第十三話:静かなる反逆

 唐突に起こった花火大会の火災は、数名の花火師たちが重軽傷を負い、会場には多数の救護車両が集い多くの人々が運ばれてゆく。
 その車両に紛れ、自害や逃走を図った工作員たちも搬送や護送されてゆく中、ヴァルサスもまた、マリアの遺体とともに病院まで付添い、その行き場のない感情と向き合っていた。
 そしてその日の深夜にて、先に別宅へと戻ってきたキリヤナギは、リビングにてヴァルサスと二人だけで共有されていたマリー・ゴールドへの感情を改めてアレックスとククリールへと話す。
 キリヤナギは、許されることでは無いという自覚があり、何を言われても受け止める覚悟ではあったが、2人は真剣にその話を聞きいり真摯に応じてくれた。

「とんだ愚か者としか言いようがない。工作員に肩入れなど、敵の思う壺だとも言いたいが……」
「先輩?」
「そんな正論は、人の感情の前ではただの理想論だと私も理解している」
「……!」

 思わぬ言葉にすぐには返答が出てこなかった。アレックスの柔軟な言葉は、人の不安定な感情を認めるものだからだ。
 変わってククリールは、少し不思議そうにキリヤナギを見つめ素朴な疑問のように述べる。

「……貴方、本質的には従者を嫌っているのでしょう?」

 ククリールの言葉は事実だ。その裏付けに王宮では、セオ以外顔を見せないように配慮され、学園でも関係者は関わってはならないと言うルールも存在する。

「アレックスから聞いたのだけど、そこまで嫌いなのに、何故マリー・ゴールドさんを?」
「僕も、その感情はうまく言葉に出来ない。でもマリーは少し違う気がしたんだ。どこか無理をしてても優しい彼女に救いの道を探したくなったのかもしれない」
「情緒的だな」
「今はそんな言葉しか出てこない。最悪僕は、マリーが生きてさえいれば道は見つかると思ってた。そこに深い意味はないけど……」

 精神的な未熟さ故の理想論だと言う自覚はあった。しかし、国家的に許されなくとも、もし生きる事ができるなら償うこともできるとおもったからだ。
 そしてあると信じていた彼女の良心は存在し、彼女はヴァルサスの代わりに犠牲になった。

「……ヴァル」
「ヴァルサスは、本当の意味で愚か者だ。だが、結果的にゴールド嬢の良心を証明したのなら……私も残念に思う」

 キリヤナギは再び溢れそうな涙をぐっと堪えた。ククリールもそれ以上は語らずホットミルクへと口をつける。

「私は、学園でのマリーさんはとても嫌いで、スパイであったなら捕まって良かったぐらいの感覚ではあるのですが……」
「……」
「使用人として国へに支え、その行動に悪意がなかったのなら、私も1人の人間として残念に思います」

 キリヤナギから見ても彼女は明らかに工作員としては未熟だった。その行動の多くは綻びのある嘘に塗れ、迷っていたのだろうと思う。そんな行動に迷う彼女に対し、止まって欲しいの願ってしまったのは、やはり彼女のことを特別視してしまっていたのだろう。
 死んでほしくないと言う感情と学友でありたいと願った未来は、ここに来るまでに紡ぐ事できなかった。

「王子の考えは、命を尊ぶと言う意味で共感はできるのですが……」
「クク?」
「アゼリアさんの心境は、私には到底理解ができません」
「そ、そっか……」
「は、一目惚れなど当事者にならなければ理解はできないさ」
「犯罪者ですよ? 怖い方々なのに何故?」
「それは人間的な本能で、理想の相手をみつける男性的感情だよ」
「せ、先輩??」

 ククリールが絶句して驚いている。じっと見てくるアレックスに頬を、染め目を逸らしてしまった。

「なら貴方達でアゼリアさんをどうにかして下さい。……私は逆撫でしてしまいそうだから」
「クク……。わかった」
「確かにこれは男同士の役目だな。王子は大丈夫か?」
「まだショックだけど、多分一番辛いのはヴァルだから……」

 彼の感情を思うと自分の辛い気持ちが嘘のように客観視ができる。ヴァルサスは、この件での当事者とも言えるからだ。

 間も無く日付がかわる中、ヴァルサスが戻ったと言う報告もされず、3人が休もうと話した時、リビングへノックされセスナが礼をして中へと入ってくる。彼は一礼し跪きながら口を開いた。

「殿下に公爵家の皆様、夜に無礼を承知ですが、ご報告にまいりました」
「セスナ、ありがとう。どうなってる?」
「ローズマリー騎士団からの報告によると、ジンさんが【身体強化】をもつ異能盗難犯と接敵し負傷。病院に搬送されました」
「……ジンが?」
「ご安心を、命に別状はありません。しかし敵は麻酔と毒を含ませたナイフを使用し、体に多くの傷をつけられたようです」
「どういう毒だ?」
「怪我をしても気づかせず、消耗を誘うものだそうです。幸い全ての傷が浅いですが、殿下に使用されたものと成分が合致した為、しばらくは熱が出るだろうと……」
「……」

 誕生祭で飲んだ毒は、体力を消耗していた為か数日間熱で苦しみ改善するまでに1週間はかかった。

「経過観察で数日は入院となり、現在はローズマリー領の病院にて休まれています」
「お見舞いいける?」
「はい。しかしーー」
「何かあるの?」
「我々は、未だ異能盗難犯を捕えきれず、現在も逃走を許しています。周辺に潜伏の可能性がある以上、警備が厳重になることはお許しください」
「これ程騎士がいるにも関わらず捕えきれないだと?」
「お恥ずかしい限りですが……別働隊は飛行機を追っており、能力者がこちらにきているのは想定外でした。私が私を認識した敵の心の声を昼間に拾えた事で、周辺に居る言う事実のみ把握できた次第です」
「……なるほど」
「結局、何人居たの?」
「主犯を含め12名でしょうか。6名が死亡し主犯のみ逃走しております」
「それならば、大した戦果だな……我々の護衛だけでも人数が裂かれる。『タチバナ』はよくやった」
「ジンさんは、対面した時点で敵が主犯だと分かったそうです。マリア嬢が亡くなり、敵が1人になった時点で囮として全てを引き受けた。ジンさんが異能犯を惹きつけなければ、我々は殿下や貴方がすらも守れなかったでしょう。今回の英雄とも言えます」
「私が直接話して賞賛しよう」
「先輩、それ多分ジンが困るから……」
「何故だ?」
「褒められるの苦手みたい?」
「ふむ? そうなのか?」
「騎士の誉でしょう? 珍しい方ですね」

 昼間セシルに賞賛されたジンが調子を崩して居たのが思い出される。おそらく、その時の気分と受け取り方にあるのだろうが、これはおそらく「照れ」ではないかとキリヤナギは考察していた。

