第三十話:シラユキの穢れ

 皆が平常の業務を終えつつある騎士棟でセシルは、終業間際に届けられた書類にため息をつく。
 騎士大会・集団戦への参加を打診されたセシルだが、辞退できないかと言う要望書を委員会へ提出していたのだ。
 代理推薦として例年通り「タチバナ隊」を指名し、「王子も楽しみにされている」と皮肉も込めて提出もしたが、結果は「タチバナは飽きられている」と言う根拠のない建前と言い訳で固められ呆れてもしまう。

「隊長ぉー! 定時ですよ。一緒に帰りましょー」

 ノックから返事を聞かず入ってきたセスナに、セシルは苦笑をみせる。【読心】により、セシルの心を読んだセスナは、彼もまた脱力したようにため息をついた。

「ダメでしたか……」
「皆どうしても我々の実力を見たいそうだ。『タチバナ』は飽きられてるってさ」
「意味わかんないですよ。そもそも『タチバナ』さんが特殊親衛隊にいるじゃないですか」
「それも今回は禁止にはするそうだ」
「禁止??」

 そこは読めて居なかったのかとセシルは感心するが、書類に同封されていたレギュレーションにはそう書かれていて思わずセスナも凝視する。

「『タチバナ』に関する流派、および名をもつものは出場禁止。隊が違うのはグランジだけになるだろうね」
「なんでですかー!?」
「うんまぁ、私もコンセプト的にはどうなんだろうとは思っていたからこっちは妥当じゃない?」
「そうかもしれないですけどぅ!」

 セスナが葛藤を抱えるように悶絶していて、セシルはなぜかこの理不尽もどうでも良くなってゆく。大隊長として年数も若い自分達へまるで押し付けられたような不満もあるが、逆にひとつのチャンスだとも思うからだ。

「仕方ない。もう流れに身を任せよう。勝っても負けても何も変わらないさ」
「そうですかねぇ……」
「殿下次第だけどね」

 夏に「自分の騎士を守る」と言った王子の言葉をセシルは忘れられずにいた。
 子供だった王子は、その責任能力に信頼を得られず、大人たちを翻弄し周りは振り回されるばかりだったが、そこにある確固たる正義は揺るぎなく、また止められるべきではなかったのだとセシルは反省する。
 王子は、自分がやってきた事の全ての責任を理解し、それに応えた騎士も「そうするしかなった」と許した。権力に甘えず、排除は望まないまま守り切ったことを賞賛する事は、常人には理解できない寛容な心を持っているとも言える。

「『タチバナ』さんが禁止なら、誰が出るんです?」
「元は8人で3人でれないなら、ただの消去法だと思うけど」

 セスナはフリーズしていた。

「作戦はよろしく、参謀君」
「無茶振りですよーー!」

 平和だなぁと、セシルだけは笑っていた。

@

「禁止って?」
「これだよ! レギュレーション。『タチバナ』と流派が禁止って」

 渡された書類を目で読むと、確かに禁止と書かれている。しかし、ジンは去年呼ばれておらず、選ばれ方も知らない為、「そう言うもの」と言う理解しかできなかった。

「禁止なら仕方なくね?」
「仕方ないとかそう言う問題じゃない! こんなの不当だよ! 去年はアカツキ伯父さんのチームがでてたし!」
「……そう言うもん?」
「そう言うもの! これは抗議しなきゃ、来年の個人戦に『タチバナ』がでれなくなるかもしれない! それはジンさんも嫌だろ??」
「それは、確かに」

 騎士大会の個人戦は2回優勝すると、次回からは殿堂入りとして参加券がなくなる。よってジンは出場できないが、「タチバナ」の強さを誇示するため、リュウドに出場してもらうことは必要であると認識している。集団戦の前例から、それに伴って個人戦にまで影響があるなら、確かに意見は出しておくべきだと理解した。

「でもこれ、俺らの権限じゃどうしようも無さそうだけど……」
「うっ、とりあえずセシル隊長に相談してみよう! ジンさんもきて!」

 ちょうど定時が回り、ジンは日誌を書ききれないままリュウドと騎士棟へと向かった。
 セシルは、騎士大会の参加書類の為に残業をしていて、同じく手伝っていたセスナとも鉢合わせする。

「おや、噂をすれば……」
「ご機嫌よう、お二方」
「セシル隊長にセスナ副隊長! 俺達、大会出れないんですか?」
「リュウド君は耳が早いね」
「シラユキ隊長にさっき言われて、ジンさん連れてきました。なんとかなりませんか!?」
「うーん。私は騎士大会の運営委員では無いからなぁ」
「レギュレーションへの抗議でしたら、リュウド君の隊のシラユキ大隊長閣下が運営委員だったと思うのですが……」

 セスナの真っ当な指摘にリュウドが押し黙ってしまう。確かに自分の隊の隊長が役員なら、直接そちらへ話す方が早いからだ。

「もう抗議済みかい?」
「……はい。でもシラユキ隊長は、そもそもアカツキ騎士長もあんまり……」
「『タチバナ』が嫌いなのに、リュウド君が隊へ入ってる?」
「優遇姿勢をよく思わないだけで、偏見はないんだと思うよ。実力あってこそだからじゃないかな?」
「そもそも誰が提案したのでしょうね。人を見る限りではそこまで偏ってはいないのですが」
「偏り?」

 宮廷騎士団は「タチバナ」へ偏見で派閥が大きく分断されている。
 古くからの由緒を守り「タチバナ」は王族に仕えるものであると言う「保守派」と、それに囚われず実力や実績で図るべきであると言う「新騎士派」だ。
 保守派は「タチバナ」の在り方に理解があり、その成り立ちも認めた上で彼らは王族に仕える名門であるという意識が強いが、新騎士派は「タチバナ」の優遇姿勢をよくは思わず、一騎士以上の何者でもないと意見が真っ向から対立している。
 当然、どちらにもつかない中立の者も多く存在するが、その合理的な意見から騎士団で「王の力」を抑制する「タチバナ」を使う隊がなくなり、またジンを騎士長にさせないよう意見を通したのも「新騎士派」の意向だった。

