第十八話:士気の急落

 シルフィを医務室へ運んだキリヤナギは、ぐったりしてしゃべることも辛そうな彼女に何も言葉をかけられずにいた。
 連日の激務の過労とストレスだろうと言われ、思わずツバサに言われた言葉が頭によぎり、胸が締め付けられる気分にもなる。そして迎えにきたツバサが、キリヤナギの胸ぐらを掴み鬼の形相で睨みつけてきた。

「お前が……!」
「ごめん」

 言い訳する価値がないとすら思い、キリヤナギは殴られる覚悟だったが、突然傍から伸びてきた新しい手にツバサの手首をとめられる。

「シズル……」
「ハイドランジア卿。それ以上は」
「くっ、出ていけ!」

 乱暴に放され、キリヤナギは何も言わずシズルと医務室を後にする。誰もいないテラスで項垂れるキリヤナギをシズルは見ないように背中を向けてくれていた。

「……ありがとう」
「お邪魔してすみません……」

 殴られていたらもっと話がややこしくなっていた。また自身を犠牲にしようとした自分に反省をして、今は素直にシズルへと感謝する。
 シルフィの激務をきいて、できるだけ彼女の負荷を減らそうと生徒会の皆に呼びかけていたのだが、結局生徒会長としての業務と3回生としてのスケジュールが嵩み体が耐えられなかったのだろうと思う。

「シズル……」
「はい」
「僕、何ができたのかな……」

 思わず聞いてしまうほどに答えが出てこない。気づくのが遅すぎたのだと思うと不甲斐なくてツバサに合わせる顔もないからだ。

「精一杯、やられたと私は思います」
「……」
「今回は現実がついてこなかった。それだけかと」
「……そっか」

 シズルの言葉に救われていいのだろうかと思う。叶えられなかった努力に意味が得られないまま、キリヤナギはその日も「タチバナ」の練習に望んだ。

「王子、今日はなんかおかしいぜ?」

 ヴァルサスの指摘に何も言い返せない。後悔と僅かな絶望で集中力がもたず動きにキレがなくなっているからだ。昨日までやれていた事が今日には出来ず、酷くイライラしている。

「そうかな……」
「何かあったか?」
「……うん」
「ま、終わったら聞いてやるよ」

 ククリールも、毎日見学に来てくれている。カッコ悪いところを見られたくないと踏み込むが、ヴァルサスにそれを読まれ、武器を取り上げられた。
 キリヤナギが武器を離した事に、その場にいた全員が言葉を失う。

「今日は終わるか……」

 訓練は解散し、3人は何も言わず話を聞いてくれた。シルフィが倒れた事にまず驚きながら、シズルと同じことを言う3人にキリヤナギはただ頷く事しかできない。

「大丈夫か?」
「……」

 堂々と返事を返せない自分がいた。ククリールは何と言うだろうかと、恐る恐る顔を上げると彼女は鞄を肩に下げテラスを出てゆこうとする。

「頑張って、応援ぐらいならしてあげる」
「……! ありがとう」

 背中で見送るキリヤナギに、ククリールは振り返らないまま帰っていった。ヴァルサスとアレックスはそんな柔軟な言動に驚きながらも、表情が変わらないキリヤナギに不安を得ていた。
 シルフィが倒れた事で、生徒会長の業務を任される事となったキリヤナギは、会長の代理となった事で知った3回生のその非協力な態度に驚く事になる。
 彼らはキリヤナギが2回生である事で、経験をした方がいいとか、執行部なら必要な事だと話し、簡単な雑用か連絡の伝達ぐらいしか手をつけてくれなかったからだ。
 シルフィが倒れた現実を前にして尚、そのような態度の彼らにキリヤナギは前を向く覚悟を固める。

