ジンが連れてこられたのは、クレマチス家から自転車で5分ほどの場所にある家電量販店だった。
二階建てで定額ショップもあるその店は、入り口にヒーターや、エアコンのデモ機が並び、沢山のテレビから流行りのドラマやワイドショーが流れている。平日で人も少ないその日は、店員がジンとフュリクスに気づいて声をかけようとするが、まるで逃げるようにフュリクスは立ち去ってジンも後を追った。
「フュリクス君?」
「タチバナ、こっち」
気がつくとフュリクスは立ち止まり、他の家電とは一風変わった棚を指差している。ジンが連れてこられたのは、最新ゲームが並ぶテレビゲームコーナーだった。首都では何処でも品切れでほぼ争奪戦状態だった本体は、残り数台の在庫表記とともに残っている。
珍しいと思いながら見ていると、横にいるフュリクスが少し照れくさそうに小声で口を開いた。
「タチバナ……ゲーム買って」
「え?」
「騎士大会で勝ったし。……父さん、こう言うのは騎士には必要ないからダメって言うんだ」
「騎士なら給料あるんじゃ……」
「うちはまた道場やってるし……20歳になるまでお小遣いって決まってて、全然足りなくて……」
道場の運営費を引かれているのか。思い起こせばジンが子供の頃も道場の運営費が話し合われていた。『タチバナ』は、アカツキが一応は継いだが、弟のアーヴィングが独立した為、看板を畳んで今後は名前だけを残してやってゆく事になっている。
「うちは、父さんが三人兄弟で僕のヒュウガ父さんが騎士団の副長で、弟のコウガ叔父さんが道場やってて、三男のライガ叔父さんが首都で働いてるんだ」
「へぇー」
「道場の経営は、前までコウガ叔父さんとライガ叔父さんの二人でやってたんだけど、数年前喧嘩してからライガ叔父さんの仕送りがなくなってさ」
「た、大変っすね……」
「うん、……だから、買って」
うーん、とジンはしばらく悩んだが、武家に生まれた事でフュリクスが武道一筋だったのだろうと思うと少しだけ同情もしてしまう。
ジンの家はすでに看板もなく、武人のあるべき形などほとんど学ばなかったが、フュリクスの家はきっと現代でも古き良き風習を大切にしているのだ。
「俺とも遊んでくれます?」
「タチバナもやるの? いいよ」
ジンは、キリヤナギの分も合わせて2台分のチケットを取り、二人でゲームソフトを選ぶことにした。すでに発売から年数が経つゲーム機は沢山のソフトウェアが充実していて、どれも目移りしてしまう。
「タチバナも買うの?」
「これは殿下の分です。首都だと何処にも売ってないので……」
「ここ、叔父さんの知り合いの店だから、在庫おしえてもらったんだ」
「道場の?」
「ううん。三男のライガ叔父さんの友達。ライガ叔父さんは商売が得意で、カレンデュラにいた頃からお店をやってたから、みんな知ってて……」
「へぇー、有名人」
レジを介し、袋へと詰められたゲーム機をフュリクスは嬉しそうに受け取る。壊さないよう丁寧にリュックへとしまった彼は、再び自転車の後ろへと跨った。
「タチバナ、ありがとうー!」
「後で友達登録して下さいね」
弟とは、こう言うものなのだろうかとジンは少しだけカミュが羨ましくも思えていた。
*
一方で、ククリールと再会したキリヤナギは、彼女から告げられた事実をうまく受け入れられずにいた。
昨日エニシダ町にてサフランを見つけたククリールは、彼がクリストファー・カレンデュラ公爵の暗殺を企て、『王の力』の根源を得ようとしている事を聞いてしまったと言う。
「それは、本当?」
「そう、聞いたの。でも、本当かどうかわからなくて、誰にも言えなくて……貴方なら、どうにかしてくれるかなって……」
ククリールもただ聞いただけでよくわかってはいないのだろう。カレンデュラでの執政がどのようなものなのかは分からないが、騎士長と言う立場は、おそらくここ数年で得たものではないはずだからだ。
「サフランは、確か孤児なの。私がまだ小さな頃から騎士でいて、お父様も信頼してる」
「何年前か覚えてる?」
「うろ覚えだけど、10年ぐらい……? 今はもう廃村のイヌマキ村から来たって……、孤児から騎士長になったから、みんな期待してたのに……」
ククリールは、パニックにも近いようにも見えキリヤナギは背中を摩りながら彼女を宥めていた。その上でまずククリールが無事であったことに再度安堵し、匿っているクレマチス家にも頭が下がる。
「サフランにはバレなかった?」
「わからない。でも、目は合ったかもしれなくて……私、どうなるのか」
「クレマチスの人には話せた?」
「言えない。巻き込みたくない……大切なの。だからごめんなさい。貴方にしか……」
泣き出してしまったククリールに、キリヤナギは何もせずにはいられなかった。怖がらせないようそっと脇へと手を回し、背をさすりながら抱きしめると少しだけ彼女の震えが止まる。
「大丈夫」
「……」
「カレンデュラ家も、クレマチスもどうにかする」
「……おうじ、さま?」
「大丈夫。……だからククはここから動かないで」
「……」
「もし、サフランに見つかっても絶対に会っては行けない。カミュやフュリクスに守ってもらって」
「……貴方は?」
問われ、キリヤナギはゆっくりと離れる。手を握ったまま安心させるよう彼は笑っていた。
「僕は、クリストファーさんをどうにかする。今は喧嘩してるけど、父さんの友達だからね」
「……できるの?」
「やるだけやってみるよ」
その真っ直ぐな瞳にククリールの緊張が解けてゆく。指先へ軽く口付けた王子に、ククリールはしばらく呆然としていた。
その行動は『賞賛』と『感謝』を意味する。
「殿下にお嬢様! お昼如何ですかー?」
カミュの声が響き、普段通りの空気が戻ってくる。ククリールは少しだけ一人になりたいと話した為、キリヤナギは一度皆のいる居間へと向かった。
一階の居間には、カミュにお茶とお昼を振舞われているシズルとイリナがいて、和やかな雰囲気に包まれている。
「ジンは?」
「ジンさんは、さっきフュリクス君と出かけられました」
「出かけた?」
「何処に行くかまでは聞いてないのですが……」
「す、すみません。うちの弟が……」
「全然良いんだけど……」
何をしに行ったのだろうかと思わず勘繰ってしまうが、カレンデュラ領に来てからと言うもの、ジンがあらゆる方向に引っ張られていて人気者だと言う感想を抱いてしまう。
ミレット隊の一部はジンを目の敵にしているらしいが、本当に嫌いなら無関心のはずであえて構うのは愛情の裏返しにも見えるからだ。
「セドリックってジンの事好きなのかな?」
「はい??」
「ななな、なんで、そそそうなるんですか??」
イリナは首を傾げ、隠れていたリーシュすらも顔を出して突っ込んできた。キリヤナギも具体的には説明できないが、セドリックの態度とジンの関係性は、十数年前のクラークとアカツキを連想させるからだ。
「なんとなく?」
「申し訳ございません! 流石に同意しかねます!」
「ままま、マグノリア隊長は、ほほ、ほ本当何されるかわからなくて怖いです!!」」
「お二人とも、大丈夫ですか?」
「もう一人おられたんですか!? すみません。今、お茶をお持ちしますね!」
リーシュは、再び隠れてしまった。話していると入り口の方から引き戸の音が聞こえ、ジンとフュリクスがもどってくる。
「殿下。すいません。戻りました」
「おかえり、何処行ってたの?」
「王子殿下! ゲーム買ってきたよ!」