「全然知らなかった……」
「ジンさん……」
「はは、アカツキ騎士長は、私の知る限りでもかなり苦労されてるけど、ジンが自由にしてるから逆に安心してると思うよ」
「確かに騎士長、ジンさんの話全くしないし……」
「ふーん」

 そして騎士大会は、宮廷騎士団の大隊長のうち4、5名が運営委員となりレギュレーションの考案を行う為、今回「タチバナ」が禁止になったのは、この中へ「新騎士派」が多くいたのだろうとも考察ができる。しかしセスナが、「偏りがない」と表現した事でリュウドはそのメンバーに興味が湧いてしまった。
 彼がセスナの見ていた書類を覗くと、運営委員会にはミレット、マグノリア、シラユキ、ツルバキア、バイオレット、クロックスの名前が並び、この中での保守派はツルバキア、バイオレットで、新騎士派は、シラユキ、クロックス。中立がミレットだった。

「ミレット閣下は、開催には賛成でもレギュレーションに感心は無さそうなので、名前はあっても副隊長のマグノリア卿に丸投げっぽいですね、連名になっているので」
「やっぱりシラユキ隊長の所為なのかな……」
「どちらにせよ、私に権限はないんだ。力になれなくてすまない」
「セシル隊長、気にしないでください」
「ジンさんはいいのか!?」
「シラユキ大隊長のとこ、俺も行くから話しに行ってみようぜ」
「それがいい」
「僕もご一緒しましょうか?」
「セスナさん。リュウド君いるし、大丈夫です」

 リュウドがじっと唇を噛んでいる。
 ジンは宥めるように執務室を後にするが、不満な彼は、廊下を歩いている最中もジンを睨んでいた。

「ジンさんは、集団戦に出場したいって気持ちあるの?」
「あるの? って聞かれたらあるけど……セシル隊長、俺らが出れなくて困ってる気配もなさそうだったし、居なくてもなんとかなるかなって」
「そう言う問題じゃなくて、でたいなら出たいなりに努力はするのが普通じゃん!」
「え、それは、そうだけど……」
「と言うかシラユキ大隊長へ何を話すつもり?」
「え、決めてなかった……」
「ジンさんーー!!」

 リュウドが、少し怒っていて困ってしまう。
 ジンも楽しみにしていたが、書類をよく読むと「王の力」の祭典であり今期は正しいコンセプトの元で開催したいと追記もされ、「タチバナ」へは遠回しに「謝罪」とも取れる印象を読み取っていた。
 少なくとも委員会は、今まで参加していた「タチバナ」を排除する事へ負い目があり、こちらの気持ちを考えてくれた上での決定なら、ジンは参加にこだわる意義はないと判断する。

「どうする気だよ!?」
「ごめんごめん。ついてくから……」
「……タチバナさん?」

 ふと、目の前の廊下から現れた彼に2人の視線が釘付けとなる。騎士棟の入り口から現れたのは、午後の学院巡回警備を終えたシズルだった。

「シズルさん」
「ごきげんよう。騎士棟でお会いするのは珍しいですね。そちらの方も初めまして、シズル・シラユキです」
「シラユキ!? 俺はリュウド・T・ローズ。『タチバナ』だ」
「タチバナ? ローズ?」
「従兄弟です」

 シズルは、感心していた。彼は言い合いをしている2人が気になり様子を見にきてくれたらしい。

「シラユキって、コトブキ隊長の?」
「はい。父です。お馴染みでしょうか」
「俺、シラユキ隊なんだよ。よろしく」
「それはそれは、よろしくお願いします」
「これから大隊長のとこに行こうと思ってて」
「? 父のコトブキの所でしょうか?」
「そうそう、騎士大会で『タチバナ』が出られなくなってて、なんとかしたくて」

 シズルはしばらくポカンとしていた。その反応に2人は違和感をもってしまう。

「結局だめだったのですね……」
「ダメって?」
「今日の午後に、マグノリア副隊長閣下へ『タチバナ』を名指しで排除するのはどうかと苦言を申し上げたのですが、とても残念です……」
「シズルさんが?」
「おそらく遅かったのでしょう。お力になれずすみません」
「そんな、シズルさんは俺たちの気持ち汲んでくれたんだろ? むしろお礼言わないとじゃん」

 ジンは感心してしまい、リュウドの言葉に合わせて頷いていた。ジンやリュウドが言うまでもなくシズルが協力してくれていたことに救いすらも感じる。

「これから、大隊長の所へ?」
「うん。決まったばかりなら尚更すぐ言わないと変更もできなくなりそうだし」
「もしよろしければ、私もご一緒させて頂けませんか?」
「シズルさんも?」
「はい。私は殿下をお守りしている貴方がたをとても尊敬しています。できる事があるなら力になりたいと」
「シラユキなのに『タチバナ』を認めてくれるんだ……!」
「はい、当然です。私の父は確かに『タチバナ』は優遇されるべきではないといいますが、それならば尚更『タチバナ』を一騎士として認め、参加は容認されるべきです」
「めっちゃ話わかるじゃん!」
「大丈夫なんですか? 俺らと関わって……」
「お気になさらず、私は貴方がたの助けとなれるなら、そこへ発生する問題は受け止める覚悟です。それに、殿下が楽しみにされているなら尚更、お二人の参加は必要でしょう」
「ありがとう! シズルさん」
「こちらこそ。今更ではありますが、お二人とも『タチバナ』なので、名前で呼ばせて頂いてもかまいませんか?」
「それは、もちろん」
「うん。リュウドでいいよ」
「では、リュウドさんにジンさん。よろしくお願いします」
「それで、シラユキ隊の事務所ってどこでしたっけ? いくなら早く行かないと……」

