*第一話:ー序章ー

1

 そこは大陸だった。

 星に幾つもある陸地の一つにあたる広大な大地。中央の山脈から流れる幅1キロ程の川に分断される大陸は、その両側へ巨大2つの大国が存在する。

 東側は、王族を神の末裔として信仰する国。オウカ。

 西側は、人間の文明を極限まで極めた国。ガーデニア。

 この二つの国は、かつて一つだった。

 過去の争いにより分断したものの、現在では強固な和平条約が結ばれ、平和な時代が数百年続いている。

 周辺国家は、分断したとしても衰えない二つの国家に圧倒され、殆どが自治の認められる属国へと成り下がっていた。

 

 そんな並び立つ二つの姉妹国家の東側。オウカ王国は、その日、快晴の昼下がりを迎えていた。

 近代的な洋装を纏う人々が住まう都市は、砂を固めたコンクリートの壁を持つビルが立ち並び、大通りは自動車が行き交ういわば「都会」だ。首都にあたるこの都市は、オウカ国の中央にあるクランリリー領にあり、この国の王が住う王宮も建てられている。

 これらの高度文明の殆どは、過去のガーデニアとの和平条約以降に持ちこ込まれたものであり、その急激な文明発達に間に合わず、現在でも「王政」が存在し、分けられた7つの領地を7人の公爵が納める「貴族制」がこの国には色濃くのこっている。

 その分けられた7つの領地の中央にあたる「首都・クランリリー領」には、さらに区分された「オウカ町」へ巨大な王宮が建てられていた。

 自然豊かな場所へ建てられた宮殿は、ガーデニアの高度文明によって建てられ、白く美しい城壁に覆われていて、敷地内には、宮廷騎士達の駐屯地なる騎士棟と寮、演習場も存在し、まさに大国の権威を象徴しているとも言える。

 

 そして、他国との終戦からおよそ40年。人々が豊かに暮らし、平和な日常を享受するある日、首都の豪華な邸宅の庭に3人の男性がいた。

 オウカ町に並ぶ建物とは一風変わった建物は、整えられた広い芝生があり、入り口には客人を歓迎するように噴水が設置されている。噴水の周辺には、彩りを加える花が植えられ、今日も庭師が水をやったり、草の間引きをしながら整えている。

 ふと庭師は、芝生の方から聞こえる声に気づき顔を上げた。そして、和気藹々と談笑をする3名へ微笑み、再び作業へともどってゆく。

 

「ここまでが、我が国とオウカ国の中世期の歴史だ。何か質問はあるか?」

 

 芝生に置かれたホワイトボードを刺し棒で叩く麗人は、目の前へ座る2人へ堂々と口を開く。

 まるでコーヒーのように深い色の茶髪を持つ男性は、海のような青い瞳を持ち、黒をベースとしたフリル付きのドレスと黒のパンツとベストを纏う、まさに歴史的な貴族らしい装いをしていた。

 少しだけ苛立ちを持つように放たれたその言葉に、向かいの2人の片方は感心したように拍手をし、もう1人は無表情でながめている。

 

「カナトっていつも思うけど、なんでそんな詳しいの?」

「それは歴史の質問ではないな??」

 

 カナトと呼ばれた麗人は、口を開いた白服の彼へ呆れてしまう。桜紋のブローチをつけた白いクロークの男性は、茶髪に銀の瞳をもつ正に「オウカ人」の性質をもっている。だがその顔立ちは凛々しく気品に溢れ、明らかに他の市民の雰囲気とは異なっていた。

 

「私は将来、父の役割を継ぐために学んでいるだけだが、そもそも王子であるお前がなぜ知らない? ここまではガーデニアでも、小学生で習う歴史だぞ?」

「ぇー、そんな子供の頃なんて覚えてないし?」

 

 向かいの王子に、カナトは呆れたため息を落とす。

 彼はこのオウカ国の王族、継承権第一位にあたる第一王子。キリヤナギ・オウカ。 

 そしてカナトは、隣国ガーデニアより外交の要としてオウカ国へ住うアークヴィーチェ家の嫡男。カナト・アークヴィーチェだ。

 この一国の王子と外交大使の息子の関係は、王宮も周知の事実でもあり、国同士のの和平象徴する日常の出来事だが、キリヤナギの隣へ座るもう1人は、その日わずかな不満を得ていた。

 

「でも、殿下。なんでよりによってこんな日に来たんすか……」

「え、なんかダメだった?」

「今日はたまたまうちの屋敷が、年に一度の大清掃で、私も今日は図書館へ出かけるつもりだったんだ。自宅に入れず悪いな」

「そうだったの? ごめん……」

「いや、いいんですけど、なんか雑なのが申し訳なくて……」

 

 仮にも一国の王子を、芝生へ座らせるのはどうなのだろう。そう口にしたのは、キリヤナギと同じ髪色と目をした平凡な男性だった。 

 その身なりは、青のネクタイを締めた襟付きの服に、高位な騎士の象徴たるサー・マントを背中へ下ろしている。彼はこの国の王宮へ仕える騎士、「宮廷騎士」の称号を持つ近衛兵、ジン・タチバナだった。

 

 時期は春の初め、間も無く年度が変わり、人々が昇格や進級などを迎える月。隣国ガーデニアの外交大使館としての役割をもつアークヴィーチェ邸は、この月に業者をいれた大清掃を行う為、生活用品や家具など、ありとあらゆるものが移動されていて、突然来訪した王子を迎える余裕がなかったのだ。

 よって今日は屋内には入れず、ホワイトボードのみを持ち出して今に至る。

 

「連絡くれたらよかったのに……」

「僕、通信デバイスもってなくて、ごめん」

「……どうせまた王宮に帰りたくなかったんじゃないか?」

「う、うん」

「またっすか……」

 

 カナトの言葉に、キリヤナギは渋々頷いていた。王子の顕著な反応に騎士のジンも呆れてしてしまう。

 オウカ国王シダレと王妃ヒイラギは、日頃から夫婦喧嘩が絶えず、これにより臣下達の間で、シダレ王かヒイラギ王妃かの派閥分断がおこり、どちらにもつけない王子が時々こうして逃げてくる。

 

「前までは、母さんが夕食に唐辛子大量にいれたり、父さんの布団をわざとクリーニングにだしたりして、父さんが謝ってたからよかったんだけど……」

「つ、強いっすね……」

「最近のは、よくわかんなくて……」

「わからない?」

「誰も原因を教えてくれないんだ。僕絡みなのかなぁ……」

 

 妥当な推理だと、カナトは納得していた。大概のことは、傍にいる使用人達が聞いているため、何かあれば王子に伝えてくれるはずだからだ。それをあえて伝えずにいることは「知らない方がいい」と判断されているのだろう。

 

「思い当たる節は?」

「うーん、一回生の後期の試験で赤点とって補講になったからかな……」

「そんなんで……?」

「なるほど、だから歴史か」

 

 カナトのこの講義は、現れたキリヤナギに教えて欲しいといわれて始めたものだ。

 学校での成績の悪さを心配しての喧嘩なら、確かに学び直したいと言う気持ちも理解できる。

 

「僕、一人息子だから昔から教育方針? でよく揉めてるって聞いたし、進学もできるか分かんなくて……」

「そ、そんなに……?」

「一回生からか? それは確かに心配になるな……」

「それでも……殿下何歳でしたっけ?」

「19だけど……」

「もうほぼ成人してるじゃないすか……」

「親からすれば、子供はずっと子供だとは言うが……」

 