「僕が全てやるべきですか?」
「2回なら当然の事で……」
「なら、僕が倒れないように手伝ってください」

 彼らは返す言葉を失ったようだった。それからキリヤナギは、日々の授業をこなしながらも空き時間の全てを生徒会へと注ぐ事になる。
 昼休憩に当日の生徒ボランティアの募集。【千里眼】をもった審判、【細胞促進】をもった救護班探しを各部署へ連絡をとりながら進め、放課後には進捗の確認を行ってゆく。
 伝統行事であることから、卒業生の招待や、来賓の迎え方なども決まりごとがあり、その一つ一つの手順作成に頭がパンクしそうになっていた。
 しかし手順を作成すると、皆が渋々手伝ってくれているようになり、生徒会がようやくまとまり始めるが、騎士の手配などは、王宮に住むキリヤナギが最も頼みやすく、救護班の手配まで全て1人でこなす。
 そんな本番が迫るなかで「タチバナ軍」もまた士気を高めてゆくが、大会が迫れば迫るほど、表情に過労が見えてくるキリヤナギに、ヴァルサスは心配を隠せない。
 またシルフィが倒れてからスランプがひどく、調子も戻って居ないからだ。

「王子。お前一回休め」
「平気」
「平気じゃねえだろ」
「大丈夫だって」
「んなわけあるか!」

 また武器をとられ、ストレスを抑えるのに必死だった。何もかもうまくいかない日々に泣きたい気持ちを必死に抑える。

「今の王子はいらねぇ、必要になったら呼んでやる。今日はジンさんと帰れ」
「おい!」

 キリヤナギは何も言い返せなかった。ここ数日、戦い方も分からなくなって自身が酷く弱くなった事もわかっていたからだ。
 何も言わず、荷物をもって帰ろうとするキリヤナギを、見学していたククリールが、肩を持って止める。
 少しだけ辛そうな表情に驚いていたら、頬にそれがきた。
 甲高い音が体育館に響いて、騒がしかった体育館が一気に静まり帰る。

「ハイドラジア嬢は残念だったと思うわ。でも、貴方の好きな人は誰?」

 ククリールはそれだけ言って、1人で帰ってゆく。頬に残った痛みにしばらく呆然としていたら、遅れると聞いていたジンが現れ、その日はヴァルサスに言われた通り、そのまま帰宅した。
 殴られた頬は腫れて、帰り道に買った冷えたボトル飲料で冷やし、帰宅してからも保冷剤を当てていた。
 ジンは王宮に戻ってから、ヴァルサスに一応連絡をいれると、酷いスランプへ陥っていると聞いて驚く。どんな時も剣を振ることを楽しんできたキリヤナギが、ここにきて調子を崩すのも信じられなかったからだ。

@

「……青春だねぇ」

 キリヤナギに届けて欲しいと頼まれた書類は、ストレリチア隊のセシルとセスナに、「体育大会」への監視員への参加を要請するものだった。
 ジン、グランジ、セオならともかく、セシルとセスナの2人は、常勤の騎士の業務も兼任しているため、そもそも承認を得られるかわからなかったからだ。
 しかしキリヤナギの現状を聞いたセシルは、渡された書類を見て楽しそうに笑ってサインをしてくれる。

「いいんすか?」
「我らの殿下の頼みなら、断る理由はないよ。セスナも今日は非番だから訓練所にいるはずだ」
「ありがとうございます。……あの殿下、ほっといて大丈夫ですか?」
「ジンが私に聞くのかい?」

 笑われてしまった。たしかに、ジンはセシルよりもキリヤナギと付き合いが長いからだ。

「あえて言うなら、殿下の学院の問題に、騎士は関わるべきではないと考えている。助けを求められたら別だけどね」
「そっか……」
「ジンは何かしたいの?」
「できるなら? 辛そうだし」
「それなら『友達』としてがいいだろうね。でも本当の『友達』のヴァルサス君に拒絶されたなら、今はそれが答えだとは思うけど」

 ジンは少しだけ情け無くなった。キリヤナギは2人で帰ったあの時、ヴァルサスに休めと、しばらく訓練にくるなと言われたと話したからだ。
 確かにその時のキリヤナギは、顔からも疲れがわかり、とても普段通りとも言いがたい雰囲気もあった。ジンがもしキリヤナギと同僚だったならば、多分同じことをすると思うと結論は既にでている。

「ありがとうございます」
「約束を守ってくれて嬉しいよ。私にできることならまた聞かせてね」

 この隊長は、ジンが思っていた以上に話ができると安心もしていた。
 セシルと顔を合わせたあと、ジンはセスナを探して騎士隊の訓練場へと足を運ぶ。掛け声が響くホールには模造刀と盾を携え、汗を流すセスナがいた。彼は現れたジンにすぐ気づいてくれて水を飲みながら対応してくれる。

