第十話:水の都

 その日は晴天だった。
 季節の中で最も太陽が輝き日差しが照りつけるオウwカの国で王子は、午後に配達された封筒と向かい合っていた。
 春の時のように王立桜花大学院と書かれた封筒は、単位習得を通知する成績表で今日はセオだけでなくジンとグランジもいる。
 その日の午前は、以前延期されたメディアの撮影に応じていて、装いはネクタイとジャケットを羽織るフォーマルなものだ。撮影が終わり部屋に戻った所で唐突に現れた結果発表に心の準備ができていない。

「この封筒、雑すぎね?」
「経費削減」
「……」

 確かに関係者しか見ないが封をするテープすら貼られていない。宛先も「殿下」としか書いていないのは、どうなのだろうとジンは困惑していた。
 キリヤナギは、ソファで成績表を開く事ができないまま、しばらく表紙を見つめていたが大きく深呼吸をして一気に開く。
 ざっと成績一覧を見て、歴史学がCのギリギリの通過で言葉が出なくなった。

「歴史単位とれた!!」
「おー」
「おめでとうございます!!」

 欠席の多い授業はいくつか落としていたが、テストに自信があったものはA+〜B判定で殆どが習得出来ていた。これだけ取れれば補講も受ける必要はなく秋までの休講が決まる。

「海にいける……!」
「よかったすね」

 グランジはずっと拍手していた。
 週末にはヴァルサスとの買い物の約束もしていて、初めての学生らしい夏休みが始まる。

「どこに買い物いくんです?」
「レンゲ町のモール街? ヴァルが連れてってくれるって、でも電子通貨使えなかったら違うとこがいいかなって」
「俺とラグドールさんが同行しますから大丈夫すよ」
「ありがとう。ヴァルにも連絡しとく」

 キリヤナギが護衛を嫌がらずジンはしばらくぼーっと彼を見ていた。学園での一件が相当怖かったのだろうともわかって気の毒にも思えてくる。

「武器どうしよ……」
「俺が一応は持ちますね」

 少し複雑なキリヤナギだが、セオとグランジの「ないよりはあった方がいい」という後押しから、一応は持ってゆくと言う結論となった。
 一度経験した恐怖から、ジンは彼が武器を抜けるのかと言う心配はあるが、そもそも抜かせる環境に持って行ってはいけないのだと意識を改め当日へと臨む。

 そして週末を迎えたキリヤナギは、ジンとラグドールと共に人混みに紛れるよう洋装に身を包み、王宮前の広場で待ち合わせする。
 夏真っ盛りの気温を観測した今日のオウカ町は、雲ひとつのない青空が広がり、散歩する人々は、みな日傘や帽子を利用しているまさに夏の風景だろう。また王宮の正面玄関の周辺は、宮殿が一望できるよう建物が低くとられ光を遮る建物がなく直射日光が降り注ぐ。ジンは王宮前でデバイスをいじるキリヤナギへ日傘をさしつつ、こめかみから汗を流していた。

「暑いっすね」
「本当あつーい。殿下、喉乾いてませんか?」
「僕は平気。でも2人とも無理しないでね」

 白の石畳の照り返しで、体感気温がひどく高い。ラグドールは麦わら帽子を被りできる限り薄着できたが、それでも汗が止まらず手で仰いでいた。

「ラグドールも日傘使っていいのに」
「帽子かぶってるので、大丈夫ですよ」

 ジンは、自身のバックから2人へ飲み物を配ってくれていた。せめてベンチは空いて居ないかと場所を探そうとすると、視界に見覚えラフな男性が姿をみせる。
 カジュアルな夏服の彼は、キリヤナギを見つけ手を振ってくれた。

「ヴァルー!」

 学校と少し違う雰囲気を纏う彼は、こちらへ苦笑しながら駆け寄ってくる。

「相変わらず優雅だな?」
「優雅?」
「ヴァルサスさん、こんにちは」
「ジンさん、どうも。そちらの女の人も騎士さん?」
「初めまして、宮廷騎士団、ストレリチア隊。特殊親衛隊所属のラグドール・ベルガモットです」
「ヴァルサス・アゼリア。女の人も居たんだな」

 ヴァルサスの感想に、キリヤナギは新鮮な気持ちを得る。男性の職業と言われる騎士だが、騎士団には女性もそれなりに多く居て、現代では人数差もそこまで離れてはいないからだ。

「普通にいるよ。男の人でも女の人みたいな人もいるし」
「そ、それは違うくね……?」
「確かに! 珍しくないですね」
「ラグさんマジ??」

 ジンすらも困惑していて、ヴァルサスは何故か不安になっていた。
 ヴァルサスが合流したことで、4人は路線バスにのってモール街を目指す。王子は慣れているのか、流れている外の景色を眺めているが、ヴァルサスは王子の傍に立ちながら大きめの荷物をもつジンが気になって仕方がなかった。
 肩にかけているそれは、黒のケースで例えるなら部活動で使う竹刀のようにも見える。

「ジンさん、それなんですか?」
「これはーー」
「僕のなんだ。気になるならあとで見せるね」
「ふーん」
「ジンさん、変わりましょうか?」
「そんな重くないので大丈夫です」

 ラグドールの気遣いにジンが照れている。ヴァルサスは関係性を少し察して微笑ましくみていた。
 話している間にバスが到着し、4人はモール街へと繰り出す。様々な店が並ぶそこは、公園のように花壇もあってテーマパークのようにも見える。

「人がいっぱいいる……」
「なんか田舎者みたいな感想になってんな」
「とりあえずどこ行きます?」
「まず殿下の水着ですね。お兄様のもついでに頼まれてるので」
「お兄さん?」
「私には兄がいるのです。同じ親衛隊で、殿下のご旅行にも同行することになってて」
「へぇー」
「お兄さんのセスナは男なんだけど、女の子の服も好きなんだって」
「そ、そういう??」
「そうなんすか……??」

 ジンのまるで初耳のような感想に、ヴァルサスは驚いて居た。キリヤナギもヒナギクから聞いた事で、詳しくはよくわからない。

「お兄様の為にもかわいいお洋服えらびますね!」

 この妹は寛容すぎるのではないかと、ヴァルサスはそれ以上突っ込まなかった。深く考えるのを止め、4人は建物の中へと入ってゆく。
 モール街は賑やかで、スポーツショップだけでなく、ゲームセンターとか、雑貨屋、ブティックなどがならび、家族連れや友人グループなどさまざまな人々が行き交っていた。
 案内を見ながら訪れたスポーツショップは、ちょうど時期に合わせるように沢山の水着が男女で分かれて並べられ、他の客もも楽しそうに水着を選んでいる。

「どうすっかなー」
「色々ある……!」
「選んだことねぇの?」
「うん。最初で最後の海が8歳で用意されたやつ使ってて」
「へぇー確かにそんな子どもなら、まだ選ぶにも早いか」
「ヴァルは海、久しぶりなの?」
「3年ぶりぐらい? 高等学校の修学旅行で行ったなー」
「修学旅行?」
「学校卒業するまえに、クラスで旅行いくんだよ。王子はいってねぇの?」
「僕、通信制の騎士学校を出たからそう言うのなくて」

 通信制と聞いて思わずギャップを感じてしまう。しかし、王族なら個人教室として学ぶことは確かに珍しくはない。

「友達いたのか?」
「うーん、そんなに? 訓練は出てたけど、ヴァルみたいに仲良くできる人はそこまでいなかったかな……」
「ふーん」
「家庭教師みたいなもんです」
「じゃあジンさんは、一応は殿下の先輩だったんですね」
「一応? でも、学校では訓練ぐらいしか合わなかったすね」

 学校以外ではよく会っていた。
 懐かしい記憶がよぎり、キリヤナギは想いにも耽ってしまう。

「騎士ってことは、ラグドールさんも同じ?」
「私はマグノリア領の騎士学校だったのです。兄弟推薦で宮廷にきたので、殿下とお近づきになれたのは去年からですね」
「へー」
「兄弟だと優遇されるもんね」

 宮廷騎士になる為には、18歳で騎士学校を卒業後、追加で2年間学ぶ必要がある。宮廷騎士向けの学校は首都にあり、推薦でしか入れない名門校だが、それゆえに入学するものが騎士の身内や貴族に限られ、一般には狭き門とも言われていた。
 
「家族多い?」
「宮廷はそうっすね。クランリリー騎士団はまだ色んな人いますけど」
「ジンのお父さん騎士長だし?」
「すげーじゃん。じゃあいつかジンさんも騎士長?」
「ないない」
「ないっす」
「え??」
「い、色々あるんですよね!!」

 ラグドールは困っていた。本人だけでなく王子まで否定するのはどうなのだろうとヴァルサスは首を傾げていた。
 自分の水着を選んで来るというラグドールと別れ、3人はズラリの並ぶ陳列棚を見る。

「殿下。セスナさんには何色がいいと思います?」
「イメージなら青? セシルが好きっていってるから赤でも喜んでくれそう」
「じゃあ赤と青のやつで……」

 ヴァルサスは、女性向けの水着を見に行ったラグドールが気になって仕方がなかった。試着をしているのだろうと思うとすぐにでも見に行きたくて、自分の水着がなかなか決まらない。

「ヴァルってどんなのを選ぶの?」
「え、気分?」

 ヴァルサスが手に取っていたのは、赤がベースのものでキリヤナギが興味津々だった。

「赤好きなんだ」
「一応? 惹かれるつーか……」
「僕はどれにしよう……」
「気分上げてくなら派手なのがいいぜ」
「そうなんだ?」
「白とかなら目立たないっすね」

 ジンは上の棚にあった白の物を見せてくれていた。ヴァルサスも派手なのを見せるが、地味な方へ惹かれている様子にヴァルサスは納得もしてしまう。

「ジンさんて、使用人だったりするんですか?」
「俺はただの騎士ですね、でも特殊親衛隊は生活面もフォローしてて」
「へぇー」

 珍しいと、ヴァルサスは感心してしまった。アレックスには時々見かける執事がいたが、この王子に執事がついている所を見た事がないからだ。騎士が代わりを担っていると言われると、確かにジンとラグドールは使用人と同じことをしている。

「大勢いたら迷惑かかるし?」
「ジンさん大変じゃん」
「俺は別に?」
「と言うか、前、アークヴィーチェ管轄って言ってませんでした?」
「俺、こっちに移動になったんです」
「へー」
「僕は頼んでないんだけどね」
「……」