 過酷だったローズマリーの夜は更けてゆくなか、サカキと共にマリアの病院へ付き添ったヴァルサスは、黒いカバーに入れられたマリアから離れられずに居た。容疑者でありその所持物や身につけていたものは整頓して並べられている。
 一般平民であるヴァルサスは、そこへ宮廷騎士の父の権限を借りて特別に中へと入る事ができた。
 サカキは、ローズマリー騎士団との打ち合わせがあり、ヴァルサスへ好きなだけここに居ていいとも伝え、気が済んだらタクシーで別宅に戻ればいいと現金も渡していた。
 しかし打ち合わせを終え再び見にきたサカキは、日付が変わったにも関わらずそこへ立ち尽くす息子に驚く。誰もいないその場所でヴァルサスは散々泣いたのか目が腫れていた。サカキは否定も肯定もせずただ歩み寄って言葉だけを紡ぐ。

「落ち着いたか……?」

 急かすつもりのない言葉だが、息子からは返事が返ってこない。サカキは少し困りながら続けた。

「休んだ方がいいと思うが……」
「……怒んねーの? 俺の行動」
「付き合うなら止めていたと思う。でも亡くなった相手を否定する気はない」
「……」
「その身を対価に人を救える相手を邪険にも出来ないからだ」

 そう言って、サカキはマリアの遺体を前にして跪いた。胸に手を当てまるで騎士の礼のように言葉を紡ぐ。

「私の息子を、救ってくれて感謝します。ありがとう、マリア・ロセット。貴殿は私に幸いを残してくれた。この恩は騎士として死ぬまで忘れないでしょう」

 ヴァルサスの止まっていた涙が、再び頬を伝ってゆく。しかし、もう泣きたくは無いとぐっと歯を食いしばって堪えた。

「ありがとう、親父……」
「一緒に帰るか?」
「帰る……」

 サカキは、ヴァルサスの頭をなで彼が幼い頃を思い出していた。

「全く、どいつもこいつもくだらん揺動に引っかかるものだな」
「はは、若いなら多少は仕方ないですよ」
「若造じゃないぞ、子持ちだ」
「は、それは擁護できませんなぁ」

 ローズマリー領の主要都市にて、日付が変わる頃、初老の男性が居酒屋で酒を飲み、つまみを煽る。子綺麗なカッターシャツにネクタイを締めているのは、仕事終わりのようにも見えた。
 対して客の注文に合わせて料理をする男性は、顔のみにフルフェイス甲冑を被り手際よく調理をする。

「貴様は相変わらずだな。それは外さんのか?」
「ご冗談を、これがなきゃ恥ずかしくて会話もできやしませんよ」

 ははは、と笑う調理師に男性は呆れて酒を煽る。彼とこの料理人は、いわば戦友だった。片方の初老の男性は現役で騎士団員であり、フルフェイス甲冑の男はすでに引退している。

「クラークさんが足を運んでくれると聞いて久しぶりで嬉しくて、毎日甲冑を磨いてこの通りですよ。どう? ピカピカでしょう!」
「そうだな。灯りにに反射して眩しいので変えてくれんか?」

 甲冑の男はショックを受け、一度バックヤードに戻るとお面で戻ってきた。

「相変わらず手厳しいのは変わらないなぁ」
「貴様に言われたくは無いぞ、アデリット」
「はは、それでさっきの話は何かあったんです?」
「あぁ、今回の容疑者の確保の為に勅命を受けローズマリーへと兵を派遣したが、村から見事に逃げられ、飛行機にも釣られ、またも王子に接近を許す始末だ」
「人命は救われたのでしょう?」
「多少はな、だがあの場所の住民は無意味に旧文化に拘るものばかりで、病院は遠いと拒んでは、ボケもすすんで『宮廷』と聞いただけで話もきかん。また『宮廷』に放火の疑いをふれ回る始末だ。救えん」
「本音で出ますよ」

 クラークは咳払いをしていた。

「王宮から逃げた工作員は、今日さっき確保したと連絡はあったが、主犯が逃走してたらしい」
「なるほど」
「こんな老兵すらも、若輩騎士の尻拭いに使う国だ。許されていいか?」
「クラークさんは愛国心の塊だと思ってますよ」

 ふんっと、クラークは酒を煽る。そして店の入り口が突然開き、1人の男が入ってきた。アデリットは自らで水を汲み、新しく入ってきた客へと出す。
 その店は不思議な空気感で満たされていた。
 時刻は深夜、この時間の飲み屋は終電を逃し、朝まで時間を潰す客のみが残る時間帯。だが観光地でもあり地元の住民がすくなく空いている店も殆どない場所だった。

「何にします?」
「おすすめはありますか?」
「じゃ、うち自前のコロコロステーキどうです?」
「お願いします」

 アデリットは親指を立て、フライパンで調理を始める。

「アデリット」
「なんですか? クラークさん」
「さっき花火大会で事故があってな。テロの可能性もあるので、気をつけろ」
「テロですか? 物騒な世の中なりましたなぁ」
「相手にした騎士の目撃情報は……黒髪に、サングラスか」

 クラークが、その客を睨みつけた直後。アロイスは懐から、投機短剣を取り出して投げてきた。彼は座ったまま体を揺らし綺麗にそのナイフを避ける。
 そして、間をおかず殴りにきたアロイスの腕を掴んだ。

「【身体強化】を使って、体はぼろぼろだろう?」
「……!」
「治してやろう」

 触れられた場所から、じんわりと体中に熱が帯びる。繊維の破壊によって痛みに支配されていた体は、【細胞促進】によって治癒され、アロイスは衝撃を受けていた。
 だが、突然後ろから金属が擦れるような音が響き、入り口と窓へシャッターが降りてゆく。

「まんまと誘い込まれましたね……」
「飲んでたとこに勝手に入ってきたのはお前だ、仕事増やしやがって……」

 クラーク・ミレット。彼は年齢もあり、アロイスの確保は作戦指揮のみのつもりでローズマリー領へと訪れていた。しかし、連れてきた隊は、作戦を人命救助へ切り替えて、飛行機の捜索に回った事から隊の殆どが揺動された形になってしまった。
 本隊到着から遅れてローズマリー領へとついたクラークは、敵が戻ってきた時のために王家の別宅から最も近い繁華街で過ごしていたが、その予想は的中し、ストレリチア隊と協力して対処にあたっていた。
 この花火事故が、ただの事故であったならば、おそらくクラークも出番はなかったのだろう。しかし、セスナ・ベルガモットの【読心】により、それはテロ事件であると断定された。
 そして事が起こり、『タチバナ』を相手にして【身体強化】を使ったアロイスは、そのぼろぼろの体を少しでも治癒する為、食事か休息ができる場所を探すと考察し、深夜以降に開店する店をすべて閉めさせ、その日はアデリットのいるこの店へ誘導した。

「お年を召されているようですが?」
「気にするな。こんなクソ親父が死んでも王子が喜ぶ。だが騎士である以上やることはやらせてもらう」
「ならなぜ治癒を?」
「本気を出し切った方が、悔いはないだろう?」
「なるほど、仰る通りですね」
「ステーキ焼けましたよ」
「……」
「食うなら待つぞ?」
「なら、あなた方2人の死体を見ながら楽しませて貰いますね」