「へぇーいいですよ」
「助かります」

 筆記用具を準備するジンへ、セスナはしばらく見ていないキリヤナギの現状を訪ねてきて、ジンは話すべきか迷った。
 しかし、セシルと違う内容を伝えるのも違う気がして渋々口を開く。

「懐かしいですね。僕も学生時代結構スランプあったし、こんな性格なんでよく女の子にもいじめられてたのでわかります」

 それは今でもあるなぁと思っていたら、彼も軽くサインをしてくれた。そのあまりにも簡単な態度に驚いてしまう。

「隊長もでるんですよね。楽しみにしてます」
「セスナさんはスランプの時どうしてました?」
「僕ですか? 僕はセシル隊長を勝たせたいって思ったら自然と直りましたね。ジンさんはどうだったんです?」
「俺? んー、俺はなんか割り切ってたから実はそこまでなんですよね、よくわからないと言うか」
「たしかにジンさん、人間関係の悩みとかには無縁なイメージがあります」
「俺自身、そんな必要とされる機会なかったんで、弱くても関係なかったというか? まぁ負けたら『タチバナ』の癖にとは、結構言われましたけど、それは俺の問題だし別にいいかなって」
「『らしい』ですねー。でもジンさん、結局強くなってるし、やっぱり見返したい気持ちあったんじゃ無いです?」
「ま、まぁ。弱いのは目標があるって事だし? それがモチベだったのはありますけど……」
「いいなー青春だなー。殿下が今、僕らのその時期真っ盛りだと思うと、やっぱり手助けしたいなって思っちゃいますけど、セシル隊長の言う通り、見守るのがいいんでしょうねー」

 セスナもセシルも悪い事のように捉えないのは不思議な気分にもなる。ジンは話しか知らないが、確かに何も話さず何も求めようのしなかったキリヤナギが、学院の人間関係や義務に揉まれ試行錯誤するのは、いい経験にもなるだろうと思うからだ。
 ジンはキリヤナギの部屋に戻り、素直に体を休める彼の元へと戻る。

 訓練は休み、生徒会の作業のみになった事で少しだけ時間に余裕ができ、残りの作業はボランティア学生へのユニフォームの手配ぐらいとなっている。
 土日を挟み。いよいよ体育祭は来週で、調子が戻るだろうかと不安ばかりが込み上げできていた。

「隊長と副隊長から承認もらってきましたよ」
「……ありがとう。ジンのは?」
「あ、忘れてた」
「参加してくれる?」
「はい。これ書けばいいんですっけ?」
「うん。当時受付に来てくれたら鉢巻を渡すから……」
「わかりました」

 ジンの手をぼーっとみるキリヤナギは、やはり疲れている。あまり言及するのは良くないのだろうなと思いながらも、個人的に関わっているために恐る恐る尋ねた。

「学院の方どうです?」
「……今は、生徒会だけなんとか……訓練はわかんない」
「そっか……」
「ジンは、ヴァルと連絡とってる?」
「殿下の調子戻るまで俺も来なくていいって言われてて、そもそも口実作れないし?」

 そういえばそうだったと、キリヤナギは反省した。ジンが学院に来るのはあくまでキリヤナギの迎えであり、用事がなければサボった事になってしまうからだ。

「一応連絡いれましたけど、なんとかなってるみたいですよ」
「なら、いいかな……」
「スランプって聞きましたけど……」
「そう言うのかな? 確かにどう動けばいいか、わかんなくなってて……」
「鈍ったとかでなく?」
「……うん。前はうまくやれたのに」

 剣はキリヤナギの唯一無二の特技だった。それでこそ、騎士に引けを取らず素手のジンでもある程度は渡り合えるほど勘が冴えていて上手い。
 さらにジンの父、アカツキによって粘度があがり、ある程度は「王の力」をもつ騎士も十分相手にできるともされている。そんなキリヤナギが、今更スランプに陥ることも珍しいとはおもったが、ジンは少しだけ覚えがあった。

