「少し痩せられましたね。ご息災で何よりです」
「どうしてここがわかったの?」
「風の噂で……」
相変わらずイライラする言葉遣いだと、ククリールは感想していた。現れたサフランは、引き戸を閉め玄関へと腰を下ろす。
「何処までご存知ですか?」
「貴方こそ、何の用事できたの? テロ警戒中で一般の私に構ってる暇なんてないでしょう?」
「答えて頂けないなら、こちらからお話しましょうか」
「……っ!」
「今夜、私は貴方のお父様の暗殺を考えております。そこで邪魔されては困りますから、私の保護を受けて頂けませんか?」
「なん……」
息が詰まるような言葉の並びに、ククリールは何も言えなくなってしまった。しかし、怯んでは行けないと深呼吸しながら向き合う。
「何を、考えて……」
「言葉通りです。我々は何年もかけて積み上げた作戦を蔑ろにしたくはありませんので」
「そんなの、許されると思ってるの?」
「許されない事をやる為に、私はここへ居るのです。しかし、ここでお話しに来たのはあくまで取引の為でもある」
「取引……?」
「実のところ、お父様の暗殺は我々にとって『おまけ』のようなもの。本来の目的とは違いますから、手をかけなくとも作戦は完遂が可能です」
「は……」
「もし、ここで我々の『保護』を受けていただけるのなら、お父様の暗殺はしないとお約束しましょう」
何を言われているのか。ククリールは少し混乱していた、言葉がうまく飲み込めないが、「暗殺はしない」と言う言葉に、少しだけ冷静になれてくる。そして彼が口に出さない真の目的を冷静に思い出すと、さらに背筋が冷えた。
「『王の力』……」
「おや、そこまで聞いておられましたか。尚更、厄介ですね」
「一般の私の言葉なんて、もう誰も信じない……」
「ご謙遜されず、カレンデュラ公爵家はその執政において市民からの信頼も熱く、お嬢様が勘当されたことをいまだ誰も信じておりません」
「みんな、そのうち知ることになるわ……、でもどうして? 貴方は『王の力』を持って何をする気なの?」
「それはノーコメントで、我々が根源を手に入れてからゆっくりお話し致します。大丈夫です、何も変わりません。『保護』も王子殿下が帰るまでとお約束しましょう」
「……!」
「我々の事は口外にしないと約束し、私はお父様より『王の力』を預かる。今までと変わらずクリストファー閣下へお仕えするつもりです」
「それは、本気……?」
「えぇ、私が今まで嘘をついた事がありましたか?」
嘘はついていない。しかし、それはいつも思い描いていた事とは違っていた。信頼はできないとわかってはいるが、ここで『保護』を受ければ誰も殺されずに済むと思うと、何故か安心してしまう自分もいる。
「もし、断ったらどうなるの?」
「おや、それは考えてはおりませんでした。そうですね、流石に私も可憐なお嬢様を手にかけるのは良心が持ちませんので、素直に帰りますよ。ただやはり作戦の変更はできませんから、ご理解下さい」
「出来るわけないでしょう!!」
サフランは、笑っていた。まるで冗談のような会話に堪えていた涙が溢れてくる。
「お父様を殺さないって約束してくれるの?」
「はい。騎士としてお約束は守ります。お嬢様の騎士として誠心誠意『保護』致しましょう」
いいのだろうかと、ククリールはもう何が本当か分からなくなっていた。しかし、思い出せるのは十年以上前、父が何の蟠りもなく笑いかけ母も楽しそうにしている家族との思い出だった。
勘当されてからもう毎日夢にみたそれは、残酷であれど心を癒し、前を向けるようになっている。
「丁重に扱いなさい……」
「畏まりました。お車のご用意があるので、こちらへ」
ククリールは、何も持たないままサフラン・バジルと共にクレマチス家を後にした。
*
「ちっ、あの嘘吐きクソ王子……」
「リリト様、お言葉使いがお汚く……」
「うるさい。アイツ、進捗が聞きたければ別宅に来いとか言って、毎回毎回留守留守留守ってもう最終日だぞ! これが嘘つき以外のなんなんだよ!」
ひどい悪態に初老のバトラーも返答に困っている。歓迎会にてキリヤナギと顔を合わせたリリトは、プレッシャーをかける為に毎日のように別宅へと連絡をとっていたが、毎回留守であると交わされて、送迎会となる今夜の夜会まで一度も会えてはいなかった。
普段オウカ家を罵倒する父に言わせても、それは仕方ないとも擁護され、人の仕事の邪魔をするなら勉強をしろと釘を刺されたほどでもある。
「ちっくしょう、バカにしやがって……」
「リリト様。王子殿下はお仕事にて来訪されておられるのですから少しはご理解をーー」
「どうせ俺らは降格されるんだろ! 知った事か!!」
ベッドへ八つ当たりするのも虚しくなってきて、リリトは気がつくとため息をついていた。
ククリールは、勘当されたその日にデバイスのファミリー契約も解除され連絡も取れなくなっている。会いに行こうと思っても何処にいるか分からず、誰も探そうともしないことから、王子のみが唯一頼みの綱となっていた。
「そもそも王子殿下も、お嬢様のおられる場所は把握されていないのでは……」
「しらねぇ、こうなったら一生切れないような願いをふっかけてやる……」
「それは、旦那様もお許しにならないのではーー」
「うるさい!」
リリトは勉強机に紙を取り出し、王子へやらせたいことの箇条書きを始めた。たが、八つ当たりと同じように書けば書くほど虚しくなり、窓の外を眺めてしまう。
「姉様、何処にいるんだよ……。くっそ!」
リリトは、ペンを窓へ投げつけ、初老のバトラーと共に夜会の準備へと入って行った。
*
一方で、別宅へと戻ったキリヤナギは、襲撃を受けたと聞いたセオに酷く心配されながらも夜会の準備を行う。
「殿下、本気ですか? こんな状況で参加されるなど……」
「大丈夫。人目はあるから参加する方が安全だよ」
「しかし……、ミレット閣下はーー」
「クラークもいいって」
「本当ですか?」
思わず聞き返してくるセオに、キリヤナギは戸惑うが、そう言いたくなる気持ちも理解できて不思議な気分だった。
「クラークもセドリックもいるから大丈夫
。ジンも合流するし」
「それは、そうですが……」
明らかに戸惑うセオを宥めていると、彼の後ろの扉からクラーク・ミレットが現れ、セオが道を開ける。
「殿下、先ほど我が隊のものがクレマチス家へ向かい確認をしてまいりました」
「クラーク、どうだった?」
「カレンデュラ嬢は、おられなかったと……」
キリヤナギが絶句している中、クラークは気にすることもなく続けた。
「クレマチス家の門下生が、バジル卿と共にクレマチス家を出てゆくカレンデュラ嬢を見送っておりました」
「探せる?」
「既に。マグノリア卿が行方を追っています」
「殿下、閣下、カレンデュラ嬢に何か?」
「セオ、ククが危ないかもしれない……。でも、セドリックが行ってくれたならしばらくは任せる」