フュリクスがリュックから取り出したそれに、キリヤナギは目を輝かせて驚いている。フュリクスは早速開封し電源をつけていた。
「売ってたんだ!」
「ラスト5台ぐらいでした」
「王子殿下も一緒にやろう」
「フューリ、貴方どこでそんなお金……」
「タチバナが買ってくれた」
「は!?」
「ジンさん。2台買われたんですか……?」
「シズルさん、まぁ、殿下のは経費になるし……?」
「すみませんすみません! うちの弟がなんて事……」
「ジン、これどうやるの?」
「殿下は昼終わってからにしないです……?」
カミュがハッとして、大急ぎで昼食を配膳してくれることになった。ゲームの話題を交えた昼食は賑やかで、皆がテレビに映されたゲーム映像を楽しんでいると、賑やかさに誘われたククリールも現れ、8人はしばらくゲームで遊んでいた。そして時刻は、エニシダ町での滞在限界時間を迎える。
「カミュ、フュリクス、呼んでくれてありがとう」
「と、とんでもないです。此方こそお越しいただきありがとうございました」
「ククは、まだ公爵家ではなくなった事を皆に知られてない。だからしばらくはトラブルに巻き込まれないよう守って貰えるかな?」
「当たり前だよ。僕お嬢様の騎士だし」
「フュリクス、頼んだよ」
「……別に、いいのに」
「ククは、しばらくここにいて。何があれば僕にできることはやるから」
「……それは」
「大丈夫。またね……」
キリヤナギは、そう言ってクレマチス家を後にする。少しだけ名残惜しそうな彼女だったが、ここに長くいてもリスクがあるだけだからだ。
ジンの運転の元、午後からの数時間は、イリナの案内でカレンデュラの名所を巡る簡単な観光だった。過去に功績を残した公爵の像とか、広大な果樹園、果物の卸売り市場などをめぐり、残された数時間はあっという間に過ぎてゆく。
間も無く別宅へ戻る頃合いに、会議を終えたカナトから連絡があり、2人は夕食のみ同席することになった。
「なんで、ラーメン……」
「不満か?」
カナトに紹介されたクロマツ町のラーメン屋は、長蛇の列ができていてその日は3人で列に並ぶ。他の騎士も時間差で並び、そこにはメリエとホライゾンも紛れ込んでいた。
「カナト、顔ちょっと疲れてない?」
「話を通すのも大変だからな。……ここの支社は、オウカ人だけでなくガーデニア人も働いていてその点でのトラブルも多い」
「具体的には?」
「我が国は、時間に関してそこまで厳格ではないからな。14時に待ち合わせでも14時半ぐらいに来るのが普通だが、オウカ人は5分遅れでも怒る」
「え、遅刻じゃないのそれ……」
「15時までは14時ではないのか? と言う話だ。今回は機器の状態を、私は公爵へ『目視での確認のみ』のつもりだったが、オウカ人によるとどうやら修理まで行うと解釈されている可能性があるらしく困っている」
「修理じゃねぇのあの流れ」
「保険としてできるかどうかは一応濁したが、私としたことが失態だな……」
カナトがげんなりしていて、キリヤナギは少し同情していた。しかし明日からはキリヤナギもカレンデュラの視察があり、分単位のスケジュールが詰め込まれている。
「お互い忙しくなるまえに、こうして息抜きだ」
「だからなんでラーメン?」
「僕は好きだけど……」
店内は食券タイプで、ジンはキリヤナギの分も券売機で購入する。その店の中はマグノリアで行った店のように壁に多くのサイン色紙が貼られ、テレビ番組のステッカーも沢山飾られていて、キリヤナギは思わずまじまじと眺めてしまった。
「ククリール嬢と進展はあったか?」
カウンター席に座ってすぐのカナトの言葉に、キリヤナギは返事に困ってしまう。浮かない表情を見せる王子へカナトは何かを察する。
「出会いは一度ではない。努力を怠らなければ、身の丈にあった人が見つかるだろう」
「また振られたんすか……?」
「そ、そうじゃないんだけど……」
誤解されていて返答に困ってしまう。考えていたら、カウンター越しにラーメンを出してくれた亭主と目が合った。「ありがとうございます」とお礼を言っても目を離さず思わず焦ってしまう。
「何処かでお会いしました?」
「い、いえ、初めてです」
「失礼、ごゆっくり」
亭主は作業へと戻ってゆき、ジンとキリヤナギは安堵していた。ラーメン屋では何ごともなく、夕食を終えた王子は、カナトと共に無事別宅へと戻ってくる。
ジンは自動車の鍵を返却する為、セドリック・マグノリアと話があると言うカナトへ同行した。
「ご苦労だったタチバナ。運転は上手くやれたようだね」
「ありがとうございます」
「少し遊んだようだが、自らの責務を忘れないよう気をつけるように」
読まれていると、ジンは息が詰まった。遊んでしまったと言われれば確かに言い訳ができない。
「カレンデュラ嬢か……」
「……副隊長」
「ある程度察して事だがね。まぁいい、以後気をつけるように。戻りなさい」
「申し訳ございませんでした」
ジンは、セドリックとカナトが立ち去るまで頭下げ、ほっと息をついた。気を抜いていた自分に反省もするが、ククリールの件を口に出したセドリックに違和感を覚える。
おそらくセドリックは、今日キリヤナギがククリールへ会いにゆく事を知らなかったのだ。あえて口に出したのは、それを把握したことをジンへ伝える為で、今朝の時点では【読めなかった】とも考察できる。
つまり今朝まで読めなかったのなら、セドリックの【読心】はそこまで深くはないとも言える。
「ジンさん、お疲れ様です」
部屋へと戻ると先に帰っていたシズルが寛いでいた。初日から同室ではあったものの、昨日はシズルは残業があり、話す機会がなかったのだ。
「お疲れ様です。今日は途中外してすいません」
「いえいえ、お気になさらず、クレマチス君。ジンさんがお気に入りに見えましたから、それよりマグノリア閣下は大丈夫でしたか?」
「副隊長?」
「【読心】で、隠し事ができないので……」
「買い物に行った事ことはバレました」
「はは、ですよね。ミレット隊はそんな感じでみんな真面目にならざる得ないと言うか、真面目であればなんでもいいって所はあるんですよね」
仕事さえこなせれば文句は言われないと言う意味なのだろう。注意だけで済んだのは、自動車の運転をこなしたからだと思うと納得ができた。
「ミレット隊って大変?」
「他の隊を知らないので、よくはわからないのですが、私は少し窮屈にも感じます。もちろん、最優秀とも言われる隊へ配属されたのは光栄なのですが……ジンさんは、お辛くないです?」
「俺は身から出た錆みたいなとこあるし……?」
「お強いですね。尊敬します」
褒められると反応に困ってしまう。返答に困っていたら昨日言い損ねた言葉を思い出した。
「シズルさん。昨日の朝の配属変更? 意見行ってくれてありがとうございました、少し嬉しかったです」
「いえいえそんな、今回は私もミレット閣下がせっかく選ばれ、殿下にも了解を得た編成だったものですから、つい……」
「ミレット閣下って、案外何も言わないんすね」
「ミレット閣下は、マグノリア閣下と同じく結果主義なので、結果を出し続けるマグノリア閣下に預けている雰囲気はありますね……、あとご自身が殿下に嫌われている事を一番よく分かっておられるので距離をとっているというか……」
「意外と気にしてるんだ?」
「伺った話ですが、事あるごとに口に出されるので、気にしておられるのは間違いないと思いますね。殿下はそうは見えませんけど」
思えば二日目なのに殆ど姿を見せないのは、やはり気にしているのか。
