王子が旅行から戻り、夏の王宮には数ヶ月ぶりの平和が訪れていた。
アカツキ・タチバナ主導の王宮での工作員掃討作戦とシダレ王の恩赦があると知った工作員達は、セシルやクラークが怪しんでいた者から順に投降。また回収した飛行機も外装がガーデニア製のものへ偽装されていたことが判明し、危惧されていたガーデニアとの戦争も一先ずは回避される事となった。
これにより騎士団は、解決には至らずとも一旦収束に向かっていると結論づけ、従者達は久しぶりの平和な業務に励んでいる。
しかし、安全となった王宮へ戻ってきた王子は驚くほど大人しく、出掛けたいと言う声もなければ、王宮内の散歩にも行きたがらない、これは王子専属の特殊親衛隊達にとっては言わば「仕事のない」日々が続くことと同じだった。
セオとジンは、リビングにグランジを残し二人で事務作業へと励むが、午後になった所でジンが電子端末を前に項垂れる。
「あ”〜、体うごがねぇ……」
「ジン、あんまり無理するものじゃないよ?」
体うけた毒は、ほぼ体内から排出はされたが、神経毒であったことで未だに両腕に痺れが残っている。
医師は若いため動かして慣らせば改善するとも言うが、この僅かにのこる痺れのせいで、グランジに勝てないばかりか、事務作業にも倍以上の時間がかかっていた。
「本当、ジンはよくやってくれたよ」
「俺は当たり前と言うか。ヴァルサスさんには、申し訳なかった……」
ローズマリー領にて敵と対面した時、ジンはヴァルサスを助けられないと最悪諦める覚悟でいた。
敵が撃たないよう牽制を行いつつ、最悪ヴァルサスが撃たれれば、キリヤナギを担いで逃げるしか無いと考えていたが、彼が撃たれる代わり、敵であったはずの女性、マリアが寝返ったのだ。
告白の一部始終を見ていたジンだったが、「本当の工作員」だったならあり得ない行動に驚き、救われたヴァルサスの命を無駄にしてはならないと飛び出した。
「グランジさんなら、もう少しうまくやったんだろうなぁ……」
ジンは、向かっているセシルとセスナに連絡をとるタイミングがなかったのだ。つまり合流を確認する前に飛び出し、一時的にもキリヤナギの護衛から離脱したとも言える。
うーん、うなだれるジンに、セオは苦笑する。お茶を淹れてくれた彼は、コーヒーを飲まないジンの好みをよく分かっていた。
「っていうか、時々部屋に篭るって聞いてたけど、殿下、マジででてこないんだな……」
「……うん。今回はちゃんと食事取ってくれてるからいいかなって」
旅行から帰ってからと言うもの、キリヤナギは「疲れた」といって、もう1週間は部屋から出てこない。必要最低限の生活はしているが、それ以外の時間はほぼ寝て過ごし、起きている気配もないからだ。
「まさか、本当にずっと寝てるとは思わなかった……」
「起こさないと起きないから、本当ほっといたら死ぬまで寝続けそうで怖いかな……」
キリヤナギは起きない。
それでこそ夜眠り、朝起こされ、決められたことをこなしはするが、自由時間の全てを眠って過ごしている。
普通それだけ眠れば、目が冴えて眠れないと思うのに、まるで関係がないと言うように眠り続けるため、話しか聞いていなかったジンには衝撃だった。
「去年から?」
「うん、……それまでは普通だったから、そっとしてたんだけど、何も食べないままそれなりに日数が経過してことの重大さに気づくっていう」
「なんでほっといたの?」
「誰にも会いたくないって、しばらくほっといてほしいっていわれてたから、僕らも言う事を聞くしか出来ることがなかった。その時は僕もまだここの事務員兼使用人で、グランジもタチバナ隊にいたからね」
宮廷特殊親衛隊は、騎士団とは別枠として扱われており、その地位は、所属すれば使用人であっても騎士階級として扱われる。
つまり去年までのセオは、騎士ではなく使用人としてキリヤナギに仕えていたために、前任の親衛隊の騎士達に逆らうことができなかったのだ。
去年の今頃のグランジ、セオ、ジンは、キリヤナギの幼馴染でありながらも、三人とも違う場所にいて、それをまとめたのはセシルだ。
彼は3人をまとめ直し、自身の隊の穏やかで偏見のないセスナと妹のラグドール、ヒナギクを連れてきた。当時7人とされていたところへ、王妃がジンの従兄弟にあたるもう1人の幼馴染、リュウドを抜粋し8名の親衛隊が揃う。
「つーか、よく俺の存在知ってたなって、普通えらばなくね? 仲良いの知ってるのセオとグランジさんぐらいだったし?」
「それは僕のせいかな、編成する前に殿下と親しい騎士を教えろってここに来てくれたんだよ。でも3人じゃ流石に大変だからって他に四人ぐらい連れてくるけど許せって」
「へぇー……」
「タチバナ隊のグランジを引き抜いてくれたのは感謝しかないかな」
「俺も外国にいたのに……」
本来騎士学校を卒業すればそのまま何処かの隊へ配属されるのに、ジンはどこにも配属されず、何故か王妃の勅命だとアークヴィーチェになった。
それでこそジンの父アカツキは、かつて王直属の親衛隊に配属されていたのに、ジンだけはまるで扱いが左遷のようで聞いた時はそこそこショックだった。
キリヤナギの事情を聞いても建前にしか思えず、騎士長を世襲させないために根回しをされたのだろうと思っていたが、想像以上に抜け出してカナトへ会いにくる彼に当時は驚きもしていた。
右手はまだ痺れているが、キリヤナギの辛さを思うと何ができるだろうと思う。
キリヤナギは敵であったマリアの良心をずっと信じていたのだ。彼女にはきっと理由があるとし、その気持ちをヴァルサスだけに話して助けようとしていた。
騎士なら話されても確かに誰も納得しないだろう。命を狙われた相手に同情するなど、本来ならあってはならず近づけてはならないと言う判断もされかねない。だが、そんな危惧を裏切るかのように、マリアは自分からヴァルサスを庇って犠牲になった。
きっと良心があり救いたいと願っていた彼女が、大切な友達を庇って死んだ現実に、ジンはどれほどの辛さがあったか想像も出来ない。
「殿下。訓練誘ったらきてくれるかな?」