 ジンの指摘にシズルが慌てて時間を確認すると、とっくに定時は過ぎている。

「この時間のコトブキは、もう退勤している可能性がありますね」
「えー! そんなぁ」
「私が連絡をいれておきますので、コトブキの都合の良い時間をお知らせ致しましょう」
「いいんです?」
「一応は父ですから、お任せください」
「やった! シズルさん。デバイスID交換してくれ!」
「はい。光栄です」

 シズルはリュウドとIDを交換し、その日は寮へ戻ると言って帰ってゆく。リュウドも希望が見えたことで機嫌が治り、ジンは帰宅してゆく彼を玄関まで送った後、王宮へと戻った。

89

 日誌を書かなければならないと思っていたが、リビングの方が賑やかでそちらへ足が伸びてしまう。
 リビングには、ソファへ座り書類を見るキリヤナギと立っているセシルとセスナがいた。

「ジン、おかえり。騎士大会どうなった?」
「え、何で殿下が知ってるんです?」
「ちょうど、その話をしていた所だよ」

 セシルの笑みの後ろで、セオもグランジも話を聞いている。今ひとつ流れが読めないが、状況から「文句を言いに行った」ことは伝わっているのだろうと理解した。

「シラユキ大隊長。定時で帰ってそうだったので、明日以降になりました」
「そっか……」
「今日の会議で決まったことですから、名簿が作られる前に交渉ができれば、参加もどうにかなりそうですね」
「シズルさんも協力してくれるみたいなので、なんとか?」
「シズルが?」
「それは渡りに船ですね。息子さんなら、話もしやすそうですし」
「でも僕、アカツキが出るの楽しみにしてたのに……」
「その件は申し訳ございません。しかし我々も全力で応じる覚悟です。退屈させる気はありませんよ」

 キリヤナギがじっとセシルをみている。セシルは普段通りの微笑だが、キリヤナギは目を逸らしてしまった。

「なんかセシル、無理してる……」

 セシルは驚いていた。
 キリヤナギは無表情で騎士大会の名簿を見ている。

「ジンとリュウドが出れないなら、参加するのはセシルとセスナ、ヒナギクとグランジ?」
「え、えぇ、もう1人はラグドールを……」
「僕もでれたら良いのに……」
「お気持ちは大変光栄です」
「殿下は、納得いってないんです?」

 ジンは、思わず聞いてしまった。セシルとセスナは、聞こえていないように振る舞いキリヤナギのみがジンを見る。

「戦いたくない人が戦っても面白くないなって、ジンとかグランジなら勝手に楽しんできそうだけど……」
「そんな戦闘狂みたいな……」
「自覚ないの??」
「殿下。ジンはそう言う人間です」

 セオの追撃にセシルは吹き出していた。固かったセスナの表情もゆるんでいて、朗らかに口を開く。

「確かにジンさん、普段から戦う事しか考えてなさそうですしねー」
「ずっと『王の力』の攻略法考えてるんだって、すごいけどちょっと引いたかも」
「え”っ……」
「ジンは『王の力』の話すると勝手に喋りだすらしいですよ。オタクの典型というか」
「しゃ、喋んねぇよ!」
「クロックス隊との合同任務で、聞かれてもいないのに【服従】について話しだしたと聞いたが……」
「は?? グランジさん、それどこから??」
「喋ってるじゃん」
「喋ってるね」

 セスナが楽しそうにジンを観察している。クロックス隊との合同任務は宮廷騎士団の不祥事でもあり、任務での出来事の全ては周知の事実で『タチバナ』がどのように関与したからどうかも共有されていたからだ。

「では殿下。今回の騎士大会で我々は再び実力を示してまいります」
「そっか」
「また、ジンやリュウドがレギュレーションへ不服を申し立てているため、結果次第ではメンバーが変わる事もお許しください」
「わかった。むしろその方がいいからね」
「セシル隊長は、戦いたくないんですか?」
「私はむしろ、私ような若輩が出場する大会ではないと思っているぐらいだね。強さを示せる絶好の機会なのに、もったいないなと」
「だよねー。別にタチバナ隊じゃなくてもミレット隊とかなら強いってわかってるから面白いのに……」
「我がストレリチ隊は、その二つの隊には遠く及ばす情け無い限りですが……」
「僕の騎士にそういうのは求めてないし?」
「殿下。それは護衛騎士としての隊長へ失礼ですよ」

 セオの苦言に不満そうな表情をみせた王子だったが、セシルの真っ直ぐな目を見て安心もしたようだった。

「じゃあセシル。僕にその強さを見せて」
「はい、必ず。我ら特殊親衛隊は殿下の騎士としてその実力を誇示して参ります」
「勝てる見込みあるんですか?」
「正直わかんないですね。僕ら宮廷だと最弱説あるし……」
「セスナさん。大丈夫なんすか……?」
「大丈夫だよ」

 そのセシルの自信はどこからくるのだろうと、ジンは少し不安を感じていた。
 その後キリヤナギは、グランジと夕食へ向かい、ジンも事務所へ戻って日誌の続きを考える。どうにかアイデアを絞り出し、喫茶店でヴァルサスと勉強をしていたことにしてその日の業務を終えた。
 自室で音楽を聞いて寛いでいたら、シズルが明日の午前に都合があったとメッセージをくれて、親子の意思疎通の早さに感動する。
 しかしジンの中では「うまくいきすぎていて」不安にもなっていた。『タチバナ』として生きてきたこれまで、幾度となく妨害や嫌がらせなどもうけてきたからだろう。「何かが起こる」可能性を持ってしまいジンは、嫌な予感を得ていた。
 何も起きなければいいと願い、ジンはその日も休む。

