第七話:騎士の苦悩

 

 そこには12名の騎士達が集っていた。

 奥の壁へ国章の桜紋と橘紋が並べられた広い部屋は、宮廷騎士団の幹部達が集い、話し合いが行われる会議室でもある。

 国章を背中に座る数名と、また向かい合わせに座る騎士達は、全員がおよそ1000名を超える騎士を従える大隊長の位をもち、その日は久しぶりに全員が揃っていた。

 

 そんな重い空間で、セシル・ストレリチアは、真剣な表情で言葉を待つ。

 

「未だ年度の初まって数ヶ月だというのに、王子への襲撃を3度も許した事へ、何か言う事はあるか? ストレリチア卿」

 

 初めに口を開いたのは、初老の騎士だった。茶髪にがっしりとした体格のか彼は、その容姿を象徴するような貫禄を持ち、セシルへと言い放つ。

 

 宮廷騎士団、第二部隊、別名ミレット隊を率いるクラーク・ミレットは、わずかに笑みすら浮かべ、かつての部下へ問いかけた。

 

「言い訳はあるか?」

「前回も今回も殿下への接近を許した我々の落ち度です。何も」

「潔いが、経緯ぐらいは説明できるだろう。それぐらいは話せ」

 

 セシルは、自分が想定していた事を全て、その場にいる騎士達へと話した。令嬢の拉致未遂から、王宮でのボヤ騒ぎ、自動車の水没、王子への襲撃と、【身体強化】をもっていたチンピラ、全ての事件に関連している可能性があると言うセシルだが、未だそれを断定する根拠がなく、幹部達は苦い表情をみせる。

 

「そこまで把握できていたにも関わらず、まんまと囮に気を取られ、殿下の側へ潜んだ敵を見逃したのは、親衛隊としてどう責任を取る?」

「ミレット卿。かの襲撃犯を取り逃がしたのは、その対策へ当たった我々タチバナ隊の落ち度でもある。ここは自前に敵の策略を把握できたことも評価すべきだとは思うが」

「『王の力』を宿した5名を3人で掃討したのは評価しよう。だが、最も厳重にすべきだった夜会において殿下を見失ったことは、近衛兵としてあってはならないことでは?」

「20歳となられた殿下は、この夜会で精神的なショックを受けられたとも聞いている。繊細なお方であるが故、騎士が気を使い、その場を離れたことは人間的な判断としては妥当とも言えないか?」

「なるほど、つまり騎士長・タチバナ。貴殿はこの不祥事においても、ストレリチア卿の甘々の警護を続行せよと言いたいか?」

「現状況下では、それ以上の対策はないと考えている。もし代わりたい者がいるならば、頼みたいが……?」

 

 会議室が鎮まり帰り、誰も手を上げないことにセシルは思わずため息が出そうになった。騎士団と王子の問題は、今に始まった事ではなく、ここ数年単位での重要な課題とされていることだ。

 騎士達に裏切られ続けた王子は、いつの間にか自身を囲う騎士へ信頼を失った。また幼馴染であるはずのセオやグランジですらも、既に相談対象から除外され、王子は王宮の外にいるジンへと頼りにゆく。

 

「かつて私もその任についたが、王命により降ろされ、後任のミレット卿の代で王子は抜け出しを覚えた」

「……」

「ミレット卿。貴殿の頃は確かに殿下への守りは強固だったが、結果的に19歳の誕生祭の中止を招き、かつ信頼も失った。今はそれを取り戻す為にも、あえて交代させないで置く方が賢明だと思うが……」

 

 アカツキ・タチバナの言葉に、騎士隊長達は誰も口を挟まなかった。かつて彼が親衛隊長の役へ就いていた時、王子は彼を信頼し、日常のありとあらゆる事を親衛隊の彼らに任せていた。

 王宮での困り事から外出まで、見習いのセオやグランジと共によく出かけて居たのに、他の領地へ家族で出かけ、行方不明になった事がきっかけにアカツキは責任を問われ下ろされてしまったのだ。その際に王子は自分を責め、後任についたミレットの元で守られていたが、外出から日々の行動までを制限する彼の方針に強く反発し、騎士の目を盗んで出かけ、アカツキと同じ「タチバナ」たるジンへ頼るようになった。

 抜け出しが王に知れる度に軟禁は繰り返され、警備は厳重になり王子は疲弊して19歳の悲劇を招いた。見かねた王妃は、守り切ったミレットを称賛しながらも下ろし、王子を心身的に心配していたストレリチアをその地位へと据えた。

 

「ストレリチア卿、守れそうか?」

「失態を犯した身で、それを述べることは傲慢かと、しかし引き続き殿下との信頼関係の再構築へ努力し、周辺警護の強化を……」

「聞き飽きている。もっと別の対策案をだせ」

「殿下との信頼関係について、ストレリチア卿は十分な努力をしている。先日の拉致未遂事件にて、殿下は我がタチバナの人間が関わっている事を正直に話してくれた。アークヴィーチェからの報告内容にも誤認があり、殿下の言葉がなければ真実を得られなかった。これはストレリチア卿の努力の証明になる。対策案は今すぐ出なくても構わない。来週までに頼む」

「は、二度とこのような事がないよう最善を尽くします」

「次はないぞ」

 

 皆が退出してゆく中、騎士長のアカツキ・タチバナは、セシルの肩を軽く叩いて出ていった。騎士達は皆、誰もこの国の未来を担う王子の警護はしたがらない。

 王子が騎士を信頼しないのは、物心がつき信頼を学ぼうとした彼の心を踏みにじり、かつ不安定な時期に過度の抑制を行った自分達の所為でもある。セシルはかつてミレットの下に着き、そんな疲弊してゆく王子をずっと見ていた。

