第九話:騎士の勲章

「はぁー……」

 雨が降るその日、キリヤナギは自動車に乗り込みセシルとグランジによって大学まで送り届けられようとしていた。
 王宮からでてすぐに発されたそのため息に、グランジは僅かに反応をしめしセシルすらも苦笑している。

「妃殿下ですか?」
「セシル聞いてる?」
「今朝ご連絡を受けました。殿下は騎士に任務には関与されないと」
「ちゃんと返事もしてないのにさ」
「そうだろうと思いましたよ」

 バックミラーに写るセシルの表情は笑っていた。元ミレット隊にいたセシルにとって、この手の事案は「よくある事」で、クラーク・ミレットの時は報告すらさなかった事もある。つまりキリヤナギは報告されるだけマシだとも思えていた。
 返事をしないまま対話を打ち切っただけなのに母は「説得した」と誰よりも早く騎士へと伝えその事実を押し切ろうとする。

「妃殿下も殿下のご無事を祈ってこそのものでしょう、私どもは気にされず」
「納得いかない」
「御心配されずとも騎士は別働隊を派遣し、捕らえた敵を殿下の元へ連れて参ります。よって『奪取』のみは許可をいただけるように交渉しようかと」
「ふーん……」
「クラーク・ミレットもまた殿下の久しぶりのご旅行に水を刺すのは違うと改め作戦を練っております」
「僕だって戦えるのに」
「お心遣いは痛み入ります、殿下」

 久しぶりに煮えぎらない感情を抱え、キリヤナギはその日も大学へと登校する。もう数週間でテストが控える授業は、皆が真面目に授業を聞き入り、キリヤナギも撮影されたノートを参考に理解を深めていた。

「お疲れさん」
「ヴァル……」

 今日は雨で少し遅れ、二人は席を並べる事ができなかった。渡り廊下を通る屋内テラスは、雨が降ると服を濡らしてしまうため、ククリールとアレックスは来ないだろうとも考える。

「雨これ当分無理だな」
「うんー、憂鬱」
「そう言う日もあるって」

 ヴァルサスはお弁当を広げ、水筒を片手に手をつける。ぼーっとそれを見ていたら、ふと素朴な疑問が浮かんだ。

「ヴァルって、家族と喧嘩する?」
「喧嘩? 普通にするぜ?」
「どんな風に?」
「え、大体は説教かな? 納得行かなくて反抗したら殴られたこともあるけど……」
「殴られるんだ? 誰に?」
「父さん? でもめったにないぜ。前は中学の時だし」
「へぇー……」
「王子は?」
「殴られた事はあるけど、あんまり覚えてなくて、昨日母さんと喧嘩したからヴァルは普段どうしてるのかなって」
「母さん? そりゃ面倒っーか、逆らえなくね?」
「そうなの?」
「うちの場合だけど、使用人1人だしカエデで回せない家事は、母さんと兄貴でまわしてるからさ、働いてもいるし文句いえねーもん」
「そうなんだ……確かに僕も晩御飯作ってもらってるから……」
「ハイドランジア王妃すげーな」

 ヒイラギは元々料理が好きで、学生時代からお菓子作りが趣味だったとも聞いている。キリヤナギにとって、母の料理は当たり前でもあったが思えば貴族で料理好きは珍しいと認識を改めた。

「なんで喧嘩したんだ?」
「僕のこと心配だから、危ないことするなって……」
「当たり前すぎね??」

 説明を省くとたしかに「当たり前」で、思わず頭を抱えてしまう。

「お前あぶなっかしいんだよ。悪い事いわねぇから、喧嘩したなら謝っとけ」
「僕だってちゃんと考えてるのに」
「そう言うとこだよ……」

 思えば全て話しても、同じ言葉が返ってきそうでキリヤナギは一度考えをリセットした。母のあの言葉が、キリヤナギへの不安から得たものなら取り払えそうだとは思う。

「母さんの心配ってどうやったら拭えるかな?」
「ヒイラギ王妃のことそんなしらねぇけどさ。王子の場合、怪我せず帰ってくるってだけでも安心するんじゃね? 誕生祭の前なんて襲撃されるわ大怪我するわで大変だったじゃん。俺ですらヒヤヒヤしてんのに親とかまじ気が気じゃねーだろ」

 思えばその通りで、ヴァルサスの言動から自身の日常の異常性がわかってくる。キリヤナギにとっては敵の襲撃など「時々あるもの」で、それは冷静に対処すべき事だと考えていたが、それは本来「あってはならない」事なのだ。
 経験上、いつのまにかその対応は「自分でやるもの」と言う認識が勝ち、責任が発生しないジンを頼ってどうにかしてきたが、母は何も言わずともそんなキリヤナギに不安を募らせていたのだろう。騎士の仕事に関わるなと言うのも、身の安全を第一に考えろと言う意味なら、確かに理には叶っている。

「王子の場合、心配しなくていいぐらい信頼を積み上げねぇと無理じゃね? 大変だけどさ……」
「……そうかも」
「わかったら謝っとけ」

 ヴァルサスに言われると自分の行動に客観視ができて、反省もする。キリヤナギが当たり前に認識していたことは、ヴァルサスにとってはあり得ない事で母は、子供がそんな環境にいるのが耐えられないのだ。

 雨は結局止まず、その日の授業を終えたキリヤナギは、路線バスに乗って帰ると言うヴァルサスを見送り、セシルの自動車で帰宅する。
 隣のグランジは、ぼーっと外を眺めるキリヤナギに目線を向けるが、結局何も喋らないまま宮殿へとたどり着いた。

「ちょっと母さんにあってくる」
「……!」

 珍しいとグランジは少し驚きながら、同行していた。

 オウカ国の南西にあるローズマリー領。豊かな土地が広がるそこは、殆どが農地へと利用され、放し飼いにされる家畜達が穏やかに日々を過ごしている。
 また土地の東側には山岳地帯があり、山を麓には深い森も茂っていて昼間でも暗く人々の足を阻んでいた。
 そんな日が暮れてくる森の深層へ、迷彩シートを被せられた巨大な機器が存在する。森に紛れ込めるよう深い緑の塗装がされたその機器は、プロペラとエンジンを搭載した、飛行機器、「飛行機」だった。
 その羽根の下で簡易なバーナーで湯を沸かしコーヒーを飲む数名の人間がいた。
 一人は赤髪の女性。もう二人は黒髪と金髪の男性でもある。