 キリヤナギはそっぽを向いてしまった。普段の王子からは考えられない言動に、ヴァルサスは意表をつかれる。

「仲良いじゃん? 気を遣われたんじゃねーの?」
「知らない」
「つ、付き合いは長いんでまぁ……」

 キリヤナギは目を合わせなくなってしまった。喧嘩をした訳でも無さそうなのに、あからさまに辛辣になるその態度へヴァルサスも困惑しかできない。
 ジンは既に選び終えたのか2人を待ってくれていて、急がねばラグドールの水着を見れないと再び陳列棚をみる。

「僕、これにする」
「いいっすね」

 王子がカゴに入れたのは、白に青のラインが入った無難なものだった。ヴァルサスも、赤のものを選び3人はラグドールを探して女性向けのブースを見にゆく。
 
「ジンさーん、お待たせしました。こちらもお兄様の分きまったので行きましょう」
「よ、よかったすね……」

 女性用ブースからラグドールが帰ってきてジンはもう突っ込むのはやめた。その後四人は店の奥にあるに浮具やおもちゃを見にゆく。
 展示されている海のおもちゃは、どれも楽しそうなものばかりで、キリヤナギは目を輝かせていた。
 展示品を触ってみるキリヤナギの後ろで、ジンはセオに渡された買い物リストを確認する。

「ビート板とゴーグルに浮き輪2個とボール?」
「めっちゃ遊ぶんですね」
「僕、何も持ってなくて……」
「大体は殿下用なんですけど、そっちがいいです?」

 キリヤナギが持っていたのはスライドギミックのついた水鉄砲だった。背中にタンクが背負えるタイプでかなり水圧もありそうに見える。

「これなんかすごそうだなって」
「それ1人遊びだぜ。大勢で遊ぶならジンさんの奴のがメジャーだけど」
「へぇー、じゃあそっちにする」
「と言うかそもそも泳げるのか? 王子」
「王宮のプールで浮く練習ぐらいかなぁ、あんまり」
「浮き輪いるな」
「ジンさん、この大きなのどうですか? みんな喜びそう」
「ラグさん、俺らのはちょっと……」

 ラグドールは魚の形をした大きな浮具を指差していた、ボートのようなものもありキリヤナギも目を輝かせていて、結局それらも購入し海水浴用の必要な買い出しを終えてゆく。
 休憩にとモール街の椅子に座った王子は、ジンに渡された飲み物を飲んで感動していた。中に入ってるものを興味深く眺める様は、まるで子供のようにもみえる。

「ジン、この黒のもちもち何?」
「タピオカって言うらしいです。流行ってるって」
「へぇー、不思議な味」

 ジンのポケットには、ストローがもう一本入っていて、おそらく彼が飲む前に毒味をしたのだろうと察した。
 アゼリアの姓をもつヴァルサスは、父が騎士であることからその在り方に関してある程度の理解がある。護衛騎士は本来、その護衛対象が安全に気兼ねなく日常生活を送れるようにする事が大前提だからだ。

 しかし、この王子は誕生祭にて毒を飲んだ。ヴァルサスは、このオウカの国は安全であると思ってはいたが、それはおそらく『敵』の標的が『王族』に絞られているからなのだと、この買い物であらためて理解する。

「腹減った。俺もなんか食うかなぁ」
「ヴァル、これ美味しいよ。いる?」
「男から貰っても嬉しくねぇよ、欲しくなったら自分で買う」
「フードコートでも行きます?」
「いいんですか? ジンさん達、気が抜けないんじゃ」
「え、別に?」
「……マジ?」
「ヴァルサスさん。私達はその為にいるので大丈夫ですよ」

 ラグドールにまでフォローを入れられ、ヴァルサスは考えるのはやめた。
 キリヤナギがタピオカを楽しみつつ、流れる人混みを観察していていると、ジンが何かに気づいたように辺りを見回す。

「ヴァルサスさんがお腹空いてるみたいだし、移動しましょうか。行きたいとこあります?」
「レストラン? ヴァルはどこがいい?」
「なんでもいいけど、強いて言うならラーメン食いてえかなぁ」
「ならフードコートですね。この時間は少し混んでそうだけど……」

 ラグドールがそう話した直後。キリヤナギの目線が真っ直ぐ前を向いていて、ヴァルサスもそれにつられた。
 その先には金髪でサングラスの女性がいて、彼女はまるでジンの目線を避けるように、しゃがんだり物陰に隠れたりを繰り返している。
 その意味深な動きにキリヤナギは、思わず吹き出しそうになってしまった。

「殿下……?」
「な、なんでもない」

 シルフィの気持ちを理解してしまい、キリヤナギはしばらく観察する事にする。そのまま4人でフードコートへと向かう最中も、ジンは視線を察して何かを探しているようだった。

「殿下、何します?」
「何があるんだろ、おすすめある?」
「おすすめ??」
「ブースごとに違うお店ですから、それぞれにおすすめがあるので、これとは言えないですね」
「フードコート初めてかよ」
「うん。普通のお店ならよく入るんだけど」
「確かにあんまり来ないすね」

 ラーメンに決めたキリヤナギへジンが付き添うなか、キリヤナギはゆっくりと接近してくる彼女に気づかないフリをしていた。
 そしてジンがデバイスを見たところで振り返ると、じっとこちらを見ていた「彼女」と目が会う。こっそりとついてきていたリーシュは、見つかってしまったことに顔を真っ赤にして震えていた。

「こここ、こんにちは!!」
「リーシュ、久しぶり!」
「リーシュさん……?」

 ラーメンを注文し彼女を席へ案内したキリヤナギは、初対面の2人へと紹介することにした。ジンは顔はみていたが話すのは初めてでもある。

「リーシュ・ツルバキアです。3回生です!」
「俺は、ヴァルサス・アゼリア。王子の知り合い?」
「生徒会の書記なんだ」
「へー」
「ツルバキアって、あのツルバキア閣下のご家族ですか?」
「は、はい。姉です」
「ラグドールさん知り合い?」
「いえ、宮廷騎士団の大隊長閣下なので、お名前だけ存じています。はじめまして、私はストレリチア隊のラグドール・ベルガモットです」

 ヴァルサスは名前まではよく知らなかったが、父の関係上、大隊長の地位にある程度理解がある。宮廷騎士団における十数名の大隊長達は、約1000名前後の騎士を率いながら、日夜業務に励んでいるのだ。
 ジンは、以前会ったリーシュが再びキリヤナギの元へ現れたことへ違和感しかない。

「リーシュさんは、応援?」
「は? え、何のことですか!? たまたまです!」

 キリヤナギは必死に何かを堪えていた。

「そうなんだ。リーシュも買い物?」
「は、はい、姉のお肉を買いに……」
「食材コーナーは地下だぜ?」
「えっ」
「気分転換だよね。ここ色々あるみたいだし」
「はい! そうです。殿下! ここのお洋服とか好きで!」
「このフロアは、半分が子供服であと雑貨屋さんですけど……」

 リーシュが焦っていて、ジンは察していた。見習いという言葉の意味を理解して、席を進めておく。

「一緒にお昼食べる?」
「いいい、いいのですか? お邪魔では……」
「席空いてるしいいんじゃね。つーか、殿下って言ってるから、てっきり騎士かと思った」
「がが、学生です! お、王子!」
「うんうん」

 リーシュは両手で顔を覆ってしまっていた。全員の昼食が揃いお昼を済ませる中、ヴァルサスがつづけて口を開く。

「王子、この後どうすんだ? 買い物終わったけど」
「考えてなかった」
「ここ映画館もありますから、鑑賞されてもいいかもですね」
「映画?」
「5人で映画は、趣味が違いそうな……」
「そ、そうですか?」
「王子、ゲーセンは? 行った事ないんだろ?」
「ないかも、何するとこ?」
「ゲームすることだよ」

 今一つ通じていない王子を見かねヴァルサスは昼食後、キリヤナギをゲームセンターへと連れてゆく。そこは沢山のショーケースにはいったぬいぐるみや景品があって、キリヤナギは感動していた。

「何これ」
「クレーンゲームっすね」

 遊び方をレクチャーされると、キリヤナギは楽しそうにコインをいれ景品を動かそうとしていた。何度やっても元に戻り悔しくなってくる。

「反動台にハマってんじゃん……、そのままやるなら運ゲーだぜ?」
「何それ……」
「貸してみ」

 ヴァルサスは残り回数を使い、アームを使って景品をズラすと、傾けて重心を移動させる。

「同じとこ狙うとだめなんだよ」

 的確にアームを滑り込ませ、およそ数回のプレイでヴァルサスは景品を落としていた。その手際の良さに思わず拍手してしまう。

「すごいー!」
「ヴァルサスさんすごいですー!」
「へ、伊達に通ってないぜ」

 景品口から出てきたのは、大きな箱のお菓子だった。ラグドールと興味津々に開封すると同じパッケージこ小さなお菓子が数個入ってるだけでガッカリしてしまう。

「お菓子景品なんてそんなもんだよ。もう手伝わねぇし、頑張れ」
「やってみる!」
「頑張って下さい! 殿下」

 ふとジンをみるといつのまにか袋いっぱいにお菓子景品を持っていてキリヤナギは思わず引いてしまう。

「じ、ジン……」
「入ります?」
「ジンさん、もしかしてガチ?」
「こういうのは好きなんで……」

 思えば『タチバナ』そのものが分析に長けた武道でキリヤナギは、クレーンゲームとの愛称の良さに納得もしてしまった。

「殿下は、あっちの台のが良くないです?」
「あの大きいの?」
「確率機……」
「上手くやれば実力でも?」
「……」
「ヴァル?」

 ヴァルサスは、しばらく言葉を失っていた。ふと周りを見ると、いつの間にかリーシュの姿が見えず、キリヤナギは探しながらゲームセンターを歩く。
 クレーンゲームばかり並ぶそこは、人が多くいて迷いそうになるが、一番奥のひっそりした台に彼女は張り付いていた。ぬいぐるみの台で景品が固定されているのか上手く押し込めずなかなか動かない。

「リーシュはそれが気になってるの?」
「で、でん、……王子! はい、あのかわいいなって……」
「僕が続きやっていい?」
「は、はい。お願いしまう!」

 噛んでいる。ショーケースの隅には親切に獲得方法も書かれていてキリヤナギは、それを見ながらクレーンを動かしてゆく。ぬいぐるみは出口付近の突起に引っかかって動かないが、少しだけ持ち上げるとそれが外れ僅かに動いた。

