「戦線布告??」
次の日。ククリールはかつてないほど消沈して項垂れていた。昨日、唐突にテラスへ現れたルーカス・ダリアが率いる男性生徒達は、「非公式ククリールファンクラブ」と名乗り、今回「タチバナ」軍を率いるキリヤナギへ戦線布告をしてきたのだ。
そもそも三つ巴で争う「体育大会」で「戦線布告」もよくはわからず、冷静に話を聞くと去年の秋からずっとククリールと一緒にいるキリヤナギが煩わしくこの体育大会でククリールを掛けて決着をつけようと言う事だった。
「姫を賭けて決闘……? 漫画の読みすぎじゃね??」
「ルーカス先輩は本気みたいだったけど、それ以前に『ククがすごい嫌がってるからやめて』って言ったら黙って帰っちゃった」
「王子って意外とそう言うのはっきり言うよなぁ、と言うかそんな奴先輩じゃねぇよ。呼び捨てでいいだろ?」
「でも年上だし……」
「問題はそこではないと思うが……」
ククリールがずっと黙っていて、キリヤナギは心配になってしまう。ファンクラブがあった事にも驚いたが、それが彼女の意思に反していたのも衝撃だったからだ。
「クク、大丈夫?」
「……五月蝿い」
「つかぬ事を聞くが、ククリール嬢もアレをどうにかしたかったから王子と居たんじゃないのか?」
「へ?」
「えぇ」
「あーなるほどなぁ」
ヴァルサスも何故か納得して、首を傾げるキリヤナギをみる。彼らは去年の秋以前からククリールを追いかけていたと話していたのだ。つまりファンクラブ自体は、既に去年の夏以降にも存在していたことになる。
「王子と適当に絡めば、アレもそのうち消えると思ってたのに……まだあったなんて……」
「私も当時、一つの派閥として警戒はしていたが、動きがなく選挙も終わったので解散したと思っていた。王子が告白したからだと思っていたが」
「元々あった?」
「そうそう、王子と居れば付き纏われることもないって魂胆だろ? 俺と同じだな」
「そうよ」
「最初からそう言えば、王子も別に拒否することもなかったのでは?」
「借りを作りたくなかっただけ! 利用して悪かったわよ」
「反省してねぇなぁ……」
そっぽを向くククリールを、アレックスとヴァルサスが睨んでいるが、キリヤナギは少しだけ不思議な気分だった。もし彼らとキリヤナギが同じなら、かける言葉もないと思っていたのに、彼女は何も言わずとも「必要としてくれていた」からだ。
「でも僕、ククの役に立ててたならちょっと嬉しい……」
「王子……」
「ここはちゃんと怒った方がいいぞ……?」
嬉しかったのに怒った方がいいと言われてもよくわからない。ククリールは目を合わせてくれないが、少しだけ反省しているようにも見えたからだ。
「じゃあ僕、体育大会で優勝してファンクラブ解散させるね」
「お、珍しくはっきり言うじゃん」
「優勝か。大きくでたが『タチバナ軍』なら、ファンクラブと相性が悪くもみえる。手は抜けないな」
ククリールはテーブルに突っ伏しながら、嬉しそうなキリヤナギを観察していた。確かに「優勝しろ」とは言ったが、ファンクラブの解散まで頼んだ覚えないのに、勝手にそれをやろうとしてくれている。
「らしい」とは思うが、まるで利用しているようにも感じて罪悪感が込み上げてきていた。
「別に頼んでないんだけど……」
「ククが困ってるし」
「『戦線布告』をされたなら同じだろ? 気にするなら『ついで』とでも思っとけ」
「ヴァル、それは失礼だよ」
「『ついで』ならいいわ。その方が気楽だし……」
「ククリール嬢。少しは気持ちを汲んでやってもいいのでは?」
「僕は十分汲んでもらっててるから、大丈夫。頑張るね」
アレックスは首を傾げるが、キリヤナギの強気な態度にも感心していた。今日のお弁当には、セオのコロッケが入っていてキリヤナギはとても嬉しくなる。あとで食べようと気を取られ、目の前の彼らが固まっていることにも気づなかった。
3人が見つめるその影が真後ろに来た時、彼女は突然キリヤナギに抱きついてくる。