キリヤナギもまた、居ないことを心配している気配もなく、これが二人の絶妙な『距離感』だともわかる。
「明日からもまた、よろしくおねがいします。ジンさん」
「はい。一緒かはわからないですけど……」
明日から四日間。キリヤナギとカナトは別行動となりその間は固定で警護に着くことになっている。
キリヤナギはカレンデュラの視察や侯爵との会談などへ参加。
カナトはこの四日間で各町にあるサービスセンターを視察に向かう予定だったが、今日の空気から変更されるようにも思えた。
「アークヴィーチェ卿は大変そうですね」
「どう大変はわかんないですけど、バタバタしてますよね」
苦笑しているシズルと、普通に会話ができることへ、ジンは少し嬉しくも感じていた。
150
迎えた新たな朝。早朝のミーティングにて伝えられた配置は、カナトへジン、シズル、イリナ、リーシュが配属され、キリヤナギへクラーク、セドリック、イルギス、リュウセイが着くこととなる。
「アークヴィーチェ卿に、また六名ですか?」
「あぁ、アークヴィーチェ卿は本日より四日間。国境沿いの機器の修理に赴く為、技術者と共に外出される。よって我が隊からも二名増員して向かうこととなった。移動にもそれなりに時間がかかり、機器も多くいると聞いているので手助けも怠らないように」
「「はい」」
「モントブレチアとカラシナは、これより殿下と謁見し、ミレット閣下と目的地を回る。繊細なお方だ、気遣いを忘れないように」
「「は、」」
朝礼を終えた後、立ち去ったセドリックに、シズルは何故かがっかりしていた。ジンは予想はしていて彼の態度が逆に申し訳なくなる。
「ミレット閣下の気遣いが悉く蔑ろにされているのが大変気の毒で……」
「シズルさんって情が深いんですね……」
「私は、タチバナさんを気に入っているアークヴィーチェ卿への気遣いにも見えるのですが……」
「イリナさん、不本意なんですけどね……」
リーシュは、今日はシズルにみつからないように隠れていて、ジンは確認することができた。
「あの、リーシュさん」
「は、はひ?! じじじ、じ、ジンさん、なななんで、しょうか……」
「もしよかったら、時間まで相手してもらえませんか?」
「あ、あいて? 訓練、ですか?」
「はい。ちょっと調子崩してるので、リーシュさん強そうだし?」
「そそ、そんなことないれす!!」
「ダメです?」
「ふぁ!? くくくく訓練は、だだ、大丈夫です。わわたしも光栄、だし……」
特別護衛隊のクラーク・ミレットとセドリック・マグノリア以外の四名は、毎日、朝礼が終わった後に簡単な基礎訓練を行っている。おもに緊急時に動けるようにするためのものだが、決まった内容はなく、各自でいいと指示を受けていた。
「じゃ、じゃ、じゃあ、よよよよろしくお願いしまづ!!」
震えていたリーシュだが、向かって行くとその動きは早く一瞬で視界から消えては捉えることができない。
想像以上の強さでどう対策するか思考をよぎらせるが、そもそも視界へ捉えることができず何もできないまま負けてしまった。
そんな朝の訓練を終えた四名が、準備を終えたカナトと合流するとメリエとホライゾンを連れる彼は、心なしかげっそりしていて頭を抱えている。
「カナト、大丈夫かよ……」
「大丈夫だ。これから支社へ寄って機器を預かり、そこから向かわせてもらう。オウカの騎士の皆もすまないな……」
「お気になさらずに、国境沿いといってもここ数ヶ月は平穏ですから、きっと大丈夫ですわ」
その日一行は、一度エーデル社へと向かい企業のロゴのついた大型の自動車へと乗り換える。5人乗りのその自動車は、トランクルームが広く取られていて大きなの荷物も詰め込める、まるで旅行用の自動車だった。
運びこまれた荷物を整頓するように積んでいると、カナトが時間を確認しながら声を上げる。
「リオはまだか?」
「只今、準備が完了したと連絡がーー」
「リオ?」
ジンが思わず聞き返すと、建物から大荷物をもって飛び出してくる女性がいた。メガネの彼女は、騎士に荷物を預かられ戸惑っている。
「よ、よろしくお願いします。リオ・ベリルです」
「我が社の技術者の一人だ。今回の状態の確認と現場作業を行なってくれる」
「よ、よろしくお願いします……!」
「では向かおう。皆、よろしく頼む」
アークヴィーチェ・エーデル社の御曹司を乗せた自動車は、2台で車列を組み国境沿いのトラブル元へと走り出す。
主要都市たるトサミズキ町から離れ、視界からは徐々に建物や住居が消えてゆく景色は徐々に人里から離れてゆくのがわかり、ジンも新鮮さを得ていた。
広大な青空と草原はまさに大自然の美しさの象徴ともいえるが、しばらく走っていると、空と大地を分割するように、銀色のフェンスが視界へとはいってくる。
道の先には検問所のような建屋があり、その周辺には見えなくなるまで柵が張られていて、ここは国民が無闇に近寄らないよう設けられた緩衝地帯への入り口だった。
運転手は公爵から得た特別な許可証を掲示し、2台の自動車は草原地帯に通る一本の道を頼りに進んでゆく。
道中道沿いに等間隔に建てられる柱を観察するカナトは、まるで一本一本をチェックしているようにも見えて、ジンは何も言わずとも感心せざる得なかった。
そして、出発からおよそ3時間ほどかけてたどり着いたのは、国境の壁と併設する形で建てられた管轄所で、騎士隊は一度そこに配属されているカレンデュラ騎士団へ挨拶を行う。
「こんな辺境へようこそ。ゆっくりは出来ないでしょうが、どうか畏まらず楽にされてください」
「お会いできて光栄だ。私はアークヴィーチェ・エーデル社代表のカナト・アークヴィーチェと申します。今回は機器の設置の為にこちらへ」
「カレンデュラ閣下より、ある程度は伺っております。しかし、それは我々にも運用できるものなのでしょうか?」
「はい。こちらは設置させて頂くだけで稼働できる機器ですので、簡単な再起動だけ覚えて頂ければと」
中へと案内されるカナトを観察していると、彼はまるで自然にジンの腕を掴んで中へと連れてゆく。
イリナに手を振って見送られたジンは、カナトとリオの機器の設置作業を見届けていた。
魔術デバイスは、通信回線を介して魔力を送り込む方式がとられていて、接続するだけで『魔力シールド』が形成されるらしい。
「デバイスいらねぇの?」
「要らないと言えば嘘になるが、魔力は体の循環から生み出されたことから、流動すものの流れ『乗る』性質があるんだ」
「乗る?」
「例えばですね、水があれば水の流れに沿って動き、風があれば風にのって動くんです。最も、流動するのは結晶化してないものに限るのですが」
「体外へ放出された魔力は数分で消失するが、流動することでそれは消失せず循環する。この性質利用し、魔力を一定の場所へ留めておくことのできる物質が『銅』なんだ」
「『銅』?」
「もっと端的にいうと、身につける事で熱を持つので魔力が人の体内だと勘違いする感じですね」
「『銅』へ蓄積された魔力は、電気信号に乗って循環し消失せず無形の状態で止まる。当然量によって蓄積できる量は変わるが、この通信用のケーブルも『銅』出てきている」
「……!」
「電気信号に魔力が乗って行き来できるので、プログラムさえ走れば『魔力シールド』は出現するんです」
「て、天才……」
「我が国の最先端の技術だ。もっと言えばケーブルは細いので、必要な魔力もかなり少ない。この機器は、人が空気中へ無意識に放出した魔力を集め蓄積してケーブルへ流しシールドプログラムを走らせる機器だ」