 毎年行っていたハイドランジア領への帰省ができなくなった事に始まり、外出も制限がかけられ、些細な散歩ですらも安易に出来なくなった王子は、抜け出しを覚えその度にペナルティを受けるようになった。

 王宮の周辺の警備がどんどん厳重になり、次第に部屋に閉じこもるようになった彼へ、ミレットはやっと落ち着いたと言ったが、周りの使用人達は王子が笑わなくなってしまったと酷く心配していた。

 

 そして、19歳の春にそれは起こった。

 大学へ入学する記念にと、王子は皆が使っているそれずっと楽しみにしていたのに、王はそれを許さなかった。あの時の彼の表情を、セシルは忘れられずにいる。生きていながらも希望を失い、自由はないと絶望した王子は、一度生きる意味を見失った。

 唯一出ていた剣の訓練も参加しなくなり、授業にも出席出来ないほど体調を崩した王子は、誰にも会いたくないと全てを拒絶した。グランジとセオですらも受け入れず、ただの従順な人形ようになった彼に王妃は悲しみながらもミレットを下ろし、大隊長へ上り詰めたばかりのストレリチアへそれを頼んだ。

 

 セシルは、まず王子へ自分は味方であると伝えた。敵ではないと、ただ守りたいだけであると、だから守らせてほしいと、王子は首を振って「どこにも行かない」としか答えてくれなかった。

 セシルは過度な干渉を止め、抜け出しには気づいても大事にはせず、王子の希望には全て沿うようグランジとセオへ指示を出した。

 責任は全て負うと、王子が隠せと言ったならそれでも良いとした。だが守りきれないことがあれば許してくれと話すと2人は何かを堪えるように「ありがとう」と言ってくれた。

 そこから現在まできて、今に至る。約束は守り、王の干渉がある時のみ間へと入っていると、王子は自然と全てを話してくれるようになっていた。しかし、まだ甘すぎるとセシルは思う。気遣われている限り、王子と騎士の間にできた溝は埋まらず時間が必要であると自分の立場を憂いた。

 アカツキは後任はいないとしているが、もし希望者が現れたなら、おそらくすぐにでもセシルは交代させられるだろう。そうなれば、王子との関係はまた振り出しにもどる。難しいと、ため息しか落とすことができなかった。

 

@

 

 誕生祭が終わり、数週間が経っていた。

 王子は学園に復帰し勉強へ力を入れる日常で、副会長となった生徒会も春学期とともに走り出してゆく。

 生徒会会議は月に一度あり、第一回目は皆の自己紹介から始まった。

 シルフィが会長として当選したことで、自ずと彼女の派閥にいた彼らがコアメンバーとなり活動をしてゆくが、役割はまだ決まっておらず、その日は役職の取り決めからはじまってゆく。書記や会計、広報などが経験のある3回生から優先的に割り当てられてゆき、気がつくと一つの役職しか残っていなかった。

 

「執行部?」

「うん、僕の役職!」

 

 放課後に行われた第一回目の生徒会会議から一夜明け、次の日に屋内テラスへと集まった3人は、キリヤナギが嬉しそうに見せてきた生徒会腕章へ困惑していた。

 生徒会選挙は、当選した会長と副会長が意欲的な生徒を集め役職を決めてゆくが、本来副会長は、会議や集会などで議題を円滑に進める役目を持つものなのに「執行部」という「決まったこと実行する役割」を任せられていることに困惑しかなかった。この「執行部」活動内容は、生徒会へ寄せられた困り事の解決や部活動の交流を円滑にするもので、副会長の役割とはかけ離れているからだ。

 

「思いっきり下っ端じゃねーか……」

「えっ、でもシルフィは、いろんな人と関われてやりがいあるって……」

「言いくるめられてるじゃない……」

「むしろなるべくしてなったようにも見えるな……」

 

 うまく理解ができず困ってしまう。

 手元には執行部の仕事がまとめられた「やる事リスト」があり、キリヤナギがどれからやるべきか迷っていると、向かいに座っていたヴァルサスが取り上げてくる。

 

「手伝って欲しいならそう言えよ」

「私は嫌ですよ」

「もっと他になかったのか? 二回生なら確かに順当だが、副会長の役職ではないぞ?」

「そうなの? 3回生のみんなはとりあえず慣れといた方がいいって」

「一年固定なのに、慣れも何もないだろ……」

 

 何故かキリヤナギはハッとしていた。しかし、本音は皆がやりたがらない事へ逆に興味が湧いたのだ。

 執行部は、シルフィが最初に立候補を募ったのに唯一誰も手をあげず、飛ばしてからスムーズに決まっていったからだ。

 

「へぇー意外とちゃんとした事やってんじゃん」

「そうかな?」

「この時期なら、おそらく前年度にやりきれなかった事だろうが……」

 

 やる事リストは箇条書きにされていて、主に生徒達の要望や、困りごとの一覧だった。些細なものは、某所のゴミ箱は常にいっぱいでつかいにくい、とか、研究棟の階段裏の迷子猫を救いたいなど、うまくやれば解決できそうなものが並ぶ。

 

「あ、そうそうこれ、俺も気になってたんだよ」

「これ?」

 

 ヴァルサスが指差した要望は、食堂のメニューに卵料理を増やして欲しいと言うものだった。キリヤナギは食堂を利用したことがなく、首を傾げてしまう。

 

「確かに、この学校の食堂には卵料理がない。この要望は私の時代からあったが緊急性はなく後回しにしていた」

「卵料理がないって、すごい制限されてそう」

「そうだな。実際メジャーな卵系の丼モノはなく、カレーや揚げ物定食ぐらいか」

「ハンバーグあるのは、評価できんだけど、同じものばっかりだし飽きたやつからみんな売店にいってるよな。俺も一回の時しか行ってなかったし」

「なんでだろ? 食堂の人に聞いてみたらわかるかな?」

「営業しているのは委託メーカーで、メニューへ生徒会が関与できるか怪しいが……」

「ちょっと放課後にでも行ってみようと思う。気になるし」

「初仕事としては悪くない。生徒会として、『要望した』と言う建前だけでも、生徒にとってはありがたいからな」

「しょうがねぇな、付き合ってやるよ」

「ありがとう」

 