「お上手です!」

 返事に困ってしまうが、慎重に頭を持ち上げてずらし、先ほどヴァルサスに言われたように重心を外へと持ってゆく。失敗を重ねながら、順調に動いたそれは最後に持ち上げた時点で景品口へと落下した。

「やった!」
「おめでとうございます!」
「取れてよかった。あとリーシュ」
「なんでしょう?」
「前は言えなかったけど、助けてくれてありがとう」

 ぬいぐるみを渡されたリーシュは、まるで沸騰するように顔を真っ赤にして固まってしまった。遠目でみていたジンも安心し、散々あそんだ5名は、夕方にモール街をでる。
 自分の身長にも近い大きなぬいぐるみを抱えたラグドールは、とても楽しそうに帰り道を歩いていた。

「まさか取れるとは思いませんでしたけど、とっても嬉しいです!」
「ラグドール、その大きいぬいぐるみどうやったの?」
「皆さんが全然運べない台だったんですけど、何故か私のときに出口まで運んでくれて」
「へぇー」

 アームが3本あるクレームゲームは、およそ1割の確率で景品が確実に手に入る台だ。主に「確率機」ともよばれていて、実力で取るには高度な技術がいる。

「ジンさんもすごいです」
「お菓子しかとってないすよ」
「なんてお菓子ばっかり?」
「他はかさばるんで」

 ヴァルサスにも持っているその袋は2つになり、入りきらなかったものの箱を破棄して中身だけ入れてきたがそれでも傘が減らなかった。
 よくみるとウィスタリア産の調味料や、ローズマリー限定の袋麺なども混ざっていてありとあらゆる台に手を出したのがわかる。

「リーシュもお疲れ様」
「お、お疲れ様です。ありがとうございました。あの、ご旅行に行かれるんですよね」
「うん、来週かな?」
「あの、ローズマリーには、私の実家があって海の家もやってるのでお見かけしたらどうぞよろしくお願いします」
「そうなんだ。リーシュも来る?」
「は、はひ?? いえ、その、私は来週、出張なので、行けないです、すみません」
「そっか……」
「学生なのに、出張??」
「ち、ちが、ちがいます!! え、えーと、家族で、旅行です!!」
「ふーん」

 話しながら歩いていると、バス停へと辿り着き、ちょうどオウカ町行きのバスが来た。
 帰宅ラッシュなのか座る席がなくとも王子は気にした様子もない。

「つーかリーシュちゃん、こっちでいいの? 俺はオウカ町だけど」
「え”っ!」
「一緒に王宮に帰る?」
「だだだ大丈夫です!! あ、次でおります。皆さん、今日はありがとうございました!!」

 降車ボタンを押し、リーシュはその後10分ほどバスで揺られた後、恐縮したように降りていった。
 思えばリーシュは、キリヤナギにもらったぬいぐるみしか持っておらず、買い物もできていないことに気づく。

「付き合わせちまったのか?」
「違うと思うよ」

 キリヤナギは終始笑いを堪えていた。ヴァルサスは首を傾げているが、あくまでリーシュは学生だからだ。

「ちょっと恥ずかしがり屋なだけだと思う」
「ちょっとじゃねぇって」

 ヴァルサスは呆れていた。バスを降りヴァルサスとも別れた3人は、王子の門限にあわせて帰宅する。王子を夕食へと送り出したジンとラグドールは、リビングに買ってきたものと大量のお菓子と数個のぬいぐるみを運び込み休憩していた。
 事務所から現れたセオは、電卓と書類を持ち込み使った経費の計算をしてくれる。

「また沢山とったね……」
「久しぶりで楽しかったかな……」
「ジンさんとても上手でしたよー」
「よかった。殿下用の交遊費も毎年余りすぎてるから助かったよ」
「そんな使ってねぇの?」
「元々行ける店が少ないんだよね。使わなかった分は、いつも殿下のご意志で寄付してるぐらいだし、本当欲のないお方だよ」

 確かにジンもラグドールもキリヤナギが、お金を使って遊ぶ所を見たことがなかった。外に出ても公園や散歩ばかりで、時々友人と喫茶店に行くぐらいなら確かに減る事もない。

「海グッズはいいとして、景品本当にこれだけ? ぬいぐるみは?」
「一回でとれました」
「取れそうだったやついじったら2個落ちて……」

 想像の七割ほどの金額しかつかわれておらず、セオは半信半疑だった。しかし、ジンのゲームの上手さはセオもよく知っていて、肯定されれば納得もしてしまう。

「お菓子台安いんだぜ?」
「知ってるって……」

 疑われないか不安を抱え、セオが悩んでいるとノックから、青の騎士服を羽織る男性がはいってくる。

 一方でキリヤナギは、グランジに付き添われ食卓からリビングへと戻ってきていた。
 普段通り誰も話さない緊張の食卓はとても疲れたが、戻ってきたリビングから突然ショックを受けるような叫び声が響く。
 扉から中へ入るとセスナが咽び泣いていてジンとセオ、ラグドールまで揃っていた。

「ラグ!! これ女性用ですよね!? 僕男ですよ!?」
「でもお兄様クローゼットに最近女の子の服増えてたからこっちかなって」
「あれはヒナギクさんが勝手に買い込んで渡してきたやつで……」

 セスナの手には白い女性用の水着が握られていて、キリヤナギが思わず吹き出してしまった。

「ヒナギクにもらった奴だったんだ。着たところみせてよ」
「殿下! おかえりなさ……って、冗談はやめて下さい!」
「せ、セスナさん。ちゃんと男性用のも買ってきたんで……」

 ジンが袋から出してきたそれにセスナはまるで救われたような表情をして、水着ごとジンの両手を握る。

「ジンさん、貴方だけです。僕の味方は、大切にします」
「え、えーっと……??」
「殿下。ヒナギクちゃんからもらったお兄様の写真みますか?」
「みせてみせて!」
「やめてください!! もうこれ以上羞恥をさらすのは……」
「着たんですか……」
「ストレリチア隊の飲み会の罰ゲームで……」
「めちゃくちゃ可愛いんですよー」
「あれ以来同僚から意味深なメッセージが……」
「ホラーじゃないっすか」

 キリヤナギはずっと笑っていた。先日の事件から心配を得ていた騎士達は、そんな王子の笑みにほっと肩を撫で下ろす。
 少しだけ、外を歩くことへ恐怖していたキリヤナギは、この買い物がきっかけで調子が戻ったとも言えるからだ。
 ジンは、戻ってきたグランジへお菓子が大量に入った袋を渡し、彼が満足そうにしているのを見て安堵する。
 ジンがお菓子台へと拘るのは、そもそも景品に興味がないこともあるが、グランジはそれを喜んでくれる数少ない仲間でもあるからだ。

「グランジさん好きなんですね」
「俺はそんな食べないので、消費してもらってますね」

 そんなジンへ、セオは少し呆れていた。

「みんな当日はよろしく!」

 騎士達は、意気揚々と同意していた。

*34

 夏の爽やかな日差しが注ぐオウカの国で、騎士棟の首都が見渡せる巨大な窓を眺める初老の男がいた。
 堂々とした彼の視線の先には、遠くにこの国最大の広さを持つクランリリー駅が存在する。そこは全領地へと張り巡らされた線路が集結するまさに全国有数の駅ともいえた。
 そしてその日。夏休みを迎えた王子は数年ぶりに首都の外へと旅行へと向かう。駅を眺めるクラーク・ミレットは、かつての部下へ、全て賭ける思いで見送っていた。

「クラーク」
「……アカツキか」

 外を眺めるクラークの横へ並んだアカツキは、同じく多くの建物が並ぶ街を眺めていた。文明の発達した都市はまるで血管のように自動車が行き交い、まさに生きているようにも見える。

「そろそろ立つのか?」
「あぁ、殿下を見送った後、私も向かう」
「気を遣いすぎでは?」
「嫌われている限り、出来るだけ視界に入らない努力はするものだ。貴様はもう少し配慮を知れ」

 睨んでくるクラークに、アカツキは困っていた。横にいるクライヴ・シャープブルームも呆れてため息もついている。

「敵の目処は?」
「既にあるが厄介な土地だ。多少強引になるだろう」
「あまり焦るのも良く無いとーー」
「悠長な貴様に言われたくは無い。そっちは?」
「マグノリアで、アゼリア卿と合流する」
「アゼリア……私は聞かないが……」
「ご子息が、殿下のご友人だと言う」
「……貴様はそういう人選しかしないのか??」
「閣下……」

 クライヴが、苛立っているクラークを制止してくれる。アカツキのこの態度は昔からだが、クラークはこの男の『緩さ』に何度助けられたかわからなかった。

「アゼリア卿の信頼と実力に心配はない。問題があるとするなら……泳げないぐらいか?」
「もういい。盗難犯は私が捉える」
「必要なら、そちらへ援護をーー」
「遅いわ! もう貴様の力など借りん!!」
「アゼリア卿はかつて『タチバナの隊』にもいて……」
「いらんわ、ボケが!!」

 クラークは背中を向けてしまった。何故かガッカリしているアカツキを、クライヴはじっと睨んでいる。
 ふと、クラークは立ち止まった。

「何かあればフォローはしろ」
「言われなくともーー」

 立ち去るクラーク・ミレットを、アカツキは見送らなかった。残されたアカツキは、時計をみてまもなく発車する列車へと思いを馳せる。

「我々も列車が安全と確認出来次第動く」
「は、」

 アカツキ・タチバナは、自身の片手にデバイスを持ち、同じく列車の出発を待っていた。

 オウカ国首都、クランリリー領。オウカ町から南側にあるコノハナ町には、この国最大の面積を持つ巨大な駅が存在する。
 そこは国に張り巡らされた線路が集結するまさに拠点で、あらゆる場所へ行き来が出来る言わば全ての列車の終着点でもあった。
 日頃から市民が利用する首都循環のホームから少し離れた西領ゆきのホームで、オウカ国の王子キリヤナギは、2人の騎士と共に大きめのトランクケースへと座り、待機している。

「みんなもうすぐ着くみたい」
「何よりです。発車までまだ時間があります焦らずにとお伝え下さい」
「セシル、ありがとう」
「飲み物もご持参されなくともいいと」
「ヒナギクもありがとう」