「僕は説得力ないけど、ジンなら来てくれるんじゃないかな? 体戻すためって言えば断れないだろうし、気分転換になるかも」
「じゃ、ちょっと中庭にいってくる」
「殿下も訛ってるだろうし、無理させないでね」
ジンはそう言って上着を羽織り、事務所をでてリビングへと向かった。リビングにはグランジがいて、一人待機して本を読んでいる。
気にせず謁見にむかうものの、ノックしても返事はなくそっと中へ入った。寝ているのだろうとベッドへ向かうと、膨らみはいつも脇に置かれているクッションで、そこには誰も寝ていない。
焦って部屋を見回し、浴室やクローゼットに隠れてもおらず唯一窓の鍵が開いていて衝撃を受けた。ジンは一気に背筋が冷え、グランジと共に大急ぎで事務所へと戻る。
@
キリヤナギは、久しぶりに抜け出して街にいた。
旅行から帰ってからずっと眠くて、眠りたいだけ寝ていたのだが、今日はとてもいい天気で少しだけ外の空気を吸いたいとも思ったのだ。
久しぶりに行きたい場所も思い出し、洋装に着替えたキリヤナギは、ベランダから下の階の手すりに足をかけて降りる、植木の間から王宮の裏手に出るとロックが雑な通用口があり、そこを通って城壁の外へとでた。数日寝てばかりいて身体はかなり訛ってはいたが、外に出ると広場は開けていて気持ちがとても軽くなる。ジンや親衛隊の皆には悪いが、今日は誰にも邪魔されず一人で出かけたかった。
デバイスで時刻表をしらべ、キリヤナギは電子通貨カードでバスへと乗り込む。ラグドールにもらった帽子をかぶると、うまく紛れ込めたのか、皆キリヤナギに気づいた様子はなく警戒しながらも慎重にバスを乗り継いだ。
そして1時間ほどゆられた場所は、首都にありながらも未だオウカの文化家屋のこるツツジ町。ここは畑も沢山ある住宅街で、道は未だ舗装されていない場所もそこそこある、言わば都市部の田舎と言う表現が近い場所だ。
畑沿いをデバイスの地図を見ながら歩いていると、虫網を持った少年と少女とすれ違ったり、遠くの丘を見つめる老人。畑の作物の手入れをする大人達もいる。
畑や田んぼにより開けた空は、都会の息苦しさから解放された気分にもなって心も落ち着いた。そしてバス停から15分ほど歩いた場所に、石の壁が現れ大きな門へと辿り着く。
キリヤナギにとってここはとても久しぶりだった。ある日を堺にあまり来てはいけないと言われた場所だが、それでも父に連れられてきた記憶が沢山ある。表札に【断花】と書かれた門の呼び鈴を鳴らすと、女性の声で「どうぞー」と返事が響いた。
大きな門であるにもかかわらず、扉は全開で奥には引き戸の入り口があるそこは、タチバナ家の本家。ジン・タチバナの実家だった。
キリヤナギは門を慎重に跨ぎながら、引き戸を開け中へ入る。すると奥から女性が現れ、キリヤナギの顔を見て目を見開いた。
「え、キリ君!?」
「こんにちは……」
「久しぶり! お父さんいる?」
「ううん、僕一人……」
「本当に?! とりあえず上がって、おじいちゃーん! キリ君がきたー!」
家屋全体に響く声にキリヤナギは恥ずかしくなったが、彼女は昔のままでとても安心した。ツキハ・タチバナと言う彼女は、ジンの実母でアカツキの妻でもある。
上がってと言われた為、音を立てないように靴を脱いで上がると古い建物ならではの匂いがしてとても懐かしい。正面の玄関の古風なパーティションをぬけて、キリヤナギは和室へと向かうと、まるで怒鳴るような声が聞こえてきた。
「ツキハ! 真昼間から冗談は……」
正座してそっと仕切りを開けると、そこに言葉を発した老人がいた。雑誌を見ていた彼は、キリヤナギと目を合わせた瞬間メガネを外して確認する。
「殿下……?」
「こんにちは……カツラおじいちゃん」
カツラ・タチバナは、思わず傍に置いてある写真とキリヤナギを見比べ、言葉を失っている。しばらくじっと見つめ、座布団を弾いたカツラは、キリヤナギを和室へと引き込み向かいへと座らせた。
「騎士は?」
「僕一人で……」
「何故ここへ?」
「相談したいことあって……」
カツラはテーブルに肘をついて頭を抱えている。彼はキリヤナギの両肩を掴み詰め寄るように述べた。
「殿下! 我がタチバナはたしかに代々に仕える騎士の家系ではありますが、今この本家で戦えるのは、アカツキとジンのみでーー」
「キリ君、カキ氷食べる?」
突然入ってきたツキハに頷くと彼女は笑顔で再びキッチンへ戻っていった。向かいのカツラはキリヤナギを放してため息をつく。
「まぁ、ゆっくりしていきなされ」
カツラは諦めたように笑ってくれた。
縁側に座り、夏の日差しを受けながら食べるカキ氷は冷たくて懐かしくもなる。
ボーっと空を見上げるキリヤナギは、ここでの記憶をすこしだけ思い出していた。
「それで、相談とは?」
後ろからカツラに問われキリヤナギはしばらくは答えなかったが、空に飛ぶ鳥を見て我に帰り、口を開く。
「王子、辞めたいなって……」
縁側に吊るされる風鈴は風に靡いて美しい音色を奏でていた。
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「セオ! 殿下がいねぇ!」
「は?! 寝てたんじゃないの!?」
「部屋のどこ探しても居ないし、どうすんのこれ!」
「とりあえずジンに……ってここにいるじゃん!!」
「落ち着け……」
グランジに宥められ、ジンは動揺しながらもカナトへ通信をとばす、セオは頭を抱えながら、久しぶりにキリヤナギの脱走リストと書かれたノートを引っ張りだしていた。
「こうならない為に、ジンはカナトさんのとこにいたのにー!!」
「マジで居なくなるなんて思わないって!!」
グランジは冷静にグループ通信でキリヤナギの抜け出しを報告していた。今日はヒナギクが休日でモール街へ出掛けているらしく、見つけたら保護すると連絡される。
カナトへ連絡していたジンは、程なくして通信に出てくれた彼へ安堵した。
『ジン、どうした?』
「カナト! 殿下そっちいる?」
『来てないが……』
「マジ?」