 気がつくとククリールは、じっとこちらを見ていた。訝しげに、少し不機嫌そうな目にキリヤナギは焦ってしまう。

 

「ククもくる?」

「興味ありません」

「姫はそうだよな……」

 

 そしてその日の放課後、3人は四限終わりに集まり、キリヤナギは初めて食堂へと足を運んだ。大々的に掲げられるメニューには、確かに卵料理はなく、うどんや蕎麦など卵を使わないものばかり並んでいた。

 キリヤナギは早速、掃除している職員らしき女性に声をかけにゆく。

 

「こんにちは」

「あら、王子殿下! ご機嫌よう!」

「初めまして、この食堂はなんで卵のメニューがないんですか?」

「良く聞かれるんですけどね、毎日の仕入れられる材料の中に卵がないんです。それも卵がある日突然こなくなって、それ以降要望しても入荷できなくてね」

「卵が入荷されない??」

「えぇ、3年前までは確かにきていて、その時は何かのミスだとは思ったんですが、どうやらそうでもないみたいで……」

「なんでだろう……? ここの委託メーカーは?」

「フラワーフーズです。生徒さんから直接本社へ要望を送って下さるなら、私も助かります」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 掃除へ戻ってゆく女性を見送り、キリヤナギも早速社名を調べてみると、学校や会社などの食堂を運営を受諾する会社で、全国規模の大企業だった。

 

「ヤマブキグループの企業だな。本社がローズマリー領にあり、御曹司がここへ通っていた筈だ」

「へぇー」

「アレックスは知り合い?」

「知り合いだな。政治的な権限のない『財力貴族』と言える。入学時に挨拶をされた記憶があり、私の支持者だった。だが、ここ最近はからっきしで、どう思われているかも分からない」

「直接話してみようかな?」

「御曹司にその手の権限があるとは思えないので、まずはメーカーだな」

 

 食堂の席を借り、キリヤナギが早速問い合わせをしてみると、コールセンターらしき場所へ繋がり、女性が通信をうけてくれる。

 女性は、丁寧に応じてくれたが、学園に卵がおろされないのはグループ本社の取り決めらしく、メーカーは関与はできないと言われてしまった。

 

「めちゃくちゃ根深くね?」

「想像以上だな」

「なんでだろ……」

 

 そこからヤマブキグループへ問い合わせると、すぐに判断はできないと言われ、進展があれば連絡すると、アドレスだけ聞かれて終わってしまった。

 

「これは、誰もどうしようもない訳だわ……」

「なんで……?」

「本社レベルなのか? とんでもないな……」

「ヤマブキさんが卵アレルギーなのかな?」

「御曹司のためにそこまでするか??」

「他の大学のメニューも調べたが、卵は普通に卸されているようだ。この大学だけと言うのも不信が募る」

 

 わからない。しかし何かの圧力があるのは間違いないのだろうと、キリヤナギは疑わざる得なかった。

 

「明日、ヤマブキ先輩に聞いてみる」

「望みは薄そうだが、それしかないな」

「王子ってそう言うとこ尊敬するわ……」

 

 ヴァルサスの言葉に、キリヤナギは少し照れてしまう。

 そんな放課後の時間を満喫していたら、いつの間にか帰宅時間となり、ジンが大学の玄関へついたと連絡をよこしてくれた。

 付き合ってくれた2人へお礼を言い、キリヤナギはその日はジンと帰宅してゆく。

 

「何かいい事ありました?」

 

 セオの穏やかな表情に、キリヤナギは言葉に迷ってしまう。今日のちょっとした生徒会の活動が楽しくてつい顔に出てしまったようだった。

 

「今日は、生徒会の活動を初めてやってみたけど、意外と楽しくて」

「そうでしたか。宜しければ聞かせてください」

「学校の食堂に、卵料理ないんだよね。要望出そうとしたけど、何かうまくいかなくて」

「それはそれは……」

 

 セオも不思議そうな顔をしていた。元々利用はしていなかったが、ないとわかると寂しくおもえてくる。

 

「王宮もメーカーに外注してるのかな?」

「いえ、王宮と騎士棟の食堂は、直接シェフを雇用していますから外注はしておりません。警備の問題もありますから」

「大学は外注なんだよね。桜花大学院だけ卵が下ろされてないって」

「それは確かに不思議ですね……」

「うーん……」

 

 考えたくはないが、キリヤナギは圧力を疑わざる得なかった。一般の範囲で取り合ってもらえない問題は、大体が幹部同士の取り決めで、主に「知らない方がいい」とされている事があるからだ。

 それは主に政治的な問題であることが多いが、卵が卸されない事は、その枠に収まるにはいささか些細すぎる。

 

「殿下、今日は夕食後にセシル隊長が謁見したいと仰られていますが、如何されますか?」

「セシル? もう定時じゃないっけ?」

「いえ、隊長はここ数日ら業務でこちらに居られます。その上で今週中に一度お話したい事があると……」

 

 部屋着に着替え、キリヤナギは迷った。セシルは信頼しているが、過去にミレットの下についていたとも聞いていて、時々不安になる時もあるからだ。騎士が顔を見せたいと言う度に、何か悪い事をしたのかと思ってしまう。

 

「今回はなんだろ?」

「多分、相談だと思います」

「相談?」

 

 セオの表情が曇り、キリヤナギは少しだけ察した。誕生祭で毒を飲んでしまったからだ。

 