得意げに語る二人に、管轄所の騎士も感心していた。
機器の稼働を確認した二人は、管轄所の代表騎士へ設置完了の書類へサインをもらい、ガーデニア式の挨拶で頭を下げる。
「では騎士殿、我々はこれよりセキュリティ機器の設置へと向かいます」
「畏まりました。地図をお渡しいたします」
カナトは、管轄所の騎士から詳細な位置を確認し、現場へと赴く。
高く草木が生い茂るそこは普段から何かしらの攻撃が行われていたのか、壁がぼろぼろで鉄線も修繕された跡が残っていた。
カナトとリオの二人は、自動車の上に積まれていた大型の脚立を取り出し、持ってきた機器の再設置を行う。その間カナトは、リオが攻撃を受けないようシールドを生成しつつ、機器へ魔力が流れているかの確認をしていた。
「代表、稼働完了です」
「チェックするか」
カナトはカレンデュラ騎士団の管轄所へと連絡をとり、機器が正常に作動するかテストを行う。すると警告のような音が周辺にながれ、それが新たに設置された機器によるものだと連絡がきた。
「一つ完了だ」
「お疲れ様です。カナトさん」
「あまり時間はない。次の現場へと急ごう」
一向は、再び自動車へと乗り込み、通信不良の現場へと自動車を走らせてゆく。どこまでも続く草原地帯にも思えたが奥に小規模な林が見え、間近に迫ったあたりで自動車は止められた。
「この辺りだな」
カナトがリオと共に地図を広げつつ自動車を降りてゆく。林へ近づけば近づくほど草木は生い茂り、柱の付近は膝あたりまで雑草が立ち上がっていた。
「この柱でしょうか? 見た感じ異常は無さそうですが……」
「老朽化がひどいな。これは寿命の可能性もあるか……」
カナトは一旦リオを柱から放し、その周辺へまるで絨毯のように魔術シールドを敷き詰めた。これにより立ち上がっていた草木が押さえつけられ、それなりの広さのあるスペースが出来上がる。
「割れねぇの?」
「密度に問題はない。荷物を全てここへ運んでくれ」
積まれた大量の荷物が広げられ、カナトは飛翔機器を使って回線の状況を確認する。その手際の良さに、オウカの騎士たちは任務を忘れて見入ってしまいそうだ。
「電圧はみれます?」
「試すか」
機器のコードはそこまで長くはない。カナトは浮遊できる魔術結晶を大きくつくり、その上にテーブルを作って浮かせた。
カメラ付きの飛翔機器を操作しながら慎重に機器を持ち上げているカナトは、相当神経を使っているのか、こめかみに汗がが滲んでいる。
「ケーブルの外面はぼろぼろだが中身はほぼ無事。この程度なら簡単な補強だけで済みそうだ」
「どう治しましょうか……」
話し合う二人の横で、騎士達は2人の周辺を囲いながら警戒する。草むらからは野生動物や鳥の声も聞こえて、側からみれば穏やかな森林にも思えた。
「よし、次だ」
「移動します」
持ち出した荷物を全て自動車へと戻し、一行は次の柱のチェックへと向かう。
*
カナトが通信設備の目視観察を行う最中、王子キリヤナギもまた、カレンデュラ騎士団へと視察にきていた。
トサミズキ町にある巨大な建物はカレンデュラ騎士団の本部でもあり、長を務めるサフラン・バジルと、副長のヒュウガ・クレマチスが迎えてくれる。
「王子殿下、ようこそ、光栄です」
「バジル卿。今日はよろしく」
挨拶をしてくれるサフラン・バジルとは反対に、横に並ぶヒュウガ・クレマチスは、寡黙なのか一言も話さず頭だけをさげていた。
キリヤナギはまず、建物内の施設を案内されたり、騎士達の業務風景を見たりなど騎士団の各部署の役割について解説をされる。広い演習場では、騎士が異能をもっての訓練をしていて掛け声も聞こえてきていた。
「【身体強化】をもつカレンデュラ公爵閣下の元、他の騎士団よりも専門性を高めるため日々肉体の強化と分析を行なっております」
「強化した度合いによって反動もかなり大きいとは聞いてるけど……」
「はい。当然ではありますが、安全性の確保を大前提に、個々の伸び代に合わせた訓練ですね」
「よかった……」
渡されたパンフレットには、異能の訓練の内容が紹介されていて、教官全員が各領地の騎士団で研修を受けた者が配備されているともかかれ、その熱心さが伺えた。難しい土地とも言われるカレンデュラでの騎士団に妥協はないと感心した時、教官紹介の一覧が6名しか名前がないことがわかった。
「【読心】の教官は……?」
「おや、お気づきになられましたか」
七つの異能の内、六人の教官は紹介されているが、唯一【読心】の教官が見当たらない。
「我が騎士団において【読心】は、人種的な偏見を助長すると言う考えから数十年前より不採用としております」
「偏見?」
「お話は長くなりますが、パンフレットの後半をご覧ください」
ページを送ると難民孤児支援という項目があり、キリヤナギは納得した。カレンデュラ騎士団では、国を終われた者や親を失った者などを積極的に騎士団へと採用し、領地へ貢献してもらうと言う取り組みだと言う。
「十数年前より実施されたこの取り組みに、多くの難民や子供、働き口のない人々が助けられましたが、騎士と言う栄誉職業であるが故、【読心】による貴族階級からのいじめや差別などが起こり、一時期は統率が困難な状態にまで陥りました。よってこの経験上カレンデュラ騎士団は【読心】は不採用とし現在まで」
「なるほど……」
【読心】におけるトラブルは、キリヤナギもある程度は把握していた。生まれ持った身分差で【読心】を持つ貴族達が、孤児や元難民達を陥れようとしたのなら、信頼されるのはやはり貴族側でもあり、味方になることは難しい。心を読んだ事実の信憑性は、結局のところ本人にしか分からず、それを証明する手立てはないからだ。
この問題を解決するため騎士団では【読んだ】事実と、『証拠』の両方がなければ事実を断定してはならないと言うルールも存在する。
「無くしたら収まった?」
「はい。偏見を全て無くすのは難しいですが、私を含めた多くの孤児がこれによって正当に評価されるようになり、私もこの地位へと」
「バジル卿も孤児なんだね」
「はい。イヌマキ村と言う今はもう廃村ですが、そこで救われ、私も貢献したいと騎士団へ」
「救われたっていうのは?」
「イヌマキ村は、国境付近でかつ辺境にあるが故に不法入国者の目撃が時々ある小さな村ではありました。しかしある日、彷徨っていた不法入国者の集団に襲われ、村を乗っ取られてしまったのです」
「……それは」
「多くの者が殺され、火を放たれ、まるで地獄のようでしたが、カレンデュラ騎士団の勇敢な対処により制圧し、カレンデュラ閣下は生き残った人々へ救済を行った。それが我々です」
「カレンデュラ公爵は、この領地の民を大切にしているんだね」
「はい。クリストファー・カレンデュラ閣下が公爵となられもう20年近くとなりますが、我々を含めた多くの人々へ尊敬される偉大な公爵でしょう」
サフランの言葉に、キリヤナギは笑みを返していた。ここまで、付き添っているヒュウガ・クレマチスは一言も話さず、ずっと訓練風景を眺めている。
「バジル卿」
「如何されましたか?」
「カレンデュラ家には、令嬢がいた筈だけど、貴殿はどう見ている?」
ヒュウガの眉間が少しだけ動いたのを、キリヤナギは見逃さなかった。サフランは相槌を打つように「ふむ」と返して続ける。
「私も先日、突然お嬢様の勘当を告げられ困惑しております。閣下にどのようなお考えがあったのは存じませんが、元々自由奔放なお方であったのは間違いがなく、閣下も痺れを切らしたと言われれば納得の範囲でしょう」