 そして次の日、キリヤナギを学院へ送り出したジンは、午前のうちに騎士棟のリュウドとシズルに合流して執務室へと向かった。

「リュウド君にシズルさんも仕事は大丈夫です?」
「長時間は無理だけど、もう一度聞いてほしいっていったら隊長が許してくれた。ちゃんと冷静に話すよ」
「私も午後の巡回のみですから大丈夫です」

 しかしジンは、話す内容を思いついては居なかった。リュウドは無表情のジンへ不安そうな表情をみせる。

「ジンさん、何話すか決めた?」
「それが思いついてなくて」
「はは、いざとなれば私が父とお話しできますので」
「ありがとう。シズルさん……」

 リュウドはもうジンを見ていなかった。事務室の奥の大隊長の部屋へ、2人はリュウドの後に続いて入室してゆく。
 そこへいたのは、執務机に腰掛ける赤の騎士服を着たコトブキ・シラユキと青の騎士服を纏うセドリック・マグノリアがいて、三人は一気に緊張する。

「ご機嫌よう。お二方」
「やぁ、シラユキの。『タチバナ』もいるね」
「本家『タチバナ』か。よく顔を見せたな」 
「……どうも。リュウド君がお世話に」

 久しぶりに見たコトブキは、白髪をオールバックにし、子綺麗な印象がある。横のセドリックは、コトブキよりも若く見え、アレックスと同じ髪色をしていた。

「貴殿の実力は認めている。個人戦は見事だった、楽にしていい」
「恐縮です」
「用件は?」
「騎士大会の集団戦、やっぱり不服です大隊長! 俺も『王の力』を持ってます」
「その話か……個人戦の敗退がそんなにも悔しいか? ローズ」

 コトブキの突然の言葉にジンは驚いた。思わず彼を見るとぐっと唇を噛み締めている。

「それは、関係ありません」
「ベスト8の実績。その年齢では快挙にも近い、十分に評価されているぞ?」
「そう言う問題じゃないんです! 私は『タチバナ』が禁止と言う前例を作るのが納得行かないだけで……」
「ふむ、なら本家はどう見る?」
「俺ですか?」
「意見があるのでは?」
「禁止に関しては、意を唱えるつもりはありません。しかし、この前例からリュウド君の来年度の個人戦へ影響があることを懸念していて、どういう考えをお持ちなのか確認できればと……」
「なるほど、それは『タチバナ』として真っ当な懸念ではあるな。だが騎士大会は毎回役員が変わり、その都度違う者がレギュレーションの作成を行っていて、私も来年の事は憶測しか話せないが……」
「……」
「【服従】の対策における『タチバナ』は、もはや『タチバナ』である必要はないと、私は思ってはいるがね」

 空気が一気に凍りつき、リュウドもジンも言葉が出てこなくなっていた。コトブキの言葉はまごうとなき事実であり、【服従】は音さえ遮断できれば対策ができるからだ。

「お待ちください。コトブキ大隊長」
「シズルか、息子であるお前が『タチバナ』を庇うか?」
「この場では、そうなってしまうでしょう。しかし私は、騎士大会と言う実力を誇示する場で、本当に実力を持つ者が参加できないことに疑問があります。『タチバナ』を抜きにしてもここにいるお二方は、個人戦で輝かしい功績を残した。そんな彼らをルールから除外する事は、騎士としての本来のあり方へ反するのでは?」
「ふむ」
「騎士ならば相手に関係なく勇敢に立ち向かい、その存在意義を示すべきであると私は考えます。その上でここで『タチバナ』に勝った騎士がいれば、それはまた新しい栄誉となるのではと」

 ジンとリュウドは感心し、言葉が出なかった。『タチバナ』に論点を持ってくるのではなく、『騎士』の概念から話す事で、『タチバナ』を除外することを『逃げ』と比喩したのだ。騎士ならば相手を選んではいけないと、また選ぶことは騎士道へ反するとシズルは話している。

「でも騎士大会は、コンセプトが……」

 リュウドに足を踏まれ、ジンが黙った。その一連の動作をみていたセドリックが、吹き出して笑い、凍りついていた空気が変わる。

「どうした? マグノリア卿」
「いえ、全てを知っているとつい感情が抑えられず……」
「何の話だ?」
「シズル・シラユキ卿。わるいね」
「? 何か?」
「今期からの『タチバナ』の禁止は、君からの提案で私は意思を汲んだつもりだったのだが……そう言うことか」
「……は」
「なんだと……?」

 シズルの背筋が一気に冷え、また全員の視線が彼へと注がれる。何を言われたか理解できないのか本人も言葉を失っていた。

「殿下へ気に入られる為かい? 協力できなくて悪いね」
「私は、そんなことは……」
「若いからね。気持ちもわかる」
「違いまーー」
「黙れ! そう言うことか」

 セドリックは苦笑し、コトブキは机を叩いて立ち上がった。そして再び静まった執務室で、セドリックの口にした事実が徐々に理解できてくる。
 彼は『タチバナ』を排除するルールが、シズルの提案だと口にした。
 これはつまり、騎士大会でリュウドとジンが不当だと訴えるまでは想定の範囲で、協力する事で恩を売ろうとしたと言うことになる。

「マグノリア卿、言伝を感謝する」
「仰せのままに」
「違います! 私は初めからーー」
「黙れと言っている。騎士の恥晒しが!」

 コトブキの怒鳴り声にシズルは何も言葉を紡げず、只々固まっていた。誰もが何も意見できない空気の中、コトブキは2人の「タチバナ」をみて口を開く。

「タチバナ」
「はい」
「は、はい」
「我が息子が無礼なことをした。詫びにはならんだろうが、今期の騎士大会へ参加を認めるよう私が委員会へ掛け合う。存分にその腕を振るうといい」
「……それは」
「悪かった」