「僕が悪いのに……」

「守りきれず、ごめんなさい」

 

 結局責任を取らされている。

 別れの挨拶だろうかと、キリヤナギは辛くなってしまい、その日の夕食は殆どは喉を通らなかった。

 今まで、キリヤナギに何か大きな問題が起こると親衛隊の顔ぶれは強制的に入れ替わり、一年も持ったのはとても久しぶりだった。目覚めてから一番初めに見えた父の顔へ、セシルから変えないで欲しいと懇願してしまったのをキリヤナギは覚えている。

 何故そこまでこだわってしまったのか、自分でも良くはわからないが、グランジとセオ、ジンをそばに置いてくれた彼は、間違いなくキリヤナギの味方だと思ったからだ。

 

 時間ちょうどに現れたセシルは、普段通りベッドへ座るキリヤナギへ跪き、優しく笑ってくれる。

 

「ご機嫌麗しゅう、殿下。夜遅くに失礼します」

「セシル、ごめん……僕のせいなのに」

「貴方は何一つ悪くはない。全ては我々の責任です。どうか気遣われず」

「……セシルも交代?」

「いいえ、タチバナ卿に庇って頂き、このままこの任へ」

「本当! よかった……」

「そのお言葉は恐縮です。しかし今後の対策案を求められおり、そのご相談にと」

「対策……?」

「はい、御身を狙うものが居るとわかった以上、殿下の周辺警護の強化をしたいと」

「えぇ……」

 

 予想通りの反応に、セシルは言葉に迷う。キリヤナギはそもそも身の回りに騎士が居る事が好きではないからだ。

 

「外出の際、通学などに、我が隊の騎士を2名ほどご同行させて頂けませんか?」

 

 首を振るキリヤナギにセシルは、困った表情をみせる。何も言わなくなってしまい、心境を読みながら続けた。

 

「護衛がお嫌いですか?」

「……窮屈だから」

「出来るだけ希望に添うつもりではいるのですが」

「……今がいい」

 

 わがままな反応にも見えるそれにセオはとても安心していた。キリヤナギは、セシルへ自分の希望を言えるようになったからだ。

 ミレットの時、彼はキリヤナギの希望の全てを度外視しただ守るだけの護衛をした事で王子は、いつのまにかそれに従順になり、逆らう事をしなくなった。

 セシルと出会った頃もそうで、しばらくは何も言わず言われるがままだったのに、今はセシルが自分の希望を聞いてくれると信頼し、希望を述べている。

 目を合わせなくなった王子へ、セシルはしばらく考えると、内ポケットからスプーンを取り出してキリヤナギへと渡した。

 

「では代わりに、それを常時携帯して頂けますか?」

「スプーン?」

「銀食器です。食べ物に毒があれば、限られた成分に反応して変色します。タチバナ卿から対策案が無ければ続投は難しいとされているので、どうかそれだけでも」

「使ってくれって意味?」

「使って頂けるなら大変有り難く思いますが、確認は出来ません。殿下の私への信頼へお任せ致します」

「……ありがとう」

「食事の殆どはセオが作っていますから、心配ありませんからね」

「構わないのですか? 隊長」

「タチバナ卿に通るかは分からないが、きいてみはするよ。もっとも煩いのはミレット卿だ……」

「嫌い……」

「殿下、彼も貴方の御身を心配してのこと、どうか責められず……」

 

 複雑な表情に返す言葉に迷ってしまう。キリヤナギにとってミレットはトラウマにも近く、彼が居るだけで行きたくないと言われることは多々あったからだ。

 

「通らなかったら、どうなるの?」

「また別の対策が必要となるでしょう。殿下の希望に添えないかもしれません。その時はどうかお許しください」

 

 残念そうに話すセシルに、キリヤナギは言葉に迷っているようだった。知らない騎士は嫌いだが、セシルが消えるのはもっと嫌だと思うと戸惑いながらも口を開く。

 

「……わかった。セシルなら、いい」

 

 セオは絶句した。今まで頑なに騎士を拒絶していたキリヤナギが、セシルの言葉に初めて折れたのだ。

 

「ありがとう、ございます。隊長……」

「殿下のお側に居れるなら、これ以上光栄な事はないさ」

「これ大事にするね」

「えぇ、お守りとしてお持ちください」

 

 セシルはそう言って、丁寧にキリヤナギの自室を出てゆく。彼はキリヤナギの居室フロアをでて、脇にある大きめの扉の元へと向かった。

 王子のフロアと隣接しているそこは、キリヤナギ親衛隊に所属する彼らの事務所だ。

 

「うぉぁぁぁ、おわんねぇ……」

「え、珍しくジンさんの心が読める……!」

「ちょっと待って下さい、なんで電子化までやらないといけないんですか?? 私達騎士ですよ?」

「ヒナギクちゃん、ついでだから」

「くっそ、何件あるんだよ、これぇ!」

「……」

 

 グランジは黙々と電子端末に向かって作業をしている。

 誕生祭の当日、使用人の中へ工作員がかなりいた事で、彼を護衛する親衛隊達は、王宮に務める約1300名の使用人達の身元の確認作業をやらなければならなくなったのだ。

 無事であったのはそうだが、今後同じことが起こらない為にも、出身地や第三者への身分の再確認を行わなければならない。

 

 ここ数年でガーデニアからの技術輸入により、書類の数割は電子化されていてその分は早いが、それ以降が紙でしか残っておらず、事務総括がついでに電子化してくれと声をかけてきた。

 他の騎士の部署は2、30人で数千規模の騎士や使用人を支えているのに、この部署は王子1人に対し8人であるため、一人頭の作業にどう見ても手が足りない。親衛隊の彼らは、連日ほぼ徹夜で作業に追われる日々だった。

 