 アロイスは、再び【身体強化】を使用し、両手に短剣を構えクラークへと飛び込んだ。
 深夜の狭い居酒屋で始まった戦闘は、数時間続き、朝になるころには多くの騎士団車両がそこを囲んでいた。

「え、犯人捕まった?」
「はい。今朝連絡が入り本日、『王の力』の回収をお願いしたいと」
「誰がやったの?」
「ミレット卿、ご本人だそうです」

 キリヤナギは、1人遅めの朝食を取って絶句していた。この件はクラーク・ミレットが担当するとは聞いていたが、まさか本人が動くとは思わなかったからだ。
 
「1人……?」
「詳しくは存じませんが、隊は飛行機の捜索へ向かったと聞いているので、お一人の可能性はありますね」

 どこから突っ込めばいいか分からず、理解が追いつかない。
 昨晩の出来事から、キリヤナギはなかなか眠れずようやく眠って起きるともう午後になっていた。今朝確保したのなら、【身体強化】の場合、拘束が破られる可能性もある為、急がねばならないとも思ってしまう。

「それが、焦らなくても構わないようです」
「え……」
「容疑者はすでに戦意を喪失していると」
「え、こ、こわい……」
「お、お気持ちは分かります」

 なぜか不安にもなるが、もう襲いにくる必要がないと思うと安心はできる。クラーク・ミレットは、もう60代で戦うのも辛いはずなのに、安心を提供してくれたと思うと頭が下がる思いだが、ジンを追い込む程の敵が、どうしたらそうなるのか全く想像もつかないからだ。

 誰もいない食卓は、もうキリヤナギしかおらずグランジとセスナが警備にと残ってくれている。
 ククリールとアレックスは、なかなか起きてこない王子に呆れ先に町の観光へと向かってしまったらしい。

「ヴァルは?」
「昨晩、殿下が休まれた後に戻っておられました。先に起きられ海を見に行くと仰っていましたが……」
「えっ……」
「不穏な雰囲気はありませんでしたが……」

 一晩での情報量が多すぎて感覚が麻痺しかけている。冷静になる為、キリヤナギは夕方の奪取の儀式だけ頭にいれて、海に出かけたと言うヴァルサスの元へと急いだ。

 日が上り切った真夏の空は、まるで昨日の悲劇を洗い流してくれそうなほど青く美しく澄んでいた。海魚を狙いに来たカモメ達の群れを眺め、キリヤナギがグランジと共に歩いていると堤防の先にある灯台の元に人影が見える。
 ボーっと海を眺める男性は、近づくとヴァルサスだとわかった。どのくらいそこへ座っていたのだろうと思うと、それはきっとマリーへの思いの強さだったのだろう。

 キリヤナギは何も言わず、ヴァルサスの隣へ座った。
 横から見た彼の表情はやはり疲れていて、どんな言葉をかければいいか分からなくなる。何も言わずと空を仰いでいると、ヴァルサスの方から口を開いた。

「……こういう事って、よくあるのか?」
「え……」
「人が、死ぬとかさ……」
「……僕は、詳しくは把握できてないかな。でも、王宮だと『王の力』を盗んだ人は、取り返すまで殺しちゃいけないって決まりはあるけど……」
「そっか……やっぱり、オウカにきてたら生きれたんだな」
「断言はできないけどね……」
「……おれさ、騎士の息子に生まれて自慢だったところあるんだよ」
「……!」
「親父が宮廷騎士で、マグノリアとかで頑張っててさ。親父ができるなら、俺にだってきっとできるんだって思ってた」
「……」
「でもさ、そんなん出来るわけなかった。親父に剣を習ってできた気になってたけど、ジンさんみたいに前にも出れねぇし、女の子にすら守られるほど自分は弱いんだって思い知らされちまった」
「……ヴァル」
「俺は、何もできなかった。ただ起こった事に対して泣くことしかできねぇとか、ほんと情けねぇ」
「僕も堪えられなかった……。僕はマリーと出会ってから何度か関わるにつれて、徐々に敵だってわかってきてすごく辛くてーー」
「……」
「その時が来てほしくないと思って見ないふりをしたんだ。だから、もしも直接話していれば、何か違ったのかもしれない」
「王子の所為じゃねぇよ。悪いのは撃ってきたあいつだろ……」
「うん。でも今朝捕まったって……」
「優秀じゃん、オウカの騎士」
「うん……」
「……そんな騎士に、俺もなれっかな」
「ヴァル?」
「マリーちゃん、最後にさ。俺に告白された事喜んでくれたんだよ。母さんに自慢できるって」
「……!」
「だから、そんな自慢しても恥ずかしくないような奴にならねぇとっておもったんだ。何ができんのかなって考えたら、もっと勉強してマリーちゃんみたいな子を助けれたら良いんじゃないかって……これ悪いか?」
「……いいと思う。方法は僕もまだ浮かばないけど……外国人向けの弁護士になるのかな?」
「わかんねぇ、でも今の俺じゃ無理なことは分かる……」

 ヴァルサスは項垂れてしまった。しかし、消沈していた彼が新たな目標を見つけている事にキリヤナギは安心した。

「王子からしたら、敵の味方をするみたいだけどさ……」
「オウカだと、国民を含めた入国者の人にも人権があるって考えだから、そう言うのは結構大事にはされてるんだ。だけど、世界には完全に階級制で下層の人たちを虐げながら回してる国もあるから、こっちにきて、その感覚の違いに衝撃を受ける人がいるみたい。毎年かなりの亡命志願者もいて、難しい問題なんだけど……」
「受け入れてるのか?」
「僕は必要なことしか聞かされて無いけど、そうやって虐げられてきた人達って、倫理的な価値観がズレてる人が多くて、人を簡単に傷つけたり、物を奪ったりしてしちゃうことがあってさ」
「……」
「受け入れすぎたら、オウカ国民のみんなが酷い目に遭わされる可能性があって、ここ数年は、殆ど受け入れてないんだよね……オウカでわざと犯罪をして留置所で暮らしたりとか、そういう人達をどうするかとか、色々問題は山積みかな」
「これからの努力次第ってことか……」
「そんな感じ、でも工作員になってる人達は、自分の命を天秤にかけられてて本当の意味で殺されるしかない人達だから、父さんが救済処置を作ったけど……、それを利用して入ってくる人がいる可能性があるから、来年には無くなるかも」
「どうすりゃいいかわかんねぇ」
「僕もわかんない」

 ローズマリーの空は、どこまでも青く広い。考えている問題など、どうでも良くなるほどにゆっくりと雲が動いている。

「俺、強くなるわ」
「え?」
「そう言う政治とか勉強とか苦手だけど、せめて目の前で助けを求める奴がいたら助けたい。マリーちゃんはダメだったけど、マリーちゃんみたいに助けられる奴になりてぇ」
「うん、でも死んじゃだめだよ?」
「死ぬのは、次の人を救えないからしねぇよ……」

