第二十二話:権力を持つ意味

「体痛い……」
「まだっすか?」

 生徒会の反省会があった次の日、普段より気怠げな表情で、キリヤナギはジンと登校していた。一日で治るだろうと思っていた筋肉痛が続き、動くのが億劫で仕方がない。
 体は鍛えていたはずなのに、体育大会は休憩を挟みながらも4時間は動き続けて居た為、未だに体へ響いているのだろうと憶測していた。
 ジンは、去年寝込みながらも健康とされているキリヤナギが調子を崩している事へ不思議に思わずには居られない。

「長いっすね」
「うん……なんか続いてる……」

 肩を回す彼へジンは、揉んではみるが今一つ効果もみられず2人で首を傾げる。訓練を再開できたのは今年に入ってからだが、その時から数日引きずるようになり気にしても居なかった。

「関係ないですけど、感染症流行ってるので気をつけて下さい」
「そうなんだ」
「騎士棟でもちょくちょく休んでる人いるんで、手洗いうがいっすね」
「わかった。ありがとう」

 セオからも、朝から殺菌用の使い捨てお手拭きを渡されて居た。学院にもマスクをしている生徒がそれなりにいて流行っているのだろうと思う。

「王子、なんか調子悪そうじゃん」

 教室で座っていたら、同じく登校してきたヴァルサスが横にいた。体もだるく何故か疲れもあって注意力も落ちている。

「そう見える?」
「ぼーっとしてね」
「確かに眠い……」
「出席は?」
「この授業は大体出れてるから……」

 何度か早退していて、まずいのは週後半の午後の授業だ。まだ半分も開始されていないが、前期の悲惨さを思い出すと不安にもなってしまう。
 
「ま、この授業はレポート提出だけだし、きにしなくていいんじゃね」
「そうだっけ……」
「最初の説明で言ってただろ……」

 確かにこの授業は、講義を聞いた上で自身の政治的思想やどう言った政策を具体的に行うかについて考えるものでもある。
 政治という明確な回答がない分野は、それを受けた大衆から「正解」が返ってくるものだからだ。

「ほんとぼーっとしてんな」
「今日はだめかも……」

 やはり調子が悪い。
 講義も頭に入ってこず、気がついた頃には机に伏せてしまっていた。ヴァルサスが少し深刻さを感じ、手を引かれるまま医務室へ連れてゆかれると、保険医に体温を測られ、熱があることが分かる。

「罹ってんじゃん……」
「えー……」
「症状は軽いので、感染症では無さそうですね」
「帰るか?」
「やだ……」
「寝るならどこでも一緒だろ??」

 悩む前に、ヴァルサスはジンへ連絡をとって居た。入り口を見るとシズルが覗き込んでいて保険医も合わせて固まってしまう。

「じゃ、俺は授業いくぜ」
「僕も……」
「騎士さん、あとよろしく」

 彼はシズルと一瞬だけ目を合わせ医務室を出て行ってしまった。朝は身体が痛いだけだったのに、たった数時間での悪化に驚きもしてしまう。
 話す気力もなくなり、ぐったりしていたら連絡を受けたらしいジンが迎えにきてくれた。

「殿下、動けます?」
「眠い」
「タチバナ卿。殿下は……」
「朝は元気だったんですけど……」

 もう何も考えたくなかった。
 正門は目立つ為に、ジンはセシルの自動車を裏口へと回し、キリヤナギをおぶって王宮へと連れ帰る。
 感染症ほど熱は上がらず、体の痛みのみであることから、過労からくる風邪だと診断された。

「殿下の風邪って珍しい?」
「そうでもないよ……?」

 手をつけられなかったお弁当を代わりに食べるジンへ、セオが昼食を作りながら口を開く。
 ジンは知らなかったが、話を聞くと去年からちょくちょく熱を出すことが増えたらしい。

「身体弱くなった?」
「季節の変わり目だし?」
「そういう?」

 ジンは丈夫なキリヤナギしか知らず、思わず首を傾げてしまう。しかし夏とは違い、季節が変わって冷えてゆく中、汗をかいて放置していれば確かに風邪を引く。
 体育大会のあの日は、秋の初めでもとても冷えて居て、セオはジャージの長袖を用意していたがキリヤナギが着ているところは見ても居なかったからだ。

「俺ら怒られる?」
「ミレット卿ならなんで行かせた? ってなっただろうけど、隊長はなんて?」
「王妃殿下だけに伝えるから、しばらくは安静にって、殿下も納得はされてて……」
「なら大丈夫じゃない?」