セオがホワイトボードに行先リストを作成し、アークヴィーチェ、公園、大学、モール街、アゼリア卿の自宅と順番に書かれ、一番最初にアークヴィーチェに射線が引かれる。
「グランジ、あと他に候補ある?」
「その前に王宮内を探さないのか?」
ジンとセオが我に帰った。
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「それは継承権を放棄したい、と言う意味ですか?」
カツラの言葉に、キリヤナギは返答に困った。事務的に言うならそうなのだろうと思う。しかし、キリヤナギは一人息子でそれが不可能だとわかっていた。
返答に迷っているキリヤナギに、カツラは真剣な顔で続ける。
「続けるようで失礼致しますが、殿下はこのオウカにおいて唯一無二の王族。継承権の破棄を望まれてもそれが実現することはないかと」
「うん……それは、わかってる」
「では何故?」
「誰が敵で、誰が味方か、分からなくて……」
「……!」
「もう誰も疑いたくないから、辞めたら、友達だけが残ってくれるかなって……」
カツラはどう返答すればいいか分からず、眉を顰めた。そして現王シダレの若い頃を思い出され、心に矢が刺さるような感覚を得る。彼もまた王子であった時代に兄を殺害され、弟を失い、同じような言葉を吐露していたからだ。
「殿下が何を願おうとも、神より降ろされた力がある限り、殿下に変わりはおりません。どうかその生まれに誇りを持ち、使命を真っ当されて下さい」
「……おじいちゃん」
「……!」
「もう疲れちゃった……」
どんな時も「はい」としか返答がゆるされない言葉に思わず本音が出てしまう。かつてキリヤナギは、ここでジンと共に「タチバナ」を学んでいた。
何歳であったかはもう記憶も定かではないが、数年間とても楽しく通っていたのに、ある日、怪我をしてから回数を減らされ、以降は王宮でやることになってしまった。
それ以降も父と共に顔を見せていたが、警備方針の変更でここに来るにも護衛がふえて来づらくなり、今日は数年ぶりに足を運んだ。
「なら、その疲れが癒えるまで休めばいい」
「え」
「全て捨てることはできません。しかし人は休む事ができます。肩書きを一時的に置き、自由にするのは悪いことではない」
「……そんな事、できるかな?」
「ははは、周りの理解は必要ですがな、その願望を叶えてくれる皆がおれば大丈夫でしょう」
「カツラおじいちゃんは、協力してくれる?」
「私でよろしければ」
「……! ありがとう」
少しだけ肩の荷が降りる感覚を得た。気持ちが楽になって、空を見上げていると再びツキハがエプロン姿で現れる。
「キリ君。晩御飯たべてく?」
「いいんですか?」
「今おばあちゃんが、サークル終わって買い物してるから、キリ君いるなら多めに買って帰ってくれると思うの」
ふと母のことを思い出した。キリヤナギはデバイスを取り出したが、連れ戻される未来が見え、そのままポケットへと戻す。
「頂いていいですか?」
「もちろん! ゆっくりしていってね」
「おい、いつまでお名前でお呼びしている。せめて様をつけよ」
「おじいちゃん、僕、そのままがいいから」
「殿下……」
「ここに来たら、少しだけ『王子』を忘れれるきがして、ありがたくて……」
「……そうでしたか。では私もせめてキリ様とお呼びしましょう」
「うん」
タチバナの家には未だ喧しいほど虫の声が響く。
@
「居ないねぇ」
一通り王宮を探し終えたセシルは、玄関口で消沈するセオとジンに同情にも近いトーンでのべた。使用人にアナウンスしても見かけたと言う声は届かず、ストレリチア隊の数名に手伝ってもらい自分の目で探したのに見つからない。
探せば探すほど王宮内にいない事が証明されて、セオとジンは項垂れるしか無かった。
「メッセージは?」
「しつこく送ってるんですが、見ているか分からず……、迷子用の位置情報アプリもなぜか機能しないんです」
「うーん、これは久しぶりの大捜索かな?」
ヒナギクもモール街をみて回っていたらしいが結局見当たらず、足取りも全く掴めないため、皆は外へと捜索を広げてみることにした。
公園や林の中、大学までゆき、アークヴィーチェにも足を運んだがやはりいない。
カナトにアプリが機能しないことを相談すると、初回起動時に位置情報を送信する許可を出さなければいけないらしく、セオはこの上ない失態を悔いた。
ここで一日見つからなければ、誘拐の可能性もでてきて笑えず、またセシルがどうなるかも分からない。しかし、隊長の彼は特に気にした様子もなく、むしろ疑問に思っているようだった。
「旅行を終えて休まれていたはずの殿下が、何で今になって出かけようと思ったんだろうね? 不満があったのかな?」
「それは?」
「ジンもいるのに声をかけないのは、一人になりたかったのかなって思ってね」
セシルの推測に、セオとジンはようやく落ち着きが戻ってくる。たしかに、今のキリヤナギはそれなりに自由なはずなのだ。
旅行にもいけて、セオもジンもグランジも周りにいる。遠慮の壁が限りなく薄い3人へ頼らず出かけるのは、頼りたくないと思える程の何かがあったのか、それとも夜会の時のように「一人になりたかった」からだろう。
「一人になりたい時に行く場所に覚えはない?」
どこだろうと、3人は必死に考えた。公園は候補にあがるが居なかった。林の中にも居らず、ジンがうーんと悩み込んでいると、ふと子供の頃、実家の縁側に座るシダレ王の記憶がよぎった。アカツキと話す王の隣にカキ氷を食べるキリヤナギがいる。
「俺の実家?」
「タチバナ?」
「いいんじゃない? 連絡してみる価値はあると思うよ」
ジンはすぐにデバイスを取り出し自分の実家へ連絡を飛ばした。
@
アカツキは、珍しく定時で業務を終え、自動車で自宅へと戻っていた。ツツジ町にあるタチバナ家は、王宮を構えるオウカ町からそれなりに距離はあるが、自動車があればそこまで時間がかからず帰宅ができる。
今日は、たまたま業務が早く終わり長く残っても皆が帰れないと言う判断から、定時には切り上げて帰路へついた。