「温まったかな? マリア」
「ありがとう……クードさん」
「さぁ、どうするかね……」

 あぐらを描き頬杖をつく黒髪の男は、アロイス・フュリー。彼は以前、【身体強化】を盗み首都で自動車水没事件を起こして逃げ延びた異能盗難犯でもあった。隣に座る金髪の男は、クード・ライゼン。オウカ人の彼は、ウィスタリア領で運営していた会社が倒産し、身の庇護を約束して彼らへ異能【未来視】を売った共犯者だった。
 そして、最後はマリア・ロセット。彼女はアロイス・フュリーと共に、外国より王子を狙い現れ、メイドのマリー・ゴールドとして身を潜めていた工作員でもある。
 マリアは誕生祭のあの日。アロイスの飛行機でローズマリー領へ不時着し、待ち合わせていたクードと合流した。クードは、役目を終えた二人が国を出ることから、それに便乗するために同行しているが、彼はすでに貸与した4名の工作員を王子に奪取され【無能力】となっている。

「どうやって国を出る? この飛行機は使わないのか?」
「悪いが二人乗りなんだ」
「は?」
「【無能力】なら、捕まらないのではないですか?」
「い、異能は貸与されたらその情報の全て公爵の元で記録される! 【無能力】になっていたとしても定期的な検査でバレるのも時間の問題だ」
「意外と厳しんですね」
「そもそもお前達はどうやって盗んだ??」
「プロですから……」
「死んだら検査できないと思いません?」

 アロイスの言動にクードは震え上がっていた。マリアもまたよく見ればその目は冷ややかで、クードは口を噤んでしまう。

「でも、身の安全を保障すると言ったのは我々なのでご安心を、ちょっと遠回りですが必ず我が国へとお招きしますよ」
「あぁ、助かる……。ルートは、聞いても良いのか?」
「えぇ、この山を超えた向こう、ライゼンさんの故郷ですね。ここを通って国民に紛れて東の国へと向かいます。入国しそこから北上すればゴールです。我が国へ入れば追っては来れないでしょう」
「なるほど、ウィスタリアと東国は確かにビザスルーだが……国境の審査は厳しいぞ」
「ご安心を、我々はジギリタス人ではありますが、東国人としての証明を持っています。オウカ人の証書は電子サーバーからの通信が必要で難しいですが、東の国はまだまだチープなので……」
「プロだな。でも私にはそんなものはないが……」
「マリア」

 アロイスの言葉に合わせ、マリアは荷物から一枚の証書を取り出す、それは「婚姻届」だった。

「ここに偽名を書き、東の国で結婚すると通せば、詳しい審査は本国でやると一応は通されます。そのまま期限前に出れれば勝ちですね」
「と、とんでもないな……」
「どちらと結婚します?」
「ま、マリアしか選択肢がなくないか??」
「私でもいいんですよ?」
「遠慮する」
「忘れないうちに書いておいてください」

 照れもしないマリアの言葉は、冷え切っているが、先程「ありがとう」と言われたことがクードはとても引っかかっている。その言葉は、相手を思えなければ出てこない言葉だからだ。
 日が暮れて静かになる森へ、小さな電子音が響く。マリアは迷わずポケットからデバイスを取り出していた。

「大丈夫なのか?」
「さっき街にいた市民から擦ってきました。アロイス、騎士団がそろそろ動くみたい。残った人逃げると」
「そうか、無事に再会できることを祈ろう」
「あと今月末、王子がここへくる」
「ほぅ?」
「記念旅行みたい。護衛の数は不明」
「手ぶらでかえるよりかはいいか?」
「お、おいまて、亡命はどうなった??」
「すいませんね。私達はこちらこのまま帰ってもお仕置きがまってるんで」
「追っても来るみたい。どうする?」
「うーん……」

 アロイスはクードを睨みつけ彼は震え上がっていた。

「殿下が、妃殿下に謝った??」
「うん。僕も信じられないんだけど」

 リビングでセオとグランジと共に夕食を取るジンは、セオから発された言葉を思わず聞き返してしまった。それは今朝の登校時に愚痴を漏らしていた事でもあったからだ。

「要約すると、妃殿下の気持ちを蔑ろにしてきた事に反省して、今回は関わらないようにするって、でも騎士に負担を掛けさせたくないから、安全を確保した上で奪取だけはさせて欲しいってさ」
「どうだったの?」
「妃殿下からしたら、わかってもらえた事が本当に嬉しかったみたいで、必ず帰ってくるならそれでいいって」

 ふーん、とジンはピンと来なかった。しかし、キリヤナギの約束を大切にする姿勢は信頼もあるため親子ならこれでいいのだろうと納得する。

「なんつーか、本当真っ二つ……」
「本当にね、殿下も苦労されてるよ」

 父に「取り返して来い」と言われたキリヤナギは、王妃に「それはやるべきではない」と諌められている。
 今回はキリヤナギが、王妃の心境を汲み取ってでの決断だったのだろうが、きっとこのような事案は今回だけではないのだ。どちらが正解かもわからずどちらをとっても片方の気持ちを捨ててしまう環境はまさに板挟みとも言える。

「二人で話せばいいのに……」
「陛下と妃殿下が会議にいたら、今回の場合修羅場だよ」

 思い出せば昨日、キリヤナギは会議に王妃がいるかどうかを聞いていた。つまり、居ればどうなるかわかっていたのだ。王は冷静に会議を進める為に王妃を締め出したが、結論を聞いた王妃はそれを諌めやめさせようとした。
 臣下のジンですらも頭を抱えたくなる状況に言葉が出ない。

「シダレ陛下なんて?」
「殿下に何があって欲しくないのは妃殿下と同じだから今回はノーコメントだったよ。奪取はゆるされたからね」

 会議の雰囲気は、確かにシダレ王も王子の参加に反対していた。よく言えば妥協案に落ち着いたとも言え、悪く言えば結論をキリヤナギへ押し付けたとも言える。
 病むなぁとジンは呆れを通り越してため息をついた。

「そう言えば、妃殿下が作戦に参加しないなら提案されてさ」
「提案?」
「友達といってはどうかだってさ」

 ジンもグランジも、顔を上げて驚いていた。

*31

 雨が上がったオウカ町の景色は、未だ道端に水溜りが目立ち、空気も湿気っている。しかし、爽やかな朝の日差しもありキリヤナギは晴れやかな気持ちでその日も登校していた。

「旅行?」
「うん。みんなも一緒にどうかなって」

 2限を終えた屋内テラスでは、数日ぶりに四人は再会していた。皆がお昼と教科書を広げる中、王子がバックから取り出したのは、西側の領地を紹介する旅行雑誌で3人は興味深く眺めている。

「どこ行くんだよ」
「ローズマリーの海に行きたくて、マグノリアにも寄るつもり」
「ご、豪勢だな」

 オウカの中央となるクランリリー領から西へ行くとマグノリア家が管理するマグノリア領がある。ここは隣国ガーデニアとの境となるロータス川の幅が最も狭くなる場所であり、交易が栄え現代ではガーデニアとの定期船が出ている国境の役割を果たしていた。またマグノリア領から川沿いを南下すると川が海へと開け、土地が豊かなローズマリー領へと入る。ここは広大な穀倉地帯や花畑など、オウカの食物が数多生産されていて、南端には海があり海水浴場も存在する。