 確かに王宮は、誰も騒ぐことはなく平和な空気が流れている。
 風邪は万病の素ともいうが、適切な対処され取れる此処では、悪化も考えにくいからだ。
 キリヤナギが戻ったため、久しぶりに警備兵らしくやれると意気込んでいると、ふと入り口からノックが響き、扉が開く。
 誰だろうと凝視すると現れたのは、シンプルなドレスを纏う王妃で、ジンとセオは思わず立ち上がって硬直した。

「ひ、ヒイラギ王妃殿下。ご機嫌麗しゅう」
「ご機嫌よう、楽にして下さい。キーリは……」
「お部屋へおられます」
「ありがとう。少しだけお願いします」

 グランジに扉を開けさせた彼女は、立ち上がった2人へ優しく微笑んでくれて、そのままキリヤナギの自室へと消えていった。
 この場所へ他の騎士達が来たがらない理由に「連絡なく王や王妃が現れる」と言うものを思い出し、2人が思わず大きく息をつく。

「お、俺めっちゃ飯食ってた……」
「う、うん。ご愁傷様……」

 真っ青になるジンへ、セオが同情してくれる。
しかし、風邪を引いた息子の様子を見に来るのは、冷静に考えるなら家族としては「当たり前」でこれは考えに及ばなかったジンが悪い。
 彼は急いで身だしなみを整え戦々恐々としながら警備兵をやっていた。用事を終えた王妃は、しゃんとしたジンへ優しく笑い「仲良くしてくれてありがとう」とだけ言ってフロアを出てゆく。
 グランジも付き添ってでてゆき、しばらくは顔に手を当てて項垂れて居た。

 そんなキリヤナギが早退したその日、普段通り屋内テラスへ現れたククリールは、いると思って居たキリヤナギがいない事に不満そうな表情をみせていた。

「よ、姫。王子は帰ったぜ」
「風邪だそうだ」
「まだ何もお話していないのですが……」

 しかし当たってもいて悔しくも思ってしまう。ククリールは、この2人といる意味はないと判断し身を翻した。

「では特に用事はないので、今日は失礼しますね」
「王子いないなら帰るって、デレデレじゃん姫」
「私は、あくまで王子と『友達』をやり直してるだけで……」
「ほいほい」
「なら、カレンデュラ嬢。久しぶりにこのアレックス・マグノリアとお茶などは如何かだろうか」

 席を立ち、一例したアレックスにククリールは意表をつかれた。彼は学生としてではなく「貴族として話さないか?」と誘っている。
 選挙以来だと、懐かしくも思え感心もしてしまった。

「アゼリアさんがこないならよろしくてよ」
「あ”?? 言われなくても行かねぇよ!」
「悪いな、ヴァルサス」
「ちっ、貴族は勝手にしやがれ!」

 ヴァルサスは怒って荷物をまとめその場から去ってしまった。
 その日3人はそこで解散し、アレックスとククリールは放課後、最上階のカフェで待ち合わせをする。
 高階層から見下ろせるそこでは木々に囲われる王宮もみえて思わずため息が落ちた。

「遅れてすまない……」

 響いた声はアレックスのものだ。
 高貴な彼は、ククリールが先に授業を終える事を見越しカフェでの席を確保してくれていた。
 退屈もしないようにと歴史に関する本まで用意してくれていて、忘れかけていた貴族としての待遇にククリールも自然と引き締まる。

「お気になさらずに、お誘い光栄ですわ。マグノリア卿」
「歴史が趣味と聞いて用意させたが、楽しめたかな?」
「えぇ、とても」
「ならよかった。応じて頂けて私も光栄に思う」
「今回は私に何か?」
「あぁ、カレンデュラ嬢。貴方が今、王子の事をどう思っているか伺いたくてね」

 少し、驚いてしまった。
 貴方がそれを聞くのかという率直な感想と共に、冷静になって「そうか」と納得にかわる。
 アレックスは、由緒正しきマグノリアの嫡男であり、その地位のまま行けば次期マグノリアの当主となる。それはたとえ公爵のして任命されずとも、かつて領主を任された名家として長く残るものでもあるからだ。
 そんな彼がここで、ククリールの「王子への感情」を問うのは、まさに「国の未来」を考えての事で、カレンデュラが「どうするつもり」なのかを聞いてきている。
 どう答えようかと、思わず悩んでしまった。しかし、貴族としてなら答えない訳には行かない。