 キリヤナギが、2人を見るとジンは22歳。カナトは25歳だ。早生まれのキリヤナギは、来月には20歳となるため成人となる。

 年齢によって両親の意識が変わる事へピンとこず、キリヤナギは思わず二人へ聞いてしまう。

 

「2人の両親はどんな感じ?」

「私の母はもういないが、父上はあまり干渉してこないな、勉学も得意なものを伸ばせばいいと」

「へー……ジンは?」

「うちすか? うーん、適当かな……」

「気楽そうでいいなぁ……」

「そもそも赤点が理由ではないと思うぞ……?」

 

 キリヤナギからすれば、それ以外思い浮かばない。以前は王宮を抜け出しては叱られ、それをきっかけに口論にもなっていたが、最近はどれもバレてはいなかったし、首都で騒ぎも起こしてはいなかったからだ。

 

「最近は忙しいんすか?」

 

 抜け出した日は、だいたいジンの元へ行き一緒にオウカ町を歩いていた。なんとなく1人は不味いのだろうという気持ちがあり、行く場所を伝えない時に声をかけに行く。

 ジンの言葉は、最近はあまり来ていないからでたのだろう。

 

「ううん、最近はセシルに申し訳なくて……」

「セシルとは?」

「親衛隊長のストレリチア隊長?」

 

 王子の頷きにカナトは関心していた。王子周りの警護を担う小規模な親衛隊がおり、彼らは王宮内だと「特殊親衛隊」とも呼ばれている。

 外部からは、王子直属のエリート揃いとも言われているが、内1人が騎士ではなく使用人であるため、ジンは優秀だと断言はしがたかった。

 

 そんな談笑を楽しむ3人へ、屋敷の方から使用人が急いだ様子で現れる。カナトへ耳打ちされ庭の入り口へ目を向けると、黒髪の女性とスーツケースを持つネクタイの男性がいた。

 2人も、その目線につられるように入り口を見るとキリヤナギが嬉しそうに立ち上がって駆け出す。

 女性は、現れた王子を冷めた表情で迎え「あら?」と挨拶のように口にした。

 

「ククだ。こんにちは」

「王子殿下。ごきげんよう」

 

 短い黒髪にオレンジの花飾りをつける彼女は、白をベースにしたカジュアルなドレスを纏い、高級自動車で邸に乗り付けている。

 後ろのスーツを着た初老の男性は、3人を見て深く礼をしていた。

 

「カレンデュラ嬢。ご機嫌よう。ようこそ我が家へ」

「アークヴィーチェさん。お久しぶりですわ。一昨年の王子の誕生祭以来ですね」

 

 彼女から溢れる貴族のオーラに、ジンはわずかに圧倒されていた。

 

「そちらの方は、初めて見る騎士様ね」

「えっと、ご機嫌よう。宮廷騎士団。アークヴィーチェ邸管轄のジン・タチバナです」

「あら、貴方が噂のタチバナさん? 私はククリール・カレンデュラ。このオウカの国の七つの領地の一つを治める、カレンデュラ公爵家の長女です。以後お見知り置きを」

 

 ジンは一気に身体が硬くなるのを感じる。

 このオウカの広大な領土は、七つの土地に分けられ、それを7人の領主が収めている。中央のクランリリーをはじめとした。北東のカレンデュラ、北西のハイドランジア、東のサフィニア、西のマグノリア、南東のウィスタリア、南西のローズマリーだ。

 

「我がカレンデュラ公爵家は、シダレ陛下より『王の力』の一つ【身体強化】を預かる家の一つ。『タチバナ』さんなら、ご存知ではないかしら?」

「……っ!」

 

 思わず息が詰まり口篭ってしまった。ククリールを口にした言葉は、紛れもなく、この国が大国として栄えるきっかけとなった『異能』の話だった。

 王族を神の末裔として大切するこの国は、かつて王が天上より『異能』を下ろしたことから始まる。王は授けられた『異能』を、公爵達へ『貸与』し貸与された公爵は、それを『王の力』と呼んだ。

 

「カレンデュラ嬢も能力者ですか?」

「無礼ね。私はそんな野蛮ではありません。一緒にしないでくださる?」

「ご、ご無礼を……」

 

 貸与された『王の力』は、公爵によりさらに騎士達へ貸与され、騎士団は異能集団となった。これによりガーデニアを含めた周辺国家を圧倒し、現在もそれは続いている。

 

「【身体強化】、【読心】、【未来視】、【千里眼】、【認識阻害】……」

「【細胞促進】、【服従】すね」

 

 指折りで7つ数えたキリヤナギは、嬉しそうにしていた。7つの公爵家はそれぞれに一つずつ異能を貸与されており、それを使って領土を守っている。

 特にカレンデュラ領は、敵国認定されているジギリタス連邦国家とも隣接していて、7つの中でもより強力な『王の力』、【身体強化】を貸与される名門だった。

 

「ククは僕と同じ大学の同期で、婚約者でもあるんだ」

「婚約者?」

「それはまだ決まって居ません、勝手な事言わないでくださる?」

「え、ご、ごめん……」

 

 辛辣なククリールの態度に、キリヤナギだけでなくジンすらも驚いてしまう。大学の同期だと言うが、王子を前にしたとは思えない言動だからだ。

 見かねたカナトは、このアークヴィーチェ邸の人間として改めて口を開く。

 

「ところでカレンデュラ嬢。この度は何用でしょうか?」

「えぇ、先日、我が領地のセキュリティ機器の設置と通信インフラの完了しましたので、その報告書類をお持ちしました。清算書類などもこちらにありますので、ご確認下さいな」

「そうでしたか、ご足労を感謝致します。しかし、我が家は現在清掃中にて中には入れず、申し訳ない」

「すぐ戻るつもりでしたので、気にされないで、接待は希望しておりませんから」

 

 使用人から渡された書類を確認するカナトは、仕事人の目をしていた。オウカ国とガーデニアとの外交の責務は、主にカナトの父たるウォーレスハイム・アークヴィーチェが担っている。

 しかし、それに付随するガーデニアからの輸出、輸入産業の仲介はほぼカナトがこなしていて、責任者にも近い立場をもっていた。

 

「確認致しました。詳しい連絡は通信デバイスでのメッセージでもよろしいか?」

「えぇ、私でも構いませんが、カレンデュラ領の父へ直接連絡を入れて頂けるのが早いとも思います」

「畏まりました」

 

 淡々とした二人の話は、まさにビジネスの関係だろう。

 二人の会話が終わったのをみて、キリヤナギは目の前のククリールへ口を開く。

 

「ねぇ、クク。明日の放課後よかったら一緒に帰らない? 喫茶店とか……」

「嫌です」

「え”」

「お言葉ですが、そう言うお誘いには興味はありませんの。それでは、王子殿下にアークヴィーチェさん、私はこれにて失礼します。ご機嫌よう」

 

 ククリールはそう言って自動車へ乗り込み帰ってしまった。その場に呆然と取り残された王子にジンは困惑してしまう。

 

「ほ、本当に婚約者なんですか……?」

「う、うん」

「大変だな……」

 

 2人が想像していた「婚約者」との乖離がひどく、カナトも思わず同情していた。

 

 間も無く夕方になる時刻だが、清掃は終わりつつあれどまだ屋内へ入れる気配がなく、ジンは再びキリヤナギをみた。

 

「殿下。今日はもう中は入れそうにないんで、王宮まで送りましょうか」

「ぇー、帰りたくない……」

「しょうがない。少しだけ出かけるか」

「ほんと? 晩御飯までだけどいいかな?」

「門限あるんすね……」

 