「恐縮です……」
遅かったとキリヤナギは後悔していた。何故ついて行ってしまったのかと考えるが、きっと彼女なりの理由もあったのだろう。
「セオ、ごめん。ギリギリまで連絡を待って構わないかな?」
「問題ありませんが……」
夜会まではまだ余裕がある。キリヤナギはソファへと腰掛け、デバイスを見て気を紛らすことにした。
*
フュリクスは、その日もカミュと共に夜会への参加の準備を整えていた。警備と参加の両方を受け持つ騎士枠の二人は、準備されてゆくホールを手伝いながら待機する。
「き、緊張する……」
「姉さん固くなりすぎだって」
「だって、ちゃんとした礼装の殿下を拝めるんでしょう! お写真撮らせてくれないかなとか……」
「礼装も私服も同じじゃん……」
カミュは落ち着かず、ガタガタと震えている。フュリクスはほぼ準備が完了したホールを眺めると、大きな柱の影に入りカーテンの中へ隠れた。
カミュがそっと中を覗くと、買ったばかりのゲームを起動して遊んでいる。
「こら! 置いてきなさいって言ったじゃない!!」
「だってまだ始まるまで2時間もあるじゃん! 暇だよ!」
「立っとくのも仕事でしょう! 全く……」
カミュが頭を抱えてもフュリクスはゲームに夢中だった。帰って父に叱ってもらおうと諦めていると、エントランスの方から銀髪の男性騎士が現れる。
「騎士長……!」
「クレマチス。ここにいたか」
フュリクスが即座にゲームをしまい、カミュの横へと並ぶ。ちゃっかりしているとも思うが年相応さも感じていた。
「すまないが、君達が保護していたククリールお嬢様を預からせてもらった」
「え……」
二人が驚いて返答に困る。少しだけ青い顔をしている二人へ、サフランは少しだけ申し訳無さそうに続けた。
「テロ警戒中のエニシダ町に置いては置けないと思ってね。王子殿下から居場所を聞き出させてもらった」
「殿下……ですか?」
「あぁ、そこで悪いが二人のどちらかにお嬢様の警護を頼みたいんだ。夜会が終わるまで何が起こるかわからない、お嬢様の居場所が知れたらテロ犯に人質にされる可能性もあるからね」
「それは、構わないですが……」
「僕がいく。どこ?」
「ありがとう。フュリクス、場所はここだ。私の隊の騎士もいるからよろしく伝えておいてくれ」
「二人じゃなくていいんですか?」
「ヒュウガ副隊長は、カレンデュラ閣下の警護に忙しいだろう? クレマチスと話したい貴族達の相手も必要だからね」
「そ、それは、そうですね……」
「隊長。もう行っていいの?」
「あぁ、気をつけて……」
フュリクスは、階段を飛び越えるように降りて出口へと走り去ってしまった。残されたカミュは、止める暇もなく呆然としてしまう。
「いい張り切りようだね」
「お嬢様に自分の騎士っていわれて嬉しかったみたいです……」
「そうか、カミュも夜会をよろしく頼むよ」
「分かりました。頑張ります!」
少しだけ嬉しそうにするカミュに、サフランは微笑をこぼしていた。
154
「急げ、ジン!」
「早すぎるだろ! 俺にも時間寄越せ!」
国境沿いの修理作業から無事戻ってきたカナトは、一度アークヴィーチェ・エーデル社へと戻り、修理完了の報告と接続テストへと参加していた。
夜会の時間が刻々と迫る中で、時間ギリギリに別宅へと戻ってきたカナトは、間に合わせる為にジンへ着替えを手伝わせつつ、ジン自身の着替えもさせている。
「騎士は雑でいいのでは?」
「ねーよ!」
普段の騎士服なら着るだけでいいが、礼装は小物が多く、つけ忘れは恥になることから手を抜く事ができない。サー・マントは位置の調整が難しいし、サーベルも下ろさねばならず、毎回メモを頼りに準備をしていた。
「別に踊らないのでは」
「そう言う問題じゃねーから!」
ガーデニア人はこの辺り大雑把で、夜会でも王家が主催でない限りそこまで拘ず、感覚がズレてしまう。思えば2年前にキリヤナギへよく手を貸していたのもそんな大雑把さに飲まれていて、王宮に戻ってきた時のギャップにしばらく反省していた。
「後何分だ?」
「五分でいいから!」
カナトがようやく黙り、落ち着いて準備ができる。げんなりしながらネクタイを直していると、カナトが誰かを迎えている声が聞こえた。
「ジン、戻った?」
「……殿下」
現れたのは礼装を完璧に着こなしているキリヤナギだった。夜会へ参加するとは聞いていたが、襲撃を受けたとは思えない普段通りの振る舞いに思わず心配になってしまう。
「大丈夫でした?」
「僕は平気。でもククが、クレマチス家からいなくなったみたいで……」
「カレンデュラ嬢か?」
「うん。今セドリックが探してくれてるけど、まだ見つからないみたい……、ジンはカミュの連絡先しってるよね。直接の聞けないかな?」
ジンは、即座にデバイスからカミュの連絡先を呼び出し通信を飛ばした。
ホールにいたカミュ・クレマチスは、ポケットで振動したデバイスへと気づき柱の影へと一旦隠れる。ジンからであることを確認し、一度化粧室へと移動して通信に出た。
『ジンさん。こんばんは』
「カミュさん。すいません、少しいいですか?」
『あ、はい。少しなら、ちょっと仕事中で、そんな時間はないですけど……』
「ククリール嬢が居なくなったって聞いてるんですが、居場所しりません?」
『お嬢様ですか? お嬢様は、殿下が騎士長に保護をお願いしたんじゃ……?』
拡張音声で聞いていたキリヤナギは、驚きジンのデバイスへと口を開く。
「カミュ、キリヤナギだけど……」
『で、殿下、ご機嫌よう!』
「こんばんは、突然ごめん。僕はバジル卿に、ククを頼んだ覚えはないよ」
『え?? でも、騎士長は殿下に居場所を聞いたって』
「それは僕じゃない。バジル卿が嘘をついたんだと思う」
『なんでそんな嘘を?』
「わからない。でも今僕はククを探してるんだ。バジル卿に会ったならどこに行ったか知らない?」
『すいません。私は聞いてなくて、フューリなら知ってますが……」
「フュリクスは一緒にいないのかい?」
『フューリは、騎士長にお嬢様の警護を頼まれて一人で出て行っちゃったんです。すいません』
「居場所は聞ける?」
「聞けますけど……あの子、仕事中は着信があっても見ないのでいつ返事が来るかわからないのですが」
通信デバイスを定期的に見る癖がないのか。キリヤナギの中に、嫌な予感をピリピリと感じていて今すぐにでも助けに行かねばならないと何故か気持ちが焦っていた。
「わかった。ありがとうカミュ。こちらでも探してるからもう少し待ってみるよ」
「お力になれずすみません、私からもメッセージはとばしておきますね」
キリヤナギはカミュと通信を切った上でかなり深刻な表情をしていた。何があったのか詳しく聞けていないジンは、考え込んでしまったキリヤナギを不安そうに眺める。