「私もまだまとまってはいないのですが、思っていた人と違っていて、とても戸惑っています……」
「……そうか。私と同じだな」
「え……」

 思わず顔を上げてしまう。アレックスはお茶を飲みながら笑っていた。

「私もここに入学するまでは、年に数回の夜会や茶会でしか顔を合わせた事がなかったが、他愛のない話をする程度で本質など見えもしなかった」

 どう言葉を返せばいいか分からず、ククリールはもう一度俯いてしまう。優しい彼の態度に、許されていると錯覚してしまいそうになるが、それはきっと違うのだ。

「カレンデュラの事はどこまで知っておられるの?」
「カレンデュラ公爵閣下に関しては、私も詳しくは存じない。父はおそらく昔のよしみで敢えて話さないのだろうが……」

 現マグノリア当主エドワードとカレンデュラの当主クリストファーは、シダレ王のかつての学友であり、これは他の貴族達との周知の事実だ。
 アレックスもまたその関係性について知らされており、マグノリアからみればカレンデュラは信頼がおけることから、交易を長く行う擁護派の貴族でもあった。よってアレックスがカレンデュラへ偏見を持たぬよう。カレンデュラ家と王族オウカ家との溝については詳しくは聞かされては居ない。

「そう、ですか……」
「よければ知っている範囲でいいので、聞かせてもらえるなら嬉しい」
「……そうですね。おそらくきっかけは数年前のジギリダスでの内戦でした。難民が大量にながれこんで、領内へ居座り、付近の街を荒らして不法なことばかりやりだして、それはガーデニアからの技術が追いついて居ないカレンデュラではとても対応が追いつかなかった。拘束しようにも人数が多すぎて収容もできず、工作員がいるかもしれないって国は受け入れようともしない。そんな半端な状況が数年続いて土地がめちゃくちゃになって、やっと難民としてを受け入れができるとおもったら、他の貴族はみんなカレンデュラを使命を果たせていないと攻め立ててきた。お父様はずっとシダレ陛下を信じてたのに、守っても貰えずに今まで来たから、私はそのせいだと思ってます」
「難民は送り返せなかったのか?」
「送り返せたらとっくに返せた。どんなに追い返しても、ジギリダスは音信不通で難民は国境沿いに移動するだけ、騎士団の目の届かない小さな街はいつのまにか乗っ取られるぐらい深刻な状況なのに、王族は現場を知らない半端な宮廷騎士ばかりをよこして、こっちも好き勝手……もうどちらが味方かわからなくて酷いものだった」
「……」
「そんな時、王子が首都で王宮を抜け出しては遊び呆けてるって聞いて、一泡吹かせてやりたいって思っちゃったの。一度どん底に叩き落としてやりたいって……。でも、ここで再会したあの人は、私以上に沢山の敵に囲まれて居た。カレンデュラが使命を果たせなかったせいで、もう何十年も命の危機があったのだとわかって、私は貴族としてなんて事したんだろうって」
「……そうか」
「……白い目で見られても仕方がないことだって、ここに来てやっとわかったの。私、王子に自己中って言ったのに、これじゃあどちらが自己中か分からないですね……」

 目を合わせずに苦笑する彼女を、アレックスは無言でみていた。王子への襲撃は今年に入ってから顕著だとは言われているが、水面下では年に数回は起こっており、中には王子本人が遭遇して撃退したとされるものもある。
 内戦との関係性は不明瞭ではあるが、敵は確実に距離を詰め、誕生祭の事件にまで至った事は、国として「あってはならない」ことであり、それを許した貴族は公爵として相応しくないとも言える。

「なるほど、カレンデュラはよく理解した。もう一つ伺ってもいいかい?」
「? なんでしょう?」
「ククリール嬢。私は今一度、貴方と婚約出来ればと思っている」
「え……」

 真っ直ぐな目に、ククリールは思わずカップを落としそうになる。意味が理解できた直後、考えて居たことが吹っ飛び固まってしまった。

「じょ、冗談……」
「まさか。貴方が一年の時からずっとこの気持ちは変わらない。王子よりマシだと言われた時も本音は嬉しかったものだ」
「……そんなの」

 アレックスは笑っている。しかしその目は真剣でもあり、ククリールは本気だと理解した。突然の告白に返す言葉もなく押し黙ってしまう。

「このタイミングで悪いとは思っている。だが、今でなければならないとも思ったんだ。貴方が王子の感情へ悩み、決断をする前に、もう一つの選択肢として私も候補であって欲しいと」
「……こ、こんな貴族の立場も、危うい私に何のメリットが……」
「そんなものしらん」
「は……」
「王子と同じように、忖度なく自分の気持ちを伝えてくれる女性は貴方ぐらいだからな。見合いでもってこられる女性は皆は従順すぎて誰も惹かれなかった」