「よかったら遊びます?」
「え」
「気分転換?」
「僕、相手になるか……」
「何もしないよりかはいいと思うんですけど……」

 ジンの言葉にキリヤナギは深く考えるのはやめた。人の少ない中庭へと向かい、素手でジンへと向かってゆく。
 その拳を受けた時、ジンはその調子の悪さを理解した。動作にブレがあり、迷っているのか遅い。まるで問いかけるようなその遅さは、一つ一つをこれでいいか聞かれているようにも感じた。
 ジンよりも何倍も繊細なキリヤナギは、全てを大切にしようとして迷い、板挟みになる事がよくある。

 そんな判断に悩んだ時、心境を救ってきたのは訓練だった。悩む前に体を動かし、一度思考をリセットする。
 一度自分の心へ向き合う事ができれば、あとは冷静に周りを見ればいい。
 キリヤナギに疲れが見え始めた所で、二人は一度休憩する。
 水を飲むと火照っていた身体が冷やされて気持ちが冴えるのを感じた。

「楽しい……」
「よかったです」
「そういえば、痺れ治った?」
「はい。もう気にはならない程度には」
「よかった。ジンっていつ訓練してるの?」
「こっち戻ってからは、殿下送った後、セシル隊長とこで一緒にやってますね」
「アカツキとこじゃないんだ?」
「父ちゃんいるのに俺がいても? ってとこあるし……?」
「でもアカツキの隊で『タチバナ』隊があるって聞いてるけど」
「昔は専門部隊あったんですけど、数年前に解体されて今は希望者募って真似事しかやってないって、平和だし」
「えー! ジンの居場所ないじゃん」
「うん、まぁ、だから外国に飛ばされたんですけど……」

 キリヤナギは返す言葉もなく、同情の目で見てしまう。ジンは気にした様子もなく、隣に座って休憩していた。

「ストレリチア隊、悪くないですよ。隊長優しいし?」
「なら、いいんだけど……」

 何度聞いても皮肉だと思う。そして大切にするべきだと思っていた「タチバナ」がいつのまにか消えかけているのも、何故か辛くなってきていた。
 平和であればこそ不要のなその力に、残す努力をキリヤナギがしていないのもそうだからだ。

「ジンは寂しくないの?」
「別に……? 元々そのうち廃れるって聞いてたし、じぃちゃん的には、シダレ陛下と関係深いから一応ちゃんと継いでもらうけど、俺の代でやめるならそれでもいいって」
「そんなの……」
「父ちゃん今、騎士長ですけど「タチバナ」本当使わないし? そうなると、騎士長が「タチバナ」である意味もないしって言う。文化として残すとは言われてますけど、それなら本家の必要もないですしね。でも最近は「王の力」盗まれてるんで、訓練だけ再開はしたみたいです。モチベはそんなないみたいですけど……」
「なんかやだなぁ……」
「……俺は、別に?」
「うん、でも僕「タチバナ」好きだからさ、ジンにも色々してもらってるし」
「それは俺が「タチバナ」だからとか、そう言うのじゃないんですけど」
「それもわかってるけど、なくなってほしくないなって」
「……」

 思わず返事に困ってしまう。ジンは元々必要ない力であると言われ、本気でやるかは自分で決めろと言われて始めたことだった。
 オウカの軍を打倒すると言われ、どんな技術なのかと、子供ながらに思っていたことだが、学べば学ぶほど「面白い」と思ってしまったのが始まりだった。
 魔法のような「王の力」は、結局人間の能力を拡張しただけにすぎず、人の力で対応できるとされ、その攻略方法は多岐にわたる。自分で考えていいと言われた時、ジン、キリヤナギ、リュウドの3人は面白くて一緒になってそれを考えた。
 今ではそれが3人の思い出として鮮明に残っている。

「なら、殿下の代にも残します?」
「……できるかな?」
「殿下次第だと思いますけど、シダレ陛下は『タチバナ』の在り方に対して申し訳なさと言うか、父ちゃんがかなり苦労してるのみてるんで、俺にまで強いるのはよくないって感じで……俺は微塵も気にしてないんですが」
「うーん……」
「親子っすね」
「そうかな……」

