17
朝だった。晴天が続いていたオウカ町はその日は曇りの雨予報だ。
キリヤナギは普段通り鈴付きの目覚ましで目覚め、顔を洗い、着替えてリビングへと出てゆく。
朝食の匂いがするリビングでは、テレビがついていて朝のニュースが流れていた。
「おはよう、2人とも」
「殿下、おはようございます……」
リビングにはグランジもいて、警護の合間に本を読んでいた。配膳された朝食をとり、その日の時間割を確認する王子をセオは訝しげに眺める。グランジは気にも留めず、黙々と本のページをめくっていた。
「殿下」
「ん、今日何かあったっけ?」
「本日は、療養として学校は欠席されてください」
「え”っ」
キリヤナギの鈍い声に、ようやくグランジが反応する。
「や、やだ。元気だし」
「頭をぶつけられたのですよ? 【細胞促進】で治癒したからと言って完治したわけではありません。今日はお休み下さい」
「前も水曜休んだし、そろそろ出席しないと……」
「誕生祭に響いたらどうするんですか! 今日だけなのですから、様子を見てください」
グランジは何ごともないように本を読んでいる。この2人の不毛な問答は日常だ。無鉄砲なキリヤナギは、緩い言葉では絶対に応じない為、セオは当然のように厳しめの言葉を投げかける。
「授業だけ出席したらすぐ帰るから……」
「そう言って帰ってくるのは、いつもギリギリですよね。時間割をおしえてくださるなら考えます」
「僕にもプライベートをくれたっていいじゃん!」
論点がずれてきたと、グランジはしばらく観察することにした。時間割を知りたいのはグランジも同意だが、キリヤナギも「自由にしている時間」を知られたくないのは理解できる。
「何でもかんでも管理しようとしないでよ!」
「そんなつもりはありません! 嫌だとおっしゃっるなら、言及も致しません。でも今日だけは、どうか、お休み下さい」
「……!」
「今は平気でも、反動がいつくるか分かりません、昨日医師からも言われている事です。勉強を取り戻す為に最大限のサポートもします、なので、どうか……」
目を合わせなくなったセオにキリヤナギは、何も言わず自室へ戻ってしまった。
いつもならキリヤナギが怒って逃げるように登校してゆくのに、今日はセオが勝って珍しいとグランジは思う。
彼ははほっとしたのか思わずリビングチェアへ座り込んでしまった。
セオもまた過保護になっているのは十分に理解している。しかし、国、情勢、政治面などありとあらゆる事で、王子がどうあって欲しいかと考えたとき、その最善はここへと行き着いてしまう。
「グランジ……私は間違っていますか?」
グランジは首を振っていた。
セオの判断はいつも正しいものだ。
国にとって、王家にとって、それは最善ともいえる。しかしそれは、1人の人間として幸せを求めることができるとは限らない。
「殿下なりに考えている。セオはサポートをしていればいい」
「……」
そのサポートはキリヤナギにとってはどうなのだろう。同世代のありとあらゆる娯楽をしらず、趣味も殆どない王子は、そのストレスを抑え込むことしか知らない。
「今日は触れないでおく……」
グランジは頷いていた。
自室へに戻った王子は、その日登校する気満々で、授業の資料もあつめて準備したのに出鼻を挫かれた気分になっていた。
しかし原因は、昨日無茶をして怪我をした自分の所為で、セオは責められるべきではないとキリヤナギは反省する。
キリヤナギからみて、セオは幼馴染であり、バトラーであり、そして家族だ。
当たり前に食事を用意し、衣服の準備から、悪いことをすれば叱り、良きことなら一緒になって喜んで褒めてくれる。物心がつくまえから行われているそれは、もはや当たり前にあるもので、煩わしいとも思ってしまうほどだ。
しかし、これは贅沢なのだ。
本来ならそんな人物には恵まれず、出会えたとしても数年で入れ替わることが殆どで、彼のように10年以上共にいる関係はとても珍しい。
特にキリヤナギは、臣下達の間でもかなり問題児として評価され、護衛騎士は頻繁に入れ替わり、今の親衛隊も結成されてまだ一年たつぐらいなのに、セオは変わらずずっとそばに居る。
当然それは「仕事」ではあるのだが、本当に「仕事」だけなら、こんなに長くは続かず、騎士達のようにとっくに見捨てられて居るはずだからだ。
しばらく考えたキリヤナギは、仕方なく欠席することを4人のグループ通信へと送信していた。
怪我をした事を伝えると、真っ先にヴァルサスから返事が来て、個人通話も飛んできた。
「ヴァル?」
『怪我したのか?』
「うん、そこまでひどくないんだけど……今日一日、様子見ろって」
『どこか打ったとか?』
「頭ぶつけちゃって……血が出てたから皆に心配されてさ」
『頭かよ。それは休めっていわれるわ……』
「元気なのに……」
『そう言うとこじゃねえの?』
思わず口ごもってしまう。ヴァルサスの通信からは騒がしい雑音が聞こえてきていて、登校中なのだろうとわかった。
『王宮って、見舞いとかいけたりするのか?』
「え、ダメってわけじゃなさそうだけど……」
『俺今日三限までなんだよ。差し入れもってくし大人しくしてたら?』
思わぬ申し出に、キリヤナギは戸惑ってしまう。しかし、王宮への来客は珍しい事ではなく。今なら身分証明さえできれば、きっと問題はない。
「入り口で身分証明とか本人確認いると思うけど、大丈夫かな?」
『よゆーよゆー、何があったか詳しく話せよ』
「わかった。守衛に話つけておくね」
初めての同級生の来客で、キリヤナギは心躍る思いだった。しかし、先程セオと少し言い合いをして気まずく、許してもらえるか不安になる。
そっと自室の入り口を少しだけ開けてリビングをみると、そこへセオは居らず、グランジの気配もない。
テーブルには1人分のティーセットがラップをかけられたお菓子と一緒に残されて居て、2人とも事務所だろうか考察した。
しかし事務所を見に行っても2人は居らず珍しいとも思う。
「ツバキさんは、先程会議へむかわれました。シャープブルーム卿も、本日は騎士棟でミーティングがあるそうです」
衛兵の彼らの言葉にキリヤナギは悩むが、せっかくきてくれるなら準備をしたいと、キリヤナギは衛兵に話をつけ宮殿内へ出かけた。
来客がくるなら応接室だろうかと、王宮の総括事務所へ向かい今日の空きを確認しにゆく。
ここは王宮の仕事が集約された総括事務所で、常に多くの使用人や騎士が行き交いキリヤナギは紛れ込むようにして窓口へと向かった。
