第三十七話:騎士団の花

第37話

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 秋に開催された騎士大会がおわり、季節は雪が予報される冬となっていた。
 平常業務へと戻った騎士棟では、間も無く年末年始の休みを控え、皆がそれに向けた業務へ励むため多くの騎士達が行き交っている。
 そんな宮廷騎士の本拠地たる騎士棟で、1人道を開けられる女性騎士がいた。
 青く長い髪を持つ彼女は、リーリエ・ツルバキア。
 宮廷騎士団ツルバキア隊を総括する女性大隊長であり、彼女は自身の事務所へ向かう途中、同隊員達に頭を下げられたり、挨拶を受けながら廊下をすすむ。隙の見せない彼女は、周りの騎士達から「氷の女王」との異名をつけられ、尊敬や忌避の目を向けられていた。

 そんな堂々と立ち去るリーリエを見届けた1人の女性騎士は、食堂で手渡されたデザートを持ってテーブルへと戻る。銀髪を二つにまとめて下ろす彼女は、ストレリチア隊へ所属し、宮廷特殊親衛隊でもあるラグドール・ベルガモットだ。

「さっきのツルバキア閣下? 綺麗だよねー」
「あら、ラグは興味あるの?」
「興味と言うか、憧れかな? あんな風になりたいなって」
「意外、でもツルバキア閣下も結構大変みたいよ?」
「え、そうなの? ツルバキア隊ってそう言うとこだっけ?」
「仕事じゃないって」
「え?」
「婚活」

 ラグドールは、同僚の話した言葉の意味がしばらく理解できていなかった。

 午後休憩が半分を過ぎた頃、リーリエ・ツルバキアは、普段よりもかなり早い時間帯に自身の執務室へともどってきていた。
 それは、マッチングアプリからのメッセージを見るためでもあり、リーリエはこれを心から待ち侘びていたからにある。

 騎士貴族たるツルバキア家は、元は一般平民だが、彼女の両親が元傭兵でその名は騎士ならば知らぬものはいないほどにとどろいている。
 それは40年前に起こった最後のジギリダス戦線において、リーリエの父たるアデリット・ツルバキアがクラーク・ミレットと共に確かな戦果を齎し、それは終戦に大きく影響したとも言われているからだ。
 また、妻に迎えたセラス・ツルバキアも商才に溢れていて、終戦後にも家は繁栄し現在はコルチカム商会としてオウカの様々な土地の流通を担っている。
 しかしそんな騎士貴族、または財力貴族とも言われるツルバキア家には男児が生まれず、母セラスは、リーリエに家督を継げるよう教育を施した。この方針は男児こそ家督を継ぐべきだと言うオウカの風習には逆行もしていたが、他ならぬリーリエ自身が、宮廷騎士団において確固たる実績を積み上げ、大隊長にまで上り詰めた事で女性は仕える者と言う考えを払拭し、能力次第ではリーダーの素質もあると知らしめたのだ。
 しかし、そんな他の女性より抜きん出て優秀な彼女は、現代のこのオウカで暮らす上で一つの願望も持っていた。
 リーリエは、『女性』なのだ。
 男性ではなく、女性として人生を共にするパートナーと出会い、子供を儲けたいという願望がある。
 当然ツルバキア家は、結婚願望のある娘の為に多く婿を用意しようとしたが、リーリエはその結婚相手への五つの条件を掲示した事で、両親が用意した見合い相手は全てお流れとなり、結局現在は、「運命の相手は自分でみつける」とアプリを使って探している。

 結婚を前提としたそのアプリは、30代に向けたものでもあり、今年間も無く35歳になるリーリエにも適切なものだったが、結婚を考える五つの条件の一つ「年下である事」を踏まえると幅が狭く、誘いがなかなかこない。
 誕生日までに誘いが来なければ退会しようとも考えていたリーリエだが、先日に久しぶりの誘いがあり、休みを利用して少しだけ顔を合わせていた。
 初めて出会ったその男性は、32歳で大手企業に勤めていて、とても優しい雰囲気が印象的でついつい本音を話してしまう。後日お気に入りの焼肉店に行こうと別れ、もう一度連絡が来る事を期待していたが、誘いの通知だと期待してアプリを立ち上げると、そこにはお断りの言葉が並んでいて頭が真っ白になってしまう。

「ツルバキア閣下……?」

 ノックから響いた声は、もたれていた扉の向こうからだ。リーリエが即座に離れると、副隊長の制服の男性がはいってくる。彼はツルバキア隊、副隊長のソウジ・エンドウだ。

「お疲れ様です。報告書をお持ちしました」

 どこかげっそりした表情のリーリエに、ソウジは思わずみじろいでしまう。

「ま、また断られたのですか?」
「え、ソウジ君には関係ないことだ……」
「あまり相手に期待しすぎてはいけませんよ。隊長」
「うるさい。今回は向こうから断ってきたんだ、私は悪くない!」

 ソウジは報告書を指定の位置へと置き、執務室に座るリーリエへコーヒーをいれてくれる。
 ソウジ・エンドウは、リーリエと十数年共に働く同僚で、以前にアプリの相手に会いにゆくと意気揚々と自慢してしまっていたのだ。

「ソウジ君は……今の妻と、どこで出会ったんだ?」
「私は幼馴染なので、あまり参考はならないと思うのですが……」
「微塵もならないな……」

 ソウジは昨年結婚したばかりだ。36歳だが、まるで気の迷いかのようにいつの間にか相手を作り結婚した。自分はどうなのだろうとリーリエは思いを馳せる。

「タイミングが重要といいますから、頑張ってください」
「煽っているのか?」
「応援です。あ、でも結婚詐欺が流行ってるのでお気をつけて」
「余計なお世話だ!」

 ソウジのコーヒーを飲みリーリエはその日の業務を再会する。
 再び一人になるとアプリで出会った彼がなぜ断ったのかという思考が巡る。それは彼が五つの条件の内「子供好き」と「家事と料理ができる」クリアした滅多にいない男性だったからだ。
 また落としたものを拾ったこちらに「ありがとう」と優しく答えてくれて、彼こそはと心が高揚したのに、結果的に再び会う事は叶わずため息が出てしまう。
 気を取り直し、部下から上がってきた報告書を確認していると再びノックから声が響いた。返事をすると今度は初めて見る顔が入ってくる。