 尚更パニックになり、ククリールは顔を真っ赤にしている。

「ごめんなさい、すぐ、答えは、出せない……」
「えぇ、むしろゆっくりと考えて欲しい。これで王子と対等になれた」
「対等……?」
「誕生祭の時点で告白するのは、フェアではないと思っていたんだ」
「……! 律儀なのね」
「王子が挽回できなければ、頃合いを見て話すつもりだったが、早めに切り出せてありがたい。良い返事を待っています」

 アレックスはそう言って一礼し、ククリールの前から去っていった。しばらく呆然としていたククリールは、その事実を理解する為に数十分1人で項垂れる。

 アレックスとククリールと別れたヴァルサスは、一人酷いストレスを抱えながら授業を終えて、オウカ町を歩いていた。
 貴族たる2人の間に、一般平民たるヴァルサスが入れないのは理解できるが、突然「お前は来てほしくない」と言われ、怒りが収まらない。
 元々貴族と関わりたくなくて王子に絡んでいたのに、いつのまにか周りが貴族ばかりで本末転倒だとも思う。アレックスの派閥が解体され、絡む意味もなくなったことから、この辺りで終わらせるのもありだろうとも考えた時、ふと脇のハンバーガーショップが目に入った。
 午後のこの時間は、小腹が空いた学生達や親子連れなどで賑わい、カウンターには列ができている。ヴァルサスは無意識に中を覗き電子通貨カードが使えるか確認していた。
 箱入りの彼が行ける店はあるだろうかと、立ち寄る店舗は確認していて、いつの間にかそれが癖になっている。食べ物は厳しいとは聞くが、騎士といれば大丈夫らしく、新しい店にゆくたびに楽しそうにする彼の顔が浮かんでいた。
 ハンバーガーショップでの電子通貨カードは、申請中と書かれており、まだ先になることがわかると、ヴァルサスは現金で3名分のセットを購入し王宮へと足を運んだ。
 最悪、追い返されれば兄と食べればいいと思ったが、玄関へ顔を見せると既に覚えられており、簡単な身分証明だけをされて通してもらえる事になった。

「ヴァルサスさん。ようこそ、殿下です?」
「はい、お見舞いに、これ差し入れ」
「ちょうど退屈されてたので喜ばれます」
「寝込んでないんですか?」
「普通の風邪なので、そこまでひどくないというか」
「会っていいんですね」
「ヴァルサスさんだし?」
「……」

 ジンは相変わらずでヴァルサスは不安になってしまう。

「差し入れって食べ物ですか?」
「え、はい」
「俺も少し貰うけど構いません?」
「それ見越して3人分」
「マジ? 建て替え……」
「いいですいいです。差し入れなんで……気にするなら今度奢って下さい」

 ジンは複雑な表情をしていた。
 居室フロアには相変わらずセオがおり、今日はグランジもいる。差し入れがあると知ったセオはお茶を置いて、後で部屋へもってきてくれると言ってくれた。

「ヴァル……」
「元気そうじゃん」

 広い自室へ入るとキリヤナギはバツ悪そうにベットに座っていた。少し機嫌が悪そうにも見えて、珍しいとも思ってしまう。

「聞いてよ。セオもジンもグランジも部屋から出してくれない、ひどい」
「風邪だろ。寝とけよ」
「もう治ったし」
「熱あったじゃないっすか」

 ジンが困惑している。
 子どものようだが、ヴァルサスも治りかけは同じ経験があってわからなくもなかった。

「ククにも先輩にも会えなかったし、また欠席が……」
「……あのさ、王子」
「? 何?」
「俺、一般なのにほぼ顔パスだったんだけど、怒られねぇの?」
「え、別に、なんで?」
「なんとなく?」
「もう僕のこと怒るの父さんと母さんぐらいだよ?」
「どんな基準だよ。俺は立場的な話してんだけど……」

 立場と聞いてキリヤナギは少しだけ考える仕草をみせる。何を考えているのだろうと思ったが、返答は思いの外すぐに帰ってきた。

「僕が信頼してるからいいんじゃないかな?」
「なんだそれ、騙してたらどうすんだよ」
「それ以上はジンの仕事だし?」
「丸投げっすね……」

 機嫌が悪そうに見えた表情は、普段通りの彼の顔へ戻りヴァルサスは先程の事がどうでも良くなって居た。ククリールの辛辣な言葉はいつものことなのに、アレックスにまで続けられ、少しつらかったのだと思う。