「我が領地へくるのか? 光栄だな」
「っーか、そんな長旅、学生には無理だよ。主要都市に行くだけでも6時間はかかるじゃん」

 首都から他領地への移動は、鉄道で行われるが、オウカの土地は広く直通列車に乗ったとしても都市への移動はそれなりに時間がかかる。とくに首都からローズマリー領までゆこうと思えば半横断と言う形になるため、12時間以上は掛かりほぼ一日がかりの移動となるからだ。

「乗りっぱなしは辛いからマグノリアで一休みだけど……」
「交通費の話してるんだよ……」

 調べると確かにマグノリア領までは、大学の教科書費ぐらいは必要で驚いてしまった。ローズマリー領も足せば2倍になり、宿泊費も考えると学生にとっては難しい金額なのだとわかってくる。
 キリヤナギが言葉に迷う最中、ふとククリールをみると、彼女はマグノリア領の旅行誌を興味深く眺めていた。

「ククは来てくれる?」
「……いいですけど」
「おや、珍しい」
「……このマグノリアの旧王城が、以前から気になっていたので、こちらに行くのでしたらご一緒したいですね」

 雑誌で広げられたのは、マグノリアにある古城だった。それはこの国がオウカとして新たに建国された時、ガーデニアからの侵略を防ぐ為、山が盾となる山岳地帯の奥へと造られた。マグノリア領の北東にあるそこは、防衛には適しても移動に手間がかかる為、ある時期に今の場所へ移されたと言う。

「現在では文化財として、我がマグノリア家が管理を行なっている。城としての機能はもうないが博物館のようになっているな」
「へぇ、面白そう」
「この時代は、未だほとんどがガーデニア式の文化で今の桜花のように様々なもの入り混じる雰囲気とは違い、統一された美しさがあるとも言われています。見る価値はありますね」

 そう楽しそうに語ったククリールに3人は驚いていた。気づいた彼女は顔を真っ赤にして雑誌を閉じてしまう。

「ここに行かれるのでしたらご一緒してもよろしくてよ」
「ありがとう」
「姫……」
「ヴァルサスはどうする?」
「一般の俺にそんな金ねぇよ。往復交通費だけでバイト一ヶ月分じゃん……テスト期間もあるのに」
「王子が我が領地へくるのなら領主として歓迎せねばならない。一人くらいどうにかしてやる」
「アレックス、マジか?!」
「貴様の父には世話になった。子が会いにゆきたいと言うのを叶えるのは筋だろう」
「アゼリア卿だよね。実はセシルが、マグノリアに行くなら合流するって話をしてて」
「親父と?」
「うん。先輩とククが来てくれるなら僕の親衛隊とアゼリア卿の隊で人数がちょうど良いみたい」
「なるほど、それならばローズマリーまでの言い訳は通るな」
「いいのかよ」
「断るなら構わないぞ?」
「いくいくいく!」

 ヴァルサスの目が輝きローズマリー領の旅行雑誌を手に取ってくれる。アレックスはそんな様子を微笑で眺めていてキリヤナギはあえて何も言わなかった。
 アレックスは、公爵家として市民を懐柔する方法をよく分かっている。

「つーか、みんな準備ってどうすんだ? どうせなら一緒に行かね?」
「準備?」
「買い出し? 水着とかいるだろ?」

 首を傾げている3人にヴァルサスはようやく気づいた。彼らは貴族だった。

「ぁあああ! 俺が庶民だったよ! 悪かったな!」
「えっえっ、どうしたの!?」
「水着を選びたいならうちに来て選ぶか?」
「アゼリアさんは、よくわからない事でキレられるのですね」

 ヴァルサスの提案にキリヤナギはとても新鮮な気持ちを得ていた。旅行の前の買い物は、キリヤナギも初めてではないが「学生の友人」と行ったことはないからだ。

「ねぇヴァル、買い物行こうよ。僕、雑貨屋さんはよく行くし」
「雑貨じゃねーよ! スポーツショップだろここは!」
「え”」
「そう言う所なんだろうな……」

 ククリールは呆れていた。
 結局、テストが迫る最中では遊びに行けず、買い物は長期休講へ入ってから行く事となる。
 そしてその日は、テスト期間前の最後の生徒会会議の日だった。月に一度開かれる会議は、前の月に決まった議題の進捗を確認したり新しいことを話し合う物だが、今月は催事もなく生徒達に寄せられた不満を読み上げる平和な会議が続く。

「先月、広報部の方へお願いした体育祭に向けてのチラシの手配は進んでいますか?」
「まだデザインばかりか、担当顧問も決まっていないのでどうとも……」
「そうでしたか。それなら去年担当した教授へ私が打診しておきましょう。明日の一限で会いますから」
「お願いします。会長」
「風紀委員の方はいかがですか?」
「大学の校舎裏の問題になっていた生徒の溜まり場ですが、先日確認へ向かった所、片付けられていました」
「あら、よかったです」
「他にもゴミの投機も減っていて、改善はされているかと」
「そうでしたか。何よりですね」

 シルフィの笑顔に、横へ座るキリヤナギは安心するが、キリヤナギへ渡された「やる事リスト」に含まれていた内容に近く首を傾げてしまう。

「執行部の方は如何ですか?」
「えーっと?」
「活動報告で大丈夫ですよ」
「食堂に卵料理がなかったので、出せるように動きました。今は普通に並んでいます」
「あら、もう数年どうにもならなかったことだったので、みなさん喜ばれるでしょう。ありがとうございます」
「他は、学園で猫を飼えないか? って言う提案ですが、飼育場所もないし里親をウェブでさがしたところ、先日連絡があって引取り手もみつかりました」
「素晴らしいですね」

 シルフィはとても嬉しそうに返してくれるが、他の生徒はまるで淡々と聞き流しているように見えた。
 続けてゆくシルフィの声と書記の生徒のタイプ音のみが響く教室で、キリヤナギは音を頼りに書記の生徒を探すが、何故か見つけることができない。

「では、本日の生徒会会議は以上です。これからテスト期間へと入りますから、皆さん頑張って下さいね」

 生徒達は徐々に解散してゆき、キリヤナギはもう一度書記を探すがやはり見つからない。しかし『席』はあり、置かれているデバイスには議事録がつくられていた。

「王子は帰られないのですか?」
「帰るけど、ここの席の人居ないのかなって」
「あら、ちゃんと【居ます】よ。でもお仕事の邪魔をしては行けません。今日はお先に失礼しましょう。彼女はとても恥ずかしがり屋なのです」