「そうか……」
「スキャンダル、存じております。大変残念であったとも思いますが……」
「僕も、振られたのに距離を詰めすぎたのは反省はしてるよ。これからは信頼を取り戻していかないとね」
「私はお二人の関係性を存じませんが、お嬢様は王子殿下と出逢われたことを後悔してはおられないと、私は思えました」
「ありがとう、サフラン」
「恐縮です」
キリヤナギは、その後も騎士団の視察を続け、不法入国者の対象とか、テロによく使われる爆弾解体班などの部署を巡る。特に爆弾に至っては、サフランに専門性がありテロ犯の手口や仕掛けられやすい場所まで解説されていた。
早朝から始まった午前の視察がおわり、キリヤナギは、昼休憩の為に別宅へと帰宅する。着替える最中、周辺で警護するセドリックへ、イヌマキ村のことを話した。
「イヌマキ村ですか?」
「うん。視察にいけないかな?」
少しだけ表情へ難色をみせたセドリックは、通信デバイスで位置を調べ尚更険しい表情をみせていた。
「しかしここは、すでに廃村地区でもあり現在はもう何もありません」
「そこに住んでた人に話を聞きたくてさ。何があったのか知っておきたんだよね」
イヌマキ村は、終戦後初めて襲撃を受けた村で、秘密裏に侵入した難民が食糧を奪う為に村を襲ったと記録されていた。終戦後数十年後に起こり警備が十分でなかった辺境村は、騎士団の対処も間に合わず多くの人が犠牲になったと言う。
「かつての住民は、付近のカキノキ町への移住が完了しておりますが……」
「なら2箇所行きたいかな」
「国境沿いは、陛下とのお約束があるのでは?」
「イヌマキ村は、国境沿いと言っても南側。東国に近い位置にあります。問題はないかと」
「クラーク……」
クラーク・ミレットの横槍にセドリックは確認するように目線をよこしていた。彼はもう一度キリヤナギをみて真剣な表情で告げる。
「キリヤナギ殿下。無礼を承知ではございますが、我々は貴方の御身を守るためにおります。そのサポートを行う上で、お心を読ませて頂けないのは我々も寄り添うことは難しく……」
「え……?」
驚いたキリヤナギの表情にセドリックは絶句していた。その言葉の意味は【読心】で読ませないのはやめて欲しいと言う要望だったからだ。
「読めない?」
「はい」
「ごめん。そんなつもりはないんだけど……なんでだろ」
本気で悩んでいる素振りにセドリックはさらに言葉を失っていた。クラークは気にもせず、セオから飲み物を提供されている。
「カレンデュラ嬢の件もお話して頂けず、大変残念です」
「それは読めたんだ?」
「タチバナですね」
珍しいとキリヤナギは逆に関心してしまう。しかし、先日は普通に読まれていて、話すことも意識していなかったと反省していると、セドリックの後ろで少しだけ口角を上げるイルギスと目があった。
「イルギスは読める?」
「ふ、人の心がわかるなどと言う傲慢な考えは持ち合わせておりませんな」
「殿下、このバカに聞いてはなりません」
キリヤナギは、イルギスがどこまで真面目なのかわからないが、仲が良さそうなリュウセイの言動がおそらく正しいのだろうと思う。
「うーん。僕も理由がわからないから、しばらく口頭でいいかな?」
「それは構いませんが……」
「イヌマキ村は、カレンデュラ騎士団の騎士長のバジル卿の故郷だから、彼がどんな境遇だったのか興味が湧いたんだよね」
「サフラン・バジル卿ですか……」
「うん、ククの馴染み深い騎士で、この事件で生き残った人が殆どいないみたいだから、尚更知っておきたくて」
黙ってしまったセドリックに、キリヤナギは困ってしまう。国境沿いかそうでないか判断に迷う村は、やはり一度事件があったことでセドリックには許しがたいのだろう。
「セオ、スケジュールはどう?」
「最終日の午後から夜会まで時間でしたら空いております。距離にもよりますが……」
通信デバイスで調べるとイヌマキ村までは自動車で1時間半と出ている。夜会は18時からでゆっくりしなければ間に合いそうな時間だった。
「皆来てくれるかな?」
「殿下のご意向とあらば」
「畏まりました。誠心誠意お守り致します」
キリヤナギは笑みを崩さず、次の視察へと出かけてゆく。
151
二人が別宅へ戻る頃には、すでに日は落ち町には灯が灯っていた。数本の柱の目視チェックを行ったカナトは、一本目以外のケーブルに致命的な断線が起こっていることが分かり、修理工事を手配しなければならず大きなため息をついた。
「大変じゃん……」
「最悪だ。これはなんとしても騎士団の協力を得なけれはならない……」
一度リビングへと足を運び、アルコールを摂取するカナトをジンとキリヤナギは初めて見た。顔には疲労が見えるが、その目は真っ直ぐ前を向いている。
「大丈夫……?」
「重労働となるだろうが、やるしかない。ジン、護衛は頼む」
「お、おう……?」
「お三方は仲がよろしいですね」
ジンと一緒に警護していたイリナが、楽しそうに笑い、ジンは何故か不安になっていた。
そして2人は、次の日の早朝からもまた会議や視察へと出かけてゆく日々が続く。
今日も国境沿いへ向かったカナトは、作業着に着替えたリオと共に柱を周り、問題のある箇所を調べて再接続を行なってゆく。
断線していた部分を張り直し、破壊された機器の調整を行っていると、鳥の声が聞こえ、登っていたリオが風に揺らされていた。
カナトは下で機器を見ながら観察し魔術を使って風除けや寄ってくる野生動物を追い払う。柱の周辺は、人の気配はなく街も何もない場所だが、だからこそ何が起こるかわからないと、警戒し詰めの一日が続いた。
「一応、復旧はしましたね」
「今日はここまでだな」
ジンが確認をすると圏外表記だった通信デバイスへ電波がきていて感心する。しかし、まだ1本目が修繕されただけで残り数カ所の作業があるらしい。
「間も無く日が暮れる。明日は朝からきてやろう」
「はい!」
「そんな早くから?」
「明後日は、我々を送り出すための夜会もある。欠席はできないからな」
最終日の作業時間は多くは取れない。つまりより多く時間が取れるのは、明日が最後だとも言える。
帰りにエーデル社へと進捗報告を行ったカナトは、日付が変わりかける頃に別宅へと戻り、くたくたになりながら床へついて居た。
*
「はぁ……勝てねぇ」
「ジンさん。どうか気を落とされずに……」
次の日の早朝、少しだけ早めに別宅を出たその日も、ジンはリーシュへ訓練をお願いしていた。話を聞くと動きは良くなっているそうだが、未だリーシュの速さについてゆけず一度も勝てて居ない。
もどかしさで思わず口に出てしまった言葉に、フォローしてくれるシズルはやはり優しいと、ジンは頭が上がらなかった。
「女性に負けているのか? 情け無いな」
「うるせぇよ」
「あ、アークヴィーチェ卿、ツルバキアさんは大変つよいのですよ」
「そうなのか?」
カナトは容赦がないが、今更だと思ってしまう。
「私は、有事の時に動けるならば文句は言わないので安心しろ」
「別に気にしてねぇし……」
「そうは見えないが……?」
「あはは……」
話をきいてくれるカナトだが、やはり少し寝不足なのか、移動中の殆どを仮眠で過ごし、現地に着いたあとは延々と作業に明け暮れて居た。
そんな多忙な日々が目まぐるしく過ぎて行く日常で、視察の最終日をむかえたキリヤナギは、四名の騎士と共に午後からイヌマキ村へと向かう。