「失礼します。はじめまして、ストレリチア隊嘱託、ジン・タチバナです。セシル・ストレリチア隊長より連絡事項の書類をお持ちしました」
「おや、ご機嫌よう、君が例のタチバナ君か。私がツルバキア隊、大隊長のリーリエ・ツルバキアだ。わざわざありがとう」

 きょとんとするジンにリーリエは思わず首を傾げた。まるで普通に返事をした事が珍しいかのような態度だからだ。
 渡された書類の内容は、以前リーリエがセシルから直接話されていたことでもあり、苦い表情をみせる。

「進捗も出来れば伺えればとセシル隊長から……」
「ふむ、すまないがこちらの隊の不祥事になりそうだ。ストレリチア卿の言う【読心】を借り受けた騎士は、夏の長期休暇の際に知人へ貸したところ返されないまま持って行かれたらしい」
「盗難ですね……連絡はとれますか?」
「知人と言うのも、ウェブでの知り合いでそのまま連絡を断たれたと聞いた。これは殿下の力をお借りする必要があるかもしれん」
「特定できなくなるので、避けたい所ではあるのですが……分かりました」

 貸与された「王の力」を取り返す「奪取の力」は、貸主から取り返すことで他に貸与されている場所から全て取り返す事ができる。つまり盗んだ本人がいなくとも取り返すことは可能だが「持っていた」と言う証拠が存在しなくなる為、盗難犯を抑える事が難しくなる。

「通信関連でしたらアークヴィーチェ・エーデル社を経由して特定する必要があります。追って対応をする形でも大丈夫ですか?」
「手間をかけさせるな。だが我が隊の不祥事は、我が隊でどうにかするつもりでもある。その件もこちらに投げてくれても構わない」
「助かります。俺一応は『王の力』の専門なので、対処が必要なら連絡を頂けると参加できます」
「頼もしいな、ならその時は是非お願いしよう」

 メモをとっているジンを、リーリエはじっと見ていた。宮廷騎士団騎士長の息子と言う彼は、かなり若く見えたからだ。

「差し支えなければでいいが、タチバナ君の年齢はいくつなんだ?」
「俺ですか? 22です」 

「若い」とリーリエは感心を受けた。「裏切りのタチバナ」とは聞いていたが、業を背負うにも若過ぎると思うと母性すらも湧いてしまう。

「そうか、アークヴィーチェに居たと聞いている。困った事があれば相談するといい」
「あ、ありがとうございます……」

 ビジュアルも悪くは無いとリーリエは困惑するジンを見ていた。
 ジンが戻った後、リーリエは盗難に関与し謹慎となった騎士の書類を確認する。騎士が「王の力」を盗まれるのは、今に始まった事ではない。特に新人騎士は、まるで魔法のような力を持て余し、知人や友人に見せびらかす事も珍しくはないからだ。しかし貸与された「王の力」は、異能を手に入れた「本人の意思」が無ければ返却が出来ない。つまりそれは、初めて貸与されることで返却の仕方がわからず、返したくても返せないと言う状況が起こりえるとも言える。
 よって王宮では、使用人を除く部外者への貸与が禁止されているが、若さゆえに起こらざるえない事でもあると認識はされていた。
 その上で王は、数回程度ならば「気の迷い」として数日の謹慎によって許され、常習性が確認できた場合のみ所持資格の剥奪が行われている。
 今回の騎士もおそらく「気の迷い」として許されるが、リーリエはその裏に潜む新人騎士をターゲットにした異能盗難を目論む組織がいると見ていた。
 彼らは新人騎士へと巧みに近づき信頼させ、それを「少しだけ貸して欲しい」と唆し借り受けた直後に姿を消す。新人達は、貸与できる異能を一つ失い盗難を報告できないままこうして定期的なチェックに引っ掛かる。
 今回盗難された21歳の女性騎士は、おおらかで優しい性格とも書かれていて、断れなかったのだろうと同情の気持ちも湧いていた。謹慎前の聞き取りでは日常での愚痴をよく聞いてもらっていたと、こんな事をされるとは思わなかったとも話していたからだ。
 元をたたねばならない思いつつ、リーリエは一息をつきながら再びマッチングアプリを開く。
 先日会った男性は、他の女性からも「印象」がコメントに書かれており、リーリエと同じく「優しかった」とか、「料理が好きな人」だとも書かれている。また他にも「スポーツを嗜まれている」とか、「読書もされるそうです」など趣味も幅広く自分の目に狂いはないと分かるが、選ばれなかった脱力感でなんとも言えない気持ちになってしまった。
 続けて読んでいると古いコメントの一つにリーリエの目が止まる。

ーまるで心が見透かされているように、悩みを聞いてくれましたー

 「見透かされている」と言う言葉に、リーリエは何かが繋がりを感じる。古いコメントには、「占い師さんのようでした」「好きな色を当ててくれました、カウンセラーの仕事の経験があるようです」なども書かれている。それはまるで【心を読まれた】ような感想でリーリエは先日、彼と会った時のことを思い出した。
 そして一つの確信をえて即座にソウジヘと連絡する。

「リカルド先輩。今どこすか?」
『店の入り口付近にいるが、本当に距離大丈夫か? 「タチバナ」』
「【読心】の効果は、まず認識する事が必要なんで見つからなければ大体大丈夫すよ」
『なるほど、それが「タチバナ」か、頼もしいな』
『隊長……』