 そうなのだろうかと、キリヤナギはうまく理解が出来なかった。
 ジンに迎えに来てもらったその日は、何故か学校を出るまでに視線を感じたが、いつの間にかそれも消えて普段通りの帰路だった。

「ジン、透明人間になれる異能ってあったっけ?」
「【認識阻害】? でもあれは、光の屈折を利用した迷彩に近いんですけど」
「そうだよね」

 【認識阻害】は見えなくなるが、透明になっているわけではない。目のいい者ならば影を見なくてもわかるが、対面戦闘だと凝視することもできない為、影が効率がいいとされている。
 生徒会室の席は影もなく本当に誰も座って居なかった。

「おばけ……?」
「またすか……?」

 シルフィは確かに【居る】と言っていた。しかしキリヤナギには見えずまるで謎かけのように思えてくる。

「居るのに居ないと言うか……居るみたいなんだけど……」
「それは確かに怖いっすね……」

 怖いわけではないが、夏も近く思わず震え上がってしまう。前に見たものは悪いものではなかったが今回はまた得体が知れないものだからだ。
 王宮に帰ってもノートをまとめ、出来るだけ勉強時間をとる彼を、周りは密かに応援しテストへと備えてゆく。ゆっくりとそして早々に過ぎてゆく日常の最中、雨予報その日は、夜からは嵐がくるとも予報されキリヤナギも早めに帰宅するように声がかかっていた。
 曇っているが、所々に日がさす天気にヴァルサスは気にした様子もなく三限へと向かう。

「今日降るのかなぁ?」
「どーせ外れるよ。当たったことあったか? 天気予報」
「昨日当たってたよ?」
「たまたま!」

 確かにオウカの天気予報は的中率が低い。それこそ逆の方が当たるとも言われるぐらいには当たらず、その日は傘を持つ生徒の数もまばらだった。

「じゃ、俺、兄貴に買い出し頼まれてるから今日は先に帰るな」
「うん。気をつけてね」
「四限がんばれよ!」

 金曜日の四限は、一回生の必修授業だ。先日は気づいて居なかったが、ミルトニアがいると知り、酷く緊張して授業を受けてしまう。

「王子……」

 授業が終わり去ってゆく生徒がいる中、数名の生徒が弱々しい声で話しかけて居た。初めてみる彼らはおそらく初対面だろう。

「こんにちは、君たちは?」
「あのさ、選挙の時にやってた、困ってたら手を貸してくれるってヤツまだやってる?」
「え、やってないけど、必要なら手を貸すよ。どうしたの……」
「ありがとう、急いでるんだ来て欲しい!」

 手を引かれ、キリヤナギは生徒と共にクラブ棟へと連れて来られた。そして野外の置かれている巨大なそれに衝撃を受ける。
 木造のそれは、組み立て途中の「飛行機」だった。

「今日嵐が来るっていうから、これこんなとこおいとけなくて、一時的に体育館借りれることになったんだけど、俺ら3人じゃ運べなくてさ」
「これ、作ったの?」
「うん。ガーデニアの宣伝映像みて、見様見真似だけど……」
「すごいね。わかった、一緒に運ぼう」
「ありがとう王子!」

 手作りの飛行機は重く、たしかに3人で運べる重さではなかった。またクラブ棟から体育館までは距離があり強い風が吹けば飛ばされそうになる。
 壊さないようゆっくりと慎重に歩いていると、運動場で片付けをしていた運動部が気付き、手を貸してくれることとなった。より大勢で早く進み体育館に着く頃には、体力を使い切って座り込んでしまう。

「ありがとう王子!」
「よかった。野球部の人たちもありがとう!」
「うっす」
「王子も気をつけて!」

 皆が急いで戻ってゆく最中、キリヤナギも雨が降る前に学園の本館へと戻る。が、本館へ着いた直後に雨が降り出し、それはバケツをひっくり返したような大雨に変わった。
 飛行機の格納が間に合ってよかったと言う安堵と傘を持って居ない絶望感が同時に来て、キリヤナギは仕方なく一人で屋内テラスへと向かう。

『だからあれほど早めにご帰宅下さいと言ったではないですか!』
「ご、ごめん、セオ……」
『全く……既にセシル隊長とジンが向かいましたが、この雨で交通網が麻痺してしばらく時間がかかるでしょう。どうか安全な場所で待機されていてください』
「わかった。大人しくしてる」

 屋内テラスの窓の向こうは、夕方なのにまるで夜のように暗い。キリヤナギは仕方なく自販機で飲み物を買い、勉強をしながら迎えを待つ事にした。
 巡回する騎士が数十分毎に姿を見せ、監視されているのがわかり複雑な気分にもなる。目を合わせないよう気をつけ、入り口が見える場所で一人勉強をしていると、一瞬、強烈な視線を感じて顔を上げた。
 入り口には誰もいない。気のせいかと思えば、後ろからも感じて振り返るがやはり居ない。【認識阻害】の影もない。
 キリヤナギは冷静になり、考察をすることにした。シルフィは確かに【居る】と言ったのだ。よってまずは【存在する】と仮定する。居るものが居ないのは、概念的には【人の目で見えない】からだ。その上で「それは透明ではない」と言う前提の元「なぜ見えないのか」と考察する。
 居るものが見えないのはどう言う状況かと考えるとそれは「視界にいないから」だ。二つある人間の目の死角へ動いているなら、たしかにそれは【見えない】。そして、それを実現できる異能を考える。
 シルフィの言葉が【見えていた】からこその返答なら、それはキリヤナギの見えない位置にいたと言う事にもなるからだ。
 見えない位置。人の目線がそちらを向く前にわかる異能にキリヤナギはピンと来た。そして、しばらく勉強するフリをした後、キリヤナギは振り返る『振り』をして振り返らなかった。
 そして新たに見えた腕を掴み捉える。
 突然腕を掴まれた彼女は、絶句して驚いていた。短い金髪を揺らし顔を真っ赤にしてしどもろどろしている。

「みつけた。こんにちは」
「で、ででで、殿下、ごごごきげんよう!」
「【未来視】?」
「え、は、はい。よく分かりで……」

 人の視線の動きに合わせ、死角へと移動する彼女は、【未来視】によってそれを完璧にこなしていた。間違いなく【プロ】で、キリヤナギも前提知識がなければ見つけられなかっただろう。

「すごいね。騎士?」
「ちちち、違います。学生です」
「学生??」
「はい、はじめまして、リーシュです、リーシュ・ツルバキア……以後お見知り置きを!」
「ツルバキア……?」
「え、あ、違います! 確かに、リーリエ・ツルバキアの妹ですがーー」
「ふーん」