「俺、一般だしさ。本来なら関われないわけじゃん。だから時々思うんだよ。こういうのよくないんじゃないかとかさ」
「僕は嬉しいんだけど、みんながみんな良いとは思わないのはそうかも、色んな人がいるし」
「そうだよな……」
「でも、それで言いなりになっても誰も幸せにならないから、結局自分がどうしたいかじゃないかなぁ」
「幸せ?」
「だって、僕からしたら『余計なお世話』だし……」
「殿下、直球すね」
「誰かはその人の為を思って『お世話』してくれるのかもしれないけどさ、『お世話』される側が嬉しくない『お世話』されても困るよ?」
「そ、そうだけどさ……」
「でも僕、ヴァルの『お世話』なら安心できて、タチバナ軍も休んだし、今日も早退もしたし、お陰でうまくいったから間違いないなって」
「……」
「きてくれてありがとう。何かあったなら聞かせてよ」

 少しだけ泣きそうになっている彼に、キリヤナギは意表をつかれていた。
 ヴァルサスが、先程の経緯を話そうとすると、入り口からセオがワゴンとともに現れ、ジンとヴァルサスが絶句する。
 そこには、皿の上へ綺麗に等分に切られ、盛り付けられたハンバーガーがあり思わず言葉に迷ってしまった。

「これサンドイッチ?」
「ハンバーガーって言ってさ……」
「セオ、何で切ってんの……?」
「え、何かまずかった??」

 セオは「ハンバーガーはそのまま食べるもの」だと言われ、さらに衝撃をうけていた。彼にとって食事は、作る事が当たり前で、誘われない限り外食もすることもほぼなく縁がなかったのだ。

「も、申し訳ございません、ヴァルサスさん……」
「い、いえ、気にしないで下さい」
「これ挟んであるのハンバーグだよね? ナイフとフォーク?」
「そっからか……??」

 冷静になるとハンバーガーショップも、このオウカへ出店して10年も経っては居ない為、貴族にはまだまだ縁のない店なのだろう。
 ヴァルサスは包み紙をもち、かぶり付くキリヤナギが少し見たかったが、ジンのお手本をみて嬉しそうする彼へ安心もしていた。

「ジンさんは知ってるんすね」
「俺、騎士貴族ですけど、どっちかっていうとヴァルサスさんと同じ一般寄りなんで」
「ジンもよく行くの?」
「時々? アークヴィーチェにいた時に、カナトにお使いさせられてましたね」
「お、お使い?」
「カナト、このジャンキーな感じが好きみたいで……」
「へぇー」

 騎士がお使いとはどう言う事だろうと、ヴァルサスは言及するか酷く迷っていた。
 初めて食べるそれに王子はとても楽しそうで、ヴァルサスの気持ちも晴れてゆく。嫌味もなくこちらの好意を最大限に受け取ってくれる王子に、少なからずヴァルサスも救われていた。
 

「クク、ちょっとひどいね。僕ならまだしも、ヴァルにまでそんな事言うなんて……」
「擁護しねぇの?」
「僕は仕方がないところあるけど、ヴァルは関係ないし?」
「仕方ない?」
「嫌われてるから?」
「最近そう言う気配なくね?」
「かな? でも優しくされると逆に不安になるから、怖くて……」
「どんな感覚だよ」

 言葉にできず「うーん」と考え込む王子にヴァルサスは呆れて居た。しかし、彼女に想いを寄せるキリヤナギが、彼女の味方をしないのも意外で真意を聴きたくなってしまう。

「てっきり、姫に着くと思ってたのに意外だわ」
「そかな? でも貴族の言葉って重くて、その言葉一つで人の人生変えちゃったりするし、気をつけないとなんだよね。今は学生だから気にしなくていいんだろうけど……」

 人生を変えると言われ、思わず息が詰まるものを感じる。たしかに俗に言う領主や王の言葉は、逆らうことが許されず命令権として行使されるからだ。
 当然、本人の意図を汲み取らなければならないが、乱用されればどうなるか分からない。