 過保護だなぁと、ジンもカナトも呆れていた。しかしそれも騎士であるジンにとっては仕方がない事だとも理解がある。

 このオウカ国の正統な後継者は、現時点でキリヤナギしか居ないからだ。

 後継者になり得た現王の親族は、皆暗殺や誘拐などで姿を消し、唯一キリヤナギのみが大切に育てられ生き残っている。

 それは、このオウカが大国になり得た異能。『王の力』の根源が王族にあり、他国はこの異能の掌握と消失を目論み、攻撃を続けてきたからにある。

 終戦した現在でも年数回の襲撃が確認され、騎士達は王子周りの警備へ細心の注意を払っているが、この王子は自分の周りに騎士がいることを好まず、今日も1人で現れては1人で帰ろうとする。

 カナトはそれに理解があり、出来るだけ1人で歩かせないよう付き合ってはくれるが、限界があるのだろうとジンは複雑な感情を抱えていた。

 

 3人で訪れた喫茶店は、未だ人はまばらで空いており、キリヤナギは筆記用具を広げて勉強をはじめる。隣に座るジンがよく見ると歴史の教科書とノートで、クリアファイルには桜紋が印刷され「王立桜花大学院」と書かれていた。

 

「大学院?」

「うん、でも僕は普通の大学だから4年?」

「修士課程に入るかどうかは、卒業時に決めれると思うぞ?」

「へぇー」

「何を勉強してるんです?」

「歴史とか、政治の話とか色々? 語学とか数学もある」

「帝王学もあるだろう。王立で政治家や領主を育成する為の大学だと聞いている。私も当時は勧められたな」

「カナトも?」

「もっとも私は、ガーデニアの通信制大学を出たが」

 

 得意気に話すカナトは、喫茶店の入り口に常備されている情報誌を読んでいる。カナトは、目の前にいる王子よりも数倍世の中の情勢に詳しく、よくガーデニアの政治を評論もしていて、ジンは横で聞かされていた。

 

「カレンデュラでまた不法入国者か……」

「さっきのお嬢様の……?」

「我がガーデニアの後ろ盾を見ながら、舐められたものだ」

 

 王子は勉強をしながら首を傾げていた。彼の前であまり物騒な話はよくないと、ジンは話題を変える。

 

「そういえば、いつのまにか婚約者いたんですね」

「え、うん。色んな人見せられたけど、全然分かんなくて……」

「そうだろうな……」

 

 成人にも近い王子のために、将来を見越した女性を紹介されている。貴族社会では珍しくもなく、特にキリヤナギに至っては国の未来のためにも重要な事柄だからだ。

 

「とりあえず会ってみろって言われた人が5人いて、ククはその中にいてさ。公爵家なのにそこまで話したこともなかったから気になって……」

「一目惚れ?」

「そんなんじゃなくて、あんな風に言われるの新鮮だったから逆に興味湧いたんだ。普通じゃないと言うか」

「少し心配にもなるが、人へ興味を持つのは悪いことじゃない。友達としてアプローチしてみるといいと思うが……」

「たとえば?」

「通信デバイスのID交換とか?」

「ぼ、ぼくデバイス持ってない……」

 

 ジンがテーブルに置く通信デバイスは、画面を触れば、様々な通信ができる高度文明機器だった。

 ガーデニアの貴族、アークヴィーチェ家とミスタリア家が共同で開発したそれは、無線通信により近くのアンテナから地下ケーブルでつながれていて、中枢機器となるサーバーを介してありとあらゆるデバイスと通信ができる。

 またデバイス上の公開ページ、所謂ウェブサイトも参照ができ、人々は情報収集に役立てていた。

 1人一台は持っているこの機器を、キリヤナギは持たされてはおらず、見せられるたびに羨まそうにしている。

 

「我がガーデニアの誇る通信システムを、王子へ使って頂けないのは歯がゆかったが……」

「なんでダメなんです?」

「父さんが20歳になってからって、でも今度やっと買ってもらえそうで……!」

「へぇー」

「一応、連絡もらもらっている。カタログも送付したが」

「見てるよ。でもなかなか決まらなくて」

「今週中に決められるなら、来週王宮へ赴く際に持って行けるぞ?」

「ありがとう。じゃあ今週中に決める」

「20歳の誕生日だ。送ることができるのは光栄だな」

 

 王子は、鼻歌を歌いながら勉強を再開していた。そして、夕食の19時に間に合うようギリギリまで勉強した王子は、ジンとカナトに王宮まで送り届けられて帰宅する。

 

2

 

 王宮の正面玄関から自室へ向かうと距離がある為、こっそりと使用人の通用口から帰宅した王子は、巡回の騎士達に声をかけられながら、自室のフロアへと戻ってきた。

 

 王宮の西側にある突き当たりのフロアには一つの入り口があり、その先は王子専用のスペースとして広く取られている。

 衛兵のいる扉から入ると、左に大きめテレビにソファと書棚。右にはキッチンとリビングテーブルがあり、そこで1人の使用人が食器を磨いていた。

 

「おかえりなさい。殿下」

「セオ、ただいま」

 

 声をかけてくれたのは、整えた茶髪に黒のベストを纏うセオ・ツバキ。彼は王子周辺のスケジュールの管理や生活面を支えてくれる言わば専属のバトラーだった。

 彼は足を止めず、突き当たりの自室へ向かおうとするキリヤナギを止め、テーブル上の封筒を見せてくれる。

 

「大学からですね。おそらく成績発表かと」

「え、明日取りに行くつもりだったのに……」

「近いので届けてくださったのかもしれませんね」

 

 確かに近いと、キリヤナギは唇を噛んだ。王立桜花大学は、王宮から徒歩で30分以内の場所へと建てられている。

 また王宮に勤める事務員が、大学の施設も行き来しているらしく、気を利かせて持ってきてくれたのだろう。

 

「住所かいてないし……」

「経費節約ですね」

 

 封筒には大学の名前と「キリヤナギ王子殿下」としかかかれておらず、少し複雑な気分にもなってしまう。

 そっと、手持ちのハサミを差し出してくるセオにキリヤナギは言葉に困った。

 

「きになる?」

「それは、もちろん……」

 

 正直な所、キリヤナギは進級すら怪しかった。

 それは、去年の入学式の後、数日しか出席しないまま休学を余儀なくされたからにある。

 必要単位が足りない場合、本来なら進学はできないが、必要単位の半分以上が習得できていた場合、仮進級として一応は進級ができる。

 計算してみると、後期は8割程の習得ができていれば進級はできるが、出席は確実に足りず、ほぼテストやレポートのみで評価されていると思っていい。

 しかしそれでも教員に相談をして資料を提供してもらったり、補講にでて再テストを受けたりなど、それなりの努力をして現在に至る。

 

 そいった経緯から、いざ結果を見るとなると、ハサミをいれる手が震えていた。

 郵送を考えていなかったのか簡単なテープ張りの封筒もどうなのだろうと思いつつ開封すると成績表は厚紙を二つ折りされた状態で出てきた。

 評価はA +〜Dの5段階で評価があり、Dが不合格で単位を落としたこととなる。

 キリヤナギはしばらく成績表を閉じたまま精神統一し、大きく深呼吸をしてゆっくりと開いた。

 

 成績表には上からAやA+が並び、BもCもある。そこから歴史学のDが見えてショックをうけたが、最後まで見終えた時、「仮進級」と書かれていてしばらく言葉が出なかった。

 

「僕、進級できる」

「はい?」

「2回生……!」

 