「キリ様ーー!!」
「わぁぁぁあ!!」
がっちりと胴を両手で固定され、逃げられない。暴れても動けず、頬擦りされてパニックになる。
「お久しぶりです、キリ様! 長い間お顔を見せられずごめんなさい。私も多忙でお会いできるタイミングがなく、今しかないと足を運ばせて頂きました。体育大会を主催されているのですね。流石キリ様ですわ! このミルトニア、キリ様が参加されると聞いて全力で応援させていただこうと……」
突然のマシンガントークに、全員が驚いてフリーズしていた。キリヤナギに至っては驚きが一周まわって気絶しかけている。
「キリ様ー!! 大変ですわ! 今医務室へお連れしますねー!!」
「まてまてまて! 連れて行くなー!」
アレックスとヴァルサスが必死に止めてくれて、キリヤナギはテラスの柱に隠れながらミルトニアと対面していた。彼女は距離をとりながらも久しぶりにみたキリヤナギに感動し、持ってきたカメラで沢山写真を撮っている。
「ご安心くださいませ、キリ様。体育大会を主催されると伺い、私も参加させて頂くことにしましたの」
「ま、マジか?」
「ちょっと【千里眼】あるんでしょう?」
「えぇ、残念ながらこの【千里眼】にて、所属チームは別となってしまいましたが、このミルトニアは『体育大会』にて、キリ様の試練となるべきであると考えました。
たとえ敵となったとしても、倒されることで貴方の糧となれるなら本望です! さぁキリ様、思う存分に戦いましょう!」
首を振るキリヤナギは、もはや返事すらまともに返せない。言動から感じる狂気に、誰も返事を話せないまま彼女を見守るしかなかった。しかしキリヤナギは、人が足りないことを知り、影ながら参加してくれた彼女の気持ちを無碍にはしたく無いと息を呑みながら口を開く。
「……ミント、ありがとう。がんばろうね……」
そう言った直後、彼女が突っ込んできた。抱きつかれて押し倒され、軽く頭を打ったキリヤナギは、ショックと痛みで結局医務室に運ばれ、その日の午後の授業は欠席してしまう。
少し眠ってもショックが抜けきらず項垂れていると、授業を終えたヴァルサスとアレックスが迎えに来てくれて安心した。
「王子、大丈夫かー?」
「大丈夫……」
「本当か? 自分の名前をいってみろ」
「きりやなぎ」
「正気だな……」
「これから一応集会だろ?」
「タチバナ軍」が決まり、キリヤナギは共に参加する彼らに連絡を回し「リーダーを決める為に集まりたい」と言う旨を伝えていた。希望者は集まって欲しいとメールで回すと、数十名から返信があり体育館にきてくれる手筈になっている。
「いける……よく寝たし」
「無理すんなよ……」
医務室の顧問に見てもらっても軽く打っただけで問題ないとされ、3人は体育館へと向かった。そこには既に、模造刀を出して待っている彼らと、既に集まっているシルフィのチームの彼らもいて安心する。
顔を見せたとき「本当にきた」とか「本物?」と言う感想に、少し驚きながら自己紹介すると「知ってる」と言われて笑われてしまった。
少しづつ集まり、約束の時間にはメールで聞いていた皆が揃って安心する。
「皆、来てくれてありがとう。キリヤナギです、よろしくお願いします」
改めて挨拶すると何故か感心された。大勢の前に立つのは苦手だが、この人数なら、普段の使用人の人数と変わらなくて緊張も軽い。脇にはククリールも見学に来てくれていて、少しだけ嬉しくなった。
「早速だけど……」
皆の視線が少し恥ずかしいと思いながら、キリヤナギは脇に用意された模造刀を手に取る。握りを確認して構え、端的に述べた。
「来て」
「……! どう言う意味だ?」
アレックスの疑問に、キリヤナギは姿勢を崩さない。
「僕に勝った人がリーダーになればいいと思って」
「は?? 本気か。頭うってんだぞ?」
「大丈夫」
ヴァルサスもアレックスも言葉を失い、集まった生徒も騒ついている。唐突な王子の言葉に皆は模造刀を握った。