 王宮のあるオウカ町から隣町となるレンゲ町にて、ジンは、ファミリーレストランをある程度距離をとって監視していた。それは先日、宮廷騎士団ツルバキア隊にておこった【読心】の盗難事件の犯人が見つかったからでもある。
 新人騎士から【読心】を盗んだ犯人は、結婚詐欺師として既に数人の女性から現金を騙し取り、クランリリー騎士団も目を光らせていたが、その手口が巧妙で現場を抑えられず、手をこまねいていたのだ。
 ジンはこれを聞いて感心もしてしまう。相手の心を【読心】で読み、本心を掴む事ができるなら確かに騙すことも容易いからだ。

 安心しきっているのか、犯人はファミリーレストランの窓際に座り女性と楽しそうに談笑をしている。
 「タチバナ」の力を見てみたいと同行してきたリーリエは、付近自動車で通信を聞いていて、現場にいるのはツルバキア隊のリカルド・シオンとジンのみだ。道路を挟んだ向かいの路地にいるジンは、近づきたいが、騎士服が見えればおそらく逃げられるだろうと考え、息を潜める。

「もし詐欺師ではなくとも『王の力』を所持していれば、盗難犯としての立件ができるだろう。【読心】は判断が難しいとも聞くが『タチバナ君』に賭けるよ」
「はい」

 【読心】の所持の見分けは、7つの異能の中では最も難しく、ジンの父アカツキも慎重に判断した方がいいとも言われていた。それは未所持であった場合の冤罪を生む可能性も高く、それは「タチバナの隊」が存在した頃に数回起こり得たことでもあったからだ。しかしだからこそジンは、リーリエに協力を得られる前提で作戦を立てる。

 1時間ほど物陰で監視していると、犯人らしき男がレストランの清算を済ませて店を出てきた。女性の肩を抱き仲睦まじく歩くのは、特別な関係にもみえる。
 ジンがリカルドに退店を伝えた時、付近で待機していたリカルドが、二人の前へ立ち塞がるように前に出た。が、直後、男は女性を車道の方へと突き飛ばして逃げ出す。

「待て!!」

 リカルドが女性を抱え込むのを尻目に、男は逆方向へと走り出した、ジンはそれをみて確信を得る。

「犯人逃走。確認しました。持ってます【読心】」
『わかった。援護に行くが根拠は?』
「騎士を見た瞬間に逃げました。これは騎士の思考を読んだからです。『反応が早すぎる』」

 なるほど、リーリエの言葉が返ってくる。人と人とのやり取りは本来言語によってやりとりされるものだが、片方が【読心】をもっていた時、それは思考のやり取りとなる。
 会話をする前の思考が【読心】によって流れ込むために、所持者は認識した瞬間、相手がそこにいる理由を全て理解する。
 これはターゲットにされた能力者へ「狙っている」ことを教えることにも等しく、能力者は感覚的な危機を感じ逃げ出してしまう。
 典型的な行動を取るのは、まだ能力者となってそこまで時間は経っていないのか。だがそれ以前に一般平民は、異能に触れる機会はほぼ無くそれを訓練する環境がない為【素人】の域を出ない。
 そしてこの犯人は、リカルドの存在が「そこに人がいる」と認識した瞬間に逃げ出した。相手が騎士かも分からない中で背を向けるのは、【読心】の力をもつ裏付けにもなる。

 ジンは歩道を全力で走る犯人を、向かいの歩道から歩道橋を渡りつつ追走した。距離が縮まらず早い。足を狙撃するか迷うが歩行者が多くおりとても撃つことはできなかった。

「こちらジン、追走してます。ツツジ町方面」
『今向かっている』

 リーリエとの通信の最中、前を走る犯人は路上駐車をしている自動車へ飛びつき、乗り込もうとしていた住民を押し除け中へと飛び込む。キーが入っていたらしく自動車は住民を置いてそのまま発進していった。

「自動車を盗んで逃走。ナンバーは……」

 直後、サイレンと共に真横へ自動車が止まる宮廷騎士団の自動車には、リーリエが乗っていてジンは即座に乗り込んで追った。

「なかなかしぶといな」
「すいません……」

 リーリエは水を渡してくれた。リカルドは、動揺する女性の保護に周りクランリリー騎士団の応援を呼んでくれているらしい。

「良いものを見せてもらった。ありがとう、タチバナ君」
「え、こ、こちらこそ。でもまだ終わってないんで……」

 犯人の自動車は、ナンバーが特定され回り込んできたクランリリー騎士団の自動車に囲われて逃げ場を失っていた。
 さらに逃走を図ろうとした所で抑えられ、犯人は一旦クランリリー騎士団へと連行されてゆく。そして数時間後、再び容疑者が連れてこられたのは、王宮の謁見室だった。
 犯罪者から『王の力』を取り戻すには、王族の力が必要となるため、その儀式は緊急性を除いて一定のルールを持って行われる。そしてこれは、キリヤナギの役割だった。
 年齢的に引退や除隊する騎士からの返却は王が、犯罪者など悪用者からの奪還は、王子の役割とされている。
 それは、「タチバナ」と言う力が生まれたと言う事実から悪用が免れないことを王族が次の世代へ忘れない為でもあった。

 正式な王子服を纏うキリヤナギは、玉座を後ろにして跪く皆を見据えている。いつもならばそれは淡々と済むものだった。しかし今日のキリヤナギは、雰囲気が違うとジンは感想を思う。

「我が桜花の異能をもって人々を騙し、弱い心へ付け込んで金銭を要求していたのは、異能を持つ者にとってあってはならないこと。それは国を守る力だ。貴殿に持つ資格はない!!」