「ククちゃん、何かあったんですか?」
「確証はないんだ。でも人質になってるかもしれない」
キリヤナギは、驚いた2人へ彼女から聞いたサフランの事実を話した。当然のように2人は絶句して、ククリールの状況に背筋が冷える。
「だいぶヤバいっすね……」
「セドリックが一応探してくれてて、まだ見つからないんだ」
「フュリクス君が知ってるみたいな雰囲気はありましたけど……」
「でも僕、連絡先知らないんだよね」
ジンもカナトも、数回会ったきりで連絡先はわからない。カミュも連絡が取れるかわからないとも話していて、返答を待つ以外に手はないかに思えた。が、考えていたジンはふと頭によぎる。
「ゲーム……」
「ゲーム?」
「確か、初期設定で友達登録すれば位置がわかるんです。紛失対策と言うか……」
「ほう、賢いな」
「殿下、フュリクス君と登録してませんでした?」
登録した覚えがあり、3人はキリヤナギの部屋へと一旦もどる。外出の準備をしていたセオは、突然ゲームを取り出したキリヤナギへ目の色を変えていた。
「殿下、これから夜会がーー」
「セオごめん。俺のせいでいいから!」
ジンの言動に、セオが困惑している最中、キリヤナギは、フュリクスのゲーム端末を検索する。持ってて欲しいと祈りながら待っていると、地図が表示されクロマツ町の隅にある住宅街が表示された。広い敷地内に立つ屋敷は決して大きくはないが庭が広くとられている。
「クロマツ町……!」
「思ったより近いですね。行きましょうか」
「いいの?」
「今更です」
「どちらへ……?」
不安そうなセオにキリヤナギは、申し訳無さそうに告げる。
「セオ、夜会。遅刻できないかな?」
「それは何故?」
「ククが、どうなるかわからなくて……」
「マグノリア卿が探してくださっているのでは?」
「それだと間に合わないんだ。許されるかはわからないけど、僕は彼女を夜会へ招きたい」
「勘当されたお嬢様を……ですか?」
「必ず戻る。門前払いにされたらそれでも構わないから」
セオは王子の言葉に困惑し、返答に困っている。しかしここで王子を叱ったとしても横にいるのがジンであることで、それは意味がなことだと分かってしまった。
「1時間だけと、お約束できますか?」
「うん。あとセオはここで待ってて欲しい」
「何故?」
「嫌な予感がするから……」
「ジン、意味がわからないので説明してください」
「とりあえず時間やばいし、向かいながらなら? 自動車はある?」
「先日の私用車なら、車庫に」
「俺乗って平気?」
「私用車だから、問題はないけど……運転しながらは説明は無理ですよね?」
「僕が説明するから、ごめん」
セオは頭を抱えながらも、自動車の鍵を取り出して渡してくれた。キリヤナギは礼装のまま目立たないようコートを羽織り屋外へと出てゆく。
「ジン、殿下を1人にするのは厳禁だよ」
「わかってるって」
車庫を出る準備をしていると、キリヤナギが助手席へと乗ってきて思わずギョッとしてしまう。王宮のルール上、要人は運転席の後ろに乗るのがきまりだからだ。
「一回乗ってみたくて……」
「し、シートベルト頼みます」
2人で乗るのは初めてだと、ジンは緊張していた。自動車のデバイスへ位置を入力していると車庫の出入り口から一人の騎士が現れ、助手席の窓を叩いてくる。
「シズル、どうしたの?」
「殿下、これから夜会では? こちらの自動車ではーー」
「ごめん、ちょっと用事ができて……」
「用事?」
「1時間ぐらいでもどるから、シズルは先に向かっておいて欲しい」
「どちらへ?」
「クロマツ町かな、急いでるから……」
振り切ろうとするキリヤナギへ、シズルの目つきが変わった。真っ直ぐにキリヤナギをみて堂々と口を開く。
「殿下、ジンさん。私も護衛騎士として同行させていただけませんか?」
「……っ! セドリックに叱られるよ?」
「今更です。お役に立つことを誓いましょう」
キリヤナギは少しだけ迷っていた。しかし、ジンのみでは確かに荷が重すぎるとも判断する。
「わかった。一緒にきて」
「恐縮です」
「じゃあ、動かします」
ジンは、後部座席へシズルが乗り込んだのを確認し、自動車を車庫からゆっくりと出してゆく。3人を乗せた自動車は、セオの礼に見送られ、別宅からクロマツ町を目指した。
*
夕日も隠れ月も輝き始めたクロマツ町は、住宅街が広く周囲の明かりも街灯ぐらいしかなかった。
住宅が並ぶ場所から少しだけ離れたところにある屋敷は、このクロマツ町が『クロマツ町』として統合される前の領主の屋敷で、今はサフランの手に渡り彼の自宅として使われていると言う。
サフラン・バジルに『保護』されたククリールは、連れてこられた大きな屋敷に驚いてしまった。騎士長であることから騎士貴族の中でも地位が高いのは納得だが、かつての古屋敷を利用しているとは思わなかったからだ。
使用人達の扱いは公爵であった頃と変わらず、広い部屋と暖かいベッドが用意され、まるで帰ってきたかのような錯覚を覚える。
手ぶらできてしまったが、クローゼットにはククリールのサイズに合わせたドレスが並べられていて思わず困惑してしまった。
机の上には、サフランから今夜の夜会であることから雰囲気だけを楽しんで欲しいと言う手紙も添えられていて、酷く複雑な心境を持ってしまう。
「お嬢様……」
ノックから使用人が現れ一礼してくれる。メイドの彼女は「お客様がこられた」と話し、ククリールはエントランスの玄関へと向かう。
「お嬢様、きたよ」
「……フュリクス、貴方どうして」
フュリクスは、少しだけ気分がよさそうにしている。騎士服は礼装で夜会に参加するような雰囲気にもみえた。
「騎士長にお嬢様を守れって言われたんだ」
「サフランから……?」
「うん。だから安心して」
「夜会はいいの? とても栄誉があるのに……」
「姉さんがいるし、大丈夫。それにそこまで興味ないもん」
「……そう、ありがとう」
「お嬢様の騎士だし!」
ククリールは一度、フュリクスを部屋へと案内し使用人へお茶の準備をするように指示を出した。想像より広い屋敷にフュリクスは驚きつつ、部屋のクローゼットにある沢山のドレスに驚いてしまう。
「これ、お嬢様の?」
「サフランが、用意してくれたみたい。でもあまり意味はないから……」
「着たらいいのに」
「え、」
「夜会だし?」
思えば、フュリクスも礼装だった。ククリールは少しだけ考え、彼が選んでくれたドレスへと身を包む。きっと最後の機会だろうとおもうと楽しみたいと言う気持ちも溢れ、恥ずかしさと虚しさが心へ同時に押し寄せていた。
「お嬢様綺麗じゃん!」
「ありがとう……」
フュリクスは、出されたお茶を飲みながらテーブルでゲームをしていた。