 ヴァルサスらしいと思っていたら、彼は立ち上がっていた。疲れた表情は相変わらずだが、その目に決意が籠っているように見える。

「王子も手伝ってくれ」
「いいよ。何をすれば良いかわかんないけど……」
「とりあえず剣だな」
「け、剣は、オウカだともうそこまで使われて無いんだけど……」
「うるせぇ、とりあえずやる!」
「わ、わかった……!」

 彼の意気込みにキリヤナギも辛かった気持ちが和らいでゆく。経験した後悔をバネにして立ち上がる彼は、間違いなくキリヤナギよりも強いからだ。
 グランジと共に堤防を3人で降りていると、ふと用事を思い出す。

「これからジンのお見舞い行くんだけど、ヴァルもくる?」
「ジンさん、何かあったのか?」

 昨日セスナから聞いた経緯を話すとヴァルサスは絶句して驚いていた。

42

 グランジに自動車を出してもらい、差し入れを買って病院へ行くと、そこには個室で点滴をされぐったりと寝込むジンがいて二人は衝撃を受けてしまう。

「ジン、大丈夫……?」
「で、殿下。なんできたんすか……」
「ジンさん、ぼろぼろじゃないですか」
「ヴァルサスさんまで…、」

 顔の傷は、小さな絆創膏が張られ、両腕は包帯が巻かれている。熱の為か汗がひどく額と首元には冷却シートがみえた。

「……殿下、こんなん耐えたんですか? やべー……」
「同じなのかな? 分かんないけど」
「見かけによらず我慢強いですよね、殿下……」
「そうかな?」
「俺は無理……またセスナさんに読まれる」
「そんな常時読みませんよ」

 ノックがなく個室へ入ってきたのは、ジンに着替えを持ってきてくれたセスナだった。彼は手に小さな袋をテーブルへと置いてくれる。

「解熱剤ほしいって聞こえたので持ってきました」
「めっちゃ読んでるじゃないすか……!!」

 水までだしてくれるのは【読心】だからこそなのだろう。酷く悔しそうに介護されているジンが新鮮で、キリヤナギは思わず観察してしまう。

「殿下、ご挨拶が遅れた無礼をお許しください」
「ううん。大丈夫、セスナもジンの為にありがとう」
「いえいえ、ジンさん。殿下のことばっかり心配してたので……来てくださって僕も嬉しいです」
「勘弁してください……」

 再び寝かされても辛そうなジンも珍しい。思えばキリヤナギは、彼がこうして寝込んでいるのを見るのが初めてだった。

「殿下は、大丈夫すか?」
「僕?」
「なんか辛そうなんで……」
「王子、そうなのか?」
「それは……少し」
「俺は気にしなくていいんで……」
「やだ」
「……」

 真顔の即答に全員が反応に困っていた。セスナは何も言わずにお茶を入れリンゴを剥いてくれる。

「まぁまぁ、ジンさん。誰でも寝込むことはありますから、ここは完治するまでゆっくりしましょ」
「ジンって割とゆっくりするの好きだと思ってたのに……」
「そんなことないです……」
「敵、強かったんですね……」
「舐めてました。自業自得……」
「ジンさん、それは自分で言う言葉じゃないですよ」

 うーんと唸るジンの心は、セスナへ筒抜けだった。普段から心を閉ざし、人への興味が薄いジンは【読心】を持つ能力者に対して付け入る隙を見せてはくれなかったが、ここ数日はうっすらと読めるようになり、熱が出ている今は手に取るようにわかってしまう。

「仰らなくても欲しいもの持ってきますので、気楽にして下さい」
「うっ」

 ジンは甘いリンゴが好きだと聞こえセスナは少し嬉しくもなっていたが、反対にキリヤナギの心が読めなくなっていて不思議に思っていた。
 キリヤナギは、普段から感情が豊かで、温かい心が手に取るように理解できたのに、今はもうまるで扉が閉ざされたように何も流れ込んでこないからだ。
 キリヤナギのこの心の動きは、辛い現実をみた心の防衛反応だとセスナは考察する。
 受け入れ難い事実を見た事で、心が逃避に走り一時的な無感情に陥っているのだろう、それは側面から見れば何ごともなくも見えるが深く傷ついていて、本人もその傷の深さを理解出来ていない。
 普段通りのように見えるが、おそらくヴァルサスよりも傷ついているであろう王子を、ジンは表情を見ただけで「辛そう」だと気付いた。

「殿下も、昨日と今日ですからご無理されず」
「セスナありがとう。でもこの後、ローレンスさんの家で『王の力』を回収にいくんだ。それが終わったらゆっくりする」
「はい。ジンさんのことはお任せ下さい」
「ぐ、グランジさん。変わって……」
「……護衛で忙しい」
「……」

 セスナは、ウキウキでジンの冷却シートを変えてくれていた。間も無く準備が必要と促され、キリヤナギは3人で一度別宅へともどる。
 奪取の儀式の為、王子が別宅を出て行き、ヴァルサスがリビングでゲームをしていると、出かけていたアレックスとククリールが戻ってくる。
 ククリールはヴァルサスに挨拶だけして部屋に戻り、アレックスは何も言わず向かいのソファへ座ってくれた。

「思ったほど沈んでいなくて安心したよ」
「は?」
「王子から全てきいた」
「あいつ……」

 悪態をつき、メッセージを送っているのを見てアレックスは笑う。

「別に責めるつもりも皮肉を言うつもりもないぞ」
「なんだよそれ……」
「私がゴールド嬢と顔を合わせたのは一度ぐらいだった気もするが、立場はどうであれ、ただ残念に思う」
「アレックス……」
「もっとも亡くなったからこそ言えることだが……」
「腑に落ちねぇ」
「悪いな、だが気持ちはわかってしまうんだよ」
「はぁ?」
「私も、一目惚れだからな」

 ククリールがよぎり、ヴァルサスは思わずデバイスを落とした。彼はすぐに拾って、顔を逸らしてしまう。

「もう心配すんな。大丈夫だよ」
「本当か? 泣きついても受け入れてやるぞ、マグノリア公爵家は弱者こそ助けるべきと言う家訓があるからな」
「は? 俺は弱くねぇし……」
「旅費もだせないのにか?」
「なんーー」
「そう言う事だぞ」
「てめぇーー!!」
「はは、好きなだけ甘えるが良いさ。私にとって貴様は庇護対象だからな」
「くっそ、そう言う事かよ」
「どうした? 我後ろ盾が気に入らないか?」
「ちっ、俺はもう強くなるって決めたんだよ。だからそんな早々から弱者扱いされてたまるか」
「なるほど、なら尚更利用すると良い。私もそうしよう」
「どう言う意味だ?」
「強くなると言う意味にも様々だが、公爵は政治的な意味で圧倒的な強さがある」
「それは、そうだけど。俺に何しろってんだよ」
「王子は、学園生活の中で貴様に特別強固な信頼を持っているようにも見える。私と王子の関係性を繋ぐ楔になれ、それだけでいいさ」
「は? 何でそんないちいち……」
「王と公爵家の関係性は密だが、王子と公爵家はまだまだ希薄だからだ。数ヶ月関わってみたが、あの王子は庶民派に見えても根は私よりも貴族らしい貴族。また噂が本当なら驚くほど人を信頼していない」
「……」
「私が突然王子と絶交しても、そう言うものだと受けいれる男だ。もちろん私はそんな事はしないがな」
「何でそこまでわかるんだよ」
「同じ貴族だからとも言えばいいか? 信頼の構築方法を知らないのだろうな。貴様で学んでいるのだろうが、貴族同士でである限り利権は付きまとう」
「……」
「だが向こうから切られれば私はどうしようもない。保険となってくれるなら、私は喜んで貴様の後ろ盾になるぞ」

