初恋のおわりのうた アウトロ ─溜めこんだ涙が腐ってしまう前に─

 

〈オウカ町郊外 駅前 朝〉

 待ち人来たりて、

「よ」

「おう」

軽く挨拶を交わした後、アステガとユリアは待ち合わせ場所である駅入り口から商店街に向かって歩き出す。

 オウカ町郊外の空は晴れ。穏やかな午前の日差しと秋特有の閑寂な空気の中。黄金に色づいた街路樹から落ちた葉が点在する歩道。

 そこを二人並んで進む。車道を通り過ぎる車が扇いで寄越す風の冷たさに、冬の足音がもうすぐそこにまで迫っていることを感じさせた。いつものパーカー姿では身に堪えるのだろう。吹かれる度にユリアは顔をしかめ、肩を窄めて「うー」と唸る。その様を横目で見てアステガは苦笑を噛み殺した。随分情緒豊かになったものだと。

「アヅキさん、私達二人を呼び出すとか何の用事なんだろ」

「俺が知るか。テメェが振った女をわざわざ振った場所まで呼びつけるなんざいい度胸している」

「私の目の前でそれ言うあんたも大概だよ。配慮して配慮」

「配慮が必要な奴が配慮しろなんて言うか?」

「はークソ。それより今日も帰りダーツやろうよ。昨日の面白かった」

「金あんのか?」

「……ギリ」

「ならやめとけ」

 雑談を交わしながら歩く。互いに互いの愚かさを知っているからか、そのやり取りに遠慮はない。しかしそこには確かな誼みがあった。

 あれから──あの文化祭での出来事から、ユリアは自室に引きこもることをやめた。

 アステガの周りを巻き込んでの無鉄砲は、ユリアに自身の幼さと、自分のために必死になれる存在を自覚させた。もはややめる理由がないからと塞ぎこんでいただけだったユリアにとって、その事実は現実と向き合うきっかけとして十分にファクター足りえるものだった。

 実際のところ、アステガが体を張らずともユリアはいずれ一人で立ち上がり歩き出すことはできたかもしれない。しかし今の気軽な友人としての関係はそれなしではありえなかっただろう。また、アステガの自己に対する疑問に決着がつくこともなかったはずだ。

 しばらく歩いた先で、見えてきた商店街のアーケード屋根の下に入る。いつかの夜に二人が謎の男たちの襲撃に遭ったあの商店街。

「大丈夫か?」

「ここでは配慮するんだ?」

「そうかよ」

 恐怖体験が心的外傷として残っていないかというアステガの気遣いをユリアは要らぬ世話だと言うかのように茶化す。歩みは止まらない。

 当然のことながら、夜と比べると街中の雰囲気は別物であった。

 活気に溢れていると表現する程ではないにせよ、絶えることのない人の往来と商いの気配で彩られたその空間は、どこか人々の日常に寄り添うような温かみを感じさせる。

 珍しいものを見るように辺りを見回しながら歩くユリアの様子をアステガは気にしない。ただ黙って歩く速さを合わせる。

 初めて通る道ではないにせよ、ユリアにとっては初めて意識を向ける光景だ。アヅキにばかり執着していた彼女にとって、それを失くしたあとの世界は見るものすべてが新しいものだらけなのである。

 友人と雑談し、自分の関心を惹くものに興味を示し、自分の好きなことを知る。

 こんな普通の人間にとっての幸せを謳歌できるようになったことこそが、ユリアという人間が己の成長を止めていた恋という鎖をようやく断ち切ることができたことの証明だ。

 それを理解しているからアステガは急かすようなことはしない。置いていくこともしない。

 ゆっくりと進む。時折気になった店に立ち止まったり、商品を見て回る彼女の歩幅に合わせながら。ゆっくりと。ゆらゆらと。

 そのうち目的の喫茶店へと辿りつく。アヅキが話があるとして、腰を落ち着ける場として指定した喫茶店。

「ついたぜ」

「ん」

 周囲ばかり気にして目的地を見失っていたユリアをアステガは呼び止める。

 入口の扉の前に並んで立つ。この向こうには、二人を呼び出した本人が待っているはずだ。

「行くぞ」

 看板を前にしてアステガは言う。それにユリアは何も言わずに頷いた。

 いくら想うことは無くなったとはいえ、長年の習慣はそう簡単に抜けないらしい。話し辛い相手であることは変わらないようで、緊張からか顔が強張ってしまっている。

 話らしい話になればいいが、と不安になりながらアステガはドアノブに手をかけた。

 カランコロンと鈴の音を立てて扉は開く。珈琲の香りとフロアスタッフの挨拶が優しく二人を迎えた。あの時と変わらぬ暖色の光と穏やかな音楽に包まれた店内。見渡せばアヅキの姿はすぐに見つかった。入口から見て奥まったところにある窓際のテーブル席に一人。見慣れた紺の和服姿で、しかし今日は珍しく隣の席に濡羽色のコートをかけている。向こうもこちらに気づいたようで、右手を少し挙げて微笑う。