 夏の洋装を纏うキリヤナギは、サマージャケットを羽織っていて、その日旅行にゆく若者であることは明らかだが、普段の雰囲気とは違い市民の中へと無難にも溶け込んでいた。
 隣にいるのは特殊親衛隊長、セシル・ストレリチア。彼はヒモタイにブローチをあしらい、七分袖のシャツにベストを着てフォーマッルな印象がある。また隣にいるヒナギクも白ワンピースに鍔の長い帽子をかぶり、気品のある夏のモデルのように見えた。

「2人とも似合ってる」
「光栄です。殿下」

 ここにいるのは2人だが、残り6名の騎士達は発車までの間に車内へ荷物を運び込み、貴族を迎えるための準備をしていて、セシル、ヒナギクの二人は、キリヤナギが友人と無事合流できるよう護衛としてついてきてくれていた。
 待ち合わせ場所の西領行きのホームは、様々な人が行き交い、時々大勢のツアー客も列車へと乗り込んでゆく。

 久しぶりの駅の光景に新鮮さを得ていると、改札口の方から、四名の男性がこちらへと歩いてくる。普段学生らしい装いの2人は、その日キリヤナギと同じく洋装だった。
 現れたのは、大きめのトランクケースを燕服をきた男性に引かせる男性。カジュアルな私服のアレックス・マグノリアとカバン一つのヴァルサス・アゼリア。

「きたぜ! 王子」
「ヴァルに先輩! おはよう!」
「ごきげんよう。お誘い頂けて光栄だ。そちらの2人は騎士か?」
「はい。ご機嫌よう、マグノリア公爵殿下。はじめまして、この旅へご同行させて頂く宮廷騎士団、ストレリチア隊大隊長、特殊親衛隊隊長のセシル・ストレリチアです」
「同じく宮廷騎士団。ストレリチア隊副隊長。特殊親衛隊所属のヒナギク・スノーフレークですわ」
「め、めっちゃ美人……」
「私はアレックスで構わない。謙遜も必要はないと伝えてくれ」
「恐縮です」

 セシルは、後ろにいた執事と護衛騎士にも挨拶をし、アレックスの荷物を受け取っていた。男性にも関わらず腰ほどまである巨大なトランクケースを持つ2人にヴァルサスは困惑せずにはいられない。

「お前らなんでそんな荷物おおいんだよ?」
「え、そうかな? むしろヴァルはそれだけ??」
「おう、洗濯できるんだろ?」
「できるけど……」
「どう生活するんだ?」

 2人で困惑していて、質問したはずのヴァルサスも返事に困ってしまう。興味深く眺めるキリヤナギへ、ヴァルサスは中身を見せるべきか迷っていると入り口の方から、優雅に日傘を刺す女性が現れた。
 女性の騎士と共に現れた彼女は、同じく大きなトランクケースを騎士へ引かせこちらを見て笑う。

「ご機嫌よう。皆様」
「クク、おはよう!」
「姫、キマりすぎだろ……」
「あら、アゼリアさんは野蛮ですこと」
「ん”なっ!」
「貴族の女性を甘く見ない方がいいぞ」

 現れたククリールに、セシルとヒナギクは深く頭を下げて自己紹介をしていた。先程の話題の運びから、キリヤナギがククリールの荷物をみると女性にしては少なく思えて驚いてしまう。

「ククの荷物ってそれだけでいいの?」
「えぇ、」
「お前らが多いんだよ」
「アゼリアさんと並べないでくださる?」

 ヴァルサスは、歯を食いしばって何かをこらえていた。カレンデュラ邸の騎士へ挨拶を済ませ、2人の荷物を受け取ったセシルとヒナギクは、ヴァルサスの手を借りつつ皆を列車へと連れてゆく。
 最奥のホームに止まっていた列車は、発車準備が整えられ、セシルは車掌にも頭を下げて挨拶をしていた。

「皆さんご機嫌よう! お荷物お預かりしますね!」

 最後尾の客室から現れたのは、銀髪におさげにしたラグドール・ベルガモット。

「ラグドール、ありがとう」
「はい、こちら寝台車両となりますが、前にゆくとプレイルーム車両がありますので、皆様そこでお寛ぎ下さい」
「プレイルーム?」
「リビングのようなものだ」

 キリヤナギがまるで子供のように乗り込んでゆきヴァルサスも後に続いた。そこは個室仕様の寝台車両で、その日は旅行者の4人のために四部屋の寝室が用意されている。

「すっげ、めちゃくちゃVIP待遇じゃん」
「一度体験してみるのも悪くはない」
「優しすぎて怖くなってきたぜ……」

 ククリールは、一番手前の個室へ荷物を運び込み一旦は部屋へ篭ってしまった。
 キリヤナギはアレックスとヴァルサスと共に早速車両の散策へと赴く。寝台車両から通路を抜けると更に騎士向けの3段ベットを備えた寝台車両が続き、ラグドールの言う通り大人数でも寛げるプレイルームがある。
 そこには、バトラーらしき男性が冷蔵庫へ飲料を補充していた。

「殿下、お疲れ様です。お二方ご機嫌よう」
「セオさん、久しぶり!」
「春以来だな」
「はい、本日より数週間、ぜひこのツバキの元でお寛ぎ下さい」

 セオが一礼すると、足元から耳に響く鳴き声が聞こえてくる。取手付きの中型ケージの中にいたのは白と茶の毛をリボンで結ばれた犬だった。

「犬!?」
「うん、エリィっていうんだよね。よろしく」
「見ない品種だな、雑種か?」
「うん。保護施設に居た子を定期的に引き取ってて、僕に懐いてくれてるからせっかくだし一緒に行こうと思って」
「そう言うとこは王族らしいな……」
「今日は、向こうに着くまではケージかな?」
「動き出しましたら放して構いませんよ」
「噛まねぇ?」
「酷いことしなかったら大丈夫」

 キリヤナギは興奮するエリィを落ち着かせるように、ケージへボトル式の水をセットしていた。

「他のみんなは?」
「ダイニングにて準備をしております」
「ダイニング?」
「いってみよ!」

 プレイルーム車両の先には、広いテーブルのあるダイニング車両があり、3名の騎士が買ってきた食材を冷蔵庫へ収納していた。

「殿下、お疲れ様です」
「ジンとリュウドはここだったんだ」
「プリムもいるよ」
「ご機嫌よう! はじめまして」
「そっちの2人は初めてだな」
「ククがいないし、あとでみんなを集めて自己紹介してもらうね」
「そうだな。揃ってからの方が助かる」

 話していると私服のグランジが、ダイニング車両へと乗り込んでくる。手には菓子パンをもっていて小さく一礼をしていた。

「グランジさん、水売ってました?」
「あった」
「助かります」

 ジンは、大型のボトルを受け取り冷蔵庫へと格納していた。ダイニングの奥にも通路がありキリヤナギは、さらに興味が湧いてしまう。

「リュウド、この先は何があるの?」
「トイレとシャワールームがあるけど、あっちは一般の旅行客も使うから殿下は寝台車両を使う方がいいかもね」
「わかった。ありがとう」

 ヴァルサスが足を伸ばすとリュウドの言う通りで、車掌室や業務員用の収納スペースにもなっていた。
 一般客との間には「この先貸切」とも書かれている。

「一応見張りはするので、誰も入っては来ないと思います」
「ご苦労だな。当然だが、よろしく頼む」

 アレックスの言葉に頷いたリュウドとジンは頷いていた。間も無く発車するがプレイルームに戻る最中、キリヤナギは1人足りない事に気づく。

「セスナは?」
「先程、隊長を探すと言って出掛けられましたが……」

 話しているとセシルが乗り込んできて、向けられた視線に彼は礼をしていた。そして皆が不安に駆られる最中、発車3分前セスナが駆け込んでくる。

「お、お待たせしました!」
「せ、セスナ、大丈夫!?」
「すみません。ちょっと色々ありまして……」

 汗だくのセスナに、セオは飲料を渡してくれていた。準備を終え騎士全員がプレイルームへ集まったことを確認したセシルは、ククリールも現れたことを確認すると、座った4人へ向けて口を開く。

「殿下を含めたご友人の皆様。ご機嫌よう。我らは宮廷騎士団における王子殿下専属の護衛部隊。宮廷特殊親衛隊の8名です。本日より私達はあなた方を安全に往復できるよう尽力して参ります。以後お見知り置きを」

 セシルの挨拶にヴァルサスは拍手をする。そしてそれを合図とするように発車ベルが鳴り、列車はゆっくりと巨大なクランリリー駅のホームを出てゆく。

「何度か顔を合わせ、ご存知の方もおられるかもしれませんが、改めて我々の自己紹介を。私は宮廷騎士団ストレリチア隊大隊長。特殊親衛隊隊長のセシル・ストレリチアです」
「同じく。ストレリチア隊副隊長、特殊親衛隊副隊長のセスナ・ベルガモットです」
「同じくストレリチア隊副隊長。特殊親衛隊所属のヒナギク・スノーフレークですわ」
「同じく、ストレリチア隊、特殊親衛隊所属のラグドール・ベルガモットです」
「こちらまでが、私の隊より所属する特殊親衛隊員です。他は別部隊から、グランジからかまわないかい?」

 グランジは頷き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
 
「宮廷騎士団、タチバナ隊。特殊親衛隊所属のグランジ・シャープブルーム」
「タチバナ隊?」

 ジンに目線がゆき、彼は首を振っていた。確かに名前で混合されることが多々あるからだ。

「宮廷騎士団だとジンのお父さん。アカツキ・タチバナ卿の隊があるんだ。グランジはそこ所属」
「ふーん」
「『タチバナ』を使う隊か?」
「ううん、普通の隊かな? 前はあったけど解体されたって」
「『タチバナ』を使う?」
「うち、実家が昔道場やってたんすよ。そう言う流派が『タチバナ』って言うんです」
「へぇー、その流派つよいんすか?」
「武道の中では最弱な気はしますね」
「え???」
「どう評価すればそうなる??」

 アレックスに突っ込まれ、ジンは困っていた。終始黙っていたククリールは、そんな様子を不敵に眺めて居る。

「あら、個人戦一位の『タチバナ」さんは謙虚なのね」
「そう言うのじゃ、ないんすけど……」
「はは、『タチバナ』もいいですが、自己紹介がまだ終わっておりません。リュウド」
「はい、隊長! 俺は宮廷騎士団、シラユキ隊、特殊親衛隊所属のリュウド・T・ローズ。よろしく」
「T?」
「俺も『タチバナ』なんだ。リュウド・タチバナ・ローズじゃ長いからTで名乗ってる」
「タチバナ? 兄弟?」
「従兄弟です」