「ジンさん、管轄違うのにごめんなさい、わざわざ」

「ラグさん。気にしないで……」

「ジンさん、ラグドールさんが好みなんですねー」

「セスナさん、ここぞとばかりに読まないでください!」

「皆、元気だなぁ……」

「隊長ぉ〜! 殿下はどうされてました?」

「元気そうにしておられたよ」

「やっぱり納得いかないので、総括に文句行ってきます」

「ヒナギクちゃん、一応、アカツキさんとミレットさんが手伝ってくれてるから……」

「今日は帰る!! 帰っていいですよね!?」

「ノルマ終わったらね」

 

 グランジはコーヒーを飲んで休憩をしていた。責任に追われる日々でもあるが、こうしてほぼ全員が揃うのも珍しく、新鮮な気持ちにもなる。

 

「セオが今日のお世話終わったって言ってたけど、誰か護衛交代できる?」

 

 全員が黙って手を上げて、セシルは優しく笑った。難しい部署だと言われるが、実際に勤める彼らは個性豊かで、重い責任すらも何故は解けるように軽くなる。

 キリヤナギは恐らくこれがわかっているのだ。セシルは、セオとグランジからキリヤナギの性格をこう例えられた事がある。

 『鏡』だと、

 周りを囲う人々の感情を、誰よりも敏感に繊細に感じ取る王子は、自分を煩わしく思う騎士には絶対に心を開かないと、向き合うのならこちらから受け入れなければならないと話された。

 ミレットも当初は尽力するといいはしたが、当時の国家情勢がそれを許さず、彼も苦渋の決断であったのだとセシルは認識している。

 

「じゃあ、グランジ、お願いしていいかな?」

「はい」

「えーー! 隊長、僕も休憩したいですー!」

「セスナはむしろ気を遣わせるからね」

「隊長、次俺!」

「リュウドは帰りたいんじゃないのかい?」

「帰っていいんですか!」

「では、ちょっと席を外しますね」

「ヒナギクちゃん……」

「ねみぃ……」

 

 セスナは何故か朗らかな顔でジンにコーヒーを入れていた。王子へ長く付き添う為にも、今負わなければならない責任は取らなければと、セシルもまた席に着く。

 

26

 

 夜が明け、その日もグランジと共に登校したキリヤナギは、学院の入り口にサーマントを下ろす見慣れない騎士が立ってることへ驚いていた。

 学生を見守るように立っているが、硬い雰囲気も纏っていて思わず緊張してしまう。

 

「大丈夫か?」

 

 身を固くしたキリヤナギへ、グランジが気を遣ってくれた。しかし今は心配させるべきではないと、前を向く。

 

「王子じゃん、グランジさんも」

「ヴァル、おはよう」

「なんか厳重になったな」

「僕の所為かな……」

 

 少しだけ視線を落とすキリヤナギに、ヴァルサスは視線をこちらによこす。この数週間だけでも、色んなことがあって思い当たる節がいくつもあるからだ。

 傷もう治癒したが、昨日セシルが顔を見せにきたのを思い出して、気が重くなっていく。

 

「別に当たり前じゃねぇの? 王子なら」

「うん……でも、少しつらくて」

「なんでだよ。守ってくれるんならいいじゃん」

「……」

 

 色んな感情が込み上げてきて、整理がつかなくなる。伝えるにもどこから話せば良いのが分からなくなりキリヤナギは黙ってしまった。

 

「騎士が嫌いなのか」

「ううん。そうじゃなくて……僕もうまく言えないと言うか」

「ふーん」

 

 ふとキリヤナギの中にアカツキの顔が思い浮かび懐かしくなる。

 彼はとても強かった。

 今のジンのように、「王の力」を持つ者たちをいなし、まさに一騎当千とも言える実力を持っている。そんな彼に、キリヤナギは幼いながらも憧れて、強くなりたいと願い。歳の近いジンと共に「タチバナ」学んでいた。

 その時はとても楽しかったのに、彼はキリヤナギの側から居なくなってしまった。 「どこに居ても守っている」と何度も説得されたのに、あの時の辛さは今でも忘れられずにいる。

 

@

 

「本当に行くの?」

「行くけど……?」

 

 ヴァルサスは何故か、尻込みしていた。その日の放課後、4人は一度集まりシエロ・ヤマブキがいると言う。クラブ棟へと向かっていた。

 アレックスによると、彼は弓道サークルの部長をしていて放課後にはいつも練習をしているらしい。

 

「姫もいるし……」

「何が文句あります?」

 

 今日は珍しく、ククリールが肩を並べてくれていた。珍しいとは思ったが彼女なりにヤマブキグループの御曹司には興味があるらしい。

 

「ククはなんでヤマブキ先輩が気になるの?」

「聞くのか?」

「別に、お仕事の契約相手になるかもしれないだけです。カレンデュラでは果樹園を運営しているので」

「そうなんだ」

「王子って意外と嫉妬深い?」

「そ、そんなつもりは……なくて」

 

 想定外の受け取り方で困ってしまった。案内されるがまま向かうとそこには専用の弓道場があり、ヴァルサスはこの大学の規模に驚いてしまう。

 そっと中を除くと玄関の奥に廊下が見え、茶髪の美男子がそこにいた。周りの女性を釘付けにする彼は、女生徒に促されようやく4人に気づく。

 

「おや、ご機嫌よう。マグノリア卿」

「ヤマブキ殿。突然現れてすまない」

「そちらは王子殿下にカレンデュラ嬢。ご機嫌麗しゅう」

「こんにちは、少しだけ話してもいいかな?」

「王子殿下からとは断れないな。こちらに和室があるので、どうぞ」

 

 弓道場の奥には部員達の荷物を置く広い和室があり、4人は女生徒からお茶を出された。

 促されて座ると目の前の彼も最後に座る。

 