 謁見室全体へと響くはっきりした声は、まさに怒りの声だった。
 腰のサーベルを抜いたキリヤナギは、抑え込まれる容疑者へそれを突きつけ命令する。
 
「-王子、キリヤナギの名の元に、貴殿の異能【読心】を返却せよ!!-」

 預けられた力は、奪取され光となって天へと昇る。ジンは幾度となく見てきたその光景は、まさに異能が天から下されている事を証明するもので、彼らは間違いなくこの力の始祖なのだろうと思えた。
 キリヤナギが去った事で儀式派終わり、ジンは容疑者を再びクランリリー騎士団へと護送する。管轄署でリカルドとも合流し聴取に応じていたら終わった頃には、もう定時を回っていて、全てが終わる頃には21時を超えていた。

「タチバナ君。今日はありがとう」
「いえ、お疲れ様です。こちらこそ、ありがとうございました」
「実は本当に【読心】を持っているのか半信半疑ではあったが、殿下の儀式で証明された。疑ってすまない」
「大丈夫です。分かりにくいし……」

 目を合わせずジンは、少し照れていた。リーリエはそんなジンをみて、横で待機しているリカルドも見る。

「ところでタチバナ君は、料理は好きかな?」
「料理?? き、嫌いじゃないですけど、……一応は一人暮らしだし」
「すまない。言い方を間違えた。遅くなってしまったので、一緒に夕食でもどうかと思ってね」

 リカルドが度し難い表情で睨んでいて、ジンは困惑していた。リーリエはとても期待しているようにも見えて困ってしまう。
 少し悩みつつも、午後に機嫌が悪そうだったキリヤナギを思い出してジンは様子を見に行きたいと思ってしまった。

「すみません。俺、明日も早くて……」
「ふむ、そうか。残念だが仕方ない。後日にはなるだろうが報告書の作成もあるし、また声をかけていいかな?」
「はい。また締切をご連絡頂ければそれまでには」
「助かる、ありがとう」
「では今日は、失礼します」
「あぁ、お疲れ様」

 ジンは一礼し、リカルドとすれ違って王宮へと戻ってゆく。
 残されたリカルドは、見えなくなるまで見送るリーリエを何も言わず観察していた。

「ところでシオン君。彼は強いのかな?」
「タチバナですか……? 弱くは無いですが、最近は調子悪そうっすね」
「おや、詳しいんだな?」
「アイツが人に興味持つ時は、大体調子悪い時なんで」
「なんだそれは? まぁいい、私の奢りだ。焼肉についてくるか?」
「アイツの話しないならいきます」
「? 友人では?」
「大嫌いですよ」

 リカルドは、焼肉にはついてきたがジンの話はそれ以上はしなかった。

 宮殿へと戻ったジンは、キリヤナギが怒っていないかと言う不安を抱えていた。
 今日は18時からグランジとの交代予定で、そこから夕食後にボードゲームの相手をしてほしいとも言われていたからだ。しかし、夕方には終わる予定だった護送は遅れに遅れ、クランリリー騎士団での聴取にも時間を取られたことで、現在はもう21時半を回っている。消灯にも間に合っていないばかりか連絡もできておらず、どうなるだろうと戦々恐々としていた。
 暗い宮殿を1人で歩き、ジンは衛兵に挨拶をされながらリビングへと戻る。
 ノックから中へ入るとキリヤナギはソファでデバイスを触り、グランジも本を読んでいた。

「ジン、おかえり」
「戻りました……」
「おかえりなさい」

 セオは一週間の献立表を書いていた。
 王子は機嫌を損ねている様子もなく何故かホッとする。

「大変だったよね、お疲れ様」
「すいません。約束……」
「今日はそれ以上にイライラしたからどうでもよくなって……」
「イライラ?」
「結婚詐欺師」

 グランジの言葉へ頷くキリヤナギは、確かに怒っているように見える。しかし王子が容疑者へ言葉をかけるのは数年ぶりで、解散時にも少し話題に上がったほどだ。

「殿下があの儀式の時に話すのは、珍しいなって」
「人の力で何してるの? って思って言わずにはいられなかったかな。新人騎士からも騙し取ったって、本当に悪質すぎて……」
「異能盗難は、年に数回は起こっていますが、ほぼ全ての異能は使わなければ所持がわからないので、犯人を特定するのは難しいんですよね。今回はジンの御手柄でしょう」
「俺は判別しただけだけど……」
「なんでわかるの……?」
「挙動……?」

 三人が度し難い目で見てきて反応に困ってしまう。しかし、感心もしていてジンは不快ではなかった。

「ジンのおかげで悪用が減ったと思うと文句言えないし、今日は良いかなって」
「な、なるほど」
「でも連絡はして」
「すみません……」

 テーブルには、遊ばれなかったボードゲームが用意されていて、申し訳なくも思ってしまう。セオが作ってくれた夕食は相変わらず美味で疲れていることも忘れてしまいそうだった。

「殿下、明日は午前から小学生の見学会があります。顔をだされますか?」
「そうなんだ。喜んでもらえるなら出るよ」
「かしこまりました」
「小学生?」
「王宮って学業を目的とした見学を中学校まで受け入れてるんだよ。端的にいうと『遠足』かな?」
「へぇー」
「部屋までは入れないけど、エントランス周りの玄関とホール、中庭も入って良くて少し走り回っても良い感じ」
「僕、小さい子好きだから遊びたいかな?」
「ダメです。出るのならば毅然とされてください。彼らは学びにきておられるのです、その象徴たる殿下がただの住民であってはなりません」
「え、えぇ……」

 難しいなぁとジンが困惑していると、グランジがこちらへ視線をよこしていることへ気づく。

「ジン。明日は目の定期検診で休みをもらっている。変われないが任せられるか?」
「多分、大丈夫かな? 今日の報告書の締切も言われなかったし」
「僕、午後からは公園にも行きたくて……」
「分かりました。ご一緒します」
「助かる」
「ありがとう」
「当たり前だし……」