 三人は感心していた。そしてリュウドの横には、1人の少女が座っている。彼女はリュウドに促され、スカートを持ち上げて礼をした。

「ご機嫌よう。リュウドの妹、プリム・T・ローズです。私は騎士ではないのですが、ツバキさんのサポートとしてご同行させて頂くことになりました。使用人見習いであり、ご無礼なこともあるでしょう。どうかお許し下さい」
「研修みたいな?」
「うーん、どっちかっていうと安全枠?」
「安全?」
「見ず知らずより、身内の方が信頼ができると言うことですね」

 ククリールの補足は的を得ている。この人数をセオ1人で賄うのは無理があるため、家事が得意だと言うタチバナ家の身内を頼ったと言うことだろう。王宮の使用人に不祥事があった以上、安易につれてゆくのは危険だからだ。

「改めてとなりますがセオ・ツバキです。キリヤナギ殿下専属のバトラーとしてお仕えしております。私は使用人ですが、昨年度より騎士の1人として特殊親衛隊へと招かれました。よって所属は桜花宮殿バトラー。ツバキ組ハウススチュワート。特殊親衛隊所属のセオ・ツバキです。皆様の安全と生活をサポートさせて頂きます」
「光栄ですわ。ツバキさん、楽しみにしておりますね」
「なんなりと」
「姫も、ツバキさんのこと知ってんの?」
「貴族ならば誰もが一度は憧れる家でしょう。アレックスもそうじゃない?」
「そうだな。ツバキが仕えるだけでそれは格式の証明に繋がる。厳しくもあるのだろうがその目に狂いはない」

 キリヤナギは、少しだけ退屈そうにしていてヴァルサスは呆れていた。続きの自己紹介が始まらず、ヴァルサスはジンをさがすと視界に苦笑するセシルも目に入る。

「ジンの番だよ」
「え、でもみんな知ってるし……」
「改めて名乗るものだよ」

 セシルの圧にジンは少しみじろぎつつ、口を開く。

「宮廷騎士団、ストレリチア隊嘱託。特殊親衛隊所属の、ジン・タチバナです……」
「嘱託?」
「ちゃんと所属してる訳じゃなくて……」
「隊に所属していない? そんな事あるのか?」

 ジンが困っていて、セシルは苦笑していた。嘘でもいいのでストレリチア隊だと言っていいと話していたのに、彼はそれが嫌いらしい。

「ジンはアークヴィーチェ管轄で隊の任務にもなかなか参加できないし?」
「だが騎士学校を卒業した時点で、本来割り当てられるものでは?」
「なかったみたい?」
「なかったっす」
「珍しいのね。騎士学校で何をされたの?」

 ククリールの指摘が鋭く、ジンは答えられなかった。キリヤナギも目を逸らしてフォローをする気配もない。

「噂以上に複雑だな『タチバナ』周りは……」
「リュウド君は普通なんで……」
「俺からしたら、なんでジンさんばっかって思うけどね!」
 
 聞かれれば聞かれるほど、訳がわからないわからないのか、ヴァルサスは困惑してジンを眺めていた。その顔はまさに「どこから突っ込めばいいかわからない」だろう。

「『タチバナ』って、結局なんなんだ?」
「『タチバナ』は、この国を支える『王の力』に絶対優位とされる武道。その力は、異能を抑制し【服従】すらも寄せ付けないと言う」
「マジ?」
「ま、まぁ……」
「異能使いならば一度は耳にする名だが、王子の言った通り最近は耳にすることはなくなったな……解体されたからか」
「なんで?」
「意味がないんです。『タチバナ』は【能力者】には強いんですが、『無能力者』には強くないと言うか……」
「そんな意味不明な……」
「そ、そう言うものなんです。無駄な動きになるので……」

 ヴァルサスが困惑していて、ジンがさらに困っていた。セシルはそんな様子を笑い、まるでフォローするように口を開く。

「意味がないのはそうだけど、ジンは個人戦を二連覇した確かな実力を持っています。『タチバナ』に意味はなくとも、ジンは間違いなく対人の天才と言えるでしょう」
「う”っ」

 ジンがフリーズしていて、それをキリヤナギが嘲笑う。この2人の関係性は謎が深いとヴァルサスは一旦は考えるのはやめた。

「ジンさんて、苦労してるんですね」
「それは自業自得なんで……」
「腰を据えたいならうちの隊に来るかい? ジンなら歓迎だよ」
「隊長、いいんすか?」
「ジンさんがきてくれるなら、みんな大喜びですよー! うちの隊、弱いってよく馬鹿にされるんでー」
「えぇ……どうなんですかそれ」
「私がまだ大隊長としては新人で若いから、隊としての実績が少ないのもあるかな」
「他の隊で居心地が悪くなった人が流れてくるんです、落ちこぼれの集いみたいな言われがついていい迷惑です!」
「ヒナギクちゃん、落ち着いて……」

 騎士団も大変なのだと、ヴァルサスは同情しかできなかった。ジンもそれ以上は言及せず、キリヤナギも楽しそうに騎士達の話を聞く中で、車窓からみえる建物が徐々に低くなっていることに気づいた。

「もうすぐ都市をでるな」

 キリヤナギはスピードを上げてゆく列車にから身を乗り出し、風を受けながら遠のいてゆく街を眺める。

「列車も初めてなのか?」
「ううん。結構乗ってるけど、クランリリーから出るのは本当久しぶりで、嬉しくて」
「へぇー」
「マグノリアまでかなりかかりますから、それまでリラックスをしてお過ごし下さい」
「あんまり乗り出すと危ないから入っとけ」

 ヴァルサスに引っ張りこまれるのを見たセオは、何故か新鮮な気持ちにもなっていた。
 遠ざかる都会を見えなくなるまで見送り、キリヤナギは外の風景を通信デバイスの写真へと収める。犬のエリィをケージから出すと興奮して走りまわり、しばらくは持ってきたおもちゃで遊んでいた。

 ここから列車は西側へと方向を変えてマグノリア領へと向かうが、朝からずっと上機嫌だったキリヤナギは、遅れて疲れがきたのかエリィに寄り添われ眠ってしまった。

「小学生かよ……」
「はは、楽しみで眠れなかったといっておられましたからね。間も無く昼食ですから、お好きなタイミングでダイニングへお越しください」
「隊長さん、サンキュー!」

 王子をソファへ寝かせ、ヴァルサスが覗きにゆくとアレックスと談笑する騎士達がおり、皆の和気藹々と昼食を済ませていた。

「ヴァルサスさん、ご機嫌よう」
「ヒナギクさん、あと」
「セスナです」

 プレイルームにはセシルとラグドール、リュウドがいたが、一般客室側の出入り口には、ジンとグランジが向かい合わせでゲームをしている。

「特殊親衛隊って意外と緩い?」
「緩く見えますけど、一応ちゃんと警戒してるので安心してください。みんな気を抜いてるのは、この列車に不審な人が乗っていなかったからですね」
「分かるんすか?」
「はい、僕、こう見えて【読心】のプロなので、グランジさんも入り口にいますから、【未来視】ですぐ捕まえてくれますよ」

 本当だろうかと、ヴァルサスは半信半疑だった。アレックスは、セオに水を注がれ窓際で優雅に昼食を楽しんでいる。

「マグノリア領出身の貴殿が、こうして特殊親衛隊にいるのは誇らしくはあるな」
「えへへ、覚えてて頂いてて光栄です」
「そっちは知り合い?」
「ある程度はな、ほぼ名前だけではある」

 セスナは少し照れているが、横のヒナギクには何故かスルーされている。

「親衛隊ってみんな『王の力』持ってるって聞いたけど、皆さん誰がどれを持ってるんですか?」
「僕は、今お話した【読心】で、グランジさんは【未来視】。ヒナギクさんは【認識阻害】、ツバキさんは【千里眼】ですね」
「へー」
「ラグドールは【細胞促進】。リュウド君は【身体強化】、隊長は【服従】です」
「ジンさんは?」
「ないっす」
「な、なんで……?」
「俺からしたら【倒すもの】だし?」
「えぇ……」
「はは、流石『裏切りのタチバナ』だな。潔い」
「よくわからないんですけど、ジンさんにめちゃくちゃ温度差感じると言うか……」
「言われてるよ。ジン、少しは反省したら?」
「セオ?? な、何を……」
「僕らストレリチア隊は気にしてないのですが、確かに浮きますよね……」
「噂とは乖離がありましたが、概ね間違ってないのではとは思えてきますね」
「ひ、ヒナギクさん……」

 ヒナギクは目すら合わせてくれない。グランジも何も言わず、ジンは一人で焦っていた。

 騎士達もくつろぎ、数時間線路に揺られる一行は、緑豊かな森を抜けてマグノリアの土地へと入ってゆく。
 アレックスが懐かしそうにそれを眺めている中で、ククリールもまた窓を開けて真新しい景色を楽しんでいた。

35

 線路を辿りながら国境沿いのロータス川と並走した列車は、車窓から広大な川を眺めることができ、奥にうっすらと見えるのは隣国のガーデニアだ。
 川が見えたと言われて起こされたキリヤナギは、もう一度楽しそうに窓から身を乗り出して写真をとる。

「昼食はどうされますか?」
「食べる食べる」
「王子だけだぜ、さっさと行け」
「え、う、うん」
「お気になさらず」

 昼食を済ませて居ると、アナウンスからまもなくマグノリア領のモクレン町へ到着すると伝えてくれる。
 午前に沢山寝てしまったことが残念だが、お陰で疲れもなく意識がはっきりしていた。

「ローズマリー行きに乗り換えするんですか?」
「乗り換えと言えば乗り換えですが、この専用車両が明日の夜に発車するローズマリー行きへと連結されるので少し語弊がありますね」
「すげ……」
「明日の夜に乗車するまでの間は、再乗車ができないので忘れ物には気をつけて」

 特に荷解きもしておらず、キリヤナギは心配もしていなかった。スピードを落とし徐々にホームへ入ってゆくと、まるで行列のような人だかりができていて、キリヤナギは驚いた。
 大きな機械を肩に乗せるのは、マグノリアの地元メディアにみえる。