「改めてご機嫌よう。私はシエロ・ヤマブキ。かのヤマブキグループを継ぐ御曹司だ。よろしくね」

「オウカ国第一王子のキリヤナギ・オウカです」

「しってるよ」

「王子……」

 

 笑われてまたショックを受けてしまう。恥ずかしい気持ちを抑えていたら、切り出してきたのはシエロだった。

 

「私に何か御用かな?」

「ヤマブキ先輩。この大学って食堂に卵料理ないのですが、理由をご存知ないですか?」

 

 シエロの表情が戯けしばらく固まっていた。キリヤナギは予想外の反応でしばらく固まってしまう。

 

「その事か、悪いね。実は私に卵アレルギーがあって食堂で出さないようにお願いしてるんだよ」

「えっ」

「僕が卒業したら、またでるようになるから、我慢して」

 

 あまりの爽やかな返答に、4人はしばらく返事が出なかった。理解が追いつかずにいるとアレックスが口を開く。

 

「それは、どう言う意味だ?」

「別にそのままの意味だけど、何が問題ある?」

「大アリだ。アレルギーがあることは確かに気の毒だが、だからと言って他の生徒にまで食べないことを押し付けるのは違う」

「そんなこと言って、私が倒れたら君は責任を取れるの? マグノリアは政治的な貴族だけど、君の領地の店はほとんどヤマブキグループだし、どうなっても知らないよ?」

「そういう問題ではーー」

「アレックス先輩。大丈夫、話にきたのは僕だから」

「おや、王子が責任をとってくれるのかな?」

「メーカーが食堂に卵を卸さない問題と、ヤマブキ先輩のアレルギーは別の問題だと思うんだけど……」

「なら、もし僕が間違って食べたらどうするの?」

「だってそれ、そもそも注文しないんじゃないかなって……」

 

 シエロが黙り、全員の視線が王子へと向いた。

 

「シエロ先輩は、絶対に間違えて卵料理をたべるってこと?

「それは、友達とシェアするかもしれないだろ?」

「卵はいってるってわかってるのに??」

 

 聞いていた周りの女生徒も唖然としていた。王子の言葉は当たり前の発言であることはそうだが、業務を請け負う大企業として、誰も彼に逆らうことはできなかったのだろう。

 シエロがその権威に甘えていたのなら、それは権力を使った脅しにも近い。

 

「シエロ先輩のために、メニューに卵が入ってる表記いれたらいいかなって思うけどどうかな?」

「……そんなことで、僕が動く訳が」

「ならどうしたら協力してくれる?」

「どうしたら?」

「僕は生徒会だから、卵料理をどうにかする為にもシエロ先輩の困りごとを解決できればと思うんだけど……」

 

 これは、一つの交渉を見ているとアレックスは冷静にみていた。

 シエロにはおそらく深い理由はないのだ。卵を卸さないのは個人の都合で理由はない。

 その上でキリヤナギは、彼にきっと理由があるという大前提の質問をすることで、相手の正当化を行い、折れる理由を作ろうとしている。

 

「私は、卵料理がない今の食堂に満足しているから、特に困ってはいない。『余計なお世話』かな?」

「そっか、うーん……」

「はは、でもこの僕に対してそこまで食いついてきたのは認めよう」

「それは?」

「そうだな。私と弓で戦ってみないか? いい場所へ当てられたら、考えてあげるよ」

「本当、やってみる!」

「待て王子、ヤマブキ。ハンデぐらいあるんだろうな?」

「ハンデ……? そんなもの必要か?」

「先輩、僕は気にしないし大丈夫」

 

 その後キリヤナギだが、女生徒に連れられ弓道技へと着替えさせられた。練習していた生徒から軽くレクチャーを受けながら、王子は弓のハリを確かめている。

 

「初めてではないな。王子」

「分かる?」

「策士だね。ちょっと気に入ったよ」

「得意ではないけど、頑張るね」

 

 弓は、剣の訓練と共に勧められ、去年から始めたスポーツだった。親衛隊の1人、ヒナギク・スノーフレークが、宮廷騎士の中でも珍しい弓士として認定されており、集中力の回復にと息抜きにで軽く指導をうけていた事がある。剣とは全然違うその打ち方に戸惑い、初めは当たらないばかりか、まともに弓すら引けなかったが、初めて命中した時の快感が忘れられず、気が向いた時に打ちに行っていた。

 

 シエロはしばらく目を瞑り一度精神統一をする。数分そうしていて雑念を払うように目を開けると、ゆっくりと立ち上がり、弓部屋を添えた。

 引かれた矢を引き絞り、極限まで高められた集中力で、矢は放たれ、二重線の内側へと命中する。

 女生徒とキリヤナギが拍手をし、今度はキリヤナギの番だ。呼吸を整え、目の前の的へと集中する。

 弓道は、ヒナギクから集中力が全てであるとキリヤナギは教わっていた。どんなに達人級の弓師でも、集中力が続かなければ当てることはできず、雑念があれば真っ直ぐにも飛ばないとも教わった。

 ゆっくりと引き、矢を直線になるように構える。

 前を向き、矢を持つ手は顔の後ろにくることからまっすぐに添えられているかは勘しかない。しかしそれでも、キリヤナギはとてもリラックスした状態で矢を放った。

 

 当たればいいと願った矢は、的の外周ギリギリにあたり、一応は拍手がおきる。

 

「ま、負けた……」

「お疲れ様。面白かったよ」

「……ヤマブキ先輩。ありがとう」

「はーー? マジかよ、王子!?」

「当てるだけでもなかなかだぞ、ヴァルサス」

 

 ククリールは、拍手だけをしてその場を静観してくれていた。

 3人はキリヤナギの着替えを待ち、その日は弓道場を後にする。今までの王子の功績から負けることは想像しておらず、ヴァルサスはため息をついてしまった。

 