 シズルは真っ青な、絶望した表情のまま固まっている。リュウドも言葉はなく。セドリックは、どこか残念そうにシズルをみていてジンはその異様な空気に何を言えばいいかわからなかった。
 退室させられた後も、誰も話す気は起こらずシズルすら何も口にしない。

「それじゃ、俺仕事いくから……」
「リュウドさん……」
「ごめん。まだ整理ついてないから、また今度。コトブキ隊長に通してくれてありがとう」

 リュウドは、そのまま振り返らず走ってゆく。ジンはシズルの横におり、掛けられる言葉を必死に探していた。

「気を遣われないでください、ジンさん」
「……俺、そんな気にしてないので、気負わないで下さい。慣れてるので……」

 シズルは絶句して立ち去ってしまう。
 騎士学校では良くあった事で、本当に気にしてもいなかったのに、まるで逆撫でをしてしまったような態度に言葉を間違えたと後悔もしていた。

90

「騎士大会どうなったの?」

 大学でキリヤナギを迎えに来たジンは、出会い頭の言葉に戸惑ってしまった。確かに楽しみにしていると何度も話されていた為、ここまでは予想できた流れなのだろう。

「でれそうです」
「本当に! よかった!」
「シラユキ大隊長。話できる人でした」
「シズルのお父さんだもんね」

 王子は嬉しそうでジンも安心してしまう。しかし、季節は冬で日も早くなっている為、辺りは暗く灯りは街の街頭のみとなっていた。

「やっぱりシズルのおかげ?」
「えっ」
「ジンがちゃんと話せるイメージないし?」
「……言いたくないです」
「なんで??」

 首を振っていると、キリヤナギが詰めてくる。

「今日、シズル見かけたのに声かけてくれなかったし、なんかあった??」
「ぇ、えーっと……」

 キリヤナギはこの日も屋内テラスで三人と勉強をしていた。レポートにも手をつけながら進めていると、シズルが現れ、その日は声もかけず去ってしまったのだ。
 いつもならじっとこちらが気づくまで見ていて、キリヤナギは気付けるよう気を配っていたのに、今日はまるで逃げるような態度にも思えた。

「何もないです」
「嘘つき、話して」
「本当に……」
「セオにヴァルのとこ行ったの正直に話すよ??」
「それ殿下も巻き添えなんじゃ」

 キリヤナギはつんと目を逸らしてしまう。しかし日誌はすでに書いていて、話されれば書き直しとセオには間違いなく小言をいわれる。

「シズルさんは悪くないって前提でいいです?」
「え、シズルのせい?」

 ジンは渋々、キリヤナギへ今朝のことを話した。彼はしばらく絶句して想像通り目を逸らしてしまう。

「……そっか」
「俺は気にしてなくて……」
「知ってる」
「えーと??」

 キリヤナギはそこから王宮まで、一言も話してくれなくなってしまった。しかし、王宮ではそんなそぶりを見せず、ジンは気味悪くも思ってしまう。

「聞いたよ。ルール変更よかったね」
「え、うん。なんとかなった」
「シラユキ大隊長は、実力主義だし大丈夫だろうって思ってたけどね」
「へぇー……」

 セオの目線が普段と違い困惑してしまう。

「なんかあった?」
「べ、別に何も……」
「ふーん??」
「何??」
「殿下のこと聞いてこないのは、殿下以外のこと考えてるのかなって」
「は??」
「ま、ジンの場合、大体自分のことなんだろうけど」
「ち、ちげーし……」
「珍しいじゃん。逆に興味湧くよ」
「どう言うのだよそれ……」
「はは、話す気になったら言って」

 セオの気遣いであることに気づき、ジンの肩の力が抜ける。キリヤナギの悩みを増やしてしまった罪悪感と、シズルと何を話せばいいか分からず迷ってしまったと言えば正しい。感情が複雑で上手く濁すこともできないと感じたジンは、セオにもまた今朝のことを話してしまった。

「……そんな事、あったんだ」
「殿下に話して後悔してる」
「問い詰められたならしょうがないよ。信頼してたのになぁ……」

 セオもまたショックを受けていて、ジンは違和感ばかり得てしまう。彼らは現場におらず状況を知らないのは当たり前だが、ジンの中で何かが違うとも思うからだ。

「俺は気にしてないんだけど……」
「ジンの問題じゃなくて、シズルさんがそう言う行動に出たことが問題って話してるんだけど」
「シズルさん……?」
「違うの?」
「なんか戸惑ってたけど……?」
「戸惑う?」
「えーと、だれだっけ? ミレット隊の副隊長」
「セドリック・マグノリア卿?」
「それ、セドリックさんにカミングアウトされて、シズルさんもびっくりしてたからさ」
「バレたからじゃないの??」

 認識のズレが徐々にわかってきて、ジンは必死に整理していた。セドリックが暴露したとき、シズルの反応は明らかに「想定外」のものだったが、全てを知っているはずのセドリックの前で果たして堂々と嘘をつくのだろうかとも疑問に思うからだ。
 同じ隊であり、タチバナに対して「中立」なら口裏も合わせることもできる。つまりシズルは、セドリックに裏切られたとも言える。

「ちょっと可哀想かなって」
「なんで??」
「上司が守ってくれてないから?」
「それ本気で言ってる??」

 酷く疑いを持ったセオだったが、しばらく考えるように夕食を取るジンをみていた。そして、何かにハッとする。

「嵌められた?」
「何が?」
「確かに真理かも知れない」

 上司に守ってもらえない。と言う言葉は、上司が敵であると言う意味だからだ。敵ばかりで生きてきたジンは、誰よりも上の位の者が敵になる辛さを知っている。
 故にシズルへと同情するが、恐らくもう一つ上次元で何かが起こったのだ。