アレックスが一人づつでなければ誰が勝ったかわからないとし、順々にキリヤナギへと向かってゆく。
その動きは驚く程にしなやかだった。
まるで無駄がなく、体が風に乗るように動いて、生徒はキリヤナギへ一撃すら入れることができない。床へ倒されても果敢に向かってくる相手をいなし、背中を取って叩いてみたり、また武器の持ち手を狙って取り上げる。
そんなまるで遊ばれているような動作にヴァルサスはため息が落ちた。アレックスもまた愕然として、気がつけば全員床に膝をついている。
「……強すぎだろ」
「飲み物持ってきたから、休んでて」
生徒の愚痴に、キリヤナギは道中で買ってきた飲料を配る。一人一人にお礼を言って渡していると、彼らは悔しい表情を見せながらもキリヤナギを許しているようにも見えた。
「王子!」
ヴァルサスの叫びに、キリヤナギが顔を上げる。
「まだ終わってないぜ!」
模造刀を構えたヴァルサスが向かってくる。前期の護身術の授業で散々打ち合い、お互いに理解している2人は、ここに集まった生徒の誰よりも長くラリーを続け、皆を感心させた。
「先輩もきていいよ!」
「余裕だな。ならリベンジさせてもらう」
「なめんな!」
三つ巴の戦いに、ククリールは目を離せず、生徒の皆もまるでエールを送るように2人を応援していた。
連戦で体力が削がれているのに、まるで疲れを見せず汗だけが飛んで、それが空中へと散ってゆく。踊るように回避と攻撃を繰り返すキリヤナギは、ある一定のテンポに2人を慣れさせた後、ヴァルサスの足を引っ掛けて倒した。そして、残ったアレックスも背中を取って床へ倒す。
「優勝!」
「あーー!! 畜生!」
「なんて奴だ……」
思わず皆、拍手をしていた。皆に確認し、キリヤナギは「タチバナ軍」のリーダーとなる。
「怪我してない?」
「びっくりしました。でも全然痛くないです」
「よかった」
「王子、めちゃくちゃ強いんですね」
「僕もまだまだだよ。騎士のみんなはもっと強いから、がんばろ」
キリヤナギは誰よりも汗だくで既に上着は脱ぎ捨てていた。それでもとても楽しそうに話している様に、ククリールは目が離せなくなる。
その心境には少しだけ「かっこいい」とと言う言葉が浮かんでいた。本格的に「タチバナ」を学ぶのは明日からとなり、キリヤナギはその日は解散する。
ヴァルサスとアレックス、ククリールも帰宅してゆき、キリヤナギは1人でその日も門限までテラスで休むことにした。
沢山動いて眠く、バックを枕にして寝ていたらデバイスのバイブレーションで落ちていた意識が戻る。
暗くなっていて帰らなければと体を起こすと、向かい側のベンチに見慣れた新人の騎士がいて驚いた。
「お、おはよう御座います」
「……! シラユキ卿?」
「な、名前、はい! シズル・シラユキです。よろしくお願いします!」
「見ててくれた?」
「は、はい。一応は……」
「ありがとう……」
何故か悪い気はしなかった。
キリヤナギは、ジンとグランジに連絡をとり、今日はシズルと帰宅すると伝える。
「あの、煩わしければ遠慮なく仰って下さい。控えますから……」
「平気、いつもありがとう……」
「当然です」
暗い道を2人で歩く。もう少し日が落ちるのが早くなれば、そのうち帰宅も自動車になる。のんびり歩けないなぁと残念に思っていると、黙っていたシズルが突然口を開いた。
「騎士がお嫌いだと、伺ったのですが……」
「うん、嫌い」
「え”っ」
黙っていたらシズルは、立ち止まって慌てていた。少し面白くて観察していると、彼はショックを受けたように再び歩きだす。
「やっぱり、控えます……」
「騎士は嫌いだけど、シズルは嫌いじゃないよ?」
「え……」
「大丈夫」
少しからかってしまって申し訳なくなった。嘘がなく思ったことを伝えてくれる彼は、何故かとても安心ができたからだ。