人が多く住む都市部から、徐々に離れてゆく風景はいつのまにか木々が生い茂る山道へと代わり、キリヤナギはそれを眺めながら自動車に揺られていた。
連日の疲れもあり、いつのまにかイルギスの肩にもたれて眠ってしまった王子は、ようやく入り組んだ山道を抜け、人の手が入らなくなった廃村地帯へとたどり着く。
キリヤナギが起こされて外を見ると、放置された家屋や錆だらけの自動車だけでなく、焼け焦げ支えのみとなった建物も存在し、人が中に入らないよう立ち入り禁止のロープも貼られていた。
「ここがイヌマキ村?」
「はい。歴史的な事件としてこのまま保存しようと言う議論もあり残されています。倒壊の危険もありますので中には入らないよう」
奥へゆくと公園のような広い場所もあって、公民館や幼稚園などもある正にゴーストタウンという表現が正しい。
自動車を降りると、その雰囲気は更に不気味さも増して騎士の四人は周辺に人がいないかしきりに警戒をしていた。
少しだけ歩くと『イヌマキ児童施設』と言う表札の建物もあり、そこは入り口が全開で僅かに中を覗ける。
「ここにサフランがいた?」
「おそらくは……、学童とも併用されていた施設ですね」
覗ける場所だけでも、子供の切り絵や絵が飾られていて、かつて多くの子どもがいたことを連想できる。見ていると胸が締め付けられるようになるが、キリヤナギはぐっと堪えた。
「みんな、ありがとう。そろそろカキノキ町にいけるかな?」
「はい。ご案内します」
キリヤナギは再び自動車へと乗り込み、イヌマキ村から15分ほどのカキノキ町へと向かった。そこは森林地帯を切り開かれた住宅街で、舗装された車道へ沿うように家や店が並んでいる。あらかじめ連絡を受けていたカキノキ町の自治体は、彼らのできる最大限の歓迎をもって迎えてくれた。
「こんな田舎へよく来て下さいましたなぁ……」
「こんにちは」
「いつもテレビでみとります。興味を持って頂き幸いです」
迎えてくれたのは殆どが年配で若者は殆ど見えない。しかし歓迎をうけた施設には、壁に歴代の卒業生の集合写真が沢山飾られていた。
「この写真は?」
「これは、かつてのイヌマキ小学校の卒業生の集合写真です。故郷がなくなってしもうたもんで、住民もバラバラになってしまいましてな、もし帰ってきた時に思い出に浸れるよう飾っとります」
集合写真は、モノクロの古いものから現代のカラーの物までが並び、まさに歴史の変遷のようにも見えて、キリヤナギは順番に眺めていた。そして、写真がなく名簿のみが残された位置へ辿り着く。
「この年の写真は……?」
「あぁ、そこは数十年前に卒業生からぜひ譲ってほしいと言われてさしあげたんですわ。他の写真はほぼ焼けてしまい貴重な一枚だったのですが、多額の寄付もしてくださって、そこまでするならと譲らせていただいたんです」
「へぇー」
名簿を目で読んでゆくと、サフラン・バジルの名が連ねられていてキリヤナギは嫌な予感がする。
「このサフラン・バジルさんが騎士長になっているのはご存知ですか?」
「あぁ、サフラン・バジル卿か。よく聞かれるんですが、あの方と別人ですわ」
騎士達が驚いたのをキリヤナギは感じていた。案内役の彼はうーんと記憶を辿るような仕草をして口を開く。
「カレンデュラ騎士団のバジル卿は、銀髪に青い目が有名ですが、イヌマキ村のサフランは、茶髪に黒目のオウカ人らしい見た目をしとりましたからな。よくファンも来られるがガッカリさせて申し訳なく」
「……そうでしたか。なら騎士長のバジル卿の出身地は……?」
「さぁ、わたしらの知るサフランとは違いますし、よくわからんですな。こっちのサフランはもう何年も連絡は取れず、今どこで何しているのやら……」
冷静に話を聞いているキリヤナギに、セドリックは言葉を失い、後ろにいたリュウセイも眉を顰めていた。
一通り施設を回りイヌマキ村とカキノキ町の歴史を学んだキリヤナギは、自動車に戻ってから何かを考えている。
「殿下、これはどう言うことでしょうか?」
「セドリック、僕もよくわからないんだよね。でも、サフランには何かがある気はしてて……」
「根拠は?」
クラークの質問にキリヤナギが渋々ククリールから聞いた事実を話すと、全員が信じられない顔をして驚く。
「殿下、何故それを先に話してくださらなかったのですか?」
「セドリックに言ったら連れてきてくれなさそうだったし?」
「……っ!」
「なるほど、夜会で何かが起こると?」
「起こるのかな? わからないけど、ククが聞いたことが本当なら、サフランの目的は宮廷の信頼の失墜で、僕らが居るうちに動く可能性もあるかなって」
「殿下、何故そんな冷静に話せるのですか……?」
リュウセイの言葉へ返事に迷ってしまう。キリヤナギはサフランが、どのような人物かセオリーを知りたかっただけだからだ。
「カレンデュラ嬢の言葉の真実性はともあれ、もしバジル卿が経歴を詐称しているのなら騎士長として大きな問題ではありますが……」
「帰って報告はできるだろうけど、多分聞いてもらえないんじゃないかな? 僕ら嫌われてそうだし?」
「公爵とは王家に従うものです」
「それが通じる人なら、こうなってなくない??」
カレンデュラ公爵家と王家の関係は冷え切っている。社交辞令的な歓迎は受けているが、おそらく内政に干渉できるほどこちらは信頼されていないと王子は話しているのだ。
「もう一度イヌマキ村に行ってもいいかな?」
「お時間はありますが、これ以上は騎士の業務です。殿下」
「何か確認したい事でも?」
「うん。もう一度、あの児童施設を見たいなって」
クラークは冷静だが、セドリックは酷く複雑な表情をしていて困ってしまう。その態度はまるで「王子は口を出すな」とも言いたげだった。
「警護に自信をなくされたか? マグノリア卿」
クラークの言動に、リュウセイは生汗をかいていた。それはつい先程まで自信に溢れていたセドリックへの最大限の皮肉だからだ。
「副隊長! 我々は殿下のご意志を叶える為にここにいるのでは?!」
「イルギス……ありがとう」
「畏まりました。5分です。それ以上許しません」
「短か……」
「何が起こるかわかりません。ここは身の安全を第一にさせていただきます」
やりづらいが、今は仕方がないとキリヤナギは再びイヌマキ村の児童施設の建物前へと向かった。
再び訪れたイヌマキ村は、他にも見にきた者がいるのか、入り口に自動車が数台止まっていて、セドリックはあえて村の中へ入り安全に見える場所へと自動車を停車する。
徒歩で奥へと進み、建物が見えるとキリヤナギが平然と中へ入って行きセドリックやクラークも慌てて続いた。
ぼろぼろの屋内はあらゆるものが当時のままおかれていて、教室には、表紙へ年代が書かれた卒業アルバムが放置されている。
一番最初のページがちぎられているのは、カキノキ村で飾られている集合写真だろう。
キリヤナギは、騎士に囲われつつ一つ一つ丁寧に年代を見ながら、空白だった年のアルバムを探す。すると、数冊目に該当する年代があり、ゆっくりとそれを開いてゆく。
そこには1人の生徒の顔が黒のペンで塗りつぶされた写真があり、思わずゾッとしてしまった。恐怖を抑えつつ冷静にページを送ると同じ生徒らしき場所や、顔写真つきの名簿まで塗りつぶされている。全ての写真は野晒しにされいたせいかインクも滲んでほとんど見えないのに、あえて塗りつぶされているのは明らかに意図があるようにも思えた。
「ここにもう誰かが来た……?」
「……サフランが?」