 半パニックに近い言動に、キリヤナギは半信半疑だった。ツルバキア家は、宮廷騎士団の一部隊、ツルバキア隊を率いていて、同じ名前を持つ彼女は騎士貴族だと判断ができるからだ。学生なのに【未来視】を持つ彼女に膨大な疑問が浮かぶがそれ以上にほっとしたことがある。

「居てよかった……」
「はい??」

 幽霊だったらどうしようと、不安に思っていた王子もいた。
 リーシュはあまり話したくはないのか、緊張して固まっていてキリヤナギはそっと手を離す。

「僕に用事かな?」
「と、とくには、その、みんな帰って寂しかったんですが、殿下がいたので……」
「僕は帰り損ねちゃって、リーシュも?」
「は、はい! 恥ずかしくて【未来視】使ってしまい、まひた」

 噛んでいる。恥ずかしがり屋なのは聞いていたが、話すことも苦手なのだろうと理解する。

「生徒会だよね?」
「え、は、い。書記……です」
「いつも丁寧に議事録を取ってくれてるから助かってる。ありがとう」
「ひぇ、と、当然です! で、殿下も、ちゃんとお仕事されているし、リーシュはびっくりと言うか……」
「びっくり?」
「こ、この、この学校の生徒会……って、貴族さんが、一般平民の学生さんに、仕事押し付けがちと言うか……」

 なるほどとキリヤナギは少しだけ納得がいった。会議の違和感は、別の役員の仕事をキリヤナギへ回されていたのだろう。シルフィなら確かにあり得そうだと過去を思い出す。

「シルフィと仲良しなら3回生?」
「かか、会長とは2回生の時にお世話になって……わ、わたし23歳なので」
「えーー」
「りゅ、留年とかではないんです! 20歳まで専門みたいなとこだったと言うか……」

 キリヤナギは、しばらくリーシュを見つめて察した。

「シルフィって優しいから、確かにイメージしやすいや」
「はい。こんな性格で、全く馴染めなかった私も拾い上げてくれて……、できる事はやりたいなって」
「わかる。僕も何ができるかなって立候補したし」
「本当ですか?! やっぱり会長はすごいです」

 リーシュが意気揚々と語るのが楽しそうで、思わず笑ってしまった。彼女は再び顔を真っ赤にして固まってしまう。

「僕、テスト勉強してたんだけどリーシュも一緒にどうかな?」
「いいんですか? でも学年が違うような……」
「学科も違う?」
「政治専攻科です」
「一緒だ。僕、歴史苦手だから良かったら教えてほしくて……」
「私でよろしければっ!」

 まだ雨は、止みそうにはなかった。

32

 ウェブではまだ交通情報が停滞し、夜までは続くだろうと予報される中、二人はしばらくの間勉強をしていた。その間の雑談で、去年の生徒会での事なども聞きているとツバサによる厳格な生徒会がみえてくる。

「去年の生徒会は、本当に実力主義で1カ月の間に成果がでなければ問答無用で役員の交代が行われて居ましたから、みなさんピリピリしてて」
「ツバサ兄さんらしいね……」
「でも、今の会長はそれはしないと公言されて支持を集めたのでとても気楽ですね」
「へぇー」

 キリヤナギの思うツバサの想像通りで懐かしいとも思えてしまう。彼とシルフィは、兄妹でありながらも性格は真逆で周りからも本当に血が繋がっているのか疑われることも少なくない。

「僕はそうやってメリハリをつけて政治やれるツバサ兄さんを尊敬してるかな」
「私は、殿下にはあーなってほしくはないと思ってしまいます。やっぱり怖いので……」
「怖い?」
「怖いです」

 ツバサは、穏やかな実母より叔母となるヒイラギと性格が似ていて、キリヤナギはそこまでの恐怖はなかった。しかし、ツバサに言われても恐怖はないが、母に叱られるとわかると怖くなる事もある。

「うーん、不思議」
「何がですか?」

 なぜ母を怖いと感じるのか、キリヤナギは自分でもよく理解はできていなかった。
 そんな2人だけの賑やかなその場所へ2本の傘を持つ1人の女性が立ち寄る。少しだけ濡れた衣服を纏う女性は、キリヤナギとリーシュを見つけて微笑んだ。

「ご機嫌よう、殿下」
「……こんにちは」
「規則違反となりますが、お声掛けをお許しください」

 この言葉に彼女が王宮の関係者だとわかる。キリヤナギぐ首を傾げていると女性は、笑みを崩さずに続けた。

「事務員の身ながらも差し出がましく存じますが、ツバキ様より傘を預かって参りました」
「セオから?」
「はい」
「なんで君が?」
「私は本日退職の身で学園には最後のご挨拶にと立ち寄ったのですが、殿下が立ち往生されていると伺い、王宮より持ち込まれた傘をお持ちしました」

 王宮と桜花大学院は、王立の関係上、王宮の事務員もよく出入りしている。その中でキリヤナギも成績表を届けられた事があるのは記憶に新しかった。

「そっか、ありがとう。僕が使ってもいいのかな?」
「はい、どちらにせよ。返さなければならないものでしたので助かります」

 よく見ると傘には「桜花宮殿」と手書きの印が付けられている。王宮から持ってきた傘なら、キリヤナギが持ち帰ることは自然だとも思えた。

 差し出された傘をキリヤナギが受け取ろうとしたとき、突然リーシュが間へと入り、傘を蹴って壁側へ飛ばした。
 キリヤナギの腕を掴み、まるで庇うように前に出る。

「リーシュ?」
「手……」

 向かいの女性の右手の指には、針が仕込まれた指輪があり、キリヤナギは思わずゾッとする。
 ポケットのデバイスを取り出した直後。女性が手を掲げて飛び込んできて、リーシュが腕を掴み、捻るようにして投げ飛ばす。しかし『敵』は床へ叩きつけられても怯まず、さらにキリヤナギへ飛びかかろうとしたところを、リーシュが背中から押さえ込んで止める。

「殿下、逃げてください!」

 一旦は動きが封じられたが、振り払われ乱闘が始まっていた。
 キリヤナギは、リーシュの声に従い騎士を探して一旦屋内テラスの出口へと向かう。巡回騎士を探すが、外の廊下には倒れている騎士がおり言葉を失った。彼はまだ息があり担ごうと肩を貸すが、彼はキリヤナギを突き放してしまう。

「構わず、今はどうか……! ここでは死にません……」

 騎士の顔色に問題はない事を見て、キリヤナギは唇を噛みながらも一旦は離脱した。護身用の拳銃はバックに置き去りで冷静になれていない自分を悔つつ、母との約束を守りたいと騎士を探す。
 土砂降りの最中、せめて本館に向かえばいるだろうと渡り廊下へでると、直後。ガラスの破砕音が響き、何かがテラスから出てくる。
 それは【見えない】が、影が存在し、また雨が人の形を作っていてキリヤナギは、その異様さに判断が遅れた。水溜りを踏み荒らす音が響き、後ろからずぶ濡れのリーシュが出てくる。