 ジンが残業をしたその日は、その後何事もなく過ぎ去り、キリヤナギは朝から遠足にきた小学生を迎える。
 応援に来てくれたリュウドとも合流し、3人は大勢の小学生と共に王宮を歩いて回った。
 品格を損なわないようにと釘を刺されていたキリヤナギだが、その表情に苦は見えずとても楽しそうで穏やかに時間は過ぎてゆく。
 子供が敷いてくれたシートへ座り、花飾り渡されている王子は、まさに絵本のようだとも思っていた。

「おや、タチバナ君」

 声が聞こえそちらを向くと廊下を歩くリーリエがいた。彼女は副隊長らしき男性と並んでいてジンは小さく礼をする。

「小学生の遠足か。とても癒されるな」
「はい、みなさん元気で……」
「子どもは好きかい?」
「えっ、嫌いではないですけど……」
「そうか、なら見守られる側も嬉しいだろう」

 そう言うものなのだろうかと、ジンはキリヤナギを遠目で見る。リュウドも警護をしながら質問に答えていて、とても穏やかな時間が流れていた。

「報告書の提出は、今週末までで構わないか?」
「はい。出来るだけ早くに」
「頼んだよ」

 リーリエは手を振るように去ってゆく。副隊長の彼も一礼してついてゆきジンは、不思議な印象をえていた。

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 リーリエは、とても安心した気持ちで王宮の通路を歩いていた。
 リーリエの考える結婚相手の条件五つのうち。「料理ができる」ことと「子どもが好き」、更に「ありがとうが言える」の三つを、ジンが満たしていることがわかったからだ。最も重要視していた年下でもあり、期待を込める気持ちが収まらない。

「……隊長。もしや『タチバナ』に?」
「ソウジ君には関係ないことさ」
「彼は何歳なのですか?」
「22歳と言っていたが……」
「若すぎるでしょう? 何歳差ですか……?」

 13歳差だが、リーリエは気にしてもいなかった。こんな身近に条件を満たす者がいたと言う事実が喜ばしく、かつてない幸運な出会いだと思う。

「まだ最後の条件がわからないから、そこまで考えてないよ」

 リーリエの最後の条件は、他ならぬ「リーリエよりも強い事」だ。それはリーリエは「騎士」であり、戦う技術を磨いてきたからにもある。

「これは余計なお世話かもしれませんが……」
「何かな?」
「結婚詐欺師に声かけられる時点で、カモにされかけているのは自覚された方がよろしいかと」
「は、そんな事はーー」
「忠告は以上です」

 ソウジのこの態度はいつもの事だった。彼はリーリエが少しでも浮つくと、こうして口をいれてくる。

「断られたのもおそらく【読心】で騎士だと気付かれたからかと……」
「まるで見透かしたように話すな。たまたまだ」
「またプロフィールで身分を隠されていたのでは?」

 図星を突かれてリーリエは言葉に詰まってしまった。騎士は職業としては一般平民とは位が上となる為に、マッチングアプリだと忌避されて誘いが来なくなる事がある。
 それは身分が上になるが故に、性格の傲慢さを想定されたり、一般と貴族の隙間で生活感の不一致がよく話題にもなるからだ。

「君は、私がそんなに迂闊だとでも……?」
「浮ついた貴方ほど、危険なものはありませんよ」

 言い返せずリーリエは、唇を噛み締めるしかなかった。リーリエは好みの男性を見つけると、趣味や年齢を聞いたり騎士ならば躊躇いなく一騎打ちを申し込んだりする事が多々あったからだ。
 またそれはここ数年で有名になり、女性騎士からは「婚活をしている」とも話題にされている。

「男ならば私より強くあってほしいと願って何が悪い!」
「この騎士団でリーリエ隊長に勝てる人なんてそうそういませんよ……。三柱のストレリチアでさえ『タチバナ』に頼ってこその騎士大会だったのですから」

 宮廷騎士団における、アカツキ・タチバナ、クラーク・ミレット、セシル・ストレリチア、の三人は、そのブレない忠義から『三柱』ともよばれている。それはどんな時も王と王妃の意思を汲み取り、信頼を積み重ねてきたからにある。

「確かに、個人戦でストレリチアに負ける気はしないな」

 そう言う話ではないとソウジは呆れていた。宮廷騎士団の個人の実力は、はっきりと示されてはいないが、数十年前まではクラーク・ミレットが個人での最大戦力ともいわれ、その後にアカツキ・タチバナやヴィクター・バイオレット、トキワ・クロックス、リーリエ・ツルバキアと続いていたが、ここ数年はかつ次世代の『タチバナ』が出てきたことから、わからないとも言われている。
 
「騎士大会で過去に優勝したとも伺いましたが……」
「それは十年前の事だ。アカツキ殿も居なかったからな」

 騎士大会・個人戦は、大会のコンセプトが、普段日の目を見ない新人騎士へ重きを置かれている為、参加できる年齢も18歳〜30歳までと狭い。また個人戦は、より多くの騎士へ賞が行き渡るよう二回優勝した騎士は、殿堂入りとして次回から参加できなくなる。
 リーリエが出場した時期は、すでにアカツキは殿堂入りし、戦う機会がなかった。
 
「アカツキ殿と共に、新世代のタチバナ君も二連覇したというじゃないか。彼どの位強いのか興味深い」
「そういう面をあえて話すから逃げられるんですよ」

 リーリエはソウジの言葉を無視した。戦争が未経験のリーリエにとって、戦いはスポーツのような物あり一つのコミュニケーションだとも思うからだ。
 そして昼休憩を迎えたリーリエは、その日も城下で飲食店を探そうと廊下へと出る。それなりに交友があるヴィクター・バイオレットは、リーリエと同じくスイーツ巡りが好きで、その日も良さそうな店を提案してくれていた。
 席は予約済みで早足で玄関へと向かっていると袋を持った二人の騎士が通用口からもどってくる。
 赤の騎士服の彼は、セシル・ストレリチア。隣で礼をするのは、青の騎士服のセスナ・ベルガモットだ。