日が沈む前に業務をおえるのは久しぶりで、自動車を止めて普段通り帰宅すると居間の方が何故か普段より賑やかで、弟の存在をよぎらせる。
アカツキの弟、アーヴィング・タチバナは、王宮での事務員として仕えていて週末になると時々顔を見せにくるからだ。
「ただい……」
「おかえりなさい。アカツキさん」
ツキハの優しい声にアカツキは安心したが、それより先に目があった相手に思わず反応ができなかった。
ジンと年が近く、穏やかな顔立ちの彼は、祖父と祖母に囲われて夕食をたべている。
「殿下ーー!!」
「キリ君がきてくれたの!」
「アカツキ、おかえり」
「何故おられるのですか!」
「え、遊びに来て……」
「護衛は?」
「僕一人……」
顔に手を当てる様は、先程のカツラと同じで、キリヤナギは親子だと少し感心した。
「王宮に連絡はされましたか?」
「してない……」
「わかりました、今から私が連絡をして参りますので……」
「えっ、やだ……」
「皆が心配します。ここは無事だけでも……」
話している間に、タチバナ家の固定デバイスが呼び鈴を鳴らし、ツキハが取りにいった。相手はジンで、彼女は楽しそうに話している。
「キリ君。ジンが今日帰ってくるって」
「えぇー……」
「そうなるだろうな。ジンに伝わったなら大丈夫だろう」
「帰りたくない……」
「殿下。皆心配していますから、ここは」
「『王子』お休みするから」
目を合わせなくなり、アカツキは呆然としていた。見ていたカツラは思わず吹き出して笑う。
「『王子』をやるのが疲れたそうだ。多少ならいいんじゃないか?」
「父さんそれは……」
「アンタも硬くなったねぇ。休みたいって言ってるなら休ませてあげてもいいじゃないか」
「母さん、そう言う意味ではなく……」
戸惑うアカツキに、キリヤナギは未だ目を合わせようとしない。彼は真剣にキリヤナギと向き合いながら、堂々と口を開く。
「例え『王子』を休まれたとしても、『敵』にとって貴方は、この国にいるだった一人の『王子』なのです。何かあれば国が滅ぶどころでは済まず多くの人々が……」
「よせ、アカツキ」
「父さん……?」
「わかっておるよ。その子は」
ふとキリヤナギをみると、その態度はまるで諦めたような雰囲気もあり、アカツキは続ける言葉が思いつかなくなった。
当たり前の決まりを当たり前に指摘され、結局抗えないのだという表情は、ちょうど去年、寝込んでしまっていた時と同じだったからだ。
だが、騎士である限り、アカツキは「そう」としか言えず、彼は一度、キリヤナギを放して居間を出ていった。そして部屋着に着替えて戻ってくる。
「言うべき事は話しました。あとは貴方とジンの判断に任せます」
「アカツキ……?」
「それでいい」
テーブルの上には、祖母のハヅキがお酒を出してくれる。アカツキはキリヤナギの隣に腰を下ろし、配膳された夕食へと手をつけた。
「ありがとう」
「……我々騎士は、こうして『騎士』という称号を脱ぐ事ができますが……殿下には、それがありません」
「……!」
「ここで羽を伸ばせるのならどうか存分に、選んでいただけたなら光栄です」
「うん……」
ふとお味噌汁を啜ると、久しぶりに味がしてとても美味しかった。
夕食をおえて、キリヤナギは四人と共にお茶を飲みながらテレビをみていると、賑やかなクイズ番組が終わって、ニュース番組が始まる。今日の出来事が一通り解説された後、突然明るい雰囲気になって、先日の旅行時のビーチバレー動画が放送されて固まった。
「視聴者提供」と書かれていて、思わず顔が真っ赤になる。
「は、恥ずかしい……」
「キリ君かっこいいー!」
直感で選んだ水着だったのに、ブランドはどことか、庶民派などとも解説されていて戸惑った。ラグドールやセシルの経歴まで解説されていて、直視できなくなる。
「チャンネル変えるか……」
「このアナウンサー、王室のファンだからね」
「そうなの〜! だからキリ君元気かなって」
「ははは、ニュース番組で生存確認もなかなかないのぅ」
アカツキは気を遣ってチャンネルを変えてくれた。水着だと分からないと言われたのに、帽子を取らなければ良かったとも今更後悔する。恥ずかしさが抜け切らないまま堪えていると、突然、入り口から引き戸を開ける音が聞こえ、足音が響いてきた。
襖を勢いよく開けたのは、騎士服にサーマントを下ろすジン。
「殿下いたぁー!!」
「もう少し静かに歩けんのか! ジン!!」
「じ、じぃちゃん、ごめんって」
思わず座り込んで項垂れるジンに、アカツキが困った表情で迎える。同情した目に変わるのは、一応同じ騎士だからだろう。
久しぶりに帰宅したジンに、ツキハは嬉しそうに笑う。
「ジンおかえり、晩御飯は?」
「まだだけど、買って帰ってきたから、大丈夫……」
「ジン、一度本部へ連絡をした方が」
「今するする」
ジンは何故か、大量の荷物をもっていた。ボストンバックとか、箱が入った紙袋。玄関をみるとトランクケースまであって、まるで旅行帰りにも見える。
ジンは一度席を外し、キリヤナギがいたことをメッセージで送ると皆とても安心していて、ようやくジンも肩を撫で下ろした。
手を洗いにゆき、何も言わず買ってきた夕食を広げる彼は、本当にただ帰ってきただけに見えて驚く。
「ジンは王宮もどるの?」
「ん? 戻んないですよ」
「え、」
「母ちゃんから、休みたいって聞いたし……?」
「いいの?」
「いいのか?」
「シダレ陛下の説得大変だったけど、ヒイラギ王妃殿下が怒って何とか? 俺が付き添いで父ちゃんもいるならいいって」
「……!」
「寂しいなら帰ります? 一応着替えとか持ってきたんですけど」
キリヤナギへ首を振った。その嬉しそうな表情にジンも安心する。
「ジン、ありがとう!」
「はい。じぃちゃん、これ陛下からの菓子折り」
「はは、相変わらず律儀なお方だ」
ジンが渡している紙袋に、アカツキはしばらく言葉に迷っていた。キリヤナギが宿泊するお礼のつもりなのだろうが、距離感がずれているとうなだれる。
「本当に王宮に戻らないのか?」
「時間遅いし? 移動のリスクのがあるって隊長が、騎士長が許さないなら車で送ってもらえって」