「……殿下?」
応接室を使用する為の申請書を探して居たら、ツバキ組のメイドが声をかけてくれる。
彼女へ経緯を話すと、今年から飛び入りの来客に対応する場合、使う前に履歴さえ残せば問題ないことがわかり、申請書は必要がなくなっているらしい。
「日が開く場合は必要ですが、当日には不要となりましたので気軽にご利用下さい」
「ありがとう、助かる」
「では申し訳ございません、私はこれから東棟の清掃がありますので」
「うん、またね」
応接室は、その日一室が午後から終日空いて居て、キリヤナギは使用履歴のみを書いて、事務所を後にする。
事務所の近い位置には、宮殿の正門があり、キリヤナギはそこの事務所へも足を運んだ。
友人が遊びに来ること伝えると、当然のように名前をきかれ、ヴァルサスのラストネームを知らないことに気づいた。
「ヴァルサス君? あぁ、知ってますから大丈夫ですよ」
「え、そうなの?」
「はい、彼が生まれた時、私もお祝いしたんです。覚えてるかなぁ……ともかく、了解しましたよ」
王宮の関係者なのだろうかと、キリヤナギはしばらくぽかんとしていた。
彼がきてから詳しく聞こうと、王子は準備を続ける。
来客ならお茶菓子で迎えるのが基本だが、リビングに常備してあるものはキリヤナギのもの以外は余ったもので、形が悪く出すものとしては向かない。
回してもらえるものは無いかとキッチンへ赴くと数名のシェフが緊張した面持ちでミーティングをしていて、とても割り込める雰囲気ではなかった。
自分で作るのを視野に入れて歩いていると、使用人向けのキッチンで何かを作っている少女をみつけた。淡いピンクの髪をツーサイドアップにする彼女は、大きめのバスケットに大量のサンドイッチやおにぎりを詰め、まるでピクニックの準備をしているようにも見える。
遠目でのぞいていたら、彼女はこちらに気づいて笑ってくれた。
「ごきげんよう、何か御用ですか?」
「こんにちは、君は王宮の人?」
「はい、でも今日は本当はお休みなのですが、ここをお借りしておりました」
「そうなんだ。いつもありがとう」
少女は首を傾げて居た。彼女はキリヤナギを足元から頭までまじまじと見て、訝しげな表情をみせる。
「いくらお休みとはいえ、私服で王宮を歩き回るのは如何なものかと思うのですが……」
「え”っ、不味かったかな?」
「国王陛下とすれ違ったときに無礼とされても仕方無いとは思います」
「言われたら、確かにそうかも……着替えて来ようかな」
「ふふ、お兄さまにお願いすればお洋服をお貸しすることはできるかもしれません」
「洋服を?」
「はい。私はこれからお兄様へこのお弁当を届けに行くのですが、沢山作って一回では運びきれないのです。もし宜しければ男性として、そのお力を貸していただけませんか?」
「そう言うことなら!」
少女に渡されたバスケットは、食べ物の他にも水筒や皿なども詰められ確かにとても重い。手伝えたのなら良かったと思い、後へついてゆくとたどり着いたのは東側の屋外にある演習場だった。一部には、グラウンドのような砂地があり、今日はそこで騎士達が訓練へと励んでいる。
動きを見ると剣の動きで、キリヤナギは思わず凝視していた。
「お兄様ー! プリムが参りましたー!」
叫んだ少女に、訓練へ参加する金髪の男性が手をふって応じて居た。雰囲気に見覚えがあり、思わず目を凝らして驚く。
「リュウド!?」
「あら? お兄様とお知り合いですか?」
リュウドを兄と言う彼女に、驚いて反応が遅れてしまう。
「申し遅れました。私はプリム・ローズです。以後お見知り置きを」
「へぇ、気づかなくてごめん。僕はキリヤナギ・オウカ。よろしく」
プリムの目が点になり、あれ?と違和感を覚える。フリーズしている彼女へ、キリヤナギもハッとした。
「王子殿下!? 大変失礼致しましたわ!」
「えっえっ、気にしないで、手伝えてよかったし……」
プリムは途端に、ベンチへシートを引いて水筒からお茶をだしてくれた。先程の会話も使用人と勘違いされて居たことにもようやく気づき、お互いに反省する。
「あのような場所で、何をされて居たのですか?」
「今日の夕方に、学校の友達が遊びにくるからお茶菓子余ってないから探しにきたんだ。でも皆忙しそうだし、どうしようかなって」
「来賓用でしたら、キッチンの冷蔵庫にあるとは思うのですが……」
「来賓じゃなくてお見舞いにきてくれるんだよね、そう言うのもちょっと違ってるかなって」
「ふんふん、確かに少し違う気もします……」
話して居たら、リュウドが訓練の輪から離れこちらへと走ってくる。プリムはこちらにきたリュウドへ、スポーツ飲料を渡して居た。
「殿下じゃん! 怪我したって聞いたけど、大丈夫?」
「もう殆ど治してもらったから平気。心配かけてごめんね」
「まさか、無事で何よりだよ」
リュウドを含めた騎士達が、昼休憩にはいり、皆がプリムの持ち込んだ昼食へ手をつける中で、話題はキリヤナギの目的へシフトする。
「へぇ、この後殿下の友達がくるんだ?」
「うん、だからお茶菓子いるかなって」
「俺なら普通に出せるもの出すけど……」
「殿下。もしよろしければ、このプリムが、先程の無礼のお詫びに何かお作りしましょうか?」
「え、いいの?」
「はい。凝ったものは難しいですが、まだ時間はありそうですし、是非」
「ありがとう、助かる」
「プリムは本当に料理が上手いんだ。貴族が相手でもきっと大丈夫」
ありがたいと、思わず両手を合わせてしまう。
昼を終えたリュウドと別れ、キリヤナギは、使用人の賄いが作られるキッチンへとプリムを案内した。
ここは、余った食材が一時保管されている場所で、関係者ならば自由に利用できる。
「あら、こんな場所があるのですね!」
「ここの食べ物は、期限すぎると破棄されたり、動物のご飯になるみたいで関係者なら自由に使っていいんだって」
「これでしたら、色々作れると思います。お友達が来られるのは何時ですか?」
「三限終わりって言ってたから、多分16時ごろかな?」
今の時刻は13時だ。料理をするには十分だとプリムは気を引き締める。
「では、完成致しましたらご連絡差し上げたいので連絡先を伺ってかまいませんか?」
「うん。ありがとう、プリム!」
後のことをプリムへ任せ、キリヤナギは空いていると思われる応接室をみにゆく。使われた後を考慮し、軽い掃除用具を手に部屋を覗くと、そこには見覚えのある先客がいた。