 確かに同じことで悩んでいる。継がないことでプレッシャーから救われた人がいるなら、それは間違った選択肢ではないとも思うからだ。

「『タチバナ』ってジンじゃないとダメなの?」
「そんな事ないですよ。俺は本家だから、一応ちゃんとやってるだけで、きっちりやってくれる人が他にいるならそっちでもいいって、じぃちゃんが」
「じゃあ僕でも継げる?」
「え、マジ?」

 真剣さを持つ目に、思わず聞き返してしまった。王族の末裔のキリヤナギが「タチバナ」を引き継ぐなら、「タチバナ」は裏切りに対するものではなく、王族が自身を守る為の手段として確固たるものになりえるからだ。

「俺がいうのも何ですけど、結構しんどいですよ? 毛嫌いしてる人もいるし」
「うん。でも無くなるのは嫌だし、僕にやれるのはそのぐらいかなって」
「無理に残さなくても」
「残す人で辛い人がいるならとも思うけど、僕なら大丈夫かなって」
「殿下の代は俺がいますけど……」
「じゃあジンとやる」

 頑固だと思うが、目から僅かな覚悟すらみえて、ジンは説得を諦めた。現状でキリヤナギは学院で「タチバナ」を率いようとしているなら、この結論に至るのは確に時間の問題だったとも思うからだ。

「『タチバナ』好きなんですね」
「うん。大好き。面白いから」

 筆頭たるジンは、そんな事思ったこともなかった。生まれた時から「そう言うもの」であり、当たり前に学んだことでもあったからだ。
 だが自分の技術を損得抜きで好きだと言われる事は悪い気はせず、むしろ嬉しくなってしまう。

「じゃあまず、『タチバナ軍』に戻らないとですね」
「うん。……頑張る。教えて」
「いいっすよ」

 気は重そうだが、先程の辛そうな表情をみせなくなり、キリヤナギはその日、一日ジンと遊んでいた。
 次の日の日曜日も、気分転換にと午前にジンに訓練を付き合ってもらい、午後からリビングで当日のスケジュールをまとめていた。
 普段自室でやる作業をリビングでやっているキリヤナギに、買い物から戻ったセオが新鮮な気持ちになる。

「自室ではないのですね」
「うん、ちょっと気分変えたくて環境かえたら捗ることもあるって、グランジが教えてくれたから」
「なるほど、進んでいますか?」
「なんとか?」

 セオが覗き込むと、当日の開催スケジュールや生徒会やボランティアの細かい動きがリスト化されていて感心もする。
 その様式は、以前セオが誕生祭でキリヤナギに確認してもらっていたものになっていたからだ。

「これは殿下が?」
「うん。わかりやすいかなって……」
「お一人でですか?」
「みんなに聞きながらかな? 去年はこう言うのなくて会長が全部指揮してたけど、今回僕もシルフィも参加するから……」
「もしよろしければ、誕生祭の使用人のスケジュールもご覧になられます?」
「え、いいの?」
「工程が膨大で、バトラークラスでしか解読不可能とは言われますけど、一応主任がいなくても回る工程表にはなっているので、参考になるかなと」
「みせて!」

 キリヤナギは数分後、この返事をしたことに酷く後悔した。王宮の中央にある事務総括の資料室へ案内されたキリヤナギは、厚さ10センチはあるファイリングケースに詰め込まれた書類、五つ分のそれに絶句する。
 そこには当日のスケジュールだけではなく、協力を求めるメディアへと対応法から、道路を通行止めにするための許可証、衣装発注、訪れた各貴族への配慮や、提供する食事の献立などが、膨大な資料として存在していた。

「これ、全部?」
「はい、今年の物です。スケジュールはこのケースですが……こっちが殿下向けのですね」

 殿下向けと言われてのぞいてみると、好きな色だけでなく飲み物や好み、元気がなくなると視線が下を向くとか、緊張する相手の事まで書かれていて恥ずかしくなる。
 無理させすぎると倒れる可能性があるとも書かれ、異変が見えればすぐに引かせるように指示もされていた。

「こんな気を遣われてたんだ……」
「儀式中に倒れる方が国際問題になります、病み上がりですから……とにかく無理されないようにと」
「ありがとう……」
「殿下もどちらかと言えば『やらされる側』なので、気にされないで下さい。貴方が健やかである事が、この国の未来を安心させる事に繋がりますから」