「やあ、二人とも来てくれてありがとう」

「いえ!」

「前置きはいらねえ。俺達に何の用だ?」

 アヅキの挨拶には応えず、向かいの椅子に座りながらアステガは本題を促す。ユリアも倣うようにアステガの隣に座る。

「それがね、僕は今日この国を出るんだ。だからその前に二人には話すべきことを全て伝えようと思ってね」

「────」

「────」

 突然過ぎる出国宣言に聞いた二人の時間が止まる。笑顔を崩さずにアヅキは続けた。

「この国を出なきゃならない理由と、これを君たちに伝えなきゃならない責任が僕にはあるんだ。聞いてくれるね?」

 

 

 アヅキの口から語られたのは、あまりにも現実離れした彼の半生だった。

 まず、アヅキは桜花国の民ではないこと。

 アヅキは出身国の元軍人で、桜花国にはかつてスパイとして潜入したということ。その目的はこの国に存在する異能の力、『王の力』の入手とその解析にあったということ。

 任務を進めながら桜花国で生活していくうちに、出会った一人の女性と愛し合ってしまったこと。

 その女性と共にあるために故郷を裏切り、桜花国で生きていくことにしたこと。

 裏切り者のスパイという危険な存在を許さなかったアヅキの故郷が、アヅキを消すための刺客を送ってきたこと。

「その刺客を撃退することには成功した。だがその争いの中で彼女の命は犠牲になった。もう故郷とは縁が切れたと油断して一般人として生活していた僕の人間関係は奴らに筒抜けだった。僕を無力化するために、特に親しかった彼女は真っ先に狙われた」

「…………なるほどな」

「そうだ、アステガ。その女性こそが君の母親だ。……彼女は、君のお母さんは、僕が殺したも同然だ」

「あ…………」

「ユリアちゃん。君にも説明しなければならない理由がこれでわかったかな。少し前にこの商店街で君たちを襲ったのもまた、僕に差し向けられた刺客だったんだよ。君たちの命を危険に晒してしまったのもまた僕のせいなんだ」

 懺悔するようにアヅキは話し続ける。

 それから二度と同じことが起こらないようにと、なるべく姿を隠しながら生活するようにしたこと。家に居着かずに月に一度程度しか帰れなかったのも仕事の関係などではなく、それが理由だったということ。

 そのためにアステガを長い間一人きりにしてしまっていたこと。

 一度だけアステガの通う学校に怪しい人間がいないか確認しようと授業参観の日を利用して学校内を見回ったのが、結果的にユリアを巻き込むきっかけになってしまったこと。

 集めた『王の力』のうちの一つを使って常に怪しい人間がいないか周囲を警戒していたのに、以前この喫茶店でユリアと話をした時にその能力を解いてしまっていたこと。そしてそれによって刺客の察知が遅れてしまい二人を危険に晒したこと。

 アステガとユリアを狙ったその刺客四人は、既にアヅキが殺したためもうこの世にいないこと。

「つまり君たちにここまで降りかかったすべての不幸の元凶は僕だったということだ。謝って許されたいとは思わない。だが、本当にすまなかった」

「────」

「────」

 聞かされた二人は沈黙するしかなかった。言っている言葉は理解できても、その内容が非日常的過ぎて反応を返せない。これでは許すことも許さないこともできそうもない。

 しかしアステガにはその言葉が嘘ではないという確信があった。現実に自分達二人が襲われたこと。襲われた二人の持つ共通点がアヅキにしかないということ。その事実が、語っている内容が真実であることを裏付けている。

「その罪滅ぼしではないけれど、僕は故郷へ帰ることにした。君たち二人の存在がついに奴らに知られた以上、刺客を送る意味を無にする以外に君たちを護る術はないと思うから」

「帰ってどうする?」

「国を良くするための戦いをするよ。そのための同志は逃亡生活中に募った。あの国では昔から悪政が布かれてきたからね。共に戦ってくれる人間を見つけるのはそう難しいことじゃあなかった」

 聞こえはいいが、それは国を運営する側から見れば反乱と呼べる行為ではないのか──そんな言葉が喉から出かかったのを抑える。自分達の身の安全を優先して戦地へと向かおうとするアヅキを黙って見送るべきなのか、引き留めるべきなのか、アステガには判断がつかなかった。