「お部屋におられないと思ったら、また……」
「せ、セオ……」
「どういえば療養の意味をご理解頂けるんですか!」
「で、でも、ヴァルがお見舞いに来てくれるって言うから……」
「自分で準備する病人がいますか!??」
怒っている。
頭を抱えるセオに、キリヤナギは何も言い返せない。
「先程は、少し言い過ぎました……」
「……!」
「我々バトラーは、貴方に仕える使用人です。確かに私達の仕事は、殿下にもやる事はできますが、この王宮へ住む上で一般的な家事とは明らかにその物量は違う」
「……」
「殿下の日常を助けるために、また貴方の価値を維持するために私達は雇われている。どうかそれを持て余さないでください」
伝え方を間違えたと、セオは反省して居た。
キリヤナギは、過去の経緯から自分の周りで「仕事」をされることにトラウマがあるのだ。
周りで行われる「仕事」へ溢される悪態を耳にし、王子は騎士のみならず使用人すらも頼る事を躊躇するようになった。
仕事をしたくないと言う周りに応えるように、ありとあらゆる事を自身で解決しようとする姿勢は、側から見れば評価されるべきではあるが、王子であるが故にそれは逆に自身の価値を下げてしまう。
今回の件は、セオが時間割を問いただした事で、王子へ「仕事を楽にしたい」と言う意思が伝わったのだろう。
お見舞いへ来る友人を迎えるため、こちらへ仕事をさせない為に動いた。
「本来、一般のご友人をリビングへ招くことはできませんが、本日は私の権限で陛下へ了承を得てきました」
「ほんとに?」
「ご自身の目でその方が信頼できると判断されたなら、それ以上は騎士と使用人の役目です。どうか我々を存分にご利用下さい」
数年前の警備方針の変更から王子のリビングには、家族と騎士、決まった使用人しか立ち入ることはできなかった。
安全を建前にしたその決め事は、確かに強固な守りではあったが、その大部分は大人の都合であったと今になって思う。
王子はしばらく呆然としていたが、嬉しそうに笑みをこぼした。
「じゃあリビングにする」
「はい。準備致しますね」
掃除用具をセオへ渡して廊下へとでると、そこにはグランジもいてキリヤナギは一度リビングへと戻って行った。
程よく疲れて居て休んでいると、プリムから連絡があり、完成したシフォンケーキを半分だけ受け取る。
「まさか。モッコクおじさんが守衛だとは思わなかった……」
「ヴァルの知り合い?」
「叔父さんだよ。父さんの弟。忘れるわけねぇよ、確かに最近会ってなかったけどさ……」
まるで悪態のように述べるヴァルサスに、キリヤナギは感心して居た。
大学の帰りに現れたヴァルサスは、待機していたセオの案内の元、リビングへと招かれた。案内された広い自室に、ヴァルサスはしばらく呆然としていたが、頭に包帯を巻く王子を心配もしてくれていた。
「ヴァルって王宮の関係者?」
「俺は違うよ」
「え、じゃあ貴族?」
「騎士貴族」
にっと笑うヴァルサスに、キリヤナギは納得した。騎士貴族は、貴族と言う呼び名ありながらも世襲ができない栄誉称号であり、大きな括りで言うなら一般に分類される。
貴族だが、貴族ではない。
国に仕える傭兵騎士の事だ。
「お父さん、やっぱりすごいんだ」
「おう、自慢の親父だぜ。マグノリア領にいるから、アレックスが俺にこだわってたのはそれだな。俺はあいつの立ち回り気に入らなくて避けてたけど……」
「へぇー」
「今更だけど、俺のフルネームはヴァルサス・アゼリア。アゼリア卿って言えば、王宮じゃそれなりに信頼度高いだろ」
キリヤナギは言葉が出なかった。
王宮では毎年、雇っている騎士達を人が足りないとされた領地へ派遣している。派遣先での仕事は様々だが、遠征する彼らはある程度の実績が約束された優秀な騎士達でもあり、特にアゼリア卿は、政治の話にも精通する騎士だと聞いている。
「で? 今回はどうしたんだよ」
「これは、昨日学校で色々あって……」
「学校で? なんで?」
一部始終をヴァルサスへ話すと、彼は呆れを通り越した表情をしていた。
「あのさ、もっと自分大事にできねぇの? そんなんだから怒られるんだろ?」
「よく、言われる」
「それともさ、自分でやりたい理由あるのか?」
「こうだから、って言うのは無いんだけど。頼られたらちょっと嬉しくて、何かできないかなって」
「悪いことじゃねぇけどさ……」
「ヴァルならどうする?」
「……俺はアレックスから逃げてたぐらいだから、そんな勇気ねぇんだよ。学校で何かあったら、父さんにも影響あるかわかんねぇし、心配もかけたく無いからさ」
「……」
「でも、もしそんなんなかったら王子と同じだとも思うんだよな。だから正直責めれない」
同じと言われて驚いてしまう。この言葉の意味は、ヴァルサスも同じ考えを持っていると言うことだからだ。
「俺もできるなら誰かを助けれる奴になりたい。だからさ、もう1人で何かやるのやめね? 手伝うしさ」
初めて言われた言葉に、うまく飲み込めずキリヤナギはしばらく呆然としていた。否定されて当たり前だと思っていたのに、彼は賛同していると言っている。
「ありがとう、ヴァル。じゃあ今度から相談するね」
「おう、頼むぜ。生徒会長!」
「まだ候補だよ。投票はいつからだっけ?」
「来週半ばだなぁ」
「僕、誕生祭の練習も来週からあって、投票できるかな……」
「オンライン投票あるから大丈夫だろ。期間1週間ぐらいあるし」
「便利……!」
キリヤナギは感激していた。
「関係ねぇけど、姫いつまで居るんだろうな。俺怖いんだけど……」
「クク?」
「いつ暴言もどるかわかんねぇし、王子いたら大丈夫か……?」
「そんな悪い人じゃないんだけど……」
「なんで庇うんだよ。いつも思うけどさ」
「す、好きだし……」
「は??」
照れ気味の王子に、ヴァルサスは言葉を失っていた。そして「ぁー」と納得したように項垂れてしまう。
「そう言う」
「うん……。でもククは、僕のこと好きでもなんでも無いみたい」
「微塵も気が無さそうだよな……。でも王族ならそんなん関係ないんじゃね?」
「そうだけど、それに甘えてもダメだと思って」
「律儀だな」
王族なら、政略的に妻を求めることはできる。国家の相続の為、そこへ感情を考慮されることはないからだ。
「告白すんの?」
「伝えたいけど、断れないだろうし悩んでる……僕の事嫌いなら一緒にいても苦痛なだけだろうし……」
「ここに住むってそんなに苦痛なのか?」
「え、わかんない……」