 セオはしばらく呆然としていた。

 そしてまるで詰まるような声で話し、抱きつかれてしまった。

 

「おめでとうございます!! 殿下、本当によく努力されてーー」

「セ、セオ?!」

 

 騒いでいたら、リビングの入り口が開き、1人の騎士が入ってくる。

 黒髪に左目へ桜花紋の眼帯をつける彼は、180cmはある長身から抱き合う2人を冷静な目でみていた。

 彼は、グランジ・シャープブルーム。

 キリヤナギの護衛。特殊親衛隊として配属されている騎士の1人だ。

 

「何があったか?」

「僕、進級できそうで……」

 

 グランジは、目を見開いて驚き笑みを見せてくれる。穏やかな笑みは普段もあまり見せてくれないものだ。

 

「おめでとう」

「ありがとう」

「本当、本当によかったです。おめでとうございます。陛下と妃殿下にお伝え致しますね」

 

 セオが伝えなくても、これから家族の集まる食卓へ向かう為、自分で伝えればいい。

 喜びと感動でパニックになりかけているセオを宥め、キリヤナギはほっとした気持ちで、食卓へと向かった。

 

 食事はいつも、朝と昼はセオが作り、夜は王妃たる母が作っている。

 王宮にはシェフがいて当然仕事もしているが、キリヤナギが物心つく頃にはすでにこの体制は出来上がり、祭事の時ぐらいしかシェフの料理は食べたことがなかった。

 子供の頃は、何故だろうと不思議に思っていたが、のちに暗殺を防ぐ為だと知ったのは16歳ぐらいだろう。今は自然に受け入れ、それでもいいと思えている。

 

 普段通りだが、少し緊張しつつ食卓の扉へ向かうと、漏れてくる声をキリヤナギは聞いてしまった。立ち止まりしばらく聞いていたら、その声はどんどん大きくなり、罵声にかわる。

 父の怒鳴り声と母の叫ぶような声は、聞き慣れたものだった。成績が悪く心配しての喧嘩なら、進級ができることを報告すれば、少しは改善するとおもっていたのに、聞こえてくる内容は、王族としての在り方を重視するシダレ王と、王の厳格さを母が否定する「いつもの構図」だ。

 民の期待に応え、税金で生活するだけの働きはすべきであると説く王に、王妃ヒイラギは、王族であっても人である事には変わりなく、人らしく生きる事は権利だと言う。

 そして、話題がキリヤナギへ移りかけた時、王子が扉をあけ食卓へと入った。

 二人の口論は突然止まり、騒がしかった場所は静まり返る。普段の場所へ王子が座り、誰も喋らない夕食が始まっていった。

 

 これが、王宮での「日常」。

 食卓での会話は、王が王妃のどちらかが、キリヤナギへ話しかけなければ成り立たない。キリヤナギは、二人へ話かけることはなく何も話すことはない。

 張り詰めた空気は最後まで変わらず、終わる頃にはぐったりと疲れ、王子はため息をつきながらリビングへと戻った。

 

「進級の報告はできましたか?」

 

 セオの問いに答えることができない。

 あんな空気で報告などできないとも思ったからだ。何も応えない王子へセオは察したように、目を逸らしてしまう。

 

「妃殿下へ成績表をお見せしても構いませんか?」

「え、うん……」

「心配しておられましたから、安心されるでしょう」

 

 どうなのだろうか。

 しかし、母が気にかけてくれているのは分かっていた。大学へ行くこと提案してくれたのも母であり、好きに生きればいいと言ってくれるのも母だが、それを聞くたびに王子としてそれでいいのだろうかと考えてしまう。

 

「明日はどうされますか?」

「大学に行くつもりだったけど……」

 

 成績表が届いてしまい、行く意味がなくなってしまった。春休みはもう少し続くため出かけたいと思うが、一番よく行くアークヴィーチェ邸は今日行った為、迷ってしまう。

 

「では明日は、来月の誕生祭のお召し物を選んで頂きますね」

「え、わかった……」

「……」

 

 暇だとわかるといつもこうなる。

 セオは、大きめのデバイスを利用してスケジュールを整頓しているようだった。

 

 ここまで、後ろにいるグランジは一言も喋らず、ずっとキリヤナギとセオの対話を眺めている。しかしその目は穏やかで、キリヤナギを見る目は兄のようだった。

 彼は眼帯をつけ、さらに長身であることからクールな印象を持たれはするが、セオやジンよりも柔軟で温厚かもしれないとすら思う。

 

「どうした?」

 

 見上げるように眺めると、こうして声をかけてくれる。

 ジン、セオ、グランジのこの3人は、キリヤナギにとっては子供の頃からの幼馴染だった。かつては王宮を走り回り臣下達を困らせもしたが、グランジとセオはここにいるのに、何故ジンだけがいない。

 本当の理由はセオもグランジも知らされてはいないが、それは王宮で冷遇される『タチバナ』であるからなのだろうとキリヤナギは、悔しくも思っていた。

 

「はは、なるほど。だから左遷されたのか」

「左遷じゃねえ!! 配属! 俺はここになったの!」

 

 夜の憩いの時間。18時の定時から騎士の業務を終えたジンは、アークヴィーチェ邸の中にある住み込みの使用人用の部屋で寛いでいた。

 好きな音楽を聴いたり、テレビゲームをして遊ぶのがジンのプライベートタイムだが、今日は突然ティーセットを持ってカナトが現れ、ちょっとした昔話をさせられている。

 

 このガーデニア大使館は、敷地内だとガーデニアの法律が適応されるため、アークヴィーチェ家は、自身が管理する騎士をガーデニアより同行させ警備を行なっているが、その中でジンは、一人だけオウカの国から派遣された、いわば嘱託騎士にも近い。

 当然、敷地内の寮には空きがなく、仕方なく屋敷の使用人向けの部屋で生活している。

 

「たしかに、これほどまでやる気のない貴様を騎士長へ据えることはできないだろう」

「うるせぇよ」

 

 このカナトは、ジンが配属されて当初から、本来優遇されるはずの彼がここへ来たことへ興味が尽きなかったようだった。

 ジンの『タチバナ』という姓は、過去にオウカ国の南東の領地を納めた実績もち、数百年前には本家を首都へ移動させ、宮廷騎士貴族として長く王宮へと支える名門だからだ。

 他家とは比にならない王族との信頼関係により、代々で騎士長を世襲してきたが、ジンはいくら期待されても、そのような役職に微塵も興味がなかった。

 

「太古からの風習を変えることは難しい。貴様がここへきたのは『タチバナ』という名の威力を削ぐためなのかもしれないな」

 

 政治的な公爵家とは違い、騎士は怪我や病気などで入れ替わりが激しく、長く続いていた家であっても事故などで働けなる事も珍しくはない。

 それを踏まえるなら、何世代に渡り王族へ支え続けた「タチバナ」は、まさに唯一無二の信頼を得ていると言っても過言ではないが、その権威はジンの父の世代で終わろうとしている。

 

「私は面白いと思うぞ? 『タチバナ』と言う反逆者の末裔が、年月をかけて信頼を取り戻し、今や騎士長を何代にも世襲するにもなったことは、まさに名家というのに相応しい」

 

 「反逆」といわれても、ジンはピンと来なかった。しかし自身が学んできたものは確かに王家とは真逆の力で、間違ってはいないのだろうとも思う。

 

「だが近年は、この行為を続けることへ、果たしてに意味があるのかと問われているのだろうな」

「別に、俺は殿下が元気なら、なんでもいいかな」

「はは、『らしい』が、左遷といってもこの配属は確かに的を得ている。貴様は我がガーデニアの方が向いてそうだ」

「どういう意味??」

「王子に飽きたら、我が騎士団へ来るといい歓迎するぞ?」

「いかねー!」

 