 ヴァルサスは悪くはないと思っていた。貴族達は結局、その高すぎる立場から利権なしには関わることができないからだ。今は学生だが、卒業した瞬間からそれはお互いに利用し合う関係性となる。

「しゃーねぇな。なってやるよ」
「ふ、これで旅費以外は対等だな」
「腑に落ちねぇ……」
「気にするな、貴様を連れてきて正解だったとは思っている」
「なんでだよ」
「3人では、ただの取り合いだからな」
「てめぇ、ぜってぇ旅費返す……!」
「できる範囲で頑張っておけ、このプランならば、学生バイトで5年はかかるぞ」
「う”っ」
「返してくれるならば、就職してからの方が早いな」

 ヴァルサスは項垂れるしかなかった。アレックスと話しているといつのまにか夕食の時間となり、その日は3人で食卓を囲う。
 キリヤナギはその日、急遽ローズマリー公爵家にて夕食を済ませることとなり、戻ってきたのは夜もかなり更けてからだった。
 スーツ姿の彼は、リビングに戻るなりぐったりとしてしまい、ヴァルサスは恐る恐る口を開く。

「お、おつかれさん……」
「疲れた……」
「取り返すだけじゃねぇの?」
「なんかメディアに儀式見せてほしいって言われて、急遽全部準備することになってさ、大変だった……」
「あぁ、なんか時々ながれてるやつか……」
「ローズマリー領には映像ないから欲しいってローレンスさんに頼み込まれて……、応じたらここまでかかっちゃった……」
「大変だな……」
「でも、首都で撮ったの古くてみたくない。下手で恥ずかしい……」

 上手い下手があるのかと、ヴァルサスは心で突っ込んでいた。ソファへ、へたり込む彼にヴァルサスは恐る恐る口を開く。

「昨日の犯人に会ったんだよな……?」
「うん……」
「どうだった?」
「なんかすごい燃え尽きてた……」
「え??」
「真っ白と言うか、心が折れたみたいな感じ……聞いてはいたんだけど」

 ヴァルサスも困惑している。キリヤナギの見たアロイスの様子は、言葉にできないほど虚無だったからだ。

「ま、まぁ、取り返せたから、よかったかな……」
「そうかよ……」
「でも明日は、ローズマリーの内陸に行くみたいだから、一緒に行こ」
「わかったけど、それならちゃんと起きろよ」

 キリヤナギは少し困っていたが、努力するとだけ返していた。

 連日事件が続いたローズマリー領は、アロイスが捕縛された事で再び穏やかな日々が戻り、人々は失われた命に別れを告げつつ日常を取り戻してゆく。
 その中で、一人飛行機によって逃走していたクード・ライゼンは、燃料が合わなかったことでエンジンが不調を起こし、ウィスタリア領を目前にして墜落していた。
 ローズマリー領とウィスタリア領の境であったそこから徒歩で逃走していたクードだったが、深い森がどこまでも続く山で遭難し、助けを求めていたところをローズマリー騎士団の【千里眼】によって発見される。
 救助されたクードはもはや逃走する気力もなく、発見された時は人と出会えた安心感で泣き叫んでいた。これにより、セシルが目をつけていた王子の誕生祭襲撃に関与した工作員の殆どが捕縛され、春から調査されていた一連の事件が終わりを迎える。

「王子さ」
「んー?」
「元気なくね?」

 ローズマリー領に来て、間も無く1週間が経とうとしていた。広い海と白い砂浜、澄んだ青空が広がるここは、普段都会で暮らす彼らにとって癒しの景色でもある。しかし、ヴァルサスは日に日に反応が薄くなっている王子へ違和感を覚えていた。大規模な事件があり、マリアを失ったショックは当然あるのだろうが、それでも本来なら回復してゆくはずだからだ。
 ヴァルサスとは違う人間で感性が違うのも当然理解はあるが、理由があるのだろうかと不思議にも感じていた。

「そうかな? 普通だけど……」
「昨日、旅行いってたリーシュちゃんが顔見せてくれたのにさ。特に話もしてなかったじゃん、困ってたぜ?」
「……ごめん。ぼーっとしてて」
「疲れてんの?」
「そんなつもりは、無いんだけど……」

 王子の元気の無さは、騎士の皆にもあからさまに伝わっていて昨日はそれを聞きつけたリーシュが顔を見せてくれた。彼女は、家族に持たされたと言うローズマリー産の肉やお菓子などのお土産を持ってきてくれたが、ヴァルサスは結局どこへ旅行へ行ったのかは分からず残念に思っている。

「そいや、いつまで居るつもりなんだ?」
「特に決めてないけど」
「決めてねぇの?」
「え、うん……、ジンの退院は待つつもり……」

 唖然とするヴァルサスにも、キリヤナギは無表情だった。以前なら少し困っていたのにやはり反応が薄く会話に困ってしまう。

「ジンさん、いつ退院すんの?」
「もう動けるみたいだから、明日から明後日かなって、退院してもしばらくは安静が良いみたいだけど……」
「退院したら復帰?」
「ううん。故障扱いで護衛としてカウント出来ないから、もう少しいるならミレット隊から補充させて欲しいっていわれてて……」
「ミレット隊ってなんだよ」
「僕の嫌いな隊」
「何だそれ??」

 この旅行の護衛任務は、貴族一人に対し数名の護衛がついていて、キリヤナギには三名。アレックスとククリールには二名ずつ、ヴァルサスには一名だ。残りの騎士は使用人として動いたり、休息を取るなどをして回していて、ジンが抜けてからは休息が取れる人数を減らして業務に当たっている。テロの首謀者が捕縛された事でセシルは、数日なら問題はないと人数をそのままに運用してはいるが、ジンが復帰するまでと言う期間があるのなら、それまで補充させて欲しいと提案されていた。
 ヴァルサスは提案されながらも新しい顔がいない事から、王子が断ってることを察する。