「ヴァルが一般だってわかってるのに、あえてそう言うのは心がないなって……」
「王子が言うか……?」
「それこそ、ヴァルのいう立場の話?」

 気を使えたはずだと、王子は話している。彼が言うのもピンとこないが、ククリールがキリヤナギに対して発する言葉と、ヴァルサスに対して言葉では、かかる「言葉の重さ」に違いがあり、それは立場に差があればあるほどそれは重く重要になってゆく。
 ククリールがキリヤナギへ命令してもキリヤナギは従う必要はないが、ヴァルサスに向けられれば、逆らう事は許されない。
 今はお互いに「学生」であり、校則にも権力的立場においての命令は「学生」である限り効力はないとされているが、自身の立場を理解した上であえて貴族として振る舞うのは一般学生への圧力にも等しく、かつてアレックスがやって居たことと同じだからだ。
 しかし、散々辛辣な言葉を受けているのに、今更何を気にしているのだろうとも思えてきて情け無くも感じる。

「言葉って、その時の心持ちで思いも寄らないところで傷ついたりするから、難しいよね」
「別に傷ついてねーし、久しぶりに貴族にムカついただけだよ」
「ほんと??」
「そうだよ!」

 不安そうに覗き込むキリヤナギに、ヴァルサスはそっぽを向いている。ジンはそんな様子を見て、毒味を終えたものをキリヤナギの前へ配膳していた。
 
「なんかもういいや。思い返したらいつもの事だし……」
「付き合わせてるの、多分僕の所為だからヴァルは無理しないでね……」
「いつも思うけど、本当姫のどこがいいんだよ……」
「僕は、自分を客観視させてくれるところかなぁ……貴族の世界ってククみたいな人。本当に居なくて、嬉しいんだよね」
「なかなか居ないって、逆にどんな人が多いんだ?」
「僕が王子だからだろうけど、女の人なら、喜ばせてくれる人とか、なんでも言うことを聞いてくれる人とか、僕の為を思ってアドバイスくれる人とかかな……、でもそう言う人にはだいたい利権があって、将来公爵になりたいとか、兄弟を近衛兵として抜粋してほしいとか、そんな希望をもってみんな優しくしてくれるけど、僕はそれに答えられないから……」
「……」
「優しくしてもらえたら、何か返さないとって思って面倒だなって……」
「へぇー」
「ククは真逆だったからさ。利権が何も無いのは僕からしたら気楽で、素直に色々話せるのがありがたいなって」
「……」
「ヴァル?」
「王子ってそんな色々考えてたのか……」
「え”っ」
「殿下、やっぱり誤解されてんすね」

 ジンの一言は余計だと、キリヤナギは怒っていた。切られたハンバーガーも味は変わらずセオも給仕をしながら二人の談笑を楽しんでいる。

「と言うか、結局付き合いたいんだよな、それ」
「え、うん。一応……? このままでもいいかなって思ってだけど……」
「今なら普通にオッケーされそうじゃね?」
「そうかな……?」
「何かあるのか?」
「色々……、一度振られたから自信なくて……友達のままの方がいいのかなとか」
「どんな振られ方したんだよ」

 言葉に渋るキリヤナギにヴァルサスは首を傾げて居た。ジンはいつのまにか入り口で警備兵として立ち、セオも給仕で控えている。

「付き合えたらいいなぁ……。でも、ククにも幸せになってほしいから、僕はそう言う国にする努力をした方がいいのかも」
「悟ってんな……、つーか、せっかくいい風吹いてんだから諦めんなよ……」
「……そっか、ヴァルがそう言ってくれるなら、また頃合いをみて伝えてみるよ」
「おう、こう見えて応援してるし」
「ありがと」

 そこからは2人でゲームをしたり、他愛のない世間話を延々としていた。そして日も暮れる頃合いにヴァルサスは騎士・アゼリアと帰宅してゆき、キリヤナギも夕食の席へと向かう。
 付き添いはグランジに任せ、ジンは束の間の休憩時間だが、先程のヴァルサスとのやりとりを聞いてジンは少し複雑な感情を得て居た。

「カレンデュラの件、殿下気づいてる?」
「気づいてるね……」

 他の6人の公爵家達の間で、カレンデュラ公爵家を公爵より侯爵へと降格すべきでは無いかと言う話が出ている。
 それは、かのカレンデュラ公爵家は家長が、王子の誕生祭にも姿も見せず、連絡も事務的なものばかりで、王はもう数年間まともに会話もできて居ないからだ。
 それもここ数年で何度も不法入国を許し、かつガーデニアの技術支援がありながらも首都への移動を許していることから、その指揮力も問題視もされつつある。
 もともと侵入されやすい土地でもあり、ある程度は仕方ないとはされてはいたが、敵を追いきれずにいる事はやはり領主としてあるまじき事だとも言えるからだ。