セドリックが続けた時、リュウセイとイルギスが何かに反応を示す、即座に銃を抜いた直後、新たな声が響いた。
「-動くな-」
突然。その場の全員が硬直した。その声は【服従】のもので、キリヤナギ、クラーク、セドリックだけでなく、イルギスとリュウセイまで停止する。
「泳がせていたが、知りすぎたな」
数名の足音に囲われてゆく最中でも【服従】の作用にあらがうことができない。
短い時間だがアルバムに気を取られ警戒を怠っていたのは失態だが、【服従】を持っている事が何よりも想定外だった。
「王子以外殺せ」
キリヤナギは、動かない体を落ち着かせ力を抜いた。そして「体は動かない」と受け入れた時、命令の完遂と共に【服従】が解除される。
武器を抜き、セドリックへ銃を向けた敵へ飛び込み、持ち手で胴へタックルをいれて殴り倒した。驚いた敵が銃を向けてくるが、射線を逸れる形で接近。ブレードを返し峰を使って壁へと押し込む。
「何故動ける!」
【服従】の持ち主の声に、キリヤナギは新たに狙いを定めるが、もうひとつの方角から銃声が響いた。が、まるで何かを弾くような音が聞こえ、キリヤナギは驚く。
魔術デバイスの『オートガード』によって王子を狙った弾丸は弾かれ、キリヤナギはほっとして【服従】の術者へと飛び込んだ。
弾丸の効かない王子に怯んだ敵へ、新たに単語を紡ぐ暇を与えず、キリヤナギは、顎付近へ打撃を入れて倒す。そのまま奪取しようと詠唱を行いかけたが、後ろから殴りかかる影にキリヤナギは反応が遅れた。
鞘を取り出してガードの姿勢をとった時、まるで押し込むようにキリヤナギの間に入った騎士がいる。
「クラーク……!」
「油断なされるな」
セドリックとイルギス、リュウセイも未だ硬直する中、動き出したクラーク・ミレットは、キリヤナギが倒した後も再び起き上がってきた3名を再度殴って吹っ飛ばした。
敵は『オートガード』で弾丸が効かない王子を諦め、硬直する騎士へと銃口を向けるが、キリヤナギが庇う形で前に出て防ぎ、サーベルで筒を弾き上げる形で銃を取り上げる。その場に一旦静寂が訪れ、キリヤナギは、【服従】の術者へと武器を向けた。
「-オウカの王子、キリヤナギの名の元に、貴殿の異能【服従】を、返却せよ!!-」
土壇場の最中、『王の力』が回収された事で、止まっていた騎士の3名が解放されて動き出す。直後外から敵の援軍が侵入し、即座に銃を抜いたセドリックは、キリヤナギを教室の机の下へ引き込み銃で牽制。クラーク、イルギス、リュウセイが援護に現れた数名を迎撃する。
キリヤナギの盾になったセドリックは、『オートガード』範囲内で弾丸は全て無力化され、こちらを狙った敵を全て返り討ちにしていた。
現れた敵はおよそ7名。内3名をキリヤナギが倒した事実にイルギスとリュウセイは衝撃を受けていた。
「お怪我は!?」
「セドリック、僕も戦えるのに……」
「そういう問題ではございません!!」
「なるほど、噂どおりの強さですね! 殿下」
「黙れ、イルギス!!」
リュウセイまで怒鳴っていて、イルギスはやれやれと呆れていた。クラークは何も言わずにデバイスで応援の要請を行っているが、キリヤナギは、クラークのその強さが信じられなかった。
【服従】が無力化できた時点で、キリヤナギは、全て一人で倒さねばならないと覚悟を決めていたが、そこに割り込んでくるのは想像を超えていたからだ。
「何故お逃げにならないのですか!」
「え……だって……」
「だってではございません!! 最悪我々は殺されてでもーー」
「この人数で逃げても、どうせ捕まってたと思うし……」
「……っ!」
「副隊長、ここは殿下のお話の通りではないでしょうか。我々が殺されては、さらに殿下を守る仲間も消えていた。これが最善でしょう」
「イルギス!!」
「リュー君も落ち着こう。今は我々を救った殿下とミレット閣下へ感謝すべきでは?」
イルギスの言葉にキリヤナギは少し驚いていた。叱られても仕方はないと思ったが、感謝すべきと騎士から言われたのは初めてだからだ。
呆然とするキリヤナギに、クラークは自身の騎士服を脱いで羽織らせる。
「一度自動車へ」
「クラークは、なんで動けたの?」
「アカツキの技は、全て使えます」
一瞬何を言われたか分からなかったが、『タチバナ』ではなく、『アカツキ』の技と言う言葉に思わず困惑してしまう。
「所詮は真似事ですが、私には『これ』が合っている」
「……」
つまりアカツキのコピーと言いたいのだろう。しかし、見ただけで同じことをやるのも相当の分析が必要なのに、それをやってのけるのはどれほど彼を研究したのか想像もつかない。
クラークに匿われるように、自動車へ乗せられたキリヤナギは、セドリックの運転で一度カキノキ町の管轄所へと戻ってきた。しかし夜には夜会が控えていてあまり長居はできない。
「クラーク、時間大丈夫かな?」
「既に夜会どころではありませんが……」
最もすぎて項垂れてしまった。しかし、襲撃を受けたことで一つの不安が過ぎる。
「夜会はいいから、ククの無事を確認しにエニシダ町に行けない?」
「エニシダ町ですか……?」
「クレマチス家に匿ってもらってるんだけど、心配で……」
クラークは、ポケットのデバイスを手に取り自身の隊に連絡をとっている。通信後、彼はキリヤナギの目を見て続けた。
「私の派遣隊の者がカレンデュラ嬢の無事を確認にゆきます。殿下は一度別宅へ」
「どうして?」
「もし、この襲撃がバジル卿のものであるとするのなら、『何ごともなく夜会へ参加』される事で、バジル卿に揺さぶりをかけれられます」
クラークの目は真剣で、キリヤナギは驚いてしまった。確かに今の時点でサフランが敵である証拠は存在しない。キリヤナギは襲撃されたが、サフランが主犯だと言う確信もないからだ。
「ミレット閣下。それはあまりにも危険では?」
「バジル卿が敵であると言う証拠は、今の我々にはありません。一般平民へと堕ちたカレンデュラ嬢の証言のみで、これを証明にするのは難しい。あえて何ごともなく振る舞い、炙り出すならば夜会での決着が妥当かと」
つまり、現場を抑えるしかないとクラークは話している。
彼のいう通り、現時点でサフランが裏で手を引いていると言う事実に確証はない。キリヤナギもまた、ククリールから聞いた事実を確かめる為にあえてここへ足を運んだからだ。
「他の人が巻き込まれないかな?」
「敵は派手にはやらないでしょう。『王の力』は、発言権のある貴族の後押しがなければ移動できない。状況的に見せたくはないかと思われます」
宮廷の信頼を落とすための襲撃ならば、キリヤナギが夜会を断念する事は、敵の思う壺と言うことになる。王子を守りきれなかった事実が知れ、さらに公爵すらも守りきれないければ、この領地の民はもう王宮を頼ろうとは思わないからだ。
「難しい立ち回りが必要です。どうか冷静にお考えを」
クラークの警告にキリヤナギは冷静に考察を続ける。『王の力』を持っていた時点で、敵の主力が騎士団へ噛んでいる事は間違いはない。その上で何故、経歴の詐称のサフランが騎士長になれたのだろうと考察した時、ふとククリールが頭をよぎった。
「何か気付かれましたか?」
こちらの様子を観察していたクラークは、少しだけ嬉しそうにしていた。
「クラーク、ありがとう。今は貴殿の言う通りにする」
「恐縮です」
その後キリヤナギは、早々に自動車へと乗り込み、急ぐようにカキノキ町を後にした。
152
「どうにか繋がったか……」
「お疲れ様です。代表」