「足を止めないで!!」

 悲痛な声に、キリヤナギは我に帰って走る。廊下の先には騎士が見え、扉を開けてくれるが、滑り込んだキリヤナギが振り返ると、居るはずのそれは【見えない】。
 異能【認識阻害】を持つ敵は、素手で騎士の顔を殴り飛ばし、さらに追ってくる。一名の騎士が殴り倒され、キリヤナギは影を見ながら飛び込んでくる敵を回避する。
すると、騒ぎを聞きつけた騎士が、廊下のから顔を出した。

「逃げて!!」

 突然の認識皆無の敵に、騎士は反応ができない。狙撃しようにも動き回り狙いどころでは無いのだ。
 キリヤナギは唇を噛み、再び本館から飛び出して渡り廊下へと出る。テラスまで戻れば銃があると、再び土砂降りの中へ飛び出した。

「殿下!!」

 間近で追いつかれた『敵』を、リーシュが体当たりで止める。屋内より雨の降る屋外の方が、認識しやすいが【未来視】をもってしても、「敵」はシルエットの視認が限界で、リーシュは薙ぎ払われるように床へ倒されてしまった。

 キリヤナギは、呆然と見ているしかなかった。
 母の願いを汲み、戦わないと前を向いたのに、ここに来るまでに何人が倒れたのだろうと絶望する。
 『タチバナ』からすれば、【認識阻害】は、影さえ見えれば互換に戦えるが、あくまでそれは、相手が【認識阻害】だとわかっている事が大前提だからだ。不意に現れた【見えない存在】など、対応出来るわけがない。

「逃げて下さい!」

 起き上がったリーシュの悲痛な声は遅かった。既に敵は目の前で、回避が間に合わない。こちらに来ると、被弾を確保した時。キリヤナギの後ろから銃声が響いた。
 そして、影のみの存在が後ろへと吹っ飛ばされて床へ落ちる。
 誰も当てられなかった弾丸を当てた彼は、屋内テラスへ近道をしようと外から回り込んだジン・タチバナだった。

「ジンです。襲撃犯に遭遇。掃討します」
『本当かい? 援軍は必要かな?」
「一人居そうなので大丈夫です」

 傍には投げ捨てられた2本の傘がある。キリヤナギは、リーシュに匿われるように本館の方へと退避した。

そしてキリヤナギとすれ違うように、ジンは見えない敵へと向かい合う。敵は急所を外れたのか、まだ動けるようにだった。
 巡回騎士は、『敵』を逃さないよう周りを固めるが、『タチバナ』が到着した事で、【認識阻害】の相手を前に手出しをしないよう指示が回る。それは、先程のように視認し辛いが故、不意打ちの攻撃をもらう可能性があるからだ。

 敵は再び姿を消し、ジンへ狙いを取れないようジグザグに接近してくる。ジンは足音とシルエットを頼りに、振り込まれる拳を視認し、ズレるように回避した。
 その動作に、敵の驚きの声を上げる。
 ジンはまるで見えているように回避し、距離を取っては狙撃、敵の腰や足を掠めた。側から見ればそれは、何もない場所で後退しつつ狙撃する、一人のダンスのようにも見えるが、雨に作られたシルエットは確かに人で、皆は呆然とそれを眺める。

「遅いっすね」
「っ!?」

 言葉の煽りに敵が一瞬動きを止めた時、ジンが敵の腹へと入った。鈍い声が聞こえ動かなくなったのを確認し、周りの騎士が抑えにかかる。
 一息つき、奪取できるかと周りを見るがキリヤナギがおらず、ジンは迷わず回線を開いた。

「終わりました。殿下はーー」
『保護完了したよ。リーシュ君も一緒だ』
「リーシュ?」
『知り合いじゃないのかい?』

 先程の女性を思い出し、ジンはピンときた。キリヤナギを庇う様をみて、敵ではないと認識したが、セシルの反応からみると関係者だったのだろう。

『とにかく、こちらは殿下を送迎するよ』
「わかりました。こっちの騎士と少し話して戻ります」
『わかった。殿下の荷物が屋内テラスにあるらしいから持って帰れるかな?』
「確認します」

 ジンが通信を切ると、周りの騎士からまるで忌避するような目で見られ、ジンは早々にキリヤナギの荷物の回収へと向かう。

 リーシュに連れられ、自動車へ案内されたキリヤナギは、後部座席で思わず膝を抱えてしまっていた。
 冷静になってくると奪取もしなければならなかったのに、考える余裕もなかった事実へ情け無くなってくる。セシルは運転しながらも、消沈しているキリヤナギへ口を開いた。

「ご無事で何よりです、殿下」
「僕の代わりに、みんなが……」
「大丈夫です。死亡者はおりません。女性であり軽症のものばかりですよ」
「……リーシュ?」

 横に座る彼女は、苦笑していた。リーシュは、デバイスの一画面をキリヤナギへ参照してくれる。それは、宮廷騎士の身分証明書でリーシュ・ツルバキアの名と顔写真が表示されていた。

「嘘ついてごめんなさい。私は宮廷騎士団。ミレット隊嘱託の隠密部隊見習いのリーシュ・ツルバキアです。ミレット大隊長より、秘密裏に殿下の護衛をさせて頂いておりました」
「……」
「殿下?」
「しってる」
「えっ???」

 リーシュの顔が真っ赤になり、キリヤナギは何故かほっとしてしまう。

「わわわ、私、な、な何も話してないですよ??」
「うん」
「なん、なんで知ってるんですか!?」

 ツッコミどころが多過ぎて、「何となく」としかキリヤナギは答えられなかった。先程と同じパニックを起こしかけている彼女を見ていると、緊張していた心も落ち着いてくる。

「……怖かった」
「……そうでしょう。しばらくはおやすみ下さい」

 セシルの言葉に、安堵を得てしまう。リーシュが幽霊ではなかった事を安心していたのに、大雨の中を得体の知れないものが追ってきて、本当の意味での恐怖を感じた。武器もなく丸越しでいることがこんなにも無力とは思わず、ジンが頼もしく感じたのも久しぶりだった。

 王子が襲撃にあったことでその日の宮殿は大騒ぎになり、キリヤナギの自室には両親も現れて様子を見にきていた。
 今回現れた『敵』は、逃亡を企てた上での襲撃であり、逃げる前に王子を王宮から出さないよう恐怖を与えるためだったとも考察される。それは、宮殿の構造の殆どが敵へと割れているため、敵は外に出られる方が事に及びにくいからだ。