キリヤナギの場合、父と母はいつも喧嘩していてとても居心地が良さそうには見えないからだ。母はいつのまにか父と部屋を分け、食卓の時以外は顔を合わせない生活を送っている。
「か、家庭内別居っやつ?」
「僕が小さい頃は、部屋一緒だった気もするけど……いつからだろ。でもククとそう言う生活は申し訳ないなって」
「まぁ、片思いならそうなるよな……」
キリヤナギの両親は、王子が生まれる前、とても相思相愛であったとも聞いているのに、今やもうそんなものを見る影もない。
キリヤナギの所為ではないとも言われているが、仲が悪くなった致命的な出来事を誰も知らないため、憶測ばかり重ねてしまう。
「王子、大変だな……」
「僕なんかもう慣れちゃったけど、できたら仲良くなりたい願望あって……」
「そりゃそうなるわ」
「仲の良い両親」と言う形のないものへ憧れを抱いてしまう。子供と言う当事者は、どちらも嫌いになれないからだ。
外が徐々に暗くなった段階でヴァルサスが帰宅してゆき、セオはリビングで警護をするグランジの前でほっと息をつく。
「誕生祭は結局どうなりそうだ?」
グランジの質問にセオは顔を顰めるしかない。それもここ最近の事件の連続から、誕生祭開催の安全性に懸念が出たことで、中止すべきかと言う議論もおこなわれていたからだ。
「開催だってさ。出来るだけ警備固めて、どうにかするって」
「自信があるんだな……」
「繋がりの確証がないけど、やっぱり不安かな……、無事終われば良いんだけど」
セオは言葉通り不安を隠せないようだった。この数日間でも王子の狙わていた可能性は数知れず、つい昨日は暴力事件にも巻き込まれている。
使用人達は気が気ではない。
「土曜日には届いた礼服の試着に、スケジュールの確認と、儀式の予行練習もあるし、挨拶で何を言うかも相談しなくては……」
「乗馬は……」
誕生祭のオープニングは、初代王がガーデニアとの大戦に初勝利して帰還した凱旋パレードを模して行われる。
これまで王子は、王の後に続く形で大通りを歩いていたが、ガーデニアと長く続く友好関係から今回より自動車で行うかどうかを長く話し合われていた。
オウカ側は、伝統も未だ色濃く残っており、例年通り「乗馬」で考えていたが、ここ最近の事件の連続から、屋内となる自動車が安全なのではと言う議題がもう一度上がり、このタイミングで地獄のような会議戦争が続いている。
明日には結論がでるはずだが、去年一度体調を崩してから、王子は殆ど乗馬の練習もできておらず、ここ最近は乗れてすらいない為に、セオはもう「自動車」が無難になのではと言う結論に至っていた。
「明日決まると思います。乗馬になったら練習ですね……」
「……」
まもなくこの国は、新しい時代を迎える。祭が行われ、王子が成人し、特別何かが変わるわけではないが、臣下にとってそれはずっと見守ってきた子供が巣立つようなものにも思えていた。
「ま、僕は精一杯がんばるよ。来週からジンもくるしね」
「そうだな」
ジンには、信頼があった。
名門騎士タチバナは、その存在こそが王族の盾となる強さを持つからだ。
18
王宮の業務も定時を迎え、皆が帰宅の準備を始める騎士棟で、セシル・ストレリチアは、数週間ぶりに定時に業務を終えて自身の自動車へと乗り込んでいた。
何ごともなく普段通り守衛に挨拶をした彼は、信号に注意しながら運転を続け、とある小売店の駐車場へと停車する。
ここは、1日休みなく営業する小売店で、コンビニエンスストア、通称コンビニと呼ばれる店だった。
自炊が苦にならないセシルは、普段から利用頻度も少ないが、今日は待ち合わせがあり店内へと足をはこぶ。
雑誌コーナーで漫画を見て居た私服のジン・タチバナは、店内へ現れ簡単な飲料だけを買って出てゆくセシルと自動車へと戻った。
「突然呼び出して悪いね。ジン」
「いえ、いいんですけど、通話じゃダメなんすか?」
「私は、そういうのは信頼してないんだよね」
ジンは、セシルと連絡先を交換して居なかった。今日の待ち合わせは、以前王宮へ顔を見せた際、セスナからさりげなく渡されたメモに書かれて居たことだ。
「王宮、やばいですか?」
「まぁ、過去一ぐらいには」
「マジ?」
笑いながら話すセシルは、買ってきた飲料へ口を付ける。ジンにもお茶を渡してきて一服しているようだった。
「令嬢拉致未遂。王宮でのボヤ。自動車水没。王子への襲撃。そして、ヴィンセント。この全ては、我々騎士の業務過多を煽るものだろう。どうにか分散させて対応はしているけどね」
「ヴィンセント?」
「一昨日。殿下の通う学園へ無断侵入があってね。殿下が注意しにいったそうだが、胸ぐらを掴まれて投げられたらしい」
「えぇ……」
「はは、でも問題はその男ヴィンセントが、【身体強化】を持っていた事だ。交戦したヒナギクへ【買った】と話して居たと」
「取り調べは?」
「手が回らないからと別隊へ投げたら、それ以上はこちらの話だからと突っぱねられたよ。いやぁ、若いって辛いね」
セシルの笑いが怖くなり、ジンは何も言えなくなった。確かに彼の容姿は、大隊長の中では一際若く見えるからだ。
「話を戻すと、ヴィンセント持っていたのは、おそらく敵は揺動のためにあえて【売った】からだとみている」
「……」
「ならどこから漏れたのか、と言う話になるが……」
「自動車の水没?」
「流石、話が早いね。『敵』は自動車の事故を装い、【身体強化】をもったまま逃亡し、その日のうちにヴィンセントへ【売った】。まぁ、『王の力』を持っているかどうかなんて実際使われないと分からないから、盗難犯が所持していたとも言い切れないんだけど」
「……」
「わかる?」
「わかんないですけど、使い慣れてると【癖】がつくので、俺的には【素人】のがわかりにくい、すね」
「なるほど、専門家の意見だ」
「でも隊長からしたら、盗まれた時点で厄介なんじゃ?」
「それは?」
「殺したらダメだし?」
セシルは困った表情をみせていた。騎士団では『王の力』が盗み出された場合。その相手がどんなに巨悪であろうとも「殺害してはならない」と言うルールがある。
それは異能は貸与された物であり、あくまで「返却が義務」だからだ。しかし、異能をもつ当事者を殺さずに戦う事は、騎士にとってもかなりのリスクを伴う。
「まぁ最近は、相打ちの方が損壊が大きいから例外も認められてるよ」
「理由しってます?」
「知らないよ。でも『王の力』の詳細は、騎士団でも聖域だから、貸与されている以上、それを守る事が忠義につながると思っている」