「まさか、王子が負けるとは思わなかった」

「僕だって負けるし」

「そうだけどさ……」

「納得はいかないがしょうがない。ヤマブキは、財力貴族としてはかなりの力を持っている。あの態度も珍しくはない」

「私は、話す気も失いました」

「クク……」

「あと2年このままかよ。なげーなぁ……」

「ヴァル、ごめんね」

 

 ヴァルサスは何故か肩を組んでくれて、キリヤナギは少しだけ嬉しかった。もう少し練習をして挑みに行こうと考えていると、グランジから連絡がきて、その日も2人で帰宅する。

 

 王宮の廊下を歩いていたら、事務所の方に明かりがついていて、それなりの人数の人影がみえた。

 

「みんないる?」

 

 グランジはうんうんと頷いていた。その日は食卓が近く、足を運べなかったがきっと忙殺されているのだろう。

 セシルは尽力していたはずなのに、理不尽であるとキリヤナギは少しだけ複雑な心境を抱いていた。

 

27

 

 そして次の日。王子が登校すると学園の雰囲気が少しだけ変わっていた。皆が楽しそうに食堂の方に向かい、人だかりができている。

 なんだろうと見に行くか悩んでいると、ヴァルサスが突然現れ背中を叩かれた。

 

「王子やるじゃん!」

「何が?!」

「食堂の卵、復活したってさ!」

「ほんとに??」

 

 ヴァルサスは、わざわざ食堂前に並びそこへ掲げられていた看板を撮影してきてくれていた。デザインボードへオムライスや親子丼が追加とかかれ、その日はカウンターで対応すると書かれている。

 

「へぇー、ヤマブキ先輩かな?」

「そうじゃね、意外と話できるんだな」

「私の噂かい?」

 

 2人で身を震わせて振り返ると、背後にシエロが立っていた。彼は得意げにこちらへ笑みを見せている。

 

「ヤマブキ先輩、ありがとうございました」

「はは、間違う大前提。とまで言われれば、流石に恥ずかしくなったよ。今までそんな事、言われた事無かったから」

「ズ、ズレすぎ……」

 

 ヴァルサスの苦言にシエロは、笑って帰していた。そしてキリヤナギへと右手を差し出してくれる。

 

「弓のゲームはとても楽しかった。また打ちに来て」

「わかった」

「あとよかったら、我が社の商品の引換券を受け取って。宣伝のようだけど、王室でも試してくれたら嬉しい」

 

 渡されたのはケーキ店の引換券だった。シリアルナンバーもあり、貴族向けなのが見て取れる。

 

「ありがとうございます。先輩!」

「じゃ、私は授業だから」

 

 シエロは手を振ってその場を去って行った。授業を受ける前も、生徒達は食堂の話でもちきりで、キリヤナギも嬉しくなってしまう。

 

「ヤマブキは折れたか、当然だな」

「アレックス……」

 

 不機嫌そうに腕を組むアレックスに、ヴァルサスは困惑していた。ククリールも同じく納得がいかないようで目も合わせてくれない。

 

「あんな人を私は貴族とはみとめません」

「私もだ、前年度に気づいていれば徹底的にやっていただろう。王子だからこそ穏便に済んだな」

「悪意はなかったし……」

「そういう問題ではない」

「アレックスならどうしてたんだよ」

「私ならメーカー総入れ替えの働きかけをしていただろう」

「脅されてたのにか?」

「関係はない。昨日調べたら所、ヤマブキグループのマグノリアでの収益は3割以上をくっていた。切るのはあちらにとってもハイリスク。やるわけがない」

「とんだホラ吹きね」

 

 聞こえないフリをする王子に、アレックスはそれ以上は言及はしなかった。改めてヴァルサスは、このマグノリアの怖さを周知する。

 

「こ、こえー……」

「政治貴族と違い、財力貴族は制約がない。我ら政治貴族はこれらを管理する事も一つの役目でもある」

「ふーん、王子はそういうのは分かんの?」

 

 突然振られ、キリヤナギが言いづらそうにしている。首を振っているのは、答えたくくないようにみえた。

 

「王子。あえて聞くが、どこまでわかっていた?」

「え、べ、別に……」

「ごまかしてるぞ」

「で、でもほらここ学校だし……生徒が圧力をかけてるのは、想像してなかったかな……?」

 

 つまり圧力がある可能性を王子は把握していたのだ。あくまで生徒の範囲でできる事を探していたなら確かに生徒会としては妥当だと判断する。

 

「王子」

 

 身を震わせて、キリヤナギ恐る恐る振り返る。

 

「ヤマブキは、単純に王室をビジネス相手にしたいだけだ。そのチケットを渡したのも、王子にいいイメージを植え付けたいだけの戦略に過ぎない」

「が、学校でそういう話はちょっと……」

「王宮で安易に契約すれば、迷惑を被るのは臣下達だ、そこは話しておく」

「王宮は、その辺はあり得ないから……」

「何故言い切れる?」

「多分、暗殺、対策、かな……?」

 

 言いたくないのか、小声で話した王子に、3人は何も返すことができなくなった。アレックスもまた憤慨していて頭から抜けていた事を後悔する。

 

「……それならいい」

 

 王子は、その日誰とも目を合わせなくなってしまった。放課後も屋内テラスには行かずぼーっと空を見て過ごしていると、ジンが現れその日も徒歩で帰路へ着く。

 

「今日早かったですけど、何かありました?」

「たまには……?」

 

 俯いてしまったキリヤナギにジンは、何かを察し、少しだけ考える。

 

「俺、殿下送ったら差し入れ買いに行くつもりだったんですけど、よかったら付き合います?」

「差し入れ?」

「小売店行くだけだけど、それでもよければ」

 