夕食を終えて、居室フロアに戻ってきたキリヤナギは、ジンとリュウドから「タチバナ」の指南書をテーブルへと広げられて感動する。
古い文字だが、そこには各異能に対応した立ち回りが詳しくかかれ、それぞれの性質までもが細かく分析されていた。
「ジンもリュウドも遅くにありがとう」
「これ持っていいのジンさんだけだからさ、俺も読みたかったんだ」
「別に制約とかないんですけど、一応秘伝? みたいな扱いなんで、本家の人間でしか持てないんですよね」
指南書と書かれたそれは、確かに教本にも近い役割もあるが、内容の大半は各「王の力」の「性質」であり、その立ち回りこそは「個人の個性」であるものだと占められていた。
これはつまり、あくまで「基本」は存在するが、その対処法はそれに限らないと言う意味ともとれる。
「結局、『王の力』がどう言う理屈で動いてるかって話で、ここに書いてる立ち回りも確かに有効だけど、あくまで初見だけなんですよ。結局は性質知らないと対応されたらどうしようもないし、それに見合った動きを自分でみつけるのが最適解って事ですね」
「僕、型しか教わってなかった……」
「殿下に父ちゃんが教えたのは、あくまで【素人】向けので、簡単な護身術です」
「真似事は型しかやらないんだよ。でもそれでも【素人】には刺さるから、平和なら十分だし?」
「分析までガチでやって対策を考えるのは、反逆に近い思考なのであんまり好まれないのはそこかな……」
「へぇー、でも面白い」
「学生なら型だけで十分? でも殿下が筆頭なら知っといた方がいいと思ったんでもってきました」
「借りていい?」
「それはちょっと、写真なら?」
キリヤナギはジンの解説を聞きながら、デバイスで写真を撮ってゆく。リュウドも撮影し、2人でそれを読み込んでいた。
「【服従】って、無敵だと思ってたけど、意外と行けそう」
「そうなんですよ。でも、騎士の【服従】は、それをわかって使うので、そもそも効果がないようにさせるのが最適解になるって言う」
「なるほど、確かに」
「対応できると油断すると、必ず上を取られます。使ってリスクのある【未来視】や【身体強化】以外は、使わない理由がないので……」
「もしかして最強は【読心】?」
「そう見えます? 個人的には【身体強化】と【細胞促進】なんですけど……」
「【細胞促進】は触られただけで詰みになるからなぁ」
リュウドの素直な感想に、ジンは感心しているようだった。面白くて読み耽っていると、目の前のジンが恐る恐る口を開く。
「明日、学院に行けばいいんですか?」
「あ、うん! 放課後がいいけどお仕事大丈夫?」
「殿下を迎えに行く口実に合わせてくれるなら多分大丈夫です」
「わかった!」
「俺もいっていい?」
「いいよ!」
2人も納得されるだろうかと不安になるが、セオがキッチンで聞こえない振りをしていて安心もした。
帰りが遅くなるリュウドは、その日は居室フロアで一泊し、朝も一緒に登校した。
普段通り早足で教室へ向かっていると、いつも誰もいないグラウンドで練習する集団がいる。
声を張り上げているのはルーカスで、よく聞いていると「打倒! キリヤナギ!」と叫んで、周りの生徒から「無礼だ」とゴミを投げられていた。慌てていたら、知らない生徒が何故か背中を撫でて立ち去ってゆく。
ルーカスは素直に掛け声を変えていた。
体育大会が3週間前に迫り、生徒会は学院の裏手にある広大な演習場の下見へと向かう。
かつての王立の騎士学校を連想させるそこは、現代でも騎士や騎士学校の訓練に使われていて、草原や林、砂地なども再現された、本格的な場所だった。
生徒は皆、怪我をしないようにプロテクターをつけ、模造刀のみで鉢巻を奪い合うが、鉢巻をつける場所に制約はなく、腕や足、腰のベルトへ引っ掛けてもいいらしい。しかし、【千里眼】を持つ運営部へ見える場所につけなければ失格とされるルールだった。
「一応ルールブックにも記載済みですが、頭や首につけるのはリスクがありますので、見つけた際は体につけてほしいと指示を出してください」