「真理? 別によくあるかなって……」
「確かにそうだね。シズルさん、もう少し見極めてみるよ」

 ジンは首を傾げていたが、言いたい事が伝わったと思い、満足していた。
 そして新たな騎士大会・集団戦のレギュレーションが組まれ、王宮や騎士棟のあらゆる場所へポスターが貼られてゆく。参加名簿を渡されたキリヤナギは、ジンとリュウドの名前が載ったリストを見て満足気にしていた。

「セシル、セスナ、グランジ、リュウド、ジン。これなら楽しめそう」
「そうっすか?」
「みんな僕より強いから」

 王子の護衛が、王子より弱くてどうするとは思ったが、確かにジンはキリヤナギの立ち回りへ信頼が厚い。護衛ではあるが、ある程度放っておいても大丈夫と言う慢心もあり、改めなければならないと反省した。

「久しぶりにカナトを招待したいと思ってて、ジンも誘いに行くのに付き合ってよ」
「いいっすよ」
「去年は呼べなかったから楽しんでくれたらいいな」

 去年も一応は開催されてはいたが、復帰したばかりで体力的に来賓に対応できないとして、オウカ国内のみでの大会として開催されていた。それなりに楽しめていた気もするが、何故か記憶が曖昧でアカツキが出ていたぐらいしか覚えていない。

「殿下、公式訪問ですか?」
「いるかな? 一昨年はどうだっけ」
「一昨年は、グランジと招待に向かい後から連絡をいただく感じでしたね。本来ならウォレス外交の案件ですが、代理でカナトさんとなっていました」
「じゃあセオ。僕直接行くし招待状2枚お願いしていい?」
「わかりました。明日にでもご用意しますね」

 手際がいいなと、ジンは感心していた。がさらっと話された言葉に気づく。

「2枚?」
「ククを誘いたいなって」
「来て頂けるでしょうか……」
「ダメ元……」

 キリヤナギは複雑な表情を見せていた。
 
 テストが始まった大学は、学生達に勉強疲れが見え始め、キリヤナギもまた微妙な寝不足で登校する。騎士大会も近いが、今週はレポートの締め切りも間近に迫っていて気が抜けずにいた。

「王子も来てんの?」
「ヴァルも?」

 挨拶もなく声をかけてきたのは、同じく少し眠そうなヴァルサスだ。テストのない科目はほぼ自習時間となり、学生の中には登校せず家で勉強する者もいて、いつもほど人は多くはない。

「王宮だと集中できなくて」
「わかる。学校だから進むんだよな」

 今日のテストは午後からの歴史学がある。他科目を履修するククリールも恐らく昼には来るだろうが、招待状を持っていて少し緊張していた。

「俺眠いから昼まで寝るかな……」
「それは来た意味ないんじゃ……」
「家で寝たらカエデが勉強しろってうるさいんだよ……」

 なるほどと思わず感心してしまった。キリヤナギはテスト期間に寝ていても邪魔はされない為、家庭の違いと理解する。

「ヴァルも大変なんだね……」
「なんで同情してんだ??」

 結局ヴァルサスは、屋内テラスで仮眠をとっていた。1限の終業チャイムで起きた彼は、キリヤナギが作成しているレポートをみつつ、自分のものも見比べてくれる。

「これ、調べたのか?」
「うん。でも、思ったより資料が出てこなくてどう結論書こうかなぁって」

 騎士の授業のものが、教科書やウェブの資料しかなく考察する箇所が少なすぎて物足りなさを感じていた。ヴァルサスによると風呂敷を広げすぎてもまとめにくいとも言うが匙加減が難しい。

「相変わらず熱心な王子様ですこと」

 入り口の高い声に、嬉しくもなってしまう。現れたククリールは、髪をすいて隣へ座ってくれた。

「クク、おはよう」
「ご機嫌よう」
「姫はレポートねぇの?」
「レポートは全て終わりました。あとは提出のみですね」
「はぁー! 真面目……」
「学生として当然ではなくて? アゼリアさんは、土日は何してらしたの?」
「げ、ゲーム……」
「自業自得ですね」

 ヴァルサスが悶えている。
 キリヤナギも流石にフォローができず、聞こえないふりをしていた。

「クク、テストの後なんだけど……」
「あら、何ですか?」
「今度、王宮の騎士大会あるんだ。見にこない?」
「騎士大会ってあの全国のやつ?!」
「え、うん……」

 食いついてきたヴァルサスに、思わず尻込みしてしまう。言ってから気づいたがヴァルサスは確かに「そっち側」だった。

「全国から精鋭が揃うやつだろ! めっちゃいいじゃん俺も見に行きたい!」
「ヴァルも……?」

 一般で観戦できただろうかと考え、思わずウェブで調べてしまう。
 個人戦は王宮内で行われ、来賓貴族の家族しか観戦できなかったが、集団戦は4箇所の演習場で開催され場所が広く一般でも観戦できるようだった。

「一応抽選のチケットあるみたい?」
「おう、回してくれよ!」
「ずうずうしい方ですこと」
「なんだよ姫、つれねぇな」

 回せるだろうかとセオへメッセージを入力していると、アレックスもテラスへ顔を出し、彼も騎士大会の話題へ入ってくる。

「『王子が楽しみにしている』と言う催事か」
「うん、みんなよく言ってて嘘じゃないんだけど」
「叔父が今季は特殊親衛隊が出ると言っていたが、本当なのか?」
「そうなんだよね。セシルが乗り気じゃなくて申し訳ないんだけど」
「乗り気じゃないって?」
「僕の騎士は見せ物じゃないし……?」
「騎士なら実力を誇示して牽制するのが当然じゃない。何の問題があるの?」
「みんなそう言うけど、僕はあんまり知られたくなくて」
「どうして?」
「うーん、うまく言葉にできない」
「相変わらずね」
「そんな事よりさ、チケット? どうにかならねぇ?」
「一応聞いてみるけど……」
「観戦か……? どうにかしてやりたいが、一旦は一般向けのチケットへ応募しておけ、結果次第でまた考えてやろう」
「サンキュー、アレックス!」