 早めに出て、まだ十分に時間がある。そして今朝シエロからもらったチケットを思い出し、取り出した。

 

「これ,今日先輩にもらったんだ。使う?」

 

 渡されたそれにジンは驚いていた。束になっているそれは、貴族向けの高級ケーキ店の引換券であることがわかり、僅かに目が輝いている。

 

「い、いいんすか。これめっちゃいいとこ」

「そうなの……? 先輩に宣伝って言ってもらって……」

「何したらもらえるんすか……?」

 

 話せば長いと思うが、チケットは五枚あって一枚につき2個交換できるという。

 親衛隊の皆はキリヤナギも合わせて9名でちょうど足りる数だった。

 

「じゃぁ、今から行っていい?」

「分かりました。店を調べてみますね」

 

 ジンに連れられて向かった場所は、首都の高級五つ星ホテルだった。王宮並みに豪華な内装に驚いてしまう。

 そこへ併設されている店は、ショーケースの中に見たことが無い形のケーキが並んでいた。

 宮廷騎士の制服を着るジンは、目立ち視線を感じたキリヤナギは、手早くケーキを選んで帰路へとついた。

 そして迷わずに、最近電気が消えない事務所へと足を運ぶ。

 

 そこは死屍累々だった。

 手前にはグランジが珍しく目にクマを作りながら端末に向き合い、奥のリュウドは応接ソファで気絶したように仮眠していて、ヒナギクは何かを呟きながら、鬼の形相でキーボードを叩き、脇にはセシルですらも騎士の帽子を顔に乗せて休んでいる。

 セスナは、机に突っ伏してクッションへ頭を乗せながら寝ていて、ラグドールはぬいぐるみに抱きついて座っていた。

 そして事務所の手洗い場で顔を洗っていたセオが、扉が開いた音に気づいて振り返る。

 

「ジン……おかえ……殿下!?」

 

 全員が飛び起きて立ち上がり、キリヤナギの方が驚いて、思わず箱を落としそうになる。

 ジンが支えてくれて全てが無事だった。

 

「お、おかえりなさい、呼んで頂ければすぐにでも」

「え、殿下? ごめんなさい。ねてました」

「も、申し訳ない。お見苦しいところを……」

「み、みんな大丈夫?」

「タチバナさん! 殿下くるならあらかじめ言って下さい!!」

「両手ふさがってて、すいません。ヒナギクさん」

「い、いまお茶いれますっ!」

「殿下、応接ソファこっちこっち!」

「……」

 

 やはり気を使わせているようで申し訳なくなったが、空気が暖かくて言われるがままソファへと座らされる。

 お茶を出されて座っていると、ジンもまたキリヤナギと同じ箱をテーブルへ置いた。

 

「殿下が差し入れ買ってくれたんです」

「差し入れ?」

 

 開けられた箱に、リュウド、セスナ、ヒナギク、ラグドールが目を輝かせてくれて、キリヤナギは全てがどうでも良くなった。彼らはこちらの好意を素直に喜んでくれたからだ。

 

「頂いていいんですか!?」

「うん、みんなに」

「休憩しましょう。隊長も」

「あぁ、とてもありがたい。痛み入ります、殿下」

 

 ラフに騎士服を着るセシルも新鮮で、キリヤナギは何故か安心した。

 

「私いちごにします」

「僕はチョコレートので」

「あ、俺もチョコレートが良い」

「あはは、じゃんけんですね」

「グランジは何がいいです?」

「なんでもいい」

「殿下は?」

 

 全員が黙ってこっちを向いて少し緊張した。

 今日は皆のために買ってきたケーキで、自分の物はあまり考えていなかったからだ。

 

「どれでもいいから、皆、先に選んで」

「いいんですか?!」

「うん」

「じゃあチーズにします」

「皆さん、謙虚さがどこかにいってますね……」

「あはは、ここ数日禁欲だからね」

「僕のせいで、ごめんね」

 

 セシルも皆も食べながら首を振ってくれる。

 

「総括のせいです!! あの人達が余計な仕事を……」

「お、落ち着いてヒナギクちゃん……」

「美味しいー。ケーキなんて久しぶりですー、隊長、いちごムースありますよ」

「じゃあそれにしようかな」

「あーー、甘いものが染みるー!」

 

 つられてセオも笑っていた。グランジも果物のジェラートを回してもらい黙々と食べている。

 ジンもティラミスを立ってつまみ、キリヤナギの元には抹茶のものが残った。

 

「殿下はたべないんです?」

「僕、晩御飯あるから」

「そうでした。先にもらって失礼します」

「仕方ないですね、総括は殿下に免じて許します」

「ありがとう、ヒナギクちゃん……」

 

 そんな賑やかな事務所を後にして、キリヤナギはセオと共に居室フロアへと戻った。

 元気づけに行ったつもりが、なぜか元気を貰ってしまった気もして自然と笑みがこぼれる。

 

「みんなすごいね」

「セシル隊長になってから、ずっとあんな感じですね……。私は時々不安になりますが……」

「……辛くない?」

「辛くても何故かどうでも良くなります、皆を見ていたら」

「僕も……」

「よかった。また顔を見せて下さい」

「うん」

 

 部屋着に着替えていたキリヤナギは、ふとアカツキがここにいてくれていた時代を思い出した。

 彼が隊長だった時、彼もその部下もキリヤナギが事務所を見に行く度に沢山遊んでくれて、そんな彼らの息子たちが、セオやグランジ、ジンだっからだ。

 当時勤めていた親の彼らは、今はもう別の部署にいるものの、楽しかったあの頃が戻ってきたようで嬉しくなる。

 

「また差し入れするね」

「はい。ありがとうございます」

 

 今日も一日、平和だった。

 親衛隊の彼らの激務はもうしばらく続く。

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