「悪いがもう酒をのんだ。ストレリチア卿がそう言うならそれでいい」
「父ちゃんはなんか問題あるの?」
「王宮内はどうにかなったが、このツツジ町は敵の拠点が存在した場所だ。まだあるかもしれない」
「敵?」
「スパイです。まだどこにアジトがあるかわかんなくて……」
「このツツジ町は、タチバナが構えてはいますが、私が常時いるわけでもなく、雲隠れもしやすいのです」
「危険ってこと?」
「理論上は? 警備が甘いって感じですね……でもここって大体何があれば、みんな報告にきてくれるしいいかなって……」
「甘い。すでに住民として馴染んでいる可能性もある、一人の時を狙われればどうにもできないぞ?」
「そういうの別に目を離さなければいいじゃんって思うんだけど……」
「はははっ、本当にジンはアカツキの若い頃そのままだな!」
「これは真面目な話ですよ!」
「殿下、おやつも買ってきたんですけどいります?」
「いる。でも、本当に帰らなくていい?」
「俺と父ちゃんがいるなら良いって言われたし?」
「……しょうがない。陛下が折れたなら何も言えませんよ」
渡されたおやつは初めて見るものだった。一旦は帰らなくていいことが分かり、キリヤナギは何故か心が躍る気分になる。
「ありがとう」
「ゆっくり休んで下さい」
そんな久しぶりにきたタチバナ家は、ジンの部屋も片付けられていて、布団もベッドではなく畳に敷くものだった。
懐かしい畳の匂いに落ち着き、ジンと2人でその日の布団へカバーをかけながら準備をする。
「ジンの部屋、こんなに物が少なかったっけ?」
「騎士学校に入学してから、気に入ったものは全部移動させてるんですよね」
「そっか、ジンは住み込みだから」
「そうそう。でも漫画とか多少あるし自由に読んでください」
「ありがとう……」
初めて泊まったタチバナ家は、家が古い為か殆どの家具の使い方が違っていて、キリヤナギはデバイスで調べながら一通り使わせてもらった。
それなりに大きな家で個室もあったが、何故か暗くて怖くなり今日はジンの部屋で休むことになる。疲れたのか、ジンはキリヤナギが入浴からもどると既に電気をつけたまま寝ていた。
キリヤナギもその日は布団にもぐり、そのまま休む。
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次に起きた時には窓から日差しが差し込み、横にはもうジンはいなかった。まだ眠いなぁと再び横になると、家屋の入り口から、呼び鈴と大きな声が響いてくる。
「ツキハさーん! ジンさんー! こんにちはー!」
聴き覚えのある声に思わず窓を見に行くと、入り口を入ってくる金髪の青年がいた。バスケットをもつプリムと現れたのは、親衛隊の一人リュウドだ。
「ジンさん、殿下いる?」
「いるいる、朝からどうかした?」
「心配で、ちょっと顔見たくて」
「まだ寝てた気はするけど……」
ジンが階段を仰ぐとちょうど降りてきたキリヤナギがいて、リュウドは手を振ってくれた。プリムは差し入れにとお弁当を持ってきてくれて、ツキハの朝食とプリムの差し入れがある豪華な食卓になる。
「大変お久しぶりですわ。ツキハさん」
「プリムちゃんもリュウド君もいらっしゃいー。賑やかでうれしいわ、ゆっくりしてね」
「みんな心配してる?」
「もうめちゃくちゃ? セシル隊長は安心してたかな?」
「俺も慣れてなくてパニックに……」
「そうなるよねー……」
「ご、ごめん。出る時はすぐ帰ろうって思うんだけど、一度出ると帰りたくないなって思っちゃって」
「わかるわかる。せめて迷子アプリ機能してればよかったんだけどね」
「入れたよ?」
「初回起動しないとダメみたいなんで……ちょっと貸してもらえます?」
ジンに渡すと彼は簡単に触ったあとすぐに返してくれた。王宮にいた時よりも元気になっていて、今日は動きたい気持ちになっている。
「殿下。せっかくここにきたなら道場で遊んでいきます?」
「え、いいの?」
「もう使ってないみたいだし? 軽い掃除からになるけど、それでもよかったら」
「じゃあ、手伝う」
「ジンさん、俺も俺も」
「なら着替えてくるし、リュウド君も落ち着いたらあっちで待ってて」
「ジン兄様、ありがとうございます」
「掃除用具は納屋だっけ? 出しておけばいいかな?」
「助かるけど、けっこう埃がヤバイし? できたらでいいぜ!」
ジンはそう言って食器を片付けて部屋に戻っていった。キリヤナギも片付けて後に続き、動きやすい服に着替えて道場へと向かう。
住居に並ぶように建てられた道場は、キリヤナギとリュウド、ジンには馴染み深く四人は窓を開けて換気しながら積もった埃を掃除した。久しぶりに開けられているその場所に、カツラが覗きに来て笑う。
「懐かしいのう」
「思ったほど寂れてなくて意外」
「ははは、ツキハとハヅキが掃除してくれてたからな」
「おじいちゃん。もう生徒はいない?」
「えぇ、かつては100人を超える門下生を抱えた『タチバナ』ですが、長く平和な世が続き、貴族達も皆が真面目で本当に不要になりましたからなぁ。それでこそ建国から数百年は「王の力」による汚職や悪用が絶えず、その必要性は多大なものとされとりましたが……」
「本当に『タチバナ』名乗れるのってジンさんとアカツキ叔父さんぐらいだしな。他はみんなある程度使えはするけど真似事だし」
「リュウド君も大概だと思うけど」
「どうかな? 俺も最近は上手くやれてる気はしなくて……」
「まぁ、確かに普通じゃないし、無理にやらない方が……」
「もうジン兄様のそう言うところ時々嫌になりますわ!」
「え”っ」
「ははは、すまんな。プリム」
掃除は午前のうちに終わり、リュウドとジン、キリヤナギの3人は数年ぶりに顔を揃え道場で体を動かす。カツラは、忘れかけているキリヤナギとリュウドを再指導してくれた。
ジンはまだ痺れがあるが、『勘』は健在で、ついては行けるが体が動かずキリヤナギにですら上を取られてしまう。
時間がいるなと思いながら、ジンは体を慣らすために手を抜かなかった。