「どっから漏れたんだろ」
「勘じゃない?」
「マジ?」
「それとも夏? 会いにきてくれた御曹司や令嬢に色々言われたんじゃないかな? カレンデュラはやめとけ、みたいな」
「『余計なお世話』すぎる……」
「『学生』の時ぐらい、ほっといてくれてもいいのにね……」

 セオとジンからすれば、『学生』である時ぐらい、何者にもしばられず、好きに恋愛をして、自由を謳歌してほしいと願っているが、周りからすればそれは危うく、どうしても国の将来を考えてしまうのだろう。
 王族から距離を置く公爵は、もはや他の貴族から信頼を失い、それを許す事はできないと、皆が皆、口を揃えて王子へ釘を指しにくる。
 一般ならそれを押し切る事はできるが、キリヤナギは王子であり、それは『祝福』されなければならない。

「婚約できる?」
「厳しいんじゃないかなぁ、側室ならありだけど、シダレ陛下が望まれなかったからね……、陛下が求めなかったのに王子が求めるのも違うし?」
「シダレ陛下って一途?」
「一途と言うか、学生時代にご兄弟亡くされて心を閉ざされちゃったんだよ。ヒイラギ王妃殿下が唯一の安息で、キリヤナギ殿下が男子だったのが本当奇跡……」
「兄弟は……?」
「殿下生まれて数年後からちょくちょく喧嘩が増えて、何もしないまま今まで……」
「それ、聞いてたけど何があったかしらねぇの?」
「これは本当、使用人の間でも誰も知らないんだよ。でもその頃から過干渉も悪化して、結果的に殿下病んじゃうし……もう……」

 正当な後継者は、キリヤナギしかいない。
 1人しか居ないが故に、周りは常に最善を求め、期待し、それを王子へと押し付けてくる。キリヤナギは、それに応える為に努力を惜しまず、耐えつづけ、自分を殺して潰された。
 今は結果的に理想の王子となり、過去にあった風当たりもほぼ無くなったが、ククリールと関わる事で再度それが起こっていることに呆れ、言葉が浮かばなかった。
 
 しかしジンは、これは「正解」なのではないかと考察する。
 ククリールへ好意をよせるキリヤナギが、「ジンが好きだった王子」にもどる足掛かりとなるなら、それは応援すべきであり、あるべき形だとも思うからだ。

「ジンはどうなって欲しい?」
「俺は、殿下が幸せならいいかな」
「建前に聞こえるけど……」
「なんで……?」
「ジンって気遣いができる自己中だし?」
「ひどくね??」

 しかし正しくも思い、言い返せなかった。確かにキリヤナギ以外には全く興味が湧かず、セオには彼のことばかり聞いてしまう。セオやグランジは知りたいとすら思った事がないのはやはり答えなのだろう。
 彼はそれを察しているのか、何の疑いもなくこうして付き合ってくれる。

「これが殿下じゃなくて、本当自分中心なら友達になれて無さそうなのに、ジンは殿下が全てだから全部許せる不思議」
「ちょ、直球……」
「ま、そこが信頼できるんだけどね」

 一周回って許されている。
 確かに社交的であるなら、今頃アークヴィーチェにも送られず、出世街道にも乗って騎士長にも推薦されていたのだろうが、ジンはそんなものに興味はなかった。
 キリヤナギの近衛兵として、キリヤナギに許されている今が、まるで型にピッタリ嵌るような心地よさを得ている。

「確かに俺、前の殿下のが好きだし……」
「それ本音?」
「本音」
「ふーん?」
「何……」
「前言撤回しようかな……」
「え”……」

 焦るジンにセオは笑っていた。
 彼もまた、信頼を失うことに不安を持っていることがわかり、無関心というわけでは無いと理解もできたからだ。

「殿下が好きなら、殿下がどうしたら生きやすいか考えてもいいんじゃない?」
「周りが変わればいいだろ?」
「それが自己中なの!!」

 理解はできるが、実行はしたく無いと思ってしまう。たしかにこの性分のセオがずっと側に居れば、キリヤナギのあの性格も納得ができた。
 反論をしたいとセオの言葉にどう返すか考えていると、夕食にでていたキリヤナギが、早い時間に戻ってきて驚いてしまう。顔が赤く、少しぼーっとした表情に2人は察した。