 外国などに興味はない。

 ジンはキリヤナギのいるこのオウカが好きだったからだ。

 

 

  そんなオウカの国の1日が終わってゆき、平和な大国は朝を迎える。

 首都は通勤する人々で賑わい、街を循環するバスや列車が動き出す中で、ククリールは一人、街を歩いていた。

 首都にあるカレンデュラ家の別宅から出発した彼女は、今日は成績表が届くまでのんびりしようと思っていたのに、大学側の不備で成績表がカレンデュラの実家へと送付されてしまったのだ。

 よって今日は、大学へと通学を余儀なくされ、徒歩で取りにゆくことになっている。

 しかし、ククリールは公爵令嬢でありながらも一人の方が好みで使用人も必要な時でしか連れて行くことはない。不用心だと護衛騎士はよく言うが、羽を伸ばせる一人の時間はやはりククリールにとっては憩いの時間だった。

 

 大学の事務所にて、成績表の複製を受け取ったククリールは、AやA+ばかりが並ぶ成績表に満足し、帰路へとつく。

 このまま図書館でも寄ろうと、再び首都を歩いていると、ふと後ろからいくつかの視線を感じた。

 気のせいかもしれないと思い、気にせず図書館へと向かうが、それは途切れることはなく、振り返ってもこちらを見る影は見当たらない。

 

 ストーカーは珍しいことではなかった。

 公爵令嬢であることから、男性生徒には入学当初から目をつけられ、話しかけられてはある日突然婚約を申し込まれたりもしたが、全て断って現在まできている。

 2度と寄ってこないよう辛辣な言葉をかけても、むしろ喜ばれた事もあって恐怖を感じたが、以来音沙汰がなくなって考えないようにしていた。

 だからこそ、学校から追ってきているのだろうと憶測し、どうしようかと悩む。

 一応は図書館へ入り普段通り手続きを済ませ、読書を楽しむが相変わらず視線を感じて不思議にも思った。

 散々時間を潰し、図書館をでても追ってきて呆れてしまう。

 そこまで追うことのできる執念に完敗だとも思い、別宅を知られる方がまずいと考えたククリールは、黄昏時の公園へと向かった。

 いざとなればクランリリー騎士団へ助けを求められるよう。付近の管轄署を確認し、公園へと入る。するとようやく追ってきたらしい数名が目の前に現れる。

 見た目は普通の一般市民だった。しかし顔は見たことがなく、誰だろうと思う。

 

「こんばんは、はじめましてカレンデュラ嬢」

「ご機嫌よう。何がご用かしら?」

 

 相手の言葉のイントネーションが僅かに違い、ククリールは嫌な予感がする。

 この国で扱われる言語は、おおよそ3種類あり、一つは常用のオウカ語。これはかつてガーデニアで使われていた言語から派生したもので、街に当たり前に存在する言語だ。

 二つ目はガーデニア語。これは文字通りガーデニアで使われている言語で、駅などの公共施設で見かける言語でもある。 

 三つ目は、上記二つは原本と派生であり、イントネーションにほぼ違いはないが、オウカから東側の東国と言語統一の際に新たに作られた新しい言語だ。これは未だ最近の出来事で、東国と隣接するウィスタリア領ぐらいでしかみないマイナーものでもある。

 この三つの大前提から、目の前の人間のイントネーションを聞くと、この三つの言語のどれでもないことがわかり、ククリールは直感で恐怖を得た。

 

 彼らは、オウカ人でも、ガーデニア人でもない。属国たる東国の者でもないと察したククリールは、振り返って一気に走り出した。

 騎士団の管轄所まで逃げ切れればと思ったが、進行方向にも人がいてククリールは、抱えられるように捕まってしまう。

 

「いやっーー」

 

 口を塞がれたかと思うと一気に意識が落ち始め、ククリールは後悔した。昨日、一緒に帰ろうと言ってくれた彼が脳裏に浮かび、後悔をしながら眠へとおちてゆく。

 

3

 

 夕暮れ時、間も無く日が暮れる王宮で、キリヤナギはフラフラになりながら、自身の自室のある居室フロアへ戻っていた。

 セオの話していた来月の誕生祭の準備は、衣装部屋で行われ、数名のデザイナーが何十種類ものデザインを掲示し、およそ50種類のデザインからどれを選ぶかと言う怒涛の会議が行われていたからだ。

 参加させられたキリヤナギは、掲示されたデザインで好みのものを選んでも、これは舞踏会向けではないとか、印象に残りにくいなどと文句を言われ、気がつくと目の前でデザイナー同士の喧嘩が始まり、終始帰りたい気分で眺めていた。

 数時間にも及び、アドバイスを得ながらどうまとめようか考えていると、複数のデザインの混合した形がいいと言う話になり、どうにか数種類に決めて戻ってきた。

 

「疲れた……」

「お疲れ様です。いつもなかなか決まらないので助かりました」

 

 決めたと言うよりも、喧嘩の仲裁をした気分だった。しかしこの後すぐ夕食で億劫で仕方がない。

 

「自室で休まれますか?」

 

 時計を見れば母はもう料理を作ってくれているだろう。無駄にするのも申し訳ないと思い、キリヤナギはグランジと合流して、その日も夕食を終えた。

 

「殿下」

 

 唐突な女性の声に、ボーっとしていた意識が戻ってくる。居室フロアへ戻る通路で声をかけてくれた彼女は、何も言わずキリヤナギへ封筒を差し出してくれた。

 

「ありがとう」

 

 使用人は一礼し持ち場に戻ってゆく、グランジは首を傾げていたが、キリヤナギは深く言及はせず居室フロアへともどる。

 先に戻っていたセオは、過労の表情をみせるキリヤナギへリラックスできるお茶を用意してくれていたが、すぐに飲む気は起こらず、自室へ運んでもらうことにした。

 

 女性の使用人から渡されたのは、時々、王宮へ投げ込まれてくる手紙だった。大体は王政への批判やクレームなどだが、稀にファンレターが混ざっている時があり、使用人の彼女がこっそり持ってきてくれる。

 ファンレターは大体差出人が書かれているが、今回書かれていないのを見るとクレームだろうか。最近読んだ本には、呪いの手紙などもあるらしく、一度見てみたいと思っている。

 

 一人でみたいと思い、キリヤナギは居室フロアからさらに奥の自室へと戻る。広い部屋は、大きなベッドや書棚、クローゼットやドレッサーもあるかなり生活感のある部屋で、王子は迷いなく勉強机に向かい、慎重に封を切った。

 出てきたのは白い厚紙と明日の日付0時と書かれていた。

 なんだろうと首を傾げ、裏返した時、キリヤナギは言葉を失い即座に外出用の服に着替え、窓から自室を抜け出してゆく。

 

 

 ジンは、自室でリラックスしていた。

 今日はガーデニアの騎士達との訓練の日で早朝から動き回り、体が程よく疲れている。演習とは違うが、オウカの騎士学校で習った立ち回りとは違い、楽しくなってじゃれていたら、気がつくと夕方になっていた。

 年上の彼らは、未だ若いジンに対しても驕らず威厳を見せたいと本気で相手をしてくれて、ジンもそれに応えるように挑みにゆく。今日は調子が良くて全勝した為に、ジンは機嫌が良かった。

 