午後を周り、ツキハやプリムがお昼へ呼びにきた頃、リュウドが再び口はを開く。
「殿下って、しばらくここにいるの?」
「……何も考えてなかった」
「よかったらうち来ない? ここでもいいけど、俺の家はオウカ町だし、王宮も近いからみんな安心なんだってさ。せっかくの夏休みだし、いろんな家にいくのもいいだろ?」
「リュウド君、いいの?」
「うん、父さんも歓迎だって、ここほど広くないけどゲームとかいっぱいあるし?」
「楽しそうだけど……」
リュウドの提案に、キリヤナギは即答ができなかった。ここはとても居心地がよくて安らぐが、昨晩のアカツキの話も無視はできないからだ。
「いこう、かな……」
「よかった!」
「じゃ、準備しますね」
「うん」
その後ジンは、キリヤナギの荷物の整頓を始めた。滞在時間は短く、荷物はばらつく事はなく纏めるのにそこまで時間はかからない。
ケースに入っていた外出用の私服に着替えたキリヤナギは、ツキハとハヅキ、カツラに挨拶をするために二人を探す。
裏手の畑の手入れをしていたツキハとハヅキは、キリヤナギを見つけて作業をとめてくれた。
「えー! キリ君もうかえっちゃうの!」
「ごめん。一日だったけどありがとう」
「夏休みなら、最後までいてもよかったのに」
「みんな心配してるし、やっぱりオウカ町がいいと思って」
「そっかぁ、残念」
「ジン! ちゃんと殿下を守るんだよ」
「ばぁちゃん! 大丈夫だって!」
「また来てね」
「うん、ツキハさん、おばあちゃんもありがとう!」
2人に挨拶をした後、キリヤナギはもう一度道場へと戻る。
カツラ・タチバナは奥の掛け軸に向かい合うように正座をして瞑想をしており、キリヤナギは恐る恐る声をかけた。
彼は待っていたかのように目を開けて、優しく応じてくれる。
「そうですか。私も安心です」
「ありがとうございました、先生」
「とんでもない。またいつでも休みに来て下さい」
そんな三人へ挨拶を終えたキリヤナギは、正午を回る頃合いに「タチバナ家」をでる。ジン、リュウド、プリムと共にバスをのりつぎ途中でお昼を済ませながら、オウカ町へともどった。
リュウドの自宅は、タチバナ家よりは小規模だが、高度文明の四角いつくりをしたシンプルな一軒家だった。
「それじゃ、リュウド君。俺はこのまま王宮に戻って仕事してくる」
「はい。ジンさん荷物ありがとう」
「ジン、ありがとう。またね」
「またいつでもお越しくださいな」
ジンは一礼して、王宮の方角へと帰ってゆく。キリヤナギは名残惜しくは思いながらも見えなくなるまで見送っていた。
47
リュウドの自宅は、玄関が広く近代的た内装をしていてキリヤナギは思わず周りを見回してしまう。
「珍しい?」
「うん、最近建てられたのかなって」
「そうそう。父さんがここに引っ越す時に新築したって」
「へぇー」
玄関で話していたら、唐突に金髪の男が廊下へと姿をみせる。彼は、廊下へ立ち塞がるように現れ、まるでリュウドが大人になったかのような顔立ちをしていた。
「殿下! ご機嫌よう」
「父さん、ただいま!」
「おかえりリュウド。ご無沙汰しております。アーヴィング・T ・ローズです。ようこそ我が家へ、ぜひ楽しんで行かれて下さい」
アーヴィングは、私服で迎えてくれてキリヤナギは安心した。気さくな雰囲気のある彼に、何を話そうか戸惑っていると、プリムはまるで無視するように奥へと消え、全員がそれを見送る。
「昨日、父さんがプリムの部屋掃除して、置いてあった下着も自分のと一緒に洗ったから、怒ってるんだ……」
「女の子は難しい年頃だからなぁ……気にされないでください、殿下」
「そ、そうなんだ……よろしくお願いします」
「畏まらなくていいって、来てもらったのはこっちだから、こっちでお茶しよう!」
手を引かれ、リュウドはリビングへと連れて行ってくれた。案内された部屋には、ソファやテレビ、ダイニングセットもあって、一般的な家庭のイメージそのままで感心すらしてしまう。
「母さんは?」
「俺が休むなら自分は休めないってんで、今日は夜まで仕事だなぁ」
「そっか」
「殿下。コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」
「プリム、えーと、じゃあコーヒーでいいかな」
「はい。いまご準備しますね」
「プリム、俺もコーヒー!」
「なら俺は、紅茶で頼む」
「お父様はご自分で入れてくださいな」
つんとするプリムは明らかに父を避けている。アーヴィングはどこか打ちひしがれた雰囲気を見せ、キリヤナギにテーブルへ座るよう勧めてくれた。
出されたコーヒーは舌がヒリヒリする程苦いが、疲れからくる眠気には良く効いてくる。
「殿下、砂糖とかミルクはいいの?」
「少し飲んだらもらうね。ありがとう」
「『タチバナ本家』の方は、皆元気にしておりましたか?」
「うん。アカツキもジンも帰ってきて賑やかだった」
「それはよかった。こちらでも是非くつろいで下さい」
「ありがとう。でも気を遣わせてるみたいだから……」
「そんな事ないって、休んでほしくて呼んだからな。自由にしてくれよ」
少しだけ、言葉に迷ってしまう。気持ちは確かに嬉しいのだが、それに応えられる自信がないからだ。
「所で、殿下は何か趣味などはお持ちですか?」
「趣味?」
「好きなこと? 俺、殿下の趣味って体動かすぐらいしか知らないからさ」
少し考えても思いつかなくて首を傾げてしまった。困惑する二人だが、プリムはキリヤナギの横に座って、ミルクと砂糖、お菓子を持ってきてくれる。
「リュウドとアーヴィングさんは、趣味はあるの?」
「俺は修行かなぁ」
「修行?」
「訓練? 強くなるためなら努力は惜しまない!」
「流石我が息子! 騎士の鏡だな!」
「プリムは?」
「私はお母様に教えていただいた、お裁縫やお菓子作りがとても好きです」
「へぇー」
「俺はー……」
「お父様のはきいておりませんの」
……。
「ぼ、僕が聞きたいから……!」
「殿下、お父様は世代が違うので、参考にならないと思うのですが……」
「プリム……言わせてやってくれよ……頼むから」