「殿下、調子悪い?」
「眠い……」
「今日は早めに休んだ方がいいと返された」
「お熱計りますね。お部屋へ」

 手を引かれるまま、キリヤナギはセオと自室へ消えていった。
 そんなキリヤナギが休む頃、ククリールは一人、ベッド上で膝を抱えて居た。昼間の告白が頭から離れず、ずっと考えていたらいつの間にか日が暮れて真っ暗になっている。
 我に帰ってあかりをつけると、昼間激怒していたヴァルサスが頭によぎり、少しだけ罪悪感が芽生えて居た。
 貴族同士の対話へ一般の彼がいるのは気を遣わせると思い、出た言葉だったが、立場の差など彼が一番理解していることでもあり、言い過ぎたのだろうと思う。
 悩んだが、ククリールは重い腰を上げ個人通信をヴァルサスへと飛ばした。

@

 そんなヴァルサスは、帰り道に買った漫画雑誌を読んでいた。
 昼間のストレスはどうでも良くなり、明日もまた普段通り過ごせるだろうと思っていたら、枕元の通信デバイスに着信が入り、ククリールのものからで驚いてしまう。迷わずでるとそれは彼女らしく「ご機嫌よう」から始まった。

『アゼリアさんのデバイスで間違いないかしら?』
「お、おう。そうだけど……」
『昼間はごめんなさい。貴方に気を使わせたくなかったの、きっと入れない話をしてしまいそうだったから……』
「……姫」
『「貴族」としての立場的な深い意味は無くて……貴方を締め出す意味ではなかったの……繰り返しになるけど、ごめんなさい。以後気をつけます』

 想定外の反省の言葉に、ヴァルサスはしばらく反応ができなかった。どう返せばいいか分からなかったが、その言葉を聞きながら、ヴァルサスは王子の言葉を思いだす。
 キリヤナギは、ククリールの素直な言動が好きだと話して居たのだ。
 ヴァルサスには気を使うべきと話し、本末転倒だとも思ったが、社交辞令という相手を喜ばせる「嘘』の方が面倒だとも思え、嘘をつかれるぐらいならそのままの方がいいとも思う。

『それでは、本日はこれで……』
「姫、いいぜ、そのままで」
『え……』
「俺ら『学生』だろ? そんなん気にすんな」
『でも、怒ってらしたから……』
「俺も兄貴が感染症になって気が立ってたんだよ。せっかく『学生』なのに、いちいち立場気にする方が面倒じゃん」
『……』
「昼間の態度が気楽ならそれでいいんじゃね」
『それは……』
「ちゃんと謝れる奴ってわかって安心した。それわかってくれてんなら、俺は文句ねぇよ」
『……』
「また明日話そうぜ」
『アゼリアさん……。ありがとう、また学院で』
「おう、おつかれさん」

 ヴァルサスは通信を切り、ほっとして居た。
 ククリールは、赦されたはずなのに何故か胸が締め付けられる思いを感じて居た。

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「殿下、マジでいくんすか?」
「いく。今日生徒会で、文化祭の初会議」

 朝、熱が下がったキリヤナギだが、午前は様子見るべきと念を押され、午後から登校の準備をしていた。
 昼食を終えて意気込むの彼にセオも呆れて、ジンも心配が隠せない。

「また熱でるかもしれないのに……」
「もう大丈夫!」
「昨日そう言ってダメだったじゃないっすか」
「ジン、こっち戻ってから五月蝿くなったよね?」
「殿下がこんな危なっかしいなんて知らなかったんすよ」
「今更過ぎない??」

 セオの突っ込みもうるさいが、キリヤナギは無視して自室を出てゆく。追いかけてゆく様子を、グランジとセオに見送られ、二人は王宮の通用口から外出した。

「生徒会って何時までです?」
「嘘、生徒会は来週」
「はーー??」
「だって休んだら部屋から出してくれないし」
「そもそも病気なのに……」
「もう元気だよ?」
「……」

 何も言えず、頭を抱えるジンをキリヤナギは楽しそうに見て居た。不敵なその笑みにジンは呆れながらも察してしまう。

「生徒会終わる頃に迎えに行けばいいです?」
「うん、ありがとう」

 今日もまたジンは共犯だ。
 しかしこれは、今に始まったことではなく昔からのことでもある。

「調子わるくなったら連絡してくださいね」
「それはちゃんとする」

 駆け足でキリヤナギは学院へと急ぐ。
 セオやグランジにすら明かされないキリヤナギの嘘を明かされ、ジンは少しだけ嬉しかった。
 それこそ数年前、一緒にこのクランリリー領を走り回っていたことを思い出し何故か笑みすら溢れてしまう。

「じゃあまたあとでね」
「お気をつけて」

 ジンは、学院の騎士と挨拶を交わし今日も登校してゆく彼を見送った。
 学院で普段通り合流した3人は、復帰してきた王子を迎え、普段通りの日常を過ごす。

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