はかなり距離があり、ツクシ町とは逆方向にも見える。

「終わってからとかは?」
「それだと午後だね……、夕食を一緒にって話になってて」

 つまりカナトと共にカレンデュラ領を観光しようと約束している。ジンは少し考え、先程のカナトの状況から抜けられる可能性を考えた。

「午後から夜まで決まってます?」
「イリナが色々連れてってくれるみたい?」

 端末のスケジュールボードには、細かくどの時間にどの場所へゆくかが詳細に書かれていた。警備担当は、キリヤナギにイルギス、リュウセイ、リーシュ、イリナがつき、カナトへ、ジン、シズル、メリエ、ホライゾンがつく。

「セドリック副隊長いないんですね」
「うん、クラークとセドリックは、派遣騎士の業務につくみたい?」
「行きます? エニシダ町」
「えっ」
「カナト、なんか観光どころじゃない雰囲気なんで」

 ジンは、デバイスで先程分かれたカナトへとメッセージを送る。するとものの数分でガーデニアの装束を着崩した彼が現れた。
 ジンと変わらずイルギスの大きな声と、リュウセイの困惑が聞き取れてキリヤナギは呆れたようにカナトを招き入れる。

「ごめんね……」
「オウカは厳重だな。安心もするが」
「今回だけだけど……」

 「ふむ」と、カナトはキリヤナギが注いだお茶を啜っていた。彼はジンから一部始終とククリールの状況をカナトに伝える。

「ククちゃんに会いにエニシダ町いきたいんだけど、なんとかなんね?」
「少し残念だが。確かにそれはこちらも都合がいいい」
「本当に?」
「今日の時点で機器の入れ替えだけでは済まないことがわかった。私が来ているこのタイミングでどうにか目視で機器の状況を確認しなければならない」
「カナトが見に行くの?」
「それは明日、エーデル支社での会議で決める予定だ。何をするかなどの詳細な作業内容もきめなければならず、数時間でおわらないのは確実だな」

 キリヤナギはポカンとしていた。しかし、遊ぶ予定が『仕事がはいった』ならば仕方がない。

「じゃあキャンセルかな? セドリックに話さないと」
「既に報告済みだ。見学がなくなるのであれば、警備もメリエとホライゾンで事足りるので、キリヤナギのみで街を観光してほしいと伝えている。オウカの者達は送り迎えで構わないと」

 キリヤナギは、通信デバイスの大きい物を持ち出しスケジュールを確認していた。
まだ書き換え作業はされていないが、明日には報告されるだろう。

「スケジュールが開くなら行けそうですね」
「……うん。カナト、ごめん」
「お互い様だ。こちらも共に行けずすまない」

 今はお互いに目標がある。それぞれの目的と使命の為、2人はその日から別行動となった。
 キリヤナギの自室を出る際、相変わらず怪訝そうな目で見て来るリュウセイと、真っ白な歯が輝くイルギスに見送られ、ジンとカナトもその日を終えてゆく。
 そして次の日の早朝。セドリックより、ジンはカナトの護衛より外れキリヤナギの元へと回される事になった。

「イルギスとリュウセイは休み?」
「はい」
「なんでだろ?」
「なんでとは?」

 セオの疑問にキリヤナギはスケジュールを見ながら首を傾げた。
 セドリックらしくないとも思えるが、お茶を濁していると思えばしっくりもくる。あからさまに変えれば不満を呼ぶが、適度に配置すれば『王子の希望に答えた』と言う建前は作れるからだ。

「お二人とも今日休日だそうです」
「そっか。特に深い意味はないから気にしないで」
「かしこまりました。本日はアークヴィーチェ・エーデル社の見学は、カナトさんよりキャンセルされましたが……」
「エニシダ町に行きたいんだけど……」
「エニシダ町ですか。テロ警戒中の街ですが……、一応マグノリア閣下にお伝えしておきますね」
「反対されるかな?」
「警告はされるでしょう。しかし今更それは野暮ですよ」

 少しだけ過去の自分に戻ったように思え、キリヤナギは恥ずかしくなっていた。
 その日は一般に紛れ込めるようカジュアルな服装となり騎士達も私服で街へと繰り出す。セドリックから自動車の鍵を渡されるジンをキリヤナギは見ていた。

「ジンが運転?」
「え、はい……」
「カレンデュラは首都ほど自動車も多く無いので練習には丁度いい。殿下を任せたよ」
「この初心者のマークつけましょうか?」
「あぁ、忘れないようにね」

 イリナの提案にジンは少し恥ずかしそうにしている。緑の磁気付きのシートは免許を習得して一年未満のドライバーがつけるものだ。
 その日の自動車は、キリヤナギが普段乗る公用車とは違い、かなり一般的な様式をしていて民間に気づかれないようにする、まさに「お忍び用」にも見える。