プリムのあんまりな態度に、アーヴィングは石になっている。出されたクッキーも、リュウドとキリヤナギには綺麗な形のものが分けられているのに、アーヴィングの皿には切れ端のようなものしか乗って居なかった。
「いいぞ、娘よ。それが愛情表現なら父は甘んじてそれを受ける」
「殿下。趣味は好きな事ですわ。物事にこだわらず最近とても楽しかった事や嬉しかったことでいいのです」
結局アーヴィングの趣味は聞けていないが、プリムの助言には納得できた。海やマグノリアへの旅行はとても楽しかったが、あれは頻繁にできないことを思うとどれが良いだろうかと迷ってしまう。
「好きな事なら、お昼寝、かな? いい天気の日にねると心地いいし……」
皆が呆然として、こちらを見ている。また何かズレたことを言っただろうかと不安になった。
「へ、変かな……?」
「いえ、その……」
「殿下、ボードゲームは? 部屋にたくさんあるし?」
「それも好きだよ。ただ一人だからそんなにやってなくて……趣味とは違うかなって」
「騎士のみんなは?」
「皆お仕事だから流石にゲームには誘えないし……?」
三人はやはり呆然としていて、返事に困ってしまう。
「殿下って、もしかしてあんまり外に出た事ない?」
「え、結構出てるけど……」
「差し支えなければ、大体どちらへ」
「カナト……アークヴィーチェとか、公園とか……?」
「お店は……?」
「カナトと一緒に喫茶店ならいくよ。でも僕一人だと電子通貨が使えるか分からないし、……最近は教えてもらえたケーキ屋さんとか……」
話せば話すほど皆の顔が唖然としたものになってゆく。大学でもそうだが、キリヤナギが普通だと思っていたのは、彼らには普通ではないらしい。
「すみません殿下。俺、殿下の抜け出しっててっきり遊びにいってるのかと……」
「ぼ、僕は遊んでるつもりだったんだけど……」
「殿下、それは遊びではなくただの散歩ですわ」
アーヴィングはなぜか泣いている。机を殴り、立ち上がった彼は天井にむけて叫んだ。
「わかった!! 我が子供達よ! 遊びに行くぞー!!」
「父さん、急な提案じゃん! びっくりしたなぁ」
「もう! ついて行けませんわ!」
「えっえっ……」
リュウドとプリムは何故か突然準備を始め、アーヴィングも外出用の衣服へ着替える。キリヤナギもリュウドの帽子をかぶせられ早々に家から出て自動車へと載せられた。
しばらくのドライブで連れてこられたのは、繁華街にある屋内のレジャー施設で、ボウリングにビリヤードなど、沢山のゲームで遊べる場所がある。
「こんな場所あったんだ……」
「どちらから行きますか?」
「とりあえずボーリングで体動かすか」
「よし、賭けよう。父さん、何にする?」
「お兄様! ここは殿下に選ばせて差し上げて下さいな!」
「き、気にしないで、全くわかんないから……」
バレーやバスケットなどの球技は、騎士学校のスポーツ演習に参加して程度知っていたが、ボーリングはキリヤナギにとって初めてやるものだった。
プリムに教わってもピンと来ないまま、三人が慣れていて上手く、ピンが倒されていくのが爽快で見ていても楽しくなる。
大人気なく全力で勝ちに行こうとするアーヴィングはまるで子供のようで、思わず釣られてピンが倒される度に拍手をしていた。
結局最下位はキリヤナギだったが、夕食作りはプリムが手伝ってもらえることになり、三人はビリヤードやバレーやバスケットなどを楽しみながら、休憩も兼ねてカラオケルームにも入る。
テレビでも流れていた曲を、全力で歌うリュウドとか、ドラマの主題歌を歌うプリムとか、酷く五月蝿い曲を歌うアーヴィングに耳を塞ぎながら笑っていた。
「殿下いれないの?」
「わかんなくて……」
「本当に何もしらないのか?」
「国歌なら……?」
……。
「殿下、今度からおすすめの楽曲おしえるから、また来よう」
「え、うん……」
「殿下。このカラオケルームは、デザートも大変美味ですよ」
「プリム、晩御飯食べれなくなるぞー」
「お父様は黙っててくださいまし」
プリムが手厳しくてフォローにも困ってしまう。デザートはとても惹かれてしまったが、アーヴィングの言う通り晩御飯が控えている為に我慢して、皆は一通り遊んで帰路へついた。
夕食の食材を買いに店へ寄ると、数年前にセオとグランジで買い物にきたのを思い出して、懐かしくなる。当時は3人で、夕食は何にしようかと話しながら選んでいたからだ。
プリムにアドバイスされて食材を購入し、帰宅する頃には、もう夜も更けていてリュウドとプリムの母も帰宅している
「ご機嫌よう。殿下。うちの家族がお世話になっています」
「むしろ、僕が仲間にいれてもらってて……」
「母様。お疲れ様ですわ、本日は私と殿下が夕食を準備致しますから、座っておいてくださいな」
「あら、いいのですか?」
「うん。やってみます」
「あ、殿下。今日のボーリングメディアに取られてるぜ、早いな」
「ええぇえー!」
「苦手って言われてるけど、初めてだし仕方ないよなぁ」
恥ずかしくて直視できない。
画面を見ないようにプリムと作業していたら、器用に調理器具が使えていることに彼女は感心してくれていた。料理は、セオと一緒に作っていたことが結構あるからだ。
「殿下ってスポーツもお得意のようですが、こちらもお得意なようですね」
「そうかな? 料理はいつも見てたからなんとなく? でもセオは何も見なくても毎日違う料理つくれるから尊敬してて」
「ええ、ご一緒した時は、本当器用な方で、お優しくて楽しかったですわ。ぜひまたご一緒したいですね」
「はははは、父さん。騎士学校留年したのばれてんじゃん!!」
「最近のメディアはどこからそんな情報を持ってくるんだこれは!!」
リビングも賑やかで、つられて楽しくなってくる。プリムと作った料理はカレーで、彼女はレシピに書いていない調味料や食材をたくさん詰め込み味を整えてくれた。
「殿下。今日はどうだった?」
「楽しかった。ありがとう、リュウド」
「よかった。でも冷静になると厳つい護衛つれてあんな施設行けないよな……」