ククリールはそんな彼を眺めるだけで和み、ふと王子の手紙のことを思い出す、思えば実家の勉強机にしまったまま、読む機会もなく少し後悔をしていた。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないの。……カミュは今頃どうしてるかしらね」
「姉さんは、王子殿下を見て喜んでるんじゃないかな? 服を楽しみにしてるって」
「そう言えばファンだったわね……」
「……お嬢様は王子殿下のこと好きなんだっけ?」
「え……」
思わず返答に渋ってしまう。あまりの直球な言葉に素直な答えが出てこない。
「好きでも、好きになったらだめな人よね」
「そうなんだ……?」
「私はもう身分違いだから……」
「会ってたのに……」
「貴族は、そう言うものなの」
目を合わせずに話したククリールに、フュリクスは首を傾げていた。真新しいゲーム機器を夢中で遊ぶ彼は、リラックスをしているようにも見えて安心してしまう。
どのくらいの間ここにいるのだろうと、ぼーっと紅茶の水面を眺めていると、使用人が現れ「準備ができた」と知らせてくれた。フュリクスと共にホールへと向かうと、小規模なパーティ会場が出来上がり、小さく音楽も流れている。
「サフラン様より、歓迎の意味を込めてご用意させていただきました。生憎仕事故に本人は参加できませんが、お楽しみください」
「……ありがとう」
「なんなりと」
「すっご、お嬢様、お料理食べていい?」
「えぇ、」
テーブルへすわると、フュリクスが好きなものをたくさんよそい、どんどん並べてくれていた。たった2人しかいない夜会は殺風景であれど、少しだけ気分も貴族に戻れてくる。
「お嬢様、元気ないけど何かあった?」
突然聞かれて情け無くもなってしまった。気分の浮き沈みを隠しきれていない自分が悔しい。
「大丈夫、少しだけこれからが不安なだけなの。1人で生きていかないと行けないから……」
「1人じゃないよ。僕、お嬢様の騎士だし!」
「ありがとう……」
居てくれてありがとうと、心から思う。たとえ平民であってもフュリクスは騎士で、その関係性は友達としてとても距離が近い。
フュリクスと共に、?、広い部屋で夕食を楽しんでいると使用人が慌てた様子でホールへと入ってくる。
「失礼致します。お嬢様」
「どうかした……」
「つい先ほど、王子殿下がお越し下さり……」
「王子……!?」
「え?」
「ククリールお嬢様を、夜会へお迎えに上がったと仰っておられるのですが、如何されましょう?」
「王子殿下って、キリヤナギ?」
「はい」
「追い返して」
ククリールは使用人と目を合わせていなかった。フュリクスは混乱しているようで、まるで確認するようにククリールを見る。
「もう、あのお方とは立場も身分も違うの、私はお会いする価値はありません」
「お嬢様、いいの?」
「えぇ……」
「畏まりました。失礼致します」
使用人は一度去り、数分して再び戻ってくる。帰ろうとしない王子に対応に困り果てているようにも見え、ククリールは迷ってしまった。
「お嬢様、僕が代わりに話してこようか」
「フュリクス……」
「タチバナに勝ったから、言うこと聞いてもらう!」
「できるの?」
「うん、行ってくるね」
フュリクスはそう言って玄関へと駆けて行く。ククリールは何も言わず見送り、再び目線を下へ落としていた。
155
始まった夜会は、多くの人々が集まりクリストファー・カレンデュラの挨拶から始まった。彼は、その日遠出をした王子が未だ準備中であるとも聞き、かわりにカレンデュラでの通信障害を修理したカナトを持ち上げて紹介する。
名を挙げられたカナトは、まるで商談を行うようにアークヴィーチェ・エーデル社の技術を誇り、近々発表される最新端末の宣伝を打って出ていた。
壇上へと立ち延々と端末の仕様について語るカナトの裏で、サフラン・バジルは、脇でソファへと座るクリストファーを観察する。彼の隣には副長のヒュウガ・クレマチスもいて、警戒を怠っては居ないことが見て取れた。
タイミングはあるだろうかと広く場を見ていると、仲間から耳打ちでエニシダ町へと仕掛けたテロ用の時限爆弾が不発したとの連絡をうける。広い公園の時計台真ん中へ設置したそれを見つけられるのは流石だと、敵へ賞賛をおくるが、多くの人員を割かれていることは明らかだった。
「いかがされますか?」
「もう少し様子を見る。本命の花は見届けるんだ」
仲間は頭を下げて姿を消す。
*
クロマツ町の屋敷へ、王子がたどり着いた時は、ちょうど夜会がはじまる時刻だった。明かりがついた屋敷は、かつて領主が使っていたものらしく、住宅街から少し離れたとこにあり庭も広く取られている。
柵越しにみえる屋敷に、キリヤナギは助手席から降りてインターホンを鳴らした。初めに騎士が現れ、キリヤナギの身分証明とジンとシズルの証明も要求され、ようやく使用人へと通される。
話してくると言った彼女は、直接聞きに行ってくれたようにもみえたが、ククリール本人が会えないと言って拒否していると話された。
「理由は?」
「申し訳ございません。お嬢様は現在、カレンデュラ騎士団における『保護』を受けておられるので、王子殿下でもお会いするのはご遠慮頂きたく」
「緊急かもしれないんですが、ダメです?」
「どのような……?」
「えーっと……」
話していいものか迷うと、カレンデュラ騎士団の彼らは首を傾げてしまう。同じ管轄ならまだしも彼らは別の騎士団であり、騎士長が敵だといわれても信じるとは思えないからだ。
「保護をしてるのは、バジル卿?」
「はい。本日は夜会へ参加しておられるので、直接相談して頂ければ早いとは思われます」
「それだと、多分間に合わないんだよね……」
「間に合わない……?」
「カレンデュラ嬢は平民の方なんですよね。何故、騎士長が直々に?」
「存じません。しかし、平民になられてもお嬢様は未だ平民になられたことを多くの民が知らない為、こうした対処を」
「僕らの保護だとだめかな?」
「我が騎士団の問題ですので……」
話にならず、ジンもシズルも困ってしまった。キリヤナギもダメ元で全て話そうか迷った時、屋敷から出てくる小柄な影がある。
大人の騎士の間へ割り込んできたのは、礼装で武器を背負った少年だった。
「殿下、何しにきたの?」
「フュリクス。ククに会えないかな?」
「お嬢様は会いたくないって、帰ってよ」
「どうして?」
「もう身分違うし?」
「それは、理由にならなくない?」
「ならないけど、お嬢様がそう言うし」
「フュリクス君、状況が少し不味いだけど……」
「どう不味いの?」
フュリクスに問われ、キリヤナギは覚悟を決めた。埒が開かないなら話すしかないとキリヤナギはゆっくりと真実を告げる。
「サフランが、クリストファー・カレンデュラ閣下の暗殺を企てているかもしれない」
「えー……」
「ククがここに連れてこられたのは、おそらくクリストファーさんに抵抗されないための人質だと思ってる」
「そんな事、冗談だろ?」