 優しい言葉だが、これに甘えてはいけないのだとキリヤナギは考えを改めた。1ページずつ丁寧にみるにつれてキリヤナギの顔色が悪くなっているのに気づき、最後までみる前に取り上げられてしまう。

「セオ!?」
「これを見たからといって、気を遣われないでくださいね。私達はあくまで円滑に進める努力をしているだけですので」
「でも申し訳ないし」
「我々からすれば、そうやって気を遣われる方がやりにくいのです。気にされるのでしたら辛い時は辛いと言って下さい、その方が助かります」
「え、うん。わかった……」

 もう少し見たいと思ったのに、資料の全てを片付けられ、キリヤナギはそのまま居室フロアへと戻された。
 誕生祭は久しぶりなことが沢山あり、思い出せば食事もまともに取れず、御前試合では倒れかけていたのを思い出し、情けなさが際立った。
 目の前の「体育大会」は、あの資料よりも工程が少なく子供の遊びのようにもみえてきて、大変だと思っていたのが甘えにも感じてしまう。やり切れるだろうかと、キリヤナギは意識を改め、作業を再開した。 
 月曜日もまたキリヤナギはテラスには足を運べず、各方面に連絡をとりながら準備を進めてゆく。

「大丈夫ですか?」

 慣れない電子端末の作業で、目がチカチカする。頭痛もあって項垂れていたら、メガネの彼女がボトル飲料を差し入れてくれた。

「ありがとう。ユキさん」
「ユキでいいです。王子」

 3回生の皆は既に帰宅し、キリヤナギはその日完了した業務の確認を行っていた。
 残っているのはキリヤナギのみだと思っていたが、彼女はわざわざ買ってきてくれてのだとわかり嬉しくなる。

「何が手伝えますか?」
「僕ももう帰るつもりだったから気にしないで……」

 ふと視線を感じて、キリヤナギは話しながらそちらを見るとじっとこちらを見る彼が居た。

「お兄ちゃん……!」

 現れたシズルに反応したのはユキだ。
 双子の兄弟の妹、ユキ・シラユキは思わず隠れたシズルに顔を真っ赤にする。

「いつもそんななの! 恥ずかしいよ!」
「ゆ、ユキは殿下のこと知らないからだろ!」

 壁越しで言われても説得力が微塵もなく困ってしまう。しかし久しぶりに感じた穏やかな時間に緊張はほぐれ思わず笑ってしまった。

「王子……」
「殿下……」
「2人ともありがとう。今日はもう一緒に帰ろ」

 門限にはまだ早い。
 しかし、体調をおしてまでやるわけには行かないと思い、キリヤナギその日、出来るだけ早く帰宅して床へつく。
 その次の日からも、朝から全国メディアを受け入れると学院の事務から連絡があり、専用の待機場所を準備したり、ルールを踏まえた休憩の取り方の議論とか、相変わらず生徒会室から出られない作業が続く。
 それでも、賢明に皆へ作業を回し段取りもつけてゆくキリヤナギに、3回生の彼らは渋りながらも着実に作業は終えられて行った。
 そして「体育大会」の全てのスケジュールが完成し、生徒会は当日に参加できないシルフィとキリヤナギの代わりに当日の総括を決める会議が始まる。
 何度も結論が先延ばしにされてきたそれは、もう日付に後がないのにも関わらず、誰も手を上げないことへキリヤナギはショックを受けた。
 キリヤナギが総括し、生徒会の皆は協力的になったのはそうだが、皆このような催事をやりたくはないと言う気持ちを再確認する。
 リーダーと言う重い責任への失敗を恐れる彼らは、生徒会での実績が欲しいが故に参加し、うまく催事が終わればそれでいいとも思っていたからだ。
 だからこそシルフィに全てがのしかかり、優しい彼女は潰された。キリヤナギは、気づくのが遅かったと思いながらも、結果的にまとまり準備はほぼ終わったが、ずっと話していた当日の総括は、結局誰も手をあげず、今日まできて悲しくなる。
 「タチバナ軍」はもう、ヴァルサスが指揮をしていてキリヤナギが居なくても戦えるとも聞いた。
 チームはどうにかなると思えば、捨てるのはそちらだろうと顔を上げた時、並べられた机の一つに手を上げる彼女がいた。