「わかった。ルーカス先輩は大丈夫かな?」
「彼は去年も参加されていたので、きっと大丈夫ですよ」
「よかった」
安心した表現をみせるキリヤナギに、シルフィは笑ってくれた。何故笑ったのか分からなくて首を傾げていると彼女は察したのか「ごめんなさい」と謝ってくれる。
「戦線布告をされたと伺っていましたから
、てっきり敵対していると思っていました。やはり王子は王子ですね」
「え、うん。ルーカス先輩も僕もククに関しては同じだから……」
「そうですね。全力でぶつかれば、きっと分かり合えなくとも、新しい選択肢が見えることもありますよ」
シルフィの言葉はいつも安心するものばかりでほっとする。しかし彼女もまた連日の激務で少しだけ顔に疲れが見えてきていて心配になってしまった。
「シルフィは、休めてる?」
「大丈夫ですよ。忙しいですがちゃんと休めています。『体育大会』がおわれば次は『文化祭』もありますから、王子は体力を温存して下さいな」
少しだけゾッとしてしまった。「文化祭」はまだまだ先にはなるそうだが、秋は催事が多くて不安にもなる。でもそれでも、キリヤナギはこうして準備に参加できるのがとても新鮮で嬉しかった。
キリヤナギはその後も、生徒会の皆と共に、集合場所へ白線をひいたり、来賓用のテントの設置を行う。
それぞれのフィールドにフラッグを持ってゆき、皆で設置場所に問題はないかとか、壊れていないかなどを確認しながら作業を進めていた。
一通り終えた後、キリヤナギは再びシルフィと倉庫へ向かい、生徒の皆が使うプロテクターの数の確認を行う。
鉢巻のようにボロボロになっているものは間引き、汚れているものは洗うのを繰り返していると、気がつけば訓練の時間になっていて焦った。
「王子。こちらは大丈夫ですから、練習に参加してくださいね」
「え、でもまだ半分も終わってないよ」
「破損した物の個数は確認できましたから大丈夫です。それに私はチームリーダーではないので必須ではありませんから」
チームリーダーでは無いと聞いて驚いた。しかし確かに昨日リーダーを決めるために集まり、それで違う人物になったなら納得できる。
「わかった。じゃあまた終わって時間があれば続きやるね!」
「はい。ありがとうございます」
キリヤナギは後の作業をシルフィへ任せ、学院の入り口でリュウドとジンに合流し、3人で体育館へと向かった。体育館には既に皆が集まっていて、「王の力」チームの彼らも集まって話している。
そこのリーダーらしき彼は、シルフィと同じ金髪の男性で、見覚えのある雰囲気に、キリヤナギが思わず凝視していた。
「知り合いですか?」
「見た事ある気がして……」
ぼーっとみていたら、彼はこちらに気づき歩いてきた。怒っているような表情にキリヤナギは反応に困ってしまう。
「ご機嫌よう。王子」
「こんにちは、青チームのリーダーさん……?」
青の鉢巻をつける彼のチームは「王の力」を扱い、逆に「タチバナ軍」は赤、ファンクラブは、黄色で色分けされていた。
「僕を覚えて無いのか??」
「見た事は、ある気がして……」
ため息をついた彼にキリヤナギは申し訳なくなった。ルーカスの時よりも鋭い眼光で睨まれ、返事に困ってしまう。
「ツバサだ」
「へ……」
「2年ぶりになる。シルフィから忘れられていたと聞いていたが、本当に忘れているとは」
「え、シルフィは雰囲気が変わってて分からなかっただけで……って、ツバサってあのツバサ兄さん!?」
「遅い」
明らかにイライラしている。彼はツバサ・ハイドラジア。シルフィの兄にあたるキリヤナギの二つ年上の従兄弟だ。
最後に会ったのは18歳の誕生祭だが、その時からさらに成長が見えて驚いてしまう。
「シルフィが、どれほどまでに会うのを楽しみにしていたと? それを忘れていたなど罷り通るか??」
「ご、ごめんなさい。色々あって……」