「おや、ツルバキア閣下。ご機嫌よう」
「ストレリチア……。先日は『タチバナ君』に助けられた。ありがとう」
「お気になさらず、ジンからメッセージで報告をうけました。無事に回収できて幸いです」
「あぁ、タチバナ君のおかげだ、噂には聞いていたが優秀だな」
「本人も喜ぶでしょう」

 セシル・ストレリチアの穏やかな態度は、ツルバキア隊の皆にも人気はあるが、時々みせる冷酷な戦い方に皆が口を揃えて「怒らせてはいけない」と話している。

「所で、そのタチバナ君だが……」
「? ジンがどうかされましたか?」
「ストレリチア隊とは聞いたが、戦う事はやはり苦手なのか?」
「いえ、彼はとても戦いを楽しむ、むしろかなり交戦的なタイプです。我が隊には勿体無い人材ですね」
「本当か?」
「えぇ、もし彼の実力に興味がおありでしたら、是非訓練を見学にいらしてください」

 リーリエは心躍る思いだったが、顔に出そうな気持ちを抑え咳払いをする。

「それは、あれか。戦ってもいい、と言うことかな?」
「? 合同訓練と言う意味でしょうか?」
「いや、実は、以前初めて会ってから私も興味深く、『タチバナ』へ自分の技術が何処まで通じるか、気になっていて……」
「そうでしたか。わかりました。ジンへ話をつけておきましょう」
「構わないか?」
「はい。今の彼は少し調子を崩しているのですが、いかんせん我が隊では『それ以前』の問題で相手にすらならず困っていました。ツルバキア閣下ならば、きっとジンにとっても良き刺激となるでしょう」
「……わかった。できることはやってみよう!」
「助かります」

 盗難班を押さえた時のジンは、調子の悪さなど微塵も感じさせなかったが、リーリエはふと、リカルドの言葉を思い出す。彼もまたジン・タチバナが調子を崩していると話したのだ。

「タチバナ君?」
「うむ、皆調子が悪いと話すのだが私にはそうは見えないんだ」
「男の世界に女が深入りすることでもないと思うケド……」

 向かいに座るヴィクター・バイオレットは、いちごのパンケーキへ丁寧にナイフを入れて口へと運ぶ、リーリエもまた一際目を引いたローストビーフの挟まれたパンケーキを楽しんでいた。

「ヴィクターは男なので気持ちがわかると思ったのだが……」
「うーん、話ぐらいしか聞かないのよねぇ。思い当たるのは騎士大会の決勝かしら?」
「敗北か?」
「ただの想像だけどね。でも彼、別に無敗ってわけでもないのよ。外国にいた頃は知らないけど、騎士学校じゃ先輩に伸されてたっていうし」
「詳しいじゃないか」
「アカツキちゃんの息子だから、そのぐらいは基本知識でしょ。でも宮廷にくるまでが長い子だから、その辺の温度差もあるのかしら? とかね」
「人間関係……?」
「こ、こ、複雑じゃない?」

 ヴィクターの言葉を、リーリエは否定できない。終戦から約40年。平和となった国の騎士団は、新人騎士はさておき「幹部」と言う席は、言わば貴族達の椅子取りゲームだからだ。
 本来、伯爵や男爵など爵位をもつ地主達の家族は、その土地を収めるリーダーとなるために育てられるが、兄弟の存続争いに敗れた場合、せめてもの貢献として国へ仕える宮廷騎士を選ぶ。
 彼らは教養があり賢く、一般兵よりも王宮の事情に詳しいことから馴染みやすく誠実に仕えるが、彼ら本音はより功績を積み上げ、名を上げる事にある。
 国のため、そして自身の家の為、地主をやりながら国への忠誠心を示し、王族からの信頼を得ながら「家」本体の昇格を望んでいる。
 国からすれば、よく働く騎士で信頼もできるが、そんな貴族が多くいる騎士団は、まさに功績を奪い合う地獄とも言える。
 リーリエもまた新人兵であった頃は、自身の戦果をチームメイトや隊長に取られ悔しい思いをしたものだが、彼らが昇格してゆくと席があき、そこは自分の席になると気付いてから気にしなくもなった。
 功績を横取りしてゆく彼らは、上にゆけばゆくほど実力不足で持て余され、周りから弾かれるように消えてゆく。

「彼、クロックスに虐められたけど、また殿下に守られたんですって」
「あいつか、何故そこまで『タチバナ』を嫌うんだ?」
「さぁ? 彼理系だからじゃない? アカツキちゃんも嫌いだし」

 同じく幹部のトキワ・クロックスは、合理的とも言われる『新騎士』の一派だ。彼は、王の心へ寄り添おうとするアカツキ・タチバナを嫌い。彼と口を聞いているのを見た事が無い。

「シラユキは話せばわかるから、私は嫌いじゃないけど」
「私は苦手だ。堅実すぎて話がつまらない」
「シラユキはそう言うもんよ。でも確かにセシルちゃんも参考にして欲しいわね」
「ストレリチアか? 嫌いではないが、私は、年下の癖にちょっと達観した態度が気に入らないな」
「セシルちゃんは悪気はないのよ。あの隊キャラ濃い人多いから小学校先生みたいな感じね」
「いいのかそれは……」
「副隊長に【読心】のギフテッドがいる時点で、それなりの爆弾だと思わない?」