「うん……目立っちゃうし、隊長がセシルになる前は、セオぐらいしか誘える人もいなくて、……あんな色々できる施設があるのも知らなかったけど」
「実はまだ完成して数年なんだ。それまではボーリングだけで、家族でよく行ってたけど、拡張されて色々できるようになった」
「へぇー」
「今度はジンさんとかと行こう」
「うん」
カレーはとても美味しかった。沢山遊んで夜も更けてゆく中、キリヤナギも入浴を勧められて一人で入る。
タチバナ家のものと同じ、王宮の浴室よりもとても狭くて驚いたが、何故かいつも感じる心の痛みは現れなかった。
広くて誰もいない場所は、一人になりたいと願っていた筈なのに何故か寂しさを呼び込んでくる。しかしここは、そんな気持ちにもならず、ただ湯船の心地良さだけがあって安心した。
そしてずっと頭に残っていたマリアとの別れも受け入れることが出来そうになっていた。彼女が何故、オウカの敵にならなければいけなかったのか、キリヤナギは結局知る事はできず、捉えた首謀者の事ももうおそらく知らされる事はない。その上で、敵である彼らに同情してしまった事実は、普段守ってくれている彼らを裏切ることにもなり、とても相談はできなかった。
しかしもし『王子』をやめて、『騎士』ではなく『友達』になれたなら、わかってもらえるだろうかと淡い期待を抱いて『王子』を辞めたいと望んだ。が、二日過ごしてキリヤナギは『王子』を捨てきれない自分がいて納得した。
結局、この気持ちは誰にも話せておらず、王子でなくともキリヤナギは自分で示した『友達』にすらなれていない。
望んだことなのに、彼らへ心を閉ざしているのは自分だと証明されてしまったのだ。捨てることができないなら意味はないと悟り、ようやく結論がでる。
「明日かえる?」
「うん、沢山ありがとう、リュウド」
リュウドの自室でゆっくり話された言葉に、彼は戸惑っていた。夏休みはまだ2週間はある為、数日はいると思っていたからだ。
「休めた?」
「うん、気持ちの整理もついたし」
「そっか、海旅行。結構大変なこと起こったしな。しょうがないさ」
「……『王子』も辞めたくなったけど、僕、だめだった」
「そうなの?」
「……うん。だから、もう帰ろうとおもう」
リュウドはしばらくこちらを呆然とみていた。何かを言いたげなのが、すこし渋りながらも口を開く。
「休めたらって思ったけど……残念だ」
「え、違う。リュウドのせいじゃなくて、僕の気持ちの問題」
「気持ち?」
「僕が『王子』を捨てれなかった。せっかく協力してくれたのにごめん……」
「殿下……」
「もっと向き合おうと思う。みんなと」
「そっか」
「ありがとう」
リュウドに借りたベットは、小さくてもとても寝心地が良かった。電気が消され、月明かりのみが差し込む部屋でうとうとしていると、扉から物音が響く。
「プリム」
「お兄様、寝れませんの。ご一緒してくださいまし」
「さ、流石に、殿下いるし……?」
「リュウド、ベット使いなよ。僕は床で良いから……」
「それはダメ! 色々と」
「ジンのとこはよかったよ?」
「あっちは畳だから、こっちはフローリング!」
どう違うのか分からず、自分の世間知らずさを悔いる。リュウドは床へ敷かれた布団へ入ろうとするプリムに困っていて、キリヤナギは思わず枕をずらした。
「プリムここくる?」
「殿下でも流石に嫌ですわ。お兄様だからゆるされますの」
「気にするならそもそもここに来るなよ。仕方ないな……」
リュウドは、プリムをベットに寝かせ、自身もその横へと入る。プリムを中心の川の字で流石に狭いが、眠れなくは無さそうだった。
「これでいいだろ?」
「お兄様が真ん中でないのです?」
「プリムが落ちるかもしれないし?」
「むー、わかりましたわ」
「殿下、狭いけどごめん」
「ううん。新鮮で楽しい……」
「そう言うもの……?」
「おやすみなさいませ、殿下、お兄様」
「俺も寝る。おやすみ」
「おやすみ」
疲れていて、狭くても意識はあっという間に落ちていった。プリムは物の数分で寝てしまった二人に驚きながら、安心したように眠りにつく。
@
「皆、ありがとうございました」
「別に夏休み終わるまでいて良かったのに」
「流石に悪いから……」
持ち込んだ荷物を運び出し、ジンとセオは、セシルの自動車でキリヤナギを迎えに来ていた。
リュウドの自宅前には、家族全員が見送りに来てくれて、セシルは持ってきた菓子折りを渡しながらアーヴィングと握手をしている。
「王宮まで殿下を頼む」
「ええ、責任をもって」
「隊長、俺も行った方がいい?」
「リュウド君は、殿下がいた土日は出勤扱いだから、振替にできるよ」
「本当に、じゃあそうする」
「気を遣わせてごめんね」
「『王子』休めなかったのは残念だけど、また同じ事やるなら協力するよ」
「ありがとう」
誘導されて3人は乗り込み、キリヤナギは手を振ってくれる皆と別れた。ジンは隣に座って、ボトル飲料を渡してくれる。
「リュウド君の家どうでした?」
「楽しかった」
「よかった。言ってくれたら良かったのに……」
「……ごめん。一人になりたくて」
「でも、無事でよかったです」
「はは、ここで殿下がみつからなかったら、流石に私も飛ばされてましたね」
「ひ、日付が変わるまでには、連絡するつもりで……」
「遅いです!」
セオが怒っていて、言い返す言葉もない。でもそれは、いつも通りだった。
セオだけが怒って皆は許してくれる。
ミレット隊の時は、ばれて戻ればどうなるか分からず怖かったが、セシルはいつもこうして笑って迎えに来て「よかった」とだけ言ってくれる。それはキリヤナギにとって、数年ぶりの救いだった。
「また『王子』できそうです?」
ジンの疑問に少し返答に渋ったが、結局捨てられないなら同じだと思う。
「頑張る……」
「頑張らなくていいと思うんですけど……」
「何ごとも、自然体が一番ですよ、殿下」
「なんでジンも隊長もそんな甘いんですか……!」
帰りの自動車なのに賑やかで何故か楽しくなってくる。
彼らの為にもしばらくは抜け出しを控えようと、キリヤナギは反省していた。