「しるか! 昔からシルフィを振り回しておきながらそんな理屈が通るとでも?」
「それは、反省してる……」
「ハイドラジア卿。殿下は昨年度ご病気で……」
「騎士は黙れ。そんな言い訳は許さない」
ジンも思わず押し黙ってしまった。ツバサは隙を見せない剣幕でキリヤナギへと詰め寄ってゆく。
「たとえシルフィが望んでも、僕は王子を許すことはない。これ以上は近寄るな、目障りだ」
「騎士の横槍で悪いけど、兄さんのアンタが話したところで妹の意思は関係ないんじゃないか?」
「リュウド、僕は平気」
「……殿下」
「これは貴族の会話だ。この関係をなぁなぁにするのなら、僕がハイドラジアの家長になった時、お前などに仕えない」
「わかってる。ツバサ兄さんがそうしたいなら、それでもいい」
「は、潔いな」
「でも、シルフィは巻き込むべきじゃないと思う」
「! 今後に及んで……」
「僕とツバサ兄さんの関係が悪くなって、多分一番悲しむのは、きっとシルフィだから……」
ツバサの息が詰まり皆が黙り込んだ。額に手を当てて苛立っていたその目に、さらに闘志がやどる。
「本当にその傲慢さは昔から何変わっていない! 僕はお前が大嫌いだ王子!! 自分へ向けられる好意を当然のように享受するその態度に、どれほど妹が傷ついたか……」
「……数年、会ってなくて分からなかったのは僕が悪い。でも、シルフィは僕を助けてくれたから今はその気持ちに精一杯応じるだけだと思ってる」
「……!」
「シルフィをとってごめん。ても僕は、そんなシルフィ想いの兄さん、嫌いじゃないよ?」
キリヤナギの言葉に緊張していた空気が一気に緩んだ。ツバサは唇を噛み締めて身を翻す。
「この体育大会で、決着をつけてやる」
「うん。手は抜かないね」
敵意剥き出しとツバサと対比のように普段通りのキリヤナギは、ようやく待機していた「タチバナ軍」の皆と合流した。
誰も問いたださない空気に、ヴァルサスとアレックスが恐る恐る口を開く。
「みんな遅れてごめんね」
「王子、大丈夫なのか?」
「うん、ツバサ兄さんって昔からあんな感じだし」
「うそだろ……?」
「え?」
「普段通りなのか」
頷くキリヤナギにヴァルサスもアレックスも絶句していた。ジンやリュウドですらも言葉を失った態度に、キリヤナギは補足するように続ける。
「小さい頃、ツバサ兄さんはシルフィと遊びたいけど、シルフィは僕と遊びたいって言うのがよくあって……」
「何歳だそれは」
「6歳ぐらい?」
「王子はどうだったんだ?」
「2人とも好きだし、3人でって思ってたけど、ツバサ兄さんだけが帰っちゃったり、2人で喧嘩しちゃったり……、気がついたら会いに行っても口聞いてくれなくなって……」
「どっちが子供か分からないな……」
「でも、ツバサ兄さんはシルフィが大事なだけだし?」
「少しは巻き込まれていることを認識した方がいいぞ??」
首を傾げていると皆に呆れられてしまった。振り返ればツバサはまさにリーダーの顔となっていて、キリヤナギもまた頑張ればならないと気を引き締める。
「殿下って意外と自分にキツイ人には動じませんよね……」
「そかな? 優しい人よりかは信頼できるかなって」
「どう言う信頼なんだ??」
言語化を要求されると難しく、キリヤナギは結局アレックスの言葉に返答ができなかった。気がつけば、集まってくれた皆もこちらを見ていて、キリヤナギは彼らにジンとリュウドを紹介することにした。
本物の「タチバナ」である事に、ジンはあまり歓迎されないとは思っていたものの、キリヤナギが間に入る事で大半の生徒が真面目に話を聞いてくれて感心もしていた。
初日の練習を終えて、門限までまだ時間のあったキリヤナギは、生徒会の作業を手伝ってくれると言うシルフィの元へともどる。
「お疲れ様です。王子」
「ただいま、1人でやらせてごめんね」
「気にされないでください。あのそちらのお2人は」
「ジンとリュウド。手伝ってくれるみたいだから来てもらった」