「これは、僕がククに聞いたことだ。だけど事実かどうかはわからない」
「……」
「ククはここに居たら危ない。必ず守り切るから会わせてほしい」
周りの騎士達も言葉を失っていて、誰も返答ができなかった。フュリクスもキリヤナギの言葉はうまく飲み込めずにいたが、我に帰り、王子の手を払ってしまう。
「そんなの知らない! 僕はお嬢様の騎士だ!」
「フュリクス……」
「お嬢様がそうしたいなら、僕はその為に前に出る! それが騎士だろ!」
サフランのことなど関係はなく、会いたくないのはククリールの意思だとフュリクスは話している。
キリヤナギは言い返せないまま引き下がろうとしたが、それを止めたのはジンだった。
「そうっすね……」
「ジン?」
「フュリクス君、そこまで言うんだったら戦って決めます?」
「本気?」
「僕に負けたのに?」
「そうしないと、ククちゃんどうなるかわからなさそうなんで……、でも、殿下は通してもらえませんか? バジル卿の件、伝えた方がいいと思うので」
カレンデュラ騎士団の彼らは、顔を見合わせたものの独断での判断ができない為に、キリヤナギを中へ通してくれることになった。
「ジン、大丈夫?」
「俺が負けたら、フュリクス君の意思を通してあげて下さい」
「……わかった。シズルきて」
「はい。ご同行します」
キリヤナギを見送り、門は一度閉められた。お互いに武器を抜く様子を、カレンデュラ騎士団の彼らは見据えている。
「宮廷騎士団。ストレリチア隊嘱託、ジン・タチバナです。よろしくお願いします」
「カレンデュラ騎士団、クローバー隊、フュリクス・クレマチス! 峰打ちにするから当たったら投了してよ!」
改めた自己紹介と共に、闇夜の決闘が始まる。
*
屋敷の庭に建てられた街灯のみの薄暗い空間で、二人は自己紹介のあとお互い顔を確認して居た。
その表情は多くの感情を含んだ複雑なもので、思い悩み。反発する強い決意。相対する感情が混ざりあっている。
フュリクス自身、このような状況になったのは何故か。思う所はあった。
騎士大会で戦った二人がこんなにも早く再会し、共に遊び、戦う事になるとは想像もできもしなかった事だからだ。
しかし互いに主の想いを受け取った以上はやむを得ない。
フュリクスは、自身の長尺刀から鞘を取り外し白刃をあらわにする。それを見たジンもまた身構えたが、銃は抜かず素手で戦うつもりなのだろうか。
「銃、使っても良いよ」
「……」
フュリクスの言葉にジンはかぶりを振って返す、その仕草に思わず反射的な声をあげそうになるが、ジンの表情を見て言葉を飲み込んだ。
「そっか、タチバナがそうしたいなら。別に良い」
フュリクスは強い踏み込みの後、地面を蹴っていた。
その瞬間から身体の動きは一気にトップスピードに乗り、同時に【未来視】を起動する。
この戦いにおいてもフュリクスは『タチバナ』に正面から挑むつもりだった。
視界に映る未来が目まぐるしく形を変えたのを見て、ジンが即座に自身の【未来視】に反応したと認識する。
一直線に飛び込んだフュリクスの突撃を身体半歩分をずらし、そのまま反転すると同時に蹴撃が身体に突き刺さった。咄嗟に反応して、勢いを殺そうと後ろに飛ぶようにして受けるが、それでも威力は大したものだった。
体勢を立て直そうと追い打ちをかけるようにジンが飛び込んで来る。打ち込まれた拳からも強烈な圧力がフュリクスの身体にかかり、思わず感心した。
「(接近戦が以前より強くなっている?)」
フュリクスの心の中にはそんな言葉が浮かんだ。しなやかな動作と鋭さの融合。ジンの徒手空拳の技術は、フュリクスが以前戦った騎士大会の時から大きく向上していた。先程の反応は驕りではない事が伺える。
「でもそんなんで勝てると思われるのは心外だ」
フュリクスは眼を見開くと、ジンの拳を防いだ左腕で勢いよく振り払った。体重差をものともせずにジンの身体を押し返すと、ジンが後ろへと飛ぶ。
空中で体勢を整え、ジンが地面に着地をするのを確認してから、フュリクスは口を開いた。
「タチバナ。僕は遠慮なく刀で戦うよ。それがお嬢様のためになるからだと思っているから」
そう言うや、刀を振りかぶって突進をしかけた。【未来視】を想定してるためか、既にジンの動きは自身の動作線上の上手をとるように位置を取りをしている。フュリクスはそれを視認し、ジンの左側面側に潜り込むように飛んでいた。下から上へ半月円を描いて振りぬかれた斬撃に対して、不可視の壁が阻んだのを感じる。
しかし壁の強度は大したものではなく、刀の勢いを削ぐ程ではない。それでもその一瞬の隙間に差し込まれたジンの左腕のストッパーを、フュリクスがそのまま弾き飛ばしてジンを後退に追い込んだ。
そしてその瞬間、ジンと視線を交差させる。
フュリクスは強い意志で睨みつけ、ジンの灰色の眼には多くの迷いを抱えこまれていた。それでもその奥にはフュリクスの眼光で決して折れない輝きがある。
「タチバナもそうじゃないの? 僕と戦う事が王子殿下のためになるって思ったからじゃない?」
「……そうっすね。フュリクス君に言われたら年上の立つ瀬がない」
「年齢とか関係ない。だって、僕たちは『友達』じゃん」
ジンが少し驚いた表情に、二人は一旦距離を取った。薄暗いが少しだけ嬉しそうな雰囲気にフュリクスは首を傾げてしまう。
「ありがとう。じゃあ、こっちも『友達』として……」
ジンは素早い動きでホルスターから拳銃を抜き放った。即座に発砲音が響く。フュリクスは微動だにしない。その視界に映った弾道の線は牽制の意図すらない。
フュリクスはなるほどと思った。
弾速と、弾が命中した庭木に大きな穴を穿っていた威力。
「この銃は、騎士大会の競技用じゃない。だから、それを承知で戦って欲しい」
「最初に言ったじゃないか。銃を使っても良いって。覚悟はしてるよ。怪我したって恨まない」
「わかった。なら『友達』として、これで勝ちに行きますね!」
フュリクスは静かにジンと向き合って、長尺刀を構え直した。
*
人々が着飾り音楽が流れる夜会の会場で、アークヴィーチェ・エーデル社でのプレゼンテーションを聴き終えたクリストファーは、深くソファへ腰を下ろしながら、拍手を行っていた。
横にいるリリトは、退屈そうに料理を持て遊び、声をかけられても気分が乗らないと突っぱねている。
「少しは公爵家としての役割を意識したらどうだ?」
「うるせぇ、どうせ降格なんだろ? 意味ねぇじゃん!」
「どうにかするんじゃなかったのか?」
「王子が何もアクションおこさねぇんだよ……」
「また人の所為か? そんな努力もできないようでは、公爵の器にも相応しくはない」
「なん……」
「我が家の後継者は、やはり誰も公爵に向いてはいないな」
リリトはテーブルを殴りつけ、グラスが床へと倒れる。ガラスの砕ける音に場は騒然となるがクリストファーは、涼しい顔をして居た。
