初恋のおわりのうた EXTRA ─誰のせい?─

 

〈学院・講義棟 昼〉

 文化祭が終わって数日経った昼の事。

 午前最後の講義を終えて、室外に出たら廊下に見知った顔がいた。

「やあマグノリアさん。先日はどうも」

「待ち伏せとは趣味が悪いな、スターチス」

 視線と態度で不快さを訴えてもジーマンは動じない。そうとわかる作り笑いを崩すこともない。

 すぐにその顔を睨むのをやめて、アレックスは足早に棟外へ出る。ついてきているのだろうジーマンの足音がすぐ後ろから聞こえる。

「気を悪くさせたなら申し訳ないね。あんたのことだ、私らの相手をするほど暇ではないだろうと思いまして」

「そうだな。スケジュールまで把握されるのは、いい気分がしない」

「いや、そりゃあんたがアステガをはじめ色んな奴にやってきたことでしょう」

「それを言われると弱い」

「そこで素直に黙んのかい。あんたワザと話し辛くしてません?」

 その軽薄な調子をあしらうように話を合わせながら、キリヤナギ達の待ついつものテラスへと歩く。

 季節は冬めいてきたものの正午の日差しはまだ生物を温めるに十分な熱を地へと注いでいる。講義棟の白壁や、中庭の植物がその陽光を眩く照り返している。昼休みの学生が作り出す特有の喧騒がなければ、自然と眠気を覚えてしまいそうな晴れの日だった。

「それで、私に何か用があるのでは?」

 昼に友人同士でよく集う場所があることを知っていながらわざわざ待ち伏せていたということは、ジーマンが用があるのは自分一人だけということだろう。そう思っていたアレックスは立ち止まり、早速その目的を聞き出す。

 腰を落ち着ける場所を探すことはしない。長話をするつもりなど毛頭なかった。

 アステガは勿論このジーマンという男もまた、深く繋がりを持つべき人間ではないとアレックスは感じていたのだ。

「ああ。おかげ様でアステガの望みが叶ったってことの報告をね。同じメンバーとしてそれが筋でしょうから」

 そう言ってジーマンはこちらへ手にした通信デバイスの画面を見せる。そこには長い銀髪と赤い瞳が特徴的な女性が難しそうな顔で手にした雑誌──どうやら求人誌のようである──とにらめっこしている様子が映っている。話の流れからして、この女性こそがアステガが歌を届けたかったユリアという人物らしい。

 そうか、本当にアステガは一人の人間を救ってしまったのか。

「それは何よりだ。であれば私達が協力した甲斐もあった。……それで、本題は何だ?」

「……怖いねえまったく」

「話す気が無いなら失礼する」

 報告という理由もまた一対一になったことの理由にはならない。それにこの男はそれだけのために動くような人間ではないと直感が告げている。

 わざわざ前口上を重ねるということは会話しやすい空気を作って得をする何かがあるということ。ならばそこで切ってしまうのが最善だろう。印象が悪いことは承知の上でアレックスはジーマンに背を向けた。

「俺はあんたの能力を高く買ってる。その思想にも賛同はしないが一定の理解は示しているつもりだ」

 その背に向けてジーマンが放った言葉はこれまでの飄々とした口調とはうって変わって低く、真剣な色をしたものだった。アレックスはそれならばと足を止めて、背中越しに聴く姿勢を取る。

「上に立つ立場ある者が大衆を正しく導く管理社会。口にするのは簡単で実際に運営するとなると難しい話だが、あんたの力ならそれも実現可能かもしれねえ。しかし社会まるごと理想の形になるなんてことはねえよな。必ず掌からこぼれ落ちる人間は出てくるはずだし、そういった奴らはいずれあんた達体制側を憎むだろう」

「何が言いたい」

「ユリアちゃんな、今年度は単位が足りなくて留年が確定してるから一年分の学費を自力で稼ぐために今アルバイト先を探してるんだとさ。アステガ以外とはマトモに口も利けねえ人見知りの自分を何とか乗り越えようとがんばってんだと」

「……だから、何が言いたいのだ」

「社会を構成するパーツのひとつとはいえ、一人の社会に適合しようとしなかった人間が今社会人として更生しようとしている。そしてそれを後押ししたのはあんたがかつて情報欲しさに切って捨てようとしたアステガだ。俺はもちろん、あんたにだってその役目は無理だったろう。これに異論はないはずだ」