「き、きてる」
「日を公開したのだから当然では?」
「あれ王子のファン?」
「貴方以外と人気あるのね……」

 市民に見つかると囲われるぐらいには知名度がある。首都では、メディア慣れしていないことを知る市民もいて、テレビに出たことを褒められることもあった。

「何か喋った方がいいかな?」
「喜ばれるでしょうが、迎えを待たせて居るのであまり……」

 既に駅前には、送迎用の自動車が到着していて、駅前の交通を圧迫しているらしい。迷惑がかかっているなら立ち止まれないと思い、キリヤナギはその日は手を振って応じていた。
 マグノリア家が手配した自動車は3台あり、キリヤナギはアレックスと席を並べて公爵家へと向かう。

「結構大掛かりだけど……」
「公開旅行ならこのぐらいは当然だ。堂々としていればいい」
「故意だよね」
「当たり前だ、部下が上司を持ち上げなくてどうする?」

 思わず頭を抱えてしまった。アレックスは、キリヤナギが質素なことが好きだと分かっている。分かっているからこそのこの歓迎は、軽い当てつけだからだ。

「マグノリアでの王子殿下の人気はアイドルだ。旅行の告知を出しただけで問い合わせが殺到。これ以上のチャンスはない」

 カーテンを除くと窓の外には、国章を振る市民がかなり居て震えてしまう。ここまでやるのは、「王子を重宝している」と市民へと誇示したいアレックスの政略だ。

「せ、政治利用……」
「私を誘うとは、『そういう意味』だぞ。ここは学校ではないからな」

 言い返せなかった。貴族と貴族ならば、お互いに利用し合うことは日常で驚くこともない。

「気分を害したか?」
「うーん、むしろ潔くて安心した」
「はは、よくわかってるじゃないか」

 知らずに利用される方が不快になる為、分かりやすいのは助かる。それは公開旅行の時点で、ある程度覚悟はしていたからだ。
 マグノリア領モクレン町は、公爵が住居を構えており、首都並みに街は発展しているが、高度文明の四角い建物とオウカ国の文化家屋が混在し、まるで時代の狭間に来たような気分にもなる。
 キリヤナギは、流れる景色を動画や写真へと収め、アレックスと共に公爵家へと向かった。
 邸宅へ辿り着くと、セオが扉を開けてくれてキリヤナギは公爵との公開会談のための準備を行う。ククリールもラグドールとヒナギクに付き添われて準備をする様子に、ヴァルサスは困惑を隠せなかった。

「お、お前ら何やってーー」
「貴様もテレビにでるか?」
「え”っ」
「出ないなら、着替えだけしてここで待っていろ」

 まるで嵐のように駆け回る使用人達に、ヴァルサスは何も言えない。マグノリア家の使用人いわれるがままスーツと着替えさせられ、ヴァルサスは広い部屋にお茶をだされ待機させられた。

「ヴァルサスさん、お疲れ様!」
「あ、え、リュウドさん。だっけ?」
「うん、心配で見に来た」

 リュウドはさっきまで私服だったのに、今は騎士服を纏っている。しかし周りが慌ただしすぎて何もできなかった手前救いにも思えた。

「な、何がおこってるんですか?」
「殿下の挨拶の準備をしてるんだよ。マグノリアに来たよって言うのをメディアに撮ってもらうんだ」
「あぁー」
「握手するだけだけど、テレビみてない?」

 何年かに一度、視察に行ったと言う王がメディアに流れていた。握手しか流れないが、これが裏だと思うと狂気すらも感じる。

「アレックスさんと殿下、大学で仲良いならそれも撮ると思うし、しばらくかかるかも」
「俺、どうしたら……」
「スーツなら映り込んでも大丈夫だろうし、見学できると思うけど?」

 はっとして、アレックスの気遣いに気づいた。スーツを着せられたのは「自由にしていい」と言う意味だったのだ。

「でも、そのスーツ本当に普通のスーツだから、暇そうにしてるとメディアにマイク向けられるだろうし、スケジュールとか話さないように気をつけて」
「ま、まじ?」
「細かいスケジュール分かったら多分、旅行が終わるまで張り付かれるし? 俺ら騎士は、メディアも『話さない』って分かってるからスルーなんだけど」

 感心もしつつ身に刻みつける思いでヴァルサスはリュウドの話をきいていた。そして、人の隙間を縫うように屋敷の散策へと赴く。
 その道中の庭園に、花園をバックにしたククリールが、メモを取る記者に囲われていた。

「ここ最近、大学にて王子殿下の関係性が噂されておりますがお付き合いされているのですか?」
「まさか。私はただマグノリア公爵殿下との関係性がきっかけで、お目通りがかなっただけの人間ですわ」
「マグノリア殿下との関係性も噂されておりますが……」
「二人はよき学友です、強いて言うなら、私が歴史学専攻で王子殿下が『教えてほしい』と声をかけてくださったぐらいですわ」
「それは、王子殿下が貴女を意識されていると言う事でしょうか?」
「さぁ、存じませんね」

 手慣れていてヴァルサスは絶句していた。メディアの歓びそうな内容をぼかしながら話す彼女は、王子とは真逆で『メディア慣れ』しているとも言えるからだ。
 顔を撮影しないと言う条件で、撮影にも応じたククリールは、日笠を指す様子をメディアへ撮らせ満足度そうに笑っている。

 ヴァルサスは見つかる前にその場を離れ、一際人が大勢いる方向へと足を伸ばした。リュウドに道を開けてもらいながら奥を覗くと、広いホールで向かい合い歓迎を受ける王子がいた。
 広間で要人たちに囲われながら笑顔を見せる彼は、正にテレビを見ているようにも錯覚してしまう。
 夢中でみていたらいつのまにか日が暮れ、場は夜会へと映ってゆく。旅の疲れがあるとして早い目に切り上げられるとも言うが、長時間の移動からほぼ休憩なしのスケジュールにヴァルサスはげっそりとして、テーブルへ腰掛けていた。

「ヴァルサス……」

 疲れて目の前に並ぶ料理も手がつけられずにいたのに、突然名前を呼ばれて驚く。久しぶりのその声に、恐る恐る振り返ると見慣れた男性騎士がいたからだ。

「……お、親父!」
「よく来たな」

 少しだけ嬉しくなる自分がいて、情け無くもなる。貴族ばかりのこの空間に孤独を感じずにもいられなかったからだ。

「寂しかったか……?」
「さ、寂しくねぇよ!」

 ヴァルサスの父、サカキ・アゼリアは、そんな息子の本音を察したようだった。

「アゼリア卿!」

 はっとして2人が振り返ると、グラスを持つ王子とアレックス、そして豪華な礼装の男性がいる。
 サカキが深く頭を下げるのは、この二人の位が自分より上になるからだ。

「こんにちは」
「王子殿下、ご機嫌麗しゅう。公爵閣下もおそろいで」
「アゼリア卿。定時から呼び出してすまない。顔を出してくれて光栄だ」
「お気になさらずに、殿下へお目通りが叶ったことを光栄に思います」

 同席しているのは、エドワード・マグノリア。アレックスの父にあたり、このマグノリア領を収める領主でもある。

「貴殿がヴァルサスか、普段経験できない空気だろうが、楽しんで行くといい」
「あ、ありがとうございます」
「エドワード閣下。明日よりこのサカキ・アゼリアは、王子殿下の護衛任務のためマグノリアを離れローズマリーへと同行します」
「あぁ、話は聞いている。相変わらず宮廷は過酷だな、休みぐらいあっていいものだと思うが」
「ローズマリーにて、休暇を頂いておりますので問題はありません」
「休暇というのか? それは」

 どうなのだろうと、王子も首を傾げていた。公開旅行で、騎士達も交代で休んで良いとも聞いていたが、自由な時間かと言われればそうではないとも思えるからだ。

「ふ、王子殿下の問題ではありませんよ」

 考えていたら【読心】で読まれてしまい、コメントに困ってしまう。アレックスの父、エドワード・マグノリアは相手の心に寛大で、どんな本音を心へ抱いても笑って許してくれる。それは口や行動にでなければ、考慮する意味はないと考えているからだ。

「サカキさんは、セシルとは話した?」
「いえ、今来たばかりでまだお会いしておりません」
「先程一旦外していたので、間も無く戻るでしょう。アゼリア卿とは明日また私を交えての会議も予定しております。焦らずとも」
「そっか、わかった」
「……ヴァルサスは大丈夫か?」

 アレックスの言葉に皆がヴァルサスをみると、顔に過労が出ていて戸惑ってしまう。また隠そうとしているのもわかって言葉に迷ってしまった。

「だ、大丈夫です」
「あまり無理をするな」
「王子殿下、お付き合い頂き大変光栄ですが、おつかれでしょう。この夜会も間も無くお開きですので無理されず」
「ありがとう。他に挨拶が必要な人はいるかな?」
「すでに一通り終えられました。私の友人をご紹介できて満足しております。続きは明日にでも」
「わかった。ありがとう、エドワードさん」
「このマグノリアでのひと時をどうぞお楽しみ下さい」

 ヴァルサスは大きく安堵し、王子はククリールにも声をかけ一旦、夜会の会場から撤退した。煌びやかな衣装のまま騎士達と共に自動車へと乗り込んで行く中で、アレックスも同行する。

「先輩は家にいなくて平気?」
「友人なら、最後まで付き合えとも言われている。迷惑なら遠慮するが」
「ううん。旅行って感じがして嬉しい」
「光栄だ」

 日が暮れたマグノリア領は、灯りのついた建物が流れ、思わずずっと眺めてしまう。アレックスとキリヤナギ、運転する二人の騎士だけの自動車で、キリヤナギはふと思い出して口を開いた。

「そういえば、【読心】は借りた?」
「借りていない」
「え」
「そんなものがなくとも、私は今の地位に満足している」

 思わず言葉に詰まってしまった。
 キリヤナギが奪取した【読心】はアレックスへ、確固たる立場を与えていたのに彼はそんなものはもう要らないと言ったのだ。

「いいの?」
「別に読まなくとも、王子の行動が信頼できるものであると判断した。生徒会での働きは期待している」

 アレックスに言われると照れてしまう。キリヤナギは何も言い返せないまま、その日宿泊予定の王家の別宅へと辿り着いた。数名の使用人しか居ないこの別宅は、マグノリア公爵が管理していて王家がいつでも泊まれるよう常に美しく保たれている。

 夜会で既に夕食が済んでいる皆は、各々の寝室へ荷物を置いた後、この別宅で自慢の大浴場を堪能することになった。

「こんな大勢ではいるの初めて!」
「まじかよ……」
「そうだろうな……」
「はは、旅行の醍醐味ですからね」

 旅館やホテルなど、一般の宿泊施設が利用できない王子の為に、騎士達は少しでも雰囲気をわかってもらおうと、その日は騎士隊と共に入浴をしようと言う事になった。
 セオを除いた男性騎士と共に入りに来た王子は、服を脱いで行く皆に恥ずかしさを感じながらも、楽しそうに後へと続く。