「家族を大切にできねぇ奴に言われたくねぇ!!」
「リリト様!」
「迷惑がかかる。部屋に戻って頭を冷やしてこい」
リリトは、踵返すように会場を出て行った。入れ替わるように現れた母、ナナリアは、表情を崩さないクリストファーを不安そうにみる。
「ナナリア、少しこの場を任せても構わないか?」
「ええ、貴方はどちらへ?」
「少し飲み過ぎた。夜風に当たってくる。ヒュウガ、ナナリアを任せる」
「御意」
席を立ったクリストファーは、控えて居たサフランと共に一度ホールのベランダへと出てゆく。冬の屋外は空気が冷え込み、酒で熱った体も冴えてくる。
人払いが行われ、カレンデュラの街の明かりが見下ろせるその場所へ、サフランは絶好の機会をみた。
「サフラン、かつてジギリダスにて内戦が起こったのは、何年前だ?」
突然何を言い出すのだろうと、サフランは首を傾げる。しかし、彼はそれをよく覚えていた。なぜなら自分がその国境を超えたきっかけでもあったからだ。
「確か15年程前でしょうか?」
「そうだ。イヌマキ村が襲撃されたのは?」
「それは12年前でだったように思います」
「あの時、私は襲撃された村の村民に、騎士団の手配が遅れた責任を問われ、その救済として優先的に騎士団へと招いた。お前もその一人だったな」
「えぇ、感謝しております」
「感謝はしなくていい。私は後悔しているからな」
「後悔、ですか?」
「当時は私も若く、この土地の難しさを甘く見て居た。内戦に紛れ、侵入した敵を追いきれず野放しにしてしまったのは、シダレに対しても言い訳は出来ない。しかし、ある程度はここに納めきれたのは、幸いであったと思おう」
サフランは、短剣を抜きクリストファーへと一気に突っ込んでゆく。このまま心臓を刺すか、ベランダから突き落とせれば、暗殺は成功できると思えた時、突然振り返ったクリストファーに、その短剣を止められサフランは驚いた。
古い様式のその短刀は、東国式のもので衝撃をうける。
「10年以上に亘り抱えたカレンデュラの贖罪は、今この日をもって払拭する」
「なるほど、長く泳ぎとても楽しかったですよ。カレンデュラ閣下」
強く出たサフランだが、彼はクリストファーの無駄のない動きへさらに驚きを重ねる。短剣を捨て儀礼用の剣を抜いたサフランに対し、向けられてくるブレードを的確に弾いていなすその様は、まさに武人にもみえ、後退した。
「我がカレンデュラ家は、古よりクレマチスと競った武家の一つ。地主へと落ちたとしてもその信条は変わらん!」
「これは、一筋縄ではいかないようだ!!」
サフランは口角を緩め、武器を持ったクリストファーへと向かってゆく。しかし、まるで体の流れに沿うような動きにサフランは隙を見出せないまま押し込まれ、受けるのがやっとだった。
「おとなしく倒されて頂けませんか?」
「無理な相談だな。この十数年を耐え続け、ようやく貴様の尻尾を掴んだ。そう簡単にはやられるか!」
「は、威勢の良い公爵閣下だ。これは保険を取って正解だった」
「保険だと……?」
「思えば、私が騎士団へ配属された頃より、お嬢様へ冷たく当たられて居たのはそう言うことだったのですね……」
「……っ!」
「お嬢様が巻き込まれないよう。あたかも『興味がない』ように振る舞いながら、勘当しクレマチスへ匿わせた」
「貴様……っ!」
「大丈夫です。お嬢様は私の『保護下』にあります。仲の良い、クレマチスのご長男と一緒に貴方の後を追いますよ……」
「この外道がぁ!!」
「クレマチス姉弟に話しておかなかったのが落ち度でしたね!!」
サフランの屋敷には、19時の定刻に爆破される時限爆弾が備えられて居た。それはククリールの口封じと共に、クレマチスと言うカレンデュラの武器を消し去るためのものでもある。
*
使用人の案内の元、屋敷内へと案内されたキリヤナギは、エントランスフロアの階段から上がり2階の最奥の居室へと案内された。つい先ほどまでホールで食事をして居たと言う彼女は、フュリクスの退室に合わせ一度部屋へともどり休んでいると言う。
その豪華な屋敷の内装に、キリヤナギ一瞬公爵家へきたようにも錯覚したが、意識を改めながら扉の前へと向き合った。
「クク、ごめん。少しだけ話せないかな?」
ノックに合わせても返事は返ってこない。しかし時間も迫っておりキリヤナギは、彼女の返事を待たずして扉を開けた。そこには部屋を暗くし、手元の明かりのみで月を眺めるククリールがいた。
彼女はこちらに気づき立ち上がったとき、美しいドレスがふわりと揺れて輝く。
「お会いしないと言った筈ですが……」
「ごめん。でも僕は君を放っておくことはできないみたいだ」
コートを脱いだキリヤナギは、それをシズルへと預けゆっくりと歩み寄る。その煌びやかな礼装に彼女は一瞬驚いたが、膝をついた王子にククリールは何も言わなかった。
「どうか僕と共に、夜会へ……」
返っていいと言う意味なのだろうかと、ククリールは推察した。確かにこのまま王子と共に公爵家へと戻れば父の気も変わるかもしれない。しかし、帰るわけにはいかない理由が、ククリールにはあった。
「行けません」
「……!」
「私は、もう帰らない。そう約束したの」
「約束?」
「私が帰ったら、きっとお父様は殺されてしまう。今日じゃなくていつなのかも分からないの、だから、もう帰れない」
「それは、誰に言われたの?」
「サフランよ。……取引をしたの『保護』を受ける代わりに、家族には手を出さないって……だから」
キリヤナギは、しばらくは驚いて居たが、立ち上がり真っ直ぐにククリールを見る。
「クク、僕は今日、彼のルーツ見てきた」
「……!」
「イヌマキ村から出てきたと言うサフランの話は嘘で、地元の人はサフランが別人だと知っていた。こんな僕にでもわかる嘘を、クリストファーさんが知らない訳がない……」
「どう言う意味?」
「……サフランは、ククとの約束を守る気はないと、僕は思う。人質として連れ出して身動きをとれなくしようとしてるんだ」
「人質……?」
「君がここにいれば全てがサフランの思う壺になる。だから、僕と一緒に戻って欲しい」
まるで懇願するようなキリヤナギに、ククリールは戸惑っていた。家族の命がかかっていると思うとすぐには結論を出すことができない。
「私は、貴方に頼ってばかりなのに、何も返せないのに……」
「構わない。僕が君に望むことは一つだ」
「……!」
「どうか幸せに。ククの望む未来へ行って欲しいと願う、だから、僕と帰ろう。クリストファーさんは、きっとそれを望んでいる」
かつてこれほどまでに、希望に満ちた言葉はあっただろうか。ククリールは涙を堪え、もう一度キリヤナギをみた。再び膝をついた王子は、舞踏会のように手を差しだしてくれる。
「ククリール嬢、どうか私と共に夜会へ……」
「……はい」