「…………」

「仮にだ。仮にあんたがまたアステガを……いやアステガじゃなくてもいいさ、誰かを切り捨てざるを得ない状況に立ったとしたら……その時あんたは前みたいに冷酷になれるかい?それを大事の前の小事と割り切ることができるかい?」

「貴様は、それを訊いてどうする」

「別に。単なる心理テストみたいなもんだと思ってくれればいい」

 アレックスは想像する。今の自分が何かの目的のためにアステガと敵対することになったとしたら。かつて化け物とまで称したアレを潰すことが可能かどうかは置いておいて、そのような状況にもし立たされたとしたらその心境はどうなるか……。

 なるほど、この思考実験は文化祭での体験を通して得た回答を明確にする上で有意義だ。

 自分が成した努力の末に私はアレの価値をどれほどのものと感じたのか。

 自分の善悪の判断基準とそれの是非はどうなのか。

 回想と黙考の末、口にするべき答えは思いのほかすぐに見つかった。

「秩序のために、それが必要なことならば」

「そうかい」

「ただ──」

 言いかけて、両掌を見る。ここしばらくの間アステガ達と共に音楽に打ち込んだ、その慣れが残っている。

 それに悪い気分がしないと感じているのも、事実なのだ。

 結論はこうだった。正義と正論を曲げることはできない。自分の思想が間違いだともやはり思わない。己が推し進める方針ならば、まず誰よりも己が体現者とならねば。知己だからといってその人間だけを特別扱いはできない。

 しかし、どうやら自分は為政者である前に一人の人間であり、まだその心を無くしてしまえるほどに強くもないようである。

「ただ?」

「そのような状況にならぬよう努力するし、ありえないと願いたいものだ。これも口にするのは易いものだが」

 本心だった。共に行動するうちに王子の甘さが移ったかと自分自身を疑いそうになる。

「そうか、よくわかった」

 それを聞いたジーマンは静かに、意味を噛みしめるように頷く。おそらくアレックス本人は甘いと感じているだろう、その人間らしさは好ましい。

 人の上に立とうとする者は人の心に無関心でいるべきではないとジーマンは考える。不勉強であれ鈍感であれ、心に寄り添う素質が無い者に誰もついては来れまい。

 これまで心無い指導者の姿を何度も近くで見てきた。その醜悪さもまた。今の質問はアレックスにそれと同じ気配があるか否かの確認である。

 やはりこの男とは今後も懇意にしてもらおう。

 未だこちらに背を向けて立つアレックスの隣へと歩を進めると、その肩を軽く叩く。真面目な話はこれで終わりだと一方的に宣言するように。

「そうスかそうスか!いいッスね!あんたやっぱ面白いッスわ!あ、こいつ個人的に作った名刺です。貰ってくださいよ」

「何だ唐突に、気安いぞ」

「まあまあ、今後ともよろしくってことで。情報なりコネなり欲しい時はもしかしたら俺が力になれることもあるかもしれませんしね。気軽に連絡くださいよ」

「フン……」

 アレックスはジーマンに差し出された名刺を受け取って一瞥する。そしてふと思い出したようにジーマンを避けたがっていた理由を口にする。

 これ以上一方的に距離を詰められるのは遠慮願いたい。

「そういえば私も貴様に一つ訊きたいことがあった。買い取ったゾウカ出版の資料の出所についてだ」

「それについては企業秘密ということにさせてください。それとも内容に不備でも?」

「いいや、確かに本物の情報だったよ。寧ろだからこそだ。あれほど質と量の社外秘とするべき情報を得られるとしたら、『内部の人間以外にありえないのではないか』と推測するのが自然だろう」

 ここにきてようやくアレックスはジーマンの方を振り返り、その顔を見る。

 ニヤついた表情は変わらない。相変わらず目だけが笑っていなかった。

 その目が如実に存在を示している、作り笑いの奥に潜む何かが測れない。その気持ち悪さの正体を確かめるまで、この男を信用してはならない。

「そうは思わないか。スターチス」

 数秒、二人の間に沈黙が流れる。

「……やめておきましょうや。お互い、他者からの信頼あっての今の立場でしょう」

「そうだな。今はそれでいい。……重ねてありえないと願いたいものだ。貴様が有能な人材だという事実は私も認めるところなのだから」

 どうせ掴めないだろう尻尾は追わない。深くは追及せず、アレックスは再びジーマンに背を向けて歩き出す。友がいるだろうテラスへと。

「では人を待たせているのでね。そろそろ失礼する」

 その背を見送りながら、仮面の笑顔は呟いた。

「……ホント、怖いお人だ」

 

 EXTRA 終

 

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