 キリヤナギはもう一度ククリールを見る。招待状を取り出すと彼女は少し驚いて、受け取ってくれた。

「このような催事には、そこまで興味はないのですが……」
「そっか……」
「王子が解説して頂けるなら、ご一緒しても構いませんよ」
「本当? ありがとう……!」
「王子の招待なら、来賓として席を並べることになるだろう。婚約までは行かずとも仲がいい所までは誇示できるだろうな」

 キリヤナギは少し照れていた。ククリールは頬を染めながらも何故か表情が硬く、無言でノートを広げ自習を始める。

「この後は歴史学だが、王子は大丈夫か?」
「うーん。去年よりは……」
「一回の時に落としたやつ?」
「うん……」
「こればかりは王子次第だ。私のノートもあるので、参考にすればいい」
「先輩、ありがとう」

 テストが終われば騎士大会があり、冬の長期休講が始まる。年明け前に単位習得の結果発表があり、結果次第では補講となる。去年は補講まで持ち越し、追試験でも落ちた為、キリヤナギにとってはリベンジとも言えた。

「頑張る……!」
「俺も」
「王子はやればできそうだが、ヴァルサスはそろそろ真面目にやったほうがいいぞ?」
「そうね、貴方の方が落としそう」
「お前ら最近厳しいぞ!」

 キリヤナギは勉強をしながら、家庭の差だと言い聞かせていた。

91

 学生達がまばらに登校する大学でシズルは午後からの巡回警備へ向かう為、装備のチェックと服装の確認を行う。
 無心で行った作業だが、背中のサーマンとがずれている事に気づかずにいた。そのまま更衣室を出ようとしたとき、肩を引かれ背中が治されるのを感じる。

「マントかかってないですよ」
「リップさん……」
「カルムです!」
「カ、カルムさん……」

 真顔の彼に思わず繰り返してしまう。
 彼とはもう数回休憩時間を共に過ごす仲だが、ラストネームの印象が強すぎて未だ慣れては居なかった。

「表情硬いですけど、何かあったんですか?」
「……顔に出てしまっているとは、情け無いですね」
「『推し』と喧嘩でもされたとか?」
「い、いえ……、そんな事はないのですが、私は、もう殿下のお側にいる資格はありません」
「それはどう言う……?」

 どう話せばいいかシズルは戸惑っていた。本来尊敬すべき上官が自身を陥れた事実を、未だ受け入れきれず燻っているのが正しい。
 ふとカルムは、周辺の騎士達がシズルを白い目で見ていることに気づく。苦笑して立ち去ろうとする彼を、カルムは腕を掴んで止めた。

「定時上がりに連絡下さい」

 その真剣な目にシズルは、何も言えないままカルムの背中を見送った。
 コトブキとの一件から、騎士棟では禁止される筈だった『タチバナ』が復帰し、それがコトブキ・シラユキの意向で押し切ったと言う話で持ちきりだった。
 しかし、空気は変わらず、『タチバナ』を裏切ったシズルに関して言及するものはおらず、唯一聞いたのは、セドリック直属の隊の「残念だったな」と言う言葉。これにより自身が責められない理由を理解して唇を噛む。
 この騎士棟で『タチバナ』を陥れる事は、もはや当たり前に行われているのだと。保守派と言う彼らを認める派閥がありながら、それが常習的に行われている事であるのだと、どうにもならない感情を得ていた。

 巡回警備のため、大学へ現れたシズルはまばらな生徒達とすれ違いながら無心で警備を行う。
 不審な者が隠れていないかなど、階段の影や廊下突き当たりまで回っている最中、振り返るとそこへテストを終えた王子がいた。
 彼を迎えに来たらしいアゼリアは、手を振ってくれたが、王子は何も言わず背を向ける立ち去ってしまう。
 当たり前だと。
 現実を噛み締めシズルはその日の巡回を終え、騎士棟へと戻る。

 カルムは遅くに戻ってきたシズルを待って、事務室の入り口にいた。1人になりたいと思い敢えて遅く帰ってきたのに逆に罪悪感すら得てしまう。

「お待たせして、すいません」
「全然いいっすよ。俺、寮なんで。人いない方がいいなら俺の部屋きます?」
「いえ、お構いなく……」
「……なら、下の売店のスペースで」

 シズルは、売店にはあまりきた事がなかった。定時を周り売店は閉店していて、人はおらず少し落ち着く場所でもある。

「どうしたんですか?」
「私も、うまく整理がついていなくて、ここまでしていただいたのに申し訳ないのですが……」
「じゃあ、せめて成り行きを……」
「カルムさんの、尊敬すべき人の印象を変えてしまいそうで、とてもお話できるものでは」
「俺の尊敬する人? リカルド先輩の事ですか?」
「は??」
「違う?」
「違います違います。リカルドさんって、シオンさんですよね?」
「はい。貴族なんですけど学生時代から偏見なくってかっこいいなぁって思ってて……」

 シズルはしばらく呆然と見ていた。
 その後カルムは、騎士学校でのリカルドが「タチバナ」と対立していた事とその対立があっても必要な時は手を組むと言う合理的な2人の在り方に憧れていたことを語る。

「犬猿にみえるんですけど、実はあの2人めちゃくちゃ信頼度たかいんすよ。お互い嫌いだけど、お互い何考えてるかわかってるみたいな、だから対立もプロレス疑惑でてて」
「……」

 楽しそうなカルムにシズルは、悩んでいる事がどうでも良くなってきていた。カルムの前に自分がいるだけで、こんなにも楽しく話してくれるなら、十分ここへきた意味にもなるからだ。
 一通り語り終え、シズルが黙っていることに気づいたカルムは、ハッとして席を座り直す。