ジンは感心していた。王族しか知り得ない『王の力』の詳細は、その曖昧さゆえに軽視されつつあるが、セシルはそれを守ってこその信頼関係だと言い切ったからだ。
「ジンはどう思う?」
「俺は、殿下守るためなら選ばないですね」
「はは、流石の『タチバナ』だね」
ジンはどちらでもいい。
貸与されていようがいまいが、王子を狙う時点で、それは『敵』であり、『タチバナ』からみた『王の力』は、打倒するべきものだからだ。
「もうちょっといいですか?」
「なんだい?」
「隊長は、殿下が狙われてるって言いたいんですよね?」
「そうだね。敵が『王の力』を盗み、それを足がかりにしようとしてるのかな?」
「全否定するみたいなんですけど、能力者は殿下のとこに来ないんじゃないかなって」
「それは?」
「殿下、取り返せるし……?」
セシルは、ジンの言葉に驚いた後、楽しそうな笑みを見せる。意表をつかれたように、ハンドルにもたれて笑っていた。
「なるほど、確かにその通りだ」
「せっかく盗んだものをわざわざ殿下のとこに持っていかないと思うんですよ」
「そうだね。その上で殿下は、『タチバナ』もある程度は使える。そうか」
「?」
「ヴィンセントが殿下の前で【身体強化】を見せなかったのは、奪取されるとわかっていたからか。なるほどこれは『味方』の可能性もあるかな?」
「それはないんじゃ……」
「気絶した殿下を放置した時点で、少なくとも宮廷騎士の『敵』ではないよ。これは憶測だが、ヴィンセントはあくまで『騒ぎを起こせ』と指示を受けて居たのだろう。素人の考えなら宮廷騎士を動かす為に、王立の学校を選ぶのは想像しやすい。あの大学は、何かが起きれば宮廷騎士も動かざる得ないからね。この大前提でヴィンセントが、殿下と関わらなかった場合を想像してみようか」
もし、ヴィンセントがキリヤナギと出会わなければ、暴力沙汰にはならず、学園への無断侵入のみだった可能性もある。『生徒』へ危害を加えたことで、それに止まらなくなり逃亡したのなら、【身体強化】を使って逃れようとした辻褄が合う。
「殿下と出会うの事が想定外だったならヴィンセントは、目的も何も知らされて居ない。【身体強化】が欲しかった唯のチンピラだ。少し感情的なだけだね」
感情的なだけで王子を殴れるのかとジンは困惑してしまう。しかしセシルの話す『敵』が、念入りに準備をしていることへ、ジンは理解が追いつかない。
「宮廷騎士の意識を外部に向けようとしているのなら、『敵』はもう殿下の周辺にいる可能性がある。ジンの話を交えるなら警戒されない為に【無能力】だろう」
「……」
「思い当たったかな?」
「……はい」
ジンの目線は下を向いて居た。躊躇うほどの相手なのだろうかと、セシルはジンの立場を憂う。
「隊長は、なんで俺に話したんですか?」
「私はこの宮廷騎士団で、君以上の殿下の味方は居ないと評価している。アカツキ騎士長すら降ろされた近衛兵を、どんな時も止めなかった君をね」
「近衛兵になったのは、去年からなんですけど……」
「はは、そういえばそうか」
ジンが親衛隊は抜擢されたのは、このセシルの任命があってこそだ。それまでのジンは、どこの隊にも配属されないままアークヴィーチェへ送られ、カナトの元で護衛任務へついて居た。
しかしその間も、王宮を抜け出してきた王子へ手を貸して居た事は、宮廷騎士団の周知の事実でもある。
「ここで話せば、君は私が何も言わなくても、殿下を守る為に動くだろう?」
「……」
なるほどと、ジンは納得してしまった。セシルは、その大隊長の肩書きにより王子周辺の細かい警護にまで手が届きづらくなっているのだ。親衛隊を総括するとはいえ、宮廷騎士団の幹部であり、『王の力』周りの事件に手を取られている。
命令は記録されるが、兵個人の意思ならば、誰かに伝わることも知られる事はない。つまり、「方法は問はない。王子を守ってくれ」と言う遠回しな頼み事だ。
「信頼していいんです?」
「私に対してなら判断は任せるよ。信頼は勝ち取るものだと思っているしね。全て嘘だと思うならそれでもいいさ」
へぇーとジンは感心していた。確かに信頼してくれと懇願される方が疑ってしまうからだ。
「分かりました」
「頼りにしているよ」
セシルはその後、ジンへコンビニ弁当を渡すとアークヴィーチェ邸まで送迎してくれた。
刻々と迫り来る誕生祭の為、首都が徐々に飾りつけされてゆく中、再び朝を迎えたキリヤナギは、憂鬱な気持ちでリビングへと出てきた。
「おはよう御座います。殿下」
「……おはよう」
目線が下を向き、明らかに元気はないが体調は悪くなさそうにも見える。今日はセオも止めるつもりはなく、お弁当も準備もできていた。
「いかがされましたか?」
「ちょっと、ショックな事があっただけ、セオは関係ないから……」
セオは冷静に言葉を理解し、王子の「聞いて欲しくない」と言う意思を受け取った。あまり見せるべきではない態度にはみえるが、王子の場合、信頼があるが故の態度とも言える。
「そうですか。お力になれそうならば、ご相談ください」
「……ありがとう」
グランジは無口で、今日も何も言わず後へついてきてくれる。普段通りを装う王子だが、やはり目線がぼーっとしていて考え事をしているようだった。
「グランジってさ」
「……?」
「信頼の基準ってある?」
唐突な質問に戸惑うが、グランジは真面目に考えて答えた。
「相手の性格への理解度に重きを置いている」
「性格への理解?」
「行動にブレがないのなら、信頼ができる」
「な、なるほど」
「ブレない人物に思い当たる人は?」
「セオとジンは、グランジの基準ならすごく信頼できるかも……」
話していて帰ってくる返答が即座に想像ができてしまう。気がつくとグランジは自分を指差していて申し訳ない気持ちになってしまった。
「グランジも信頼してるよ」
「……」
とってつけたようだが、グランジはそもそも無口でどう表現すれば良いか分からない。しかし、口を開いた言葉は常に核心をついてくる為、とても頼りしていた。
少ししゅんとしたグランジの目線に、思わず焦ってしまうが、そう言う態度も「信頼」していた通りで言葉にできないのがもどかしい。
うーんと悩んだキリヤナギを、グランジは何かを察したように撫でてくれて居た。
19