 ベッドに横になり通信デバイスから耳栓タイプの音響機器、イヤホンをつけ音楽を楽しんでいると、小さく何かを叩くような音が聞こえてきた。

 なんだろうと体を起こすと、窓の外に人影がみえ、カーテンを開けて絶句した。

 壁際に隠れているのは、昨日の午後に顔を合わせたキリヤナギだ。

 時刻は20時半を回っていて、思わず混乱する。

 

「殿下……」

「ジン、助けて」

 

 大急ぎでロックを外し、ジンは窓から一旦王子を招き入れた。

 久しぶりに抜け出してきた王子へお茶をだすが、彼は手をつけることもせず深刻な表情を見せていた。

 

「今日はどうしたんですか?」

 

 キリヤナギがこうしてジンの元へ来るのは、ジンの所属がアークヴィーチェ邸になるためにそこへ報告の業務は発生しないからにもある。

 王子を囲う親衛隊は、あくまで騎士団員であるため、王子の元でどう動いたかを報告する義務があるからだ。

 しかし、外出制限の厳しい夜にでてきてかつ、騎士団に言えない事にジンは戦々恐々としながら返事を待つ。

 

「これ……」

 

 王子の懐から、宛名だけの封筒がでてきて、ジンはさらに嫌な予感がする。促されるように中身を見ると、明日の日付と地図、0時と書かれた表面に、気絶しククリールの画像があったからだ。

 

「これ……」

「今日、敷地に落ちてたみたいで」

「報告しないとまずくないですか……」

「……騎士団がでるとどうなるか分からないと思って」

「それはそうだけど……」

「……」

 

 流石に手が余ると思い、ジンはカナトへメッセージを送り彼を私室から呼び出した。

 現れたカナトは、ジンの部屋にいたキリヤナギへ驚きつつ、見せられた写真に絶句する。

 

「なるほど、騎士団はただのイタズラと認識する可能性はあるな」

「そっち?」

「斥候は出るだろうが、もし事実なら対策を練る時間が厳しくも見える」

 

 時刻は21時。事実確認のため騎士団が斥候を派遣するとすれば、3時間など一瞬で過ぎてしまうだろう。

 しかし、ククリールを浚えたのに、あえて王子へ手紙が届けられたのは、敵の目的が別にあるからだろうと察する。

 

「どこで拾ったんだ?」

「敷地内におちてたみたい。メイドさんが届けてくれてーー」

「……」

 

 カナトはしばらくキリヤナギをみつつ、考察を続ける。

 騎士団の汎用的な対応は、斥候によるイタズラかどうかの確認作業から始まる。そこでイタズラならば無視、事実なら敵の人数において対応が為される。

 待ち合わせは0時。現時刻が21時15分なら、動き出すのは最短で22時からだろう。斥候の捜索にかかる時間が30分から1時間とみるなら、同時進行で対策を練らなければ間に合わないと見る。

 この場で王子が、騎士団に頼らずあえてここへきたのは恐らく間に合わないことを見越していたのだ。

 そしてその上で、この手紙が王子へ届く前提で用意された可能性をみると、この手紙のコンセプトがみえてくる。

 

「招待状だな……」

「……」

 

 出てこいと、キリヤナギは誘われている。しかし、狙われた相手がククリールである理由が、カナトには考察ができなかった。人質は身分が高ければ高いほど扱いづらくリスクも高まる。

 公爵令嬢と言う高嶺の花は、失えば国家損失にもつながる為に、国の最高峰の機関が動くのは目に見えているからだ。

 

「カナト、僕、ククを助けに行く」

「殿下……」

 

 王子も考えてたい事が山ほどあるのだろう。

 何が目的かはわからない。

 だが、今は時間がない。

 何をされるかわからないまま、見捨てる事はできないと王子は言っている。

 

「十中八九、罠だぞ?」

「ククは僕の婚約者だから僕が助ける」

 

 ジンは項垂れていた。

 こうなった王子は、誰の警告も聞かない。

 決めた事は最後までやり切る様をジンは幾度となくみてきたからだ。

 

「ならせめてグランジさんに連絡していいです?」

「え、うん。グランジなら……」

 

 妥協するキリヤナギに、カナトは安堵していた。

 ジンが通信デバイスでグランジへ連絡すると、彼はものの数秒で出てくれて、すぐにきてくれることになった。正面玄関はセキュリティ機器があるため、ジンが裏口から招き入れると、ジンの部屋へキリヤナギがいることにグランジは思わず腕を組んで呆れていた。

 

「ご、ごめん」

「やけに静かだとは思っていた」

「セオは……?」

「俺がいると見越してもう休んでいる」

 

 ほっとしつつあるが、全てが問題である事にもはや誰も突っ込まない。

 

「取り急ぎ作戦を立てておいた。準備しろ」

 

 グランジが来るまでの間、カナトは手早く戦略をまとめてくれていた。出来るだけ王子の安全を確保する作戦に、キリヤナギを含めた騎士の2人も感心する。

 

「カナトって、やっぱりすごい」

「本音は行かせたくないがしょうがない。2人とも最悪の結末だけは避けるように頼む」

 

 カナトは戦う力は持たない。彼の言う最悪の結末は、王子の身に何かあり王族が途絶える事だろう。最悪ククリールを失っても、王子は守りきれと騎士の2人は言われている。

 

「僕も戦えるし……」

「そう言う所だぞ……」

 

 王子は不満そうに眉間に皺を寄せていた。

 

@

 

 王宮から約南西に位置する場所には、首都の住民達がよく立ち寄る公園がある。場所が広くとられているそこは、市民の憩いの場ともされているが、奥へ向かうほど山へと入り、人の手が届かない大自然となっていた。

 監視をする3名のうち1人は、木の上からガーデニア製の暗視スコープを除き、森へと走ってくるフードを被った白いクロークの影を確認する。

 写真の特徴との一致を確認し、5名の内3名がうごいた。

 

 森を走る彼を3人は追う。

 おもり付きロープで足を引っ掛けようとしても、前転で回避され、金属製の飛び道具もまた空を切る。

 前から攻めれば、右に飛んで空を切り、後ろに回ると、幹を足場にして空へ跳躍。

 一回転から着地して逆方向に走りだし、3名はさらに追った。

 とんでもない運動力だと3人は息を飲む。

 この国の王子の情報は殆ど流される事はなく、分かるのは公共で流されている顔と身なりぐらいだったが、想像していたより手強いと三人は警戒を強めた。

 そして開けた場所にでて、行く手を囲った三名は拳銃を抜いて弾丸を装填する。

 

「よく来てくれた。王子。一緒に来てもらおう」

 

 銃を構えながら【それ】は見えていた。

 前転による回避と攻撃。防ごうとしたが間に合わず、傍にいた1人がタックルをもらって倒され撃たれた。

 そして間を置くまでもなく二発目が撃たれ、僅かに体を掠める。

 直後の前転によってフードがめくれ、隠れていた顔が露わになり敵は叫んだ。

 

「替え玉か!」

 

 フードを脱いだジンは、敵を分析しながら向かってゆく。

 

4

 

 ジンに敵の揺動を任せたキリヤナギとグランジは、大きく迂回して公園へ入り、ククリールをさがしていた。

 ジンと衣服を交換し、ほぼ初めて着用した騎士服は、キリヤナギの想像以上に動きやすく、少しだけ羨ましくなっていた。

 

「マント思ったより軽い」

「有事でも邪魔しない設計をされている」

 

 よく考えられていると、キリヤナギは感心していた。

 森は広く、奥にゆけばゆくほど灯りは無くなって視界が悪い。僅かな月明かりを頼りに進むと、人が走り抜けてゆく音が聞こえ息を潜める。

 