 そういえばいたと、リーリエは思いを馳せる。噂で聞いた時、よりによって【読心】なのか? と困惑すらしてしまった程でもある。
 それはこの宮廷騎士団における人の心ほど深く毒を持つ人間関係もないからだ。宮廷騎士団では、【読心】を持つ騎士へ読みすぎないよう、程よい距離感を保つよう指導しているが、交流を重ねればかさねるほどそれは人の心の奥底の闇を見てしまう。
 しかもそれは、読み手ではなく読まれる側の信頼度で変わる為、知らなくていい事すらも知り、精神病を抱えてしまうことも少なくはなかった。

「彼は何故平気なんだ?」
「さぁ、直接きいてみたらどうかしら?」
「……今は興味ないな」

 ギフテッドの彼は、穏やかで堂々としていた。あえて読んでいないのならわきまえているのだろうと、感心もしてしまう。

「それで、タチバナ君の話かしら?」
「うむ、今度実力を試せそうなんだ」
「まだやってたの……。いい加減その五箇条やめときなさいよ。来てくれる人がこなくなっちゃうわよ」
「わ、私の人生のパートナーを私が選んで何が悪い!」
「選べる年齢じゃ無いでしょうに……」
「タチバナ君は、五箇条のうち四つを満たしていたんだ!」
「あら意外。でも彼若いから歳が近い子の方がーー」
「う、うるさい。年上が好みかもしれないぞ!」
「もう、相変わらずね……」

 ヴィクターは、呆れていた。
 ショックを受けた気持ちを抑え、昼を済ませたリーリエは、一旦は業務のため執務室へと戻る。
 そこで届いていたメッセージをみると、セシルから金曜日の午後に、ジンを交えた訓練を行うと連絡をくれていた。これ以上のないチャンスだと、リーリエは週末を楽しみにしながら日々をすごす。

 その日の天気は快晴だった。
 王宮の野外演習場には、訓練の騎士達が数十名あつまり、その日集った二人を観察する。片方は訓練用ピストルを下ろすジン・タチバナがおり、もう一人は両腕に珍しい武器を装着するリーリエ・ツルバキアがいる。
 二人は、同じく訓練用の服を着たストレリチア隊と特殊親衛隊の彼らに囲われていた。

「ジンさーん!」

 まるで皆から遅れるように、入り口から走ってきたのはリュウドだ。後ろからは模造刀をもったキリヤナギと、バスケットをもったグランジもいる。

「殿下……」
「ジン、戦うの?」
「訓練ですけど……」
「リーリエ、久しぶり!」
「これはこれはキリヤナギ殿下。ご機嫌よう」
「セシル、これどういうの?」
「ツルバキア閣下が、タチバナがどのようなものか戦って見たいとのことでこの場を」
「へぇー」
「以前から興味があり、ストレリチア卿へ打診したところ、快く受けてくれた。ありがとう、タチバナ君」
「俺は別に、多いんで……」
「多いんだ?」
「度々戦ってみたいという騎士から連絡が来るのです。今の所は無敗だね」

 ジンは少しだけ照れていた。騎士大会の集団戦以降、王宮へ戻っていることが周知された為か、他の隊の騎士からも技術を試させて欲しいとの打診が来るようになったのだ。バイオレット隊を始めとした、ミレット隊やタチバナ隊も騎士もおり、毎週のこの時間は恒例となっている。

「なんで教えてくれないの?」
「え”っ」
「はは、これはそこまで重要ではないですから」

 ふと見るとリュウドが後ろへテーブル付きのピクニックセットを広げていて、グランジが配膳もしている。
 他の騎士達も集まり簡単なティータイムも始まって居てジンは困惑していた。

「平和だな。素晴らしい……」
「い、良いんですか?」
「殿下が楽しそうなら十分だ」

 『保守派』と言うリーリエ・ツルバキアの態度は、ジンにとってはとても安心できるものだ。初めて顔を合わせた時、そのあまりに普通の態度に疑いもしたが、仕事をする彼女はとても好意的で偏見はないのだと実感もさせられる。
 二人の心境をみたセスナは、ジンの臨時戦闘のために用意したルールを読み上げた。

「ルールですが、戦闘時間は約五分間。ジンさんはペイント弾をツルバキア閣下へ、ツルバキア閣下はインクを武器へつけ、ジンさんに付ければ勝ちと言うことで構いませんか?」
「あぁ、構わないぞ」
「インクは水洗なので、安心してくださいね」

 色のバケツを持ってこられ、リーリエは訓練用の武器へそれをつける。その不思議な武器をジンは興味深く観察していた。

「これは我がツルバキア家へ伝わる武器の一つ。君には見慣れないだろうが、ぜひ楽しんでくれ」

 両腕に固定される武器は、先に模造短剣のようなものがついていて、近接武器なのだろうかと考察する。
 二人はセスナの指示で距離を取ると掛け声に合わせて構えた。

「ではお二方、初めて下さい」

 セスナの掛け声と共に、先に動いたのはジンだった。足元へ狙撃を行うが、距離があって当たらない。一旦は後ろへと飛んだリーリエは、まるで返すように何かを投げる動作をする。
 何を投げたのかはわからず、『何も来ない』と意思したとき、こちらに向かう僅かな影に気づいた。ジンが体を倒す形でやり過ごした時、後ろの街頭へそれが当たる。
 影のみで見える武器の存在にジンは、リーリエの異能を確信した。

「【認識阻害】」
「ご名答。少しずるいかもしれないな」

 リーリエは、右手から射出した短剣付きのアンカーを巻き上げ、さらにジンへ追撃を行う。ジンはリーリエの腕の動きから射出方向を見極め、すれ違うように接近を試みたが、今度は左腕のものが射出されてこちらを狙い。ジンはリーリエの右腕の下を抜ける形で、隙を取りにゆく。
 だが、彼女はまるで読んでいたかのように、懐から短剣をとりだして投げて牽制する。
 狙撃のタイミングを逃し、ジンは一旦後退して場がリセットされた。