「すっげ、なんだここ広すぎだろ!」
「王家の別宅は各領地にあるのですが、このマグノリアは、慰安旅行をコンセプトに建てられているので、この浴場はとても広く作られてるんですよね」
「僕の子供の頃のおもちゃもある。残しててくれたんだ!」

 湯船はプールのように深いものから広く浅いものもあり、皆で入ってとのびのびと足を伸ばすことができる。
 自由にしても良いと言われた騎士達は、早速湯船に浸かってみたり、洗い場に行ったりと個性豊かだった。
 おもちゃを持ち出したキリヤナギは、いつも声をかけてくれるヴァルサスが湯船でぐったりしていて、恐る恐る横へ浸かる。

「ヴァル、大丈夫?」
「疲れた……。つーか、なんでそんなケロッとしてんだよ」
「疲れたけど、いつも通りだし……」
「場数の違いだな」
「なんか本当に生きる世界ちげーわ、おまえら……」

 しかし、湯に浸かると徐々に疲れが抜け思考がはっきりしてくる。水面にアヒルの親子を浮かべて遊ぶ王子にあきれつつも、逆側で浸かるアレックスにも過労がみえて疲れていないわけではないと理解する。

「お前らの荷物多い理由もわかった」
「ヴァルって着替えぐらいしか持ってきてなかったんだね。確かに普通そうかも」

 メディア向け撮影や夜会用の衣服の為、王子とアレックス、ククリールは衣服が何着も必要なのだ。数着に妥協したとしてもそのような衣装は嵩張り、自然とケースが大きくなる。

「私も王子と肩を並べるためにも妥協できなかったからな」
「先輩、ありがとう」
「貴族として当然でもある」
「俺だって言ってくれたら持ってきたのにさ」
「招待した相手に気を遣わせたくなかったのでな」

 ヴァルサスに来いと言ったのは、アレックスだ。彼はその責任を果たすべく彼が自分たちと同じサービスを受けられる努力をしている。

「なんかちょっと憧れたけど、やっぱり俺平民でいいわ」
「どうしたの突然」
「平民は気楽だぞ、毎日が自由だからな」

 語弊はあるが、アレックスの言う通りだと納得もしてしまう。今この時間まで、移動時間を除けば貴族の三人の自由時間などほぼなかったからだ。権力や地位がある分だけ、貴族は自由を捧げ平民達が安心して暮らせる社会を作っている。
 ここで言うのならマグノリアへ王子が来た事で、彼の存在をメディアを通して市民に見せ公爵家と王家の繋がりを誇示する、また、嫡男との関係性も報道し、その地位は未来にまで続くと言う「安心」も伝えたと言うことだろう。
 これが必要な事で、首都から出るたびに強いられると思うとヴァルサスはとても想像ができず「やりたくない」とも思ってしまった。
 プライベートのほぼない環境に息が詰まりそうだが、そんな重みを感じさせず湯船を楽しむ王子に何故か気も抜けてしまう。

「好き勝手言って悪かったよ、反省するわ」
「え、何が?」
「大変なんだなってさ」
「僕、そう言うのに気を遣われても困るんだけど……」
「ならもう普段通りでいくわ」
「うんうん」

 湯船の隅には、勢いよく水が噴き出すジャグジーもある。アレックスが先に見つけ、キリヤナギと二人でくつろいでいた。
 二人の様子を観察しつつ、ヴァルサスは広い浴場を見渡しながら小声でのべる。

「所でさ、これ女湯どっちなんだよ」
「たしかあっち? なんで?」
「男のロマンだろ?」
「どんなロマンだ!!」

 キリヤナギは首を傾げている。
 遠くで聞いていたリュウドは何かを察したのか湯船に浸かったまま得意げに述べる。

「んー…… なるほど。それならヴァルサスさん、俺も行こう」
「ロマン?」
「ほ、本気っすか!? やめた方が……」
「し、死にますよ?」

 ジンとセスナの警告にヴァルサスは、不敵に笑うだけだった。セシルとグランジは、まるで聞こえないふりをしている。

「リュウドさん。ノリがいいですね」
「男だし、こう言うのには参加しないとな」
「い、いいのか?」
「ねぇねぇ、ロマンって?」
「おこちゃまはそのまま遊んどけ」
「おこちゃ……ひどい、なんで!!」
「いやいや、ここは殿下も仲間に入れてあげよう。こっちきて殿下」

 リュウドに呼ばれ、ヴァルサスと共に湯船を出る。女湯側の壁は上部が吹き抜けになっていて、うまく足場が取れれば登れそうだった。
 湯船に残ったジンとセスナが震えながら観察していて、キリヤナギは首を傾げてしまう。

「何するの?」
「覗くにきまってんだろ」
「え”」
「興味ねぇの?」
「無いわけじゃ、ない、けど……」
「王子、無理するな」
「殿下! こういう事も経験だよ。一回はやってみて損はない!」

 ヴァルサスは気にせず登れる場所を探して足をかけてゆく。リュウドの言葉が信じられないが、手を引かれるまま壁に誘導されてしまった。
 湿度が高く滑りやすいはずなのに、ヴァルサスは器用に登ってゆく。聞こえない振りをしていた騎士達も横目でみながら、我関せずを貫いていた。
 するすると登ってゆくヴァルサスに、アレックスは静止を兼ねて叫ぶ。

「猿か貴様は!」
「アレックスも来いよ。意外といけるぜ?」
「誰がいくか!」
「ヴァ、ヴァル。あぶないって!」
「平気平気」
「殿下。ここ意外としっかりしてるし、のぼるならここからだな。あ、そこは足滑りそうだから気をつけて」
「若いねぇ」
「隊長、命知らずですよ……」
「い、一応警告したし?」
「……」

 グランジも珍しく寛いでいる。
 キリヤナギが、リュウドに言われた場所へ足をかけると、滑りにくくなっていて上れそうに思う。
 しかし、さっき別れたククリールを思い出し、色々想像して恥ずかしくなってしまった。うーんと唸り足が止まるキリヤナギを、リュウドが支えるように押し上げてくれる。

 先に登り切ったヴァルサスが、顔を出そうとした時、唐突に飛んできた矢が彼のこめかみを掠め、天井へ当たり折れて床へ落ちた。
 何が起こったか分からず、登りかけたキリヤナギ、リュウドも青い顔で固まる。ヴァルサスがしばらく動けない中、逆側で体を洗っていたヒナギクが、護身用の弓を携えて警戒していた。

「ヒナギクちゃん、お風呂で弓はあぶないよ」
「いえ、ここにネズミがいてはいけないと思いまして」
「物騒なことするのね」

 ククリールの髪を洗うラグドールが、神経を尖らせるヒナギクに困惑していた。ヴァルサスは、自身の反射神経に感謝しながらそっと湯船にもどる。

「俺、生きてる」
「バカなことをするからだ」
「ぶ、無事でよかったですね……」
「ヒナギクってお風呂にも弓もってきてるんだ。すごい……」
「殿下、そこ関心するとこじゃないっす」
「何ごとも経験だね」
「それもなんか違う気もしますが……隊長がいうならまぁ」
「ヒナギクさん怖え……」
「……」

 セシルが見ないふりをしていて、キリヤナギも恥ずかしくかり、素直に湯船へと戻った。リュウドはヴァルサスを慰めに行き、アレックスはキリヤナギの横で溜息をつく。

 入浴を終えたキリヤナギは、ヴァルサスと同室の部屋を割り当てられ、早速ふかふかのベッドへと飛び込んで堪能する。ほてった体と冷房の効いた部屋、ひんやりした布団はとても心地がいい。

「寝そう〜」
「そいや、列車でも聞いたけど『王の力』貸し借り? あれどう言う意味なんだ?」
「あぁ、『王の力』ってね。元は僕の先祖が作った力だから今は父さんの物なんだけど、それは人に貸す、『貸与』することで初めて力を発揮するんだよね」
「ふーん」
「僕ら王族は、『王の力』は使えない代わりに『命令』をすれば、返してもらう事もできる。だから貸し借り」
「へー」
「オウカだと力の原本はまず父さんがもっていて、それを公爵へ預け、そこから騎士へもう一度貸与されてるかな? 公爵は無制限に貸与できるけど、公爵から貸与された人には、個人差で回数制限があって闇雲に貸与したら、自分が使えなくなるんだって」
「個人差?」
「人によって個数が違うんだ。ある人は五人だったり、違う人は十人だったり?」
「管理めちゃくちゃ大変じゃん」
「うんうん、だから異能の管理は、公爵に書面で記録してもらってて問題があれば、宮廷騎士団で対応するってことになってるかな? セシルはこの仕事の大部分引き受けてて、僕の親衛隊になるのはある意味都合が良かったみたい」
「ふーん、確かに詳しそうに見えたけど」
「盗難されてないか定期チェックもしてるみたいだし、もしかしたらセシルって騎士達の誰がどの力もってるかある程度把握してそう」
「そんな大変なのに、王子の親衛隊もとかやばくね?」
「うんー、だから最近は大人しくしてる」
「最近??」

 はっとして、キリヤナギは目を逸らした。その意味深な態度にヴァルサスは困惑している。

「王子、程々にしろよ」
「は、反省してるから……!」

 キリヤナギはそのまま寝たふりをしてしまった。ヴァルサスも過労が限界で、横になると自然と眠くなってくる。
 キリヤナギが気づいた頃には、ヴァルサスは寝てしまっていて初めての友人との相部屋に新鮮な気持ちにもなっていた。

「なんで貴様なんだ?」
「え、ご、ご不満です??」

 アレックスの布団を整えつつ、ジンは睨んでくる彼にしどろもどろしてしまう。

「俺は一応、今晩の見張りなので」
「王子の部屋はどうなってる?」
「ヴァルサスさんと相部屋です」
「王子の扱いとは思えないが……」
「え、えーっとぉ……」

 言葉に詰まってしまう。本来ならばここは個室でなければならないからだ。

「言いたい事は分からんでもない。確かに現情勢をみれば今ぐらいしかこんな事出来ないだろうからな」
「うん、まぁ、そんな感じです……」
「そこまで対人関係に経験ないのか?」
「俺は幼馴染でも距離があったので深くは知らないんですが、友達と呼べる友達も俺らぐらいしかいないって」
「本当の意味で箱入りか、哀れでもあるが確かに私が王ならば、そうせざる得ないのもわかる」