「何で拒否してんの?」
「ミレット隊の人、合わないんだよね……」
「何でそう言うとこわがままなんだよ……」

 確かにわがままで、王子は言い返さなかった。

「ヴァルは帰りたいの?」
「えっ、まぁ、流石に満足したっつーか……」
「ふーん……」

 キリヤナギは、このローズマリーの開けて空間がとても気に入っていて、従者は親衛隊とアゼリア隊しかいない事からとても気楽な日々を過ごせていた。
 以前来た時は1か月とか、少なくとも2週間以上ぐらいは滞在していて、今回もそのぐらいを目安には見ていたが、ヴァルサスからすれば長いのだろうと理解する。

「首都が恋しいとか……?」
「いや、その、旅費が……」
「それは先輩がだしてくれてるんじゃないっけ?」
「あいつ、旅費絡みで俺を弱者呼ばわりすんだよ。黙ってらんねぇだろ」
「え、でも、貴族ってそう言うものじゃ……」
「うるせぇ、俺が納得いかねぇの!!」
「そうなんだ……?」

 やはり反応が薄いとヴァルサスは何故か傷つきそうになる。アレックスが王子を、貴族らしい貴族と比喩していたのがこの対応でようやく理解ができてきた。

「別に気に入った人を連れて行くってよくあると思うけど……」
「なんだよ。その囲いみたいな」
「旅行なら、一人だとつまんないことあるし……? 先輩は弱者救済について重きを置いてるみたいだから、普段こう言う旅行を経験できないヴァルに貴族の世界を見せたい気持ちもあったんじゃないかな? 社会勉強みたいな?」
「余計なお世話だよ。馬鹿野郎!!」
「えっえっ……」

 突然怒鳴ったヴァルサスに、王子は久しぶりに困惑してみせた。何故怒ったのか分からない態度に嫌気もさすが、王子の言動は確かに間違いなく「貴族」だからだ。

「もういいわ……。なんか納得しちまった」
「酷い事、言ったかな……」
「酷くねぇよ別に、正論いわれてイラついただけだ。悪かったな」
「ご、ごめん……。ヴァルのそう言う事情があるならジンが退院したら帰ろうかな……?」
「気にすんなよ。やばいと思ったら一人で帰るし」
「そ、それは嫌だから、一緒に帰る……」

 焦っているのは友達意識だろうか。アレックスの言う通り、確かに特別な信頼が見える返答だったからだ。

「別に置いてってよかったのに……」
「やだ」
「ジンさん、諦めましょ。殿下折れないですよ」

 ローズマリーのとある病院にて、その日退院が決まったジンは、セスナに片付けを手伝ってもらい荷物をまとめていた。
 最後に様子を見に来たキリヤナギは、以前よりも包帯が少なくなったジンを無表情で観察している。

「退院していいの?」
「ここ窮屈なんで……早く復帰したいし」
「無理じゃない?」
「無理ですね。この薬飲み切るまでは、運動は避けた方がいいです」
「……」

 うーん、とキリヤナギは何かを考えている。王子の考えていることを察したジンへ【読心】を持つセスナは感心していた。

「俺だけ先帰るんで……」
「じゃあ一緒に帰る」
「えぇ……」
「ジンさん。諦めましょ」

 ジンはため息をつき、午前のうちに病院を出て別宅へと戻ってきた。皆へ気を遣われるジンは、恐縮しながらも一旦は業務員用の部屋へともどる。
 
「あら、もう帰られるの? 早いのね」
「うん、ヴァルも帰りたがってるし」
「俺の名前だすな!」

 その日の夕方。キリヤナギは別宅へと戻ってきたククリールとアレックスへ首都へと戻るスケジュールを告げる。ククリールは少し残念そうな仕草をみせるが、アレックスは納得したように笑っていた。

「確かに日を重ねるごとに金額は上がるからな」
「別に一人で帰るのにさ……」
「どちらにせよ。ジンが動けないからね」
「『タチバナ』か。警備の件は聞いていたが結局補充しないんだな」
「うん、どうせ帰るならいつでも同じだし」
「極論的だな……」

 怪訝な顔をする皆に、キリヤナギは一人首を傾げている。

「ククは、もう少し残りたい?」
「確かに少し名残惜しいけれど、やりたいことは全てやりましたから、王子が戻られるならご同行します」
「ありがとう」
「なら私一人残ることもない」
「先輩。ごめんね。ありがとう」

 そんな王子の一声を受けた騎士達は、次の日より首都へと戻る為の準備を始める。
 皆が早朝から荷物を纏める最中、出掛けて構わないと言われた王子は、戦力外のジンと護衛のグランジ、ヴァルサスと共に早朝の人が少ないビーチを犬のエリィと散歩していた。
 帰路のスケジュールを書面で渡されたヴァルサスは、一日がかりのその経路に思わずげっそりしてしまう。

「行きも結構ハードだったけど、帰りのがきつくね?」
「マグノリアに着いたら、お昼まではゆっくりできるけど……」
「ゆっくりじゃねえよ!」

 車両の連結作業の為か、到着した直後には降りなければならず、その後正午には出発する。時間でみると五時間だが朝の五時間など一瞬で過ぎるため、言うほど余裕はないとヴァルサスは不安を感じていた。
 サンダルを手に持ち犬のエリィを放すキリヤナギは、海水で跳ねる犬を子供のように見守っている。その表情は優しくは見えても楽しそうには見えず、ヴァルサスはどう言葉にすればいいか分からない。
 後ろにいるジンは、ヴァルサスの横に座って項垂れていて、こちらもなんと声をかければいいかわからなかった。

「ジンさんも、大丈夫ですか?」
「大丈夫です……」

 とても大丈夫には見えないが、ジンは顔を上げると目は真っ直ぐに水平線を見ていた。態度では落ち込んでいても妥協はしないと言う意思にも見え、ヴァルサスは改めて口を開く。

「あの、俺の代わりに戦ってくれてありがとうございました。何もできなかったし」
「……! 俺も弱かったんで、もっと強くなります」

 思わず「え?」と驚いてしまった。ジン本人から「自分が弱い」と言う言葉がでるとは思わなかったからだ。

「ジンさんは、弱くないです。俺のが本当に弱くて……」
「弱いのは、悪い事じゃないです。ただの伸び代かな」
「え」
「自分の強さに満足したら、その人はそこまでなんで」

 キリヤナギは、突然走り出したエリィを追いかけてしまう。ジンとヴァルサスは、黙って見ていたグランジと共に犬を追う王子をどこまでも追っていた。

*43

「もう帰るのか、残念だな……」
「ハルト、ごめんね。ティアも」
「いえいえ、少しでしたが、久しぶりでとても嬉しかったです。ククリール嬢やヴァルサスさんにも出会えましたから」

 一歩引いてみているククリールに、ティアはそっと歩み寄り、彼女の手を両手で握ってくれた。

「また、連絡させてください」
「……! えぇ、もちろんです」
「マグノリア卿ともまだ話したい事はあったが……」
「何、私は隣の領地だからな。またすぐ会いにくるさ」
「そうか。いつでもきてくれ」

 そんな貴族達が別れを済ます最中、ヴァルサスは一人、中庭で時間を潰していた。ティアもハルトも顔を合わせたいと言ってくれたが、以前の空気感はやはりヴァルサスには合わず、別れ際だけでいいとも遠慮する。
 預けられた犬のエリィは、整えられた庭園を走り回りヴァルサスはボーってそれを眺めていた。