1日ぶりの大学に、沈んでいた気持ちも前向きになる王子だったが、正門を潜ったあと生徒の目線がみんなこちらを向いて居て困惑する。何かしたのだろうかと不安に思っていると、入り口付近で号外が配られて居て、そこには一昨日の事件の事が大々的に書かれていた。
オリバーと言う生徒の証言を元にした記事は、王子が身を挺して全校生徒を守ろうとしたとも書かれて居て、メディアらしい誇張表現に絶句してしまう。
「よ、ヒーロー! 今日はこれたんだな」
「ヴァル……。やめて、恥ずかしい……」
からかわないで欲しいと、思わず机へ突っ伏してしまう。後ろや前の席からも視線を感じ、とても落ち着かなかった。
「王子って意外とメディア慣れしてねぇんだなぁ……」
「……記事にするとは言ってたけど」
「忖度?」
「してないし!」
「してたら休むほどの怪我もしねぇか」
まだ包帯は残って居て、変に目立っている。うなだれている王子だが、ヴァルサスは少しだけ元気がない印象を得て居た。
授業を終え皆が教室を出てゆく中、ヴァルサスも席を立って行く。
「じゃ、俺二限とってないから先にテラスにいっとくぜ」
「僕、今日はテラスには行く気なくて……」
「は? なんで……」
「ちょっと、一人になりたいなって」
ヴァルサスは唖然としていたが、目を合わせない王子へ何も聞かず、教室を後にした。残されたキリヤナギは、他の生徒に質問攻めに会いながらも丁寧に対応し、一人二限の教室へ移動してゆく。
「一人になりたいと言ったならそれでいいのでは? 外野がとやかく言うものではない」
「そうだけどさ」
ヴァルサスとアレックス、二人のみの会話はほぼ初めてだろう。ククリールもおらず、広いなテラスは普段よりも静かに思えていた。
「アレックスは、あいつの事どこまで知ってるんだ?」
「定期的に会っていたが、社交会で顔を合わせるぐらいで、そこまで深い話はしたことはなかったな。だが、噂は流れてきていた」
「噂?」
「去年の王子の休学の原因は伏せられてはいるが、病気だったらしい。それも単純な物ではなかったそうだ」
「それは悪いって意味?」
「詳しくはしらん。私もあくまで宮廷騎士である叔父から聞いたことだ。少なくとも騎士団では、去年の休学以降、この学校で見かけても『王子には触れるな』と言う決まり事ができたと言う」
「……なんだそれ」
「それ以上は私も知らない。わかるのは王子と騎士の間に『何かある』ぐらいだな」
言葉が抽象的でヴァルサスは殆ど理解ができなかった。諦めて持ってきた雑誌を広げると、テラスの入り口に一人の女性が姿をみせる。現れたマリー・ゴールドは、キリヤナギのいない屋内テラスでしばらく固まっていた。
@
キリヤナギは一人で中庭のベンチに座り、誰もいない場所でお昼を済ませていた。王宮の中庭とは違い、学校の中庭は半分ほどの広さで、人の気配が少なく何故かほっとする。
テラスの次にいい場所だと、空を見上げて深呼吸をしていた。
「今日はいつもの場所へ行かれないの?」
突然声をかけられ驚いてしまう。数日ぶりのククリール・カレンデュラは、堂々と王子の前に立ち、手に今朝の新聞を持っていた。
「……うん。今日は一人になりたくて」
「あら、王子様は意外と孤独なのね」
「そう見えるかな?」
「……アゼリアさんと関わって疲れたのではなくって?」
「ヴァル?」
「騎士貴族とおっしゃっていたけれど、あの方思想が一般ですから」
心配されているのだろうかと、キリヤナギは不思議な気分だった。今までククリールは、キリヤナギとの対話を殆ど拒否してきた印象があったからだ。
「僕は、むしろ新鮮かな。王宮だとなかなか聞けない意見だから興味深くて」
「寛容なのね。私はあの無知さに話す気もおきないのに」
「自分達が、一般の人達にどう見られてるかって指標になるのかなって僕は思ってるかな」
「庶民的なのね」
「ククは、やっぱり先輩寄り?」
「私はどちらにも付きません。興味がないので。でも私は私の居心地がよくなる思想を支持します」
「それはどう言うの?」
「元々一般の方々が、学内で私達を貴族として扱うのが良くないと思っています。そんなもの元々存在しないもの」
へぇーと、キリヤナギは感心していた。確かにシルフィの思想も、アレックスのものも、根本は一般の固定概念がもたらした事で必要になった事だ。
それはおそらく、大多数の憧れや偏見で形成された貴族への「理想」であり、こうあって欲しい、こうあるべきだと言う偏見に貴族が応えるような構造になったのだろう。
「私達は普通の生徒としてこの学園に来ているのに、押し付けるのは止めて欲しいですね」
「なるほど……」
ククリールがどちらにもつかないのは、どちらもそれに矛盾しているからだ。元々平等なのに、シルフィは平等を維持すると主張し、アレックスはそれを分離しようとしている。
「去年の会長は、曖昧で混沌としていたその差をアレックス主導の風紀ではっきりさせた。皆様にとっては希望が形になったのでしょうけど、私からしたら余計なお世話でしたね」
ヴァルサスのいっていたアレックスへの反感の理由がわかり、キリヤナギは納得してしまった。
曖昧だったものをはっきりさせる為、アレックスは【読心】を使いながら、学生達へその偏見を植え付ける圧倒的な力の差を誇示したのだ。
貴族は貴族として、この学園を支配しながら統制してゆくと『王の力』をもってその立場を示した。結果的にそれは成功し、いまの体勢が確立した。
ククリールが、シルフィと対立するのもわかる。シルフィは現状を維持すると言いながら、平等を訴える。まさにその在り方が矛盾しているからだ。
「私は、ハイドランジア嬢とアレックス。どちらでもない貴方へ期待してます」
「え……」
「貴族と一般、どちらにも寄らない貴方なら、この学園の基礎にある『平等』へ限りなく近づける気がするので」
「……ありがとう。でも僕も学内だとそんな位の差なんてないって聞いてたから驚いたし、一人一人が堂々とできる学校になれば、理想だよね」
「そうね。問題はあるでしょうけど、それは貴方がなんとかしてくれるのでしょう?」
「え、うん。が、がんばります」
ククリールに言われるとプレッシャーを感じてしまう。しかし、彼女に言われるのはとても嬉しくて照れてしまった。
「いつもの場所へ戻られないの……?」
「ごめん。今日は整理したくて、わざわざありがとう」
「なら最後にひとつだけ」
「?」
「この記事をどこまで信頼していいか分からないのだけど、公爵家としてとても誇りに思いました」
「!」
「頑張って下さいな」