「私、やります。だから、先輩方、手伝って下さい」

 恥ずかしがり屋の彼女の勇気に、キリヤナギは救われた思いだった。
 訓練に悩み、生徒会に悩むキリヤナギを見守り、誰よりも協力的だった彼女だが、気弱で意思を示すのが苦手であり、どれほど勇気が必要だったのかと思う。
 そんな彼女がここに来て手を挙げてくれたことに言葉がでず、今はその好意に甘えたいと思った。

「ユキ、ありがとう……」

 会議はそのままユキに決まると思ったが、3回生の彼らが立ち上がって驚いた。
 何を言われるのかと思えば、突然頭を下げられ全て押し付けて悪かったと謝られた。
 シルフィの優しさに甘え、彼女が倒れたのは自分達のせいであるとし、またキリヤナギの想像以上行動力にも甘えようとした自分達が情けなかったと話してくれた。
 今日は元々謝るつもりで居たのに、最後の最後でもタイミングを見失い、未だ2回生の彼女にすら先に手をあげさせて悪かったと、生徒会の残り作業は、全て自分達がやるので、あとは任せて欲しいと言った。

 それを聞いた時、キリヤナギはどんな顔をすればいいかわからなくなった。
 込み上げてくる感情を堪えながら、大きく深呼吸をして言葉を絞り出す。

「よろしくお願いします。先輩」

 気がつけば、シズルも教室の外から覗いていた。そしてその生徒会の後。キリヤナギはシズルとユキと共に、体育館へと向かう。
 ヴァルサスがリーダーとなった数十名の「タチバナ軍」は、アレックスをサブリーダーとして訓練を行なっていた。
 ククリールも見学していて、退屈そうにデバイスを眺めていたが、久しぶりに現れたキリヤナギに顔を上げる。

「遅かったじゃねぇか、王子」
「うん、ごめんね」
「そう簡単にリーダーに戻れると思うなよ、俺ら一応強くなったぜ」
「わかってる」

 キリヤナギは上着を着崩し、模造刀を取った。

「やろう」

 ルールは同じだと思ったとき、生徒の彼らが一人一人向かってくる。
 皆、驚くほど動きがよく早い。だが今はもう迷いはなく、思う存分にやれると武器を振るう。
 皆強くなったが、お粗末で捉えやすく回避も出来れば受けて流すこともできた。
 ジンよりも何倍も遅くてわかりやすい。
 ヴァルサスとアレックスはそれに楽しそうに眺め、再び2人で向かってきた。
 数週間ぶりの三つ巴の戦いは、まるで時間が戻ったようにも思えるが、以前よりも長く撃ち合う。アレックスの隙をつき、キリヤナギは重心のかかる足をとって倒す。
 残ったヴァルサスとしばらく打ち合いを楽しんでいたら、彼はそれに気づいたのか闘志を込めた目で睨みつけていた。

「遊んでんな王子!」
「楽しいからね!」

 延々と続くラリーにヴァルサスの体力は削られてゆく。キリヤナギはそれに合わせるように弾いては回避し、受け流して見せた。
 そして、ヴァルサスな大きく息をしたタイミングで持ち手から弾き飛ばす。天高く舞い上がった剣は回転しながらも高音を立てて床へ落ちた。

「優勝!」
「くっそぉぉ!! やりやがったな畜生!」

 思わず素手で殴り込んでくるヴァルサスをキリヤナギは笑いながら回避する。

「一発殴らせろ」
「やだ!」

 キリヤナギは楽しそうに逃げていた。そんな小学生のようなやり取りに、アレックスや皆は呆れ、ククリールはかつてないほど楽しそうにする彼を呆然と観察する。

「みんなすごく強いね。びっくりした」
「負けた相手に言われても嬉しくねぇよ」
「えぇー」
「ヴァルサス、そのぐらいにしておけ。生徒会はいいのか? 王子」
「うん、全部終わった。あとは3回生の先輩がなんとかしてくれるって」
「そうか。うまくやったな」
「僕一人じゃ無理だったし、皆のおかげかな」