「アゼリア卿ってお前か」
「ひっ!」

 突然響いた声に振り返ると、そこには騎士服の男がいる。茶髪で不適な笑みを見せる彼に思わずこわばってしまった。

「騎士の息子なんだろ? 強いのか?」
「え、つ、強くないです。戦わないし?」
「騎士貴族なのにか? ふーん、つまんね」
「お、俺になんか用ですか?」
「首都から客げ来るって聞いて楽しみにしてたんだよ。特に『タチバナ』。試してやろうと思ったのに故障しやがって……」
「ジンさんは……強いですね」
「ほんとか?! ちっ、謙遜しやがって」
「ローズマリーの騎士さん?」
「俺はウィスタリア騎士団。ラインハイト・ネメシアだ。王子の親衛隊がくるってきいて、わざわざタクト坊ちゃんに着いて来たのに試せもしねぇ」

 舌打ちをするラインハイトは、まるで都会にいるチンピラのような態度だが、その風貌は紛れもない騎士でギャップを感じてしまう。

「試すって?」
「俺の『王の力』だよ。『タチバナ』にどこまで通じるか試してぇんだ」
「そ、そう言う? と言うか騎士ってそんな手軽に戦えるんですか?」
「売られた喧嘩は買うのが騎士道だろ?」
「ぶ、物騒……」
「ち、西側はみんなそう言いやがる……、サフィニアとかカレンデュラのがまだ話はできるな」
「西側って?」
「川沿いの領地は、いわば内陸だろ? 平和ボケしてんだよ。首都と宮廷は西側でもマシな部類なんだぜ?」
「へー」
「強くなりたいならうちは最高の環境だ。東国の古武道とオウカの『王の力』を組み合わせた訓練をやってるのは、ウィスタリア騎士団だけだからな」

 何も話していないことから、これは彼の自慢話になのだろう。しかし強くなりたいと願ってヴァルサスにとっては興味深く、思わず聴き入ってしまう。
 
「東国の古武道って?」
「『タチバナ』の起源になった『相手の力を利用する』って考えの武道だよ。『タチバナ』は素手だが、剣だけじゃなく、弓とか槍もあるんだ。本人に力がなくても上手く使えりゃ打点になる」
「面白そう」
「だろぉ! 割と話せるな、名前だけでも聞いてやるよ」
「ヴァルサス・アゼリア。大学いってて騎士の事勉強してる」
「学生なのか。なら卒業してから期待だな」

 和気藹々とラインハイトの自慢話は続き、ウィスタリアは東国と隣接していて文化の浸透が色濃く、武道に対してはかなり意識の高い場所だとも話してくれる。

「ヴァルに友達ができてる」
「……王子!」
「お、王子殿下。ご機嫌よう!」
「そろそろ帰るから呼びにきたんだ。ライト君もウィスタリアからありがとう」
「とんでもないっす!!」
「ライト、ここはローズマリーだぞ?」
「うっす、失礼しました!」
「楽しかったです……!」

 ヴァルサスとラインハイトは握手をし、エントランスで待っていた二人と合流する。挨拶を終えた四人は、ローレンスを含めたローズマリー夫婦へ見送られ公爵家を後にした。
 そして自動車へ乗り込む前、邸の庭園で待機していた3人と顔を合わせる、それはリーシュとこのローズマリーで何度も顔を合わせた金髪の女性だった。

「セラスさん、リーシュ……!」
「わわわ、ごご、ご機嫌よう! 王子!」
「ご機嫌よう。今夜このローズマリーを旅立れると伺い、参上致しました」
「チケットありがとう。どれも美味しかった」
「よかった。お目通りが叶い光栄でした。またいつでもお越しください。我ツルバキア家は歓迎致します」
「ありがとう。リーシュも前はごめんね」
「いえ、その、えーと、また、来て下さい!!」
「うん。また学校でね」

 リーシュは更にパニックを起こしていた。

「宮廷騎士団には、このリーシュの姉となるリーリエもおります。我ツルバキア家は、これからも王家の味方として共に歩んでゆくでしょう」
「ありがとう。リーリエにもお母さんに会ったって伝えておくね」
「はい」
「ま、また秋にでも……」

 そうして貴族達は自動車へと乗り込み、ローズマリー公爵家を出てゆく。手を振って見送るセラスとリーシュの隣には、フルフェイス甲冑のが男性もいて、大振り手を振ってくれていた。
 窓から見えなくなるまで観察していたヴァルサスは、思わず隣の王子へと口を開く。

「あの鎧の人、騎士さん?」
「かな? セラスさんと一緒にいたし」
「今時珍しいですね……」

 セオまでわかっておらずセシルは、運転をしながら笑いを堪えていた。鎧の彼はかのミレット卿の同胞たる、アデリット・ツルバキア。現ツルバキア家の当主でもあるからだ。
 セシルはアデリットの恥ずかしがり屋な性格をよく知る為、ここはあえて話さず静観する。

「列車の発車まで、まだ時間があります。それまではまだご自由にお過ごしください」
「ありがとう、セシル」
「なんか名残惜しいなぁ」

 離れてゆく海にも見送られ、一行はローズマリー領の主要都市にて、旅の最後の時間を過ごす、王子はその日もジンに誘われ、ヴァルサスとグランジと共に温泉銭湯
へ行ったり、土産ショップを覗いたりと庶民に紛れた観光を行っていた。

 そして皆が列車へと乗り込む頃、王子は疲れ切り、エリィと共に個室で眠りにつく。
 静かに走り出した列車は、皆が休む間にローズマリー領を進み、マグノリアへと戻ってゆく。その日の見張りとしてダイニングにいたセシルとセオは、テレビで王子の映像を見ながら寛いでいた。

「隊長、色々とありがとうございました」
「何がだい?」
「この旅行で、殿下は今までやりたかった事の殆どを経験されたと思います」
「それならよかった」

 人並みに憧れ続けた王子は、今まで庶民とは一線を引いた人生を送ってきた。貴族は貴族として一般は一般としてそこには大きな壁があったが、この旅行はその壁を超えた人並みこそ重視した旅行だったといっていい。

「とても良き思い出となったでしょう」
「もう成人されたんだ。殿下が望みを僕らは叶えるだけだよ」
「ありがとうございます」

 セオは心から感謝するように、セシルへ夜食を提供していた。
 そして朝となり、早々に降車を迫られた王子は、エリィとヴァルサスとセオに叩き起こされ、マグノリアの街へ放り出されてしまう。

「ね、眠い……」
「本当に朝が苦手なんだな」
「付き合ってられませんね。私は朝食に行きます」
「お嬢様、ご一緒しますね」
「王子はどうするよ」
「寝たい……」
「うちに来るか?」