「これを回避したのは、君が初めてだ。大体は初見殺しでやり直しになるからな」

 見えない武器など回避できるわけがない。【認識阻害】は、本来その姿を【見えづらくする】異能だが、その機能は体に接触している「物」にも有効化される。
 つまり投機武器の場合、手から離れると効果は切れるが、ワイヤーで接触することで常に存在が見えづらくすることができる。

「……上手いですね」
「この異能を【姿を消す】だけで運用するのは、あまりにも勿体無いよ」

 彼女は、ジンが自身の動きから狙いをとっていることに気づいたのか、今度は姿を全て消しながら狙いにくる。
 
 ジンは影を頼りにしながら狙撃を続けるが、動き続けるリーリエには当たらないまま、床がインクで汚れるばかりだ。お互いに攻撃が当たらず、距離の取り合いが起こる中で、ジンはリーリエの武器がワイヤーを巻き上げる音を注視する。
 右腕と左腕、二つのアンカー武器は左右で音が違う。影を頼りにしながらどちらがどちらかと分析を行い、右の方が若干音が鈍いことに気づいた。この鈍い音はジンも覚えがある。
 ジンの扱う銀銃もまた使い古すと音が代わり、音が鈍くなるからだ。リーリエは右利きでおそらく右の方が使い古している。射出慣れしているのが右なら左はどうだと、ジンは方向を切り替え、左回りに位置を探りつつ接近を試みた。影が接触する足元から、僅か1メートルほど浮いた位置を狙撃するが、構えたジンに合わせ、リーリエは踊るように右にターンしつつ射出。
 前転で狙いをずらすが、連続してきた左腕のアンカーへ再び後退せざる得なかった。

「噂にはなっているが、『不調』なのかい?」
「……!」
「私へここまで抗える騎士は数年ぶりだ。もっと自信をもつといい」

 セシルとセスナは、リーリエのこれを聞いて「あ」と心で感想した。ジンは、『褒められる事』が苦手なのだ。また認められる環境に居なかったことから、あえてそれを口にされると集中力が途切れてしまう。
 ジンの表情が明らかに変わり、続く反応が鈍くなった事で、リーリエは違和感を得ながらも追撃を続けた。そして、右のアンカーを射出する動作から、あえて左腕から射出。
 フェイントの動作を混ぜられた事で、ジンは回避が追いつかず脇腹へ短剣がかすめた。

 ジンのシャツについた僅かなインクにセスナは手を挙げる。

「ツルバキア閣下の勝利です! お疲れ様でした!」
「あ、ありがとう、ございました」
「褒められて調子を崩したかな? だとしたらすまない」
「……!」
「ありがとう、タチバナ君。私にとってもこの訓練は実りのあるものだったよ」

 ジンは返事に困っていた。周りでは拍手も起こっていて、ジンもつられて拍手する。

「ところで、タチバナ君。以前は時間はなかったが、今日もよかったらこの後、焼肉などどうかな?」
「えっ……」
「疲れただろう? たまには沢山美味しいものを食べるのも、いいぞ?」

 リーリエは何故か少し照れて居て、ジンは戸惑ってしまう。焼肉は嫌いではないが、好きでもないからだ。

「ジンさん、せっかくのお誘いならご一緒されては如何です? 殿下でしたら、我々が変わっておきますので」
「セスナさん……」
「そうだね。たまには我々以外とでかけるのは悪くないと思うよ」

 セシルの後押しにジンは悩んだが、リーリエの後ろで待っているキリヤナギが目に入り、ジンは思ったままを口にする。

「でも、俺、そういうのあんまり興味なくて……」

 ……。
 セシルとセスナの表情が凍りつき、ジンの表情が戯ける。またそれを聞いたリーリエは、まるで何を言われたかわからないような顔をして固まっていた。

「ありがとうございました。また、よろしく、お願いします」

 ジンは一礼して、キリヤナギの元へと走ってゆく。リーリエが動けたのは3分ほど経った後だった。

「ジン」
「なんすか?」

 リュウドとグランジ共に演習場から王宮へ戻る最中、真ん中を歩いて居たキリヤナギが口にした。
 調子が悪いと言うジンは、また敗北したのに全く表情にも見せない。

「何かあった?」
「何か……?」

 無自覚なのかその表情に無理強いも見えない。少し不満そうにする王子へ、リュウドは苦笑していた。

「殿下、ジンさんが負けたのは、また久しぶりなだけだって、普段他の騎士に挑まれても負けてないよ」
「ふーん」
「ツルバキア大隊長って、持ってる武器も結構ずるいっていわれてるしね」
「そう言うのじゃなくて……」
「そういうの?」
「普段と雰囲気ちがったし?」

 雰囲気といわれて少しだけ合致するものがあった。騎士大会から、頭にさまざまなことが渦巻き、その戦闘に向き合う高揚感を感じなくなっているからだ。

「リーリエも『不調』って言ってたし」
「確かに、ちょっと淡々としてたかもしれないです」
「ジン……?」
「え?」

 リュウドが衝撃的な表情をみせていて、ジンは何か悪い事を言ったような気分にもなってしまった。ジンが自分の不調を話すのは今までなかった事だからだ。

「そっか、じゃあまた楽しめるようにならないとね」
「……」

 思わずポカンとしてしまう。確かに久しぶりに負けて楽しむことを忘れて居たのはそうだからだ。
 返事を聞くまえに走ってゆくキリヤナギを、3人は慌てて追いかけてゆく。

 日が暮れておわってゆく日常の最中、同じく騎士棟へ戻ったリーリエは、積まれた業務の山に向き合っている。

「また振られたのですか?」
「ソウジ、私語はつつしんでくれ」

 ソウジは笑っていた。
 真面目に向き合う彼女は本当に『素直』だとも思うからだ。

「『婚活』頑張ってください」
「余計なお世話だ!」

 リーリエ・ツルバキアの運命の相手を探す旅は、まだまだ終わらない。

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