 ミレット隊との簡易な報告会を終え、ジンはキリヤナギの荷物を持って王子のフロアへと戻ってくる。服はずぶ濡れで早く着替えたいと足早にリビングへと戻ると、目の前にはリビングのソファで毛布を羽織るキリヤナギがいた。
 向かいにはグランジがいて、キッチンにはセオが立っている。

「おかえり、ジン」
「ただいま……」

 グランジも目線をよこすが、キリヤナギは無反応だった。ジンは一旦礼をし、自室で身だしなみを整えてからリビングへと戻る。

「……荷物、ありがとう」
「大丈夫っすか?」
「……怖かった」
「確かにやばかったすね……前言ってた?」
「ううん、それはリーシュ」

 ジンはセシルから、彼女は王子を秘密裏に護衛する為、クラーク・ミレットが送り込んだ護衛騎士の一人だと説明された。【未来視】をまるで【認識阻害】のように扱える天才だと聞いたが、隠密部隊としてはまだまだ見習いで、バレたとしてもあくまで生徒として見守るよう指示されているらしい。

「そんなに……?」
「その辺のホラーよりヤバい。俺もちょっとびびった」
「ジンも……?」
「大雨で足音とシルエットだけとか、大の大人でも無理です」

 倒した後、周りのミレット隊には腰を抜かして震えているものもいた。キリヤナギは走って逃げていたらしいが、騎士ですら動けなくなる相手から逃げ出せる彼は、やはり勇敢な方だとも言える。
 
「もうやだ……」
「騎士が不甲斐なくてすいません……」

 キリヤナギは元々幽霊が苦手なのだ。リーシュですらも不安に思っていた最中の出来事で、整理がつかない気持ちも理解できてしまう。

 その次の日、キリヤナギは休日で午前は部屋から出てこなかった。嵐が過ぎ去った首都は、雲が晴れてどこまでも美しい青空が広がり、水たまりが空を写している。

「私も人の事は言えないか……」
「ミレット卿……」

 会議室にて集まった騎士。シダレ王が率いるアカツキ・タチバナ、クラーク・ミレット。セシル・ストレリチアの4名は再び起こった襲撃に頭を抱えてしまっていた。クラーク・ミレットは、大学を自身の騎士で固めていたにも関わらず、嵐に紛れて逃げ出した工作員を捉え切れなかった事へ反省を述べている。

「早々に掃討へ回りたくもあるが、今は殿下の心身こそ最優先にーー」
「アカツキ、構わん。旅行に連れていってやってくれ」
「……しかし、キリヤナギ殿下は勇敢なお方です。それが恐怖されたなら相当のーー」
「いい。我が家を安全にすることこそ、最優先だ……」

 シダレ王の目は、冷やかな怒りを募らせていた。セシルだけでなく、クラークすらも擦り抜けた敵へ妥協をしてはならないと理解したともとれる。

「長期休校はいつからだ?」
「来週のテストが終わり次第かと思われますが……」
「そうか。今回の件で、ヒイラギも状況の悪さを理解してくれた。戦うなと釘を指すのではなく、やむ終えないのなら戦って自衛すれば良いと」
「陛下……」
「お前達を信頼していない言っていない。子供を信頼する事も親には必要だ」

 3人の騎士は、何も言葉を返せなかった。

 一方で、自室に篭っていたキリヤナギは、昼になってようやく起き上がり、部屋に置いてある2本のサーベルを眺めていた。
 一本は使い慣れ、騎士学校の卒業時に進呈された桜紋の装飾の入った物。もう一本は、誕生祭に渡され、若い王子向けにハイカラな装飾が鞘へ彫り込まれた真新しい物だった。
 刀の文化が色濃く残る東国の技術で作られたオウカのサーベルは、軽くありとあらゆる物を斬り払う事から、近接武器においてこれに勝るものはないとも言われている。今でもオウカの騎士達が愛用し腰へと刺してはいるが、銃の普及により、殆どが使用されなくなってきているのが現実だった。
 キリヤナギは、銃よりもオウカのサーベルが好きで得意でもあるが、それを持つことにもう何度疑問を得たかわからない。
 騎士学校をでて騎士の称号を得ても、王子が戦う事を誰も望まず、ただ危険な事だと忌避される事へ、果たして意味があるのだろうかと思う。
 諦め戦わないと割り切っても得たものは、何もできない無力感と恐怖だけで後悔しかなかったからだ。
 どうしたいのだろうと自分と向き合うと、心は何もしないのはやはり耐えられないのだとわかり、それは武器を見てもう一度再確認した。
 周りはその剣を「王子の趣味に合わせ」とか「儀礼用」とも言うが、この2本の武器はそんな形式だけのものではない。身を守る為に作られ、キリヤナギの元へと来たのならそれは使われるべきであるとも思う。
 使い慣れたサーベルは、もうぼろぼろだ。こっそり出かけて使用しメンテナンスに出せば、抜け出しがバレる事から、何度も断ったツケが回って来ている。お陰でかなり切れづらくなっていて鋭利に見えても怪我をさせないが、武器としてはとても使い物にならない。
 もう一本は、渡されたばかりの新品だ。刀身は美しくまさに芸術品で飾る為に作られたようにも見える。以前の剣はとても手に馴染み、共に戦ってくれる仲間にも近い印象があったが、新しい彼は戦ってくれるだろうかとキリヤナギはしばらく眺めていた。

 暖かい日差しが差し込む自室へノックが響き、セオが昼食を運ぶ為部屋へと入ってくる。彼は起きているキリヤナギへほっとしたようだった。

「おはようございます」
「おはよう。朝の公務出れなくてごめん……」
「お気になさらず、昨日の事を踏まえれば致し方ありません」
「……」

 今日は、全国メディアから公務に復帰した王子を正式に流したいと連絡が来ていた。簡単な撮影とコメントだけではあったが、とても「普段通り」を見せられる体調でなく断ってしまった。

「本日は、スケジュールも入れておりませんのでゆっくりお過ごしください」
「……うん」

 父と母は、旅行で気晴らしをすればいいと言ってくれていた。その上でもし何かあれば身を守ればいいと、実力を信頼しているとも話されたが、そんなも騎士へ信頼喪失にすぎず、とても前向きに捉える事はできなかった。