 3回生のアレックスは、生徒が始動したばかりの頃から、彼らの話は聞いていた。
 今年の生徒会は、会長が真面目で楽であると。派閥が一つであり争うこともなく決まった生徒会は、その恩恵にあやかろうとした生徒がそのまま当選したと聞いていたからだ。
 しかし、「体育大会」が近づくにつれて3回生からのキリヤナギとシルフィの陰口が消えてゆき、1週間前は準備に駆られたのか姿も見えなくなっていた。

「あ”〜悔しくて殴りてぇ……!」
「そんなに? やめてよ!」
「やめておけヴァルサス。騎士が黙ってないぞ」

 シズルはユキの隣で手を振っていた。ククリールには目を逸らされて少しだけショックを受ける。

「リーダー、やれるのか?」
「うん。優勝する」
「一皮向けたな」
「一皮?」
「成長したって意味だよ」
「そうかな? あんまり変わったつもりないけど……」
「本人はそう言うものだ」

 嬉しくなって、キリヤナギはその日、時間ギリギリまで訓練をしていた。「タチバナ」として、「王の力」の情報を共有しながら、限られた時間で攻略方法を考える。
 ヴァルサスの性格に影響されたのか皆は、それなりに強気で沢山提案してくれて嬉しかった。

@

「ふーん、うまくやれたのね」
「うん、遅くなってごめんね」
「私は別に、どちらでもよかったのよ」

 相変わらずで何故か安心してしまう。久しぶりに話したククリールは、カフェでケーキを奢ると言うと付き合ってくれて、数週間ぶりの2人だけの時間だ。

「ハイドラジア嬢はどうしたの?」
「僕が連絡をとるとツバサ兄さんに怒られそうだから、遠慮してる」
「ふーん。そこだけは同情できるかも」
「同情?」

 ククリールは答えてくれなかった。
 カフェには、ヴァルサスとアレックスも誘ったが訓練後の2人はヘトヘトで、先に帰ってしまったからだ。

「貴方、意外と体力おばけなのね」
「そうかな? 誕生祭では持たなかったけど」

 メンタルの持ちようでここまで違うのかと、ククリールは困惑しかできなかった。
 一つ一つ、真面目に取り組んだキリヤナギは生徒会としてまた一つのことを成し遂げようとしている。
 アレックスを派閥を解体したことに始まり、不審者から生徒を守ったり、いじめの現場を見つけて助けた。
 今はそれだけに留まらず、目の前のククリールの問題にも気づき「優勝」すると言う。
 気弱で頼りないと思い込んでいた彼は、思い返せば誰よりも勇気に溢れ、どんなに逆境になろうとも、自分なりに人を守ろうとし、その行動に一切にブレがないことに今更気づく。

「貴方、やっぱり王子なのね」
「? ヴァルにも言われたけど、どう言う意味?」
「わからないならいいわ」
「??」

 アレックスはおそらく一番見ていたのだろう。ククリールはそもそも興味がなく、気づこうとも思わなかったが、剣を持った彼は、あの場にいた誰よりも輝いて見えて興味が湧いてしまった。

「ククは『体育大会』きてくれる?」
「正直面倒なんだけど……」
「……そっか。全国メディアが来るみたいだから、よかったらそっちで」
「あらそうなの、じゃあそうするわ」

 しれっと言ってしまった言葉にはっとした。遠回しではあるが「体育大会を見る」とナチュラルに即答してしまったからだ。
 キリヤナギの目が輝いていてククリールは返答に困ってしまう。

「ありがとう、嬉しい」

 口が滑ってしまったことにククリールら後悔もした。家まで送るとも話したキリヤナギだが、護衛が面倒だとも断られ、結局その日もシズルと2人で帰宅する。
 王宮にもどり、ジンから「タチバナ」を学びながら訓練をする日々を過ごし、いよいよ「体育大会」が前日に迫った時、キリヤナギはようやく復帰してきた彼女と再会する。
 朝、掲示板で連絡事項をみていたら、声をかけられて嬉しくなった。
 ツバサに生徒会の準備が終わるまで休めと止められていたシルフィは、その日から復帰し、その次の日に「体育大会」が開催される。

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