ククリールは楽しそうに笑い、身を翻して去ってゆく。キリヤナギは、もう一度空を見上げ久しぶりの1人の昼休みを過ごしていた。
20
「整理ついたかい?」
「ヴァル……」
三限の始め、目を逸らしてしまう王子にヴァルサスは困惑していた。来ないと聞いていた彼は結局こず、ヴァルサスはアレックスと2人で昼を済ませたからだ。
「前のマリー? って女の子もテラスに様子見に来てたぜ。王子のこと心配してるって」
「そっか、いなくて申し訳なかったかな」
「少し話したけど、めちゃくちゃ王子のファンじゃん。大事にしろよ」
「え、うん……」
1人になりたいと話した彼は、未だ普段の雰囲気が戻らずそのまま黙々と授業を受ける。
ヴァルサスは、その日も三限終わりで授業を終えて教室を出て行った。
「こんにちは、お怪我はいかがですか?」
「マリー……」
空いたヴァルサスの席へ座ってくれたのはマリーだった。彼女は目を合わせないキリヤナギをじっと見て優しく笑ってくれる。
「ヴァルサスさんと少しだけお話ししてきました」
「聞いたよ。テラスにいなくてごめんね」
「いえいえ、ここ最近色々ありましたから、殿下のお気持ちも少しだけわかります。私もとても怖かったし……」
「マリーは、そうやって僕に寄り添ってくれるのに僕は何も返せてないなって」
「そんなことありません。殿下は殿下として十分役目を果たされていますから、どうか堂々とされてくださいな」
「ありがとう。マリーもこの授業をとってるの?」
「はい。先週は欠席されていましたよね。ノートありますから、よろしければご利用下さい」
マリーのノートはとても綺麗だった。
貸してくれるという彼女の好意も複雑で、受けることはできないままその日の授業おえた。
人がまばらになり、マリーを含めた生徒達が帰宅してゆく学園で、キリヤナギもまた荷物をまとめる。すると教室の入り口から、こちらをじっと見る影があった。
見覚えのある彼らは、キリヤナギを見つけ感激したような表情みせる。
「王子ーー! いたー! さがしたぜー!」
叫ぶように飛び込んできた3人へ、戸惑ってしまう。見覚えのある彼らは、新聞部の2人とオリバーだった。
「王子、ごめん。おれのせいで……」
「オリバー、だっけ? 僕は大丈夫だから、3人とも怪我なくてよかった」
「本当ありがとうな! あの後、こいつ謝りにきてさ。でも王子大怪我したってきいてそれどころじゃねぇし、めちゃくちゃ心配してたんだよ」
「生死彷徨うほどの怪我したって……登校して大丈夫なのか?」
「……包帯はしてるけどそこまで深くなくて、命には別状ないって」
「オリバー……」
「めちゃくちゃ血でてたから、てっきり」
一歩ひいたところから話す彼は、少し恐縮しているようだった。
「オリバーは、あれから何もされなかったかな?」
「何も、ない。ヴィンセントが出て行った後、俺も必死で……」
「俺ら戻った時には救急車きてて、王子運ばれてくし、騎士もきてるし、部室は血だらけだしてもう肝が冷えたぜ」
「助けに行ったつもりが、情け無いなって……」
「オリバーから聞いたけどさ、真っ向から言い返してたんだろ? 身を挺して俺ら守ろうとしてくれたなら英雄だよ。ありがとうな」
「俺達全力で王子応援すっから選挙がんばれよ!」
彼らは、今後は3人で活動してゆく旨を話してくれた。オリバーへ仲間ができたことへキリヤナギは安堵し、新聞部は3人で帰ってゆく。
「色んな人に声かけられてんのに、まだご機嫌もどんねぇの?」
誰もいない屋内テラスだった。ククリールとアレックス、マリーも帰り、ヴァルサスはももう帰ったと思っていたのに、彼は1人テーブルへ座って待っていた。
機嫌が悪いつもりはないが、彼から見ればそう見えても仕方ないと思う。
「今日はちょっと頭がいっぱいで……ごめん」
「昨日は元気だったじゃん。あの後なんかあったのか?」
「……」
「何があったんだよ!」
「僕も、まだ整理がつかなくて……ごめん。今日は帰る」
立ち去ろうとしたら、ヴァルサスに肩を掴まれてしまう。その真剣な目に思わず動けなくなってしまった。
「ちょっと付き合えよ」
「……」
ヴァルサスはキリヤナギの手を引き、学園から出てゆく。一応グランジには、遅くなるとだけ連絡をいれて、何も言わずに後に続いた。
「どこ行くの?」
「俺ん家、今日は母さんが残業で兄貴しかいねぇんだ」
「……!」
返す言葉が見当たらないままキリヤナギは、オウカ町の王宮周辺にある高級住宅街へと連れてこられた。一般的な一軒家より若干広めの家が並ぶそこは、爵位を持たない貴族達が住む場所でもある。
案内された自宅はとても立派で、迎えてくれた使用人の女性は、キリヤナギをみて驚いてしまう。
「ようこそ、王子殿下。アゼリア家に仕えるカエデ・モモキです。お見知り置きを」
「キリヤナギ・オウカです」
「知ってるって」
カエデは思わず笑っていた。
案内されたヴァルサス部屋はとても生活感があり、漫画やゲーム、グラビアポスターなどが貼られている。
「お茶いれてくるから、適当に寛いでいいぜ。あ、ちゃんと護衛に連絡しとけよ」
ヴァルサスはそう言って、部屋を出て行ってしまった。キリヤナギはグランジへ、居場所だけ連絡し、セオには離さないよう釘を刺しておく。
初めてきた「友人の部屋」は、興味深いものばかりだった。マジマジと見ると、衣服のクローゼットからは服がはみ出していたり、本棚には直しきれなかった漫画本が積まれている。机の上にはノートタイプのデバイスが置かれ傍には教科書が雑に積まれているだけだった。
「そんな興味あるか……」
いつの間にか戻ってきていたヴァルサスに焦ってしまう。特に目を引いたのはベッドの上の抱き枕で、女の子のイラストが書かれていた。
「絵……?」
「いいだろそれ。好きなカバーに変えれるんだよ。いくつか持ってるし貸すか?」
「カバー?」
クローゼットの引き出しから、持ってこられたカバーは、女の子の服がはだけでいて思わず目を逸らしてしまう。
「王子ってもしかしてこう言うの耐性ねぇの?」
「は、恥ずかしいじゃん!」
「別に男なら普通だろ? 王子もやってんじゃねえの?」
「言わない!!」
「初心なんだな」
押し付けようとしてくるヴァルサスを、キリヤナギは見ないようにしていた。
しかしそれでも、彼の部屋はとても新鮮で興味深い。
「そいや、去年はなんで休学したんだ?」
「去年? うーん、僕もとりあえず休むって報告しかされてないから、よくはわかってないんだよね」