「どうしたの?」

 

 気がつくとグランジがじっとキリヤナギを見ていた。心配そうな目に思わず反応に困ってしまう。

 

「僕は大丈夫」

 

 グランジは一瞬だけ呆れた表現をみせるが、前を見て覚悟を決めたようだった。

 逸れないよう、また音を立てないよう進むと「立ち入り禁止」と書かれた小さな小屋を見つけた。ぼろぼろの道具が置かれているのはおそらく公園の掃除用具の倉庫だろう。

 入り口には銃を持った人間がいて、キリヤナギは持ってきた武器を確認した。

 桜の装飾が施された鞘へ収まる、片刃のサーベル。ブレードの反りは浅く持ち手もシンプルだが、王族に相応しく金の装飾が施されていた。

 平和とされるこのオウカ国では、キリヤナギも滅多に抜く事はないが、今日は手加減はできないと鞘のロックを外す。

 

 キリヤナギのそんな動作を確認していた最中、グランジの耳の小型音声出力機器、イヤホンから音声が響く。

 

『こちらジン。敵を確認しました。応戦します』

「わかった。こちらも動く」

 

 通信デバイスを介したグループ通信は、大人数での同時通話に対応し、騎士団では専用の回線を使って利用されている。

 キリヤナギはデバイスを持ってはいないが、グランジの応答をきいて身を引き締めたようだった。

 

「行けるか?」

「いける。やろう」

 

 筒へ弾丸を装填したグランジはオープンサイトを除き、撃つ。敵のヘルメットに弾かれたが、弾圧で吹っ飛ばされ、中にいた敵が外へと出てきた。

 キリヤナギは、グランジが突っ込んでいくのを見送り、彼の背中をとろうとする敵へ飛び込む。

 完璧なタイミングの筈が左手のストッパーでガードされ短剣で反撃がくる。敵はこちらの顔に驚きながらも、キリヤナギの剣戟を的確にガードしつつ応戦してきた。

 打ち合いの最中、2人は敵の動きに違和感を覚える。攻撃が完璧にガードされ回避されるそれは、まるで【未来が見えている】ようだからだ。

 

 そんな2人の違和感を肯定するように、ジンの声がグランジのイヤホンへ響く。

 

『グランジさん、こいつらあれですよね』

「あぁ、【見えている】」

 

 グランジは敵へ隙を与えぬよう応戦するが入る気配がなく、まるで空を切るようだと思う。

 敵のこの力は、神より下された7つの「王の力」の一つ【未来視】。しかしこの力は現在、南東の領地を収めるウェスタリア公爵に与えられ、その騎士へ付与されているはずだが、それを今、敵がもっているのは想定外だった。

 グランジは、ジンが3人の敵を相手にしていることを思い出し懸念を得る。

 

「倒せるか?」

『大丈夫です。俺、【専門】なんで』

 

 グランジは、自分がジンを甘く見ていたことを反省する。ジンは「タチバナ」の血を引く正当な騎士であり、その名は『王の力』を抑制する。

 かつて『王の力』が天より下された頃、異能による支配を嫌った民が「王の力」を打倒する為に生み出した武道「タチバナ」。

 その考え方故に、存在そのものが神の否定として忌み嫌われる。

 

 しかしその時、かつての王は、自身の異能を打倒した「タチバナ」を受け入れ、それを武器とする決断をした。

 異能を持つ貴族達を監視する第三者として、またかつての裏切り者として業を背負った「タチバナ」は、たとえ大衆が否定しようとも国を守る。

 

 グランジは、そんなジンの存在を思い、目の前の敵へと向かった。

 その動きは同じだった。

 未来を見る敵に、未来を見る動き。敵が混乱しているのが分かり、グランジはあえて言葉を紡ぐ。

 

「まだ慣れていないか?」

「お前もか……」

「そうだ。俺も【未来視】を持つ」

 

 ウェスタリア公爵より、宮廷近衛兵として与えられている力をグランジは振るう。

 それは洗練され極められた動きであり、【素人】の追従を許さない。

 

「俺が『タチバナ』では無いことが幸いだったな」

 

 グランジは合わせていたそれをやめ、国家の敵を掃討する為に動き出した。

 

@

 

 王子の服を着たジンは、敵の【未来視】への適正を見ながら分析へと移っていた。

 1人は倒したが、不意の発砲を回避された為、すぐさま銃をしまい打てないように近接へ切り替える。

 ナイフを抜いてきた敵を掴み、もう1人の盾にしながら投げ込んだが、奥の1人に回避されて発砲を許し、髪を掠める。

 腰を落としながら足を引っ掛け、低い位置で対応した。

 反応が早いが、この敵は付与されて間もない【素人】だと、ジンは確信する。

 神が降ろした7つの異能の一つ【未来視】。この力には、与えられる個人によってかなり「ムラ」がある。

 それは、どんなに先が見えていても、まず体が追いつかなればそもそも対応ができないからだ。

 また視界がほぼ【未来】で占領される為に、【今】が見えなくなる。

 そして見える【未来】には限界がある。

 

ジンは未来を見ている敵を観察しながら、敵の攻撃の挙動をみていた。

 向かってくる敵。普通に避ければ当てられるが、ジンは右へ【振り】を決め、左へから殴り込んで吹っ飛ばした。

 【未来視】により観測できる【未来】は個人差あれど【約2秒先】。

 つまり、【未来】から【今】にくるまでのこの僅かな【ラグ】こそ、この力の弱点でもある。

 2人目をのしたジンは、残された最後の敵へと向き合う。敵は身構えながら、銃をおろして止まっていた。

 それは先が見えるあまり、それを凝視して【今】が止まる。この異能を初めて付与された人間が陥りやすい挙動だ。

 先を見ている為に対応はできるが、後ろからなど視界に入らない動きに対応ができなくなる。

 

 だが今、ジンは1人だ。

 慣れている自分を信じ、ジンが動くと、敵の引き金が引かれる。2秒先に頭へ当たる筈の弾丸は、ジンのこめかみを掠めたが、回避後の2秒以内に銃を抜き、横から狙撃。

 両腕を一気に貫通し、敵が横転するように倒れる。悲鳴を聞きながら足を打ち抜き、ジンは大きく息をついた。

 自身の技術が安定して刺さった事に安堵し、また平和であれば必要でないとされたそれに、複雑な感情を抱く。

 そして、ジンは何も言わず、グランジへ連絡を飛ばした。

 

@

 

 「敵が強い」とキリヤナギは感想を思う。明らかに人並み以上の反応力でこちらの隙をつき、達人にも近いとキリヤナギは賞賛していた。

 あるタイミングで銃をぬかれ、キリヤナギは射線からそれ、剣先でそれを弾き飛ばす。これで安心できると思ったが、短剣だけでもやはり強い。回避と応戦を続けていたら、グランジと背中合わせになった。

 

「敵が未来を見ている」

「え、ほんとに?」

 

 思わず疑いかけたが、攻めにこられて観察へ移った。打ち合いが続く中で分析すると、確かにこちらに合わせる動きで狙いを取っている。何故かガッカリしてしまい、キリヤナギは気持ちを切り替えた。

 

「その力、どこで手に入れたの?」

「話す必要ない」

 