「シズルさん。本日はよろしくお願いしますね」
「イ、イリナさん。よろしくお願いします!」
「騎士は3人?」

 集合したガレージ前には、ジン、イリナ、シズル、セドリック、キリヤナギしかいない。セドリックは、このあと仕事があり同行はしないと聞いている。

「リーシュ」
「ひぇ……」

 真後ろの影になる位置へ彼女は隠れていた。セドリックに名前を呼ばれた彼女は、恐る恐る姿を見せてキリヤナギは、思わずホッとしてしまう。

「今日はよろしく。リーシュ」
「よよ、よよ、よろしく、お願いします!」

 乗り込んだ5名は、セドリックに見送られジンの運転のもとでエニシダ町を目指す。カレンデュラ出身のイリナ・ササノは、初心者のジンをサポートしながら、目的地へと誘導してくれていた。
 トサミズキ町とは距離のあるなエニシダ町は、車両が少ないと言われたトサミズキ町よりもさらに道が空いていてスムーズに目的地へとたどり着く。
 ジンとイリナが誘導されたのは、建物の多い都市部とは違い、田んぼや丘などがみえる開けた場所で、その風景は首都のツツジ町にも近くジンは少しだけ親近感も得ていた。

「この先ですね」

 突き当たりは壁だった。先まで来ると左は行き止まりで入り口があり、クレマチスの花が植えられている。
 ジンはあらかじめ案内されていた脇の車庫へ自動車を入れていると、入り口から女性が姿をみせた。

「タチバナさん! こんにちは」
「カミュさん。どうも……」
「殿下はーー」

 シズルに扉を開けられ、キリヤナギが姿を見せるとカミュは顔を真っ赤にして頭を下げる。

 クレマチス家の玄関は、タチバナ家とは違い、近代的な入り口をしていて塀の中には昔ながらの家屋が立っていた。
 敷地内の脇には『タチバナ家』と同じく道場があり、まさに最近でも使われているのか道着や模造刀が置かれている。

「でっか……ここに住んでる?」
「ううん。ここは叔父さん家」
「え?」
「僕らの家はあっち」

 フュリクスが指差した先には、母屋の隣に近代的な二階建ての家が建っていて驚いた。
 見える範囲でも広い敷地内へ三つの建物が立っていることにイリナとシズルが言葉を失って驚いている。

「うち道場は、弟叔父さんが継いだんだ。だから、母屋は叔父さん家」
「へ、へぇ……」
「タチバナは?」
「うちもう看板畳んでて……」
「え?! 道場破りできないじゃん!」
「ど……」
「フューリ!! なんて事いうの!!」

 フュリクスがむすっとしていて、聞いていたキリヤナギも苦笑していた。目の前の母屋へと案内されるかと思えば、5人は脇に反れ、母屋の奥にある離れへと案内される。廊下から続いているもう一つの建物は玄関もあって正に来客用の家にも見えた。
 その離のなかへカミュは5名を案内し、キリヤナギのみを2階へと連れてゆく。

「タチバナ、ちょっと街にきてよ」
「え?」
「王子時間かかりそうだし……」
「仕事中なんだけど」
「ジンさん、大丈夫ですよ。我々が代わりに居ますから」
「シズルさん……」
「名門のお二人なのですよね。必要であれば呼びますのでお気になさらず」

 上品に笑うイリナに戸惑うが、ジンはフュリクスに手を引かれ、彼らの自宅付近まで連れて行かれた。そして、自分でペダルを漕ぐタイプの乗り物、自転車を持って来られる。

「乗って、僕後ろに乗るし」
「え、どっかいくんです?」
「電気屋」
「えーー……」
「早く」

 断る前に、ジンはサドルへと乗せられた。よく見ると手元に電動操作のパネルがあり、電動自転車だとわかる。

「行こ」

 背中側に立ち乗りするのは、まるで学生のようだ。背中を叩かれたジンは、戸惑いながらもフュリクスの案内で、クレマチス家を出掛けてゆく。

 ゆっくりと襖が開けられた先に、彼女はいた。窓際の椅子の上へ腰を下ろし、こちらに気づいていないように外を眺めている。シンプルな和装を纏う彼女は、公爵家であった時とは雰囲気が違い、思わず別人にも思えてしまう。その上でキリヤナギは、もう一度彼女に出会えた事がまず嬉しくて仕方がなかった。

「カミュ、ごめん。少しだけ外してもらえるかな?」
「は、はい。私は下の居間におりますので、いつでもお呼びください」

 カミュは正座から礼をして、静かに階段を降りてゆく。キリヤナギはこちらを振り向かないククリールへと歩み寄り、同じように外を眺めた。
 彼女は、木の上に泊まる数匹の野鳥を眺めていて、彼らは気の葉を啄んで遊び、風が吹くとまるで何かに気づいたように飛び立って空へと消えてゆく。

「どうして、来たの?」

 目を合わせずに問われ、キリヤナギは少しだけ嬉しかった。それは開口一番に「帰れ」と言われても仕方がないと思っていたから、

「僕が、顔を見たかっただけだよ」
「……物好きなのね」
「『友達』だからね」

 ククリールは、目に涙を溜めていた。しかし、堪えたまま真っ直ぐに此方へと向き合う。

「助けて欲しいの……!」
「!」

 まるで懇願するようなその表情にキリヤナギは、しばらく返事ができなかった。

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