「なんだそれ」
「体重くて起き上がれなかったから、しょうがないかなって思ったんだけど……」
ヴァルサスが首を傾げている。理解を得づらいことはわかっていてあまり話した事はなかった。
「アレックスは病気って言ってたけど」
「そうなんだ。でもドクターは週一できてて薬も飲んでたからそうなのかも」
「なんで事実確認になってんだよ……」
本音を言うなら、当時は全てがどうでも良かった。動くことも話すことも、食べる事もしたくない、完全なる無関心だろう。
生きることすらどうでもよくて、ずっと寝ていたら、ある日意識がはっきりして点滴をされていた。その時に見たセオの必死な表情と、父と母の絶望感に満ちた顔は今でも焼き付いている。
しかしそれも、あの時は何も感じなかった。
「どうやって復帰したんだ?」
「わかんない。いつの間にかドクターも来なくなって薬もなくなったし……、でも秋に復帰したばっかりの頃は、朝起きれなくて全然授業に参加できないし、日によっては動けないしで、大変だった」
「よく進級できたな……」
「補講頑張った」
自慢げなキリヤナギは、少しだけ元気になっている。彼なりに気分転換ができているのだと分かると、ヴァルサスは連れてきた甲斐があると思っていた。
「今日元気なかったことと、関係ある?」
「ううん。今日は別件……」
「なんで話さねぇの?」
「僕でも、どうしようもなくて、でも結局、僕自身が覚悟ができてないだけだと思う」
「覚悟?」
「うん。王宮にいると、本当に色んな人が出入りするんだ。良い人も居れば、悪い人もいて、言いくるめたり、騙そうとしたりする人もいる」
「……」
「そんな『敵』になる人達を、切る覚悟がまだ僕にはなくて情け無いなって」
「敵は敵だろ、なんで躊躇うんだよ」
「そうだよね……。多分心のどこかで、受け入れたくないんだと思う。近くにいる人が『敵』だと、思いたくなくて……」
「自分と相性悪い時点で、付き合う必要もねぇじゃん」
「うん。だからあとは僕の気持ちだけだよ。聞いてくれてありがとう」
ヴァルサスは不満そうではあったが、キリヤナギにそれ以上話せるこのはない。あとはなるようになるだろうと、キリヤナギは肩を落としていた。
しばらくヴァルサスの自宅でゲームで遊んでいると、グランジが足を伸ばし迎えにきてくれる。
「誕生祭……」
帰り道、呟かれたグランジの言葉にキリヤナギは身を震わせた。
「や、やるの?」
うんうんと頷くグランジに、キリヤナギはグッと何かを堪える。先日セシルから、誕生祭の中止の可能性を聞いていて気楽に構えていたのに、祭は結局開催されると言う。
「明日から練習らしい」
「ど、土曜日なのに」
「関係ない」
むしろ土曜日だからこそなのだろう。デバイスには、セオから明日のスケジュールがきていて、本能的に理解を拒否してしまう。しかし、キリヤナギは自分の生まれに後悔はした事なかった。
「できそうか?」
やりきることはできるだろうかと、キリヤナギは不安を抱えていた。
だが王子は決して、政治と無関係ではいられない。その在り方は、国があってこそ成立し、その身はこのオウカ国の人々に為にある。
「やる。もう迷わないよ」
結論は一つしかない。
その選択へ後悔しない覚悟を得て、キリヤナギは次の日から練習へと望む。
土曜日から始まった最初の練習は、凱旋パレード用の乗馬だった。
しかし馬は乗せてくれても、合図がうまく出せなくなっており綺麗にはのれず見かねたトレーナーが早めに切り上げてくれて、少しだけ仮眠を取って午後に臨む。
午後は、誕生祭用の礼装の合わせで、パレード用、夜会用、儀式用などかなりの種類があって頭痛がする。
全部着なければならず、全て終わった頃には夕方でぐったりしていた。
「簡単な挨拶のテンプレートを用意したので、ここからご自身のお言葉に言い換えた文章を作って下さい」
「うん……」
「カンペ無しですよ、暗記で」
「え”、手にもダメ?」
「ダメです」
去年はなかったが、確かに毎年やっていた。渡された当日スケジュールは、朝6時起きからの分刻みで吐き気がしてくる。しかし、午後からは騎士大会の個人戦があり、カッコに括られ三時間の休憩時間と書かれていた。
ここまで緻密だと、その3時間で「寝たい」とも思ってしまうが、皆キリヤナギに実力を見せるために出場して居るのだろうと思うと寝れないし、休憩と言う休憩ではない休憩だとすら思う。
終わればまた着替えて夜会があり、前半の2時間は全公爵家からのお祝いの言葉を立ちっぱなしで聞きつつ、その後は着替えて0時以降まで夜会が続く。
2年ぶりだが、久しぶりの地獄のようなスケジュールが思い出され、キリヤナギはしばらく項垂れていた。
「僕の休憩どこ?」
「あるでしょう?」
何度見ても見つからない。今年はたまたま誕生祭が日曜日で、月曜日が振替の休日となっていた。
つまりキリヤナギも休むことができる。
誕生祭は毎年祝日に行われるが、国民は休日でも、主役は休日ではない。
もし平日だったら素直に学校を休もうと思っていたが、これが唯一の救いだった。
「来週月曜日の朝6時から、毎日2時間の乗馬教習と、各儀式の予行練習を16時から20時まで日替わりで行いますので15時半には王宮へ帰宅して下さい」
「えっ、ぼ、僕、授業……」
「既に大学にも話をつけていますので、お気になさらず」
「えっえっ」
「夕食は20時以降に自室にお持ちします。木曜日からは、大学は欠席して終日練習を、前々日には体調に問題ないか簡単な健康診断がありますから、それ以降は王宮外での食事は禁止です」
キリヤナギのげっそりした顔をみつつ、セオは無表情で言い切った。来週1週間は全て朝5時起きで過ごし、公務を行うと言われて居る。
「や、休みは……?」
「前日の土曜日に好きなだけ寝てください。しかし、儀式の完成度次第では延長戦ですので金曜日には完成をお願いします」
「儀式って何種類だっけ……」
「大きなものは5種ですが、夜会やパレードを含めるなら7種ですね」
「多くない? 前はそんな……」
「以前まで単純な祝いのものだけでしたが、成人されるので、花印や王子冠のお披露目会。初代王への謁見も追加されました、頑張ってください」
胃が痛くなってきて思わず座り込んでしまった。まだスケジュールを受け入れられてはいないが、やる以外の選択肢がない。王子としての使命を全うせねばならないと、キリヤナギはその日出来るだけ早く眠りにつく。