手を取った彼女はゆっくりと立ち上がったが、初めて履いたヒールの高さにバランスを崩してよろめく。キリヤナギはそれを支えるように受け止めた。
「大丈夫?」
「や、やめて、恥ずかしいから……」
キリヤナギは構わず、そっと彼女を抱き上げた。春の時とは違い僅かに軽くなって居る気がして不安になる。
照れてしまい、顔を真っ赤にする彼女に申し訳なくなり下そうとした時、突然屋敷にいた使用人達が走り回る声が聞こえてきた。
部屋の出入り口付近にいたシズルもいつのまにかいなくなり、大急ぎで部屋へと飛び込んでくる。
「殿下! カレンデュラ嬢! お急ぎください!!」
「シズル、何が……」
「使用人がホールのテーブルの影に、爆弾のようなものを発見しました! 早く避難を!!」
驚いて固まってしまったククリールを、キリヤナギは即座に抱き上げ、シズルと共に出口を目指す。
156
ジンは冷静に相手の動きを見据え、フュリクスの挙動を観察していた。
彼は瞬時に地面を蹴って、超速度で距離を詰めてくる。紙一重で突進を交わすと、すぐさま切り返し挑んで来て、流石だと感心する。
早い。……だが、
ジンは二度目の射撃。発砲音が響き、音を裂いた弾道がフュリクスの突進を妨げると、両者の間には十歩分の距離を開かせた。
二人は互いの距離を維持したまま、位置取りを一周させる。時折、赤い髪の少年が左右に跳ねるようにしながらフェイントを仕掛けてくるのは、自身が置いたであろう射線から逃れるためだろうか。互いに、現在、そして数秒先の未来の両方で鎬を削る。
「タチバナ、やるね」
「フュリクス君もーー」
フュリクスの言葉にジンは反射的に返していた。瞬時、フュリクスは地面を蹴って、ジンとの距離を一気に詰めてくる。
「そりゃあ、僕は一度勝ったんだ! 当然のことだよ!」
フュリクスが振りかぶった刀が、ジンが先回りして構えていた射線軸上に入るや射撃。音速を超える弾頭とぶつかり合っても尚、フュリクスの斬撃は止まらない。すんでのところで少年騎士が描いた斬線から身を躱すが、直ぐに続けて二撃目が飛んでくる。
身を低くして横薙ぎを躱して、三撃目をストッパーで受けるも力比べはやはり向こうに有利で、そのまま身体を弾き飛ばされてしまう。
ジンは空中に身を投げ出された不自然な体勢のまま、続く四撃目を迎え討とうとする。こちらに飛び込むように突っ込んで来たフュリクスに対し、ジンは曲芸師の如き身のこなしを見せ、空中で天地を反転させたまま銃を構えていた。
放たれた弾丸が長大な刀身とぶつかり闇夜に火花を散らし、ジンとフュリクスの両者は互いの位置を交差させた。
「どんどんキレが良くなって行ってるじゃん」
「負けられないっすからね」
「僕も負けられない。お嬢様のためだから!」
フュリクスはとても嬉しそうに口にしていた。互いに負けられない理由を背負っている。
ジンは昔から変わらず、大切なのはキリヤナギだけで戦う理由はずっとシンプルだった。しかし騎士大会をへて周りも同じだと思えた時、一人ではないことに気づいたのだ。
今のジンはキリヤナギの思いだけを叶えたいわけじゃない。友達だと言ってくれたこの少年も、キリヤナギが守ろうとしている女の子も、どれも取りこぼしたくはない。
ジンの中、これまで空虚だった胸の内にとても暖かい火が灯るのを感じた。
「タチバナの動きのキレが良いから、僕も遠慮なくやれる。『四季咲』まで綺麗に防いで見せたんだ。なら、僕が出せる勝負の決め技にはこいつしかないよね」
「!?」
フュリクスは姿勢を低く構えて、瞬時に凄まじい剣気を放つ。風がざわめき、周囲の庭木の葉がバチバチと音を立て始める。
これは、騎士大会で自身を破った一瞬八斬の技だ。
ジンは全身が総毛立つのを感じる。
騎士大会の後、ジンはこの技の対策を何度も図っていた。空き時間にリュウドと共に組み手を行った際、【身体強化】を使ってこの一瞬八斬を疑似的に再現してもらい何度も対抗策を練り上げていた。結論から言えば今もなお、この技だけは破れていない。
無論、単にフュリクスに勝利するだけであれば、この技と勝負する必要はない。それは圧倒的な破壊力に代わり、本人にも強大な負荷を与える技だからだ。ならば間合いを調整して、射撃に専念する事で封殺する手段もあると目論んでいた。
しかし、それでは今回の勝負に勝った事にはならない。彼の最大の奥義から逃げ出して、自分の願いだけを通して貰えるとは到底思えないからだ。
だから、こそ。
「それを超える」
「……っ! やってみろ!!」
この状況に至って尚もまだ攻略方法は見出せていない。つまりこの戦いの中で一瞬八斬を打ち破る方法を編み出すしかないが、今度こそ勝つ。
「いくぞ。タチバナっ!!」
フュリクスの足が地面を蹴り、転瞬。その場からその姿が消失した。彼の持てる最大速度が発揮されているのを感じ、ジンもまた全霊の力を持って、飛び込んで行く。
最初の突撃を皮切りに、事前想定した位置取りへと身体を滑り込ませ、斬撃の一つを躱し、二つ、三つ目の斬撃動作を拳と蹴撃でいなす。続く四撃目が銃把とぶつかり合って火花を散らす。これで、半分だが想像以上に圧力が強い。
泳ぎそうになる体勢を立て直しながら走り、ジンは持てる技術を凝らして三発の銃撃を瞬時に放っていた。五、六、七の斬線がぶつかり合って火花と金属の擦れ合う音を響かせる。
そして、火花を掻い潜ってフュリクスの身体が強引に接近し下から上へと斬り上げて来るのを見た。ジンは即座にストッパーで応じていた。これを凌げば、勝ち筋が見える。
直後、身体に衝撃が走る。全身の隅々まで渡る強烈な運動エネルギーが最後の一撃の圧力が凄まじく強いものだと理解させられた。
自分の身体が持ち上げられるのを感じる。その瞬間、ジンの身体が宙を舞っていた。
飛び散りそうになる意識をかき集めて、視線を動かすと、視界の端には追撃のために限界動作数を超えようとして刀を振りかぶったフュリクスの姿が捉えられる。
やられる。
ここまで身動きが取れない状態で空中での追撃されては、抵抗する事も出来ない。
高速化された思考の中で、ジンは咄嗟に自分周囲を把握しようとする。
が、その時、吹き飛ばされた先にある庭木の一つを見出して、ジンは自分の身体にかかる圧力を後方へ逃がすようにくるりと反転。木の枝を掴んで回転すると更に空中で体勢を変えて見せる。
それに気づいたフュリクスは左右に残像を残しながら勝負を仕掛けて来た。今度こそ最後の討ち合いになる。
ジンはフュリクスの姿を追いすがるが、タチバナによる【未来視】の対応予測を持ってしても、その姿を克明に捉える事はできない。既に動作限界数を超えているはずなのにその速さに狙いが定められない。
駄目だ。この戦いだけは絶対に負けられない。今、戦いの場に立ったのは誰も不幸な結末にしたくないからだ。
まだ、足りない。何が足りない?