自身のデバイスを確認し、画面に表示されるアンテナを確認したカナトは、早速短縮番号から支社へ通信を繋ぎ、接続を確認していた。数カ所に渡って切断されていた回線は、作業員のリオとカナトによって再接続され、他の騎士達の端末も通信が反映されている。
皆が感心する最中、カナトは地上へと戻ってきたリオへと目もくれず懐から何かを取り出した。それは手のひらへ収まるサイズの白銀の小型ピストルで、彼は丁寧に安全装置を外し狙いを定める。
リオが静止する前に引き金が引かれ、弾丸は修理されたばかりの機器へと飛んだが、それはシールドのようなものに弾かれ跳弾した。
「よし……」
「代表ーー!! また壊れたらどうするんですか!」
「このぐらい堂々としなければ、我が国の技術など誇示できない」
「だからってーー」
「魔術シールドにも問題はない事は確認した。撤収の準備だ」
ジンは遠目で見て言葉を失っていた。自分で荷物を整理し始めるカナトの元へ駆け寄ろうとした時、再び銃声が響き、ジンはカナトへと飛び込んで覆い被さる。
森林の方から響いた銃声へ騎士達は二人を即座に自動車の裏へ退避させてこちらも銃を抜いた。
「襲撃か?」
「多分?」
ジンが威嚇するように森林を狙撃すると、まるで繰り返すように銃声が返ってくる。イリナは即座に【認識阻害】を発動し、運転手と共に身を隠した。
「騎士以外の方は自動車へ!」
シズルの声に、リオや運転手が中へ押し込まれてゆく最中、カナトのみそれを断って冷静に場を俯瞰していた。
「敵の目的はなんだ?」
「しらねぇよ、早く乗ってーー」
「我が国を舐められては困る」
何を言い出すのかとジンが焦っていると、自動車の目の前へ透明な『壁』が現れていることに気づいた。
東国の市松模様のように美しいタイル状に敷き詰められたシールドは、2台の自動車を守るように展開し、弾丸の雨から皆を守る。
「ガーデニア大使館を司るアークヴィーチェ家の名において、正当防衛を行使する!」
空へ無数の魔力結晶が構築され、それは鋭い矢のような形へと精錬されてゆく。その美しい挙動に誰もが魅入られかけた時、カナトは一言だけ口にした。
『失せろ』
直後、質量を持った大量の矢が雨のように林へと降り注いだ。人の鈍い声が聞こえ初め、ジンはイリナの静止を振り切って飛び込んでゆく。
敵は、前に出てきたジンを狙撃するが、腰に下げた魔力デバイスの『オートガード』によって弾かれて跳弾。
ジンは、撃つ為に立ち上がった敵を動きながら一人一人狙撃してゆく。さらに後ろへと控えていた敵が前に出てくるが、ジンが囮になった事でリーシュが回り込み、挟み込むかたちで掃討されて行った。
「ジンさん、強いじゃないですか……」
「まだダメなんすよ……」
背中合わせになったリーシュと、動く敵が現れないか警戒する。1分ほどそうしていて動きが無い事を確認すると、ジンは近隣の管轄所へ応援を要請し、自動車へと戻った。
盾になった自動車は幸いタイヤは狙われず、ミラーのみ弾丸が掠めていて走行には問題がない。
留まっては危険だと言う判断から、皆は早々にその場を離れ、近隣の街へと向かった。その間カナトは、窓際へ肘をつきながらずっと何かを考えてる。
「ジン、敵の目的に心当たりはあるか?」
「お、俺に訊かれましても……?」
「それもそうか……」
カナトはしばらく考え、通信デバイスで誰かへ連絡を飛ばしていた。拡張音声で繋げられたその通信の相手はキリヤナギだ。
『カナト、お疲れ様』
「突然すまないな。今は大丈夫か?」
『移動中だから平気、どうしたの?』
「つい先ほど、何者かに襲撃を受けた。心当たりはあるか?」
王子が黙り驚いているのが分かる。カナトは、察したらしく何も言わずとも納得していた。
『わからないけど、こっちも襲撃されて今帰り』
「なるほど、狙いは我々ではなさそうだな」
え? とジンが思わず助手席から振り返る。あまりの会話の飛躍に理解が追いつかない。
『そうなのかな? よくわかって無いんだけど』
「目的がキリヤナギなら、私のところへくる意味がわからない。夜会へくるなと言う脅しにも感じるが、問題はもっと根深そうだな」
『うん。もしかしたら僕は関与しない方がいいかなとも思ってて』
「そうか」
「襲撃されたのにですか??」
『ジン? うんまぁ、そうなんだけど……』
「キリヤナギがそう考えているのなら、私が間に入るのはよそう」
『ありがとう。助かる』
「機材は無事だったからな。よこされた騎士が優秀で私も怪我はない。後処理はそちらへ任せる」
カナトはキリヤナギの返答を待たず通信を切っていた。なんの会話なのか訳が分からずジンが少し不安そうにしている。
「貴様は気にしなくていい」
「逆に怖いんだけど……」
イリナは少しだけ嬉しそうに、二人の会話を聞いていてジンはこちらもよく分からず困惑していた。
*
キリヤナギとカナトが主要都市へと戻る最中、クレマチス家ではククリールが今日も二階の窓から外を眺めていた。王子と最後に会って数日経ったが、連絡先を聞けずにいて進捗も聞けていない。別れる際消さなければよかったとも思ったが、自分でやった事へ後悔はしたくなかった。
毎日離れへ来て、朝食を作り出勤してゆくカミュやフュリクス、道場へ通っている門下生の行き来を見ていたら、自分も何かできるだろうかと考えられるようになってくる。
いっそ大学へ行く打診も蹴って、お金だけを持って他の領地に移住するのも悪くはない。今までは、公爵家として地主として、執政を学んで地元のために働くのだろうと思っていたが、そんな決められた道も無くなり自分で決められるようになったのだ。生きて行けるだろうかと、不安が募るが生きるしか無いと思えば覚悟も決まりつつある。
ふと、外から人の気配がして窓から玄関の方を見ると、騎士服をきた見覚えのある影がこちらへと歩いてくる。この時間は、カミュもフュリクスも出勤していていない。
現れた騎士は、道場の生徒へ声をかけられるが笑顔で応じて通していてククリールはゾッとした。
その身なりは、美しい長い銀髪が目立つサフラン・バジルだったからだ。
思わず恐怖で隠れてしまい、襖も閉め、押し入れへと駆け込むが、これで良いのだろうかと自問自答する。
キリヤナギは絶対に会うなと警告してくれてとても嬉しかったが、同時に現実から目を背けているようにも感じて罪悪感も募っていた。
それはククリールが、大学でもどこででもキリヤナギにずっと守られ、頼り続けていたことに気づいてしまったからだ。誕生祭でも、体育祭でも、文化祭でも、キリヤナギはククリールの全てを受け止め、そして今も、助けて欲しいとキリヤナギへ縋っている。敵が自分の懐にいた恐怖に耐えられず、彼なら助けてくれると言う傲慢な考えなのに、彼はやれるだけやると言って出かけて行った。
そういう人だとわかっているのに、良心へつけ込む自分が最低で許せず、恥ずかしい。
何ができるだろうかと、恐怖を抑え深呼吸して考える。
キリヤナギはずっと見えない敵と戦っていた。
北東領、カレンデュラが引き起こした遺恨を背負い、その日常は過酷そのものだが、その気持ちをせめて理解出来るだろうかとククリールは顔を上げた。
自分なりの戦い方で向き合えるかわからない。が、自分の家族は自分で守りたいと思いククリールは、引き戸を開けられた音に覚悟を決めた。
階段を降りてきた姿に、サフランは優しい笑みを見せる。
「ごきげんよぅ、ククリールお嬢様」
真偽を踏まえ戦わねばならないと、ククリールは現れたサフランと対峙する。