「す、すいません、つい……」
「いえ、『タチバナ』さんを悪く思わない方だと分かって、とても安心しました」
「俺も学生時代の『タチバナ』さんの動き、よくないなとは思ってたんですけど、冷静にみたら『タチバナ』でしかできない事なんですよね……。この隊の話きいてそう思ったと言うか」

 名門出身だからこそ、許され、守られ、続けられた。これが一般であったなら退学もありえ、宮廷騎士にすらなり得なかっただろう。当時の王子は、それほどまでに制御が効かず、騎士達を困らせた。
 思えばジンが一部からひどく嫌われるのは、そんな王子からの寵愛を一身に受け、それに甘んじているからなのかもしれない。

「私も、そう思います」
「話ズレましたけど、やっぱり話したく無いです? 何ができればと思ったんですけど」

 シズルは少し考え、聞かせてくれた話には、話で返したいとも思った。

「少し暗い気持ちにさせるかもしれませんが、お話しますね……」

 カルムは安心した表情を見せてくれたが、内容を聞いて青ざめていた。自らの上官が部下を裏切る卑劣な行いに、シズルの戸惑いも理解した上で口を開く。

「マグノリア副隊長、ゲスすぎないっすか?」
「あまりそのような事は……」
「そんな状況じゃ、確かに否定もできないです。ひどすぎる……」
「カルムさん……」
「シズルさん。殿下の誤解を解きましょう」
「殿下の?」
「はい。副隊長が敵なら1番上を味方につけるしかないです。こんな事が続いたら、みんな『タチバナ』が嫌いになりますよ。洗脳みたいな……」

 シズルは、言葉を失いまるでピースがつながるような感覚を得た。「皆がタチバナを嫌う環境」が、上官騎士達によるものだったとするならどうなるだろう。
 『タチバナ』を擁護した事で、上司が敵に回るのは、下につく騎士の誰もが避けたい事でもあり、大半の人々がそれに見合った行動をとる。

「……」
「シズルさん?」

 思わず考えこみシズルは返事ができなかった。そして「何も起こらなかった」事実も納得ができた。
 セドリック・マグノリアのあの言動はおそらく「今回だけではない」のだ。
 同じことをされた騎士が、身を守るため「タチバナ」を迫害してゆき、それが今を形作っている。
 セドリックだけとも限らないのだろう。誰かの策略の可能性すらあると思いシズルは、一旦考えるのはやめた。
 これ以上は1人では抱えきれず、今話す事では無い。

「ありがとうございます。カルムさん」
「え?」
「結論がでました。話していない事が証明できなくても、私は真実を訴えていかなければならない」
「……おぉ」
「『タチバナ』さんの為にも、私は彼らの味方でありたいと言ったことを突き通します」
「それでこそ騎士道。顔変わりましたね、よかった!」
「はい、スッキリしました。誤解はすぐには解けないのでしょうが行動あるのみですね」

 カルムの笑顔が見えて、シズルも安心していた。そして1人寮へ戻り、気づいた事実をどうすべきかと考える。
 父は、あれからもう話は聞かないと連絡しても出てはくれない。
 信頼は失墜し、行動を伴わなければ許さない父だとシズルは理解している。また騎士として隊も違い『タチバナ』も不服を訴えていないことから、おそらくこのまま処分もされる事もない。
 しかし、それに甘えるなと父は態度で示している。
 父を味方としたいなら行動で示せと直接訴えているのだ。

「慣れている、か」

 思わず口に出て、シズルは思いを馳せた。ジンはずっと「こう」だったのだ。味方はおらず唯一あるのは名門と言う後ろ盾。その後ろ盾も徐々に力を削がれ、存在の意味すら問われている。
 ぼろぼろだと思い、シズルは理不尽に屈してはいけないと意志を改めた。
 名門は守らなければならない。
 王の盾になるべきその力を失ってはいけない。
 そう結論を得たとき、シズルはジンのデバイスへ通信を飛ばしていた。
 数回のコールから、通信に出た彼は少し慌てているようにも見える。

『こ、こんばんは。シズルさん』
「ジンさん。遅くに失礼します。少しだけいいですか?」
『はい、なんです?』
「私は、貴方がたの味方でありたいと言った言葉を、曲げるつもりはありません」
『へ?』
「あの時、驚いて否定ができず申し訳ありませんでした。私は『タチバナ』を排除する気は全くありません。上官を否定するようですが、マグノリア卿の言葉は事実無根であり、彼は私の意見を翻して自分のものにした。信じてもらえるかは分かりませんが、誤解を生んでしまい大変失礼しました」

 ジンはしばらく黙っていた。何が帰ってくるだろうの緊張していたら、それはゆっくりと穏やかな声で続けられる。

「俺は、そんな事特に気にしてなくて……でもーー」
「?」
『謝ってくれたの、リカルド先輩以来なんで新鮮です。でもそれが本当ならシズルさん悪く無いし、謝る必要無さそう?』
「……不快にさせたなら、謝るのが当然なのですよ」
『そう言うもんです?』
「はい」

 ふーん、というジンの反応にシズルは逆に戸惑ってしまう。

「突然連絡をして、失礼しました」
『いえ、殿下も悩んでたんで伝えておきます』
「それは、必要ありません」
『え??』
「これは私の問題で誤解は行動で解きます。ジンさんはどうかそれを見届けてください」
「……わかりました。すみません。俺、てっきりその為に連絡してきたのかなって」

 似ているとシズルは最近記憶を辿り憂いた。そしてこの王子とタチバナの関係は必然だったのだろうとすらおもえてくる。

「気にされないでください。お気遣いありがとうございました」
『こちらこそ、わざわざありがとうございます。じゃあちょっと用事があるので切りますね……』
「はい。ご機嫌よう」
『また騎士棟ででも』

 通信を切りシズルはホッと肩を撫で下ろす。どこまで進めるかわからないが、今は目の前に現れた壁を越えなければならないと、シズルは決意を固めるのだった。

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