視線は、フュリクスの姿を追い、必死に捉えようとする。
彼の姿を捉えないと、狙いが定まらない。
直後、ジンの集中が極限を超えて視界がブラックアウトした。ジンの理解よりも早く、それは起きていた。刹那を超える高速化された思考が視界の変化を認識する。
暗転から一気に開けた視界は極限のスローモーションで映像化される。
信じがたい現象。
ジンはほぼ反射的にフュリクスへと視線を向けていた。コマ送りに再生される赤髪の少年の突進、圧倒的な高速を誇るフュリクスの動作線が余す事なく暴かれる。
ジンは自身の対【未来視】予測とこのスローモーション再生された視界を最大限に生かして、必勝の射線軸に銃弾を放っていた。
弾道は狙いを誤ることなく、フュリクスが振りかぶった長尺刀の鍔元にぶち当たり、甲高い音を立てる。
次の瞬間、刀は宙を舞っていた。
突然その手から離れた武器に、フュリクスは何が起こったか分からず衝撃をうける。弾丸の勢いで回転した長尺刀は、フュリクスの後ろの大地へと突き刺さり、その場には静寂が訪れた。
「くっそ……タチバナ!」
フュリクスが刀をみてもう一度ジンをみると、彼は座り込みそのまま床へと倒れてしまった。驚いて駆け寄ると目を抑えているようにも見える。
「タチバナ、どうした!?」
「フュリクス君。ごめん、頭痛がーー……、視界がぼやけて」
はっきりと見えていたフュリクスの顔が、ぼやけて見えない。先ほどのスロー現状はもう起こらないが強烈な頭痛でしばらくは横になりたかった。
「勝った癖に、倒れんな!!」
「ご、ごめん……」
情け無くて仕方ないが、今はとにかく頭痛がひどい。無理矢理起こされてもさらにひどくなり、ジンは庭木の元へ引き摺られていた。
しばらくすれば戻るだろうと思えた時、屋敷の方が突然騒がしくなる。屋敷内へ居たはずの使用人が走って飛び出してゆき、騎士もまた誘導を始めて居た。
「どうしたの?」
「クレマチスさん! 早く逃げてください! 屋敷内に爆弾がーー」
「は……?」
聞いていたジンは、体を起こそうとするが頭痛でまともに歩けない。フュリクスが、長尺刀を拾い上げ中へ戻ろうとした時、ククリールを抱えたキリヤナギがシズルと共に屋敷から飛び出してきた。
「ジンさん! 大丈夫ですか!?」
「シズルさん? ですか?」
ぼやけて見えないが声でわかる。ぼんやりするジンへ、シズルが肩を貸して避難を始めた。
「ジン、大丈夫?」
「殿下……」
「とにかく、屋敷から離れーー」
シズルの叫びの直後。まるで花火のような音が聞こえ、シズルが即座にキリヤナギを含めた全員を自動車の影へ押し込んだ。
直後、耳が壊れそうな爆音に、ククリールが悲鳴をあげる。キリヤナギはククリールを必死に庇い、飛び散る爆風と残骸の盾になる中、飛来物を察知した『魔術デバイス』が全て弾いた。
爆風に吹き飛ばされた騎士もいたが軽傷ですみ、跡形もなくなった屋敷に騒然とする。
爆弾はホールだけでなく、様々な場所に仕掛けられて居たのか、屋敷は跡形もなくなり、土台のみが残っていた。
キリヤナギを含めた5名は、ジンとキリヤナギ、二人分の『魔術デバイス』のシールドによって自動車ごと守られ無傷だ。
「こ、これすごい……」
「殿下、お怪我は……」
ククリールは、恐怖でガタガタと震えている。フュリクスも呆然としていて、ジンもぐったりしていた。
キリヤナギがククリールへコートをかけて落ち着かせていると、特徴的なエンジン音と共に、二輪自動車の影が現れる。二人乗っているそれは、屋敷の庭の入り口でとまり、さらに後ろから数台の自動車がどんどん現れた。
「殿下!! ごごご、ご無事ですか!?」
「リーシュ……!」
後ろにはイリナも走ってくる。さらにセドリックも現れ、あり得ない惨劇に絶句して居た。
「殿下。お怪我はーー」
「セドリック、来てくれてありがとう」
「どうして貴方がーー」
「ごめん。でも今は、急いでカレンデュラ家に連れてって欲しい」
「……っ!」
キリヤナギの懐には、涙が止まらず震えているククリールがおり、後ろには肩を貸され意識が朦朧としているジンがいた。
「タチバナは、一体……」
「タチバナは僕のせいだ」
「……っ!」
「僕が、殿下の話を聞かなかったせいで、タチバナが……後で怒られてもいいから、早く公爵家に連れてって!」
フュリクスとキリヤナギの切実な言葉に、セドリックは呆れたようだった。どちらにせよ、ここにキリヤナギを止まらせるわけには行かないからだ。
「イリナ・ササノ」
「はい」
「私用車を別宅へ戻しておいてくれ、君はそのまま別宅で待機だ」
「畏まりました」
「タチバナは、公爵家に着く前に体調をもどせ。シラユキこちらへ同行。ツルバキアは、二輪に乗って公爵家で合流だ」
「はい!」
「殿下。カレンデュラ嬢と共に公爵家へお連れします、こちらへ」
フュリクスは、リーシュの二輪に乗って、公爵家へ向かうことになる。