「海へ旅行となりましたが、遊びは考えておられますか?」
「え?」

 セオの唐突な言葉に、呆気に取られてしまう。海に行きたいと言ったのはキリヤナギだが、確かに「行きたい」と言っただけで、何をして遊ぶかは考えていなかったからだ。

「海での遊びは様々です。ぜひ色々お考え下さい」

 昨日の出来事から戦うことばかり考えていたが、本当の目的は遊びなのだ。作戦はあくまで「ついで」であり、20歳の記念旅行とも聞いている。

「わかった。考えてみる」
「私も楽しみにしています」

 思えば、ずっと一緒にいたセオも久しぶりの旅行だ。使用人の立場で自由が効くはずなのに、キリヤナギだけが耐えるのは違うと、仕事を除いて私的に出かけることはしていないと言う。キリヤナギは気にしてもいなかったが、お陰で何も文句も言わずここまで来れたのだ。

 昼を済ませた王子は、久しぶりに動物達のいる宿舎へと足を運ぶ。昼下がりでは、お昼を終えた飼育員達が動物の食事を補充し、ブラッシングをしたり庭へ離して遊ばせていた。キリヤナギも手伝いながら、戯れあっていると、隅に少しだけ寂しそうに座り遠くを眺める犬がいる。
 視線の先は通用口で、誰かを待っているようにも見えた。

「あの子は?」
「あぁ、マリーちゃんが居なくなって寂しがってるんです。一番懐いてましたから……」

 マリーの名に、キリヤナギは複雑な心境を得てしまう。彼女が工作員であった事実は、騎士団でしか共有されていない。それは失態を外部に漏らさないためでもある。
 キリヤナギは驚かせないよう、犬へと近づきそっと撫でていた。犬のエリィはキリヤナギをみて嬉しそうに尻尾を振る。

「僕もマリーが心配かな」

 エリィは、キリヤナギを押し倒すように飛びついてきた。
 そして週末が明け、学園はテスト期間へと入ってゆく。一回生の授業もあり、周りよりも倍近いテストが控えるキリヤナギは、気持ちをフラットにしてテストへと臨んだ。普段集まっていた屋内テラスは、嵐でガラスが割れたとされ立ち入り禁止となっており、キリヤナギとヴァルサスは仕方なく中庭でお昼を済ませ、終日のテストを終えてゆく。

「なんか王子、元気なくね?」
「え、そうかな?」
「全然しゃべんねーしさ、考えごとしてんのかなって?」

 確かに相槌ぐらいしか打っておらず、申し訳なく思ってしまった。旅行で話された作戦やマリーの事、リーシュ、先日の襲撃、戦うな言いつつ結局自分の身は守れと言う両親など、このテスト期間にも色々ありすぎてキャパが超えかけている。話せることはあるだろうかと考え、結局無言になっているとヴァルサスは痺れを切らしてしまったようだった。

「あのさ、結局マリーちゃんはどうなったんだよ」
「え、マリー?」
「地元帰ったとか言ってたけどさ、そんな簡単に帰るかフツー? 嘘ついてね?」
「……」

 答えられず呆れられてしまう。彼は何も言わず横に座り、飲料を飲んでいた。

「俺、マリーちゃん可愛かったし狙ってたんだよ。王子とは身分ちがうしさ、振り向いてもらえねーかなとか」
「え……」
「でもさ、王子が俺の家に来た時『敵を切る勇気ない』とか話してたじゃん」
「……」
「誕生祭おわって、マリーちゃん消えたし、まさかってさ……」
「うん……」
「『敵』だったのか?」

 キリヤナギは頷いた。全てを話せないことをヴァルサスはわかっている。彼女はただキリヤナギの『敵』であることは、間違いはなかった。

「……気にすんなよ。躊躇うなっていったのは俺だし、見る目ねーな俺」
「僕は、マリーをそうは見てなくて……」
「?」
「王宮での彼女は、とても優しくて周りの人達や動物にも好かれるとてもいい子でさ、だから僕も疑いたくなかったんだ。事実はそうだけど、本当は別の本心があるんじゃないかって期待しちゃってる」
「王子……」
「でも、僕に手を出した時点で、僕はもうマリーを救うことはできないし、どうしようもないんだけど……」
「救わなくてもいいんじゃね?」
「え……」
「王子は言いたいのはこれだろ『好きでやった訳じゃないかも』ってことだろ?」
「う、うん……」
「その先つかめてんの?」
「……マリーの仕事先、あんまりいい噂聞かないから、帰っても酷い目に遭わされるんじゃないかって、殺されないかなとか」
「仕事先わかんの?」
「僕を狙う相手って限られてるから、目処が立つ感じ……」
「オウカで捕まるとどうなるんだ?」
「異能盗難の時点で無期懲役は避けられなくて、僕を狙ったら国家反逆だから……最悪極刑かもだけど、何か理由があったら僕の心象次第で生きれはするかなって、反抗したら拷問されるかもだけど」
「オウカのがマシ?」
「わかんない……」

 拷問はどうなのだろうと、ヴァルサスは首を傾げていた。しかし、やらざる得ない事情と被害者の心象で生きれるのなら、それはある意味「救い」の可能性もある。

「死ななくて済むならそっちのがよくね?」
「そうだけど、向こうがどうかわかんないし」
「敵なんてどうでもいいだろ。王子はオウカ人なんだからさ。それで救えばいいじゃん。アレックスの言葉借りるみたいだけど、それがこの国の正義だろ?」

 思わず呆気に取られてしまう。生きるか死ぬかの大罪を犯した『敵』を、生かすことができるなら、確かにそれは救いにもなるからだ。

「マリーちゃんどこにいんの?」
「わかんない。でも、ローズマリーにいるかもとは言われてて」
「旅行先じゃん。会うのか?」
「ううん。ククやヴァル、先輩は巻き込みたくないから、今回は僕も関与はしないつもり。でも『会いに来られる』可能性はあって、騎士団は今それで揉めてる」
「……!」
「マリーともう一度戦えるのか、僕はまだわからないけど、もしそれで彼女を『救える』なら、価値はあるのかなって」
「結局、どうしたいんだ?」
「僕の本心は『死んでほしくない』かな」
「決まりじゃん」

 ヴァルサスは笑っていた。キリヤナギもつられて笑ってしまう。

「じゃ俺、マリーちゃんに会ったら告るわ」
「えっ」
「なんだよ悪いか?」
「……は、犯罪者」
「根はいい子なんだろ? 壁越しでも愛は語れるぜ?」

 ヴァルサスが浮ついていて、キリヤナギは困惑しかできなかった。彼は大きく伸びをして飲料のカラ缶をゴミ箱へ投げ込む。

「んじゃ、その旅行のために残りテスト頑張るぜ。買い物もいかねーとな」
「うん。ありがとう、ヴァル」
「王子は考えすぎなんだよ」

 話せたことをキリヤナギは後悔して居なかった。彼の単純な解答は、キリヤナギへいつも新しい道をくれるからだ。
 そして1週間のテスト期間を終えた学生達は待ち侘びた夏の長期休校へと入ってゆく。

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