 ……ただ、そういうことならばはっきり解せないことが一つある。

「何故今なんだ?」

「ん?」

「俺達が襲われてから今まで悠長に構えてたくせして何故今頃になってかって言ってんだよ」

 アヅキが言うことが事実であれば、アステガとユリアが襲撃を受けたあとすぐにでも帰国するべきだったはずだ。なのにそうしなかったのは何故か。

「それは……僕が消えても君には頼れる人が他にいるという事実に、あのライブを見て気づけたからだ。正直言うと嬉しくてちょっと泣いた」

「────」

「ああ、それにしても成長を見てばかりで父親らしいことを最後まで何一つしてあげられなかったのは、心残りだな」

「なら脚折ってでも止めんぞ」

「!」

 名状し難い感情に溢れて反応できていなかった心が、明確な怒りに染まる。これで最後とでも言いたげなその口ぶりだけは許せない。許してはいけないと思った。

 満足に親ができていなかった自覚があるなら、それについてすまないと思っているなら、こんな話よりも果たすべき責任が他にあるだろうが──!

「戦って、勝って、帰ってくるんだろ。戯れんなクソ親父」

「あ────うん。そうだ。……そうだね。ありがとう」

「あの……」

 それまでずっと静かに話を聞いていたユリアがおずおずと口を開く。

 アステガは黙る。きっとユリアの方がよほど言いたいことがあるだろうと。アヅキも、ユリアを見てその言葉を聴く。

「すべての不幸の元凶ってアヅキさんは言いましたけど、これは取り消してほしいです」

「それはどういうことだろう」

「私がアヅキさんと出会ったことまで不幸だったって決めつけないでください」

「!」

 言われ、アヅキははっとする。

 ユリアの恋は決して健全と言えるものではなかった。欲に塗れた自分本位の暴走でしかなかった。

 これは本人も自覚し、自省したところだったが、それでもこれまでのユリアの人生の時間の大半はその恋に捧げられたもの。

 大きな失敗として思い出になるのはいい。仮に二人が出会っていなければ、もっと別の幸せな人生が歩めていたのかもしれない。しかし、その恋を否定するのは今の自分だからこそ手にできているもの──例えば、こうして確かに存在しているアステガとの関係だとか──までも、否定してしまうということだとユリアは感じたのだ。

「間違いだらけの恋でしたが、だから今の私があるんです。だから、勝手に不幸だなんて言って謝ったりしないでください。お願いします」

「────」

“間違いだらけの恋でしたが、だから今の私があるんです”

 ユリアの言葉がアヅキの頭に反響する。

 思えば妻は、今際の際で自分と出会ったことを後悔しただろうか。

 今となっては確認する術もないが、言われてみればその出会いを後悔するのはこうしてここにいるアステガの存在まで否定してしまうことかもしれない。

 なるほど、それは許すまい。きっとありえないな。

 そうか、僕は君と出会ったことを悔いなくていいのか。

 後悔だらけの人生だったが、その中でもひと際大きな後悔が心から消え失せたのを感じる。こんな簡単なことを一回り以上年下の人間に教えられるとは。

「フッ、フフフッ」

「わ、笑うことないじゃないですか」

「ああ、ごめんごめん。そうか……君の言う通りだね。訂正するよ。そしてありがとう。君の言葉のおかげで僕も救われた」

「え?」

「こっちの話さ。フフフフッ」

 尚もアヅキは愉快そうに笑う。そういえば、久しく笑い方を忘れていたような気がする。

 アステガも、ユリアも、アヅキが声に出して笑う姿を見るのは初めてだった。その笑顔の訳がわからないのも、常に影があるような男が今こうして晴れやかな笑顔を湛えていることにも困惑する。

 ひとしきり笑ったあとで彼が見せた表情は、どこか憑き物が落ちたようだった。

「さて、そろそろ出発する時間だ。二人とも今日はありがとう。そしてまた会う日まで、元気で」

 アヅキは立ち上がり、席にかけていたコートを手に取りながら言う。そして対面の二人に向けて逆の手を差し出し握手を求める。

 無言でそれに応じながらアステガは思う。

 ユリアだけではない。ここにいる三人は全員が間違いだらけだった。

 間違いだらけの人間同士の間違った想いのすれ違いだった。

 しかしそれはこれで過去の話だ。各々が各々の抱えた問題を解き明かし、ようやく過去にすることができた。

 もしかしたらこれから先、俺達は性懲りも無く同じ間違いを何度も繰り返すかもしれない。

 それでもいつか『次』へと進むことができるならば、それを喜ばしく思うべきだろう。

 停滞していた『今』を終わらせたことが、無駄であるはずはない。

 それを象徴するように、ユリアがアヅキと握手して言う。

「お元気で。私、あなたのことが好きでした」

 

 初恋のおわりのうた 終

 

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