 アレックスの提案にも悪いと思ってしまう。朝食に行くと言ったククリールはもう居らず、出遅れた王子は仕方なく駅の中の喫茶店で済ますことにした。
 セオとリュウドとプリムは、買い出しへと向かい。アゼリア隊は午後の見張りに備え、準備をしてくれている。

「セシルは大丈夫?」
「出発次第、休ませて頂きます。お気遣いなく」
「何かあれば僕がお知らせしますので、ご安心下さい」
「セスナもありがとう」
「つーか、アレックスって首都に帰んの?」
「残念だが、私はここで降りる。首都に戻っても、学校がないならいる意味もないからな。安心しろ、旅費は首都までだしてやる」
「もうその話すんな!」
「先輩。来てくれてありがとう」
「こちらも楽しかった。また来てくれ」
「うん」

 ジンとグランジも少し離れた席で朝食をとっている。のんびりしていたら残り三時間ほどで、キリヤナギはその日もエリィと都市を散歩して過ごしていた。ローズマリー領とは違うお土産は興味深く、父と母にも数個購入しようとしていると何故か色紙を持ってこられ、サインもさせられていた。

「サインって何に使うの?」
「飾るんだろ?」
「は、恥ずかしい……!」
「王子なら来ただけでブランドになるからな」

 そう言うものなのだろうかと、キリヤナギは首を傾げていた。
 間も無く発車時刻の正午に迫り、ククリールとも合流した四人は、マグノリア行きの列車への連結作業を静観する。乗り入れが可能になると、騎士達は再び準備を始めた。

「リュウドとプリムもおかえり」
「プリム、もどりましたわ。せっかくなので、色々見てまいりました。沢山駅弁をかってきたので、後で皆様で食べましょう?」
「リュウド、駅弁って?」
「各駅に売ってる弁当だよ。個性があっていいよ」
「へぇー」

 ダイニングには、さまざまお弁当が積まれていた。駅にはアレックスの迎えも現れ、騎士達は彼らへ握手をすると数人の使用人へアレックスの荷物を預けてゆく。

「では3人とも、10日間とても楽しかった。また学園で会おう」
「うん。先輩。来てくれてありがとう」
「アレックス。お疲れー」
「ご機嫌よう、また学校で」

 彼は後ろ手をふり自身の実家へと帰ってゆく。3人は再び騎士隊とアゼリア隊と共に、首都行きの列車へと乗り込んだ。
 様々な種類がある駅弁は、惣菜がとても豪華で皆が感動して感想を言い合う中、王子は聞いていても反応が薄くヴァルサスは困惑してしまう。

「王子もなんか言えよ」
「え、すごいなって、綺麗だし」
「味は?」
「多分、美味しい?」
「なんで疑問系なんだよ」

 セオはお茶を淹れながら、王子に同情していた。19歳で倒れて以降、王子は緊張すると味覚障害が起こるようになり、それは現在でも顕著に残っているからだ。夏旅行で発生するのは、驚きでもあるが感情の問題は説明できるものではないと結論付ける。

「ヴァルサスさんも、お弁当は余分にございますので沢山お召し上がり下さい」
「嬉しいけど、俺はもう腹一杯だしいいや、ありがとうセオさん」

 再び動き出した列車は、巨大な駅を後にして、マグノリア領から首都を目指す。行きとは違う乗り継ぎの旅は思っていたよりも長く退屈と疲れが重なったのか、キリヤナギとヴァルサスはプレイルームで意識を落としていた。
 食事を終えたククリールも個室でお茶を飲みながら景色を楽しみ、王子の夏の旅行が幕を閉じてゆく。

 そしてマグノリアから数時間。列車は日が暮れつつある首都へ列車は辿り着き、国内最大の首都クランリリー駅へと入っていった。
 そこには、先に戻ったらしいクラーク・ミレットとククリールの迎えが勢揃いしていて、ヴァルサスは絶句して尻込みしていた。

「こ、こわ」
「……」

 遠くからみたクラークは、キリヤナギと目が合うと深く頭を下げてくれる。怪我をしている様子もない彼は、本当に戦ったのだろうかと疑問に思えるぐらいだった。
 セシルはまずカレンデュラ家の使用人達へ礼をし握手と挨拶を行う。

「それでは、キリヤナギ殿下にアゼリアさん、とてもたのしかったですわ。また会いましょう、ご機嫌よう」
「うん、ククきてくれてありがとう」
「色々ありましたので、二人ともお身体をご自愛下さいな」

 キリヤナギはしばらく呆然としていたが、彼女はスカートを翻し、そのまま使用人と共に帰ってしまった。
 彼女の思わぬ気遣いの言葉に、キリヤナギとヴァルサスは返事のタイミングを失ってしまった。

「ヴァルサス」

 列車のホームにて呆然としていたら、後ろから声が聞こえ、サカキが顔を見せた。親子である二人は一緒に帰ることはできるのだろうが、彼は隊での業務がまだ残っているようにも見える。

「ヴァルサス、私は一度王宮にもどる。遅くなりそうだが着いてくるか?」
「どうするかな……?」
「僕の部屋で遊ぶ?」
「殿下、光栄ですが時間が時間ですので……」

 ホームの時計をみると間も無く19時を指し、確かに友人の家にゆくには少し失礼な時間だとヴァルサスも納得した。

「乗りっぱなしで疲れたし、先に帰るわ」
「わかった。遅くなると母さんにも伝えてくれ」
「ちゃんと帰ってこいよ」
「日付が変わる前には戻る」

 ヴァルサスはサカキから、タクシー代として現金を渡されていた。親子らしいやり取りが新鮮でキリヤナギはじっとみてしまう。

「ヴァルも来てくれてありがとう。またね」
「うんまぁ、あんまり抱え込むなよ」
「……僕は大丈夫。ヴァルも無理しないでね」
「……その件は感謝してるよ。辛かったけどさ……」
「?」
「お陰で前を向けた、フォローサンキュ」
「こちらこそ」

 ヴァルサスはそう言って、手を振りながらホームを出て行った。
 その後キリヤナギは、騎士隊と共に自動車へ誘導され、セシル・ストレリチアと共にクラーク・ミレットも同席する自動車にのって帰宅してゆく。

 10日ぶりの首都は見慣れた光景なのに、何故か懐かしく見えて思わずずっと凝視していた。横の座席にはセシルが得意気に座っていて、キリヤナギもまた彼が無事仕事を終えられた事に安堵する。

「クラーク」

 突然名を呼んだ王子に、彼は少し驚いていた。車内であり目を合わせない事は前提で続ける。

「ありがとう。旅行、とても楽しめた」
「……何よりです」

 セシルは驚きの表情をみせ横で座りながら代わりに礼をしていた。
 自動車の専用通路から戻った王宮は、その豪華な内装に帰ってきた実感が湧いてくる。
 少しだけ新鮮な気分で歩いていたら、廊下の先に両親が待っていた。機嫌がいいのか、その安心した表情にキリヤナギもほっとする。

「ただいま」

 多くの思い出を作った海旅行は、キリヤナギが無事首都へ戻った事で終わりを告げた。

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