「宮廷騎士団所属の特殊親衛隊のジン・タチバナです」
「同じくシラユキ隊、特殊親衛隊所属のリュウド・T・ローズです」
「ありがとうございます。助かります」
早速、説明を聞きながら4人で作業を始めるが、ベルトを洗ったり、新しいものに変えたりと一つ一つの作業にとても手間がかかる。丁寧にこなしてゆくシルフィとキリヤナギをみながら、リュウドとジンも不器用ながらに作業を始めた。
「青チームのリーダーって、ツバサ兄さんだったんだね」
「あら、お兄様とお話されたのですね。大丈夫でしたか?」
「うん、久しぶりだったけど、相変わらずのツバサ兄さんで何故か安心しちゃった」
「何か酷い事を言われませんでした?」
「え、そうは思わなかったけど……」
詰め寄ってくるシルフィに、キリヤナギは尻込みする。彼女はキリヤナギだけでなく、作業をしていたジンとリュウドにも問いただしてきて、2人は渋々体育館での出来事を彼女へと話した。
事の顛末をきいたシルフィは、まるで呆れたようにため息をつき項垂れてしまう。
「我が兄として大変情け無い限りですわ……」
「でも殿下。噛みついてくるツバサさんに、普通に言い返してたし」
「……そうですか。お兄様はいつも私のことを誰よりも心配してくださっているのですが、王子が絡むといつもあのような……」
「でも、ツバサ兄さんらしくて僕は安心したよ?」
「王子。傷ついたならそれでもいいのですよ。皆人間ですからね」
「僕は、シルフィが僕の所為で傷付いたって聞いた事の方がショックだっから……本当にごめんね」
シルフィは少し困ったような表情をみせ、笑ってくれた。彼女もまたその事を知られたくなかったと、姉のようにありたかったと話してくれた。
「驚かせてごめんなさい。でももう大丈夫です。今はお互いに生徒会として頑張りましょう」
「うん」
ほっとした騎士の2人を交え、作業は進められてゆく。黙々と続けてゆく事に、騎士の2人何の疑問も抱かなかったが、作業が進むにつれ、リュウドは今この生徒会室にいる生徒が、キリヤナギのシルフィだけである事に違和感を得た。
「あのさ、生徒会の他の人は手伝わないの?」
「みんな他の仕事あるんじゃないかな?」
「どんな仕事?」
「え、」
問われた言葉に、キリヤナギは答えられなかった。他の皆がこの体育大会において何をしているか全く知らないからだ。
「殿下、副会長ですよね」
「うん、演習場の整備はみんなでやったけど……」
「ハイドラジア嬢は?」
「生徒会は殆どが3回生で、将来の進路に関して考える時期でもあるので……」
「でもそれ、ハイドラジア嬢も同じなんじゃ……」
「私は、特に気にしていなかったのですが……」
「シルフィ……?」
少しだけ顔に影を落とす彼女に、キリヤナギは続ける言葉に迷ってしまった。キリヤナギは副会長で、かつ執行部であり、雑用はやらなければならないと思っていたがシルフィはそんなキリヤナギよりも、率先して作業をしている。
皆がやりたがらない事を全て背負い、誰も手伝って居ないのには理由があるのだろうか。
「あまり、気にされないでください。私も好きでやっていることではありましたから」
「えっと手伝いたくないとか、そう言う意味じゃなくて……」
「いえ、分かってます。私自身が少し頼むのが苦手なだけで、皆に非があるわけではないのです」
「そっか、じゃあ僕からまた相談してみるよ」
「ありがとうございます。助かります」
そうして「体育大会」の準備と「タチバナ」の訓練を続ける日常で、生徒会の彼らも呼びかけに応じ、徐々に雑用を手伝ってくれるようになってゆく。
大量のプロテクターの整備も終わり本番が迫り来る中、ある日生徒会室で、シルフィは腕を枕にして机へと突っ伏していて、キリヤナギは少しだけ嫌な予感を得た。
「シルフィ……?」
思わず駆け寄ると、顔が赤くぐったりしてる。額が熱くて驚き、キリヤナギは大急ぎで彼女を医務室まで運んだ。