 裏切りだろうか。

 だがあり得ないことではないと、キリヤナギは事実を受け入れる。

 この異能は、公爵から付与されることでさらにもう一度、又貸しをする事ができるからだ。

 公爵から回数にして2回。人数は貸主に左右される。また力は返されなければ貸主に力は戻らない。

 つまり、公爵クラスでなければかなり制限がある。

 しかしそれを踏まえても、国を守る力を国を壊すために使われるのは、れっきとした裏切りであり反逆だ。

 キリヤナギは、戦いながらジンの存在を憂う。

 平和であれば必要のない力を、ジンは幼い頃から叩き込まれ、不要だとされながらもそれを磨いて生きてきた。

 王族を守りながら、王族を否定するそのあり方は、矛盾していて受け入れがたいものでもある。

 

 しかし、だからこそオウカは「タチバナ」を捨てなかった。抑止力としてそばに置き「宮廷近衛騎士」として、共に生きてゆく道を選んだ。

 キリヤナギは打ち合いをする事で敵の体力を削り、一気に攻め込んで押し込む。

 ジンの父、アカツキ・タチバナによる稽古により、キリヤナギもまた「タチバナ」の力をある程度体得していた。

 つい先程まで互角だったものが、「タチバナ」のそれによって圧倒されたことに、キリヤナギは更に悲しくなる。

 見えていた未来が敗北に変わり、敵は絶句しながらもキリヤナギを見上げていた。

 

 『王の力』をもつ能力者に対して、王族は「タチバナ」以上に絶対的な有利がある。

 キリヤナギは、仰向けに倒れこんだ敵へ剣を突きつけて唱えた。

 

「-オウカの王子、キリヤナギの名の下に、貴殿のもつ【未来視】の力を返却せよ!-」

 

 目を合わせ言い放った言霊に、敵は逆らうことができなかった。この異能は、元は神から王へ、王から公爵へ授けられた力であり、付与される事でその大元となる王族には逆らえなくなる。

 つまり「返せ」と言われれば、それは返さねばならない。

 敵の胸から淡い光が抜けてゆき、それは空を飛んでどこかへ消えてゆく。本人の意思に関係なく「王の力」を奪取できるのは王族のみで、これはキリヤナギと現王しか行うことができない。

 厄介なのは、この国の王族の数が極端に少ないことと、直に命令しなければそれは成されないからだ。

 つまり、付与は一度に大勢へできるのに対し、キリヤナギは対面しなければ奪取ができない。だからこそ「タチバナ」は必要とされた。

 

 振り返ればグランジも戦闘を終え、キリヤナギの元へ敵を引き摺り出してくる。彼は少し辛そうな表情でその異能を奪取し、ようやく森へ静寂がもどった。

 

「ククは……」

 

 あたりを見回し、古びた建物の中を見ると泥だらけのククリールがカビだらけの床へ座らされていた。気を失っているのか意識はなく、キリヤナギは彼女を抱き上げて一度明るい場所へと連れてゆく。

 

 揺れに気づいたのか、ククリールはゆっくりと目を開け、驚くようにキリヤナギの腕から飛び降りてしまった。

 

「は、え、騎士? 王子殿下、なんで……」

「クク、怪我してない? 大丈夫?」

 

 何が起こったかわからずククリールは、座り込んでしまった。そして徐々に戻ってくる記憶に、最後に感じた恐怖のみが込み上げくる。

 突然泣き出してしまったククリールに、キリヤナギは騎士服を羽織らせ、横に座った。

 

「家に、連絡できる?」

 

 キリヤナギに言われ、ククリールは通信デバイスを確認していた。使用人からの大量の通話履歴がきているが、まだ混乱していて何を話せばいいかわからない。

 

「殿下!」

 

 後ろから聞こえた声はジンだった。白いクロークを纏う彼は、髪色が同じで遠目で見れば確かに王子にみえなくもない。

 

「騎士団に連絡したので、服だけ……」

「わかった」

「貴方達、何をしたの……」

「ごめん。今は説明する時間ないんだ。僕がいた事は秘密にしてくれると嬉しい」

「あっちにトイレあるんで、早く」

「本当、ごめん。あとはジンにまかすから」

 

 そう言ってキリヤナギは、ジンと衣服を戻し1人で王宮へと戻る。

 巡回騎士に見つからないよう。立ち入り禁止の芝生を抜け、ベランダから自室に戻った王子は、ようやく安堵の溜息をおとしベッドへと潜った。

 

 そんな公爵令嬢が誘拐された事件は、大事に至る前に解決し、メディアにも載ることはなくひっそりと終わってゆく。

 巻き込まれたククリールは、聴取の時点で、気絶していて何が起こったのかわからないと話し、王子がいたことは伏せてくれていた。

 グランジはそれを聞いて、アークヴィーチェ邸に勤める友人とたまたま夜に出かけていたら誘拐の現場に遭遇し、2人で颯爽と解決したとまとめる。

 

「ま、た??」

 

 朝、王宮のキッチンでグランジから報告をきいたセオが、キリヤナギのお弁当を詰めながら口にする。カレンデュラ嬢が拉致された事件から1週間が経過し、報告書が承認された後、グランジはその全てを同僚のセオと報告していた。

 

「抜け出し今月何回目?」

「3回目だな」

 

 返す言葉もない。

 しかしこれでも、かなり減った方でセオは項垂れるしかなかった。

 王宮としては、王子が夜に1人で外出することは厳禁で、破られれば謹慎以上は免れない。しかもそれが遊んでいる訳ではなく、自身を狙う敵に倒しに行ったなど、立場を理解していないと受け取られてもしょうがないからだ。

 

「王子がいた事は書かず、アークヴィーチェの騎士と共闘したと報告した」

「どうせジンでしょう? 全く、そんなんだから喧嘩が終わらないんですよ」

 

 王と王妃の喧嘩は、ここ数ヶ月、ずっと王子のことばかりだ。大学での成績不振だけでなく、王宮からの無断外出もそうだが、数年前からジンと共に危険な場所へ赴くいわゆる「火遊び」もやり始め、騎士達は散々な目に遭っている。

 

「悪いことはしていない」

「しってます!」

 

 王子の行動は、全て正義感に溢れたものだ。それこそ、迷子の犬さがしや、落とし物の捜索だけに止まらず、暴力事件の捜査や違法な企業の摘発なども行ったこともある。

 市民からすれば、これ以上ないヒーローだが、護衛騎士にとってはとんでもなく「やりずらい王子」でもあり、誰もその仕事をやりたがらなかった。

 

「殿下が居なかったって、聞いて安心していた僕の気持ちを返してほしい……」

「今更だな」

 

 セオが大きくため息をいた時、キリヤナギの自室からバタバタと騒がしい音が響く。

 春休みは昨日で終わり、今日から春学期だ。キリヤナギは無事進学し2回生として登校する予定だが、朝食の時間はとっくに過ぎて「寝坊」したのだろうと察する。

 間も無くして着替えて出てきたキリヤナギは、少しだけ衣服が乱れつつもギリギリ大丈夫な状態で飛び出してきた。

 

「セオ! お弁当ある?」

「ありますけど、間に合います?」

「走ればまだ大丈夫、朝ごはんは、ごめん!」

「だと思って多めに詰めときました」

「本当!? 助かる」

「今日はグランジと行って下さい。最近物騒なので」

「えぇー……」

「何が問題でも?」

 

 睨まれキリヤナギは諦めたようだった。何も言わず飛び出してゆく2人をセオは「気をつけて」と見送った。

 新しい年度が始まり、使用人達は目前に迫る誕生祭にむけて準備を始め、騎士達もまた王宮と国の安全のために新しい仲間を迎える。

 誰しも争いを望まず平和であってほしいと願う世界は、この王子の20歳を区切りとして始まって行くのだった。

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