 これは年相応の経験ができなかった王子へ、平凡な楽しさを知ってもらおうというセオの提案だった。
 騎士学校ですら遠征という名目上、他の領地へ研修へ行き、多少の自由時間もあるのに王子はそれすらも参加ができないまま卒業して今に至るからだ。
 年齢が上がれば上がるほど時間も限られ、王や王妃がいたなら許されない事ではあるが、この旅行を介して王子はようや腐る人並みの自由を手に入れたと言ってもいい。

「いつまでいる?」
「え、すいません。俺は入り口で立ってますので、ご入り用なら鈴を鳴らしてお呼びください」
「騎士なのに、ご苦労だな」

 使用人をほぼ連れてこなかった一行は、騎士が使用人の代わりとして動いている。ジンもここにくる前、セオからある程度レクチャーを受けたが、点数で言うと40点だった。最悪見張りだけさせると言われてきたのに、アレックスが寛容で今夜は担当させてもらえることになっていた。

「ククリールお嬢様。本当に美しい黒髪をお持ちですね」
「お世辞は好きでは無いのだけど」
「とんでもないです。私、こんなに綺麗に管理できないので」

 入浴から戻ったククリールは、ラグドールとヒナギクを部屋に招き、ドライヤーをかけてもらっていた。部屋の照明をわずかに落とした部屋は、暖かい色に染まり、窓からは月明かりが差し込んでいる。

「マグノリアの素材で作られた化粧水などご用意があります。宜しければ為されますか?」
「あら、ヒナギクは気がきくのね」
「光栄です。実は香水を集めるのが趣味でして、こちらもご用意が有りますよ」

 ククリールは、一つ一つ丁寧に試して満足そうにしていた。優しい香りが漂う空間は、心身ともに穏やかになり心も落ち着いてくる。

「貴方達は騎士なのにプライドはないの?」
「プライド?」
「気にした事はありませんね。私は私のお仕事をこなすだけです。ククリールお嬢様はお優しいので、私も楽しいです」

 ラグドールは首を傾げていて、思わず吹き出してしまう。

「楽しい人達ね。騎士じゃないみたい」
「よく言われますが、よそはよそ、うちはうちです!」
「あはは、そうね。私も気に入った。ありがとう」
「本日はこのヒナギクが、お部屋の前で見張りをさせていただきますので、なんでもお呼びください」

 ククリールは鏡を見て、自分の肌を見ていた。湯上がりで保湿したばかりの肌は、潤いもありとても調子が良いい。

「2人から見て私と王子の関係性はどう見えるかしら?」
「お嬢様と殿下ですか? 今のところご友人止まりなのかなと言う印象ですが」
「え、そうかな? 誘われたらちょっと気があるのかなとか……」
「正直ね。でもヒナギクの言う通り、まだ友達止まりなの。ラグドールに期待させてるなら悪いわね」
「いえいえそんなことないです。確かに、こう言う話題デリケートで、気持ちが大事ですし……」

 王族の旅行へと同行することは、もはや婚約を確約したとも受け取れる行動でもあり、誤解されていてもおかしくは無いからだ。

「正直、色々あって断りにくかってたのもあるのだけど……」
「そうなのですか?」
「でも、部屋を分けてくれて『気遣い』も感じてしまって複雑なの」

 周りが「婚約者」のつもりで扱っているのに、本人にその気は無いとククリールは話している。言葉にしなくても良い事をあえて話すのは、ククリールなりの義理でもあった。

「……私達も殿下にお目通りが叶ってまだ一年ですが、多分殿下はお嬢様のそんな気持ちも汲まれていると思います」
「そう、かしら?」
「友達ってやっぱり対等が大事ですし、そのラインを見つけるのは時間もかかりますから、この部屋割りが物語ってるのかなって」

 本当に婚約者なら同室なって当たり前だからだ。あえて分け大切に扱ってくれる女性騎士を割り当ててくれたのは、友達として最大限の配慮ともいえる。

「私も答えられるかしら」
「是非、この旅行を楽しまれてください。サポート致します!」
「ヒナギク、ラグドールありがとう」

 そうして、マグノリア領での夜は更けてゆく。屋内に放されたエリィにも犬用のベットが用意され、皆は期待した旅行初日は、平和に穏やかにすぎていった。


ローズマリー領の南東へ位置する山岳地帯、まるで崖に挟まれるれたような場所に小さな集落が存在した。
 高度な文明が持ち込まれたオウカ国は、ここ数百年で急激な文明発達が起こったが、未だ主要都市から離れた集落には行き届かず、僅かなライフラインを頼りに生活する人々も存在する。
 ローズマリー領アオキ村は、暮らすものの大半が老人となり定期的に来る給水車と移動販売によって繋ぐ小さな村だっだ。

「いやぁ、助かったよ。あんたらが来なかったらもうどうすりゃいいかわかんなかったわ」
「はは、我々もお力になれて何よりですよ」

 タンクトップ一枚のアロイスは、向かいに白髪の老人に対して笑みで返していた。
 そこは集落にある小さな一軒家。畑を営むその男性は、農具を仕舞う巨大な倉庫を所有していたが、古かった倉庫は以前の嵐でめちゃくちゃになり途方に暮れてしまったと言う。

「俺ぁもう歳もあって家内にも息子にも、もう屋根に昇るのはやめとけといわれてなぁ。でもこの村にゃもう直せる大工はいねぇし、ほんま助かったわ」
「少し時間は掛かって申し訳ありませんでした。一応雨漏りもしないところまで修繕はできましたので、当分は問題ないでしょう」
「若い人はありがたいねぇ、あんなハイカラなもんも初めてみたわ。あんた工作も得意なんだなぁ」

 巨大な倉庫は、昔家畜の飼育に使われていたらしく、アロイスは飛行機の格納に使えると踏んだ。そして数週間かけて倉庫を修繕する代わり、しばらくの間飛行機を置かせて欲しいと条件を持ち出したのだ。

「幾らでもいてくれや、壊れてんなら材料は沢山あるで、山だからな!」
「助かります。今困っているのは燃料でしょうか……」
「燃料か、ガソリンでいいならうちのコンベアの使ってもええぞ」
「それは、助かります」

 アロイスは注がれた酒を煽り、クードは毛布を羽織りながら呆れて見ていた。元貴族のクードは、合流した当初、国境で怪しまれないよう新品のスーツできたのに、ここ数週間のサバイバルと集落生活でぼろぼろ、泥だらけになってしまって居る。

「あんちゃんも、アインズさんみたいに開き直ってええんやぞ、そんな泥の服着てんと着替えや」
「そうですよ、グレイス」
「……」

 アロイスはアインズ、クードはグレイスと偽名を名乗っているが未だ呼び名になれず反応ができない。

「は、はい。助かる……」
「はは、謙虚だのう」

 マリアは、リリスとも名乗っていた。彼女は男性の妻の手伝いに席を立ち、洗い物や家事を手伝っては酒のつまみも持ってきてくれる。

「しかし、主要都市はあれほど賑わって居ると言うのに何故あなた方はこんな辺境に?」
「ふーん。それ知らないのはあんた外の人かい?」
「これは鋭い、私は東国人でオウカの研究をしておりまして」
「はー、なるほどな。あんなのに乗ってくるから通りで不思議な奴だとおもうわけだ」

 クードがヒヤヒヤして聞いて居る中、アロイスは笑っていた。そして、男性の声のトーンがおちたことに少し驚く。

「ここはなぁ、かつての文明迫害で追いやられた子孫達の隠れ家みたいなもんよ」
「文明迫害?」
「おれぁ、もう知らんけどな。もう数世紀前の話か? ここがオウカになったとき、初代のサクラ王は、元の文明を根こそぎなくそうとしたんだ。そんで、それに反発した国民を文明維持を名目にこんな辺境へ押し込めたんだ」
「……なるほど」
「まぁ、そりゃ当時は反発したが俺らの先祖は、超能力に太刀打ちできなくもあってどうしようもなかった。そいでも当時の王は、移した責任を取ると言って村の整備もしてくれたんだが、みるみるうちに発展してく他街ながめてたら、思う所もあってなぁ」
「……なるほど」
「俺らの先祖には、オウカ家を恨みながら死んでった奴もおるし、今更本格的に乗っかる気にもなれなぐて、ここまできてもうたな。今でこそ面倒みてくれるローズマリー公爵には頭はあがらんが、オウカ家は好きになれんでな」

 笑いながら語る男性に、クードは複雑な心境を得ていた。
 文明迫害の歴史は、もう数百年前に王族は非を認め、国民へ謝罪しその子孫達へ街での生活の保証を行なっているからだ。発展した都市への移転や暮らしの保障は、移り住んでから二世代まで認められ国家的には解決したとされている。つまりこの男性がここへ住み続けるのは、老人であるが故の意地もあるのだろうとクードは思う。

「こんなクソ田舎で電気と水ぐらいしかなく、火は自分で起こさんとやが、生まれ故郷やしここで死にたいしの」
「素晴らしい覚悟です」
「はは、アインズは話がわかるのぅ」

 高らかな笑い声が響き、アオキ村の夜は更けて行った。クードが男性に勧められた薪起こしの風呂へはいる最中。アロイスは飛行機を見てくると言って、マリアと合流する。

「王子が、マグノリアに来たそうよ」
「やっとか、思いの外長かったな。首都は?」
「連絡役から返事が来ないから、何があったのかもしれない」
「掃除が始まったか。まぁ、今更遅いが……、こちらは逃げ出した仲間と数日中に合流できそうだ」
「どうする?」
「せっかくだ、歓迎して旅立とうじゃないか、リリス」

 その冷ややかな目にマリアは、思わず目を逸らしてしまった。ならず者の自分達を彼らは何も聞かず、ただ助けてくれたと言うだけで受け入れてくれた彼らへ、アロイスは何かを考えている。

「もうしばらく、お世話になりましょう」

 この男は、何をするか分からないとマリアは、思わず黙ってしまった。自分が無事に逃げ出す為に、長く潜んでいた同胞を全て使い捨てにした彼は、この街の住民すらも使い捨てにしようとしているからだ。

「えぇ、先に戻ります。おやすみなさい」
「あのつまみはとても美味しかったです」

 先程持ち込んだつまみは、男性の妻が作ったものだ。マリアは返事も返さないまま、その日の寝床へ戻ってゆく。

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